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[54258] 2006年 9月 30日(土)11:25:30ezekiel さん
神戸を巡って 続・続・続・補足の続き & “ごうど”
[54242]YSK さん、
太田市には強戸と書いて「ごうど」と読ませる地名があります

 この強戸(ごうど)は、どうも額戸(ごうど)が転じたものの
ようです。清和源氏の流れの新田義重の子(庶子)である経義が、
新田荘の額戸郷を拝領(相続?)した時に額戸氏を名乗ったという
説があります。

 逆に額戸経義が、新田荘の中の、現太田市強戸町の地域を拝領
して額戸郷という呼び方をされたという説も見られるのですが、
いずれにしても強戸村の起源は額戸郷で、それが転じて強戸と
なったように思います。

*

 ごうどつながりで・・・ (前回はざっと1行だけですませたので)

神門(ごうど)に関しての[54223]の書き込みの補足です。
西日本の神門という地名は、どうも神社の神門が由来ではないかなあ~と思っています。

 古代の出雲の豪族に神門氏(神門臣・かんどのおみ)があって、
この神門氏の名前の由来が、出雲大社の神門の建立であったようです。
古代の出雲では神門氏は大きな勢力を持っていたようです。結構開拓に
熱心だったという説もあって、神門氏が開拓した地に神門の名前が
ついた可能性があるのですが、(おそらく、その地の神社の神門の
建立に関わったことと想像できます。)でも佐倉市や君津市の神門に
関しては音が異なりますし、神門氏との関係は、よくわからないです。

*

 地名の由来を辿ると、必ずしもルーツがひとつとは限らない場合も
あります。実は、神戸市のルーツも、“生田神社の神戸”が主流
なんですが、異説もあります。“長田神社の神戸”が神戸の地名の由来
だと長田神社は主張しています。

 *

[54253]ニジェガロージェッツ さん、
1874(明治7)年開業の初代神戸駅は、現在の神戸駅からハーバーランド(旧・湊川貨物駅)にかけての広大な領域を構内としていましたが、この場所は意外にも兵庫の領域です。

「神戸」と「兵庫」の力関係について、明治7年の時点の神戸駅の開業と結びつけるのは、ちょっと筋違いかもしれませんが、時代背景としては面白いと思っています。

 詳細な言及をありがとうございます。また、[5887]が私の検索から漏れて
しまって、失礼いたしました。

 江戸期の幕末前夜までは“一集落の地名”でしかなかったが「神戸」という
地名が、明治の区名に選ばれ、市名になり、日本の重要な港名になり、国鉄の
停車場の名前に選ばれた理由。現在は国内外に通用する都市名になり、結構
ブランド力のある名前のようですが、「何故、神戸が・?」なのかは、よく
わからないです。当時は県名の「兵庫」の方が通りが良かったと想像出来ま
すし、隣接する「生田」であっても良かったわけです。

 ニジェガロージェッツ さんの[54253]の書き込みの主旨の大きなテーマの
ひとつが「兵庫ではなく、何故、神戸が・?」ではなかったのかなあ~と
勝手に想像してしまいました。他の地域の神戸が、三重県では神戸氏を名乗る
豪族が現れて市町村制に複数の神戸が残っています。それに対して北関東の
神戸は、ほとんどが市町村制に残ることが出来ず旧村や、旧村の中の一集落の
名前として、昔ながらの地域の地名として留まっています。この違いは地域性
なのか、偶然なのか・・・、いろいろ考えると面白いですね。

* 

 当時の兵庫は、かなりの天井川であった旧・湊川以西となり、港町、宿場町
として賑やか“町”だったのに対して、湊川以東の走水村、二茶屋村、神戸村、
生田村は、西国街道沿いの、農業と漁業の寒村のような感じだったと思います。

 私自身よくわからないのは、神戸村と生田村との関係です。神戸村は、
西隣の走水村や二茶屋村とまとめて3村という括りで捉えられたり、山手の
北野村・中宮村・花熊村を併せて6ケ村と括られたりしていますが、どうも
東隣の生田村とは、疎遠だったのか、或いは対立関係だったのか、一線を画して
いたようなニュアンスを感じます。もちろん6ケ村が福原庄ということで、
結びつきが強かったことは大きいでしょうね。

