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KMKZさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[38642]2005年3月16日
KMKZ
[38640]2005年3月16日
KMKZ
[38539]2005年3月13日
KMKZ
[38538]2005年3月13日
KMKZ
[38537]2005年3月13日
KMKZ
[38482]2005年3月11日
KMKZ
[38424]2005年3月9日
KMKZ
[38379]2005年3月7日
KMKZ
[38378]2005年3月7日
KMKZ
[38338]2005年3月6日
KMKZ

[38642] 2005年 3月 16日(水)08:08:27KMKZ さん
RE:港湾局
[38641]たもっち さん
神戸市には「港湾局」はありません。そのかわり、「みなと総局」があります。名前が違うだけで、中身は同じようなものでしょうけど。
ついでに調べてみたら、名古屋市にも港湾局がないようです。港関係は住宅都市局の担当になるようです。
間違いのご指摘、ありがとうございます。
検索の仕方がよくありませんでしたね。ネットで"○○市 港湾局"(○○は政令指定市名)を検索し、ヒットしなかった市だけその市役所のHPでチェックしたのです。ヒットした「神戸市港湾局」や「名古屋市港湾局」は、HPの間違いか、かつては「港湾局」が存在したかのどちらかなのでしょうね。特に神戸市の「みなと総局」は以前は「港湾局」だったのではないでしょうか。
[38640] 2005年 3月 16日(水)06:55:24【2】KMKZ さん
政令指定都市の港湾局
[38502]北の住人さん
[38507]たもっちさん
[38612]NTJ会長 さん

政令指定都市の「港湾局」ですが、海に面していない京都市、札幌市、さいたま市だけでなく、海に面していても組織名としての「港湾局」は広島市、仙台市、千葉市にはありません。
港湾局があるのは、これ以外の川崎市、横浜市、名古屋市、大阪市、神戸市、北九州市、福岡市です。

参考
広島市の「仕事宣言」
仙台市行政機構図
千葉市の局区等一覧

追記
[38641]たもっち さんのご指摘により、名古屋市には港湾局がなく、神戸市には港湾局ではなくみなと総局があることがわかりました。
[38539] 2005年 3月 13日(日)07:56:36KMKZ さん
大宮バイパス
[38534]音無鈴鹿 さん
あれ?ところで新ではない無印の「大宮バイパス」ってあったのですか??
元々は旧中山道である県道さいたま鴻巣線が国道17号線で、そのバイパスとして大宮市宮原(現在はさいたま市北区)から鴻巣市箕田まで建設された道路が「大宮バイパス」と呼ばれましたが、その後「大宮バイパス」が本線となり、単に17号と呼ばれるようになりました。
この付近の17号線が「大宮バイパス」と呼ばれた区間で17号線とJR高崎線に挟まれて平行して伸びているのが旧中山道であり旧17号線であった県道さいたま鴻巣線です。
[38538] 2005年 3月 13日(日)06:52:08KMKZ さん
明治初期における鉄道建設
[38502]北の住人 さん
金ヶ崎-大垣がこんなに早く開通しているのは、敦賀が重要港だったからでしょうか。
物流は海運が主流であった明治初期においては、建設資材が陸揚げされる港付近の鉄道を最初に開通させ、次にその鉄道で港に陸揚げされた建設資材を輸送して更にその先へと鉄道の建設を進めていったようです。[38482]で挙げた明治初期の鉄道開業区間は皆、港に近い方から順次開通しています。
北海道の手宮-幌内間の路線の場合は、手宮(小樽港)-札幌間が札幌-幌内間よりも先に開通しています。

明治新政府は東京と西京(京都)を結ぶ鉄道幹線を当初は東海道ルートではなく中山道ルートで建設するつもりでした。
経路は東京-高崎-軽井沢-篠ノ井-松本-加納(岐阜)-大津-西京だったようです。
建設は東西から進めることとし、西側から建設する為の建設資材を運ぶ為に早い段階で建設されたのが金ヶ崎(後の敦賀港駅)付近の支線で、この支線で運ばれた資材で東へと幹線ルートとなる鉄道を建設して行きました。

