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三丁目さんの記事が10件見つかりました

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[16412] 2003年 6月 7日(土)14:31:16三丁目 さん
お礼、をお伝えしたかった書込みです。
[16374]まがみさん、[16385]uttさん、クロソイド曲線について、ありがとうございました。

また、私の妙な質問に、[16398]雑魚さん
>アングラでは(鉄道直線最長区間について)どこか別の路線があるのですか?
うーん、ちょっと該当しそうな区間は思いつきませんね。
ご丁寧に、ありがとうございました。青葉駅についての記述が抜けているのだけ、ちょっと気にかかりましたけれど、お手持ちの文献がちょっと古めなのかしらん。苫小牧西高の生徒のためにつくられた、後から取ってつけられたように造った駅(確かホームだけ)ですから、線路形状には、影響がなかったのでは、と思ったのですけれどね。

[16383]スナフキんさん
鉄道直線最長区間ですが、(中略)「測量上の敷地中心線が一直線である」ことから直線最長区間であるとされているもののようです。
基準がよくわかりました。さっそく、我が地理アドバイザーには、休み明けに、職場からメールで、教えてあげようと思いました。
[16373] 2003年 6月 6日(金)21:11:09【2】三丁目 さん
「適当」という単語を、良い意味で使いたいレス
[16134]まがみさん
>JR東日本の図が北方へ長い
Suicaの使える範囲とだいたい一致しています。
かつて、Suicaが導入された当初は、ドコソコの駅では使えます、とか、使える範囲が広がりました、とか車内広告をよく見かけたものでしたが、最近は、スッカリ見ておりませんでした。Suicaのことは、スッカリ忘れておりましたがな。

[16370]雑魚さん
>そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。
公式にはその様に聞きますが、駅構内の ポイントに伴う僅かな スライドまで考慮すると、少々 「?」 気味ですね。
ということは、アングラではどこか別の路線があるのですか?
[16368] 2003年 6月 6日(金)19:41:25【2】三丁目 さん
Re:国道五号線、の続き
ところで、道路関係をいろいろと見ているうちに、直線道路(北海道大百科事典)についての記述が目にとまりました。
北海道に多い直線道路の中で、日本一長いのが国道12号の美唄市光珠内跨線橋から砂川市空知太橋の間27.7kmの道路。これを上回る直線道路を造ろうとしても、地形や土地利用状況などから困難であること、直線道路はドライバーにとって単調であり、クロソイド曲線などの連続的な曲線道路が望ましいことから、可能性は少ない。
と、ありました。「クロソイド曲線」の専門的な意味はよくわかりませんでしたが、安全に高速運転するための理想的な曲線、という感じでしょうか。「数学的に滑らかでも、人間的には滑らかではない」という記述を見つけましたから、何やら、黄金比みたいなものかも、とも思いましたが。
この、直線道路の話を我が地理アドバイザーに紹介したら、そういえば、鉄道の日本最長直線区間は、室蘭本線の苫小牧?~白老?だったっけ、てな話になりました。いかんせん、私たち、鉄分不足なものですから。
[16367] 2003年 6月 6日(金)19:41:10三丁目 さん
Re:国道五号線
[16067]雑魚さん
ところで、国道の経路を考えると、(中略) 函館と札幌を結ぶ 5号線の経路選定については、その必然性において少々微妙なものを感じます。(中略)鉄道基準で見た場合、(以下、省略)
国道5号線は、道内唯一の1ケタ国道であり、函館~小樽~札幌と、最も早くから区制が施行された三都をつなぐ主要な道路ですから、ご興味を持たれるだろうな、と思います。でも、私自身は、初めての北海道旅行の時の、片道1回しか通ったことがありませんねぇ。なぜなら、函館から札幌へ一般国道で向かう場合、国道5号線~長万部町~37号線~豊浦町~230号線、が現在の最短ルートだからです。難しかった中山峠越えも、近代土木技術(定山渓トンネルより札幌側の無意根大橋、渓明大橋等)によって、通行が容易になりましたから、ね。

