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TGRSさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[23805]2004年1月15日
TGRS
[23773]2004年1月14日
TGRS
[23772]2004年1月14日
TGRS
[23741]2004年1月13日
TGRS
[23739]2004年1月13日
TGRS
[23738]2004年1月13日
TGRS
[23736]2004年1月13日
TGRS
[23579]2004年1月9日
TGRS
[22826]2003年12月16日
TGRS
[22678]2003年12月10日
TGRS

[23805] 2004年 1月 15日(木)19:10:25TGRS さん
「いっちゅう」その後の調査(1/15)
[23796]hmtさん
徳島県一宇村の読み方に関する本筋のフォローは TGRSさんにおまかせして
ううっ。責任重大ですね(笑)。皆さんのお力も頼りにしてます…。

さて、[23772]TGRSの続報です。

■『全国市町村要覧』
昭和61年版から平成14年版まで調べました。この間、本文、索引とも「いちう」で揺れはありません。
ちょっと逸れますが、不思議なことに、徳島県は昭和40年3月29日以降、3件の合併(昭41.10.1応神村→徳島市、昭42.1.1国府村→徳島市、昭42.1.1大麻町→鳴門市)があるのですが、昭和58年度版~昭和60年版には徳島県の欄そのものがないのです。単純な欠落だとは思うのですが…。
これは、平成2年版まで欠落して、平成3年版で何の但し書きもなく復活していました。

■『一宇村史』
「一宇村では昭和47年に「一宇村史」を刊行した」という記述がありました。まさに“謎の4年間”に、です。しかし残念ながらこの図書の所蔵が見つからない。国立県立クラスの図書館系のデータベースにはなかったので、市町村立クラスの図書館のデータベースを引き続き探してみます。
これ、全面的に訂正です。県立クラスでは徳島県立、広島県立、そして東京都立中央に所蔵がありました。私の調べ方が悪かったんです。関係者の方がいらしたらごめんなさい。なお、都道府県のすべては調べていませんので、その点も付け加えておきます。今さら[23772]を直すのはオオゴトなので、フォロー入れときました。また、徳島県内のネットで所蔵検索できる公立図書館では、鳴門市立図書館に所蔵していました。

今日の一番の収穫は↑コレです。週末にでも東京都立中央図書館に行って調べてみます。お楽しみに~。(スナフキんさん、先に読まれますか?)
[23773] 2004年 1月 14日(水)20:23:02TGRS さん
ドリフとテレビと東北と
[23742]ありがたきさん
この時代は、全員集合派(ドリフ派)かひょうきん族派(たけしさんま派)かに分かれていたものですが、
青森県はフジ系のテレビ局がなかったので、ひょうきん族は火曜の8時に放送されていました。なので皆さんが苦しんだような派閥争いはなかったのですよ(笑)。でもウチは祖父が「歌謡パレード(NHK)」を見ていたので、ひょうきん族は見られませんでした。

テレビ局つながりで、
[23737]牛山牛太郎さん
[23746]EMMさん
本社と各施設がバラバラにある局はたぶん他にもあるかも。
途中で移転した例でいけば、新潟総合テレビの放送センターはかつて長岡市にありました。
大学に入った頃、番組開始時に流れる所在地が1局だけ違ったので目を引いた記憶があります。
(もっとも、そのころすでに本社は新潟市にあったらしいのですが、裏が取り切れませんでした)
私、牛山牛太郎さんの回答を見て、「岩手めんこいテレビの本社は水沢市にあったのでは?」と思いました。現在は盛岡市にあるので出題に問題ないのですが、というのは、青森朝日放送の本社が八戸にできるときに、「岩手めんこいテレビが水沢に本社を作ったように、県内に分散させる必要があるのだ」という説明をどこか(新聞?)で見聞きした記憶があるからです。現在は水沢に業務センターがあるようですが、結局まだ裏は取れていません。

[23747]愛比売命さん
歌詞は著作権法上ネットで探すのは難しいかもしれませんね。

[23754]キュッキュさん
DA.CHA.NE NORTH EAST×MAI (仙台弁)
他のユニット名が「○○END×△△」なのに東北は「NORTH EAST」。うまいことやりましたね。当時は第3弾(SO.YA.NAの次)が出たあたりからウンザリして気にもしていなかったのですが…。

