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MIさんの記事が10件見つかりました

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[79005] 2011年 8月 8日(月)23:02:31【1】MI さん
Re: 「市制町村制」と「自治体の呼び名」 (6)情報との付き合い方
 皆さん十番勝負にお楽しみのところ、場違いなようで気が引けるのですが、[78874] hmt さんからのご質問にお答えしなければなりますまい。
確認ですが、「日野村」という誤植があった「町村分合改稱」一覧表は、4月1日施行の「県令第10号」ではなく、3月31日施行の「県令第9号別冊」【つまり旧町村のリスト】ですね。
[78871] むっくん さん が言及された「(3)新市町村の役場位置に関する県令」は、発見できなかったのでしょうか?
また、同様に言及のあった“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】にも、「日野宿」と記載されていたでしょうか。

 まず「日野村」の誤植があった「町村分合改稱表」は「縣令第九號別册」に間違いありません。該当部分を正確に抜き出すと次のようになります。

郡名新町村名舊町村名
南多摩郡日野村日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 粟須村飛地

 次に「役場位置に関する県令」ですが、そこまで確認は致しませんでした。[78873] で引用した神奈川県公報の 明220311付 は他に縣令第十一號「分合町村ニ係ル財産處分方」、縣令第十二號「郡部地方税徴収期限第六項の延期」があるのみでした。またマイクロで「役場位置」のリストがあったように記憶はしておりますが、きちんとは確認しませんでした。
 同様に、“神奈川県公報第268号(M22.7.19)にある「神奈川県各郡町村名大字役場位置表」”【新町村のリスト】も未確認です。なにぶん大急ぎで訪れたことゆえご容赦いただきたいと思います。

 つづいて [78980] hmt さん
[78806] MI さん 紹介の資料から、類例をもう一つ。『神奈川県改定区画傍訓町村名鑑』
一例として、1町2駅6村、合計僅かに 9町村しか記されていない 津久井郡をリンクしておきました。
実際は 24町村ありますが、郡役所所在地の中野村を始め、ごっそり脱落しています。
最初は組合村が脱落したのかと思いましたが、そうでもないようです。
についてなのですが、まず神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(凡例)をご覧ください。

此書ハ明治二十二年四月市町村制ノ施行ニ際シ神奈川県改定ノ市町村名ヲ列載スルモノトス

 つまり「改定しなかった市町村は掲載していない」のだと思います。縣令第九號も「分合改稱」したものを掲げているわけですから、例に挙げられた津久井郡であれば、単独で町村制を敷いた
 根小屋村、太井村、中野村、又野村、三ケ木村、青山村、長竹村、千木良村、沢井村、佐野川村、名倉村、鳥屋村、青根村、青野原村、牧野村 以上15ヶ村
については縣令にも表れませんし、上述の文献も脱落した訳ではないように思うのですが如何でしょうか。

#「改訂しなかった市町村」は誤変換でしたので訂正しました。
[78873] 2011年 8月 6日(土)01:03:38MI さん
日野村は神奈川県令の誤りでした
[78846] オーナー グリグリ さん
 メンバー登録ありがとうございました。ご挨拶が遅れてしまいましたが、皆様どうぞよろしくお願いします。
 さて本日、二俣川の神奈川県立公文書館に行って参りましたので、ご報告いたします。日本海側に在住の私ですが、今週は休みを取って国会図書館に籠っていたのです。今日は最終日だったのですが、[78871] むっくん さんの書き込みを拝見しましたら、二俣川へは私が行くのが最適なように思えまして、電車とバスを乗り継いで行きましたよ。
 明治20年からの「神奈川県公報」は製本されて開架に並んでいるのですが、肝心の県令が欠落しているようです。係りの方に訊ねますと、そういうこともあるので他で所蔵したものも併せてマイクロフィルムにしてあり、そちらを閲覧しました。
 さあお待たせしました。問題の県令全文です。

○縣令第九號
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改稱ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固
                        (別冊ハ附録)