 江戸期までは、どちらかというと「生田」の地名の方が通りが良かったのでは
ないかなあ~と思います。神社の名前は生田神社、その附近は生田の森で、
山手からの流れは生田川、神戸と生田では、生田の方が地名としては優勢の
ような気がします。


 神戸と兵庫の関係と共に、生田と神戸の関係も気になります。

*

 神戸駅の件ですが、確かに「何故、神戸が?」を辿る時には避けて通れない
と思います。神戸駅が明治7年で、兵庫港が神戸港に改称したのが明治25年。
一方、走水村と二茶屋村、神戸村が合併して神戸町になったのが明治元年
とされ、兵庫、神戸、坂本が神戸区となってのが明治12年です。

 ニジェガロージェッツ さんが着目されておられるように、幕末から
約10年間の間に、“兵庫から神戸”と大勢が流れたように思います。

 実はこの時期に湊川神社(楠公さん)が創建されています。神戸の大きな神社は
長田神社、湊川神社、生田神社になりますが、長田神社と生田神社は神戸を持つ
古代からの神社に対して、湊川神社は明治5年に明治政府によって創建された
神社です。河川跡に造られた街

 この地図は明治18年のモノですが、神戸駅の位置は、古くからの兵庫港と
新しい海外向けの新兵庫港との間で、湊川の左岸河口で、楠公さんの真正面に
なっています。

 このサイトのアーカイブズにまとまっていますが、[1774] Issie さん、
[1775]Issie さん、[1776] f さん、[1777] Issie さん、のやりとりにある
ように、兵庫県の県庁の所在地は兵庫から、楠公さん近辺に移り、明治6年に
現在地へ移転したようです。私は県庁の場所に関する資料を持っていません
ので、このやりとりの情報によると、明治6年以前の数年間ぐらいは楠公さん
のご近所に県庁があったことになります。

*

 私見ですが、兵庫の古くからの町と、新しい兵庫港と居留地のある神戸との
間の場所であり、新しい神社・楠公さんの目の前のロケーションである湊川
左岸の河口附近に兵庫県の玄関の町を作ろうとしたのかもしれません。
そして、その地が兵庫ではなくて神戸だったことが、駅名に反映したように
思います。あるいは明治に入って2~3年で、港と居留地の地名「神戸」が
(国際的にも)有名になったのかもしれません。

 楠公さんは、当初は尾張藩は京都に創建することを薦め、また滋賀や大阪の
計画もあったようですが、楠公の墓の場所であり、それが永く荒れた状態
だったのを徳川光圀が墓碑を創建したこともあって、今の地になりましたが、
もし別の場所に楠公さんが創建されていたら、神戸の駅の場所や駅名は「兵庫」
だったかもしれませんし、兵庫区→兵庫市という名前に落ち着いていたかも
しれません。また、兵庫の古くからの港をそのまま外国向けに使っていたら、
当然のように兵庫市になっていたことと思います。

 生田神社の44戸の神戸が、西国街道沿いの村名として、その地域を
指し示す地名に留まらずに、広域な政令指定都市の名前になったルーツ、
それは唯一の明確な理由があったのかもしれませんし、幾つかの偶然(?)
が重なった故かもしれません。

 何故、生田ではなくて神戸? 何故、兵庫ではなくて神戸?

 ・・・ いろいろ調べてみたいと思います。



[54229] たもっち さん、
ezekielさん。この際ですから、メンバー登録と「神戸コレクション(仮称)」の編集をなさってみてはいかがでしょうか。

 [53879]のグリグリさんへのコメントでも触れていますが、[53720] &[53619]
ペンディングのままになっています。このような状態ではメンバー登録は
考えられませんので、「神戸コレクション(仮称)」の編集は、どうぞ適任の方に
お声掛けして下さい。
[54230] 2006年 9月 28日(木)13:38:07ezekiel さん
黄金色 & 神戸を巡って ~ 続・続・補足の続き
[54227] YSK さん、
この間の日曜日に栃木県北部で撮影してきた黄金色の水田のようすです。もう秋本番となってまいりましたね。

 秋の田んぼの黄金色は良いですね♪ そして稲刈り後の田んぼの土手に、燃えるような
真っ赤な曼珠沙華も、この時期独特の光景。空には秋の雲・・・

 9月に撮り溜めた秋の光景を、私もちょうどまとめました。ハーベスト・タイム
播磨平野は麦畑も広がっており、毎年2度、黄金色の豊饒を楽しめます!



