拙稿
[99907]の続きもかねて投稿します。
[99911]hmt さん
明治9年当時は 正式の「岩手縣」と慣用の「巌手縣」とが共に使われており、旧印鑑の欠損を機会に、慣用している「巌手縣」の印鑑も彫刻し、届出をしたのでしょうか?
(欠損前の印鑑がどのような印影だったかは定かではありませんが)おおむねその通りだと思います、
以下に公文録に残されたM9.10.9届出当時の原本を示します。
岩手県県印改刻届
当時は岩手県・国側双方で「岩」が「巖」である程度なら特に気にしなかったというのが実情でしょうか。
※法規分類大全の印影「岩手縣」は同書が
M24年刊行であり、
「巖」を「岩」に置き換えた可能性があると推測しております。
(複数改刻届があって、その印影を模写するなどした可能性もありますが・・・)
なお、府藩県印の印影については色々と興味深いものがあり
例えば
こちらに関連した投稿も後日行うかもしれません。
牛塚虎太郎
統計局ホームページ-国勢調査100年のあゆみの
PDF(4コマ左中ほど)に記載があります。
※大正6年提出の意見書は下記より閲覧可能です。(先述PDFには書かれていませんが、実際はかなりのページ数)
国勢調査実施ニ関スル意見書牛塚統計局長ヨリ提出ノ件
要望実現のための文書作成などに長けた方だったようで、
同氏が「巖手縣」をお気に入りだった場合「岩」が「巖」になっていたかもしれませんね・・・