都道府県市区町村
落書き帳

トップ > 落書き帳 >

メンバー紹介

>
矢作川太郎さんの記事が10件見つかりました

… スポンサーリンク …



[52027] 2006年 7月 7日(金)00:02:03矢作川太郎 さん
そして遅すぎた御礼-字関連
[51973]EMMさん
貴重なお時間を使わせてしまいすみません。
なのに、3日もレスを空けてしまって(言い訳は言いません。(笑))

もしかして矢作川太郎さんはYahoo!地図orマピオンしかご覧になってないのでしょうか。
うっ、痛いところを衝かれましたね~。図星です・・・
でもこれで、小字化された大字や小字界に埋没した大字界が解るようになりますね。ところで都道府県公報の事にも触れて置きましょう。以前私は市町村以下の住所変更に関する資料の行方が分からず途方に暮れていました。第一、国が出している官報告示の資料は市町村の変更については分かるもののそれ以下については全く書かれていません。(所轄が違うのだから当然ですが。)そこで、[51631]の様な質問をした訳です。そこでそう言えばキチンとした御礼をまだ言っていないことに今更ながら気付いたのですが・・・EMMさん本当にありがとうございました!!(Its-mo GuideとMap Fanの件も併せて御礼申し上げます。)

あと、
小字全件を拾い出そうと言うことになるとネット上の地図サイトの住所一覧は必ずしも適切な資料とは言えないと思います。
ほかの手を考えなければならないでしょう。
についても考えていかなければいけませんね。(厳格に公図及び17条地図で調べる気は私には有りませんが。)一応、私は色々な地図サイトを行脚してみます。

そして、ご紹介の
過去ログ中の字名・町名に関する一般論的な話題は落書き帳アーカイブズ町名、字名(大字、小字、字)、丁目とは何か?にまとめられています。
も、一度読んだような気がしますが、読み返してみますね。
[51966] 2006年 7月 3日(月)02:10:06矢作川太郎 さん
おやすみ前のもう1レス・・・
そうそう、これに触れ忘れていました!
[51948]EMMさん
それから長久手町や武豊町などの「大字無し」の部分は昭和の大合併によって話がややこしくなった事例だと思いますが、平成の大合併に於いてはまた異なる「字・大字・小字の関係の変化」の事例が見られます。
武豊町の事象はそれで正解なんですが(S29.10.5合併)、長久手町の場合は(M39.5.10合併)なので若干事情が異なります。(愛知県では明治の大合併期に人口基準が遵守されなかったらしく、少し経った時期に大量に合併しています。例:新潟県(東蒲原郡を除く)・岐阜県美濃地方・愛知県(北設楽郡を除く)など、愛知県では合併100周年として式典が各地で行われています。)あと、長久手町では「長湫」と字が異なりますので、(町村制施行時にナゼか字が変わった・・・)辛うじて「大字長湫」として命脈を保っています。(もし同じ字だったら大字無しになっていたかも!)

例として、実際の意図はともかくとして藩政村単位の字が小字になったように見える住所表記となってしまった沖縄県宮古島市、
については宮古島市に「仕事を増やしてくれて有り難う」と感謝状を贈りたいくらいです。(笑) (だってウェブ地図には小字の境界は例外(大字無し等)を除いて殆ど載っていないんだから・・・)あと藩政村単位の字と言うには少しニュアンスが異なるのでは無いでしょうか。薩摩藩に間接的な支配をされていたから藩政と言えなくもないですが、沖縄特有の字の出自からすれば琉球国政下の村名とも言えるのでは無いでしょうか。(琉球国政村?何か大袈裟な感じもしないでもない。郡(方)の出自がヤマト(本土)とは異なったり←豪族の縄張りに由来しているから本質的にはおなじか、間切と言う県に当たるモノについても触れたいがココでは割愛!)

どう考えても他のところなら小字になっているであろう細かーい区分が「大字無し」を経ずに大字となっている宮城県登米市の旧豊里町・旧南方町の部分を挙げておきます。
これについても反応します。手持ちの市町村名変遷系統図総覧・東洋書林刊(生徒?・学生の分際なのに大枚はたいて買った(泣)、但し古本だが・・・もはやビョーキかも?)を見ると、豊里町(豊里村)は赤生津・鴇波村の合併によって誕生しています。(S25年に町制・M7年~M11年までの一時期、潤沼村として一つになるも再分離。)どうやら一つの大字が大き過ぎると小字が住所の主体になる様です。南方町に関しては大字に当たる様なモノは無く、藩政村が単独で南方村になった様です。(複数の藩政村で構成されていなければ、大字は編成されないのだろうか?)しかし、旧:石越町は(千本桜さんか誰かが触れていましたが。)北郷・南郷・東郷が藩政村名で無いのだが、大字に位置付けられています。