[54223]の私の書き込みの訂正・追加です。

田村市船引町の字今泉の中に小字として「神戸前」という地名がありました。

読みを忘れていました。“かみとまえ”のようです。

 神戸の北限が気になって、午前中にちょっと調べていたのですが、
もうひとつ見つかりました。 

○福島県石川郡玉川村

 旧村に吉(よし)村があって、その集落として神戸(かみど)という地名が
存在していました。吉村は明治22年の合併で消滅してしまうのですが、その後は
大字の吉として残り、小字として神戸も残り続けていたようです。

 ここからは未確認ですが、字神戸はかなり小さな集落で、最近は、どうも人が
住んでいなかったようです。現在は大字の吉は確認できるのですが、小字の神戸は
確認できず、消滅(?)してしまったのかもしれません。

 場所は福島空港の南、あぶくま高原道路の福島空港ICが出来て、その附帯施設
の位置が字神戸に相当するようで、過疎ではなくて移転が原因なのかもしれません。
「インターチェンジで消滅した字」になるのでしょうか?

 鹿島神社のちょうど前に広がるロケーションで、地名の由来が、鹿島神社の
神戸であった可能性があるので、要調査です。



・小神戸 おがみど  茨城県高萩市
・神戸前 かみとまえ 福島県田村市
・神戸  かみど   福島県玉川村

 ごうど(ごうと)で関東を大きく捉えていたのですが、かみと系の読みが
茨城から福島に3つあるのは、偶然ではないような気もします。
[54223] 2006年 9月 27日(水)21:58:12ezekiel さん
神戸を巡って ~ 続・補足の続き   
[54215]みかちゅう さん、
佐倉市に神門(ごうど)があります。ウォッちずで検索したところ佐倉市・君津市に「ごうど」、

 音(ごうど)が同じである神戸と神門に関しては、ちょっと調べたことがありますが、
神戸(ごうど)が転じで神門(ごうど)になった例もあります。

 地名としては現存していないのですが、現在の秩父市下宮地町辺りは、以前は
神戸であったようです。この辺り一帯には神社が多いのですが、それらの神社とは直接
関係はないようです。鎌倉期に秩父神社と合祀されるまでは、下宮地町辺りに妙見菩薩を
祀る神社があったようで、その神社に神戸があり、地名も神戸(ごうど)だったようです。
いつの頃かはわからないのですが、おそらく妙見菩薩が秩父神社と合祀され、いつしか
神戸(ごうど)が転じで神門(ごうど)となったようです。その神門の地名も今は残って
いないのですが、白道山神門寺として、寺の名前に名残をとどめています。

 神社の鳥居の由来については諸説があり、古代の神社には鳥居があったのかどうかは
よくわかりませんが(鳥居は古くからあったようですが、神社との結びつきは、後になって
からという説もあります。)神門に関しては、結構古くからあったようです。西日本の
神門という地名は、どうも神社の神門が由来ではないかなあ~と思っています。

 みかちゅう さんが挙げられた佐倉と君津の神門という地名の由来が、上記の秩父の
例のように、同じ音の神戸(ごうど)が転じたのかもしれませんが、私にはわかりません。

 *

ごうど(神戸、神門)についてネットで検索していましたら、福島県にも神戸の地名が
残っているのを見つけました。田村市船引町の字今泉の中に小字として「神戸前」という
地名がありました。ちょっと文献を探してみたいと思いますが、神戸前稲荷神社があり、
その神社の神戸だったのが由来の可能性もあります。

 神戸の北限が北関東で、新潟・五泉の神戸は特異例だと思っていたのですが、福島にも
神戸の地名があり、興味深い発見でした。

 *

[54221] たもっち さん、

 ネットで、いろいろ調べることが出来るのは、ほんとうに便利ですね。テキスト
データのみならず、イメージとの対応に関しても検索が可能になってきて、その
恩恵に浸っています。

 神戸に関わる地名一覧、活用させていただきたいと思います。次に調べるのが
鳥取県日南町の神戸なんですが、これも一覧に入ってクリックすると地図が出て来て
ちょっと感動しました!鳥取と言っても日南町は島根に入り込んだ部分で、岡山と
接する谷田峠近くの大倉山の南麓一帯が神戸だったようです。「神戸上」という
地名が残っている辺りが最東部だったのかもしれません。井上靖記念館が近くに
あります。

