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[107114] 2023年 3月 20日(月)14:42:22【3】訂正年月日
【1】2023年 3月 20日(月)18:07:40
【2】2023年 3月 20日(月)21:35:49
【3】2023年 5月 25日(木)17:21:26 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治23年北海度庁の町村別人口4カ所の人口訂正と、明治22年における丸亀営所の所属町村の問題
[107111] 白桃さん

注1:表中1886年の(人口)は、「市街名邑及町村二百戸以上戸口表」(M.21年「内務省総務局」に記載された現住人員(1886年12月31日調)、1890年の(人口)は、YTさんが算出された現住人口(日本帝国民戸口表基準)、1908年の(人口)は「日本帝国人口静態統計」によります。

早速使って頂きありがとうございます。

ただ、[107050]でアップロードしました明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口については、[107077]に加え、北海道庁の一部市区町村に間違いがありましたので、追加訂正します。

【1】

修正前:
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口(官報基準)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)
茅部郡蛯谷村29825655471559559
茅部郡石倉村13712025730268268

修正後
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口(官報基準)現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)
茅部郡石倉村29825655471565565
茅部郡蛯谷村13712025730262262

『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』は、明治23年の戸口表に関して、本籍人口と現住戸数をまとめた「各郡区町村別戸口表」と、出入寄留をまとめた「各郡区町村別人口出入表」が分離しているのですが、両者で順番が違っていたのを見落とし、誤って逆にまとめて算出してしまいました。この間違いは『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で気付きました。本籍男~現住戸数の数値は逆で、[出]外国行~[入]他町村入寄留の数値は正しいです。ただし修正するにあたっては、「各郡区町村別戸口表」の順番を優先し、石倉村と蛯谷村を逆にし、出]外国行~[入]他町村入寄留の数値を入れ替えました。結果、現住人口(官報基準)と現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)の数値が変わります。


【2】

修正前:
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口
(官報基準)
現住人口(日本帝国
民籍戸口表基準)
備考
室蘭郡輪西村17118835967504503
室蘭郡元室蘭村8286421,4703001,5201,520M23.5.15改称

修正後:
市区町村本籍男本籍女本籍人口現住戸数現住人口
(官報基準)
現住人口(日本帝国
民籍戸口表基準)
備考
室蘭郡輪西村8286421,4703001,6151,614本籍男171, 本籍女188, 本籍人口359, 現住戸数67を修正
室蘭郡元室蘭村17118835967409409M23.5.15改称; 本籍男828, 本籍女642, 本籍人口1,470, 現住戸数300を修正

こちらはむしろオリジナルは『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』に従ってまとめてました。即ち「各郡区町村別戸口表」の方は元室蘭村、輪西村、各郡区町村別人口出入表」の方は輪西村、元室蘭村の順番に数字が示されており、入力の際にはちゃんと順番を入れ替えて表にまとめました。しかしがら『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で数値がおかしいことに気付きました。明治22年、明治24年の人口と比較すると、明治23年だけ特異的に室蘭村と輪西村の人口が不自然に反転していました。そこで『明治二十四年 徴発物件一覧表』の掲載の値が正しく、「各郡区町村別戸口表」の方で誤って元室蘭村と輪西村の順番を間違えてしまったと判断し、本籍男~現住戸数の数字を輪西村と元室蘭村の間で交換するという修正を行いました。[出]外国行~[入]他町村入寄留の数値は、人口比からも数字的に元データが正しいと判断し、こちらは修正しませんでした。結果、現住人口(官報基準)と現住人口(日本帝国民籍戸口表基準)の数値が変わります。

以上の間違いは『明治二十四年 徴発物件一覧表』との数値の比較で気付きましたが、他の地域については官報掲載の現住人口との比較である程度この手の入力誤りは防げていたと思います。北海道庁・沖縄県・奄美・トカラ・対馬・隠岐に関しては、官報掲載の現住人口によるチェックができないため、このような間違いがほかにあるかも知れません(明治22年に関しては、『町村別戸口表』の方に欄外で官報掲載の現住人口が記載されているため、北海道庁と、そもそも情報漏れの伊豆・小笠原以外は数値のチェックができます)。

この他、戸長役場連合、町村組合管轄の範囲について、SUM関数の指定を誤っている箇所が既にいくつか見つかっていますが、これについてはまあ追加修正は一々メモっていないので、次回の更新で突然の修正がいくつも出てきますがすみません。


なお、今回香川県の過去の人口をまとめていらっしゃいますが、明治22年(1889年)12月31日調の香川県の現住人口について、一点扱いに困っている項目があります。それは、丸亀城下におかれた「丸亀営所(旧一番丁~五番丁)」の扱いです。明治22年末の香川県那珂郡は、無籍在監人2人、入寄留の囚人及懲治人208人、入寄留の陸海軍在営艦者1,598人の存在を確認できますが、この内無籍在監人2人は那珂郡丸亀御供所町に加えると、官報掲載の現住人口とも一致することからも、丸亀監獄が丸亀御供所町に存在したことが確認できます。一方で入寄留の陸海軍在営艦者1,598人とは、すなわち丸亀営所に現住戸籍を届けた陸軍第五師団歩兵第十二連隊の下士・卒・生徒であることに相違ありません。問題はその所在地ですが、『新版 角川日本地名大辞典』などによると、例えば那珂郡丸亀五番丁について、