と言うわけで、藩政村は大字とは必ずしも一致しない事が再確認できました。他にも、
・北海道では道南では村が小さく、道北では村が大きい事
・長野県・山梨県では明治の大合併期以前に殆ど村を整理してしまった事
・岐阜県の美濃地方と飛騨地方では対照的な合併が進んだ事
・愛知県では昭和の大合併が殆ど進まなかった事
・長崎県では十干字名や特殊な字名接尾語が多く有る事
などが浮かんできましたがそれぞれの話題が挙がるまで私からは触れないで置きましょう。
(寧ろ過去ログに既にある話題が殆どだと思う。)

最後に[51961]たもっちさんからレスが有りましたので、少し・・・私個人としては小字は(元のままで残っていれば)地域色の出やすいとても味わいのある「地名」だと思います。以前、私はウェブ地図の発行元に対して小字名は大字の下部地名だから市町村下の地名リストから「大字名(小字名)」を「大字名だけ」にして小字名を外すように要請しようとしました。(大字名を押すと小字と直付番地がダーッと出る)しかし、今にしてみれば恐ろしい考えです。自分が手間が掛かるからと言って小字名を隠すようにしてしまっては元も子も有りません。自分が苦労するだけで地名見聞を他の誰かがしてくれると思えば苦しいとも思わなくなりました。
締めに2つの市の対照的な地名リストをご覧に入れます。東海市碧南市です。どちらが好きかは各自のご判断にお任せします。
[51950] 2006年 7月 2日(日)18:01:18矢作川太郎 さん
(この話題に)関わったのが間違いだったのか?(爆)-まだまだ字名考
題名ではこんな事を言ってますが、自分自身の認識のワキの甘さが分かったので少し驚かされるとともに認識を更に深めたいと思いました。(どうしても自分の周りだけを参考に語ってしまう事が多いので。)まず、

[51948]EMMさん
地名コレクションで地形名も扱っていると「人間によってその場所の名として与えられたものは全て地名たりうるのでは」と思うようになったですが、まぁそれはそれとして。
に関して、私はどうも住所地名に関心が有る様です。例えば、自然地名や地形名が住所中に現れるのは、富士山頂簡易局の場所を特定するのに「静岡県富士宮市粟倉地先」と書くよりも「静岡県富士宮市(粟倉)富士山頂」と書いた方が所在地が特定しやすい場合などが有ります。一応参考ページ(こんな風に表記するんでしょうか?)

(蛇足ですが、富士山五合目簡易局の住所は山梨県南都留郡鳴沢村458字富士山8545-1となっていますが、この「富士山」は地形名でしょうか?それとも字が付いて居るので住所地名なんでしょうか?-住所としては鳴沢村(小字?)大田和となっていますが。)

ですが、大半の住所には自然地名や地形名が入ることは有りません。(自治体名に含まれる自然地名や地形名は除外して下さい。)住所地名が面的な広がりを持つのに対して、自然地名や地形名(川・山・谷・尾根・岬など、一部面的なモノもあるが。)はどちらかと言うと、線や点的な地名に思われます。この中で私の地名に対する興味の発祥点は「自治体を構成する区域の元の地名-元々そこは何町or村と呼ばれていたか?」と言う所に有りました。それが調べてゆく内に大半は「大字・町名=明治期のある時点の村名(例外アリ)」と言うことに気付きました。そして、住所地名が全てで自然地名や地形名はその上に載っかっているに過ぎないと言うかなり偏った認識になったのかも知れませんね。あくまでも捉え方の違いでしか無く地名と言うジャンルには(自然地名や地形名・住所地名・通称名)等が対等に存在するはずでしょうね。また、それぞれのモノに対して厳密な線引を求めた私も甘かったと言わざるを得ません。(第一、自然地名→住所地名が基本だろうし、住所地名→自然地名も有り得るかも。)

その中で、特に強く線引を求めたのが、字(大字・小字)です。私は両者を全く言って良い程(大字>小字)だと言う包括関係に押し込めようとしました。ですが、例外が余りに多すぎましたね。完敗です。実際問題、
あと、小字名をどういうウェイトで考えるか、と言うことについては、「現地に住んでいる人がコミュニティの単位として小字を使っているかどうか」というのも考慮に入れるべき何じゃないか、と考えます。
についても、住所に残っていても形骸化していたり、逆に住所に無いものの通称名や自治会名に残っている事も想定しなければいけないですね。(藩政村名が小字の中に紛れている事も有ります。)

ところで、大字田子島の例を拝見した後、郵便番号簿を見たところ(田子島は勿論、上田子島、下田子島、木呂場、木呂場新等)結構多くの通称名?がそれぞれ起番されていました。一方ネット地図を見ると田子島>上田子島、下田子島となっており(木呂場は橘に跨っているらしい。ってお書きになっていましたね・・・)田子島単体の所には正式な小字名?の数字・十干十二支・イロハ(いろはも?)が立項されていました。と言うことで、単純な内包関係で括るより、「もっと柔軟な対応を検討する必要もあるかな」と思います。
[51949] 2006年 7月 2日(日)15:18:59矢作川太郎 さん
現状(実際)は外見(名目)とは違う (謎)-小字住所考
[51943]千本桜さん