小神戸 おがみど 茨城県高萩市

 ちょっと前から神戸にまつわる地名を調べているのですが、私の場合は、神戸市
との関わりで“神社の神戸”が由来と思われるものを集めていまして、その点から
高萩の「小神戸」に関しては、地名の起源が違うように思っていました。ここには
山城の城館群があったようで、その中の内ノ草館があった場所が小神戸になります。
県道を挟んで南西に小川崎(こがさき)という地名がありますが、ここも小川崎館
という城館跡です。2キロほど南に大塚神社があって、数百年続いている「ささら」
という奉納舞も続いているようで、大塚神社の“離れた神戸”ということで小神戸
という地名になったとも考えられるのですが・・・。たもっち さんの一覧を見ていると、
要調査かもしれないと考え直してしまいました。


p.s. 前回の私の書き込み[54212] で、
群馬と茨城、愛知静岡山梨の神戸も時間を見つけて調査していきたいと思っています。

 愛知静岡山梨 → 愛知と静岡、山梨、長野 : 長野が抜けて、句読点も抜けて・・・、失礼しました。
[54212] 2006年 9月 27日(水)11:55:15ezekiel さん
神戸を巡って ~ 補足の続き  
[54185]桜トンネル さん、
「神戸」というのはとても不思議ですねぇ。もっと詳しく調べていくと面白いことが見つかるかも!

[54187]小松原ラガー さん、
「神戸」の由来、ならびに三重県の4つの「神戸」の話題が出ていますが、どなたか埼玉県東松山市神戸の読みの由来をご存知の方はおられませんか?これ、「コウベ」でも「カンベ」でもなく「ゴウド」と読むようなのですが・・・

[54190] 雪の字 さん
過去ログを検索してみましたら、[15296]で yamada さんが「神戸」の異訓について書いておられるのを見つけました。

[54201]小松原ラガー さん、
「神主」がキーワードになる模様です。

[54202] 揖斐の山 さん、
 因みにその「神戸」と書いて「ごうど」と読ませる町、私の家の住所です。

[54203] YSK さん、
みどり市にも「神戸」と書いて「ごうど」と読む地区があります(東町神戸)。

[54209] inakanomozart さん、
「静岡鉄道駿遠線(すんえんせん:70年全線廃止)」には、「遠州神戸(えんしゅうかんど)」という駅がありました。

[54211]じゃごたろ さん、
諏訪地方では、上社の周辺に「神戸(ごうど)」という地区があり、また富士見にも同じく「神戸(ごうど)」があります。上社周辺は諏訪神社の領域であり、富士見の方も諏訪神社を分社して奉った地域周辺の地名ということで、 どちらも「荘園」というよりは、神(もしくはその現人神)の居る場所そのもの、といった由来と考えたほうが自然だと思います。


 雪の字 さんがご紹介されておられるように、既に[15296]でyamada さんが「神戸」の
異訓について書いておられます。これ以外にも神戸の地名は散在するのですが、
山梨、静岡以東は概ね「ごうど」(ごうと)です。静岡、愛知、三重近辺が「かんべ」、
「かんど」が大勢です。

 東京・多摩では「かのと」、平塚では「じんど」、島根に「かど」、津山では「じんご」
の読みも見受けられます。

 「こうべ」の読みもあるのですが、例えば東京の神津島に神戸山が「こうべやま」
と読みます。どうも神戸市が由来の新しい地名ではないかなあ~と考えています。



 埼玉に結構住んでいたので、"神戸"の地名に関しても埼玉は、最初に手をつけ
ました。埼玉の神戸は、三重とは対照的に市町村名になることはなく、旧村名で
すべて途絶えてしまっています。

○東松山市

比企郡神戸(ごうど)村だったのが、明治22年に神戸村を含む6村が唐子村となり、
昭和29年に東松山市が誕生して、神戸の地名は残っています。神戸神社には、
「神戸の獅子舞」が残っており、結構文書としても残っているようですが、まだ
当たっていません。


○羽生市

北埼玉郡神戸(ごうど)村だったのが、明治22年に神戸村を含4村が手子林村
となって、昭和29年に羽生市が誕生して、神戸の地名は残っています。
鴨田神社に関しては、ちょっと関係する文書を探し当てていません。