明治7年広島鎮台丸亀営所創設にともない,陸軍省が一番丁~四番丁の用地を買収,その後当町も歩兵第12連隊の作業場地域となり,町は消滅した。なお,昭和25年当町域は城東町の一部として再発足した。

とあり、丸亀営所は旧那珂郡丸亀一番丁~五番丁に設置されたことがわかります。実際官報の方では那珂郡丸亀六番丁~十番丁の記載がありますが、那珂郡丸亀一番丁~五番丁はありません。

となると、丸亀営所に居住の兵卒は、どこに現住の戸籍を置いたのでしょう?既に丸亀一番丁~五番丁は消滅しています。仕方ないので「丸亀営所」とでもするしかない町丁名同等地区が存在すると仮定して集計し、戸長役場管轄としては丸亀通町外二十一箇町丁連合の方に合算しましたが、ここの当時の住所の扱いが分かれば、集計方法を今後変えるかも知れません。

【言葉の間違いや繰り返しを一部訂正】
[107077] 2023年 3月 14日(火)01:05:57【3】訂正年月日
【1】2023年 3月 14日(火)01:37:18
【2】2023年 3月 14日(火)09:49:34
【3】2023年 5月 25日(木)17:21:58 by オーナー(表組み改善)
YT さん
徴発物件一覧表との比較による明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口の一部修正
[107050] でまとめた明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口については、[105242] に書きましたように、現在総務省統計局図書館所蔵が耐震改修工事対応のため利用できないため、残った数カ所の再チェックはあと数年実行できなくなりました。

しかしながら、明治23年(1890年)12月31日調については[87941]にまとめたように、『明治二十四年徴発物件一覧表』が存在します。
本書は大字別単位で膨大な情報が掲載されており、その中に大字別人口の情報もあります。8年前、[88602]に示したように、この情報をエクセルファイルにまとめようとしましたが、結局この徴発物件一覧表の人口データは本籍人口と現住人口、その他いい加減な計算結果が入り乱れているものであり、数値のチェックが困難なことから、まとめることを断念しました。今回[107050]で戸籍表に基づく現住人口がある程度まとまったので、改めて大字別人口を盛り込んで行こうと思っています。

ところで、[105313]に示したように、明治23年12月31日調の現住人口に関しては、

2. 虫食いのため、いくつかの町村の出寄留の囚人及懲治人、陸海軍在営艦者の情報が正確に得られず、現住人口が正確に算出できない。

という問題が発生していました。具体的には京都府の相楽郡加茂村、相楽郡当尾村、愛知県の愛知郡千種村、愛知郡鍋屋上野村、知多郡半田町、知多郡亀崎町、知多郡岡田村、碧海郡大浜町、碧海郡中島村、碧海郡占部村、幡豆郡味沢村、幡豆郡五保村、額田郡相見村、額田郡深溝村、西加茂郡藤河村、西加茂郡高岡村、西加茂郡豊原村、東加茂郡介木村、東加茂郡生駒村が該当します。

改めて徴発物件一覧表掲載の人口と比較したところ、少なくとも愛知県知多郡、碧南郡、幡豆郡に関しては、徴発物件一覧表掲載の人口が現住人口に対応しているらしいことが判明しました。他の京都府相楽郡と愛知県西加茂郡は一部現住人口、愛知県愛知郡と東加茂郡は本籍人口、愛知県額田郡は本籍人口と独自算出の混合ということで、他については既に推定値と合致する場合と、本籍人口ベースのだめにそもそも検証不能の場合とが混在します。

町村府県庁本籍官報[出]陸海軍[出]囚人懲治人現住(未確定)徴発物件虫食い箇所
相楽郡加茂村京都府3,7563,734573,7223,717[出]囚人及懲治人
相楽郡当尾村京都府1,4671,452111,4501,450[出]囚人及懲治人
愛知郡千種村愛知県2,7572,612212,6092,757[出]囚人及懲治人
愛知郡鍋屋上野村愛知県1,3491,318201,3161,350[出]囚人及懲治人
知多郡半田町愛知県4,9735,162765,1495,147[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
知多郡亀崎町愛知県5,8466,0501056,0356,034[出]囚人及懲治人
知多郡岡田村愛知県2,0502,017332,0112,014[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
碧海郡大浜町愛知県5,6845,50015125,4735,472[出]囚人及懲治人
碧海郡中島村愛知県1,6251,446211,4431,441[出]囚人及懲治人
碧海郡占部村愛知県2,6772,299442,2912,293[出]囚人及懲治人
幡豆郡味沢村愛知県2,1381,923301,9201,919[出]囚人及懲治人
幡豆郡五保村愛知県2,6862,439022,4372,438[出]囚人及懲治人
額田郡相見村愛知県3,1332,981492,9683,133[出]囚人及懲治人
額田郡深溝村愛知県2,7692,560372,5502,608[出]囚人及懲治人
西加茂郡藤河村愛知県1,6491,595421,5891,589[出]囚人及懲治人
西加茂郡高岡村愛知県2,0132,032332,0262,026[出]囚人及懲治人
西加茂郡豊原村愛知県1,9001,833021,8311,832[出]囚人及懲治人
東加茂郡介木村愛知県1,2371,240101,2391,237[出]陸海軍在営艦者
東加茂郡生駒村愛知県73172300723731[出]陸海軍在営艦者

