[78846] オーナー グリグリ さん
メンバー登録ありがとうございました。ご挨拶が遅れてしまいましたが、皆様どうぞよろしくお願いします。
さて本日、二俣川の神奈川県立公文書館に行って参りましたので、ご報告いたします。日本海側に在住の私ですが、今週は休みを取って国会図書館に籠っていたのです。今日は最終日だったのですが、
[78871] むっくん さんの書き込みを拝見しましたら、二俣川へは私が行くのが最適なように思えまして、電車とバスを乗り継いで行きましたよ。
明治20年からの「神奈川県公報」は製本されて開架に並んでいるのですが、肝心の県令が欠落しているようです。係りの方に訊ねますと、そういうこともあるので他で所蔵したものも併せてマイクロフィルムにしてあり、そちらを閲覧しました。
さあお待たせしました。問題の県令全文です。
○縣令第九號
各町村ノ内内務大臣ノ認可ヲ得明治二十二年三月三十一日ヲ以テ別冊ノ通リ分合改稱ス
明治二十二年三月十一日 神奈川縣知事冲 守固
(別冊ハ附録)
○縣令第十號
明治二十一年法律第一號ニ依リ内務大臣ノ指揮ヲ得明治二十二年四月一日ヨリ横濱ヘ市制其他ノ町村ヘ町村制ヲ施行ス
明治二十二年三月十一日 神奈川縣知事冲 守固
そして別冊に「町村分合改稱」の一覧が掲載されているのですが、ここで大変なことを発見してしまいました。日野宿の部分は予め「日野村」と印刷されたうちの「村」を手書きで「宿」と直してあるのです。これは
[78871] むっくん さんのいわれる
まず当時のいずれの県の公報においても誤記は少なくなく、その後幾度にわたって訂正として出されています。神奈川県においても同様だったと考えられます。
の正しく実例と考えられましたので、マイクロリーダーに目を凝らしてついに見つけました。
「神奈川県公報」明治22年5月15日
正誤 公報第弐百貮拾八號縣令第九號別冊九頁中鶴川村ノ下「熊ヶ谷村」ハ「能ヶ谷村」同南村ノ下「高坂村」ハ「高ヶ坂村」十頁中「日野村」ハ「日野宿」二十頁伊勢原町ノ下「坂戸村」ハ「板戸村」ノ誤
「日野村」と記された史料が散見される理由については、これで明確になったと思います。本当に単純な誤りであったのか、それとも何らかの理由があったのかは分かりませんが、とにかく県令9号で「日野宿」とされたことが確認されたわけです。
「宿」や「駅」を町(または村)とみなすとかいうような説明は公報を見た限りでは見つけられませんでしたが、とりあえずここまでのご報告です。