なお、我が地理アドバイザーからは「鉄道だと、山ルートは登りが厳しく、それに伴いカーブもきついことからスピードが極度に落ちるけれど、自動車だとその影響は小さく、狩勝峠よりも険しい日勝峠の方が短時間で着けるように、距離最短が第一だと思われます」とのコメントをもらいました。私は思いつかなかった話でしたが、ナルホドと納得しました。

ということで、以下は北海道道路史(参考文献も同名)になってしまいますから、もしなんであれば、飛ばしてくださいな。鉄道には、少~しだけふれます。

函館から札幌への陸路は、1870年(明治3年)から翌年にかけて開削された、本願寺街道が、開拓最初期の道路です。このときのルートは、軍川(七飯町)から砂原6里半(25.5km)の道路を開通させ、海(内浦湾)を渡って長流(伊達市)から、壮瞥、尻別(喜茂別町)、定山渓を経て平岸(札幌市)に至る26里10町(103.2km)です。現在の国道230号線に近いルートなのですが、厳密に言えば、230号線の起点が虻田又は豊浦なのに対して、本願寺街道は伊達を出発点として、洞爺湖を東回りで留寿都村に上っています。また、札幌市内を石山から豊平川左岸、石山通りが230号線ですが、本願寺街道は豊平川を渡らず真駒内を通って平岸に着いているあたりが異なります。

次に着手されたルートが、札幌本道です。初めは本願寺街道ルートと同様に考えられていましたが、変更されました。函館から森に出て、森から内浦湾を船で渡ってトキカラモイ(室蘭市海岸町)に上り、そこから苫細(苫小牧)を経て札幌・豊平橋に至るルートをとることとなりました。1873年(明治6年)に竣工し、幅員44尺(13.3m)ないし22尺(6.7m)の西洋式馬車道が完成しました。もう少し詳細にルートを記述すると、函館~亀田~峠下~森~(内浦湾)~室蘭港~登別~苫小牧~千歳~札幌、となります。

1885年(明治18年)の内務省告示によって、全国で44の国道が指定され、
6号「東京ヨリ函館港ニ達スル路線:東京~宇都宮~郡山~仙台~盛岡~青森~函館港」
42号「東京ヨリ札幌県ニ達スル路線:東京~6号・函館港~七飯~森~室蘭港~苫小牧~千歳~島松~札幌」
となりました。大雑把に言うと、現在の国道5号線~(内浦湾)~36号線という感じですね。

その後、札幌本道以外の道路も開削が進められ、1888年(明治21年)から森~長万部の道路工事に着手し、1894年(明治27年)頃までに礼文華山道(長万部~虻田)の改良が行われました。また、札幌~定山渓~虻田の旧本願寺街道も、1894年(明治27年)に改良・開通しています。しかし、車が未発達の時代にあっては、内浦湾の交通による船の方が速くて安価だったために、道路はあまり利用されず、1904年(明治37年)の小樽~函館間、1914年(大正3年)の伊達~長万部間の鉄道開通以降は、陸上輸送の主役は鉄道に譲ることとなりました。

なお、1907年(明治40年)内務省告示により国道が改正されて、
42号「東京ヨリ北海道庁ニ達スル路線:東京~6号・函館~森~長万部~蕨岱~倶知安~小沢~小樽~札幌」
43号「東京ヨリ第七師団ニ達スル路線:東京~6号・青森~室蘭~植苗~早来~追分~岩見沢~滝川~神居古潭~旭川」
と、この時に、現・国道5号線の全ルートが、主要国道として登場しました。