[107050]の段階では修正を加えていませんが、少なくとも知多郡半田町、知多郡亀崎町、知多郡岡田村、碧海郡中島村、碧海郡占部村、幡豆郡味沢村、幡豆郡五保村については以下のような修正を、次のバージョンで入れることにしました。碧海郡に関しては、項目として隣接する中島村、占部村の数字が一致するよう、大浜町よりも優先して修正しました。

町村府県庁本籍官報[出]陸海軍[出]囚人懲治人現住(未確定)徴発物件虫食い箇所
相楽郡加茂村京都府3,7563,734573,7223,717[出]囚人及懲治人
相楽郡当尾村京都府1,4671,452111,4501,450[出]囚人及懲治人
愛知郡千種村愛知県2,7572,612212,6092,757[出]囚人及懲治人
愛知郡鍋屋上野村愛知県1,3491,318201,3161,350[出]囚人及懲治人
知多郡半田町愛知県4,9735,162785,1475,147[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
知多郡亀崎町愛知県5,8466,0501066,0346,034[出]囚人及懲治人
知多郡岡田村愛知県2,0502,017302,0142,014[出]陸海軍在営艦者,[出]囚人及懲治人
碧海郡大浜町愛知県5,6845,50015125,4735,472[出]囚人及懲治人
碧海郡中島村愛知県1,6251,446231,4411,441[出]囚人及懲治人
碧海郡占部村愛知県2,6772,299422,2932,293[出]囚人及懲治人
幡豆郡味沢村愛知県2,1381,923311,9191,919[出]囚人及懲治人
幡豆郡五保村愛知県2,6862,439012,4282,438[出]囚人及懲治人
額田郡相見村愛知県3,1332,981492,9683,133[出]囚人及懲治人
額田郡深溝村愛知県2,7692,560372,5502,608[出]囚人及懲治人
西加茂郡藤河村愛知県1,6491,595421,5891,589[出]囚人及懲治人
西加茂郡高岡村愛知県2,0132,032332,0262,026[出]囚人及懲治人
西加茂郡豊原村愛知県1,9001,833021,8311,832[出]囚人及懲治人
東加茂郡介木村愛知県1,2371,240101,2391,237[出]陸海軍在営艦者
東加茂郡生駒村愛知県73172300723731[出]陸海軍在営艦者

ついでに[107043]の明治22年の町村別戸口表の虫食い箇所の表がおかしくなっていたので以下のように修正します。こちらの地区の徴発物件一覧表掲載の明治22年末人口は完全に本籍人口が採用されていたので、徴発物件一覧表のデータから修正はできません。

町村府県庁本籍人口官報掲載[出]囚人及懲治人現住人口(未確定)徴発物件一覧表掲載
東茨城郡石崎村茨城県2,6332,71522,7112,633
東茨城郡常磐村茨城県2,4842,48882,4782,484
東茨城郡河和田村茨城県1,9581,95231,9481,958
東茨城郡長岡村茨城県3,2743,29633,2893,274
東茨城郡上野合村茨城県2,6642,66952,6622,664
東茨城郡伊勢畑村茨城県1,2521,23911,2371,252
東茨城郡磯浜町茨城県8,8968,868138,8508,896

【追加訂正】最後の表に本籍人口と徴発物件一覧表掲載の人口を追加
[107055] 2023年 3月 9日(木)13:01:49YT さん
国立国会図書館デジタルコレクション「送信サービスで閲覧可能」について
YTです。

国立国会図書館デジタルコレクションの個人向けデジタル化資料送信サービスが始まってそろそろ1年になりますが、こちらで誰も言及していないので、改めて紹介します。

ここでもかなりの方が国立国会図書館デジタルコレクションを利用していると思いますが、国立国会図書館デジタルコレクションに登録されている資料の方は、以下の3種類があります・

1.ログインなしで閲覧可能
2.送信サービスで閲覧可能
3.国立国会図書館内限定

この内、

1.ログインなしで閲覧可能

については既に多くの方が利用されていているので省きます。

3.国立国会図書館内限定

については、実際に国立国会図書館でカードを作り、パスワードを設定し、国立国会図書館内の端末にカードを置いて、操作して閲覧する必要があります。必要箇所のコピーを取りたい場合は、その場で会計で現金支払いが必要となります。

今回説明したいのは

2.送信サービスで閲覧可能

です。こちらに関しては、数年前から地方の図書館の端末で閲覧可能でありましたが、結局のところ図書館の端末で出向かないといけないので、それほど便利というわけではありませんでした。

ところが、2022年2月1日 「個人向けデジタル化資料送信サービス」の開始について(令和4年5月19日予定)(付・プレスリリース)を見て頂ければわかるように、去年の5月下旬から、自宅で送信サービス限定の資料を閲覧することが可能となりました。

例えば以前[76316][76317][76319]で紹介しましたが、『統計集誌』に掲載されていた明治3年頃の府藩県三治制下での府藩県別の族籍別人員表や、[77095]で紹介した、蒲生氏郷の子孫が記述した文禄2年の蒲生領での人口調査なんかも、ログインIDとパスワードがあれば簡単に閲覧できます。

また、例えば[99389]でMIさんが

なお、この『高畠町史』は国会図書館のデジタルコレクションに収められてはおりますが、「インターネット公開」ではなく「図書館送信資料」ですから、送信サービス参加館で閲覧可能となっております。しかし全国の図書館は臨時休館を余儀なくされているでしょうし、国会図書館の遠隔複写サービスも受付休止になってしまいました。