ところでみなさん、「○大進学会」ってご存知ですか?
青森市には「東北大進学会」っていう学習塾があります。「東北大・進学会」なのか「東北・大進学会」なのか疑問だったのですが、他にも「東大進学会」とか「名大進学会」とかあるそうなので、やっと解決。これって東北大学の略称が「東北大」だから起こったことなんですよね。初めて見たのが「名大進学会」だったらそんな疑問はわかないはず。「東北」って一文字にしにくいな、というお話でした。ちなみに、特にその大学専門の学習塾というわけではないようです(よくある質問による)。

http://www.shingakukai.co.jp/gakushujuku/ (進学会のホームページ)
http://www.shingakukai.co.jp/gakushujuku/qanda.html (よくある質問)
[23772] 2004年 1月 14日(水)19:55:58【1】TGRS さん
「いっちゅう」その後の調査(1/14)
[23767]スナフキんさん
調べれば調べるほどハマってしまいますねぇ。

本日の調査結果。

■『全国市町村要覧』
年版次よみ(本文)よみ(索引)よみの根拠
昭和38年版いちういちう昭和35年国勢調査
昭和39年版いちういちう昭和35年国勢調査
昭和40年版いちういちう昭和35年国勢調査
昭和42年版いちういちう昭和41年12月各都道府県地方課長宛の回答による
昭和43年版いちういちう昭和42年12月各都道府県地方課長宛の回答による
昭和44年版いっちゅういっちゅう昭和43年12月各都道府県地方課長宛の回答による
  :
昭和51年版いっちゅういっちゅう昭和51年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和52年版いちういっちゅう昭和52年3月各都道府県地方課長あて照会
  :
昭和55年版いちういっちゅう昭和55年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和56年版いっちゅういっちゅう昭和56年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和57年版いちういっちゅう昭和57年3月各都道府県地方課長あて照会
昭和58年版いちういちう昭和58年3月各都道府県地方課長あて照会
  :        (昭和61年版から平成8年版まで未調査)
平成13年版いちういちう各都道府県地方課等への照会(平成13年4月)

一つの可能性として昔は市町村名の字ヅラはともかく、呼び名にまでは厳格さを求めていなかったのではないかというのはあるかもしれません。最近では和歌山県広川町の読みを変更するのでも官報に告示されるほどシビアですが、昔はこと方言や訛りによる音便などを尊重して目をつむる空気が、ひょっとしたらあったのかなとも思えます、
については、昭和53年版から「昭和40年3月29日以降の合併、市・町制施行、名称変更」の一覧のページが設けられており、読みだけの変更の最古のものは「昭43.4.1南幌町 みなみほろ→なんぽろ」とされています。その後、「昭57.4.1佐伯町 さえき→さいき」「昭59.5.1溝口町 みぞくち→みぞぐち」と続きますが、一宇村は市町村要覧の本文上では昭和43年から昭和57年にかけて読みの変更があるにも関わらず記載されていません。

スナフキんさんの手持ち資料の“謎の4年間”は、昭和44年~48年なので、最古の公認読み変更はそれより前になりますが、南幌町はちゃんと手続した、一宇村はしてない、ということになるのでしょうか。もしくは、一宇村のよみはそれまで決めたことがなかったのかもしれません。そして、地元は「いっちゅう」のつもりだったのに県は(県庁といえども地元からすればヨソ者でしょうから)「いちう」と国に報告していた。それが、
古くから呼びなれてきた、輝く伝統をもつ意義ある村名「一宇(いっちゅう)」に誇りをもって村民自らが進んで正しい村名を使うようにしなければなりません。
次代を背負う児童・生徒の教育にあたられる先生方には、特にお願いします。
になったのかな、と、また推測です。

ちょっと逸れますが、不思議なことに、徳島県は昭和40年3月29日以降、3件の合併(昭41.10.1応神村→徳島市、昭42.1.1国府村→徳島市、昭42.1.1大麻町→鳴門市)があるのですが、昭和58年度版~昭和60年版には徳島県の欄そのものがないのです。単純な欠落だとは思うのですが…。(平成9年版では復活しています。この間を調査する楽しみができました)

