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hmtさんの記事が1件見つかりました

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記事番号記事日付記事タイトル・発言者
[99957]2020年7月3日
hmt

[99957] 2020年 7月 3日(金)18:17:02【1】hmt さん
変遷情報 小笠原(1)東京都小笠原村
[90655] グリグリさん
残っている未処理・未使用については、小笠原関係、特別区対応、その他であり、もう少し詰めが必要です。

小笠原諸島の日本復帰52年 村長メッセージ を機会に、市区町村変遷情報・東京都#195「小笠原村」詳細前身5村設置 の見直しをお願いします。

「小笠原諸島日本復帰(返還)」という言葉は、50周年記念事業においても使われており、特に疑問を伴わずに受け入れてきました。
(返還)は、日本への復帰を実現するために行なわれた外交交渉で用いられた用語であると理解。

しかし、「都道府県市区町村の変遷を伝える」という立場で考え直してみると、小笠原のケースは、奄美や沖縄の日本復帰(返還)と異なる事情にあることが明らかです。

住民を巻き込んだ地上戦が行なわれた沖縄では、人命・財産共に大きな損害が出ました。
しかし、敗戦直後の混乱期を除けば、住民共同体である市町村は変化を伴いながらも保持されました。
沖縄県という行政組織も その名や実体を変えながらも、潜在的には存続し続けました。

鹿児島県の管轄外になっていた奄美では、1946/7/1に名瀬市が誕生。
変遷情報では「市制」と記されていますが、『名瀬市史 改訂 第一巻』によると 「市制」ではなく町村制適用であり、地方自治法上の正式の市になったのは日本復帰(1953/12/25)の際だそうです(Wikipedia)。

それはさておき、敗戦後の小笠原は 1946/1/29の SCAPIN-677 により「日本の地域から除かれる外周領域」に指定されていました。[56190]に記された 覚書第3条
(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原および火山(硫黄)列島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島

[99400]で記したように、1951年9月に 連合国51ヶ国による 対日講和会議 がサンフランシスコで開かれ、1952/4/28に 発効しました。ソ連など3国は署名せず。第2次国共内戦(1946-1949)後の中国は招聘されず。

日本は Occupied Japan を脱して独立国の立場を回復しましたが、小笠原は米国から戻りませんでした。

日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)
第三条 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

この信託統治条項は、東西冷戦時代 米国防総省の強い意向に沿ったもので、日本は潜在主権を保持したまま返還を待ち続ける姿勢でした。
結局のところ、国連への信託統治は提案されないままで、1967年の首脳会談(佐藤・ジョンソン)により、小笠原諸島の1年以内返還が合意されました。
通称・小笠原返還協定 が結ばれ、1968/6/26の日本復帰が実現したのでした。

市区町村変遷情報東京都 #195 詳細に記された「村制」については、[53248]で問題点を指摘しました。でるでるさん[63262]、88さん[53386]からもレスをいただいていますが、
プログラム上、データの自動認識機能も含めての入力項目・表示となっているようですので、具体的な表現についてはちょっと保留させてください。
とのことでした。

「村制」という用語の使い方以外にも、【変更内容】父島, 母島, 硫黄島 にも疑問があります。
1968年の村設置時点で南鳥島・沖ノ鳥島まで拡張。その後、噴出した西之島も、小笠原村の領域になっています。

「沖縄・奄美の市町村」は【戦後の混乱期を含めて、曲りなりにも】存在し続けていた。
しかし、小笠原の5村については、戦場になった硫黄島村だけでなく、父島・母島の 「地域住民共同体」も、強制疎開によって 消滅に近い状態 になっていた」という違いがある。この点については、[99400]で既報でした。

本論から外れますが、この機会に触れておきたいのが、秋田県大潟村です。

ゼロに近い状態から再出発し、村長や村議会のない状態で設置された「戦後の小笠原」。
これは、沖縄や奄美よりも、むしろ干拓で新規に造成された 秋田県大潟村 と対比される状況であったと言えそうです。

過去記事の中に、秋田県能代市出身・右左府さんの [53892]がありました。
・大潟村も小笠原村同様、「村設置」から暫くの間、通常の地方公共団体ではない状態が続いた。
・但し、その間の議会の代替機関の役割は県知事が担うなど、違いも見られる。
・大潟村と小笠原村では、国と都県の関係の強さに差が見られる。

右左府さん による [76285] 大潟村の特異性 という記事もありました。
「昼夜間人口比率 121.9%」、第1次産業従業者(%)77.9【全国トップ】
[92604]近況報告など 過去1年間の書き込みは存在しないものの、高校時代からの落書き帳メンバーは 健在の御様子です。

話は変りますが、右左府さんの名から、「偉人名を音読みする理由」を書いたことを思い出しました。
音読み有名人

能代の最新の話題と言えば、バスケ名門「能代工業」の校名変更、OBから惜しむ声


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