と書かれていますがが、該当する箇所も図書館に行かず、直接閲覧可能です。

いずれにせよ、閲覧するには、ログインIDとパスワードが必要です。

自分の場合、十数年前に国立国会図書館でカードを作り、さらに国立国会図書館内の端末で検索する過程でいつのまにかパスワードを設定しました。またIDの延長は3年毎に必要だったようなのですが、自分の場合国立国会図書館でのコピーサービスを仕事で利用する関係で、なんとなく自動で延長を続けていました。どうやって自動延長したか、確かなんかサイトでクリックして簡単に自動延長できたような気がしましたが、その辺の細かい経緯はすっかり忘れてしまいました。昨年新聞記事のコピーを国会図書館に依頼する過程で(ログインIDとパスワードで遠隔依頼でき、料金は後から送られてくる支払い書で銀行口座振り込み)、偶然国会図書館デジタルコレクションの送信サービスが個人で利用できることに気付きました。サービス開始は昨年の5月19日からのようです。

自分が登録した時の詳しい経緯はすっかり忘れてしまいましたが、国立国会図書館の利用者登録(個人)についてによると、

国立国会図書館の利用者登録(個人)は、利用できるサービスの範囲によって次の2種類に分かれています。登録方法については、ご希望の登録種別に該当するページをご参照ください。なお、登録は無料です。

デジタル送信サービスを利用できるのは本登録のみですので、本人確認書類の提示が必要です。

国立国会図書館の利用者登録(個人)について:本登録に詳しいことが書かれております。確実なのは、本人確認書類を持って国立国会図書館に出向いて、カードを作り、ログインIDとパスワードを設定することですが、今ならオンラインでもIDとパスワードを作る方法があるようです。

国立国会図書館オンラインの「新規利用者登録」画面から手続ができます。
本人確認書類を写した画像ファイル(JPEG形式またはPNG形式)のアップロードが必要です。

電子メールアドレスを登録すると、当館から、申込手続画面を案内するメールを送信します。発信元のドメイン名は「ndl.go.jp」です。
電子メールアドレスの登録後24時間以内に申込手続画面にアクセスして、「本登録」を選択して申込手続を行ってください。
登録申込受付後、当館から、登録利用者IDを記したメールを送信しますので、ご確認ください。本人確認が完了するまでは「簡易登録利用者」として当館のサービスをご利用いただけます。
本人確認完了後、「登録利用者(本登録)」としてご利用いただけます。当館から、本人確認完了をお知らせするメールを送信します。

本人確認には5開館日程度かかります。申請の集中等の理由により、手続に相当の日数を要することがあります。あらかじめご了承ください。
本人確認書類として有効なものについては、「本人確認書類について」の項をご参照ください。

ログイン方法や操作方法については国立国会図書館オンラインのヘルプ「9-3新規利用者登録(本登録)(1-b)」をご参照ください。


国立国会図書館デジタルコレクションの送信サービスを個人利用できるようになったことに気付いてない方は、参考までにどうぞ。
[107050] 2023年 3月 8日(水)00:05:43YT さん
明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口 ver 0.50
以前[105313][105314]でアップロードしました明治23年(1890年)明治23年(1890年)12月31日調市区町村別人口の方ですが、こちらの方も組合の情報を追加し、一部データの誤りを訂正してVer 0.50としてアップロードし直しました。

https://u6.getuploader.com/SR1gou/download/931

[107048] かつさん

「組合」というのは、明治21年以降町村制が施行された際、複数の町村が役場業務をまとめて行うために置かれた行政組織です。

もともと町村制施行前は、戸長役場が単一または複数の町村の業務を一括して行い(単独戸長役場、連合戸長役場)、そのために複数の町村を統括する「連合」というのが置かれました。例えば香川県大内郡馬宿村に四つの村を統括する戸長役場が置かれ、[107043]でアップロードしたファイルでは、「馬宿村外三村」という名称でまとめましたが、より正確な呼称は、「馬宿村外三箇村連合」だったようです。

明治21年以降の明治の大合併後も、結局地方によっては人口希薄のために複数の町村をまとめて役場を置く方が効率が良いという事態も発生し、そういうところでは町村制施行前の「連合」に変わって「組合」が置かれたのです。例えば飽田郡の内田村と銭塘村を統括する役場が、銭塘村に置かれ、「銭塘村外一箇村組合」または「銭塘村内田村組合」が設置されたのです。

町村制施行前は大字レベルの細かい町村を統括する戸長役場連合が多数存在したのですが、町村制施行後に置かれた組合は限られた地域にのみ存在しており、結局は徐々に合併等によりこれも解消されていきます。

[107047] オーナーグリグリさん

データの本体の方はエクセルファイルの方ですが、出入寄留の生データが膨大かつ一部欠落もあり、しかも現在世間に知られている、明治22年12月31日調の人口1万人以上の市町村現住人口の表を大幅に訂正する内容となるので、そのままこれを外に見える形の表にするのは難しいかも知れません。エクセルファイルを転がしておいて、各自ダウロードして閲覧する現在の形の方が良いのではないでしょうか?

なお明治22年は試行錯誤が多かったのか、正直データとしては翌年の明治23年の方が内容の誤りが少ないように感じます。
[107046] 2023年 3月 7日(火)19:20:11【2】訂正年月日
【1】2023年 3月 7日(火)21:03:10
【2】2023年 5月 25日(木)17:22:26 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年(1889年)12月31日における人口5000人以上の戸長役場連合など
【訂正】題名が「明治22年(1890年)」からのコピペ処理になっていたので、全部修正!