■『昭和30年~32年調 新編美馬郡郷土誌』(昭32 美馬郡教育会*昭56の復刻版)には、「昔の発音を捨て文字通りイチウと云うように変わりつゝある」と記述。(ということは当時は「いっちゅう」)

■『徳島年鑑』昭和48年版~昭和52年版(徳島新聞社)では、「いちう」。

■『四国の民家と集落一 一宇村』(宮澤智士 昭52 財団法人四国民家博物館)には「一宇村概要」の章に「一宇村は「いっちゅうそん」と読み」と記述されている割には、英文書名が「Traditional Houses and Communities in Ichiu Village, Tokushima Prefecture, Shikoku District」とあっけなく「Ichiu」。ただしこの章に「一宇村では昭和47年に「一宇村史」を刊行した」という記述がありました。まさに“謎の4年間”に、です。しかし残念ながらこの図書の所蔵が見つからない。国立県立クラスの図書館系のデータベースにはなかった(※)ので、市町村立クラスの図書館のデータベースを引き続き探してみます。

*昨日は西暦を主にして書き込みましたが、今日は市町村要覧の年版のこともあるので和暦に統一しました。

※一宇村史の所蔵については東京都立、広島県立、徳島県立の図書館で発見しました。ので、「国立県立クラスの図書館系のデータベースにはなかった」は誤りです。[23805]にて報告します。(この一文を1/15 19:10頃に追加)
[23741] 2004年 1月 13日(火)21:05:07TGRS さん
ちょっと脱線。
[23702]ありがたきさん
本文にまったく関係ないのですが、
ドリフのコント:坂の上のバス停
やっぱりドリフ世代ですね、ありがたきさん。このバス停コント、私は「日のあたる急な坂道」とよんでいましたが、そういえばドリフのコントのタイトルって何が根拠なんでしょうね。私、他に新婚夫婦コントも好きでした。
[23739] 2004年 1月 13日(火)20:09:21【1】TGRS さん
一宇村立第一中学校は「いっちゅういっちゅう」?
[23718]スナフキんさん
徳島県一宇村のナゾ
地形図では、
2.5万地形図1971(昭46) いっちゅう1984(昭59) いちう
5万地形図1971(昭46) いっちゅう1985(昭60) いちう
となっており、それぞれこの間の発行はありません。また、5万地形図は最古の1910(明43)から「いっちゅう」または「いっちゅー」です。スナフキんさんの資料によると、
1969(昭44)年発行の村政要覧の表紙には「いっちゅう」と堂々と書いてあるではありませぬか。
(中略)
にもかかわらず数年後の村政要覧ではあえなくローマ字で「ichiu」と書かれた表紙に乗っ取られ、
とのことで、「数年後」が何年か気になるのですが、この間にホントに何かがあったのでしょうね。

でも古い地図帳を開いたら、『大日本府縣別地圖並地名大鑑』(大日本地理學會編纂,1943)にはあっさり「イチウ」と書かれていたりします。『角川日本地名大辞典』(角川書店,1986)には「地元では「いっちゅう」ともいい」と書かれていました。

地元では古くから「いっちゅう」とよんでいたが、ヨソ者に(例えば地図を作る時に)「いちう」と呼ばれるようになり、でも地元では「いっちゅう」だよというのを地形図の地名調書のよみでアピールしていたが、何かをきっかけに、おそらく出版物などに実績の多い「いちう」にまとめざるを得なかったのかな、と勝手に推測してみました。

ところでこの一宇村、スキー場があるんですね! 行ってみたいなぁ。

*スナフキんさんの引用中、和暦は私が補記しました。
--
訂正履歴 1/13 23:50頃 引用に(中略)を追加。スナフキんさんごめんなさい。
[23738] 2004年 1月 13日(火)19:23:53TGRS さん
崎埼碕岬
[23727]ありがたきさん
「さき」には「崎」「埼」の2つの漢字がありますよね(もしかしたら他にもあるかも?)。この分布と使い分けの基準など、あるのでしょうか?意外にも「埼」の字を使うものが多いので、ちょっと気になりました。漢字の意味的にはほぼ同義のようですが、偏の「山」と「土」の違いが規模や地形の違いなどに因るものなのか、興味のあるところです。
[23735]みかちゅうさん
さらに「碕」と書かれることもあります。
石偏については不明ですが、土偏と山偏については、こんなものを見つけました。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/faq/saki_saki.html
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/ 海上保安庁海洋情報部のページ中、「海の相談室FAQ集」より)

