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touhembokuさんの記事が10件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[11377]2003年3月18日
touhemboku
[11246]2003年3月15日
touhemboku
[11243]2003年3月15日
touhemboku
[11185]2003年3月14日
touhemboku
[11181]2003年3月14日
touhemboku
[11180]2003年3月14日
touhemboku
[11126]2003年3月13日
touhemboku
[11104]2003年3月13日
touhemboku
[11103]2003年3月13日
touhemboku
[10939]2003年3月10日
touhemboku

[11377] 2003年 3月 18日(火)01:30:38touhemboku さん
実は奨学生
[11348]雑魚さん
日本マクドナルド創業者の藤田氏
実は私、数年前にマクドナルド財団の奨学生として奨学金を貰っていた(返済義務なし)
ことがありまして、その関係の集いで新宿にあるマクドナルド本社を訪れたことがあります。
マクドナルド本社の中にはマクドナルドミュージアムのようなものがあって
マクドナルドの歴史や出店状況などがわかるようになっていました。
その一角に藤田田記念館のようなところがありまして、その中では氏の半生をまとめた
映像がスクリーンで映し出されていました。
更に氏の右手のブロンズ像も飾ってありましたが何に使われるのでしょう??
とりあえずブロンズ像に握手だけはしておきました。
ちょうどその当時マクドナルドは驚異的な値下げを行い始めた頃でその勢いは
飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
マクドナルドの役員クラスの方からそのとき聞いた話では「マクドナルドが新宿に
移転してきて新宿(西側)の地価が変わった」と言われるほど本社の移転は
凄いものだったようです。その当時、藤田田氏は「新宿の地価を変えた男」として
かなりの注目を浴びていました。
あのマクドナルドが現在のようになろうとは誰が予想していたでしょうか?
その藤田田氏も辞任してまた一人、企業の顔が消えてしまいました。
この奨学生制度ってまだやってるんですかねぇ?
マクドナルドの経営方法は賛否両論だと思うのですが、企業がそのような
人材育成を行っていくのは結構なことだと思います。
[11246] 2003年 3月 15日(土)00:59:51touhemboku さん
卒業式
明日はついに卒業式です。
あぁ、感慨深い。
もう、映画も電車も学割は使えないんですね・・・(悲)
関係ないネタでごめんなさい。
[11243] 2003年 3月 15日(土)00:24:47touhemboku さん
新御徒町駅前
[11203]special-weekさん
「新御徒町」駅はどうしてあんな名前になったのでしょう
そういえば、ここには「新御徒町駅前」と言うバス停がありますね。
「しんおかちまちえきまえ」って早口言葉じゃないんだから・・・。
バスの車内アナウンスで「次は新御徒町駅前です」と聞くといつもそう思って
しまいます。
[11185] 2003年 3月 14日(金)00:40:01touhemboku さん
こんばんは
地域研究家さんへ。
最近お姿が見えないようで心配です。
地域研究家さんの鋭い切り口と的確な内容は
私にとって非常に興味深いものでした。
恐らくこの掲示板に集う皆さんも同様に心配していると思います。
色々意見の食い違いなどあると思いますが、気楽にやっていきましょうよ。
生意気言ってすみません。
ただ、地域研究家さんのいらっしゃらない掲示板も寂しいな。と思いまして。
[11181] 2003年 3月 14日(金)00:32:21touhemboku さん
ありがとうございます。
[11145]seahawkさん
いあや、照れちゃいますね。ポリポリ。
[11180] 2003年 3月 14日(金)00:27:14touhemboku さん
校歌について
[11133]TNさん
あの辺りの学校の校歌は「秩父」が必須ですが
確かにそうですね。
私の小学校のときの校歌には♪秩父の山を西に見る~♪とありましたし
中学校のときの校歌にも♪光り輝く秩父の峰に~♪とありました。

