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たけもとさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[1719]2002年6月2日
たけもと
[1714]2002年6月2日
たけもと
[1707]2002年6月1日
たけもと
[1704]2002年6月1日
たけもと
[1678]2002年5月31日
たけもと
[1662]2002年5月29日
たけもと
[1634]2002年5月25日
たけもと
[1633]2002年5月25日
たけもと
[1625]2002年5月25日
たけもと
[1606]2002年5月24日
たけもと

[1719] 2002年 6月 2日(日)23:44:50たけもと さん
三条/五條
>三条市のHPによると,三条の基礎を築いた人の愛称「三条左衛門」にちなむ
>地名だということのようですが,どんな基礎を築いたかは書いてないんですね。

宮様について京都の三条から入植したといわれている人物ですよね。
槻田村に城を築き、人々を治めた、と。この地がのちに三条と呼ばれるようになると。

>五條市についても,ちょっと留保しておいたほうがいいような気が。
>あのあたり条里制が布けるほど広くないですね。「五条」まで行くんだろうか。
>確認が必要ですねぇ。

井上内親王の呪い、で有名な御霊(ごりょう)神社の転訛語ともいわれてますね。
[1714] 2002年 6月 2日(日)18:37:10たけもと さん
移転など
毎週恒例(うそ)の移転やらなにやらです。

http://www.capa.ne.jp/imabetu/
http://town-yamada.jp/
http://www.town.hikami.hyogo.jp/
http://www.town-hino.com/
http://www.krnet.ne.jp/sumoto/
http://www.town.motoyama.kochi.jp/
http://www.town.haruno.kochi.jp/
http://www.town-hasaki.jp/

予告です。
http://www.city.imabari.ehime.jp/

こんなのもあります。
http://www.town.kikugawa.yamaguchi.jp/

これもきちんと更新されているようです。
http://www.town.esashi.hokkaido.jp/

http://www.kumagera.ne.jp/kamiko/
http://www.kumagera.ne.jp/ani/
この二つは以前却下されてますが、同じような鷹巣町は採用されているので入れますか?

※投稿ランキングが変です。
[1707] 2002年 6月 1日(土)18:51:54たけもと さん
北条
[1697]
> また戦国大名といえば岡山県の井原鉄道の駅にも戦国大名、北条早雲の生誕地にちなみ
>「早雲の里荏原」という駅名がありますが、北条早雲が流浪の末に小田原の領主に
>なったのは知っていたのですが、まさか岡山の出身とは知りませんでした。

一般に後北条氏と呼ばれる北条早雲一族ですが、早雲はもとは伊勢新九郎長氏といって
鎌倉北条氏とは関係無く、伊勢氏であることまでは分かっています。

じゃあその伊勢新九郎長氏が関東に出てくるまでなにをしていたのか。
これには諸説があって、よくわかっていません。

一説に、伊勢から伊勢行長という人物が備中国後月郡荏原村に入部し、
その子孫である長氏が地元を離れ諸国を流浪し、駿河の今川氏に仕え、
のちに勢力を拡大して伊豆を領した云々・・という話が伝わっています。
この岡山の伊勢氏というのは伊勢平氏の一族だそうですが、伊勢新九郎長氏が
ここの出身であるという確証は極めて薄いとされています。

まあ、ようは
>こういう「謂われの地」のというのは得てして地元の人間を巻き込んだバトルに
>発展するので、白黒つけずにそっとしておきましょう(^^;;)。
ということですね。
[1704] 2002年 6月 1日(土)18:31:33たけもと さん
毛利
>>毛利氏が安芸の戦国大名だと知らない人も多いのではないかな。
>私は毛利氏の沿革に付いては不勉強なのですが、数年前のNHK大河ドラマの手前、
>厳島神社に象徴される安芸国=毛利氏と云う図式の印象は、強いのではないかなと
>感じて居ました。

いやあ、いくらなんでも「毛利」における安芸の印象が萩以下ということは
無いと思いますが・・。

私も毛利といえば安芸の戦国大名です。
というよりも山口や萩は幕末の長州藩の印象はあるにせよ、
毛利という大名家の印象は非常に薄いです。

もっとも私は一時期神奈川県厚木市の近くに住んでいたことがあるので
相模国愛甲郡毛利庄のイメージが実は一番強いのですが。(^^;)