うわぁ、やらかしてしまいました。(大字)東大高には大字無しの区域である(少なくとも書類上の)小字が有るとは思いませんでした。想定外でした。私はどうもウェブ地図に出てくる事実のみが事実だと思っている様です。と言うかこれは架空の話でしたよね。(ですよね・・・?妙にリアリティが有ったので・・・はぁ)仮にそうなって居たとしても私は「2」を支持します。ですが、宅地化の勢いは止めることは出来ません。宅地化された部分が大字から分離され単独で立項されるのも仕方ないかも知れません。要は大字無し区域と住所表記?区域の識別をどうやって付けていくか(また、ドコの大字に所属していたか?)と言う事が重要になってきます。例えば、武豊町の内、明白に埋立地である区域(北から九号地・(七号地)・五号地・一号地・旭・竜宮)などは、(地図の中の住所項目では)大字無しとも住所表記とも取れる書かれ方をしています。(図を見ると会社によってどちらになるか若干のブレがあるのだが。)元から無かった土地ですので、私は後者だと解釈しますが、
1番目。
現行町名が武豊だから、大字なしの区域は全てひっくるめて大字武豊とし、「知多半島市大字武豊字○○」にする。
2番目。
旧大字武豊(藩政の武豊村)の区域については、大字武豊を復活して知多半島市大字武豊字○○と表わす。また、大字東大高にあって大字なしとなった字光明字および字浦之嶋は大字東大高に戻してやり、「知多半島市大字東大高字光明寺」および「知多半島市大字東大高字浦之嶋」と表わす。
3番目。
上記とは別の妙案がある。
の中で1番の対応の仕方をすると(仮に大字無しの区域だと解釈して。)大字冨貴にしか接していない竜宮までが大字武豊になってしまいます。海岸沿いの埋立地全体が旧:大字武豊だとは言い難いので埋め立ての始まる前の大字武豊のみが武豊を冠する事が出来ると考えます。(もしくは大字武豊と連続的な(土地)区画となっているごく少数の埋立地のみ。例:沢田新田・北曲輪等)埋立地をわざわざ大字に所属させる必要は必ずしも有りませんが、ドコで線引をするかを考える上で好例だと思います。

また、破滅的な考えですが、大字無しの区域全てが住所表記されれば大字無し(及び武豊)が消滅しますので、(その頃には仮に字光明寺・字浦之嶋も住所表記されて東大高に属さなくなっており。)全く有り得ないと思いますが、解決を見ることになるでしょう。(あくまでも考える事を完全に放棄した最悪のパターンではある。無理矢理に対策としてとられれば3番目の解決方法か・・・)

あと[51934]で言い忘れて居ましたが、小字由来の名称の町(付かない場合がある。)は必ずしも従来の小字区域とは符合しません。(むしろ全くと言って良い程符合しないのでは無いか。)小字は原則として田畑地(森林地?)の区画でしかなく、道路で分けられた宅地の区画とは全く性格を異にするモノです。当然拡大したモノや縮小を余儀なくされたモノが殆どでしょう。従来の小字がそのまま宅地の住所表示に用いられるのは、余り例が無いことなのかも知れません。あと、その様な表示に残らない小字も多々有ったのでしょう。因みにウェブ地図に載らない(立項されない)小字が大量に有るのでは?と言う疑問が前々から有りました。これが事実なら、ウェブ地図から小字名を書き出しても余り意味を為さないのでは無いでしょうか?
[51934] 2006年 7月 1日(土)13:17:45矢作川太郎 さん
小字は大字に相当する町名たりえるか?(地名調査のケーススタディ)
[51897]EMMさん

レスどうもです。まぁ、まずは私の地名調査のスタンスからご紹介しなければなりませんね。私としては、市区町村以下の大字名or町名が基本的に地名だと認識しています。(これについて、単独での記事を書きたいと思っていますが。)ですから、
確かに公報には小字の変更まで載りますね。
(石川の公報にも載っております)
愛知県は小字が細かい上に大量に残っているので公報も凄いことになっていると言うことですか。
について、小字の変遷に関しては小字自体の出自から言って全く諦めています。参考ページ(太閤検地の時期に持ち主が土地を呼ぶ為に用いた私称に基づくもので、表記・範囲が歴史的に一定しない。また、従来の小字が全く残っていない所があったり、大字内の仮住所表記の様に用いられる事もある。元々は大字内でしか通用しない名称では?)なので、基本的には大字もしくは大字に準じる町名の変遷に特化して調査するつもりです。