『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」では、さらに香川県の高松、丸亀、沖縄県の那覇(広義)、北海道庁の福山、江差、小樽の現住人口が掲載されています。この内那覇(広義)は行政区分として存在するもの、北海道道庁の福山、江差、小樽は、「町」の人口を合算した市街のものということで予想はつきます。一方香川県に関しては、おそらく高松が高松城下六十町、丸亀が丸亀城下二十七町と、後に丸亀市に吸収される中府村・地方村の合算だと予想はされるのですが、どう足しても掲載の数字と一致しません。

城下・区域・市街府県庁現住人口官報基準本籍人口
香川郡高松城下(CE)香川県32,87732,18332,635
那珂郡丸亀城下(CF)香川県18,25416,49615,672
那覇(広義)沖縄県40,21240,22035,947
松前郡福山市街北海道庁12,03112,04711,063
檜山郡江差市街(CG)北海道庁13,88613,8999,772
小樽郡小樽市街(CH)北海道庁12,60612,6147,819

備考
(CE) 日本帝国人口静態統計掲載の高松の現住人口32,081は高松城下六十町のものと推定されるが、高松監獄の囚人及懲治人816を加算せず。差分20は計算間違いか(詳細不明)。
(CF) 日本帝国人口静態統計掲載の丸亀の現住人口18,295は丸亀城下二十七町及び中府村・地方村のものと推定されるが、計算間違いか(詳細不明)。
(CG) 日本帝国人口静態統計掲載の江差市街の現住人口13,798は他町村出寄留109、他町村入寄留190、江差分署の囚人7を加除せず。
(CH) 日本帝国人口静態統計掲載の小樽市街の現住人口12,629は他町村出寄留508、他町村入寄留485を加除せず。

連合戸長役場・島役所単位だと、宮古島、八重山島は全体で一つの島役所が管轄しており、およそ行政単位として似つかわしくないほどの巨大な組織になります。香川県では、高松が4つに分割されています。

(開く)明治22年(1889年)12月31日における人口5000人以上の戸長役場連合

今回徴発物件一覧表の情報から組合の情報をさらに加えましたが、これは戸長役場以上に変遷情報をたどるのが困難と思われます。組合に関しては局部的なまとまりもないので、ここでは集計を省略します。
[107045] 2023年 3月 7日(火)19:17:39【2】訂正年月日
【1】2023年 3月 7日(火)20:57:16
【2】2023年 5月 25日(木)17:23:19 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年(1889年)12月31日における日本国内の人口上位501位~1000位市区町村など
順位を1000位まで拡大してみます。神奈川県橘樹郡川崎町は935位ですが、この時点では川崎大師のある神奈川県橘樹郡大師河原村891位の方が人口が多かったようです。現相模原市域で最大の人口を有していた神奈川県高座郡大野村は3175位(現住人口3,327、官報基準3,333、本籍人口3,339)で、これでも圏外です。

(開く)明治22年(1889年)12月31日における日本国内の人口上位501位~1000位市区町村


『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」では追加で沖縄県の間切の人口の情報が掲載されていますので、以下人口5000人以上の間切の人口をまとめます。なお、明治22年版の『町村別戸口表』では沖縄県の間切に関し、
備考 本県ハ郡ノ設ケ無 之ニ付各間切島ヲ郡ニ該当製表ス
との脚注があり、間切は郡市相当として扱われており、間切の現住人口は他町村出入寄留の加除を行わずに算出しました。

間切現住人口官報基準本籍人口
那覇(狭義)27,95527,95923,714
首里26,20526,10226,449
中頭中城間切14,85714,85915,083
宮古島砂川間切13,79413,79413,666
島尻小禄間切12,10811,92011,857
国頭本部間切11,93911,93911,885
中頭西原間切11,80411,80611,990
中頭具志川間切(CD)11,22811,22811,224
中頭美里間切10,85410,85410,861
島尻大里間切10,55210,55210,651
国頭今歸仁間切10,49410,49710,434
中頭読谷山間切10,47310,47610,550
宮古島平良間切9,6879,6879,644
国頭名護間切9,4529,4549,120
中頭浦添間切9,4059,4059,670
国頭羽地間切9,3429,3429,240
中頭宜野湾間切9,2199,2199,342
島尻兼城間切9,0399,0399,116
中頭北谷間切8,8038,8038,929
島尻真和志間切7,6527,6527,711
島尻豊見城間切7,5397,5397,727
宮古島下地間切6,9936,9936,973
島尻南風原間切6,9386,9416,948
国頭国頭間切6,8746,8746,849
中頭与那城間切6,1906,1906,164
国頭大宜味間切6,0446,0456,038
八重山島大浜間切6,0296,0335,850
国頭金武間切5,5875,5875,582
中頭越来間切5,5735,5735,601
島尻玉城間切5,3595,3595,383
中頭勝連間切5,1985,1985,198
島尻東風平間切5,1605,1605,281

