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eiji_tさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[45173]2005年9月27日
eiji_t

[45173] 2005年 9月 27日(火)00:13:07eiji_t さん
Re:鮎川さん
[45169]Issie さん
「鮎川」というのは偶然の一致,なんでしょうかね。
はい、全くの偶然です。
日立鉱山を興したのは鮎川義介の義弟の久原房之助です。やはり山口県萩出身です。最初の名称は「久原鉱業所日立鉱山」です。日立鉱山で成功した久原は各地の鉱山を開発し、久原財閥を作り上げますが、義兄の鮎川に経営を譲り政界に進出します。鮎川はこれを三井三菱を凌ぐ戦前最大の財閥「日産コンツェルン」に育て上げます。鮎川も後に政界入りします。
日立製作所を興したのは栃木県出身の小平浪平です。電源開発のため技師として日立鉱山に入社した小平はそれが一段落すると、日立鉱山の敷地に建てた30坪の掘立小屋で輸入機械の修理を始めます。
1910年電気機械の国産化に成功し翌年独立します。
[2369]たけもと さん
大正9年(1920):株式会社日立製作所発足。
とありますが、それは上記の名称を名乗った年で、実際の独立は1911年です。明治の男小平は恩義ある久原家に義理立てし、久原が久原鉱業所を引退するまでは、会社を久原鉱業所日立製作所としていました。日立製作所は鮎川義介の「日産コンツェルン」の傘下に入りますが、完全に支配されたわけではありませんでした。
今回のレスの為、google検索をしてみたら、日立製作所の創業者=久原房之介というのが多数ありました。明らかな誤りです。インターネットの危うさを感じます。

鮎川村の名の由来はそこを流れる「鮎川」です。全長わずか11kmですが深い渓谷を作って流れています。よって鮎川村と鮎川義介は完全に無関係です。
ちなみに私が今住んでいる所は、昔の鮎川村です。日頃はそんな事全然意識しませんが。

今年3月31日で廃線になった日立電鉄の「鮎川駅」は終着駅です。JR線との接続も無く「何で此処が終着駅?」という感じでしたが、それは日立市の中心部への線路の延長の計画が鮎川の渓谷を越える鉄橋の費用の点で、頓挫したからです。線路が市の中心部へと延びていたら、廃線もどうなっていたか。

日立市民にとって、上記3名のうち最も知名度が高いのは、圧倒的に小平浪平です。
尤も日立鉱山に関係の深い地区では久原房之介かもしれませんが、私はそちらは詳しくありません。鮎川義介は最も遠い存在です。


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