○縣令第十號
明治二十一年法律第一號ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ得明治二十二年四月一日ヨリ横濱ヘ市制其他ノ町村ヘ町村制ヲ施行ス
  明治二十二年三月十一日       神奈川縣知事冲 守固

 そして別冊に「町村分合改稱」の一覧が掲載されているのですが、ここで大変なことを発見してしまいました。日野宿の部分は予め「日野村」と印刷されたうちの「村」を手書きで「宿」と直してあるのです。これは[78871] むっくん さんのいわれる
まず当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。神奈川県においても同様だったと考えられます。
 の正しく実例と考えられましたので、マイクロリーダーに目を凝らしてついに見つけました。

「神奈川県公報」明治22年5月15日
正誤 公報第弐百貮拾八號縣令第九號別冊九頁中鶴川村ノ下「熊ヶ谷村」ハ「能ヶ谷村」同南村ノ下「高坂村」ハ「高ヶ坂村」十頁中「日野村」ハ「日野宿」二十頁伊勢原町ノ下「坂戸村」ハ「板戸村」ノ誤

 「日野村」と記された史料が散見される理由については、これで明確になったと思います。本当に単純な誤りであったのか、それとも何らかの理由があったのかは分かりませんが、とにかく県令9号で「日野宿」とされたことが確認されたわけです。

 「宿」や「駅」を町(または村)とみなすとかいうような説明は公報を見た限りでは見つけられませんでしたが、とりあえずここまでのご報告です。
[78824] 2011年 7月 24日(日)23:02:43MI さん
Re2: 日野宿か、あるいは日野村か
[78812][78819][78820] hmt さん
 コメントやアドバイスを有難うございます。調べるほどに矛盾する史料が出てきて「嬉しい」限りですが、また困った例を近代デジタルライブラリに見つけてしまいました。
 新撰東京府分図 学校用(明260517発行)の「東京府十五區九郡及ヒ伊豆七島町村名一覧表」にある「明治二十六年四月一日ヨリ神奈川縣ヨリ東京府管下ヘ新ニ編入セラレタル三郡町村名表」には「改八王子町」「改由井村」のように、小さい字で「改」を附した町村名と、それを構成する旧村名(大字名)が記載されています。ところがその南多摩郡を見ても「日野」が見えず、詳細に眺めましたら「改桑田村」の中に「日野宿 上田村 下田村 石田村 新井村 川辺堀内村 豊田村」とありまして、なんと日野宿が桑田村の一部になっているのでした。ただ「神奈川県町村合併誌」などと見比べますと「宮村」が欠落しているなど、信憑性に乏しく思われます。しかしこういう史料もあったという記録にとどめるため、あえてご紹介しました。

[78820] hmt さんの
30時間以内にかぎり本人に認められる「訂正」は、登録したメンバーに限られています。
とは承知しておりませんでして、大変失礼しました。いまほどメンバー登録を申請いたしましたので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[78818] 2011年 7月 24日(日)13:31:44MI さん
Re: 日野宿か、あるいは日野村か
まずはお詫びと訂正です。[78806] の末尾にある
この上は明治26年の神奈川県告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。
は、
この上は明治26年の東京府告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。
の誤りでした。気づいた時には書き込み訂正の時間を過ぎておりまして、大変失礼いたしました。

 さて、昨日図書館で明260704官報附録p001の再確認をして参りました。この時期(明治32年5月まで?)の官報には附録に「庁府県公報」が掲載されることがあり、またそれ以降は本紙の広告欄に同種の掲載があることから、ここ数年はその照合を根気強くやっております。
 当該日の原文は次の通りでした。
南多摩郡日野宿ヲ日野町、北多摩郡府中驛ヲ府中町ト改ム此段公告ス
 明治二十六年六月二十六日
  東京府
 なんと、[78806]で引用した「現行東京府布令類纂」の記述とは異なっており、日野宿→日野町となっています。ただ、この「庁府県公報」の位置づけは各庁府県の公報等から抜粋した「二次史料」でありましょう。実際、告示番号もついていないのです。従って「一次史料」(この場合は明治26年東京府告示第47号」の確認がどうしても必要となると思います。広尾の都立図書館に「警視庁東京府公報」があることは分かっています。
[78807] 2011年 7月 22日(金)06:35:14MI さん
「村」のつかない「村」
[78790] オーナー グリグリ さん
[78794] むっくん さん

