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[85604] 2014年 5月 11日(日)00:14:47YT さん
昭和25年において市町村別面積が示されていない地域の面積の分割試算
[85559]で、東京都新島若郷村と新島本村の面積が『昭和十年 全国市町村別面積調』、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その13 東京都』において合計となっている問題を指摘しましたが、改めて東京都統計年鑑を見たところ『第1回 東京都統計年鑑』(昭和27年、人口は昭和28年1月1日調)と『第2回 東京都統計年鑑』(昭和28年、人口は昭和28年1月1日調)において、人口密度が若郷村と新島本村とで異なることに気付きました。つまり東京都総務局統計部では、面積は合計で表しつつ、人口密度算出の際には独自に面積を決めていることになります。そこで人口密度から面積を逆算してみますと:

都道府県年月日人口人口密度面積最小値面積最大値下2桁有効と仮定した場合の面積
東京都新島若郷村1953.1.15873491.67951.68441.68
東京都新島本村1953.1.14,36016825.875426.029925.88~26.02
東京都新島若郷村1954.1.15633351.67811.68311.68
東京都新島本村1954.1.14,29116625.771825.927525.78~25.92

よって東京都統計年鑑からは、新島若郷村1.68 km2と新島本村25.90 km2 (合計27.58 km2より1.68 km2を除することで算出)が確定しました。

また石川県河北郡金津村・高松町について、『昭和26年 石川県統計書』によると

都道府県町村面積
石川県河北郡金津村8.00
石川県河北郡高松町13.20

面積の合計は21.20 km2であり、こちらも一応石川県統計書による面積が確定しました。

昭和25年において市町村別面積が示されていない地域([85559]参照)について、残りについても面積を分割算出しようと地方統計書の類と比較検討してみましたが、他は残念ながら重大な問題がありました。

まず埼玉県児玉郡阿久原村・渡瀬村について『昭和29年 埼玉県統計年鑑』によると

都道府県町村面積
埼玉県児玉郡阿久原村7.4
埼玉県児玉郡渡瀬村4.9

面積の合計は12.3 km2です。埼玉県統計年鑑の面積は下一桁までであり、桁落ちしておりますが、一応合計の数字は1950年国勢調査報告書の12.30 km2と一致します。

次に岐阜県加茂郡旧富岡村村の件ですが、『昭和23年 岐阜県統計書』、『昭和24年 岐阜県統計書』、『昭和25年 岐阜県統計書』、『昭和26年 岐阜県統計書』と『昭和十年 全国市町村別面積調』、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その21 岐阜県』における、関連する市町村の面積を並べると以下の通りです。

都道府県町村県統S23県統S24県統S25県統S26面積S10国勢S25
岐阜県加茂郡富岡村10.2310.2310.23
岐阜県加茂郡富田村6.7610.4810.4810.486.766.76
岐阜県武儀郡関町28.9139.2710.78
岐阜県関市57.3265.832.40
岐阜県武儀郡瀬尻村8.20
岐阜県武儀郡倉知村9.93
岐阜県山県郡千疋村3.473.473.47
岐阜県加茂郡田原村18.4314.5818.4318.44
岐阜県武儀郡下有知村8.488.488.488.488.48
岐阜県上記合計76.2876.2876.2876.2876.2876.31


岐阜県統計書の方はこれらの地域で少なくとも昭和26年まで『昭和十年 全国市町村別面積調』の数字を使い続けており、昭和25年の国勢調査で一部改訂された面積の数字が使われておりません。実際昭和25年の国勢調査の面積は『昭和十年 全国市町村別面積調』の面積に比べ、加茂郡俵村・武儀郡旧関町・旧瀬尻村・倉知村の合計で0.03 km2増えています。しかしながら、旧富岡村と旧富田村の面積は、昭和25年の国勢調査でも同じであり、よって昭和25年国勢調査の旧富岡村の面積10.23 km2の内、3.72 km2が加茂郡富田村に入り(合計10.48 km2)、残りの6.51 km2が武儀郡関町に入った(合計38.91 km2)と、当てはめることが可能です。

なお昭和24年10月1日の加茂郡富岡村の廃止に先立ち、昭和23年12月10日に加茂郡田原村の一部(昭和22年臨時国勢調査で278人)が武儀郡田原村に編入されています。『昭和24年 岐阜県統計書』では田原村の面積が3.85 km2ほど減り、その分が昭和24年武儀郡関町に加算されておりますが、一方で『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その21 岐阜県』では、田原村の一部の編入が考慮されているようには見えず、国勢調査報告書の面積が明らかに間違っています。が、このような誤りは一々チェックしたら切りが無いので見なかったことにします。

一方問題となるのが岐阜県安八郡旧北平野村の件です。『昭和24年 岐阜県統計書』、『昭和25年 岐阜県統計書』、『昭和29年 岐阜県統計書』、『昭和30年 岐阜県統計書』と『昭和十年 全国市町村別面積調』、『昭和25年 国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その21 岐阜県』、『昭和30年 国勢調査報告 第1巻 人口総数』における、関連する市町村の面積を並べると以下の通りです([85559]で安八郡本郷村・池田村と書いてしまった箇所がありますが、揖斐郡の間違いです)。

都道府県郡市町村県統S24県統S25県統S29県統S30面積S10国勢S25国勢S30
岐阜県安八郡北平野村3.783.783.76
岐阜県安八郡神戸町5.238.578.5718.155.235.2017.99
岐阜県安八郡南平野村4.924.924.924.924.89
岐阜県安八郡下宮村5.685.685.685.685.65
岐阜県不破郡赤坂町5.075.075.0715.625.075.0815.40
岐阜県不破郡青墓村9.539.539.539.539.55
岐阜県揖斐郡池田村4.034.03
岐阜県揖斐郡本郷村9.539.53
岐阜県揖斐郡温知村14.0014.0013.55
岐阜県揖斐郡八幡村12.0912.0912.0912.0912.08
岐阜県揖斐郡宮地村9.129.129.129.129.11
岐阜県揖斐郡池田町35.2135.54
岐阜県上記合計68.9868.9868.9868.9868.9868.8768.93

関連する境界異動は以下の通りです。

昭和25年4月1日安八郡北平野村を廃し、その区域を分割し一部を同郡神戸町に編入し、残部を揖斐郡池田村に編入
昭和25年8月1日揖斐郡本郷村と池田村を廃し、その区域をもって同郡温知村を設置
昭和29年4月1日安八郡南平野村、神戸町、及び下宮村を廃し、その区域を分割し、
南平野村の一部を不破郡赤坂町に編入し、残部をもって安八郡神戸町を設置
昭和29年5月1日揖斐郡温知村を廃し、その区域をもって同郡池田村を設置
昭和29年5月1日揖斐郡池田村を廃し、その区域をもって同郡池田町を設置
昭和29年9月1日不破郡赤坂町及び青墓村を廃し、その区域をもって同郡赤坂町を設置
昭和30年4月1日揖斐郡池田町、八幡村、及び宮地村を廃し、その区域をもって同郡池田町を設置

岐阜県統計書の方はこれらの地域で少なくとも昭和30年まで『昭和十年 全国市町村別面積調』の数字を使い続けているのに対し、国勢調査の方では昭和25年と昭和30年の直前に改訂作業が行われています。とりあえず昭和25年国勢調査と岐阜府県統計書の面積の違いを比較すると、旧北平野村・神戸町・池田村・本郷村の合計で0.06 km2、昭和25年国勢調査の方が面積が減っております。旧北平野村だけで0.02 km2、神戸町だけで0.01 km2、池田村・本郷村の合計で0.01 km2減っております。『昭和24年 岐阜県統計書』・『昭和25年 岐阜県統計書』だけで判断すると、旧北平野村3.78 km2の内、神戸町に異動した面積は3.34 km2、温知村に異動した面積は0.44 km2となりますが、ここから昭和25年国勢調査の面積に合わせるには、0.02 km2の面積を両者から除する必要があります。諦めて按分()で判断すると、0.02 km2分は総て神戸町側に異動した分(3.34 km2 × 3.76/3.78 ≒ 3.32 km2)となり、よって昭和25年の国勢調査における面積は、安八郡神戸町が8.52 km2、揖斐郡池田町が13.99 km2となります。