>他方、何時頃の話か、徳山も毛利氏の城下町だったそうですね。

本家萩から寛永年間に下松4万5千石を分知された後、徳山へ居所を移し、
途中空白期間がありましたが、明治まで藩はありました。
たしか最後の藩主は戊辰戦争で指揮をとったはず・・。

長府、清末も毛利の城下町(といっても城はない)でした。
[1678] 2002年 5月 31日(金)20:25:27たけもと さん
Re: ???
看過できないので・・・。
>あなたの書き込みは、私には何の事かさっぱり分かりません。
>あなたがもう少しやさしい語句を使う事を望んでいたのに、どうしてなのでしょうか?
この落書き帳はあなたのためだけにあるのではありませんよ。
自分が理解できないからといって人の表現方法にけちをつけるのはどうかと思います。
少なくとも理解できないほど難解な文章では決してないと思いますよ。
[1662] 2002年 5月 29日(水)22:19:18たけもと さん
部分廃止
部分廃止というのが全線廃止に比べてやりやすくなった方が良いのかもしれません。
#廃止なんてないに越したことはないのですが。

かつては部分廃止という選択肢はまれで、廃止すべきでないところも道連れで廃止に
なるか、廃止もやむなしのところも廃止されない、なんてこともよくありました。

これはかつて国鉄時代は線名単位で収支係数を算出していたためで、国鉄再建の際に、
機械的に適用され、上記のような不具合をさまざまなところで引き起こしました。

たとえば兵庫県西脇市の重要な足だった鍛冶屋線の野村-西脇間は接続元の加古川線
より運行本数は多いほどでしたが、先端部が閑散区間で赤字がひどいためにまきぞえ
をくって全線廃止。

逆に、函館本線の支線というだけで上砂川支線は超閑散区間でしたが長いこと廃止さ
れずに残っていました。

こういうこともあるので、部分廃止という選択肢をもっと適用しやすくにすべきで
しょうね。
[1634] 2002年 5月 25日(土)22:35:24たけもと さん
移転など
[1633] 2002年 5月 25日(土)22:13:46たけもと さん
Re: 武田氏
[1627]
>そう云えば、水戸市見川の辺りに「武田耕雲斎の墓」なる標識も在りましたが、
>此れも何か関連先でしょうか?

おお、そういえば彼も水戸でしたね。
一門の小笠原流跡部氏らしいです。何時かは知りませんが嘗ての武田に戻したのだとか。

>出羽国に後年、佐竹公が国替えを命じられたと云うのも何か縁の在る話ですね。

秋田へ国替えとなった佐竹公が水戸中の美人を連れて行ってしまった。
そのために秋田には美人が多く、水戸は(以下自粛)。そんな洒落がありましたね。

[1628]
>義光流では佐竹,武田・平賀の3グループが成長する(「平賀」ってどこ?
>信州・佐久の平賀(佐久市)だったかな?)

佐竹の出自は常陸国久慈郡佐竹郷、平賀の出自は信濃国佐久郡平賀邑です。
[1625] 2002年 5月 25日(土)15:26:18たけもと さん
武田
>先日、茨城県ひたちなか市を移動中に、武田地区で「甲斐武田氏発祥の地」なる
>石碑を見掛けました。常陸国と武田氏との関係に付いては全く聞いた事が無く、
>この碑文はどう読み取る可きものでしょうか?

Issieさんではありませんが、私の知る限り。

八幡太郎源義家の弟の新羅三郎義光の子である刑部三郎義清が、常陸国那珂郡
武田郷に居て、武田冠者と称したのがいわれであると。
子の清光が罪を得て父子ともども甲斐の市河庄へ配流され、子孫はそのまま
甲斐の人となった、という説に基づいているのでしょう。

ただ、初代義清は島流しで甲斐に行ったのではなくて、初めから甲斐に領地を
与えられて住んでいたのだ、という説の方が有力みたいなのでなんとも。

こういう「謂われの地」のというのは得てして地元の人間を巻き込んだバトルに
発展するので、白黒つけずにそっとしておきましょう(^^;;)。
[1606] 2002年 5月 24日(金)23:27:02たけもと さん
デッドリンク
やっと一週間が終わりました。というわけでデッドリンクです。

福島県大信村、千葉県野栄町、広島県芸北町、熊本県河浦町、宮崎県五ヶ瀬町


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