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eiji_tさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[45098]2005年9月23日
eiji_t
[45093]2005年9月23日
eiji_t
[45087]2005年9月22日
eiji_t
[45062]2005年9月21日
eiji_t
[45050]2005年9月21日
eiji_t
[45041]2005年9月20日
eiji_t
[45033]2005年9月20日
eiji_t
[44949]2005年9月17日
eiji_t
[44914]2005年9月16日
eiji_t
[44902]2005年9月15日
eiji_t

[45098] 2005年 9月 23日(金)21:33:00eiji_t さん
舞茸
[45088]北の住人 さん
舞茸というのは、雅な時代にはどうだったのでしょうか。今昔物語に、食べると踊り出すキノコを舞茸と呼ぶようになったが、今の舞茸を食べても必ずしもそうならない、という話があるようですが、現代のとは別物でしょうか。

天然の舞茸は、現在の物でも非常に美味しいですよ。
商品名「ゆ※ぐ※まいたけ」など一般に出回っているのは、栽培物です。
味、香りなど比べ物になりません。栽培のおかげで何時でも安価に手に入れる様になりましたが、舞茸ってこんな物かと思われると…
[45091]じゃごたろ さん
「舞茸」も非常に風味があって、味噌汁にすると他にダシがいらないほどのおいしさですよ。
じゃごたろ さんが言っているのも天然物だと思われます。
舞茸は「束生」といって株になって生えています。時には1株,数kgにもなって、見付けると踊り出すほど嬉くなる理由の一つです。数年前、東京都心の青山墓地で舞茸の大きな株が見つかった、という記事を読んだことがあります。

スーパーなどで買える茸は、松茸を除いてほぼ栽培物です。
茸の天然物と栽培物の差は、魚の天然物vs,養殖物以上だと思います。

シメジに至っては栽培化が成功した別種を「※※シメジ」として流通させました。
先に栽培化が成功したヒラタケに対し後に栽培化された「ブナシメジ」が、先のヒラタケと区別する為に「本しめじ」「ホンシメジ」などという名で出回りました。消費者は混乱し、ついに公正取引委員会が排除勧告をして、本来のブナシメジという名に戻りましたが、混同する人が未だいます。

ヒラタケの天然物はこれから(晩秋から初冬にかけて)採れます。シメジと違った美味しさがあります。ところが栽培物は外観をシメジに似せる為に味を無視した特殊な栽培法で育てています。

話し出したら一晩中でも話し足りないほど、キノコ好きのeiji_tですが、ここはキノコのサイトではないので、以後キノコの話は自粛します。
[45093] 2005年 9月 23日(金)09:19:38eiji_t さん
ひたちなか市の中の水戸、那珂、東海工場
ひたちなか市の日立製作所の5工場の内、3工場が設立当初近隣の水戸市,那珂町(現在那珂市),東海村から名を借りています。残る2工場の内、佐和工場は勝田市(当時)大字佐和にはない。近くの常磐線佐和駅からか(佐和駅も大字佐和には無くややこしい。精細は略)
つまり5工場中4工場が地名と工場名がずれていたのです。

現在は水戸工場以外は地名に関係ない事業部名に変更していますが、バス停,交差点名などはそのままで、地元では今でも旧工場名で呼んでいます。
地図1那珂工場,水戸工場,勝田工場
地図2東海工場,佐和工場
マピオンの地図でも旧工場名で表示していますね。

ひたちなか市の日立製作所の工場名のリスト
・旧工場名(設立年)現在の名称/ひたちなか市の大字

・水戸工場(1940)水戸事業所/市毛
・那珂工場(1960)計測器事業部/市毛
・勝田工場(1961)火力・水力事業部素形材本部/堀口
・佐和工場(1968)自動車機器グループ/高場,稲田にまたがる
・東海工場(1968)デジタルメディア製品事業部/稲田,高場,田彦にまたがる

水戸工場の名の由来だけは判りましたが、戦争に絡んでいて少々重いので別にレスします。

他の工場は『日立製作所史.3』『那珂工場二十年の歩み』『勝田市史近代・現代編2』にも命名の由来が載っていません。
以下私の推理
水戸工場以外は、他工場の分工場として発足(現在は独立)。
那珂工場,佐和工場>多賀工場(日立市)
勝田工場>水戸工場
東海工場>横浜工場
つまり日立市、横浜市など他地域の日立製作所の関係者にも判り易い工場名にしたのか。
また那珂工場,水戸工場,勝田工場、東海工場,佐和工場はそれぞれ並んでおり区別をつけるためか。