1918年(大正7年)に旧道路法が成立し、1920年(大正9年)の内務省告示で国道が指定されました。
4号「東京市ヨリ北海道庁所在地ニ達スル路線:東京~青森~函館~森~長万部~倶知安~小樽~札幌(北3条西5丁目)」
27号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(甲):東京~4号~札幌(北1条西4丁目)~岩見沢~旭川(4条通7丁目)」
28号「東京市ヨリ第七師団司令部所在地ニ達スル路線(乙):東京~4号・青森~室蘭~苫小牧~栗沢~岩見沢・27号」
と、この段階でも、まだ長万部~室蘭間のルートは主要国道としての要件を満たしていなかったようですね。

1952年(昭和27年)の道路法改正により、多くの幹線道路が国道に昇格し、一級国道、二級国道が指定され、北海道での一級国道は、以下の8路線でした。(注)
(1)札幌~余市~倶知安~長万部~八雲~森~函館
(2)札幌~岩見沢~滝川~旭川
(3)室蘭~苫小牧~早来~岩見沢
(4)旭川~名寄~音威子府~天塩~稚内
(5)滝川~富良野~狩勝峠~帯広~釧路~根室
(6)旭川~上川~白滝~遠軽~留辺蕊~北見~美幌~弟子屈~別海~根室市厚床
(7)長万部~虻田~室蘭
(8)札幌~千歳~苫小牧市植苗

その後、主要幹線の拡幅・舗装改良が進められ、1955年(昭和30年)札幌~小樽間、1961年(同36年)に現・国道36号線全線、1967年(同42年)に国道37号線の舗装、1970年(同45年)には国道5号線全線が舗装されました。

また、冬季は雪崩の危険から通行途絶となることが多かった、国道5号線の小沢~仁木間の稲穂峠は、1962年(昭和37年)に稲穂トンネルが開通、1965年(同40年)までに改良、舗装完成し、走行性が飛躍的に向上しました。これと並行して、1965年(同40年)に、礼文華峠のトンネルが開通したことで、国道37号線ルートもかつての難所が克服され、高速走行が可能となっています。

一方、二級国道だった札幌~虻田間の現・国道230号線は、1957年(昭和32年)から改良、舗装工事が行われ、最大の難所である中山峠は、大規模な橋が連なる近代的な道路(先述のとおりです)に生まれ変わり、1969年(同44年)に完成しました。これによって、札幌から函館への自動車ルートは、この国道230号線経由が距離、時間ともに最短となり、主役の座を奪うことになったのでした。ちなみに、現在の豊浦町から北へ行くルートは、かつては国道230号線ではなかったのですが、有珠山の噴火に伴い寸断された経路の迂回ルートとして、設定されました。もともと道道だった時代から、函館~札幌の近道として使われていました。

5号線なのか、37・36号線なのか、じゃなくなってしまいましたね。スイマセン。鉄道ルートは、小樽の地位低下を考えると、室蘭・苫小牧・千歳回りが経済的に、優先されるのでしょうね。特に、千歳空港駅(現・南千歳駅)の開業(1980年)と石勝線開通(1981年)が、決定的だったと思われます。

注:現在の国道と一致するのは、(1)=5号、(2)=12号、(4)=40号、(5)=38号+44号、(7)=37号だけで、(3)は室蘭~苫小牧が36号の一部+苫小牧~岩見沢が234号、(6)は旭川~上川が39号+上川~留辺蘂が273号と333号と242号+留辺蘂~美幌が39号+美幌~根室が243号、(8)は36号の一部です。
さらに留意点としては、国道39号の上川~留辺蘂の区間は、現在の石北峠ではなくて、鉄道と同じ北見峠ルートだったことです。また、苫小牧から早来までの区間は、現在の沼ノ端ではなく、植苗が分岐点だったことが、異なっています。
[16341] 2003年 6月 5日(木)22:00:59三丁目 さん
両毛人さんと、雑魚さんへ
一昨日はアーカイブが読めなかったために、本日、新着テーマ「地形図」に親しもう!を見たところ、私の書込みが採用されていたので、ビックリしました。もしかして、国土地理院HPを紹介していることが、採用して頂いた理由なのでしょうか?実は、ワタクシこの件については、オーナーグリグリさんに対して申し訳なく思っていたのです。1ヶ月くらい前に何気なく、都道府県市区町村 http://uub.jp/index.html を下の方までジックリ見ていたら、参考HPとして、国土地理院をリンクされていたのですね。普段は「サイトマップ」又は「落書き帳」をすぐクリックしてしまうから、見落としておりました。
さも自分が見つけたかのように書いてしまいましたから、いかにオーナーグリグリさんのHPをちゃんと見ていなかったことかと、反省しておりました。ハァ。

