[73804] YT さん
早速目を通してみましたが、残念ながら
政治的にも奥羽の中心となた平泉であり、十万に近い人口が集中していたはずである。
今日、平泉町全体の人口は約一万人である。しかし八百年前には十数万人と推定されている。
とあるばかりで、根拠も参考文献も全く示されていませんでした。
余計な手数をお掛けさせたようで、申し訳ありません。
すでにご存じかもしれませんが、改めて平凡社の「日本歴史地名大系 岩手県」を見たところ、さすがに平泉古図の信憑性は否定するものの、平泉の人口そのものについては次のような記述しかありません。
「多くの大寺・堂塔が甍を競い,禅坊は中尊寺三〇〇余・毛越寺五〇〇余、平泉館・伽羅御所など藤原氏の居館があり、北奥特産物の集散地でもあったことを考慮すると、平泉の人口はゆうに数万を超えよう。」
これでは、表現こそ異なるものの、YTさんの御覧になった「政治的にも奥羽の中心となった平泉であり、十万に近い人口が集中していたはずである。」と、記述内容としてはほぼ同一です。文献史学の側は、平泉の人口を推定する確実な史料を持ち合わせていないような感じもします。
いずれにせよ、今後は平泉の人口について気に留めておいて、大きな図書館に行ったときなどに確認してみるようにします。何か新しいことが分ればお知らせいたしますので。