北海道に関しては『昭和25年刊 北海道市町村市勢要覧』、『昭和27年刊 北海道市町村市勢要覧』という資料を閲覧できましたが、それぞれ面積についてはkm2から下三桁までしめされており、項目のうち総面積民有地細別について

冊子基本法規出どころ調査年月日
昭和25年刊丑統第836号通牒による市町村報告昭和24年8.1
昭和27年刊26統第508号通牒による市町村報告昭和26年4.1

とあります。「市町村報告」がいかなる資料なのか、現時点で私には判断がつきません(わかる方がいらしたら教えてください)。

まず北海道常呂郡佐呂間村と同郡若佐村に関しては、下三桁で示されている『昭和25年刊 北海道市町村市勢要覧』の面積を四捨五入すれば、昭和25年国勢調査の面積と同じとなり、一応面積は以下のように求まります。

都道府県町村統S25国勢S25按分
北海道常呂郡若佐村151.409n.a.151.41
北海道常呂郡佐呂間村224.708376.12224.71
北海道常呂郡上記合計376.117376.12376.12

しかしながら、その他、北海道空知郡砂川町・上砂川町・歌志内町、上川郡朝日村・上士別村・上川郡、河西郡中札内村・更別村・大正村・中川郡幕別町・広尾郡忠類村・大樹村の三ケースでは、北海道市町村市勢要覧記載の面積と国勢調査記載の面積が異なります。あえて面積を出そうとするなら、以下のように按分する必要があります。

都道府県町村統S25国勢S25按分
北海道空知郡砂川町73.477116.1072.65
北海道空知郡上砂川町45.700n.a.45.19
北海道空知郡歌志内町57.29858.3956.65
北海道空知郡上記合計176.475174.49174.49

都道府県町村統S27国勢S25按分
北海道上川郡朝日村511.124n.a.511.13
北海道上川郡上士別村165.750676.88165.75
北海道上川郡上記合計676.874676.88676.88

都道府県町村統S27国勢S25按分
北海道河西郡中札内村290.184n.a.288.74
北海道河西郡更別村181.348n.a.180.44
北海道河西郡大正村120.394558.76119.79
北海道中川郡幕別町339.828364.20338.13
北海道広尾郡忠類村203.440n.a.202.43
北海道広尾郡大樹村627.237830.68624.11
北海道三郡上記合計1,762.4311,753.641,753.64


次に岡山県小田郡白石島村・神島外村に関して昭和25年から昭和30年までの『岡山県統計書』などをチェックしましたが、残念ながら昭和29年以前に関しては市町村別面積が記載されておらず、記載されてるのは民有地・官有地などの地目別面積(単位:町)のみです。この場合、固定資産税の対象となる地積のみの面積ですので、所有者の存在しない土地の面積が含まれません。『岡山県統計書』では昭和30年以降に町村別の面積が記載されるようになりますが、岡山県小田郡白石島村と神島外村は昭和30年4月1日に共に笠岡市に編入されており、『昭和30年 岡山県統計書』では既に両村の面積が記載されていません。そこで地積から無理矢理按分して面積を求めてみたところ、以下のようになります。

都道府県町村統計S25(町)km2換算国勢S25按分
岡山県小田郡神島内村446.54.42809910.608.38
岡山県小田郡白石島村118.01.170248n.a.2.22
岡山県小田郡上記合計564.55.59834710.6010.60

最後に島根県に関し、『昭和23年 島根県統計書』や『昭和28年 a島根県統計書』を閲覧しましたが郡別の地積の情報はあっても、町村別の面積・地積の情報は全くありません。島根県簸川郡朝山村は昭和30年3月22日に出雲市に編入されておりますが、それでも敢えて昭和30年の国勢調査の数字から逆算で計算しようとすると以下のようになります。

都道府県市郡町村国勢S25国勢S30S25年の面積へ按分
島根県簸川郡窪田村39.6948.6048.37
島根県簸川郡旧乙立村27.11
島根県簸川郡朝山村26.78
島根県出雲市57.56138.65137.98
島根県簸川郡稗原村21.41
島根県簸川郡上津村13.80
島根県1市1郡上記合計186.35187.25186.35

すなわち島根県簸川郡旧乙立村の面積27.11 km2の内、8.68 km2が窪田村(39.69 + 8.68 = 48.37 km2)に異動し、残りの18.43 km2が朝山村(26.78 + 18.43 = 45.21 km2)に異動したと、強引に推測できます。

このように、岐阜県の一部、北海道、岡山県、島根県に関しては、昭和25年の国勢調査で合計などでしか示されてない面積を無理に町村別に算出しようとすると、ある程度恣意性を排除することが出来ないことになります。
[85587] 2014年 5月 7日(水)02:04:44【2】YT さん
1960年の市区町村別面積の問題点
まず[85559]冒頭の備考の説明の番号が間違っているので訂正します。

(B) 十和田湖(59.86 km2)を含む。
に対応するのは全国計で、

(C) 十和田湖(59.86 km2)を含まない。
に対応するのは青森県・秋田県で、

(D) 宍道湖 (82.32 km2)は市部・郡部の面積に含まない
に対応するのは島根県です([85559]では(B)になっている)。

文章を書いている途中で後から十和田湖の面積の脚注を追加したので、番号がずれてしまいました。

現時点で昭和35年(1960年)の市区町村別人口を入力し終えたところですが、その面積にも3つほど問題となる箇所がありました。

1960年国勢調査における都道府県別・市郡別面積をまとめると以下のようになります。

都道府県合計市部郡部その他備考
全国369,660.7482,559.42285,577.661,446.34
北海道78,508.6710,207.5568,301.12
青森県9,612.652,225.917,324.0262.72小川原湖
岩手県15,274.463,987.0611,287.40
宮城県7,285.711,187.396,098.32
秋田県11,608.971,823.539,566.21219.23八郎潟
山形県9,325.152,983.136,342.02
福島県13,779.821,886.2011,789.66103.96猪苗代湖
茨城県6,087.921,562.884,525.04
栃木県6,419.441,959.634,459.81
群馬県6,349.961,033.975,315.99
埼玉県3,799.831,388.822,411.01
千葉県5,034.431,530.973,503.46
東京都2,026.891,030.55996.34
神奈川県2,361.371,277.991,083.38
新潟県12,575.333,452.659,122.68
富山県4,252.03970.733,281.30
石川県4,193.921,656.962,509.9826.98邑知潟 (3.96); 河北潟 (23.02)
福井県4,187.381,496.562,690.82
山梨県4,463.481,114.793,348.69
長野県13,581.562,591.6210,975.7814.16諏訪湖
岐阜県10,521.821,535.488,986.34
静岡県7,768.822,448.495,255.4464.89浜名湖
愛知県5,057.481,887.033,170.45
三重県5,765.811,866.703,899.11
滋賀県4,016.00443.722,877.78694.50琵琶湖
京都府4,612.072,026.012,586.06
大阪府1,831.471,312.94518.53
兵庫県8,329.922,371.515,958.41
奈良県3,692.15630.783,061.37
和歌山県4,714.99565.614,149.38
鳥取県3,488.39501.972,986.42
島根県6,625.031,490.855,052.3781.81宍道湖
岡山県7,059.931,685.705,357.5816.65児島湾干拓第7区
広島県8,431.231,525.256,905.98
山口県6,073.102,071.034,002.07
徳島県4,142.85541.243,601.61
香川県1,859.36391.331,468.03
愛媛県5,651.181,527.954,123.23
高知県7,104.241,990.385,113.86
福岡県4,900.771,491.323,409.45
佐賀県2,403.50888.911,514.59
長崎県4,086.381,121.752,964.63
熊本県7,371.411,373.215,998.20
大分県6,312.431,406.624,905.81
宮崎県7,732.511,786.535,945.98
鹿児島県9,140.172,308.226,831.95
十和田湖59.7759.77青森県・秋田県に含まず
中海101.67101.67鳥取県・島根県に含まず
岐阜県郡上郡白鳥町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の一部77.3277.32福井県・岐阜県に含まず

続いて3つの問題点を列挙しますと:

(1) 岐阜県郡上郡白鳥町へ異動した旧石徹白村の領域(住民あり)の取り扱い

まずは福井県大野郡旧石徹白村です。大野郡石徹白村は昭和30年の国勢調査によると人口1,402人、面積103.07 km2ですが、昭和33年10月14日に石徹白村の一部(105人、25.75 km2)が福井県大野郡和泉村(昭和35年の面積 332.26 km2 = 旧下穴馬村128.29 km2 + 旧上穴馬村 178.22 km2 + 旧白鳥町 25.75 km2)となります。そして翌日の昭和33年10月14日に、白鳥町の残りの地区(1,297人、77.32 km2)が岐阜県群上郡白鳥町(昭和35年の面積 118.78 km2)となっております。

これに関して昭和35年国勢調査報告によると、

3) 岐阜県郡上郡白鳥町の面積のうち,昭和33年10月15日同町に編入された福井県大野郡旧石徹白村の面積は,全国の面積に含まれているが,境界不明のため,岐阜県および白鳥町の各面積には含まれていない。

とあり、人口1,297人が住んでいる77.32 km2の帰属をはっきりさせておりません。ただし昭和35年の国勢調査報告書の方では、13,658人中1,297人分が住んでいる土地を無視して、そのまま人口密度を計算しています(13,658人/118.78 km2 ≒ 115.0 人/km2)。

昭和40年(1965年)の国勢調査では、岐阜県郡上郡白鳥町の面積は196.24 km2(昭和35年より77.42 km2増加)、福井県大野郡和泉村の面積は332.26 km2(昭和35年と同一)となっており、77.32 km2の土地はそのまま岐阜県郡上郡白鳥町に加算されていることになります(残りのプラス0.10 km2は、昭和36年4月1日に大和村の一部が白鳥村へ人口異動なしに境界変更されたことに対応すると考えられます)。よって旧石徹白村の面積77.42 km2は、昭和35年の時点で岐阜県郡上郡白鳥町に加算して問題ないように思えるのですが、国勢調査の方を優先するべきか悩ましいところです。

(2) 岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域の面積
御存じのように昭和35年の国勢調査の場合、岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域の人口79人が岐阜県と長野県の人口に加算されておりません。

2) 岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間の境界紛争地域の人口 (79人) は,全国計に含まれているが,岐阜県および長穏県のいずれにも含まれていない。

ところがこの境界紛争地域の面積については何ら言及がなく、岐阜県中津川市と長野県西筑摩郡山口村の間で分割されているように見えます。

(1)の場合は、人口を分割しているのに、面積の分割を完了していないことになりますが、(2)の場合は、逆に面積を分割しているのに、人口を分割していないケースということになります。

(3) 下新川郡宇奈月町・朝日町の面積

昭和30年の国勢調査では、富山県下新川郡宇奈月町の面積424.82 km2、富山県下新川郡朝日町の面積146.76 km2と分割されておりました(合計571.58 km2)。その後昭和34年1月1日に朝日町の一部(昭和30年の人口1355人)が下新川郡舟見町(昭和30年の面積12.20 km2)へ異動しておりますが、さらに舟見町は同日昭和34年1月1日に下新川郡入善町(昭和30年の面積56.33 km2)に吸収されております(昭和35年の入善町の面積71.58 km2で、15.25 km2の増加)。よて昭和34年1月1日に朝日町から入善町へ異動した面積は3.05 km2と推測されます。

ところが昭和35年の国勢調査では、下新川郡宇奈月町・朝日町の面積は示されず、人口密度も空欄となっております。脚注によると


2) 下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の境界未定。同町の各面積も測定不能。(両町の合計面積は 568.61 km2)。

とあります。昭和30年の国勢調査と比べて2.97 km2面積が減っており、朝日町から入善町への異動で面積が3.05 km2で減少したのほかに、0.08 km2の面積が増えたことになりますが、この辺は昭和30年の国勢調査において、

一部調査未了のため総理府統計局において推定した。

ことに伴う誤差と考えられます。

そこでより新しい国勢調査の面積を使って、下新川郡宇奈月町・朝日町の面積を推定できるのではないかと期待して、より新しい国勢調査の報告書をチェックしたところ、なんとこの面積の問題は昭和40年・昭和45年・昭和50年の国勢調査においても続いていることが分かりました。昭和40年の国勢調査報告書によると

2) 富山県下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の各面積は推定不能 (両町の合計面積は 568.61 km2)。

昭和45年の国勢調査報告書によると

3) 富山県下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の各面積は推定不能 (両町の合計面積は 568.61 km2)。

昭和50年の国勢調査報告書によると

2) 富山県下新川郡宇奈月町と同郡朝日町の各面積は推定不能 (両町の合計面積は 568.61 km2)。

昭和35年・昭和40年・昭和45年・昭和50年の国勢調査では、何れも両町の面積と人口密度は空欄となっております。昭和55年の国勢調査でようやく宇奈月町341.20 km2、朝日町227.41 km2という数字に落ち着いています(合計568.61 km2)。奇しくもこの地区に関しては1980年まで1960年の合計面積を使いまわしていたことが判明しましたので、結果として1960年まで遡って宇奈月町341.20 km2、朝日町227.41 km2を適用することも可能に見えますが、その一方でわざわざ20年近くにわたり、国勢調査では宇奈月町と朝日町の面積を確定せずに放置し続けていたのも事実です。これも国勢調査表記を優先する場合にはどのようにまとめるべきなのか、悩ましいところです。

【追記:タイトルが『「1950年」の市区町村別面積の問題点』となっていたので、「1960年」に修正しました。また白鳥町の所属郡が一部間違っていたので訂正。】
[85568] 2014年 5月 5日(月)22:32:20YT さん
国勢調査報告の変遷情報等では、日野郡江尾町と西伯郡外江町の町制施行日を取り違えている?
[85566] 白桃 さん
[85567] MI さん
鳥取県告示第四百九十二号
日野郡江尾村を江尾町とし昭和二十二年十一月一日から及び西伯郡外江村を外江町とし同年十一月三日から施行することを夫々同年十月八日許可した。
  昭和二十二年十月三十一日
    鳥取県知事 西尾愛治
 手許で確認した限り、これに関する「正誤」は出ておりません。とすれば、江尾村から江尾町への町制施行日は1947年10月1日でも11月3日でもなく「11月1日」が正当ということになります。YT さんご確認の「国勢調査報告」や上記「鳥取県の市町村変遷」は、この告示文を読み誤ったということになるのでしょうか。


この件に関して『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』から[85558]で紹介した前後の文章を見ると、

28) 昭和22. 11. 1. 西伯外江村を外江町とする。((4 270―昭和22.10.1 人口、この項以下同じ。) 備考 昭和15 (3 186)、昭和10 (3 379)、昭和5 (3 552)、大正14 (3 429)、大正9 (3 015)
29) 昭和22. 11. 3. 日野郡江尾村を江尾町とする。((2 705) 備考 昭和15 (2 321)、昭和10 (2 388)、昭和5 (2 512)、大正14 (2 221)、大正9 (2 529))

となっております。変遷情報に関しては広報等を優先するべきで、MIさんが指摘されたように日野郡江尾町の町制施行は昭和22年11月1日(現在鳥取県の変遷情報#82では1947(S22).10.1となっている)、西伯郡外江町の町制施行は昭和22年11月3日(現在鳥取県の変遷情報#83では正しく1947(S22).11.3となっている)とするのが正しいでしょう。

『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』と『鳥取県の市町村変遷』は、共に日野郡江尾町と西伯郡外江町をセットで日付を取り違えてしまっているように見えます。おそらく鳥取県の市町村変遷』が、参考文献としての『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』の記述の誤りを引き継いでしまったのではないでしょうか。
[85563] 2014年 5月 5日(月)10:05:24【1】YT さん
昭和15年10月~昭和22年9月までの福岡市の変遷情報
[85561] 白桃 さん

「1955年の国勢調査人口の要修正箇所・および変遷情報の要修正箇所」について(まだ十分に拝見させて頂いたわけではありませんが)、少なくとも上記の部分は明らかに間違いだと思います。


ご指摘ありがとうございます。自分も国勢調査報告書が完全なものだとは思っていません。

330,377という数字は、1940年(昭和15年)の福岡市、箱崎町、壱岐村、残島村、今宿村の人口の合計ですが、福岡市はその後、1942年に今津村を編入しております。今津と彦山を取り違えたのではないでしょうか?