備考
(CD) 日本帝国人口静態統計掲載の現住人口11,220は計算間違いか(出入を反転?)。
[107044] 2023年 3月 7日(火)19:14:53【1】訂正年月日
【1】2023年 3月 7日(火)20:56:22
YT さん
明治22年(1889年)12月31日における日本国内の人口上位1位~500位の市区町村
折角ですので、明治22年12月31日時点で現住人口上位500位までの市区町村のリストを以下に示します。宮崎県宮崎郡宮崎町は311位、北足立郡浦和町は453位です。この時点で浦和町は南埼玉郡岩槻町(573位)などよりも人口が多かったようです。香川県、隠岐、対馬、トカラ群島、奄美群島、沖縄県、北海道庁は市制町村制施行前であり、各町村が細かく分かれていますが、北海道庁では函館区が17位に、香川県では豊田郡観音寺村が136位に、沖縄県では那覇西村が448位にランクインしています。

[105305]で示した明治23年(1890年)12月31日における日本国内の上位500市区町村における脚注の数と比べて頂ければわかるように、多くの文献で明治22年の市区町村別人口として引用されている『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」、およびそれに一部データを追加した『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」からして計算間違いが多い!またそれに加え、『町村別戸口表 明治廿二年』の方では、集計が間に合わなかったために空欄であったり、明らかに府県統計書の方がよりアップデートされた数字が採用されているケース(京都府)などがあります。ここまで間違いが多いと、今後は香川県を含む本土四島での町村制施行が完了した明治23年(1890年)12月31日の方のデータをエポック的な統計として取り上げて欲しい気がします。

(開く)明治22年(1889年)12月31日における日本国内の人口上位1位~500位の市区町村

[107043] 2023年 3月 7日(火)19:13:13【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 25日(木)17:23:47 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年(1889年)12月31日調市区町村別人口 ver 0.50
[107039]で予告した明治22年(1889年)12月31日の日本の市区町村別人口についてですが、以下のサイトからダウンロードできます。

https://u6.getuploader.com/SR1gou/download/930

原資料は基本的に総務省統計局統計図書館が所蔵する

『町村別戸口表 明治廿二年 上 その一』
『町村別戸口表 明治廿二年 上 その二』
『町村別戸口表 明治廿二年 下 その一』
『町村別戸口表 明治廿二年 下 その二』
『戸籍表 北海道之部 従明治十九年 至明治廿八年』

の5点です。男女別本籍人口、現住戸数などの情報は現住人口を計算する上で必要ありませんが、原資料に載っているのでそのまままとめました。入寄留の無籍在監人、囚人及懲治人は

『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「各地方在監有籍者及無籍者人口表」

によります。なお、東洋書林出版『国勢調査以前日本人口統計集成 〈3〉 明治22―25年 近代日本歴史統計資料』収録のものは、「各地方在監有籍者及無籍者人口表」のうち、鹿児島県(一部)・沖縄県・北海道に関する134頁~135頁分が欠落していますので、総務省統計局統計図書館所蔵の『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』原本を利用しました。

この他、郡市区の現住人口、府県別の各種出入寄留などの情報は

『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「各地方郡市戸口表」
『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「各地方人口出入表」

の情報を上位とし、現住人口1万人以上の都市の現住人口の情報に関しては、

『明治二十二年十二月三十一日調 日本帝国民籍戸口表』「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」
『明治四十一年十二月三十一日 日本帝国人口静態統計』「人口一万人以上ノ市町村現住人口 (自明治十九年末至同四十一年末)」

から数値を補いました。

官報掲載の現住人口は

『官報 第二千百八十二号附録 明治二十三年十月六日』「各地方市別現住人口表」、「各地方町村別現住人口表」

に示されています。

そして組合、戸長役場連合、間切番所、島役所管轄地域については

『明治二十三年 徴発物件一覧表』

の情報を用いました(中身は明治22年12月31日調の人口ですが、現住人口算出の基準がいい加減で、本籍人口を載せている箇所も多い)。戸長役場連合などの中には郡を超えて設定されているものもありますが(特に北海道)、戸長役場の人口集計方法に正式に採用されているものもなさそうなので、ここでは全て町村と同格とみなし、他町村出入寄留の加除を行いました。『明治二十三年 徴発物件一覧表』掲載の戸口、人口は戸籍表系の数字と一致することも、全く一致しないことも多々ありますが、折角なのですべて表にまとめました。

既に[104836] にもまとめましたが、以下の問題点が残っているので、現時点でVer. 0.50として公開します。次回の改訂予定は5年後になりそうです。

1. 東京府伊豆七島・小笠原島に関しては、細かい町村別人口の情報が完全に欠落。

2. 千葉県印旛郡の入寄留の内、入寄留の陸海軍在営艦者1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できない。一応[107039]に示す方法で推定値は出しました。

3. 虫食いのため、茨城県東茨城郡の一部の町村(石崎村、常磐村、河和田村、長岡村、上野合村、伊勢畑村、磯浜町)の出寄留の囚人及懲治人が正確に得られず、現住人口が正確に算出できない。

具体的には以下の通りで、明治23年の情報などから推定して数値を入力していますが、正解である保証はありません。

町村府県庁官報掲載[出]囚人及懲治人現住人口(未確定)
東茨城郡石崎村2,71522,711
東茨城郡常磐村2,48882,478
東茨城郡河和田村1,95231,948
東茨城郡長岡村3,29633,289
東茨城郡上野合村2,66952,662
東茨城郡伊勢畑村1,23911,237
磯浜町8,868138,850

4. 北海道庁釧路郡に所属する町村(真砂町、米町、洲崎町、幣舞町、浦見町、釧路村、桂恋村、鳥取村、昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村)に関し、郡全体での他町村出寄留は4人となっているものの、町村別の他町村出寄留が空欄となっており、これらの町村のいくつかの現住人口を正確に算出できない。これに関しては対処不能なので、とりあえず各町村の他町村出寄留を0として算出しました。