その中で、調査の支障と成り得そうな事柄は大字の範囲すら変遷していると言う事です。私が県公報を見て厄介だと思ったのは、大字内での小字変更が殆どであるが、大字を跨った小字の変更もあるにはあると言う事でした。認識としてその様な住所変更は従来の大字の境界線が現在の地形(道路・土地区画)に合わなくなったから行われると考えます。だから、私は住所変更はある程度(あくまでも度を越さない程度で無ければいけない。範囲はそのままで名前をわざわざ置き換える(単独での)名称変更は余り賛成出来ない。)は許容されるべきだと思います。そこで、元の大字の範囲を確定させるため旧版地図と内容を照らし合わせて検証したいと思ったりもしています。

ここに来て題名のテーマについてお話ししたいと思います。まず岡崎市の町名をご覧下さい。一部を除いて大半の町名には小字が併記されています。私の見当に依ると、明治初期の合併以前の村名を除いて殆どが村名=大字名=町名となっています。(私からすると岡崎では小字名が比較的頻繁に用いられているので実効性が失われず、住所(生活)の一部となっており、世間一般の「田舎臭い名称」の様な忌避されるイメージでは無い気がする。[町名を細分化する下部地名の様な感じ])次に人口増加が進む長久手町の町名武豊町の町名をご覧下さい。最初に長久手町のを見てみます。長久手町では東部の大字は殆ど残っていますが(熊張・前熊・岩作(やざこ)等)、西部の[大字長湫]では徐々に住所表記されて大字と並立してなおかつ大字に属しない区域が増えています。状況から推測するに、これらは[大字長湫]から分割そして設定されたと考えられます。しかし町名は何の関連も無い名称だとは思えず、大半が[小字]に依るモノでは無いでしょうか?次に武豊町のも見てみます。武豊町では南部の(東大高・冨貴(但し駅名は富貴))を除いて殆どの[小字らしきモノ]が2つの大字とは並立する様に書かれています。この中で想定したいモノは大字無し区域[要は大字武豊]の存在です。しかし問題が一つあります。それはドコが大字武豊から分かれた住所表記区域(本来の意味とは違うかも知れないが、後に~丁目や番地等の付くモノ。→地図上で大字区域とは大抵違う色で書かれる範囲。)で、ドコがそれ以外の大字無し区域(本来なら大字武豊字(小字)~と書かれる範囲。)なのか判然としない点です。パッと見だと全ての大字無し区域の小字が大字と並立する様に書かれています。この様に大字が解体され大字と並立し、小字に名称の起源を求められる町名(中には違うモノの有るかも知れないが。)の「町」が増えてきている様です。つまり内包関係が大字>小字だったモノが大字=小字+町or丁目となるのです。逆に大字に番地の番号を振って小字を住所表記上から消し去る事例も有りますがココでは割愛させて頂きます。

そう言えば阿波市に於いて住所変更(復元)が有ると聞きました。内容はコチラです。(アドビファイルですのでお気を付け下さい。)コレに依ると合併時に(どれが正確に大字名に当たるか分からないが。)少なくとも旧:市場町に於いて競合するモノを除いて全ての大字名を住所から消した様です。フォーマット(形式)を旧:阿波町と合わせた様ですが、それまで有った大字名を一挙に削除したのはどうかと思います。他の資料に依ると、旧:阿波町では早くから大字名を外した様ですが、旧:市場町に限って合併時に外した様です。今回の例で言えば急激に大字名を廃止するのは混乱を招くと言うことでしょうか。(小字名は大字より大きい土地区画(自治体名等)の下に来る事は昔は想定されない事だったのではあるまいか?)

注:住所から「大字」の文字を消すことは大字名の消滅にはならない。
●●郡△△町大字××字(小字)※※が●●市(△△町)××字(小字)※※になってもと言うこと。
[51928] 2006年 7月 1日(土)01:08:02【1】矢作川太郎 さん
ダンゴ4兄弟~♪(愛知県4強都市-名古屋を除く!!)
[51890]白桃さん

人口調査の父と呼ばれている(少なくとも私から。)白桃様からレスが頂けるなんて天にも昇る思いです。本当にどうし(以下エンドレスにつき略させて頂きます・・・)

いや、本当に面白いモノを見せて頂き恐縮です。名古屋の(第1位の)盤石さの影でこの様な順位争いがあった事は特筆すべき事柄であり、私の地理人生?(都市人口人生?)の永遠のテーマでもあります。僭越ながらその要因を考察してみます。

一度おさらいとして順位を再掲しておきます。
1940 名古屋-豊橋-岡崎-一宮-半田  -瀬戸
1950 名古屋-豊橋-岡崎-一宮-半田  -豊川
1955 名古屋-豊橋-一宮-岡崎-半田  -西尾
2003 名古屋-豊橋-豊田-岡崎-春日井-一宮
2006 名古屋-豊田-豊橋-一宮-岡崎  -春日井

いやぁ、本当に面白い!!名古屋の一位は変わらないものの他はずっと一定だった市が一つもありません。(笑)

それぞれの市に対してコメントを書きます。

名古屋市:尾張名古屋は城で持つ!強さは揺るがない!!

