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深海魚さんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[20849]2003年10月10日
深海魚

[20849] 2003年 10月 10日(金)18:09:43深海魚 さん
めいぷる利府 (意味なし)
[20842] [20843] 太白さん
東北新幹線の仙台総合車両所も、東仙台より東、かつ仙台市外 (宮城県利府町) にありますし。
昨年の W杯の際は、競技場最寄り駅となった利府駅も大繁盛でしたね。仙台松島道路を集約する格好で仙台東部道路と三陸道が繋がり、東北道北部方面対策と思しき連絡道も整備されるなど、仙台近郊では集中的に交通網が整備された観がありますね。利府発展のそもそもの発端は、新幹線基地の近くに設置された ジャスコの存在でしょうかね。宅地化も相応に進捗している様ですが、かつての中間駅の名残から、機関車が留置される広い敷地が確保された構内の端、線路が果てたその先もまた然りで、以前、利府以遠の廃線跡を辿った時には無かったよなぁ、と少々感慨。

東北線の岩切-愛宕で、長大編成を伴う貨物列車の通行性確保を目的に、塩釜港貨物線を一部集約する形で、仙石線に並行する現行経路を貨物専用線として新設したのが 1944年。(塩釜市内における東北線塩釜駅の立地が仙石線に比べて郊外気味なのも、こうした後発性の故でしょう。) 1956年の新線旅客以来、地位低下著しい旧線が廃止されたのが 1962年。この時、現支線区間が残ったのは、利府にある程度の街が形成された為か、それとも、以南の平坦性に鑑みて、来るべき仙台都市圏の拡大を予見した結果か。後者とすれば、当事の関係者の慧眼たるや大したものです。

東北線仙台以北が 1965年に電化されたのに対し、利府支線の電化は 1978年と遅目ですが、普通列車の電車化が遅れた昭和 50年代の仙台地区にあって、(仙石線との整合性や電車の絶対数の制約などが介在したにせよ) 優先的に電車便が投入されるあたり、地勢的に特別視される様な事情でもあったのでしょうか。行政区域としては松島湾にも面しているし、もし宮城県に居住するとしたらどこが良いか、と問われると、街中よりは適度な郊外地を好む私としては、利府辺りが妥当かと考えるのでした。(景観的には、軒下提灯さんの地元方面にも惹かれるものを感じますが。)

新横浜などと比べると 「雑然と発展した」 という印象を持つのは私だけでしょうか…。
1964年の開業時点において、途中駅か終着駅かの違いがありますし、東北・上越新幹線が上野に乗り入れた 1985年春の時刻改正 (筑波科学博の開催時) まで、新横浜に停車する 「ひかり」 は朝夕の数本だけと、広域移動の拠点としては些か心許無い状況だったと考えられ、その分、大阪に比べて計画的に発展し得る素地があったかと推察します。東京都民だった当事の私の印象からしても、新横浜駅一帯は比較的のどかな雰囲気でしたね。


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