雑魚さん、メンバー紹介の更新、ありがとうございました。また、雑誌?の件、私は不興には感じておりませんので、どうぞご心配なく。それと、貴書込み[16067]から2つほど思いつき、現在、我が地理アドバイザーと情報交換しているところでした。あ。ところでナンバー176のナゾ解きは、いつして頂けるのでしょうか?興味津々なのですけど。
[16340] 2003年 6月 5日(木)22:00:45【2】三丁目 さん
uttさんからの預かりもの
[14259]uttさん
○大樹の無念・・・やはり雪印のイメージが。。。今はどうなっているのだろうか??
大樹町は、広大な十勝平野の南部一帯を占める。夏は海霧がかかりやすく、冬は寒さが厳しい気象条件のため開拓の初期から酪農経営の基盤づくりが進められた。第二次世界大戦中は軍馬の生産地として知られた。戦後は1964年(昭和39年)と1966年の2度の大冷害をきっかけに、豆中心の農業から酪農への転換がはかられた。(以上の記述は、「北海道大百科事典」北海道新聞社1981年発行からです。)

なぜ酪農が中心なのだろう?と思っていましたから、やっと関連する記述を見つけました。後は、我が地理アドバイザーからのコメントから、極秘ルート情報等を除いたために、原文を半分くらいにカットしましたけど、ほとんど雪印ネタですね。

酪農を基幹産業とする道東地域(十勝・釧路・根室地方)では、生乳を集荷する加工工場が各地に点在しており、最大手の雪印乳業は、大樹町、標茶町、中標津町、別海町で工場を操業しています。

同社大阪工場製品により発生した食中毒事件で、大樹工場から出荷された脱脂粉乳が、原料だったことが、警察の原因究明捜査で大きくクローズアップされ、地元では工場存亡の危機かと不安がられました。

しかし、道東の雪印乳業工場は、全て以前のまま操業しているようです。生産減による多少の人員削減はあったでしょうが、地域経済に大きな打撃を与えるほどの、工場縮小問題には、幸いにしてなっていません。

大樹工場は、チーズ製造が主力のようで、ワインブームによって好調な生産を続けているように見受けられますから、ご心配ご無用かと思われます。

[16332]uttさん
全て、きちんと調べてリリースするあたり、本当に頭が下がります。
たいしたことは、しとらんとですたい。この程度でごわす(苦笑)。それに、地理アドバイザーもアッシも、お互いに好きでしとうけぇねぇ。実は、アドバイザーからはuttさんが書き込まれてから、早々に回答をもらっていたのですが、私としては、冒頭の3行の記述がほしかったのです。大樹町HPはつまらないし、角川地名辞典の記述もワタクシ的には全然面白くなかったから、北海道大百科事典が届くのを楽しみにしていました。決して、調べるのに手間取ったわけではなかったのです。したっけ、待った甲斐があったべさぁ。これでおもろうなかったら、ガックシやったけんね。気が向いたので、いろいろ転調?してみました。西日本がほとんどだったかな?
[16300] 2003年 6月 2日(月)19:57:29【3】三丁目 さん
お礼、と諸々に(さ~んぴゃくね~んを、お~いおもえ~)
オーナーグリグリさん、どうもありがとうございました。書込みを直して下さったのですね。感謝です。アーカイブテーマ「いざ対決!ライバル都市」が更新されていたから、たぶんTACOさんの書込みが採用されたのだろうなぁと思い、何気なく覗いて気づきました。お手数おかけしましたことを、お詫び申し上げます。