中途半端ですが、鋭意調査中。情報があればお願いします。
[45087] 2005年 9月 22日(木)19:39:34eiji_t さん
キノコ
[45065]じゃごたろ さん
[45066]般若堂そんぴん さん
スギヒラタケ
全国に分布しているそうですが、主に食べるのは東北と新潟だそうで、私の地元茨城でも、キノコ狩りを経験した長野でも聞いた事はありませんでした。患者も青森,岩手を除く東北4県と新潟と北陸と岐阜などでした。食分布と重なっていると思われます。
2005.5.15の毎日新聞に患者の脳に特異な組織破壊が見つかったという記事が出ていました。
(5.31朝日新聞科学欄にも同様の記事)
しかし、いまだ原因物質が特定出来ていないのは不安ですね。

[45080]音無鈴鹿 さん
詳しい解説ありがとうございました。参考になりました。
ホテイシメジの成分であるコプリン
ヒトヨタケにもコプリンが含まれ、同様の症状を引き起こすそうですね。そこら辺に生えているヒトヨタケが食べられるとは知りませんでしたが、近縁のササクレヒトヨタケは美味しいそうです。
ベニテングタケですが、神経毒のムスカリンと、中枢神経系に作用するイボテン酸、シロシンが含まれています。
ベニテングタケの生食は二度としませんし、お勧めしません。
おそらく毒抜き法は非酸素条件で”還元”するのだと思います。わずかながら毒性があり肝障害を引き起こすとのことなので、やはり食べないほうがいいのでしょう。
毒抜きというより弱毒化ですね。だからキノコの本にも、毒抜き法を書いていないのですね。でもベニテングタケのダシのうどんは、一度は食べてみたい(話してくれた人があまりに美味しそうに言うもんで)。

ベニテングタケは主にシラカバ林に生えています。白い木肌のシラカバの間に赤い茸が点々と、運が良ければ「妖精の輪舞」とも呼ばれる菌輪も…

クマ、スズメバチ、遭難、キノコ中毒などの危険にもかかわらずキノコの妖しい魅力は輝いています。
信州の山里で美味しいキノコを味わった時には、何もかも捨てて此処に住み着きたいと考えたほどです。

余談ですが、表題の四コママンガを知ってる方いますか?
『キノコ・キノコ』聞いた事があるような…
で、ググってみました。絵はどこかで見た様な気がします。
最近復刻したそうですね。
[45062] 2005年 9月 21日(水)17:41:29【1】eiji_t さん
秋、キノコ狩りの季節
地理とは直接関係ないのですが、地方によって違いが大きいものなので書きます。

同じ茸が土地によっては珍重されたり、見向きもされない土地があったりと奥が深い。隣県同士でA県は中毒例有り、B県は中毒例なしという茸もあります。
去年はそれまで食用とされていた「スギヒラタケ」が東北中心に大量の中毒者を出しています。

私自身はキノコ狩りの経験は乏しいのでが、その体験談を。

子どもの頃、茸採りは遊びでした。知識が無かった為、採るだけで殆ど捨ててしまいました。その山々も開発されたり、放置されて荒れてしまったりで茸の姿も見られません。

仕事で松本に2年間いた時、2シーズンだけ松本中心に信州各地でキノコ狩りを堪能しました。
慣れてくると面白いように茸が見つかって、キノコ狩りも楽しいですが…
何といっても楽しいのは、自分達で採った茸で鍋を作り、それを囲んで地酒で一杯やることです。初めて会った人とも打解け、酔いも手伝って、夜間は無人になる公営の露天風呂に女の子達も一緒に忍込んで、一晩中騒いだ事もありました。

キノコ中毒にもなりました。ホテイシメジという食用茸ですが、酒と一緒に食べると悪酔いするいうものです。不思議な酔いで自分はハイになって酒を飲みすぎたかな思っただけでした。友人2人は一晩中洗面器を抱えて嘔吐し、救急車を呼ぶ寸前までいったそうです(新聞ネタになるのを恐れて我慢したらしい)。後でその事を聞き、あれはキノコ中毒だったのだと納得しました。

