[4731]でるでる さん、
[4735]rio さん
「法皇市」案の由来となった法皇山脈ですが、通説はrio さんに示していただいたように、白河法皇とのゆかりにちなむとされています。伊予三島市もこの見解をとっているようですね。
しかし、「ほうおう」にあてる文字は、もともとは「鳳凰」であったという説もあります。これは、山の形状が鳳凰が飛び立つ姿に似ており、この地方独特の「やまじ風」も鳳凰が飛び立つときのつむじ風に通ずる、というものです。
私は、この説のほうが由来としては信憑性が高いと見ています。白河法皇ゆかり説については、果たして、時の法皇みずから「法皇」と称することを許すことなどあるのだろうかという疑問がまっ先に浮かびます。歴史ある地名のなかには、ときおり貴人とのゆかりを称するものがありますが、そういったもののほぼ100%に「みずからの名(称号)を許す」などというケースはありません。
第一、日本の皇室は古来より質実剛健を旨とし、華美や驕りを戒めてきましたから、いかに法皇(上皇)とはいえ、「褒美」として法皇と称すことを許す、などという高飛車なことはおっしゃらないはずです。
また、地名は時を経るごとに変化するものでもあり、例えば、補陀洛(ふだらく)→二荒(ふたら/にこう)→日光、粕壁→春日部のように、佳字に変化するということはよくあることです。(苗字でも窪→久保という
ふうに、同様の例はたくさんあります) ※
「京に寺院を建て」た故事も、この時建立された寺は何寺か、年代はいつ頃なのか、といった点について、
あまり詳らかではないことが気になります。
ですから、私は「鳳凰」転化説のほうが真実に近いのではないかと思います。
※ 日光市の語源は現在の二荒山(男体山)といわれ、はじめ梵語のポタラカ(観世音菩薩の
住む山の意)を訳した補陀洛(ふだらく)だったものが二荒(ふたら)に転化し、さらにそ
れを音読みしたもに日光の字を当てはめたといわれています。
春日部市の「春日部」は「粕壁宿」に由来し、昭和19年の南埼玉郡粕壁町と同内牧村の合
併の際に春日部町と表記を変更しています。 その後、昭和29年にこの春日部町と南埼玉郡
豊春村、同武里村、北葛飾郡幸松村、同豊野村の大合併が行われ、その際に引き継がれて現在
にいたっています。