5. 『戸籍表』原本の閲覧ができなくなった

[105242]に書いた通りです。大きな変更は今後ないでしょうが、今後修正が可能となるのは5年後です。

実は町村別戸口表 明治廿二年には、欄外に各町村、各郡市区について、官報掲載の現住人口に相当する数字の書き込みがあります。官報の方では北海道庁、沖縄県、および島嶼部については現住人口の記載がないので、ある程度数字の確認が可能です。おそらく当時町村別戸口表を作成した人は、まずそれぞれの郡市区町村について「官報掲載の現住人口」を計算した後、監獄と軍隊の統計を追加して、『日本帝国民籍戸口表』を作成したと推測されます。ただ、この作業が初めてなのかは知りませんが、[104158][104836]に示したように、「各地方現住一万人以上市区及町村戸口表」を作成する段階で膨大な数の計算間違いしています。
[107039] 2023年 3月 6日(月)13:10:29【1】訂正年月日
【1】2023年 5月 25日(木)17:24:01 by オーナー(表組み改善)
YT さん
明治22年の千葉県印旛郡の入寄留の陸海軍在営艦者の分配、および明治の健脚問題
色々多忙でこちらの書き込みから遠ざかってしまっておりましたが、 [104836]で問題にしておりました千葉県印旛郡の入寄留の陸海軍在営艦者の問題について、ある程度の推論を立てましたので、こちらにその詳細を記します。

2.千葉県印旛郡の入寄留の内、入寄留の陸海軍在営艦者1713人の分配の情報がないため、志津村(陸軍砲兵射的学校)と佐倉町(陸軍第一師団歩兵第二連隊)の現住人口が確定できない(明治23年に関しては[103921]に示すように分配済)。

まず総務省統計局統計図書館所蔵『戸籍表 明治廿三年 上 その一』の「廿三年十二月現在陸海軍在営艦兵士卒人口」によると、明治23年の入寄留の陸海軍在営艦者1,624は以下の内訳となっています。
明治23年末各兵営現在人員人員下士生徒
佐倉町: 第一師団歩兵第二連隊1,4741221,3439
志津村: 陸軍砲兵射的学校150911922
合計1,6241311,46231

一方『陸軍省第三回統計年報』の「諸隊人員」/「諸学校学舎及教員人員」/「学生及諸生徒人員増減」と『陸軍省第四回統計年報』の「諸隊人員」/「諸生徒隊人員」/「諸学校学舎及教員人員」/「学生及諸生徒人員増減」などによると、 陸軍第一師団歩兵第二連隊と陸軍砲兵射的学校教導中隊における下士、 卒、 生徒の人員は以下となっています。

明治23年末各兵営現在人員右合計下士生徒
第一師団歩兵第二連隊1,4871301,3570(不明)
砲兵射的学校教導中隊1701011941
合計1,6571401,47641


明治22年末各兵営現在人員右合計下士生徒
第一師団歩兵第二連隊1,5761391,4370(不明)
砲兵射的学校52100(不明)42
合計1,6281491,43742

まずいずれの年も第一師団歩兵第二連隊所属の生徒は0であり、 明治23年末の佐倉兵営現住の生徒は正式な軍人という扱いではないと推測できます。砲兵射的学校の生徒の一部が佐倉兵営に居住していた可能性も考えましたが、佐倉兵営のある佐倉城内から砲兵射的学校があった志津村下志津字下志津原までの距離は8.9キロ、徒歩約2時間も離れています(google map先生)。いくら健脚だった昔の人でも時速6キロと仮定して片道1時間半、往復3時間でちょっと考えられません(一応自転車は町中や別荘地では普及しつつあったようですが)。砲兵射的学校の生徒数41と実際に砲兵射的学校内の施設に居住する生徒の人数23の間にもえらく差がありますが、砲兵射的学校に通うような生徒は下士や卒よりも比較的裕福であり、必ず兵営の外に居住を持つ士官以上と同様に、兵営・学校の外に居住を持っていた人が多いからと推測しました。

また明治23年の砲兵射的学校の卒については、「諸学校学舎及教員人員」の方に「戸山学校教導大隊ノ下士卒並ニ砲兵射撃学校教導中隊ノ兵卒ハ近衛師団ヨリ分遣スルモノニ係ル故ニ此人員ハ所隊人員ト重複ス」との脚注があります。 明治22年の統計では「諸学校学舎及教員人員」の項目がないため、砲兵射的学校の卒の人員を示す独立した統計が存在しませんが、これは砲兵射的学校などに出向していた兵卒は、正式な所属の上では近衛師団であり、明治22年の段階ではあえて独立した統計を作らなかったせいだと考えられます。つまり上の表でいずれも「0」としたのは、真に0ではなく、実際にはこれらの階級がそれぞれの隊や学校の正式な構成員とされていなかったため、統計から数字が落ちてしまったからだと思われます。なお明治22年の砲兵射的学校の下士の人数11の方は「諸学校学舎及教員人員」にも掲載されていますので(軍人20から砲兵少佐1、砲兵大尉2、一等軍医1、砲兵中尉3、二等獣医1、砲兵少尉1を除き、砲兵曹長1、砲兵一等軍曹5、火工下長1、二等看護長1、砲兵二等軍曹3の合計)、表に数字を出すことができました。

