[29008]月の輪熊さん
天北三町村合併協議会の新町名は、「頓別町」と「天北町」の2点を考えました。
北海道宗谷郡猿払村及び枝幸郡浜頓別町・中頓別町の新町名の件ですが、
紅葉橋瑤知朗さん、地名好きさんあたりのご意見を伺ってから、応募したいと思います。
ご指名いただきましてありがとうございます(笑)
「天北」は合併協議会の名称として使われてもいますし
天北三町村合併協議会のHPを覘いて、「天北三町村合併協議会」と明確に「天北」を使っていることから、少なくても地元住民は「天北」を望んでいるのだと思います。協議会関係者も地元住民でしょうし。
地元住民が生活に根付いた中で、自然と無意識に使った「天北」であるでしょうし、そういった面を加味し、どこの新自治体の名称公募にもいえる事でしょうが、外部からより地元住民の応募がやはり多いのでしょうから、地元住民の結果が反映されると思います。
「頓別町」よりは可能性が高い気がします。
猿払村が参加していなくて、浜頓別町と中頓別町の2町合併であるならば状況が変わる気がしています。この場合には「頓別町」の可能性が高くなるのではと思います。
「天北」は猿払村が加わってのものと、私の感覚としてはあります。
広域地名として定着しているものですが、「天北」の「天」は「天塩」からとったものであり、3町村はすべて旧北見国であったこと、また「天北」の範囲が3町村にとどまらないことから、「広域地名の僭称」にならないかという懸念があります。
天塩国と北見国から、それぞれ一字とって「天北」にしたのでしょうね…やっぱり。
またかつて「天北線」が走っていたことから、鉄道ファンの間で認知された名称でもある
1912年、宗谷線、音威子府から起工
1914年、宗谷線として開業(音威子府-小頓別)
1916年、枝幸村から頓別村が分村、中川村から常盤村が分村、中頓別まで開通
1918年、浜頓別まで開通
1919年、宗谷本線になる、浅茅野まで開通
1920年、鬼志別まで開通
1921年、頓別村から中頓別村が分村
1922年、稚内(現在の南稚内)まで開通
1924年、宗谷村から猿払村が分村
1930年、宗谷線を北見線に改称
1951年、頓別村が浜頓別町になる
1961年、北見線を天北線に改称。急行「天北」運行開始(札幌-稚内)
1963年、常盤村を音威子府村
1989年、4月30日で廃止。5月1日宗谷バスによる代替輸送が開始
1990年、3月26日鬼志別バスターミナル完成。5月1日音威子府交通ターミナル落成
1991年、4月1日都市間バス「天北号」運行開始(鬼志別~旭川)
宗谷線-北見線-天北線のように、天北線という名称になるまでに何度か改称しています。
「天北」になったのが、1961年と割と最近であること。
その当時に活躍されておられた方々が、まだご健在です。ですから今も「天北」に拘りが見られます。
その天北線が廃止。バスによる代替輸送が開始。浜頓別町に終着バスターミナルを設置してもよさそうですが、鬼志別バスターミナル(猿払村)がありますね。(猿払村はこのあたりの地域に影響が大きいのでは?)
猿払村が参加か、脱退かで「頓別町」か「天北町」になるものと思います。宗谷町なども候補になると思いますが、仮にこのあたりで今後、稚内市等を含めた大合併があったとするならば、その時は、「宗谷市」を候補にしたい…今回は「宗谷」を使用せずにお預けで…(笑)