信州の佐久、上田地方では毒茸ベニテングダケを毒抜きして、うどん等のダシにするそうです。残念ながら時期が合わず食べられなかったのですが、非常に美味しいそうです。毒抜き法を聞きそびれました。文献にも載っていません。
詩人のナナオ・サカキ(知る人ぞ知る日本のヒッピーのカリスマ、欧米では有名、現在生きていれば80過ぎ)に会い、一緒にベニテングダケを生で齧ったりしました。今の私を知る者は信じられないそうですが、そっち方面に近づいた事もあったのです。
(ベニテングダケを食べるとどうなるか?2,3本なら死にません。うまくいくとハイになれますが…)

松本市の隣の四賀村(当時)に稲刈りの手伝いに行って、松茸をたらふくご馳走になった事もありました。後で知ったのですが四賀村の松茸は全国でも有名ブランドだそうです。
翌年も手伝いに行きましたが、その年は不作で去年物の塩漬を少しいただいただけでした。欲を掻くと駄目ですね。松茸山のその年の権利を三百万円で買って、2,3本しか採れず一本百万円の松茸を買ったと、笑われた人もいました。

皆さんの地方でも、その地方独特の茸があると思います。その茸や特別な調理法などがあったらお知らせください。

※リンクを1ヶ所挿入
[45050] 2005年 9月 21日(水)07:33:55eiji_t さん
「十番勝負」について
[45049]白桃 さん
貴重なご意見、有難うございます。

1.ここはグリグリさんの「お庭」であり、それはオーナーであるグリグリさんが自らのお考えでお決めになること。
もちろん、これが大前提です。自分のレスで書くべきでした(反省)。

「クイズ専用掲示板」ではなく、本舞台で名をあげることがクイズマニアの本望ではありませんか。例えがおかしいですが、別掲示板はいわばBSチャンネル、そうじゃなくて、全国放映、誰もが見るNHKこそ名誉の舞台なんです。
正直言ってよく解りませんが、情熱はヒシヒシと伝わってきました。

(クイズ専用の掲示板について)
このことにつきましては、以前から議論されていることでありますが、
議論されている記事の番号をお知らせ願えないでしょうか?

私は2年半のブランクの後「落書き帳」に戻ってきた時、「十番勝負」の存在を知りませんでした。第八回十番勝負が始まった時「嵐に見舞われた」と当時そう感じました。
今回、十番勝負に関連する記事をざっとですが読み返してみると、クイズ好きの皆さんの情熱を感じました。
第九回十番勝負に取組む皆さん、頑張ってください。

そこで、弱い提案。
「せめてクイズ関連の記事とその他の記事とを、分けて書込んでいただきたい」

※白桃 さん 一行目、お世辞だと思いますが、非常に恥ずかしいです。自分の文章にコンプレックスを持っています。「下手くそ!」という感じです。
[45041] 2005年 9月 20日(火)21:04:55eiji_t さん
消えた「浦」
[44949]eiji_t において、
池になってしまった「浦」、「阿漕ヶ浦」を取り上げましたが、今回は阿漕ヶ浦の近くに嘗て存在し、干拓で消滅した東海村村松の「真崎浦(正木浦)」を紹介します。

地図
地図では判り難いのですが、中央に水路の通っている水田が真崎浦の一部「広浦」を干拓したものです。
地図を上にスクロールするとやはり真崎浦の一部「細浦」を干拓した細長い水田が見えます。
その右上の池が前に紹介した「阿漕ヶ浦」です。

真崎浦は鎌倉時代までは、村松海岸から入り込んだ入江でした。
生活の場を水際に求めた原始時代から古代においては重要な生活の場であった証拠に貝塚や古墳が多く残されています。
読売新聞2005.9.2茨城版に「真崎古墳群」5号墳から全国で6例目、東日本初の「木椁(もっかく・
棺を納める外枠)」が見つかった、という記事が出ていました。有力な豪族が住んでいた証拠に
なるそうです。
鎌倉時代までは海上交通の要所であり、浦に突出した岬には「真崎城」始め幾つかの城址があり軍事上の拠点でもあったと思われます。

ところが、徐々に入江の口が海流や風によって運ばれた砂に埋もれ、湖沼化しました。砂の威
力はものすごく、近くには砂で埋もれたといわれる村の「千々乱風伝説」が残っているくらいです。
湖沼化した真崎浦は「村松沼」「素絹の沼」などとも呼ばれるようになり、水産資源(魚、鳥、蓮根)の重要な場になります。

しかし、この沼の水面はは海面より低く、大雨時には洪水で沿岸の村々を苦しめました。
そして安政3年(1856)に干拓が始まりました。難工事および開墾者同士の争い、指導者の死去
などで工事は度々中断され完成したのは昭和13年(1938)です。