ご指摘の通り、330,377という数字は、1940年(昭和15年)の福岡市(306,763)、箱崎町(16,454)、壱岐村(3,585)、残島村(917)、今宿村(2,658)の合計に相当します。『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その40 福岡県』から昭和15年10月~昭和22年9月の変遷情報の内、福岡市がらみの数字を抜き出すと、以下のようになっています([85558]で田川郡彦山村の変遷情報を51番目と書いてしましましたが、正確には81番目です)。

75) 昭和15. 12. 26. 糟屋郡箱崎町 (16 454―昭和15. 10. 1 人口、この項以下同じ。) を廃し、その区域を福岡市 (306 763…計 323 217) に編入。(備考 箱崎町 昭和10 (14 635)、昭和5 (11 945)、大正14 (8 926)、大正9 (7 145))

80) 昭和16. 10. 15. 早良郡壱岐村 (3 585)、残島村 (917) 及び糸島郡今宿村 (2 658) を廃し、その区域を福岡市 (323 217…計 330 377) に編入。

(備考)昭和 10昭和 5大正 14大正 9
早良郡 壱岐村3 5663 2843 0682 940
早良郡 残島村956806805813
糸島郡 今宿村2 6832 5992 5432 593


81) 昭和17. 2. 11. 田川郡彦山村 (3 426) を廃し、その区域を福岡市 (330 377…計 333 803) に編入。(備考 昭和10 (3 058)、昭和5 (2 949)、大正14 (2 804)、大正9 (2 785))

82) 昭和17. 4. 1. 糸島郡今津村 (2 172) を廃し、その区域を福岡市 (333 803…計 335 975) に編入。(備考 昭和10 (2 123)、昭和5 (2 029)、大正14 (2 075)、大正9 (2 040))


『昭和22年 臨時国勢調査結果報告』の方には、昭和21年人口調査との人口の比較が掲載されていますが、昭和15年国勢調査との人口の比較が掲載されていません。昭和15年の国勢調査の結果が出版されたのは、昭和22年の臨時国勢調査や昭和25年の国勢調査の結果が出版されたのよりも後のことであり、人口比較による十分なチェックが行われなかったため、誤った記述が昭和25年の国勢調査結果報告書の方にも記載されてしまったのでしょう。
[85560] 2014年 5月 5日(月)00:43:17【1】YT さん
1950年の市区町村別面積の問題点 (2) 沖縄県の問題
なお統計局のサイトでは閲覧できませんが、昭和30年の国勢調査における面積は、『昭和30年国勢調査 全国都道府県郡市区町村別面積改定表』で大幅に改訂されております。

都道府県合計市部郡部その他備考
全国369,660.7467,761.23300,598.951,300.56
北海道78,508.677,662.0670,846.61
青森県9,612.651,728.187,884.47
岩手県15,274.463,626.3411,648.12
宮城県7,285.71792.206,493.51
秋田県11,608.971,797.309,592.44219.23八郎潟
山形県9,325.152,105.677,219.48
福島県13,779.821,597.1112,078.75103.96猪苗代湖
茨城県6,089.681,162.094,927.59
栃木県6,437.641,736.494,701.15
群馬県6,331.86841.105,490.76
埼玉県3,802.421,019.782,782.64
千葉県5,033.921,367.693,666.23
東京都2,023.01919.221,103.79
神奈川県2,361.371,176.841,184.53
新潟県12,575.333,046.979,528.36
富山県4,252.03916.413,335.62
石川県4,193.921,064.193,104.2725.46河北潟(23.02); 芝山潟(2.44)
福井県4,264.701,350.792,913.91
山梨県4,463.481,106.743,356.74
長野県13,624.031,863.1911,746.6814.16諏訪湖
岐阜県10,479.291,350.899,128.40
静岡県7,768.751,775.875,992.88
愛知県5,057.551,592.333,465.22
三重県5,765.851,734.624,031.23
滋賀県4,016.00422.342,899.16694.50琵琶湖
京都府4,633.611,806.972,826.64
大阪府1,809.93977.35832.58
兵庫県8,329.921,953.066,376.86
奈良県3,692.11250.433,441.68
和歌山県4,714.99368.604,346.39
鳥取県3,488.39475.403,012.99
島根県6,625.041,311.525,231.7181.81宍道湖
岡山県7,059.931,623.245,436.69
広島県8,431.221,101.867,329.36
山口県6,073.101,995.874,077.23
徳島県4,142.85248.173,894.68
香川県1,859.36238.701,620.66
愛媛県5,651.181,228.564,422.62
高知県7,104.241,523.595,580.65
福岡県4,900.771,425.103,475.67
佐賀県2,403.50878.271,525.23
長崎県4,086.381,057.793,028.59
熊本県7,371.41999.066,372.35
大分県6,312.431,381.454,930.98
宮崎県7,732.511,416.836,315.68
鹿児島県9,140.171,743.007,397.17
十和田湖59.7759.77青森・秋田に含まず
中海101.67101.67鳥取・島根に含まず

このほか、小笠原は本土復帰するまで国勢調査が行われていませんが、沖縄では米国政府が国勢調査を行っています。

沖縄県の国勢調査の場合、1950年、1955年、1960年と、個別の市町村別面積は示されておりませんが、(1950年は奄美群島を除く)面積合計の方は2,388.24 km2のまま採用されております。ところが1965年の国勢調査で初めて沖縄県の個別の市区町村別面積が示されているのですが、その面積は

地区面積備考
合計2,388.22
沖縄群島1,500.67
(1) 北部地区(842.98)沖縄群島要覧
(2) 中部地区287.79
(3.1) 那覇地区35.68那覇市統計書
(3.2) 南部地区335.46
宮古群島250.02
八重山群島637.56

となっており沖縄群島の面積が、各地区の面積合計と等しくありません。これは

1. 面積は首都して昭和14年沖縄県統計書(第1編内務)による1939年12月末現在の数字である。
2. ( )は沖縄群島要覧による。
3. 那覇地区の面積は那覇市統計書1966年版による1963年7月16日現在の数字である。

とあり、1963年の那覇市統計書の数字の扱いに問題があることになります。つまり那覇市拡大に伴う面積の増減がきっちり処理されていないことを意味します。

実際、『第一回琉球統計年鑑』から数字を持ってくると、1950年、1955年、1960年の沖縄群島の南部地区+那覇地区の合計の面積は369.90 km2となり、沖縄群島の面積の方は何ら問題のないものになります。

一方、[85559]に示すように1950年の国勢調査で採用されている宮古群島の面積250.01 km2、八重山群島の面積637.54 km2を用いると、合計の数字にも問題がないことになりますが、市区町村別面積を合計すると、宮古群島と八重山群島では上に示すように合計0.03 km2面積が増えてしまいます。『第一回琉球統計年鑑』でこれらの数字を検証すると、少ない方の数字は『沖縄群島要覧』、多い方の数字は『昭和14年 沖縄県統計書』の昭和15年末の面積によることが明示されております。そこで『昭和15年 沖縄県統計書』から昭和15年年末の数字を持ってくると

地区面積備考
合計2,386.24鳥島(面積不明)を含まず
沖縄群島1,498.66
(1) 国頭郡798.33
(2) 中頭郡287.79
(3.1) 那覇市5.11
(3.2) 首里市2.45
(3.3) 島尻郡404.98
宮古郡250.02
八重山郡637.56

つまり昭和15年末の時点では2386.24 km2、その後昭和25年の『沖縄群島要覧』の時点で、鳥島2.0 km2の面積ほか、北部地区や南部地区の面積が改訂され、さらに宮古郡と八重山郡で合計0.03 km2の改訂が行われた。ところが市区町村別面積の方は、なぜか昭和15年の数字を引き継いだ表記が『琉球統計年鑑』でなされ、さらに昭和40年の国勢調査那では那覇地区だけで面積改訂を行ったため、昭和40年の国勢調査の方では市区町村別面積の合計と一致しないという事態が深刻化してしまった、ということになります。