 神奈川県の「駅」「宿」、新潟県の「浦」以外にも「新田」がありました。

新潟県北蒲原郡蓮潟新田_村
新潟県南魚沼郡杤窪新田_村 (栃窪や橡窪などとも表記することあり)
岐阜県厚見郡左兵衛新田_村
岐阜県中島郡午北新田_村
岐阜県中島郡午南新田_村
岐阜県下石津郡安田新田_村
岐阜県下石津郡沼新田_村
岐阜県下石津郡帆引新田_村
岐阜県下石津郡万寿新田_村
岐阜県下石津郡本阿弥新田_村
岐阜県下石津郡徳田新田_村
岐阜県多芸郡根古地新田_村
岐阜県多芸郡駒野新田_村
岐阜県安八郡下大榑新田_村
岐阜県安八郡大吉新田_村
岐阜県安八郡藻池新田_村
岐阜県安八郡海松新田_村
岐阜県安八郡福束新田_村
岐阜県安八郡中郷新田_村

 以上ですべてだと思います。どうぞご確認ください。
[78806] 2011年 7月 22日(金)06:14:58MI さん
日野宿か、あるいは日野村か
[78790] オーナー グリグリ さん
[78794] むっくん さん
[78797] 88 さん
[78798] hmt さん

 私も自作の市町村変遷データベースを構築するに当たり、「駅」「浦」には頭を悩ませたものでした。集計上「町」や「村」でカウントさせるための便法として、「府中駅_町」「粟島浦_村」のような表記を採用しております。ご参考までに。
 さて日野宿について、当方のデータではこれまで「日野宿_町」としておりました。それは「神奈川県町村合併誌上巻(昭330330発行)」p83以降に掲載された
県令第九号
各町村の内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改称ス
 明治二十二年三月十一日
  神奈川県知事 沖 守固
(別冊)
 町村分合改称表
新町村名 旧町村名
  (中略)
日野宿  日野宿 西長沼村飛地 平山村飛地 栗須村飛地
によったからです。さらに近代デジタルライブラリの「神奈川県各市郡改町村名大字役場位置表(明治241001出板(ママ))」にも「日野宿(ひのじく)」とあり、その構成も「日ノ、西長沼飛地、平山飛地、栗須飛地」で一致しています。
 
 皆様のご発言を読み、「神奈川県県治一斑」や「神奈川県町村合併誌上巻」での町村数を確認しまして、あらためて手許にあるものやネット上の史料を照合して驚きました。明治22年時点で「日野村」となっているものが複数見つかったのです。
 「神奈川県改定区画傍訓町村名鑑(明220406出版)」には「日野村(ヒノ)」とあり、たしかに南多摩郡は1町19村になっています。
 「新旧対照市町村一覧(明221113出版)」も「日野村(ひの)」ですが、日野宿、西長沼村飛地、平山村飛地、栗須村飛地とで構成されています。
 「現行東京府布令類纂(明310425発行)」の日野町の項が、
日野宿、西長沼村飛地、平山村飛地、栗須村飛地ヲ合村
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ日野村ヲ日野町ト改稱ス
 1行目の「合村」、2行目の「日野村ヲ」と明記してあります。
 ちなみに同書の府中町の項、
府中驛、是政村飛地ヲ合併
明治廿六年告示第四十七號ヲ以テ府中驛ト改稱ス
と見比べますと、その違いは明瞭です。

 この上は明治26年の神奈川県告示第47号の原文(およびその別冊)にあたる必要があると思います。私の過去の調査で、明260704官報附録p001にも同内容のものが報告されていることは分かっていますが、原文までは記録しておりませんでしたので、これも再確認が必要だと思います。
[78763] 2011年 7月 13日(水)06:26:31MI さん
ふたたび「石地町村」と「北大瀁村」について
皆様どうも御無沙汰しております。

