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eiji_tさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[45400]2005年10月4日
eiji_t
[45394]2005年10月4日
eiji_t
[45357]2005年10月3日
eiji_t
[45354]2005年10月3日
eiji_t
[45339]2005年10月2日
eiji_t
[45333]2005年10月2日
eiji_t
[45320]2005年10月2日
eiji_t
[45307]2005年10月1日
eiji_t
[45272]2005年10月1日
eiji_t
[45264]2005年9月30日
eiji_t

[45400] 2005年 10月 4日(火)16:24:10eiji_t さん
纏めレスなど
[45368]千本桜 さん
遜って書かれたのでしょうが、関心を広げる方法に「邪道」「正道」の区別があるのでしょうか。
「自分の身近な所から関心を広げる」方法は、「自分の主観に陥って重要な事を見落とす」、「対立する2説があると身贔屓になりやすい」「広げすぎて収拾がつかなくなる」などの欠点があると思います。それで「邪道」と書いたのです。
一方、「縁遠いと思っていた事柄が身近な事に関連があると知ると、その事柄がリアルに浮ぶび上がる」「意外な結びつきを発見する」といった長所もあると思うので、あえて「邪道」で行こうと思っています。
千本桜 さん、どしどし「絡んで」下さい。励みになります。

[45304]紫魔法師 さん
[45169]Issieさん
「鮎川」というのは偶然の一致,なんでしょうかね。
[45173]eiji_t で「全くの偶然です」と書きましたが、書き落とした事があるので…
日立市の鮎川の命名者は徳川光圀だという説があるのです。(黄門様由来説を書くのは何回目か)
昔、川の上流部の地名から「諏訪川」という名だった。そこに光圀が鮎を大量に放流して鮎川と名付けたというものです。
ともかく「鮎川」の名は江戸時代までは遡れるのは確かなようです。

[45392]笠津前浜 さん
忘れかけていました。言及ありがとうございます。
「職業名由来地名」コレクションに関係なく、「塩」地名の探求を続けたいのですが、なかなか手が回らなくて中断しています。
[45394] 2005年 10月 4日(火)07:36:42eiji_t さん
合併のたび名称で揉めた、日立の場合(2)
[45357]eiji_t の続きです。

2)日立市の誕生
昭和14年9月に日立町、助川町が合併して「日立市」誕生。まずはそこに至る経緯から。
日立村に日立鉱山(明治38)日立製作所(明治43)発足。両社の発展とともに人口も増え、大正13年町制施行「日立町」。
助川町の経緯は、明治22年の町村制施行で助川村,会瀬村が合併して「高鈴村」。村名は地区の西部にある山から取る。助川駅開設(明治30)、鉱工業の貨物が増大。また助川地区には鉱工業の従事者が住み、人口が増えて大正14年に町制施行「助川町」。町名は旧2村の内、助川地区の発展が進み、奈良時代からの歴史のある名である助川に戻したもの。
昭和5年には助川町に日立製作所海岸工場(現日立事業所)が完成。日立,助川両町は地理的にも産業的に密接な関係になり、この頃から日立町,助川町に合併の話が出る。
何度か合併問題は不調に終わるが、昭和14年ようやく同意にこぎ着ける。
しかし新自治体の名称でこじれる。助川町は「日立助川市」を提案、日立町が拒否。妥協案の「茨城市」も両者に不満。ついに県に一任となって、県は歴史のある「助川」より知名度の「日立」を選ぶ。

その後、助川地区に工場が拡充、商店街が発展し市の中心となる。助川町が企業誘致で日立市に名称変更したという、誤った説が拡がる。
[45165]に「地名学の専門家も誤解していた」と書きましたが、こんな例を見つけました。、
企業名由来の自治体名を持つ唯一の市である豊田市の改名運動に、日立市の名が利用されたそうです。
『豊田市史』(第4巻第2章)
挙母市(豊田市の旧市名)商工会議所の有志が、昭和33年に市名変更の「請願書」を市議会に提出しましたが、そこに企業名由来の自治体名の例として「日立市」が挙げられていたのです。
豊田市の場合も強い市名変更反対があり、名古屋裁判所へ行政訴訟まで起こされたそうです。
[45357] 2005年 10月 3日(月)15:36:00eiji_t さん
合併のたび名称で揉めた、日立の場合(1)
合併による新自治体の名称で揉めるのは、平成の大合併に限らず、明治,昭和と続いてきました。それを一つの市に沿って辿ってみるのも意味があるかと思います。