○比企郡小川町

明治22年の市町村制の直前には、既に村名ではなくて、比企郡木部村の一集落
としての神戸(ごうど)でした。明治22年に竹沢村となり、昭和25年に小川町。
現在は小川町木部の小字として地名が残っています。三光神社に関しては、関係
する文書を探し当てていません。

○川口市

北足立郡神戸(ごうど)村だったのが、明治22年に神戸村を含む8村2新田
2宿が神根村となって、昭和15年に川口市に編入。大字として残っています。
"朝日神社の神戸"が由来の地名ではないかと思うのですが、よくわからないです。

 ちなみに神根村というのは合成地名です。石神村+安行領根岸村と言われて
神戸とは無関係のようです。



小松原ラガー さんがご紹介されておられる神主説。過去ログを見落としていま
して、早速読んだのですが、私にとって初めて目にする説です。

 ただ、古代における神社を考える時に、今の感覚で「神社」や「神主」を捉える
と本質が見えてこないように思います。古代の神社を考える時に、神主、祝に、
神戸と国司を加えた関係の中で捉える必要があると思います。古代の神社では
すべての神社に神主が居たわけではなく、大部分の神社は「祝」のみであった
とする説もあり、神主は"神社の神職"というよりも"神戸の主"というような
ニュアンスが強かったのかなあ~と思います。

 実は、五畿内には、神戸の地名が皆無なんです。兵庫県の神戸村は摂津の国
ですが、光孝天皇の怒りにふれて在原行平が配流されたのが神戸村の西・須磨
でして、古代の神戸村近辺は辺境の地であったのかもしれません。

 神戸の地名のルーツを辿る時に、古代の神社における神主と神戸との関係は
興味深いなあ~とも思います。神戸というのが(今風に表現すれば)願い出て
封戸から鞍替えすることが容易だったのか、それとも朝廷から定められたもの
であったのか、[54211]じゃごたろ さんのコメントにあるように、神社や神戸
に関して、古代の感覚や視線、概念でで捉え直すと、浮き彫りにされてくる
のかもしれません。

 ちなみに兵庫県の神戸村に関してですが、生田神社は9世紀には44戸の
神戸があったそうで千二、三百人ではなかったかと推測されるそうです。
宝暦10年(1760年)には神戸村の人口は1985人とあります。

p.s. 群馬と茨城、愛知静岡山梨の神戸も時間を見つけて調査していきたいと
思っています。
[54186] 2006年 9月 25日(月)22:05:45ezekiel さん
神戸を巡って ~ 補足
[54185] 桜トンネル さん、

 うっかり見落としていましたが、神戸の地名が市名となった経緯は
[18378]ニジェガロージェッツ さんが既に書き込んでおられました。

 三重の4つの"神戸”ですが、現在の町の中心附近の賑やかな場所で
あることも共通します。これが町村名に採用された大きな要因なのかも
しれません。(戦国時代まで続いた伊勢の豪族・神戸氏の影響もあった
かもしれません。)

 一番大きな神戸は、出雲大社の神戸だったようですが、今は川の名前
以外には残っていないようです。
[54182] 2006年 9月 25日(月)09:46:19ezekiel さん
神戸を巡って
[54163]桜トンネル さん、

 今ちょうど、神戸にまつわるサイトの立ち上げ準備中です。神戸にまつわる
ことをいろいろ調べているのですが、 

三重県には飯南郡神戸村、名賀郡神戸村、安濃郡神戸村(神戸村が消滅したときは安濃郡、今は安芸郡)、河芸郡神戸町(神戸町が消滅したときは河芸郡、今は安芸郡)の4つの神戸村または町があったのですが、なぜこんなにあるのでしょうか。

明治期以降に“神戸”の地名が市町村名になったのは、確かに三重県に集中して
いますね。この視点から考えていなかったので、ちょっと調べてみました。



まず、お膝元の神戸市ですが、このサイトに書き込みが見当たらないので
ちょっと詳しく・・・

 “神戸”という地名は“神封戸の集落”が語源とされています。神封戸とは、
古代の神社の荘園のようなもので、神戸市の“神戸”は生田神社の神封戸集落
が元になることと思います。元々の読みは“カンベ”だったようで、旧・生田区
のエリアがおおよそ旧・神戸郡で、旧・神戸村は、今の元町・三宮一帯ぐらい
ではなかったのかなあ~と思います。

 “神戸”という地名が、県庁所在地・政令指定都市の名前になったのは、
(1) 五畿内の港町の兵庫(大輪田泊)に隣接した位置
(2) 勝海舟が神戸海軍操練所を設置
(3) 幕末に兵庫開港し、神戸村に外国人居留地

 兵庫区→兵庫市とならなかったのは、外国人居留地が出来て、兵庫よりも
神戸の名前が対外的にも有名になったからかもしれません。ちょっと例えが悪い
かもしれませんが、製造元の会社名よりも製品のブランド名が一躍有名になって
しまって、会社名をブランド名に改称したような感じでしょうか?