豊橋市:三河国・吉田から明治時代に改称してから、東三河の中心拠点として、また豊橋港を擁する都市として名古屋とは一定の距離をとって(実際離れているが・・・)独自の都市圏を形成して完全では無いにしろ盤石さを保っている。

岡崎市:家康の出生地(本当に出生しただけの所だが・・・幼少期までは居たらしいが。)また、東海道最大の宿場及び内陸部の水運の拠点だったが、確固たる産業を誘致出来ず(マキタや三菱ぐらい)、某自動車会社の社員や在名企業社員などのベットタウンとして歩む。あと、桜の開花時期や花火大会の時だけ中心街に凄い人数の人が押し寄せる。(伝統産業:花火・墓石・味噌製造 昔の一時期:紡績業など・・・但しどれも頭打ち感が拭えない様な・・・)

一宮市:門前町として歩み始めたが、昭和初期から毛織物王国として全国に名を馳せる。名古屋から近距離のため人口が増えているらしい。平成の大合併では、ウールの尾西で著名だった尾西市と合併し一挙に4位に躍り出る。

半田市:ミツカンなどの醸造業で著名・戦前からは軍需産業が盛んだったが現在13位に甘んじている。しかし、名古屋の通勤圏として、また碧南市と共に衣浦港を擁する市として堅実に発展している。

瀬戸市:陶都として早くから市制されたが重工業都市や新興都市には勝てず現在12位。

豊川市:妙厳寺(豊川稲荷・一応寺院です。)の門前町で有ったが、豊川海軍工廠が所在した事に依って人口が一時増加する?戦後、市内に日本車輌製造などが誘致され現在11位となる。

西尾市:古くから綿織物の産地として三州産地と呼ばれる(だから人口増加?)また、抹茶用の茶葉栽培は全国トップクラスと言われ、西尾茶として著名。小京都とも言われる。現在14位。

春日井市:名古屋近郊のニュータウンでも有名な高蔵寺ニュータウンを擁する。また、市内に王子製紙の工場も所在する。人口が次第に増え、名古屋を除くと五本指に入る規模となる。

豊田市:様々な意味で他の都市とは別格。コメントの必要も無い程の著名度。

私はこの中でも豊田-豊橋-一宮-岡崎の順位の変動に注目しています。(今回の合併だけで順位が大変動した程僅差なので。)意外と他地域の人にとって、人口ハイアンドローゲームの鬼門と成り得る人口帯かも知れません。人口分布(都道府県)の人口帯別(人数)に依る全国比較の良い調査対象だと私は思います。(例えば、何々県には人口の差が近い人口帯が何万人~何万人の間にある等。)

【1】そう言えば今日はわが市の市制記念日だったか・・・(因みに90周年)
[51881] 2006年 6月 26日(月)22:39:02矢作川太郎 さん
西三諸々事情(全国地図に載ったり載らなかったりする(岡崎)市より・・・)
どうも、今風呂場の中で蛞蝓(←読めます?)を見て驚いている矢作です。(ドコから入ってきたんだろう・・・)気を取り直して早速。
(題名の西三は西三河の地元で使う略称です。(西三模試、西三大会etc・・・))どちらかと言うと岡崎が話の中心になっていますが。他の都市との関連も今後述べたいなと思っていますが・・・

[51610]白桃さん
注2:宮城、茨城、岐阜、愛知、三重、岡山、広島、高知は未発表であるが、豊田、岡崎、安城の3市は超えていることが確実視される。仙台、名古屋、鈴鹿、岡山、広島は微妙なトコロ。

[51628]白桃さん
(参考)2006.4.1現在で 安城市1,515、豊田市1,070、岡崎市1,065

[51755]白桃さん
おまけ;愛知県5月の推計人口が発表になり、確実の◎を打った豊田、岡崎、安城の3市以外に、名古屋、春日井、刈谷、大府が2005年国勢調査速報値と比べ千人超増加でした。やっぱり愛知県は元気です。

そうなんですか。いや、薄々増加数は多いだろうと思って居ましたが、これ程とは。
元来、地元のことに関して疎いのが人の常ですが、この数字は全国的にも急激な増加なのでしょうか?一つわが市の人口増加の証明とまでは行きませんが具体的な住居動向をお知らせします。(リンクが切れてしまうかも知れませんが)こちらこちらの下の方に計画及び規模の概要があります。(後者は高さしか書いていませんが・・・ こっちには詳細が書いてありますがニュース記事なので切れるのが早いかも。)しかし、市街地の真ん中に31階建てとは・・・いや、中心部周辺には前々からマンションがポツポツ建ってましたが、流石に想像も付きません。ですが、景観に及ぼす影響はどんなモノなんでしょう。(今まで高くても20階が関の山だったのに・・・そんなところにこんなモノが、むぅ・・・)