「崎」のつく市区町村名は多いですが、「埼」「碕」はともに1つずつしかないのですね。「岬」は3つ、「木曽岬町」が「さき」というヨミなので、タイトルでは仲間に入れてみました。
[23736] 2004年 1月 13日(火)19:14:21TGRS さん
青函
[23599]オーナー グリグリさん
また、キュッキュさんの自分色登録も完了しました。(中略)いかがでしょうか。とくにTGRSさん。
[23640]キュッキュさん
TGRSさんと似ているようですが,ご批判があれば再検討します。
私は全然問題ありません。私の方が全体的にくすんだ色使いになってますね。ご近所のキュッキュさんと色が似ているというのは逆に光栄です。yamadaさんもご近所で似た色使いですね。

キュッキュさんには上磯・下海岸や方言などでお世話になっています。以前[22097]
私には,津軽弁は喋れません。
と仰られていましたが、通訳できるのはすでに上級者ですよ。ヒアリングの方が難しいんですから(笑)。

今後とも、よろしくお願いします。
[23579] 2004年 1月 9日(金)20:31:23TGRS さん
帰省したばかりなのでつい方言に反応する私
年末は27日から出かけたり帰省したりしていてPC使えず。その間のログを読んでいたらこんな日になってしまいました。みなさま、今年もよろしくお願いします。

いつも話題に乗り遅れがちの私ですが、方言ネタ。TGRS(発音は「つがるしゅー」)としては青森市の状況をお話しないわけにはいきません。

・かたす(片付ける)
通じますが、使わないですねぇ。印象としては「東京っぽい言葉」。この東京は東京都ではなくて「俺ら東京さ行ぐだ」の「東京」です。「木綿のハンカチーフ」の恋人が旅立った都会、みたいな(ニュアンスわかりますか? ちなみにこの書き込み中の「東京」はすべて同義です)。と思ったら、[23543]花の東京都民さんによると青森県上北郡でも使うのですね。他の使用範囲からするとえらい飛び地ですが、気になりますね。確認しておきます。

・かでる(仲間に入れる)
仲間に入れる=かでる、仲間に入る=かだる、と使います。

・ゴミ投げる(ゴミ捨てる)
「転校生が初めての掃除の時間に「ゴミ投げてきて」と言われてホントに投げた、しかも2階の窓から」というのは有名なネタ話。慣れてくると、放り投げるの「投げる」との区別が文脈で判断つくので混乱はありません。

・うるがす(水につけて水を浸透させる)
これ、便利な言葉だと思うんですよ。水に漬けるだけでなく、水を浸透させる。お米を炊くときは水に漬けるだけでなく、水を浸透させてから炊きますよね。それを一言で。あと、食後の食器もうるかしておきます。便利な言葉といえば「書がさらない」。自分の意思や能力とは関係なくボールペンのインクがないので書けないのです。それでもグルグルやってると、僅かなインクが降りてきて「書がさった!」。手が震えて、とか字がわからなくて書けないのは「書がれない」。逆に技術的・能力的に可能なのは「書ぐにいー」。

・まがす(こぼす)
言う言う!