 “神戸”という地名は、古代の神封戸の制度と関わりがあるので、古代の朝廷
の勢力範囲と関係します。今調査中ですが、北限が新潟県五泉市の神戸山では
ないかなあ~と考えています。『806年に勧請された住吉神社(三社大明神)の
鎮守の杜で、昔はこの近辺に神封戸があって、“神戸”と呼ばれていたことが
あってその名残が神戸山ではないか』と考えているのですが、地名としての痕跡が
見つかりません。(或いは"神戸”の由来が違うかもしれません。)

 前置きが長くなりましたが、三重県に存在した“神戸”という町村の名前の
由来ですが、現存する市町村である神戸市も含めて、次のようになります。

・神戸市(こうべ)、現存、生田神社
・飯南郡神戸村、松阪市(地名として消滅:垣鼻町、大津町、田原町、久保町、下村町)、神戸神社
・名賀郡神戸村(かんべ)、伊賀市上神戸、下神戸、神戸神社
・河芸郡神戸町(かんべ)、鈴鹿市神戸一丁目~九丁目、神戸宗社or阿自賀神社 ?(明治期に神社統合あり)
・安濃郡神戸村(かんべ)、津市神戸、神戸乃神社 

 どうも三重では、“神戸”という地名が全て明治期以降に町村名になったようで、
「何故三重だけ?」という疑問は、私も同感です。神戸市が有名になったので、
"神戸”のイメージが良かったのか、伊勢神宮のお膝元なので"神”の字が入る地名が
優先されたのか・・・?あれこれイメージしますが、続けて調べてみたいと思って
います。
[54176] 2006年 9月 24日(日)23:40:16ezekiel さん
神戸・東灘 、 県名を冠した私立高校 、 バスの停留場所は? 
[54163] 桜トンネル さん、

 私は、東灘に8年間通っていました。

最後に、僕が住む東灘区のをしてみました。高速バスとかは止まっていないと思うのでとっても少ないです。

 残念ながら鳥取行きがなくなってしまいましたが、六甲アイランドから三宮経由で
米子行きの2往復だけは残っています。(日交バス)

 船便ですが、神戸フェリーガイド
ダイヤモンドフェリー、阪九フェリー、オレンジフェリーが該当します。マルエー
フェリーもありますが毎日ではないです。



[54173]熊虎さん、

 県名を冠した私立高校の情報をありがとうございます。茂原北陵高等学校は、

1899年 長生裁縫女学校
1937年 千葉県長生家政女学校  実業学校
1948年 千葉県長生家政高等学校 新制高校
1964年 長生女子高等学校    改称
1967年 千葉県長南高等学校   改称(2年前に普通科、共学) 
1994年 茂原北陵高等学校    改称(校舎移転)

 県名を冠して、一旦廃して、すぐにまた県名を冠して、移転を期に改称して
今は県名なしですね。こんなケースもあるんですね!



[54175]みかちゅう さん、

 バス停の標識の位置を基準と考えれば、おっしゃる通りに、道路の占有の許可に
関わる書類の記載場所になるわけですね。大きなバス通りでは、上りと下りでは
地番(住居表示)が異なるケースが多くなることと思います。
 そうなると関空では、降車のバス停の標識の位置が田尻町になることを
小松原ラガーさんが確認されておられるので、関空行きのバスは泉佐野市ではない
ということですね。

 大規模なバスターミナルで市境や区界を挟むロケーションの場合は、鉄道の駅の
ような扱いになるのがリーズナブルかもしれませんね。ただ、鉄道のように長い編成
がないので、やっぱり、それぞれの行き先の“標識の位置”とした方が良いのかも
しれません。(交通機関の会社での扱いはどうなっているんでしょうか?)
[54164] 2006年 9月 24日(日)21:29:25ezekiel さん
出合、市場 & 小野バス停
[54161] 今川焼 さん、