明治23年の統計の場合、佐倉兵営における下士階級の兵営居住率は93.8%、下士階級の兵営居住率は98.9%、砲兵射的学校における下士階級の兵営居住率は90%、下士階級の兵家居住率は100%です。一方砲兵射的学校における生徒の兵営居住率は53.7%です。

参考までに戸山学校の場合は

明治23年末人員右合計下士生徒
牛込区下戸塚町の戸山学校居住者91744631242
戸山学校教導大隊98147631303

であり、兵営居住率は下士階級が93.6%、士卒階級が100%、生徒が79.9%です。

あれ?やはり砲兵射的学校の生徒の一部は佐倉城内から往復3時間かけて通っている?
その場合生徒の居住率は53.7%(22/41)ではなくて75.6%(31/41)になりますので、戸山学校の数値に近くなります。まあ真実は謎です。

以上において、 明治22年と明治23年の間における陸海軍在営艦者の減少分89人は、 第一師団歩兵第二連隊の下士の減少分9と卒の減少分80の合計89と等しいことが分かります。ただし砲兵射的学校の方も下士と生徒が1名ずつ減っております。

一応それぞれの階級の兵営居住率を考慮すると、それぞれの実際の居住者の減少の期待値は

佐倉町:9×0.938+80×0.989≒87.56
志津村:1×0.900+1×0.537≒1.44

と、それぞれ88人、1人減少とするとちょうど合計89人になります。

寄宿の生徒が佐倉町と志津村の兵営に分離して生活していたと仮定すると、期待値的には志津村の生徒の減少期待値はそのままで、佐倉町に1人×22.0%(9/41)≒0.22人減が追加されるだけなので、やはり佐倉町が88人減、志津村が1人減となります。

明治22年における砲兵射的学校の下士の人数が結局不明など片手落ちですが、以上から、明治22年の印旛郡佐倉町の入寄留の陸海軍在営艦者を明治23年よりも88人多い1,562人、印旛郡志津村の入寄留の陸海軍在営艦者を明治23年よりも1人多い151人と推定しました。

明治22年の日本全国の市区町村別の現住人口については、今週中にある程度公表できると思います。
[106124] 2022年 11月 16日(水)10:25:53YT さん
自分の経県値(市区町村版)
[106091]グリグリさん
経県値(市区町村版)リリースありがとうございます。

早速マピオンの地図を見ながら、何とか自分の経県値(市区町村版)を登録しました。道路、鉄道路線のチェックにおいては、市区町村毎に色を変えて表示可能なマピオンが一番役に立ちます。

なお自分は免許取得後の運転は、兄の車を借りた延べ1時間程度しか経験がありません。長らく車の必要のない通勤通学生活のみを続けた結果、完全に無事故・無違反のペーパードライバーでして、自分が結婚する前の家族旅行も、車好きの父や兄の車に同乗するばかりでした。そのせいで詳しい経路の記憶が曖昧なため、登録した経県値(市区町村版)の2割程度は自信がありません。

主な問題としては、

・小学校低学年までの旅行の記憶が曖昧。
・自分で手配した旅行でない場合、泊まったホテルの場所が曖昧。
・高速道路でどのSA,PAに入ったか、記憶が曖昧。

まあ私の両親は健在ですが、親も詳しいことを忘れているでしょうし、わずかな記憶と推測に基づきマッピングしました。

逆に市区町村チェックをした結果、
「そういえば山口県の萩に高校2年の時の修学旅行で泊まった気になってたけど、実際は広島から出雲まで一日の強硬スケジュール(広島からバスで移動し、岩国散策→山口はバスから見るだけでスルー→秋芳洞で昼→萩自由行動→出雲市駅まで電車で移動→出雲大社前のホテルまでバスで移動)だったかな?」
と思い出し、山口県の経県値を4から3に下げる、などといった、都道府県別経験値に関する記憶の整理も行うことができました。

一方青森県と秋田県の県境の十和田湖には、小学2年の家族旅行と、中学2年のクラス旅行で2度も泊まりましたが、困ったことに宿泊施設が青森県十和田市と秋田県小坂町の県境に分布。中学2年の時は団体で泊まれるユースホステルで、おそらく青森県十和田市側のユースホステル。一方家族旅行の時は完全に記憶が曖昧です。都道府県別経験値にも関係しますが、とりあえず青森県十和田市側と仮定して、秋田県の経験値は3を維持しました。

それにしても、自分は和歌山~四国全土~九州・沖縄5県が未踏のままです。高校2年の時の修学旅行を除けば大阪府以西は全て現在の仕事関係での宿泊であり、家族旅行での行先の選択肢が車で運転手交代せずに行ける範囲ということで、割と東日本に偏っていたようです(特に宮城県は母方の実家であるため、宿泊は2桁)。その仕事での宿泊機会も、コロナ以降の会議オンライン化のために大分減ってます。家族旅行で予定を組まない限り、当分経県値は増えそうにないです。

[106116] BANDALGOM さん
%1987年5月といったら、私も中学2年生でした。
以前[91228]で少しだけ自分のことを書きましたが、私と同い年ですね。中学2年といえば・・・冬のある日突然クラスメートが複数欠席して、「風邪が凄い流行っているんだな」と無邪気に思っていたら、なんと某有名ファミコンソフトの続編を買うために学校をサボってたとのこと(自分の家はそもそもファミコン禁止)。該当する生徒は後で集められて教師にこっぴどく叱られ、反省文を書かされていました。


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