[16263]Issieさん
>ウラジ「東方を」オストーク「征服する」
これは逆で,ヴラディ(征服せよ)+ ヴォストーク(東方を)という意味ですね。(中略)
同趣旨の地名として,カフカス(コーカサス)地方に ヴラディカフカス Vladikavkaz というのがあります。「カフカスを征服せよ」という意味になりますね。
[16279]ニジェガロージェッツさん
反響にお答えして、また続編を書かして頂きます。(中略)
「ヴォストーチヌイ(Восточный)」は形容詞で「東の」、一方の「ボストーク(Восток)」は名詞で「東」。この違いですね。
お二方のお話、とても面白かったです。ありがとうございました。それにしても、
現代のロシア人にとってそれほど露骨な都市名ではないようです。
帝政ロシアは、随分いろいろな地名をつけたものですね。でも、現代では露骨な都市名とは感じられないということは、もうすでに「音」として定着しているから、意味を考えないためでしょうかねぇ。とはいえ、私の記憶もいいかげんなものだ、と最近やっと気づきました。以後、気をつけます

[16297]両毛人さん
たぶん、私のことだと思うのですが、ナンカ、アリマシタッケ?よくわかりませんですのよ。

さて、メンバー紹介の件で、[16261]雑魚さんへのお願い、です。
ご紹介頂いている記述だと、私は今も道内居住中であるかのような印象を与えるかもしれませんね。北海道へ行ったものの、現在は首都圏在住ですから、そのあたりを、よしなにふれて頂けると嬉しいです。[14287]でるでるさんからは「謎?の地理アドバイザー」とのコメントも頂いていますから、敬意を表して、私の紹介文中に登場してもらってもいいのかもしれません。
なお、私の道内ネタは、自身の記憶と、ネット検索(特に市町村の公式HP)・図書館での調べモノと、地図と、我が地理アドバイザーとの意見交換(道内の図書館で調べたりしてくれている件もあります)の4本柱で99%書いているところです。だから、[16209][16244]で、苫小牧の川の記述に自信がないにもかかわらず、現地確認ができないのであります。一応、地理アドバイザーに聞いてみたら「苫小牧に夜景の名所なんてあったの?」なんて返事が返ってきました。2人とも最初の赴任地が苫小牧と一緒だったのですけれど、事務所も寮も別でしたから、人脈が違うこともあり、知らなくて当たり前かもしれません。決して名所ではなく、「苫小牧の」夜景が見える場所、くらいに理解して頂ければ、と。
とはいえ、どうやら今度の人事異動で勤務地が変わるみたいです。そうなると、今までのような執筆活動をする余裕がなくなりそうなので、疎筆のご挨拶をすることになるかもしれません。
と、ちょっと暗いトーンで書き始めたところ、雑魚さんのページをつい先ほど見て、ビックリしました。連載開始「北の防人」エッ???でした。「uttさんからの預かりもの」編を含め、道内ネタの未定稿は残り4つほど、と、そろそろまたネタに尽きてきたのです。。得意な、胆振・日高地方ばっかり書いててもねぇ、という感じなので雑魚さん、連載が続けられるように、何かございませんでしょうか?先般の太白さん、uttさんのように賜れれば、と。なお、uttさんからの預かりものについては、今週リリースする予定です。
それにしても「鉄人176号」には、大笑いしてしまいました(まがみさん、スイマセン)。176といえば国道のことでしょうか?私は神戸から海水浴に行ったのは、須磨ではなくて、なぜか丹後由良(京都北部)ばかりでして、そのときに通った国道が176号線だったから、思い出しましたが。でも、まがみさんとは関係なさそうですね(*^-^*)。