琉球地区に関しては奄美群島の面積を含め、色々要調査箇所があり、現状としては『沖縄群島要覧』を閲覧し、この誤差が丸め誤差や換算誤差によるものなのか、それとも別なのか、その原因をつかむ必要があることなります。昭和25年~40年の沖縄県の面積として2,388.22 km2(奄美群島を除く)を用いるのであれば、まず『沖縄群島要覧』の数字が優先されるべきでしょう。
[85559] 2014年 5月 4日(日)23:45:51【2】YT さん
1950年の市区町村別面積の問題点 (1) 一部の市町村別面積の数字が分割・吸収前のまま
現時点で私の手元で沖縄・奄美・小笠原・北方領土・竹島を除く地域について、1950年と1955年の国勢調査報告書に記載の面積を一応まとめましたが、幾つか重大な問題が発生しています。まず昭和25年国勢調査の最終報告書(第八巻)における日本全土の都道府県別面積と、『昭和十年 全国市町村別面積調』をまとめると以下の通りです。

都道府県合計(km2)市部(km2)郡部(km2)その他(km2)備考昭和10年(km2)
全国368,284.1519,815.28348,326.69142.18382,545.42
北海道78,486.064,272.3474,213.7288,775.04
青森県9,623.55127.829,495.739,630.92
岩手県15,230.47483.6114,746.8615,235.31
宮城県7,266.04228.917,037.137,273.75
秋田県11,614.59202.2211,412.3711,663.86
山形県9,331.74210.959,120.799,325.76
福島県13,772.74177.3213,595.4213,781.61
茨城県6,092.17120.845,971.336,090.99
栃木県6,438.89107.106,331.796,436.59
群馬県6,334.12137.756,196.376,335.87
埼玉県3,808.09216.153,591.943,802.68
千葉県5,032.16363.674,668.495,062.09
東京都2,031.12618.071,413.052,144.80
神奈川県2,361.13819.571,541.562,352.81
新潟県12,570.46193.3912,377.0712,578.05
富山県4,257.21181.484,075.734,257.42
石川県4,195.75285.613,910.144,192.42
福井県4,253.87111.374,142.504,264.48
山梨県4,463.5650.184,413.384,465.87
長野県13,630.96267.4813,363.4813,626.13
岐阜県10,491.69310.8310,180.8610,494.70
静岡県7,771.13546.577,224.567,769.91
愛知県5,049.06576.684,472.385,081.14
三重県5,762.38430.185,332.205,765.28
滋賀県4,025.36135.093,890.274,050.93
京都府4,632.421,034.003,598.42(A)4,621.20
大阪府1,814.63649.301,165.331,813.63
兵庫県8,332.32879.667,452.668,322.85
奈良県3,687.9749.423,638.553,688.60
和歌山県4,732.40125.674,606.734,723.48
鳥取県3,488.5074.623,413.883,489.48
島根県6,626.06218.346,325.4082.32(B)6,624.60
岡山県7,059.00213.716,845.297,046.48
広島県8,422.16291.538,130.638,436.52
山口県6,098.11977.825,120.296,082.11
徳島県4,141.6391.414,050.224,143.22
香川県1,862.3488.261,774.081,858.73
愛媛県5,663.15277.375,385.785,667.26
高知県7,104.93132.906,972.037,103.62
福岡県4,906.35772.004,134.354,939.70
佐賀県2,403.7455.632,348.112,449.03
長崎県4,069.97541.103,528.874,075.98
熊本県7,385.28495.846,889.447,437.75
大分県6,329.31447.305,882.016,333.87
宮崎県7,744.04642.877,101.177,738.85
鹿児島県7,825.68581.357,244.339,103.81
沖縄県2,386.24
十和田湖59.8659.86

備考:
(A) 一巻,四巻(全国368,302.94 km2、京都府4,630.47 km2,鹿児島県7846.42 km2)と七巻,八巻で面積が異なる。
昭和28年9月に市町村面積の改訂を行った結果第一巻に掲載の面積より市部(1.14方粁減)、郡部(3.09方粁増)、県計(1.95方粁増)がそれぞれ増減している。
鹿児島県における面積修正(-20.74 km2)の原因は不明
(B) 十和田湖(59.86 km2)を含む。
(C) 十和田湖(59.86 km2)を含まない。
(D) 宍道湖 (82.32 km2)は市部・郡部の面積に含まない。

面積については以下のように解説されています。

1) 旧内地の面積は昭和10年内閣統計局刊行「全国市町村別面積調」を基礎として、建設省調査所の史料より訂正したもの。
9) 昭和25年国勢調査第一巻第1表の昭和25年の面積368,302.94方キロを本数字に改訂。


つまり面積のデータは基本的には『昭和十年 全国市町村別面積調』からの増減で対応していることが分かります。ただし面積の出所は「昭和25年 全国市町村別面積調査(建設省地地理調査所)」とありますが、そもそもこの資料が閲覧可能な印刷された資料なのかどうかが分かりません。

また『琉球統計報告 第2巻第5号』 (1952年)によると、1950年の国勢調査面積は以下の通りとなっております。

群島土地面積(km2)
全琉球3,677.24
沖縄群島1,500.69
奄美群島1,239.00
宮古群島250.01
八重山群島637.54

1、面積は参謀本部陸地測量部の5万分の1の地形上における1940年1月26日の調査を基礎にして算出したものである。
2、沖縄群島の面積は、硫黄島島(2方粁)を含んだ数字である。
3、奄美群島の面積には、十島村(18.39方粁)を含んだ数字である。


なお『琉球統計報告』などの1950年国勢調査報告書には琉球の市区町村別の面積の情報が記載されておりませんが、『沖縄県統計書 昭和15年第1編』および『琉球統計年鑑 第1回(1955-1956年)』と照らし合わせることにより、市区町村別面積について一応算出することが可能です。ただし1950年国勢調査における奄美群島の市町村別面積の情報がまだ得られておらず、『沖縄群島要覧』 (1952年)の閲覧・比較検討を予定しております。


既に上の表でも十和田湖と宍道湖が特別扱いとなっておりますが、昭和25年の国勢調査については以下のように市区町村の面積に含まれない地域が存在します。もっともこれらは市区町村面積とは別に集計することで対応可能です。

都道府県地域面積
青森県南津軽郡五郷村外錯雑地3.79
青森県上北郡小川原沼62.26
青森県(郡部)十三湖20.55
宮城県玉造郡西大崎村外六ヶ村入会地5.57
秋田県(郡部)八郎潟湖222.21
山形県東村山郡長崎町外三ヶ村入会地0.08
山形県東村山郡豊田村長崎町入会地0.36
山形県西置賜郡西根村平野村入会地105.96
福島県(郡部)猪苗代湖104.15
茨城県行方郡霞ヶ浦30.97
茨城県真壁郡所属不明の飛地0.08
千葉県君津郡秋元村三島村入会地0.25
千葉県印旛郡印旛沼の所属不明地域15.19
東京都(三宅支庁)三宅島三宅村阿古村坪田村共有地5.48
東京都(八丈支庁)鳥島4.65
東京都(八丈支庁)ベヨネイス列岩0.02
東京都(八丈支庁)須美寿島0.05
東京都(八丈支庁)嬬婦岩0.01
神奈川県足柄上郡北足柄村外九ヶ村組合地11.14
神奈川県足柄上郡南足柄村外九ヶ村組合地9.23
神奈川県足柄上郡岡本村外九ヶ村組合地5.44
神奈川県足柄下郡湯河町外一ヶ村入合地0.39
神奈川県足柄下郡宮城町村外七ヶ村組合地5.10
新潟県佐渡郡加茂湖の所属不明地域0.97
富山県下新川郡黒部国有林351.79
富山県東礪波郡東山見村外一ヶ村入会地1.45
富山県西礪波郡石黒村吉江村入会地1.62
富山県西礪波郡東石黒村西野尻村入会地2.53
石川県珠洲郡河北潟22.85
石川県珠洲郡邑知潟4.74
福井県大野郡大野町外三ヶ村入会地2.47
山梨県東八代郡花鳥村外五ヶ村入会地5.49
山梨県東八代郡旧岡村外二ヶ村入会地1.56
山梨県東八代郡増田村富士見村外二ヶ村入会地2.30
山梨県北巨摩郡駒城村外二ヶ村入会地38.11
長野県諏訪郡諏訪湖14.45
長野県上伊那郡美篶村高遠町錯雑地0.11
静岡県賀茂郡天城御料地78.21
静岡県田方郡棚塩山御料地4.06
静岡県田方郡天城御料地73.61
静岡県駿東郡小山町外二ヶ村入会地0.66
静岡県富士郡富士山御料地28.61
静岡県引佐郡猪鼻湖5.57
静岡県(郡部)浜名湖70.74
三重県一志郡豊地村外三ヶ村入会地5.98
三重県北牟婁郡長島町桂城村入会地0.14
滋賀県(郡部)琵琶湖695.47
京都府与謝郡阿蘇海5.19
京都府熊野郡久美浜湾7.30
大阪府南河内郡河内村白木村錯雑地1.63
大阪府南河内郡中村河内村錯雑地0.93
奈良県北葛城郡陵西村外三ヶ村入会地0.93
和歌山県伊都郡妙寺町信太村入会地0.54
鳥取県東伯郡東郷池4.32
島根県(市部・郡部外)宍道湖82.32
(都道府県外)(市部・郡部外)十和田湖59.86