幹線の東側は資金の関係で私鉄である日本鉄道の手でまず上野-高崎間が建設されることになりましたが、既に建物が密集していた東京市中心部に鉄道を建設して新橋-横浜間の官営鉄道につなぐのを断念した為、横浜港からの建設資材を鉄路で輸送できず、建設資材は船で隅田川を遡り埼玉県川口で陸揚げし建設を進めて行きました。
その後、当時は農村であった西郊に迂回ルートとしての品川-赤羽間の路線を開通させて横浜港からの輸送ルートを確保し、中山道幹線ルートである信越線や東北線用の建設資材の輸送が可能になりました。
[38537] 2005年 3月 13日(日)06:44:53KMKZ さん
飛鳥山タワー、巨大タワー建設構想
[38464]NTJ会長 さん
上野の飛鳥山タワーが撤去されたのは残念ですが、都内はもうタワーや超高層ビルだらけですね。
飛鳥山タワーがあったのは台東区上野ではなくて北区の王子駅脇の飛鳥山で、[38464]のリンク先の写真には飛鳥山の脇を走っている都電荒川線の電車が写っています。
飛鳥山は徳川吉宗(マツケンサンバ将軍?)が桜の木を植えさせて以来の桜の名所、北区のシンボル的存在で、北区は当初、区名をこの山にちなんで飛鳥区にするつもりが「あすか」の読みは常用漢字には無いため断念したとのことです。(->[4878]まがみ さん)
タワーといえば、東京タワーに替わる関東地方の地上波デジタル放送用の高さ600メートル級の巨大タワー建設の構想があり、観光の目玉にと東京、埼玉の自治体で誘致合戦が行われていますね。
候補地には、足立区、豊島区、墨田区、台東区、港区、さいたま市が挙がっています。
[38482] 2005年 3月 11日(金)04:37:09【2】KMKZ さん
品川線開業以前
[38371]音無鈴鹿 さん
[38338]KMKZさん
ところで品川線以前の開業路線で路線が分岐している例は無いのでしょうか?
品川駅と赤羽駅は日本最初の分岐駅ってことになるのかな?
どうやらそのようですね。

調査してみたのですが、120年前(1885年3月1日)の日本鉄道品川線開業直前の時点においては分岐の無い5本の開業区間があったに過ぎず、この時までは、路線分岐の例はなさそうです。

[1885(明治18)年2月時点における鉄道開業区間]
開業区間開業日事業者所在地当時の駅
新橋-横浜1872/6/12-1872/10/14官営東京,神奈川新橋,品川,大森,川崎,鶴見,神奈川,横浜
神戸-大津1874/5/11-1880/7/14官営兵庫,大阪,京都,滋賀神戸,三宮,西宮,大阪,吹田,茨木,高槻,山崎,向日町,京都,
稲荷,大谷,山科,大津
手宮-幌内1880/11/28-1882/11/23官営北海道手宮,開運町,朝里,銭函,軽川,琴似,札幌,
白石,野幌,江別,幌向,岩見沢,幌内太,幌内
金ヶ崎-大垣1882/3/10-1884/5/25官営福井,滋賀,岐阜金ヶ崎,柳ヶ瀬,長浜,関ヶ原,垂井,大垣
上野-前橋1883/7/26-1884/8/20日本鉄道東京,埼玉,群馬上野,王子,浦和,上尾,鴻巣,熊谷,深谷,本庄,新町,高崎,前橋
※運転系統が良くわからないので路線の連続性のみに着目して分類しています。

最初に鉄道路線が分岐したのは、日本鉄道品川線の開通が最初のようですが、この1885年には、さらに大宮駅の開業と東北線の大宮・宇都宮間、信越線の高崎・横川間の開業で日本鉄道の上野-前橋間の路線(現在の高崎線などに該当)を中心に新線が分岐し品川、赤羽、大宮、高崎の4駅が分岐駅となりました。
鉄道交通の要衝としての大宮、高崎の歴史は120年前に遡ることができるわけです。

なお1886(明治19)年の時刻表では上野-前橋間と上野-宇都宮間の列車の上野-浦和間の各駅の発車時刻、到着時刻は全て同じになっています。
大宮駅で列車の分割、併合を行っているらしく、客車列車(貨物も含めて?)の分割併合運転の最初の例なのでしょうか。
[38424] 2005年 3月 9日(水)06:30:00【2】KMKZ さん
埼京線
[38392]sutekinaおじ さん
大宮 < 埼京線 > 赤羽 < 赤羽線 > 池袋 < 山手線 > 大崎 <東京臨海高速鉄道・りんかい線> 新木場

JRの時刻表では上記「埼京線」区間も「東北線」と記してあります。

通常は意識する必要はまったくないと思いますが、正式な路線名としては「埼京線」は存在しません。
東北新幹線の脇に建設されている通常は埼京線と呼ばれている大宮・武蔵浦和・赤羽間の高架線は正式には東北本線の別線の扱いです。
当時の鉄道路線は鉄道施設法に基づいて建設されていたのですが、埼京線は鉄道施設法の整備線ではなく鉄道新線として建設するにはこの鉄道施設法の改正が必要でした。
東北新幹線と埼京線の建設を急いでいた国鉄は東北本線の別線による線路増設として運輸省(当時)に申請して埼京線の建設を進めていった経緯があったと記憶しています。