日立市は明治22年の町村制による合併から始まって、編入以外の3回の合併で、その都度名称で揉めました。揉めた相手も理由もその都度違います。以下その経緯を。

1)日立村の誕生
[2369]たけもと さん
元禄年間:徳川光圀が神峰山に登り「日の立ち昇ること領内一」の言葉を残す。
明治22年(1889):宮田村と滑川村が合併。日立村と名づけられる。
しかし事はそう単純じゃないらしいのです。
このとき名称で揉めた相手は、県でした。当時の県官の威力は大きく、例えば現日立市の当時「中里村」は古来縁の「撫子村」を県に拒否され、里川が中心を流れているからと中里村にされたそうです。やはり現日立市の「坂本村」「東小沢村」は名称だけではなく、合併の相手先まで地元の意向を無視されたそうです。
宮田村と滑川村の場合、県は両村から1字づつ取って合成名「宮川村」を指定しました。地元有志は3日以内に新村名を選定して報告するるといって、県指定を拒否したそうです。
地元有志が考え出したのが上記の黄門様に由来する名称だったのです。
黄門様の御威光は明治の県官を納得させるだけの力を保っていたらしいです。(明治6年には光圀を祭神とする常盤神社が水戸に創建され、後に別格官弊社になっています)。
地元の作戦勝ちでしょうか。以後黄門由来説が定着します。

光圀よりも前の江戸期の古文書に「常陸国」を「日立国」と表記する例が2つ現存しています(どちらも個人蔵)。
茨城県の東の外れの一寒村にすぎない村の有志たちに「日の出を早く望むことが出来る常陸の東方=日立という心象」が先にあって、それを光圀の伝承に結びつけたというのが真実に近いらしいです。
[45354] 2005年 10月 3日(月)07:59:56eiji_t さん
レス&アーカイブズ提案
[45335]inakanomozart さん
[45341]かすみ さん
[45342]miki さん
情報提供ありがとうございます。
かすみ さん、miki さん は 以前にもマンホールの話題がありまたね。
かすみ さんのHP拝見しました。写真のアップ期待しています。

というわけで、「マンホールの蓋」アーカイブズに提案してみました。
古い市章のマンホール発見というのと、素敵な(面白い)マンホールを見つけたという2系統に分かれますね。
前にも書きましたが、他の話題の中でマンホールに少しだけ触れた記事が多いので、アーカイブズの趣旨になじむかどうか?

マンホールの蓋
[45339] 2005年 10月 2日(日)21:08:14eiji_t さん
廃線から半年、日立電鉄雑感
先月末で日立電鉄が廃線になって6ヶ月になりました。私は「鉄系」ではないのですが、子どもの頃に乗って見た窓外の風景を思い出しながら、この書き込みをしています。

廃線の1ヶ月後には、山際の線路を雉がのんびり歩いていて「雉も廃線を知っているのかな?」と思ったりしました。
線路の撤去も進んでいます。こんなに早く撤去するとは思いませんでした。
10月末までには「橋」以外は枕木も含め取り払われるそうです。この「橋」が今回の廃線の決定打でした。わずか18.5kmの路線にに橋梁が39ヶ所あるそうです。設備の老朽化の中でも特に橋は著しく、補修しながら騙し騙し使っていましたが、耐用年数が尽きかけているそうです(資材不足の時代に作られた橋は、中古品の転用だったという話もあります)。
始めは、万年赤字線を親会社の日立製作所や地元日立市・常陸太田市が見放したのかと思っていました。廃線やむなしだったのでしょうか。

資料を見ていると、昭和22年に廃止になった駅が在った事が分かりました。廃線のずっと前の廃駅、痕跡が残っているでしょうか。今度行って確かめてみようと思います(痕跡を探すのが好きなのです)。
日立港へ延びる枝線の計画が有ったことも分かりました。用地も確保していて、それが今でも残っています。こちらは現地に行ってみました。道路に沿って細長く草地が延びていました。事情を知らなかったらこの草地の意味も分からなかったでしょう。

茨城県では「鹿島鉄道」が、2006年度で沿線自治体の支援が打ち切りになるそうです。(地元の鉄道の存続に力になれなかった身でなんなんですが)がんばって欲しいです。
[45333] 2005年 10月 2日(日)17:19:43【1】eiji_t さん
四国+マンホール
[45326]YSK さん
レスありがとうございます。YSK さんのページ拝見しました。
写真じゃ判りませんね。実際に行かないと。あ-むずむずしてきた。
ここのところ四国づいていますね。
[45157]88 さんのお遍路の結願
[45321]オーナー グリグリ さん オフ会後の琴平&高知の旅
[45096][45313]かすみ さん 愛媛への旅

[45272]eiji_t のマンホールの件で
「路上観察派」は少ないかな?
と書きましたが、後で落書き帳を検索してみると19件ありました(先に検索しないといけませんね)。
特に[42261]かぱぷう さん
さりげなくマンホールの絵柄チェック
旅行貯金、旅行献血だけでなかったんですね。
[41931]かぱぷう さん
門司区内には旧門司市章のマンホールがありますし、小倉北区内には旧小倉市章がデザインされた橋の欄干がまだ生き残っていますから。合併してから40年以上の歳月が経ってるにもかかわらず、です。
他にも、「沖縄市内、旧コザ市の市章」「仙台の旧宮城町の町章、旧泉市の蓋」などなど…
旧自治体の古いマンホールが残っていて、それを発見する注意深い人も結構いるものですね。