しかしながら、以下の地域については、分割・吸収前の市区町村の面積が調査未了により残ってしまっています。

都道府県市区町村面積備考
北海道空知郡上砂川町n.a.昭和24年4月1日砂川町の一部及び歌志内町の一部を以て新設、調査未了。
北海道空知郡砂川町116.10
北海道空知郡歌志内町58.39
北海道上川郡朝日村n.a.昭和24年8月20日上志別町の一部を以て新設、調査未了。
北海道上川郡上士別村676.88
北海道河西郡中札内村n.a.昭和22年9月1日大正村の一部を以て新設、調査未了。
北海道河西郡更別村n.a.昭和22年9月1日大正村の一部を以て新設、調査未了。
昭和23年4月1日幕別町との間に境界変更、調査未了。
北海道河西郡大正村558.76
北海道中川郡幕別町364.20
北海道広尾郡忠類村n.a.昭和24年8月20日大樹村の一部を以て新設、調査未了。
北海道広尾郡大樹村830.68
北海道常呂郡若佐村n.a.昭和23年4月1日佐呂間村の一部を以て新設、調査未了。
北海道常呂郡佐呂間村376.12
埼玉県児玉郡阿久原村n.a.昭和24年12月1日児玉郡若泉村を廃し、その区域をもって渡瀬村及び阿久原村を設置。
埼玉県児玉郡渡瀬村12.30
東京都(大島支庁)新島本村27.58新島本村・新島若郷村あわせて面積27.58 km2。
東京都(大島支庁)新島若郷村27.58
石川県河北郡金津村n.a.河北郡高松町の一部をもって金津村を設置。
石川県河北郡高松町21.20
岐阜県安八郡旧北平野村3.76昭和25年4月1日安八郡北平野村を廃し、その区分を分割し、一部を同郡神戸町に編入し、残部を揖斐郡池田村に編入。
岐阜県安八郡神戸町5.20
岐阜県揖斐郡温知村13.55昭和25年8月1日安八郡本郷村及び池田村を廃し、その区域をもって同郡温知村を設置。
岐阜県加茂郡旧富岡村10.23昭和24年10月1日加茂郡富岡村を廃し、その区分を分割し、一部を同郡富田村に編入し、残部を武儀郡関町に編入。
岐阜県加茂郡富田村6.76
岐阜県武儀郡関町32.40
島根県簸川郡旧乙立村27.11昭和25年5月3日簸川郡乙立村を廃し、その一部を同郡窪田村に、他の一部を同郡朝山村に編入。
島根県簸川郡朝山村26.78
島根県簸川郡窪田村39.69
岡山県小田郡白石島村n.a.昭和24年4月1日小田郡神島外村の一部をもって設置、調査未了
岡山県小田郡神島外村10.60

当初これらの面積も昭和30年の国勢調査の面積を参考に加減することで対応可能と考えておりました。しかしながら実際に面積を比較したところ、昭和25年と昭和30年の間で面積の基礎資料に断絶があることが分かりました。『昭和30年 国勢調査報告 第一巻 人口総数』によると

この報告書に掲げた昭和30年の都道府県市区郡町村別面積は,建設省地理調査所および総理府統計局が,終戦後修正を施した5万分の1地形図(応急修正版)上において新たに測定した昭和30年10月1日現在の境域による市区町村の平面面積である。したがって,この数値は従来の5万分の1の地形図による面積とは,地域に異動がない場合でも,かならずしも一致しない。

とあり、昭和30年の面積から逆算して修正しようとしても、恣意性を排除することは不可能です。

そこで例えば北海道について地方統計書の記述を調べてみようと、試しに『第64/65回北海道統計書 (昭和30/31年)』を閲覧してみましたが、既に面積の方は昭和30年国勢調査ベースの方法で計算したものと一致しており、より古い北海道統計書との比較が必要なことが分かりました。

また東京都の新島本村・新島若郷村に関しては、『昭和28年 東京都統計年鑑』の段階では一緒の面積が記載され、『昭和29年 東京都統計年鑑』では合併が完了してしまっており、公的に両者を分離した数字がないようです。一応『昭和13年 市町村概観.』によると、

官有地民有地合計メートル法換算値(m2の単位で四捨五入)
新島本村60町98畝1036町51畝1097町49畝10,884,198
新島若郷村2町82畝26歩102町23畝26歩105町06畝22歩1,041,990

とあり、メートル法で換算すると合計11.93 km2となりますが、これは国勢調査報告書の数字である27.58 km2を大幅に下回り、官有地・民有地の設置されていない地域が16 km2近くもあることになります。
[85558] 2014年 5月 4日(日)22:58:48【1】YT さん
1920~1950年の西日本・および1955年の国勢調査人口の要修正箇所・および変遷情報の要修正箇所
[84605][85243][85280]に続き、近畿以西の都道府県(沖縄県と三島村を除く奄美群島)の1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年、および1955年の国勢調査人口をチェックしたところ、[84549]でアップした中身について以下の箇所に間違いが見つかりました。

区町村名修正箇所修正前修正後
滋賀県坂田郡息長村昭和22年臨時国勢調査現在人口4,3354,331
滋賀県坂田郡坂田村昭和22年臨時国勢調査現在人口4,3314,335
京都府北桑田郡宮島村昭和10年国勢調査現在人口1,7991,520
京都府北桑田郡鶴ヶ岡村昭和10年国勢調査現在人口1,5201,799
京都府何鹿郡山家村大正9年国勢調査現在人口2,7073,548
京都府何鹿郡口上林村大正9年国勢調査現在人口3,5482,161
京都府何鹿郡中上林村大正9年国勢調査現在人口2,1614,145
京都府何鹿郡奥上林村大正9年国勢調査現在人口4,1452,707
大阪府南河内郡藤井寺村大正9年国勢調査現在人口4,2803,773
大阪府南河内郡道明寺村大正9年国勢調査現在人口3,7734,280
大阪府南河内郡藤井寺村大正14年国勢調査現在人口4,6644,324
大阪府南河内郡道明寺村大正14年国勢調査現在人口4,3244,664
兵庫県養父郡西谷村大正9年国勢調査現在人口3,4392,536
兵庫県養父郡南谷村大正9年国勢調査現在人口2,5363,439
鳥取県東伯郡下中山村昭和10年国勢調査現在人口1,5941,857
鳥取県東伯郡上中山村昭和10年国勢調査現在人口1,8571,594
鳥取県日野郡江尾村 (A)昭和22年国勢調査町村制鳥取県日野郡江尾町鳥取県日野郡江尾村
島根県那賀郡国府村 (B)漢字・分離島根県那賀郡国分村島根県那賀郡国府村
岡山県吉備郡薗村昭和10年国勢調査現在人口2,1822,078
岡山県吉備郡新本村昭和10年国勢調査現在人口2,0782,182
岡山県上房郡上水田村昭和5年国勢調査現在人口2,5692,434
岡山県上房郡呰部町昭和5年国勢調査現在人口2,4342,569
広島県御調郡宇津戸村漢字広島県御調郡宇都戸村広島県御調郡宇津戸村
徳島県麻植郡山瀬町 (C)大正14年国勢調査町村制徳島県麻植郡山瀬村徳島県麻植郡山瀬町
香川県三豊郡上高野村昭和5年国勢調査現在人口4,2712,144
香川県三豊郡上高瀬村昭和5年国勢調査現在人口2,1444,271
愛媛県新居郡大生院村昭和10年国勢調査現在人口3,3882,563
愛媛県新居郡大保木村昭和10年国勢調査現在人口2,5633,388
福岡県田川郡彦山村 (D)編入先田川郡添田町福岡市
福井県大野郡下穴馬村昭和30年国勢調査常住人口2,2992,860
福井県大野郡上穴馬村昭和30年国勢調査常住人口2,8602,299