 出合&市場の情報ありがとうございます。

あくまで私見なのですが、「出合」という地名は但馬など山がちな地方では、川の合流点付近にある集落につけられる地名であるようで、どちらかというと西日本に多いようですね。

地名の後に「市場」を合成した地名というのは、但馬地方では他に、府市場、大屋市場、養父市場、伊由市場があります。

 ハチ高原へ向かう途中に、出合という地名があって、出合小学校があったのを
思い出しました。全国的な“落合”という地名が中国地方を中心に“出合”と
呼ばれているような感じなのかなあ~と、今川焼さんのコメントと地図を見ながら
“出合”の地名を噛みしめました。兵庫県では、養父、豊岡、新温泉町に見られますね。
 
 市場という地名も、共通項は川沿い、街道沿い、そして山間からの道との合流点
が浮かび上がってきます。ちょっと兵庫県内の「~市場」を調べたのですが、豊岡、
養父、朝来、宍粟に多い地名ですね。この「市」は中世以前からの、物々交換的な
市だったのでしょうか?昔の山間の集落から川沿いの街道への合流点で、但馬牛の
取引もされたのかなあ~と、山間から牛の背にいろいろ乗せて川沿いまで下ってきた
山男をイメージしてしまいました。

 大屋というのは、天滝へ行った一度しか訪れたことがないので、その時の光景が
印象に残っています。但馬楽座辺りから大屋への県道に入って、口大屋から大屋の
中心までが結構遠かったように思います。徒歩だと口大屋から大屋市場まで2時間
以上掛かったことと思います。大屋市場の辺りが、今も大屋の中心地になって
いるので、この辺りの集落の光景は、数百年以上そのままなのかもしれませんね。
それに対して但東の出合市場は、現在の町の中心“出合”と別になっているのも
面白いですね。福知山、京都へ抜ける峠道が出来て、隣り合った2つの“出合”が
出来たのかもしれないなあ~と・・・

[54162]k-ace さん、

土山駅のように複数の市町村にまたがっている駅の例はたくさんあると思いますよ。

 [54154] 山陽道の小野バス停の件ですが、k-ace さんのおっしゃるように
三木市側のようです。ここは正方寺の裏山の電波塔と、東側の小和田神社と
北側が小野市樫山町のゴルフ場に挟まれた国有地(無番地)のようです。
山陽道の神戸ジャンクションから龍野の区間は、とんでもないところを通って
いるのですが、特にこの辺りは美嚢川、志染川、淡河川沿いの峰づたいの
ようなルートですね。
[54159] 2006年 9月 24日(日)07:01:12ezekiel さん
小野バス停、土山駅、但東町
[54154]k-ace さん、

山陽道、小野バス停について、
実際のところ、現地確認しないと、小野市か三木市か完璧な結論は出せないと思います。

交通機関の会社の取り扱いは、どうなっているのかなあ~と、ちょっと
疑問を感じました。一般道の大きな通りだと、道路が市境という
ケースも少ないないでしょうし、バス通りを挟んで住居表示や地番が
異なるケースは結構多いようにも感じます。一般的な駅だと、小さくても
駅舎があって住所がありますが、バス停の場合はどうなんでしょうね?
実質的なバス停の標識の位置になるのでしょうか?

 ちょっと思い出して、土山駅を調べてみましたら、駅の所在地としては
加古郡播磨町になるようですね。でもホームの東端は明石市の市域、実質的に
明石市で乗り降りするケースもあるわけですね。この土山駅は“交差点の駅”
でもあって、加古郡(稲美町と播磨町)が、明石市(二見町)と加古川市
(平岡町)によって1キロ離されて2町2市が隣接して地点になります。
神戸市の岩岡町(西区)もすぐ近くまで迫っていますし・・・

今日(日付上では、昨日)、北近畿方面にツーリングしてきました。
加西市から福崎町へ出て、国道312号を北上、旧・和田山町から国道9号へ入り、旧・山東町で県道に入り、旧・夜久野町へ。

その後、旧・但東町を経由し、旧・出石町の出石神社を訪問。その後、豊岡駅近く、城崎温泉駅前、日和山(城崎マリンワールド前)、久美浜駅前に降り立ち、その後、国道178号~豊岡市~国道312号~養父市(旧・養父町)~県道~朝来市(旧・朝来町)~国道312号~福崎町というふうに通り、加西市に帰ってきました。

 原付のツーリングですか?結構距離がありますし、高低差もあるので、
大変だったのではないでしょうか?