現在「真崎」の名は小字に残っているだけです。しかし注意してみると、波で浸食された跡が露
出した崖に出くわしたり、内陸にに船場という地名が残っていたりします。

地図や現場に痕跡を探す事は興味が尽きません。、
[45033] 2005年 9月 20日(火)07:14:04eiji_t さん
クイズだらけにならない為に
[45020]いっちゃん さん
[45022]オーナー グリグリ さん
[45027]いっちゃん さん
[45029]愛比売命 さん

「十番勝負」を含めクイズ専用の掲示板を立ち上げたらいかがでしょうか?
そうすればクイズ好きの人は心置きなく、楽しめるでしょう。
私のようにクイズに興味が無い人も、その間に書込んだレスが埋没してしまう心配も無くなるでしょう。
「落書き帳」もすっきりすると思います。
一考をお願いします。


[45025]オーナー グリグリ さん
[45025]葵区さん、
とありますが、
[45024]の誤りではありませんか?
[44949] 2005年 9月 17日(土)15:10:11eiji_t さん
阿漕ヶ浦 阿漕浦
茨城県東海村村松の「阿漕ヶ浦」地図

これで「浦」?ただの池だろう、という感じの阿漕ヶ浦ですが、昔は太平洋の海水が流入する入り江だったのです。
[2956]せか さん
それではなぜ霞ヶ「浦」なのかというと、今から1000年以上前、霞ヶ浦一帯は海水がさかのぼる入り江となっていたからです。
つまり霞ヶ浦の超ミニ版です。

名前は、徳川光圀が伊勢神宮の分霊を祀って近くに「村松大神宮」を造営した時、三重県の阿漕浦(伊勢神宮に供する神饌の漁場)に因んで付けられたそうです。(真偽は定かでありませんが、茨城県には水戸黄門に因む地名が各所に残っています)
原子力関連施設が立ち並ぶ東海村に在って、このあたりは昔の東海村を偲ばせる佇まいです。

ところで、本家の阿漕浦はなぜ「浦」コレクションに登録されてないのでしょう?
「あこぎなやつ」などと使われる「あこぎ」の語源になったほど有名なのに…
「浦」コレクションの「浦」の定義に合わないのでしょうか?
[44914] 2005年 9月 16日(金)07:06:41eiji_t さん
大森貝塚は大森にはない?!
今日9月16日はモースが大森貝塚を発掘して128周年になります。
昨日のの朝日新聞の文化欄に『「大森貝塚」は大森にはない』という記事が出ていました。

記事によりますと、
考古学者でないモースは、発掘場所の精確な記録を残さず「大森停車場の近く」程度の理由で名づけたと思われる。後年、場所を巡って意見の食い違いが出て、記念碑も太井町(現在の品川区太井)と大森町(大田区山王)の2ヶ所に建てられた。
その後の調査で、発掘場所は品川区太井にほぼ確定された。しかし、「大森貝塚=大森を掘った」という思い込みは、考古学者たちも逃れがたいようだ。

[44072]eiji_t で
「1985 日航機墜落現場=御巣鷹山ではない」を取り上げましたが、

「地名は一人歩きする。最初が肝心」という事でしょうか。

参考:大森貝塚は2つある
[44902] 2005年 9月 15日(木)15:12:05eiji_t さん
久遠の仮名表記
[44896] 紅葉橋律乃介 さん
[44899] スナフキん さん
[44900] じゃごたろ さん
[44901] 烏川碧碧 さん

図書館で調べてきました。
『全国市町村要覧』は、平成元年版が図書館所蔵では一番古く「くどう」でした。

他に
『日本歴史地名大系1.北海道の地名』平凡社2003.10と
『角川日本地名大辞典1.北海道(上)』1991.10を調べました。(以下平凡社版、角川版と略)

久遠郡の表記は両者とも「くどお」でした。

平凡社版「クドウ」の説明に、
漢字表記地名「久遠」のもとになったアイヌ語に由来。
仮名表記は他に「クトウ」「クドフ」「クドヲ」など。
漢字表記は「久刀布」「久度布」「久登宇」など。
アイヌ語の語源は「グーウンツウ」弓を置く岬の意。

角川版は語源に、アイヌ語の「クンルー」危路の意、の異説も紹介。

どちらも久遠郡の「くどお」表記の説明なし。
他に久遠神社(くどおじんじゃ)の項あり。

詳しくは、現物に当たって下さい。


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