「マンホールの蓋の絵柄」をアーカイブへ推薦したい所ですが、各記事のマンホールに関する部分は短いのでアーカイブになるかどうか?
[45320] 2005年 10月 2日(日)05:35:58eiji_t さん
レスなど
[45312]yamada さん
合成地名に登録ありがとうございました。 せっかちでなもので、すみませんでした。
[45119]eiji_t で参考にした『茨城県町村沿革誌』は、明治30年当時23歳だった細谷益見が私費を投じて著したもので、彼は36歳の若さで亡くなっています。出版社の倒産もあり僅小部数しか出版されず幻の本となってました。自宅にも残されていなかったのを、御子息が捜し出し80年振りに復刻されました。
約720頁、明治の版をそのまま使用し読み難いですが、内容は面白く、当時の県内の町村の様子が窺われます。
[45315]うるう さん
出典は「秋田県町村合併誌」(1960年発行)です。1,400頁弱もあり、県内全市町村の合併までの経緯や、新市町村の紹介などが詳しく収められていてなかなか読み応えある本です。図書館から借りてきてじっくり読み深めてます。
偶然ですが私も図書館から借りて、ぼちぼちと読んでいます。

[45313]かすみ さん
旅の話面白く拝見しました。
私が20年前「お遍路もどきの四国の旅」をしたときは、愛媛県の西南部が最も印象に残っています。名前を忘れましたが、私の感性にしっくり行く町を通り過ぎました。
現在の西予市、大洲市、内子町のどれかに合併した町じゃないかな。再び行けば思い出せる気がします(20年経ってもそんなに町並みは変わってないと想像します)。
[45307] 2005年 10月 1日(土)20:58:02eiji_t さん
Re:長久保赤水
[45242]hmt さん
長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(安永8年、1779)は、経緯線を入れた日本最初の地図であると言われていますが、これより早い森幸安の「日本分野図」(宝暦4年、1754)に既に経緯線が引かれているそうです。
ご指摘ありがとうございます。地元では「日本で最初の」で通っているので、鵜呑みしていました。一寸調べれば分かることでした。
赤水が最も参照した地図は森幸安の「日本分野図」らしいですね。
「刊行された地図では」を前文に付け加えるとより正解に近いかも知れませんね。

私は自分の身近な所から関心を広げる方向で(邪道だとは思いますが)調べています。
赤水の生母は助川村(現日立市)出身で、赤水も水戸へ通う時に日立を通ったであろうと思うと親しみを感じていました。また直系ではありませんが、一族の子孫の長久保光明氏は日立市に住んでいて、やはり地理学を学び『陸前浜街道地誌』などを著しています。

「シーボルト事件」も面白そうですね。中心人物は高橋至時の長男影保ですが、間宮林蔵も絡んでいて…

hmt さんの「地球を測った人々」シリーズ、興味深く読ませていただいています。そちらの感想は、いずれ書かせていただきたいと思います。
[45272] 2005年 10月 1日(土)07:35:00【1】eiji_t さん
マンホールにも合併の影響が
2005.9.27の朝日新聞に、合併によって下水道のマンホールのデザインを一新する自治体が13市町村あると出ていました。
東かがわ市、さいたま市、宮城県加美町、西東京市、富山県砺波市、鳥取県湯梨浜町、熊本県あさぎり町 など
東かがわ市は下水道普及率2.1%だそうで、旧町のマンホールは「路上観察派」にとって貴重な物になりそう。
このサイトを訪れる人は「路上観察派」は少ないかな?
他の合併自治体は、しばらくは旧市町村名のマンホールが残りそうです。

[45265]EMM さん
地名コレクションの件了解しました。
[45010]は見落としていました。申し訳ありません。
皆さん忙しいでしょうに、催促してすみませんでした。

※最後の行、訂正。
[45264] 2005年 9月 30日(金)23:32:39eiji_t さん
地名コレクションの事など
[45244]牛山牛太郎 さん
出典は、たしか会瀬小学校だと思います。
HP上で読みが載っていなくても、アドレスにローマ字で載っていることが多いです。
「会瀬」も「oose」となっていたので、読みを「おおせ」にしました。
早速のレスありがとうございました。出典は、我が母校会瀬小でしたか。
ただ、長音表記「おお/おう」や「じ/ぢ」「ず/づ」などの微妙な表記の区別をローマ字で確かめるのは、少々危険かと思います。「落書き帳」でも以前話題になりましたが、ローマ字表記では元々区別しないのが基本で、実際には表現が揺らいでいると思います。
会瀬の場合は公式には「おうせ」、地元では「おおせ」で、私は地元派です。

あと、催促するようでなんなんですが…
[44949]eiji_t
本家の阿漕浦はなぜ「浦」コレクションに登録されてないのでしょう?
[45119]eiji_t
「合成地名」コレクションに入っていない、一応合成地名を見つけました
茨城県那珂郡・上檜沢,下檜沢の「檜」+氷ノ沢の「沢」=「檜沢村」
のコレクションへの採否の結果をお知らせ願えないでしょうか?
「浦」コレクションの編集者の讃岐の民 さんは最近書き込みをしていないので、見ていない可能性もあると思いますが。
ここは編集長のEMM さんにお願いするしかないですかね。


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