赤羽-武蔵浦和-大宮間の東北本線別線と赤羽線を合わせて埼京線が開業したのは20年前の1985年9月30日であり、赤羽線の前身である旧品川線開業(1885年3月1日)のちょうど100年後でした。
同時に川越線に乗り入れたので最初は川越-大宮-池袋間の運行でしたが、その後、新宿、恵比寿、大崎と延長され、現在ではりんかい線に乗り入れて新木場まで運行されています。

なお、りんかい線と京葉線の線路は新木場でつながっていて、りんかい線を介して埼京線と京葉線は相互乗り入れ可能です。
実現すれば山手線西部とTDLなど京葉線沿線が直接結ばれ、非常に不便な京葉線東京地下駅での乗り換えをしないで済むのですが、両側がJR線となる乗り入れ形態では間の東京臨海高速鉄道りんかい線の運賃を払わずにJRの通し運賃だけで不正乗車する人が続出するのは必至で、赤字の東京臨海高速鉄道の経営への悪影響が懸念され、残念ながら相互乗り入れの予定はないようです。
[38379] 2005年 3月 7日(月)08:37:39KMKZ さん
今年で開業120周年の駅(追加)
[38338]KMKZ
1885年に官営鉄道が開通させた路線はありませんが、
申し訳ありません、大嘘でした。1885(明治18)年には、官営鉄道の高崎-横川間と、阪堺鉄道(後の南海電鉄)の難波-大和川が開通しています。

[38338]の表の続きです。

年月日区間開業駅備考
1885/10/15高崎-横川飯塚,安中,磯部,松井田,横川 後の信越線高崎-横川間開業
1885/12/29難波-大和川難波,(途中駅は未調査),大和川阪堺鉄道(後の南海電鉄)難波-大和川間開業
[38378] 2005年 3月 7日(月)07:31:34KMKZ さん
内藤新宿駅の謎
[38354]hmt さん
上野からの日本鉄道が、赤羽から山の手経由の連絡線により官設鉄道の品川との間を結んだのが、今から120年前[38325][38338]。この鉄路が角筈村の東部「字渡辺土手際」を南北に貫き、「内藤新宿」停車場が作られました。2年後に「新宿」停車場に改称。
JTBから出版されている「時刻表でたどる鉄道史」に載っている品川線開業の翌年の1886(明治19)年7月1日ダイヤ改正時の時刻表のコピーには「内藤新宿」ではなく「新宿」と書いてあり、1885年の開業時は「内藤新宿」で1887年に「新宿」に改称されたとの説と矛盾してしまいます。
以下のような理由が考えられますね。
 a) 開業時から「新宿」だった
 b) 1886年7月以前に「新宿」に改称されてしまった
 c) 他の駅に比べて文字数の多い「内藤新宿」は「新宿」と省略されて記載された
[38338] 2005年 3月 6日(日)09:03:25【2】KMKZ さん
今年で開業120周年の駅
[38325]あんどれ さん
おりしも今月に開業120周年記念イベントが行われていますが
あんどれ さんが紹介されたJRのHPを見ると目黒駅と目白駅は山手線・埼京(赤羽)線の前身である日本鉄道品川線の開業(1885年3月1日)から半月遅れた3月16日開業なのですね。駅舎の建設が遅れてしまったのかな?
[38130]で山手線120周年について書いたのですが、目黒駅と目白駅の開業日が3月1日であると書いてしまいました。また、大宮駅の開業日を[38130]では1885年3月17日と書きましたが、大宮駅も3月16日開業だったようです。

整理すると、120年前の1885(明治18)年に日本最初の私鉄である日本鉄道が開業させた駅は以下の通りです。

開業日区間開業駅備考
1885/3/1品川-赤羽渋谷,新宿,板橋,赤羽品川線品川-赤羽間開業
1885/3/1上野-前橋(赤羽),桶川,吹上
1885/3/16品川-赤羽目黒,目白
1885/3/16上野-前橋大宮
1885/7/16大宮-宇都宮蓮田,久喜,栗橋,古河,小山,石橋,宇都宮東北線大宮-宇都宮間開業、利根川橋梁開通は1886/6/17

#記述内容の誤りを修正

ところで品川線以前の開業路線で路線が分岐している例は無いのでしょうか?
品川駅と赤羽駅は日本最初の分岐駅ってことになるのかな?


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