富士山についてですが京成ちはら線のおゆみ野駅を降りて
ヤオコーおゆみ野店の屋上駐車場に上ると凄く綺麗に見えることがあります。
ただ、あの辺りもマンションがたくさん出来てますからもしかしたら見えなくなっちゃう
かも。
マンションと言えば、千葉市の国道14号線登戸交差点のところにある
建設中のマンションは部屋から東京湾と富士山が見えることを売りにしていました。
[11126] 2003年 3月 13日(木)10:36:10touhemboku さん
富士山
[11086]special-week さん
案外みなさん、富士山に憧れのようなものが少ないようです。
私は東武東上線の霞ヶ関から川越市に向かう途中で入間川の向こうに晴れた日に時々見える
富士山が好きです。なんか得した気分になりません?
それから、国道463号浦和所沢バイパスで所沢方向に向かって走っている時に
羽根倉橋を渡り少しして富士見市に入ってからぽっこりと見えてくる富士山は好きです。
[11104] 2003年 3月 13日(木)01:17:45touhemboku さん
色彩の楽園で2
無人島には「無いものが有り、有るものが無い」。
なんだか謎かけのようになってしまうがこれは
通常の都会の生活で有るはずの無いものがそこに有って、無いはずの無いものはそこに無いのである。
島は山羊とヤドカリの楽園であった。
最初に私たちを迎えてくれたのも彼らだ。
その島に我々が上陸して、無人島は僅かな間有人島になった。
まず我々を襲ったのはトイレである。
トイレが無いのは意識的には分かっていたのだが感覚的には困った。
小のほうはまだ良いのだが困るのは大きい方である。
しかも参加者は男だけではない。
参加者、スタッフ含め40人を超える大所帯なのだ。
そのうち半数は女性である。
よって、島に上陸しての最初の作業はトイレ作りとなった。
トイレと言っても叢に大きな穴を掘って両側に板を載せるだけのものだ。
用が済んだら砂をかければよい。
余談だが私は一度もこのトイレを使っていない。
小は海の中か藪の中で済ませ、大は砂浜に小さい穴を掘ってそこに出す。
するといつのまにかそこにはヤドカリの群れが出来ている。
また、波に浚われれば魚たちの餌になる。それだけのことだ。
断っておくが外で用を足すことが快感になったわけではない。断じてない。
参加者は40人を超えると書いたがこの中で更にグループ分けして少人数になり、
その班毎に寝食をともにする。食事などは班で協力しないと食べ物がなくなってしまう。
食事は大抵、海で魚介類を捕まえるか、藪に入って木の実を探すか、
山羊を襲って食べるかのいずれかであった。(山羊はとにかく足が速くて結局捕まえられなかった)
まるでサバイバーである。
無人島が有人島になったと言うことはそこに社会が生まれたと言うことである。
社会が出来たと言うことは何かしらのルールが出来ていくことになる。
社会を円滑に運営していく為のルール、生きていく上で必要なルール。
恐らくこれがこのプログラムの狙いの一つの柱だったはずである。
実習生はあくまでそれをサポートする役割に過ぎなかったわけであるが。
実際、実習生として学んだのは次のようなことだ。
無人島というロケーションを利用して何が出来るか?
そしてそれをする意味は何なのか?
どのようにして行うのか?
参加者の安全管理は大丈夫か?
綿密な安全対策はもちろん、定時のスタッフミーティング。
責任を背負いながら自分も楽しむこと。
文明(無線や携帯電話)と非文明との融合。
そこで見たのは、参加者の歓喜と嘆きの声。
可能な限りの自由と不自由。
曜日と時間の感覚の喪失。
それがここではどれほどの意味を持つと言うのか。
必要なのは社会性と実行力と体力、それとほんのちょっとの応用力。
頭の中には今でも断片的で色鮮やかな記憶が散らばる。
アダンの実の色。海の澄んだ水。狩猟活動。シュノーケリング。
珊瑚の上を泳ぐ色とりどりの魚の群れ。絶品の海の幸。靴の中の砂の感触。
追い込み漁。ブルーシート。昼間の暑さと夜中の寒さと。
潮の満ち引き。絶壁に立つ山羊。移動するヤドカリのカサコソという音。
肌の色。ゴワゴワに固まった髪の毛。満月の下一人、寝る。
波の音と温もっている砂の心地よさ。恐怖を感じるほどの目前に広がる星屑。
潮の匂い。汗の匂いと海の匂いが染み込んだもともとは白かったはずのポロシャツ。
パイプウニの棘。スコールへの淡い期待。シャコガイ。カヌーの感覚。
浜辺での脱糞行為に耽りその向こうで歯を磨く人々。
自然は厳しく同時に優しい。そんなあたりまえのこと。
慶良間海峡に沈む夕日。
水飛沫と風の音と消えてしまった日焼けの跡と。
今でも時々思い出す。
島と海に畏敬の念を。
原色の夢を見ていたような体験。

長くてまとまりが無い文章になってしまいました。
YSKさんのようには上手くかけませんね。
あ、地理ネタじゃないしコレ。
そんな突っ込みも多くあると思いますが大目に見てやってください。
それでは御精読ありがとうございました。
[11103] 2003年 3月 13日(木)01:16:57touhemboku さん
色彩の楽園で1
[11046]えっすさん
早くいってみたいな・・・沖縄。
私は一昨年の夏、社会教育主事資格取得のために
社会教育実習生として国立沖縄背青年の家へおよそ2週間の
実習に行ってきました。
そのときのことを少し書いていきたいと思います。

那覇空港についたのは8月、真夏の真昼間であった。
外に出るとそこは肌がちりちり焼けるような日差し。
沖縄に住む友人が空港に迎えに来てくれて車で移動。
向かうのは泊港からフェリーでおよそ1時間、渡嘉敷村という
小さな村であった。
慶良間諸島の一角をなすこの島は水の透明度とサンゴ礁の美しさでは
世界でもトップレヴェルと言われている島である。
そのため一年を通して数多くのダイバーが訪れ、ダイビング界の中でも
一種神聖視されている場所である。
さて、私の目的はと言うと、青年の家での実習ということであったが
2週間の実習機関のうちの10日間ほどは青年の家で主催するあるプログラムに
スタッフとして参加することであった。
そのプログラムとは・・・。
「無人島キャンプ」というものであった。
無人島キャンプとは文字通り無人島でキャンプするのだが
持ち物は限られた量の水と米のみ。
その他は現地で自給自足。
そんな生活にスタッフとして参加したわけであるが、スタッフと書けば
聞こえはいいものの実際には雑用係である。

渡嘉敷島の青年の家の所有する海洋研修場から大型のカヌーに乗り込み
海上を漕ぎ続けることおよそ二時間。
我々の上陸すべき島が見えてきた。
儀志布(ぎしっぷ)島というのが今回のそれである。
この島は一周歩いて3、40分ほどの小さな無人島である。
以前は住人がいたらしく朽ちかけた小屋や畑のようなものの跡も見受けられた。
一応、ハブはいない。ということになっている。が定かではない。
[10939] 2003年 3月 10日(月)23:39:22touhemboku さん
ごめんなさい。
[10935]
KZMZさんではなくKMKZさんでしたね。
KMKZさんごめんなさい。
失礼しました。


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