(A): 鳥取県日野郡江尾村が江尾町になったのは昭和22年10月1日ではなく昭和22年11月3日。
(B): 国分村等が合併し、昭和16年8月1日~昭和26年3月31日の間、国府村が存在していたにも関わらず、国分村が続いたかのように記述してしまっていた。
(C): 徳島県麻植郡山瀬村が山瀬町になったのは大正15年5月5日ではなく大正12年5月5日。
(D): 福岡県田川郡彦山村の編入先は田川郡添田町ではなく福岡市。

上の(A), (C), (D)に絡み、以下の3箇所について変遷情報を修正する必要があると思われます。

(1) 鳥取県日野郡江尾町の町制実施の年月日 (鳥取県#82)

『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 の鳥取県の項目には全く書かれていませんが、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その31 鳥取県』によると
29) 昭和22. 11. 3. 日野郡江尾村を江尾町とする。((2 705) 備考 昭和15 (2 321)、昭和10 (2 388)、昭和5 (2 512)、大正14 (2 221)、大正9 (2 529))
とあり、以下のように修正する必要があると思われます。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前821947(S22).10.1町制日野郡江尾町日野郡 江尾村詳細
修正後821947(S22).11.3町制日野郡江尾町日野郡 江尾村詳細

同時に昭和22年10月1日時点での正しい自治体名は『昭和22年臨時国勢調査』の「全国都道府県郡市町村別人口」に記載通り、「江尾町」ではなく「江尾村」と思われます。

(2) 徳島県麻植郡山瀬町の町制実施の年月日 (徳島県#35)

『大正14年 国勢調査報告 第1巻』の「市町村の廃置分合境界更及名称変更 (大正八年一月一日乃至大正十四年十月一日)」によると、
大正十二年五月五日 麻植郡山瀬村ヲ山瀬町ト改称
とあり、大正14年国勢調査の時点で既に改称済みであり、以下のように修正する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前1926(T15).5.5町制麻植郡山瀬町麻植郡 山瀬村詳細
修正後1923(T12).5.5町制麻植郡山瀬町麻植郡 山瀬村詳細

(3) 福岡県田川郡彦山村の編入先 (福岡県#155)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その40 福岡県』によると(【追記:以下の変遷情報は51)ではなくて81)】)

51) 昭和17. 2. 11. 田川郡彦山村 (3 426)を廃し、その区域を福岡市 (330 377…計 333 803) に編入。(備考 昭和10 (3 058)、昭和5 (2 949)、大正14 (2 804)、大正9 (2 785))
とあり、以下のように修正する必要があると思います。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前1551942(S17).2.11編入田川郡添田町田川郡 添田町, 彦山村詳細
修正後1551942(S17).2.11編入福岡市福岡市, 田川郡 彦山村詳細

●以上の外、広島県豊田郡木ノ江町から木江町への改称(広島県#130)、高知県高岡郡興津村から与津村への改称(高知県#75)が、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 や『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その34 広島県』・『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その39 高知県』などで名称変更情報として扱われていません。

また岡山県和気郡英保村→英保町→吉永町の変遷について、『昭和25年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合、境界変更及び名称変更-昭和22年10月~昭和25年9月 の岡山県の項目には
昭和23年 10月 20日 和気郡英保村を英保町とする。
としか書かれていませんが、同じ[『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その33 岡山県』]によると
59) 昭和23. 10. 20. 和気郡英保村を英保町とし、英保町を吉永町とする。(英保村(3 442) 備考 昭和15 (2 628)、昭和10 (2 548)、昭和5 (2 298)、大正14 (2 142)、大正9 (2 056))
とあり、町制即日改称というように記述がなされております。しかしながら本県については過去に[83609][83612][83613][83616]のような議論があったことを知り、上の要修正項目から削除しました。ただ、国勢調査報告書では最終的に即日改称を採用していることになっております。

また三重県飯南郡大石村と櫛田村の昭和15年国勢調査人口が、『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その24 三重県』によると2691人、2380人となっておりましたが、『昭和15年 国勢調査報告 第一巻』の「世帯および男女別人口(全人口)-全国,道府県,郡,市区町村」に従い、2692人、2379人を採用したままにしました。本件の場合、郡別合計が一緒になってしまいますが、昭和25年国勢調査報告書よりも後に出版された昭和15年国勢調査報告書の方が男女別人口も載っており、より信頼できると判断しました。

市区町村昭和25年国勢調査報告書記載昭和15年国勢調査報告書記載
三重県飯南郡大石村2,6912,6921,3831,309
三重県飯南郡櫛田村2,3802,3791,1701,209
[85280] 2014年 4月 16日(水)21:54:58【2】YT さん
1920年~1950年の中部地方の国勢調査人口の要修正箇所
[85243] 白桃さん
[85247][85248] hmt さん
[85250] むっくんさん

色々フォローをありがとうございます。

正直申し上げますが、私の場合は「町制施行年月日がいつであったか」よりは、
「各国勢調査時点で町か村のどちらであったか」の方が大切なのです。(笑)

現在のところ、1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950
年の国勢調査報告書を使ってチェックしているので、自分も「各国勢調査時点で
町か村のどちらであったか」ことしかチェックしておりません。よって、白桃さ
んとほとんど立場が同じです。人口と面積の情報を入力し終わった暁には、改め
て個々の変遷情報の日付をチェックするかも知れませんが。

[84605][85243]に続き、中部地方の1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国
勢調査人口をチェックしたところ、[84549]でアップした中身について以下の箇
所に間違いが見つかりました。茨城県新治郡土浦町・真鍋町のように、人口の数
値自体を間違える誤りは見つかっておりません。

区町村名間違いの箇所修正前修正後
富山県婦負郡倉垣村昭和22年臨時国勢調査現在人口6,1221,978
富山県婦負郡八幡村昭和22年臨時国勢調査現在人口1,9786,122
富山県西礪波郡北蟹谷村昭和15年国勢調査現在人口1,6532,288
富山県西礪波郡東蟹谷村昭和15年国勢調査現在人口2,2881,653
山梨県北都留郡棡原村大正9年国勢調査現在人口1,8763,146
山梨県北都留郡西原村大正9年国勢調査現在人口3,1461,876
長野県上水内郡吉田町 (A)分離上水内郡吉田村上水内郡吉田町
長野県更級郡西寺尾村所属埴科郡で集計更級郡で集計
岐阜県本巣郡真桑村大正9年国勢調査現在人口1,8553,563
岐阜県本巣郡船木村大正9年国勢調査現在人口3,5631,855


(A): 大正3年4月1日~大正12年6月30日の期間、吉田町が存在していたにも関わ
らず(吉田村→吉田町→長野市に編入)、吉田村が直接長野市に編入したかのよう
に記述してしまっていた。

[85269] Shouta さん
というわけで現時点でも色々と要修正点が残っておりますが、[84549]でアップ
した圧縮ファイルをダウンロードして頂ければ、もっと包括的なデータが手に入
ります。