[16290]太白さん
面白いネタなどあれば、旅先から書き込むかも知れません。
最近ご無沙汰でしたから、どうされたのかと思っていました。旅をしていると、いろいろと面白いことを目にされるでしょうね。楽しみにしていますよ。

[13377]special-weekさんの
ネーミングライツ!
をきっかけに[13805]Zzzさん、[13912]太白さん、[13920]Zzzさん、としばらく続きましたが、ちょうどその頃(今から1ヶ月以上前)、職場の社内報に「サッカーのワールドカップの決勝戦の舞台となった横浜国際総合競技場の名称に、来年度からネーミングライツ(命名権)が導入されることになった」という記事が載っていました。なかなか裏が取れなくて困っていたのですが、やっと新聞記事になりましたから、ご紹介します。

5月31日(土)付日本経済新聞朝刊から(一部記述が重なりますが)
横浜市はサッカーのワールドカップの決勝戦会場となった横浜国際総合競技場へネーミングライツ(施設命名権)の導入を決めた。(中略)
募集要項によると、契約金額は年5億円程度で、期間は5年以上。(中略)
市は同競技場以外の公共施設へのネーミングライツ導入も検討していく。
日本語の訳としては、ただの「命名権」が妥当と思いますから、「施設」を付けるのは意訳しすぎかな?という気がしなくもありませんが、天下の日経がそう書くんだから、まぁ、そういうこと、てな感じでしょうか。
[16262] 2003年 6月 1日(日)17:25:29【1】三丁目 さん
Re:露国都市名考
[16251]ニジェガロージェッツさん
たいへん興味深いお話、ありがとうございました。ボリショイ・サーカスとはそういう意味だったのかぁ、と初めて理解しました。
さて、実は私は、世界史の授業で習った、ウラジオストク(地名の記述by帝国書院の地図帳,1995)の地名の由来が、強烈に印象に残っています。ウラジ「東方を」オストーク「征服する」と大変物騒な地名で、帝政ロシアが東方進出するための基地として築いた街だ、その野心を満々に表した地名だ、と教わった記憶があります。(南下政策=トルコ等への進出・圧迫とともに、東方進出により不凍港を獲得することが、ロシアの悲願だった。)

ご紹介頂いた一覧を拝見すると、ウラジオストクが、例の中になかったものですから、
ヴォストーチヌイ Восточный ヴォストーチノ Восточно 東の
で、「東の」と、「東方を」では単語が異なるのでしょうか?ロシア語を勉強したことが、全くないことからの質問で恐縮なのですが、ご教示頂けると幸いです。
[16250] 2003年 6月 1日(日)11:31:13【2】三丁目 さん
も~りのみ~やことぉ、ほぉ~こらえ~し~
タイトルを「北海道大百科事典から」、とするつもりだったのですが、[16247]だんなさんのタイトルを受けて、急遽変更しました。(オーナーグリグリさんとだんなさん以外には、なんのことやらサッパリお分かりにならないでしょうが、失礼いたしました)

朝、雨が小降りのうちに近所の図書館へ行ってきました。いきなりリクエストしていた北海道大百科事典が都立図書館から届いており、その厚さ・重さを見てゲッ(冷汗)・・・と思いましたが、汗をかきかき持って帰ってきました。(左腕が既に筋肉痛です。)
北海道にゆかりの人物も記述されていましたから(例えば作家の有島武郎など)、井上靖([15745]NSさん、[15803] OguriCapさん)もあるのかと思って探したところ、載っていませんでした。サビシー。。。

余計なお世話ではありますが、紅葉橋瑤知朗さんにおかれましても、この本は大変参考になると思いましたよ(笑)。1981年(昭和56年)発行といささか古めなために、数字データ等は自分で補足する必要があるにしても、記述自体は、私にとっては大変興味深かったです。例えば室蘭については「明治の半ばころまでは、室蘭と書いても、それをモロランと呼んでいたのだが、字に引かれて、いつか「むろらん」になってしまった」等、はとても面白かったです。