今まででもわが市の市街地にはマンションがある程度建っていました。(名古屋鉄道の車窓から見ると威容を放っています。)以前、市街地の空洞化が目に見えて進行したと言われていましたが、そのために土地が空いた(価格が下落した?)ことにより(河川敷沿いの道路ギリギリですが。)小さい都心回帰?が起こった結果この様になりました。要は、市街地が完全に(ある程度の商業地帯は国道沿いに郊外化してますが、路面店ばかりなので。)郊外化する前に人口増加によって逆ドーナツ化している様です。(マンションに関しては。)しかし、商店街(元々その様な形態では無いが。)の役割を果たしていた商業地域は目に見えて縮小・郊外移転しています。ですが、核となっていた康生地域から岡崎駅までの細長いエリアに分散したとも考えられます。(元々、岡崎駅前は余り市街化していなかった。公的機関が少しずつ移転しているので、途上の状態とも言え得る。)しかし、市の市街地振興の施策は余り盤石とは言えません。図書館を中心地に持ってくる様ですが、効果の程は未知数です。以前、長浜市の振興策の話題が出ていましたが、古い建造物を生かしたバランスの有る振興策の方がやはり魅力的です。市民から起こされた草の根の運動が市を動かしたとの事ですが、残念ながらコチラでは余り既存の建造物は生かされているとは言い難いです。人口増加と地域観光の振興のバランス有る発展には並々ならぬ努力が要る様です。このまま、只のベッドタウンで、観光は申し訳程度になってしまうのか注意深く見つめて行きたいと思います。(ところで某局の連続テレビ小説を御覧の方は見えますでしょうか?)
[51846] 2006年 6月 21日(水)23:33:02矢作川太郎 さん
長い旅路・・・住所変更を辿って。
[51632]EMMさん
時期が決められている訳では無く、その自治体の判断で決められるようです。
現在自分の地名コレクションの所在地のチェックを続けていますが、もうHP上から町名変更のページが無くなっているところがあって参っちゃいます。
(例えば京都府南丹市とか)
そう言う時は都道府県公報(ところによって県公報だったり、県報だったりと若干名称が変わるので注意。それと、広報紙とも間違えないように注意。)を追ってみましょう。

レスどうもです。と言っても亀過ぎますが・・・
と言うわけで地元愛知県HPの閲覧ページを覗きました。ある意味絶句です。
絶句した理由・・・
1.小字の変更と町名の変更がゴッチャになっているらしい。(境界変更も含)
2.合併に伴うモノかどうかは時期から判断?(合併直後の些末な変更があるかも)
3.ディジタルデータ化されて居る割合が割と低い・・・
4.ある時期以前のモノは目録すら無い・・・
5.紙メディアの閲覧場所の開館日は平日だけ・・・

と私にとって不利な状況ですが随時調査しようとおもいますぅ・・・
*少なくとも角川書店の地名辞典の刊行時までは遡りたいと言うのが私の希望です。
[51845] 2006年 6月 21日(水)23:06:08矢作川太郎 さん
連称自治体名は越喜来「お嫌い」?(合併自治体名・自然公園名を考える)-2
[51814]拙稿の続きです。(長文御免。)

よくよく考えてみれば自然公園と自治体とでは成り立ちから言って大分異なりますが、このまま突っ走っていきます。(汗)

少々脇道に逸れますが、お付き合いをば(笑)
では、連称自治体名より合成自治体名の方が何故良く好んで使われるか少し触れてみようと思います。例として挙げるのは、地元愛知県の「美浜町」・「南知多町」です。(あの騒動にはほとほと厭気が指していますので、今後話題は振らないで下さい・・・)この枠組みの合併では市名候補として「美南市」・「知南市」と言うモノがありました。しかし、「南知多美浜市」若しくはその逆の組み合わせ、あと「知多~市」と言うのは余り見られなかった様に感じます。やはり、旧町名を使わず、なおかつ出来るだけ圧縮した候補が挙がっていた様に感じます。これも、やはり「地名と言うある種の柵(しがらみ)」と言う認識に立脚している様に思えます。(例えそれが広域に用いられる名称であっても、自治体名であれば「地名」と認識されるらしい。)あと、余談ですが、ココで用いる連称自治体名と言うのは、原則(ミクロ地名+ミクロ地名)と言うモノを指します。(広域地名「郡名・旧国名」+ミクロ地名)は除外して考えて下さい。と言う訳で合成自治体名の方が特定の自治体のイメージを素速く中和する作用があるから用いられているのでは無いかと言うのが私の見解です。

