[53332] hiroroじゃけぇ さん
西より東の「帝大」の開設が早いのは、東の開発を進める目的があった
帝国大学のような、多大の資源を要する大学は、当初は東京に一校開設・維持するのが明治政府には精一杯だったと思われます。
2校目は京都に、そして仙台、福岡と相次いで開設した政府は、比較的バランスを考慮して配置していたと個人的に思います。
北海道、京城、台北の3校の設立目的には、その土地の開発と結びついたものがあったと想像できますが、東日本を西日本に優先する意図は私には見えません。
(特殊なものを除き、「高等教育機関は、東京にまず一校設置する」というのは明治政府の一貫した方針ですが、これは東日本の開発を目的にしたわけではなく、首都に置くのがいろいろな面で有利だからでしょう。)
「岡山医大」の設立(1922年)が「広島理大」(1929年)よりも早いのです。
広島文理科大学のことでしたら、「広島理大」と略されることは決してありません。
医学専門学校と高等師範学校はそれぞれ別の背景と目的があって設立されている教育機関です。
それぞれの昇格(分かりますか)時期は、2つの異種の教育機関の社会的機能や取り巻く情勢によって決まっていることで、岡山と広島の重要性の比較にはあまり関係がないことです。
現存する特定の学校の優劣比較につながるような話題についてはコメントを避けたいと思います。
いずれにしろ、教育史に興味を持って頂けるのは大歓迎です。
教育史分科会より
(雑魚委員長、hmt委員、まるちゃん委員、深夜特急委員、faith…)
追記
実際、「京都大学」が「大阪大学」よりも先に「帝大」に昇格している
京都帝国大学は前身校を持っていないので、何かが昇格してできた大学ではありません。
大阪帝国大学は、すでに大学令に拠って立つ大学であった教育機関が母体になって設立されたものであり、これを「昇格」というのも(意味は分かりますが)多少論議を呼ぶ表現と思います。
※最初のセンテンスを修正
※※「医科大学と文理科大学は」→「医学専門学校と高等師範学校は」と修正
※※※(特殊なものを除き、…)を追加。
※※※※「追記」を入れた。
※※※※※昇格時期の比較に関するコメントを分かりやすく書き換えた。