道内で行ったことがある図書館と言えば、室蘭市立図書館、登別市立図書館、白老町立図書館、苫小牧市立図書館、千歳市立図書館、札幌市立中央図書館、江別の道立図書館くらいなのですが、当時はこういう類の本に目を通すことなく、自分が興味を持っていた本を読むか、寝ているか、どちらかでしたけどね。最近は「居眠りお断り」と貼り出している図書館を目にしましたが、私の行いが悪かったからでしょうか?1回だけですが、開館から閉館まで、途中昼食をとったものの、ズ~ット寝ていたことがありました(汗)。

[16201]NSさん
>16100~16199を見たときに、一番最初に表示されるのは16199ですから、旭川観光紹介がアピールできるかな。
流石、心憎いですね。
単なる思い付きだったのですけど。。。キリ番を狙うのは難しそうだから、こういうのもアリかな、程度でして。過分な、お言葉に恐縮する次第であります。

なお、表記タイトルは金沢市立泉中学校の校歌の一節なのですが、これにより、私は「もりのみやこ」という単語を知りました。金沢のことを杜の都というのかぁ、と理解したのですが、後年(高校生くらいのとき?)、世間一般では「もりのみやこ」と言うと、仙台を指すことも知りました。
[16244] 2003年 6月 1日(日)07:14:47【1】三丁目 さん
1年ほど前のレスなど
[1925]雑魚さん
形式の上では、東京教育大は一旦解散して、現在地に新設した事になる様です。
元々が教育関係ですから、医学部等の理科系は事実上新設だった訳ですね。
かねてから、東京「教育」大学が、移転したらなぜ、「総合」大学である新生筑波大学になったのだろうと疑問に思っていました。[4993]Issieさんが官立旧制高等教育機関を一覧で紹介されておられたことと、東京教育大学で調べたことで、やっと理由がわかりました。旧制の、東京高等師範学校と東京文理科大学等が統合されて東京教育大学になったからなわけですが、
「東京教育大学」を支持する高師、農専、体専側と、それでは教員養成のみが強調されて学術研究の面がおろそかにされるから他の名称にすべきだという文理大側とはたがいにゆずらず
と下記URLに載っていました。もともと新制大学になった時点で、総合大学だったのですね。また、
東京教育大学は、文学部、教育学部、理学部が文京区大塚に、農学部が目黒区駒場に、体育学部が渋谷区幡ヶ谷に、学生寮その他の施設が都内各所に分散するいわゆる「タコ足大学」であった。
ですから、もともと理科系の学部があったのですね。医学部は新設されたようですが。あえて、地理ネタに絡めるとすれば、以前話題に上がった、タコ足大学の1つだったために、都内に関連施設が点在していたこと、でしょうか。
http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/shousi.htm

[16193]ニジェガロージェッツさんの、雑魚さんへのメッセージ。
何か磨きが掛って黒光りの様相さえ感じるいい味出してますよ。
私は、子供の頃に作った土団子、を連想して笑ってしまいました。ワタクシ、テーマで分けていると言うよりも、書き忘れたから後で付け足してることの方が多いのです(汗)。でも、どうして土をナデナデしているとツヤが出てくるのか、未だに不思議。

[16211]両毛人さん。正直なところ、川の名前に自信がないのです。普段は、自分の記憶にある程度自信があるのですが、この件に関しては、糸魚川という名称がないとわかった時点でショックでした。じゃあ、小泉の沢川なのか小糸魚川なのか、はたまた有珠川だったのか。。。記憶では、それほど市街地から遠くなかったことと、ゴルフ場の入口だった、ことから判断すると、たぶんパークゴルフ倶楽部への登り口だったのかなぁ、と思った次第です。現地で夜景を楽しまれたい方は、ご自身でご確認くださいませ(いい加減な情報だなぁ)。

[16215]オーナーグリグリさん
過去記事の編集依頼は原則受け付けていません。記事削除のみ受け付けます。
了解しました。


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