・手袋を履ぐ
東京の人は「する」とか「つける」とか言う方が多いようですね。どーしてもこれだけは譲れなくて、私は東京の人にも「履く(濁点はつかない)」と話しているのですが、やっぱりギョッとされます。「手は前足。靴下は履くんだから手袋も履くの」と説明しますが苦しいですね。

・くだぐ(細かいお金にする)
「お金」は「じぇんこ」なので「じぇんこくだぐ」って言います。

・横はいり(割り込み)
[23539](みかちゅうさん)子供だけではなく大人でも言いますが、大人になると「横はいりするなよ」と言えなくなってくるので使用頻度が減ってくるのではないかと思います。

・へくさい
「カッコ悪くてみっともない」という意味で「へくせー」って言いますね。長音はバカにした感じで。似た言葉に「ダサい」にあある「がふぇー」があります。「見臭い→めぐさい」は、津軽弁では「恥ずかしい」という意味なのですが、南部弁では「見栄えが悪い→醜い→ブス」という意味だそうなので、「南部に行ったらどんな恥ずかしい目にあっても「わいめぐせじゃ(あら恥ずかしいわ)」と言ってはならない」と教わりました。津軽弁の「めぐさい」も「自分が見栄えが悪いから恥ずかしい」って成り立ちなんだと思いますけど。他にも気をつけるべき言葉としては「めやぐだ」。「迷惑だ」が訛っているのですが、「迷惑かけるねぇ」という意味で使うので、贈り物をもらったら「めやくだー」と言うのです。

・カッパする
[23562](牛山牛太郎さん)の「水溜りにはまる」は青森市では「カッパする」と言います。「カッパとった」という人も若干いました。

・しゃべる
[23562](牛山牛太郎さん)あれって津軽特有の言い回しなんですか? 知らなかった…。私、職場は東京23区内なのですが、「言う」の意味での「しゃべる」、気にせず使ってました。周りから指摘も受けず。あらららら。似たようなのに、「あるく」。これもうっかり使いがちです。「比較的近めの距離を移動する」ですかね、「自転車であるく」「バスであるく」。あと「言いふらす」を「しゃべってあるく」と言います。あちこちへ自分から移動して吹聴している姿を想像してください。ちなみに足で歩くのは「あさぐ」。

青森つながりで[23309]牛山牛太郎さん、「割増商品券」、青森市で見たことはありません。特定の商品が安いのではなく、全体的に安くなるのはいい仕組ですね。全国的に流行ればいいんですけど。

最後に(やっと)地名ネタ。
今年初めて地理のことを考えたのは、初詣の帰り(元日になりたての0:10頃)。ふと車のナンバーを見て「青森」ってほぼ左右対称だなぁと。都道府県名でほぼ左右対称なのは、東京、富山、三重、岡山、山口、香川(三重と香川はビミョーかも)。ナンバーだと品川もほぼ左右対称。そういえば年末に伊豆大島に行ったのですが、伊豆諸島のナンバーは、普段見慣れた「品川」なので、なんとなく旅行感半減です。ご当地ナンバーに名乗りをあげればいいのに…。
[22826] 2003年 12月 16日(火)20:25:26TGRS さん
山はしろがね…ではなかった。
週末などを絡めて、北海道にスノーボードに行ってきました。
[22714]白桃さんとはどうやらニアミスのようで、
泊りが登別温泉
の近くの、洞爺湖が見えるスキー場です。
洞爺湖の向こうに見えたのは、昭和新山、そして海の向こうに駒ヶ岳…のようです(地図で確認したのですが自信がない)。海が見えるスキー場はなかなかないので、いい気分ですね。

それにしても今年の北海道は劇的な雪不足で。ここ数年間、12月上旬に北海道に行っているのですが、雪のない新千歳空港は初めてでした。路面に積雪がないため、スキー場へのバスも予定より早めに到着。帰り(スキー場→空港)に至っては、45分も早着しました。おかげさまで空港でゆっくり。逆にスキー場はちょっと悲惨な状況。コースによっては雪原が草原のようだったり、土まじりでサンドスキーのようだったり(やったことありませんが)。私のボードちゃんも傷だらけになって帰京したのでした。

さて、北海道ネタで。
[22723]紅葉橋瑤知朗さん
「古宇郡泊村」と「国後郡泊村」は同じ北海道内ですが、誰も話題にしないのはなぜ?
遅くなりましたが、とてもタイムリーな書き込みをありがとうございます。