 旧但東町って兵庫県と京都府の府県境で、兵庫県側が飛び出したようになる
部分で、フリーハンドで兵庫県を描く場合のポイントになりますね。
国道426号線が出石から府県境を越えて福知山へ、また国道482号線が
北の府県境を越えて久里浜へ抜けますが、この国道の2つの府県境は、
結構長いトンネル越えになっています。京都の野田川、加悦、福知山、
夜久野との府県境の県道は、すべて山中の峠越えで、唯一、出石とを
結ぶ国道が出石川沿いなので、とにかく神戸から遠いという印象が
強いです。
 旧夜久野町から旧但東町への県道が国道426号線に至るT字路の辺りは
“出合市場”という地名なんですが、地名の由来を調べようと思いながら
まだわからないままです。もう移転してしまいましたが、このT字路に
“壱学”というラーメン屋さんがありました。独特のスープで、ご夫婦とも
話好きで、結構うんちくの多いラーメン屋さんでした。旧但東町は、赤花そば
が美味しいですね!出石そばとチョット違って私の好みに近いですし、
シルク温泉は結構好きな温泉なのですが、県内ではありますが往復すると
1日掛かりになってしまうので、残念ながら年に1度も訪れることは
ありません。

 p.s.  私は昨日は、市内の鵯越墓園にお墓参りでした。
[54147] 2006年 9月 23日(土)19:51:54ezekiel さん
乗り換えなしで行ける市
[54133] suikotei さん、

やはり道場駅発を盛り込むのは、反則のようですね。

「乗り換えなしで行ける市」に関して、“地理的な市域”と捉えておられる
方々もいらっしますし、“駅”を中心に調べておられる方々もいらっしますし、
[54047]桜トンネル さんは、神戸市を実質的な中心市街地の「中央区&兵庫区」
と捉えておられます。ですから“反則”という言葉以前に“定義も含めての
書き込み”として、「捉え方」も含めて皆さんの書き込みを楽しく読まさせて
頂いています。

 [54125]k-ace さんの、山陽道・小野バス停の検証なんかは、ただただ
「へ~」と感心させられました。地図によっては小野バス停附近では、ちょうど
市境上に山陽道が走っているようにも捉えられ、上りは小野市で、下りは三木市
なのかもしれないなあ~と。山陽道は時々利用するので、覚えていれば実際の
バス停の位置を確認したいなあ~と思いました。この辺りは美嚢川が加古川に
合流するポイントの近くで、三木市が加古川に面しているのは、美嚢川と加古川の
合流点附近の400メールほどだけです。加古川沿いの県道を走っていると、
10秒足らずで三木市を通り抜けてしまいます。

 私自身、関空の泉佐野はどうなんかなあ~と、あまり調べずにコメント
[54008] してしまいましたが、東京駅の八重洲口のバス乗り場と降り場って、
千代田区なのか中央区なのか、今度東京に行くついでに確認しようと思ったり、
私自身も良い刺激になっています。

 いろいろな方々のコメントを読んでいると、熊虎さん[54127][54105]
市街地の中心駅(柏駅と松戸駅)と地理的な市域を分けて捉えられておられる
のにも関心しました。かつて柏市民でしたし、北総線で千葉ニュータウンに
通っていた経験があるので、鎌ヶ谷や新京成線の文字に、ディスプレーの前で
ひとりで反応してしまいました(以前、乗換えが大変でした!)

 でも桜トンネルさんが神戸市を 「中央区&兵庫区」と限定されて、実質的な
中心市街地と捉えておられるのがリーズナブルかなあ~と感じました。



[54134]むっくん さん、

 一昨年に足摺岬行きを計画したのですが、有名な観光地だと思っていたのが
交通の便が悪くてそのままになってしまいました。高知市からの直通バスが
なくなってしまって、宿毛市と中村市(現・四万十市)からのバスの便だけ
だったように思います。高知市からは定期観光バスはあるようですが・・・



[54142]YSK さん、

 隣の長岡に住んでいたことがあるのですが、旧栃尾市には、長岡駅から
越後交通の急行バスや快速バスもあります。昭和48年までは長岡から見附経由で
栃尾まで鉄道路線もありました。


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