【オーナーグリグリ さんへ】

すみません

[85279]はパスワードを間違えて投稿してしましました。

削除をお願いします。
[85243] 2014年 4月 7日(月)03:06:18【4】YT さん
国勢調査人口の修正箇所と変遷情報の要修正箇所
[84549]でアップした中身について
今後の修正スケジュールですが、
(1) 1920,1925,1930,1935,1940,1947,1950年の国勢調査人口を、1950年の国勢調査報告書を使って順次チェック(2~3ヶ月前後か?)
(2) 1955年以降の国勢調査人口をチェック(1ヶ月前後か?)
(3) 1948,1946,1945,1944年の常住人口、人口調査人口をチェック(2ヶ月前後か?)
(4) 1920年よりも前の現住人口チェック(各1ヶ月、合計5ヶ月か?)
といった感じで、多分全部のチェックには1年掛かるかも知れませんが、とりあえず現時点で一応形にはなりました。
と修正計画を建てましたが、[84605]で北海道・東北地方について1920年、1925年、1930年、1935年、1940年、1947年、1950年の国勢調査人口と1950年の面積の情報を入力した後、某所で慶長国絵図・郷帳と正保国絵図・郷帳における郡別石高の整理の方に浮気をしてしまい、大幅に内容チェックが遅れてしまいました。先週よりようやく関東地方の修正に手を出した結果、以下のような入力間違いが見つかりました。昭和5年の茨城県新治郡土浦町・真鍋町の人口入力のミスは、昭和10年の町域に組み替えた人口を入力してしまったためであり、昭和5年の国勢調査の人口順位に関しても、【人口1万8186人~1万8338人の間の都市は1つ順位が上がり、人口5441人~5593人の間の都市は、1つ順位が下がるなど、該当する都市以外について】若干の修正が必要となりました。

市区町村名間違いの箇所修正前修正後
茨城県新治郡土浦町昭和5年国勢調査現在人口18,33918,186
茨城県新治郡真鍋町昭和5年国勢調査現在人口5,4415,594
群馬県北甘楽郡小幡町大正14年国勢調査町村制群馬県北甘楽郡小幡村群馬県北甘楽郡小幡町
埼玉県北足立郡志紀町【(A)】漢字・分離北足立郡志木町北足立郡志紀町
埼玉県北埼玉郡利島村大正14年国勢調査現在人口2,5653,442
埼玉県北埼玉郡川辺村大正14年国勢調査現在人口3,4422,565
東京府荏原郡平塚町【(B)】分離荏原郡平塚村荏原郡平塚町
神奈川県津久井郡小淵村大正14年国勢調査現在人口845822
神奈川県津久井郡沢井村大正14年国勢調査現在人口822845

【(A): 昭和19年2月11日~昭和23年3月31日の期間、志紀町が存在したのにも関わらず、昭和23年4月1日に分割・成立後の志紀町とまとめてしまっていた。】

【(B): 大正15年4月1日~昭和2年6月30日の期間、平塚町が存在していたにも関わらず(平塚村→平塚町→荏原町)、平塚村から直接荏原町に改称したかのように記述してしまっていた。】

また、以下の2箇所について変遷情報を修正する必要があると思われます。

(1) 群馬県北甘楽郡小幡町の町制実施の年月日 (群馬県#25)

『大正14年 国勢調査報告 第1巻』の市町村の廃置分合境界更及名称変更 (大正八年一月一日乃至大正十四年十月一日)によると、大正14年5月10日の時点で既に北甘楽郡小幡村を北甘楽郡小幡町に改称しており、以下のように修正する必要があると思われます。

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前251926(T15).5.10町制北甘楽郡小幡町北甘楽郡 小幡村詳細
修正後251925(T14).5.10町制北甘楽郡小幡町北甘楽郡 小幡村詳細

(2) 埼玉県大里郡久下村の分割編入 (埼玉県#64)
『昭和25年国勢調査報告 第7巻 都道府県編 その11 埼玉県』によると
57) 昭和16.4.10 大里郡久下村(1 939)を廃し、その一部(1 772)を熊谷市に、残部(167)を北足立郡吹上町に編入。(備考久下村昭和10 (2 009)、昭和5 (2 009)、大正14 (2 019)、大正9 (1 940)
とあり、以下のように久下村の吹上町への編入を追加する必要があります。【主・微で表記するのであれば、熊谷市に編入される分が主、吹上町に編入される分が微です。】

#変更年月日変更種別郡名等自治体名変更対象自治体名/変更内容詳細
修正前641926(T16).4.10編入熊谷市熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村詳細
修正後641926(T16).4.10編入熊谷市熊谷市, 大里郡 玉井村, 大麻生村, 久下村の一部詳細
修正後651926(T16).4.10編入北足立郡吹上町北足立郡 吹上町, 久下村の一部詳細

【一部文章を追加修正】
[84612] 2013年 12月 31日(火)01:02:50【3】YT さん
昭和30年の豊栄村への合併時には「てへん」の高擶村の方が正式?
[84609] 伊豆之国 さん

この地域にあるJR奥羽線の駅は、文字は「手へん」の「高擶」で、読みは「たかたま」と濁りません。


調べていただきありがとうございます。私も昭和58年頃に印刷された日本地図を見て、駅名が高擶駅、また天童市内に書かれいる地図上の大字名も「高擶」と、「てへん」になっていることを確認しました。高擶小学校のサイトを見ると、楡の木云々の謂れが載っておりますが、もはや「てへん」の「高擶」を正式に採用してしまっているようです。

で、[84605]を投稿した段階では、本当は「きへん」が正しくて、日本語入力システムの関係で仕方なく「てへん」の「高擶」に移行したものだと思っておりました。現に近代デジタルライブラリーで、「てへん」の「高擶村」で検索をかけても何も引っかかりませんが、「きへん」の「高ダマ」で検索を掛けると、『有栖川宮記念厚生資金選奨録』(【追記】中身を確認すると、昭和8年頃の段階で「きへん」の「高ダマ村社会事業協会」となっている)、『図書館叢書』(【追記】今中身を確認したら、左の文章中では昭和6年の段階で「てへん」の「高擶村青年団」になっていた)、『山形県史蹟名勝天然紀念物調査報告』(【追記】中身を確認すると、昭和2年頃の段階で「きへん」の「高ダマ城址」「高ダマ村」となっている)などの文献が引っかかることから、少なくとも当初は「きへん」の「高ダマ村」が正式とみなされていたと思われます。

一方官報では、「てへん」の「高擶」で2件引っかかりますが、実際に中身を見ると昭和5年9月5日の逓信省告示第二千百三十三号では「きへん」の「高ダマ」(逓信大臣 小泉又次郎って、小泉純一郎の祖父か)となっているのに対し、昭和8年8月4日の逓信省告示第千七百八十三号の方では、「てへん」の「高擶(タカタマ)」郵便局となっており、官報でも混乱が見られるだけかと思いました。

ところが官報で「きへん」の「高ダマ」で検索を掛けたところ、気になる情報が出てきました。昭和3年6月4日の逓信省告示第千四百六号によると、

●逓信省告示第千四百六号
昭和三年六月十一日ヨリ左記郵便局ヲ改称ス
 昭和三年六月四日
   逓信大臣 久原房之助
現名称 高ダマ(きへん)郵便局
改称 高擶(タカタマ)郵便局
位置 山形県東村山郡高擶村(てへん)


つまり昭和3年に郵便局の名称をわざわざ「きへん」から「てへん」に改称しているのです。となると、おそらくこの時期に、村の呼称も「きへん」から「てへん」に変える状況が発生したものと推測されます。

国立公文書館デジタルアーカイブで高擶村を検索すると、昭和30年1月1日の総理府告示第1084号として、「村の廃置分合(東村山郡干布村、高擶村を廃し豊栄村を置く)」という情報が出てきます。残念ながら昭和30年の官報に実際に印刷された画像を見ることはできませんが、「てへん」の方で情報は入力されています。

これらの情報を総合して判断すると

(1) 当初は「きへん」の「高ダマ村」が正式だった。
(2) ところがどういうわけか、昭和3年前後に、「てへん」の「高擶村」に改名するような事態があったらしい。
(3) 近代デジタルライブラリーで戦後に発行された地図を見ると、「高擶村」になっているが、国勢調査報告書の方は旧来の名称を引き摺って、「きへん」の「高ダマ村」と記述し続けた。
(4) 昭和27年に高擶駅ができた頃は既に「てへん」の「高擶」が正式と思われる。ただし戦前の文書は濁音に無頓着なので、「タカタマ」という振り仮名そのままに「たかたま」と命名してしまったのかもしれない。
(5) 合併して豊栄村になった時の官報の印刷原文は確認できないが、どうも合併時には「てへん」の「高擶村」である可能性が高い。
(6) JIS規格にには「てへん」の「擶」のみが採用され、また現在の大字名等も「てへん」の「擶」が正式。

といった感じかも知れません。

郵便局の名称変更の情報からすると、昭和3年頃に「きへん」から「てへん」の改名が行われたようですが、実際の村の呼称の方ではどういう形で改名が行われたのかは気になります。


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