先日平成13年版の『全国市町村要覧』を見ていたときのこと。
後半に「市町村関係知識あれこれ」という小ネタ集のページがあるのですが、「漢字1字の市町村」という項目に「泊村(北海道2)」とあったのです。
同一都道府県内の同文字市町村は、一宮町・三和町・東村だけのはず。おやや? と思って調べたら、なんと国後郡に! それは気づかなかった~。
(ちなみに「同字体の市町村」という項目もあるのですが、町村は4ヶ所以上のものだけしか掲載されていないので、泊村(鳥取県にあと1つ)は惜しくも選外でした)

ということがあった日の夜の書き込みだったので、驚いたのなんのって。地理雑学本でも目にしないほど、北方四島の扱いって、微妙なんですね。

ところで旅行中は携帯電話で落書き帳を閲覧しておりました。[21869]EMMさん、情報ありがとうございます。
[22678] 2003年 12月 10日(水)21:50:23TGRS さん
帰属未定地(主に鷹島・津倉瀬)
[22460]hmtさん
[22560]オーナー グリグリさん
[22569]hmtさん
[22592]オーナー グリグリさん
『日本の島事典』(三交社1995)では、hmtさんのとおり、南方四島は我が国では唯一どこの市町村にも帰属していない地域、とされています。なぜこう判断されているのか、考えてみました。

グリグリさんが挙げられている
それでも面積推定を行っていない陸地部分の境界未定地は、[21667]で示したとおり、以下の6カ所(東京都は2カ所)があります
のうち、埋立地は島とはみなさないと思うので(「島」の定義とは?という疑問はこの際おいておきます)除外すると、3か所が残ります。
 ・東京都 南方四島
 ・三重県 紀伊長島町及び海山町入会地(大島等の島嶼)
 ・鹿児島県 鷹島および津倉瀬
『日本の島事典』にはその島の所属する自治体名が記載されているのですが、それによると
 ・南方四島 と、鯱岩(しゃちいわ)・長根(ながね)・三石(みついし)
   …八丈支庁管内
 ・大島等の島嶼(この図書中では大島・木生島・平瀬島)
   …紀伊長島町(「海山町入会地(平瀬島は紀勢町入会地)」の旨注記あり)
 ・鷹島・津倉瀬
   …笠沙町
とされています。

『日本の島事典』には「自治体名は『1992離島統計年報』などによる」と書かれていたのですが、『離島統計年報』は有人島だけを対象とした統計なので、これらの島は非掲載でした。

次に、『日本の島事典』で取り上げた島嶼は『日本島嶼一覧(改訂版)』(日本離島センター1982)を元にしている、という記述があったのですが、これによると、大島・木生島・平瀬島は紀伊長島町の、鷹島・津倉瀬は笠沙町の所属であるとされています。

おそらく、『日本の島事典』が南方四島を我が国唯一の所属未定地域としているのは、これが根拠ではないかと思います。

ちなみに、『日本島嶼一覧』を参考にしたと思われる『島嶼大事典』(日外アソシエーツ1991)には、鷹島・津倉瀬が各2つずつあります。笠沙町の鷹島・津倉瀬は宇治群島に属するもの、下甑村の鷹島・津倉瀬は甑島列島に属するもの、とされています。大島があちこちにあるように([22525]みかちゅうさん)同じ名前の島や岩礁もたくさんありますから、2つあることが間違いである、という断定は今のところできません。笠沙町の津倉瀬は「つくらんせ」、下甑島の津倉瀬は「つくらせ」という読みがふられていましたし。

今回この2つの島の存在を初めて知ったのですが、こんなところに島があるとは知りませんでした。
国土地理院の地形図閲覧サービス( http://mapbrowse.gsi.go.jp/)では、1:25000の地形図が閲覧できますが、これだと分図扱いになっているものの位置図がないので、“こんなところ加減”がわかりにくいかと思います。1:200000地勢図だと簡単にわかるのですが…。

それぞれの島嶼に対応する地形図・地勢図の図名は以下のとおりです。気になった方はぜひご覧ください。
 鷹島津倉瀬
 1:25000手打宇治群島
 1:50000手打薩摩黒島
 1:200000甑島黒島

ところで、大島等の島嶼も、鷹島・津倉瀬も、本当は「所属未定」が正しいのだと思います。とはいえ、地形図の注記にも書いてあるのですが「~等の島嶼」ってのも意外と曖昧ですね。


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