ようやく、この書き込みのヤマ場に入りたいと思います。
ココでは主に上越市・ひたちなか市・西東京市を想定して書いています。(3市だったら連称にはどうしてもしにくいので。)例えば前掲の3市の中心市街地(市役所の所在地では無く。)を挙げてみろと言われたら、誰もが答えに窮すると思います。(多分・・・)それには、中心市街地・最大市街地・市役所所在地の全てが必ずしも一致しない自治体が増えている事が根本にあると思います。自然公園の場合
つまりこれら,「連称公園の増加」という事実は,時代を経るに従って興味地の“発見”や勃興が続き,核心地が多極化していくのが当然であることを示しています(簡単に書けば,ですけど)。
と言うように、興味地(核となる地域)の発見により連称が多くなったと言う事象が見られるように、1つの自治体内でも市街地の隆盛・衰微によってその市の中心に位置づけられる地域が常に変化していると言う事があります。特に既存の市街地ではない新興の市街地が出現したとき、それでも既存の市街地の名称が自治体名に留まっている場合もあります。まして、複数の市(町)制可能だった市街地を擁する市(町)同士を合併した場合は更に情勢は、複雑です。このケースでは、市役所を2つの市街地の中間点に設置する事も稀にあります。(上越市・佐久市等)そのような場合には、やはり「直江津高田市」にはし難いだろうと思います。ですから、連称にしてみた所で既にどちらの市街地にも新市の軸足が無いと言う事も有り得る訳です。そうで無くとも市街地同士が一体化している事も想定されます。やはり、自治体名に置ける市街地の地名保存は一層難しくなっていくのでしょう。

次に自然公園では
まさか,既設の国立公園を二つに割って,新たな公園を生み出そうとは思いもよりませんでした。
「過去の常識」が通用しなくなっているということなのですね。
と言う動きがあります。それは、今回の合併に於いて新市を形作る範囲が必ずしも一定の生活圏で完結し辛い(何を生活圏とするかでも異なるが、生活圏に比してごく狭いと言うこと。)と言う事と類似性がある様に感じます。要は商業の中心が新市外の既存の市にある場合など、今までは市制出来なさそうな枠組みでも市制可能な(そして敢えて合併に動く)体制になったのが今回の大合併だった様に思います。それは、
かつて国は,国立公園の新規指定に慎重でした(拡張含む)。「国立公園ブランド」を大切に考えていたのです。そういう過去の常識を通用させないこと自体が,いいことなのかどうなのかはわかりません。むろん「地域の誇りとする場所の名前を国立公園の名称にしたい」という思いはわかります。ただ「思い」です。どうやったって定量化できません。定量化できないモノの評価はきわめて困難ですから,あとは権限を有する人がエイヤッと決めるしかないわけです。だからその「エイヤッ」に筋が通っていないといけない,と思うのですね。時代や法解釈は変わっても,同一の法律上で動くからには「筋の一貫性」「素性の良さ」が求められると思うのです。それが「過去の常識」だと思うのです。「慣習」と言い換えても良いかもしれない。
今回,いままでの“慣習”を破ってまで分立を選択した以上,国は今後,似たような案件に振り回され,国立公園ブランドの安売りを拒めなくなるのではないか,と危惧します。
と同じように、単独市制要件が全く緩和されないのに合併新自治体に対する要件の緩さ、要は「市」と言うブランドの変質が合併議論に与えた影響は計り知れないと思います。私は、2・3の町村が合併する際にこそ連称にするべきだと考えます。前にも述べた様に、生活圏に比して余り大きくない新市の名前に対して適切な地域名が早々有ろうとは思えません。幾ら自分達の住んでいる地域を愛しているからと言っても、今まで使われなかった様な新市名案がことごとく採用されるのには、やはりある程度の自省をして欲しいと思います。まるで、生活圏や郡の枠組みから「分立」した様な印象を私は受けます。しかも、その事実が今後の合併協議の前例として扱われる事を危惧しています。(安売りとは言わないが既存の市名と新市名の不揃いな感じを強くうける。)

あと
いまや「国立公園」であるというだけで客を呼べる時代ではありません。最近は世界遺産でしょうか,それに替わるモノは。それにしても,ひととき話題になって一過性の集客があったとしても,それって長続きしません。
についても、「市制施行(政令市移行)」しただけでイメージが向上したり、観光客が増加したり、企業誘致が巧くいったり等、余り根拠が有るとは思えない合併効果も色々な所で謳われています。中には大字を廃止するから都会になると言う根も葉も無い意見すら見受けられました。あと、地元マスコミに於いて、合併に伴う種々の施策及び住民サービスの擦り合わせによる変更を合併効果だとも報道していました。これ以上触れませんが、長期的な効果(影響)に対して議論が行き届いていない様に感じます。