[78755]88さん
市区町村変遷情報(市制町村制施行時の情報) 完成
 本当に編集作業ご苦労様でした。市区町村を語る上での基礎データとして、その重要性は申すまでもありません。私も完成に心からお祝いを申し上げたいと存じます。

 さて、早速地元である新潟県をちょっと眺めてみたのですが、ずいぶん以前に[68959]MI で指摘し、[69153]88さん からレスをいただいていた標記の件が反映されていませんし、そればかりか、中頸城郡「北大浜村」になっているようです。
 どうかご確認をお願いいたします。
[73514] 2010年 1月 1日(金)11:06:17MI さん
櫛原村 or 節原村
 新年早々、[73437] 88 さんの「市区町村変遷情報 小レス 市制町村制施行時(福岡県)について 1」を拝見しておりまして、気づいたことがありますのでお知らせします。
 御井郡合川村に関連して「御井郡櫛原村」とあるのですが、自作のデータベースでは「御井郡節原村」としております。市区町村変遷情報では「御井郡 小森野村, 櫛原村, 合川村の一部」で櫛原村を編制したとされていますが、『福岡県改正町村名(岸田穂積編,1889)』では「小森野村, 櫛原村(南薫通及國道兩側ヲ除ク), 合川村ノ内縣道以西」で「節原村」と記載され、ご丁寧に「フシハラ」とルビまで振ってあります。また、『福岡県新町村名(葉石次郎編,磊落堂,1889)』もルビこそありませんが、同様の記述です。
 『新旧対照市町村一覧』、『大日本市町村名鑑』、『大日本全国各府県市町村新旧対照一覧』、『幕末以降市町村名変遷系統図総覧』、『市町村名変遷辞典』、『旧市町村名便覧』など手許で確認できる資料は「節原村」です。一つだけ、『全国市町村名変遷総覧』だけが p1102,1109 で「櫛原村」となっていましたが、どうやらこれが誤りのように思えます。
 旧櫛原村のうち南薫通及國道兩側は久留米市になっていますので、「御井郡 小森野村, 櫛原村(本体), 合川村の一部」で「御井郡節原村」が成立したと表記すべきと考えます。併せて大正12年の久留米市への編入も「三井郡節原村」としてはどうでしょう。ご検討をお願い申し上げます。
[69708] 2009年 4月 27日(月)19:40:00MI さん
男衾郡藤田村
[69707] むっくん さん

 早速のご確認有難うございました。藤田村については私も確認漏れがあったようです。ご紹介の地方行政区画便覧には男衾郡藤田村が見えますね。大変失礼いたしました。

 幡羅郡の柳沼村か柿沼村については、その前ページの下奈良村のところに「柿沼村」として掲載されています。
 更に『市町村名変遷系統図総覧』でも幡羅郡柿沼村と記されています。聞くところによるとこの本は各県の市町村合併誌(史)を参考にしているそうですので、やはり柿沼村が正当であるように思います。

 人間のすることですから、さまざまなミスや誤りが入り込むことはやむを得ないと思います。それを訂正するのは勿論ですが、その際「何をどのように訂正したのか」を分かるようにする必要性を感じています。それを怠っていると、史料毎で一致しないデータがあったときに、どれを信用すればよいか分からず、同じ誤りを拡大してしまうことになりかねないのですね。
[69704] 2009年 4月 27日(月)15:48:46MI さん
埼玉県の郡編替について
[69697] むっくん さん

 貴重な史料を有難うございます。手許のデータと照合しているのですが、気づいた点を。

埼玉県
県令甲第6号
同国同郡 小田村
 右 武蔵国比企郡へ編入す
 入間郡小田村ではなく、小用村ではないでしょうか?

同国同郡 藤田村
 右 武蔵国榛澤郡へ編入す
 男衾郡藤田村というのが分かりません。もう少し調べてみます。

同国幡羅郡 柳沼村 新島村 北埼玉郡 戸出村 平戸村
 右 武蔵国大里郡へ編入す
 幡羅郡柳沼村ではなく、柿沼村ではないでしょうか?


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