最後にみやこ♂さんへ
この様な引用の仕方をしてしまいすいません。
しかし、尾瀬国立公園の新設に対する意見は大変興味深かったです。これから、富士箱根伊豆国立公園が富士山が見える公園だから富士山国立公園に改称する動きや、利尻礼文サロベツ国立公園を3つに割る動きがあるかも知れません。これらに対しても警鐘を鳴らして頂ける事を私は期待します。

みなさんへ
連称地名の有用性と問題点を述べようとしたら、合併自治体の問題点に話が飛んでしまいました。すいません。ここまで読んで頂けた方が居られましたら、深く感謝します。
[51814] 2006年 6月 19日(月)02:34:07矢作川太郎 さん
連称自治体名は越喜来「お嫌い」?(合併自治体名・自然公園名を考える)-1
[51625]みやこ♂さん
の書き込みを読んでいてシンパシーを感じると共に、私もひとつ思い当たる事がありました。よって[51625]からの引用が多少ありますが、相互の内容は余り関連性が無いと取って頂ければ幸いです。

早速、本題に入ります。例えば、皆さんは今回の大合併で連称の新自治体名が余り採用されなかった事に気付かれたでしょうか。無かったと言えば嘘になりますが、思い当たるモノを挙げれば、「横芝光町」、未成立の「天城伊仙町」位なものでしょうか。以前あった例も見てみれば、一日限りの「竹原堅倉村」、資料上にのみ存在する「檜沢嶐郷村」、あと比較的短命だった「市木尾呂志村」等、いろいろありました。中でも今回着目していきたいのは、市名でもあった「大湊田名部市」と、「宇治山田市」についてです。

まず、私が言いたいのは、何故に連称自治体名(敢えて地名とは書かない。)が嫌われているかと言うことです。一説に「大湊田名部市」が「むつ市」に改称した理由は連称自治体名が嫌われたと言われていますが、市の運営に何らかの支障が出るほどの問題だったとは必ずしも言えません。合併してから余り日が経っていないというのも理由になりますが、その他の理由を推測してみます。まず、第一に長すぎると言う点です。やはり、市名が長すぎると言うのは市民生活に少なからず影響を及ぼしたと察します。その煩わしさから何らかの陳情があったのかも知れません。次に市役所の意向もあったと考えられます。旧町名をそのまま繋げた市名であっては新市の一体感の熟成に支障を来すと考えられたのでは無いでしょうか。あと前後関係でまた揉める可能性も否定できません。では、何故その代替案が「むつ市」だったのでしょうか。どちらかの旧町名を採用するのはまずいとしても、「下北市」辺りが妥当では無いでしょうか。(自分は今回(平成)の合併で駅名・郡名に因んで「下北市」になると思っていた。)多分、地名と言うある種の柵(しがらみ)から解放されたいと思ったのでは無いでしょうか。地名というモノは土地が有って始めて成り立つモノです。「特定の地域の名前」そんなミクロなモノでは到底、新しい市のイメージに合致しないと思われたのかも知れません。どうせなら、スケールの大きい「陸奥」にあやかろうとしたのでしょう。(奥州市もその様な見地から命名されたのではと思う。)

次に、「宇治山田市」についてです。言わずと知れた伊勢神宮のお膝元である伊勢市の旧称です。改称があった時期は昭和の大合併期で、周辺4村の編入と共に行われました。こちらについても考察していきたいと思います。宇治・山田ともに内宮・外宮の門前町及び、神宮の所在地の名称として、古くから用いられてきた俗称です。何故これが「伊勢市」と言う名称に取って代わられたのかについて考える時に必要なキーワードは「全国的知名度」と、「市域の拡大(膨張)」だと思われます。前者について、まず言えることは地名を最初に用いたのは、ごく限られた範囲の限られた人々では無かったのではないか、と言うことです。それが、郵便事業や通信機器の発達によって全国的に知られる地名とそうでない地名に分かれてきます。(新市名公募の種々の問題もココに発していると思われる。)私も、江戸時代の役職名である山田奉行が管轄していたのが現在の伊勢市であることを確認するために少し時間を要しました。この様に地元の知名度よりも、全国の知名度を優先したと言う事なのかも知れません。後者については、明治初期の宇治山田町の範囲より改称時の範囲の方が広くなっている事に関連付けられます。要は最初、宇治山田と呼ばれていなかった範囲まで宇治山田が拡張されたと言うことです。編入された地域の人々にとっては宇治山田と言うのは他所の地名であると少なからず思ったでしょう。これも「地名と言うある種の柵(しがらみ)」と言う事に帰着するのでしょう。

長くなりました。一旦打ち切り、稿を改めます。


… スポンサーリンク …


都道府県市区町村
落書き帳

パソコン表示スマホ表示