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[66999] 2008年 10月 12日(日)21:57:09Issie さん
さいたま市本庁管内
福田さんが内閣を放り出してから“解散風”が吹き始めて,うちのHPでも前回総選挙から3年ぶりに 衆議院議員選挙制度の変遷 のページの手入れを始めました。もっとも,特にこの1週間の世界経済の風向きのせいか,心なしか「風」が弱まっている気もしますが。
いずれにせよ,最初にA紙が大々的に報道した「10月26日投開票」説は消えて,11月1日の一連の合併は総選挙に間に合いそうですね。そうすると,庵原郡(4区)から 富士川町 を編入する 富士市(5区) が「複数の選挙区にまたがる市区町村の仲間入り」です。
何があっても来年の9月までには総選挙をしなければならないのですが,今のところ,小選挙区に関する“越境合併”は,少なくとも 総務省告示 段階には至っていないようですね。

さて,今回の“手入れ”では,2002年改正公職選挙法による現行小選挙区区割り一覧表 を2002年の改正法の「別表」の形に戻してみることにしました。現在,うちのHPで掲載しているのは,この改正法の公布(2002.7.31)の後,さいたま市で区政の実施があって(2003.4.1),それにあわせて さいたま市 に関しては現行の“区による区割り”であるからです。これを区制実施以前の,公布された改正法による記載に戻すことにしたのでした。…要は,さいたま市の記載を区制実施以前の硬いに戻す,ということ。

改正法(平成14年法律第95号)の 第3条 によれば,そこに記載されている行政区画等は(一部を除き)2001年12月19日現在。
で,実際に作業を進めて,「おやっ?」と思ったのは,そこに記載されている「さいたま市本庁管内」の範囲について。
以下のように記載されています(さいたま市関連の部分のみ抜粋。横書きにふさわしく,漢数字はアラビア数字に書き換えました。改行についても適宜変更)。

--------------------------------------------------------------------------------------
(埼玉県)
第1区
 岩槻市
 さいたま市
  本庁管内(以下略)
  さいたま市三室支所管内
  さいたま市尾間木支所管内(大字大谷口に属する区域を除く。)
  さいたま市美園支所管内
  さいたま市片柳支所管内
  さいたま市七里支所管内
  さいたま市春岡支所管内
  さいたま市東大宮出張所管内(略)
  さいたま市大和田出張所管内
第5区
 さいたま市
  本庁管内(以下略)
  さいたま市指扇支所管内
  さいたま市馬宮支所管内
  さいたま市植水支所管内
  さいたま市日進出張所管内
  さいたま市宮原出張所管内
  さいたま市東大宮出張所管内(略)
  さいたま市大宮駅前出張所管内
  さいたま市三橋出張所管内
  さいたま市大戸出張所管内
第15区
 さいたま市
  第1区及び第5区に属しない区域
--------------------------------------------------------------------------------------

早い話,「第1区」とは 旧浦和市 の北東部と 旧大宮市 の東部,「第5区」とは 旧大宮市 の西部と 旧与野市,「第15区」とは 旧浦和市 の南西部で,それぞれ区制実施後の 見沼区・浦和区・緑区(及び合併後の 岩槻区),西区・北区・大宮区・中央区,桜区・南区 におおよそ相当するわけです。
そこで,各選挙区の具体的な記載に注目すると,「…に属しない区域」で済ましてしまっている「15区」は別にして,「1区」と「5区」にはそれぞれ郊外を管轄する支所・出張所の名前が列記してあります。
問題は,「本庁管内」。
よく見ると,「本庁管内」で列挙されている町名は,旧浦和市のもの(1区)も,旧大宮市のもの(5区,一部は1区にも)も,旧与野市のもの(5区)のものも,一緒くたに50音順で並べられているのですね。
ここから見えるのは,旧3市の支所・出張所はそのまま,「本庁」直轄区域は旧3市のものがそのまま区別なくまとめられてしまったらしい,ということ。
浦和市役所の本庁が直轄していた区域,与野市役所の本庁が直轄していた区域,大宮市の本庁が直轄していた区域のすべてが,この改正法では「さいたま市本庁管内」と記載されているわけです。
では さいたま市 は,2001年5月1日 の3市合併から 2003年4月1日 の区制実施まで,「本庁管内」がどのように管轄されていたのか,ふと,疑問が湧いてきたのでした。

ま,このあたりは,追い追い確認してみることにいたしましょう。
それよりも,目下の関心は,このページ をいつの段階で更新するかにあります。
[66998] 2008年 10月 12日(日)16:32:31YT さん
明治5年?明治8年の府県別面積
いやあ、調べればもっと古いデータが存在するものですね。
さっき大隈重信文書を検索してみたところ、明治8年の府県別面積が以下の史料に町反で載っていました(90~93頁)。人口の方は明治5年の府県別本籍人口と一致します。

第一回統計表

ただ旧国別面積は不明ですし、北海道が除外されています。

[66996]で述べた明治15年の統計年鑑ですが、北海道本地と千島三十島に関しては、旧国別面積が示されておりません。というわけで北海道の旧国別面積のデータは入手できておりません(郡の面積を足せば概算できますが)。

他の史料では、[66954]のリンク先の『日本地誌提要』(明治7年,人口は明治6年1月1日調)にせよ『共武政表』(明治8年(データの年次は主に明治6年頃)、12年(版は明治11年、人口は明治12年1月1日調)、13年(版は明治12年、人口は明治13年1月1日調)、14年(版は明治13年、人口は明治14年1月1日調))にせよ、東西南北の幅は書いてあっても面積は測定していないようです。

それにしても属島の数が[66993][66996]でなんでこんなに違うんでしょう?

大隈重信文書、自分は詳しい経緯を知りませんが、貴重な一級史料のようですね。
[66997] 2008年 10月 12日(日)15:22:20YT さん
追記
すみません。
[66993]の「面積及周囲」は項目としては5頁~6頁です。脚注だけ次の頁になっていました。

「表中所載ノ諸数ハ伊能忠敬ノ大国三万六千分ノ一ヲ本トシテ算出シ其遠測ニ係ルモノ及未測ノモノハ他ヲ諸国ニ拠リ其大概ヲ算出シテ之ヲ又島嶼ハ周囲及一町以上ノ者ヲ載ス
次表(面積国別のこと)モ亦之ニ同ジ」

とのことです。

1方里が何平方キロメートルなのか悩みますが・・・
メートル法基準なら15.4234711 km2ですが、こことかだと15.3664 km2で換算していますし。
[66996] 2008年 10月 12日(日)15:08:16YT さん
面積の国土面積統計
[66993] hmtさん

以前近代以前の日本の人口統計の全国国別人口表の方に明治15年の統計年鑑記載の面積を載せました。一応現物からコピーをとったもの(6頁~11頁、「面積国別」)から作成していますが、現物では各旧国毎に本地と属島別に面積が集計されています。ただ明治22年ぐらいまで統計年鑑をめくりましたが、国別面積は、明治15年のものしか確認できていません。

以下は5頁目「面積及周囲」に記載のものです(周囲、百分率は省略)。
土地属島ノ数面積
本地属島合計
方里方里方里
本地89314,494.4976.2014,570.69
佐渡556.330.0156.34
隠岐3121.880.1722.05
淡路236.550.1836.73
四国2331,151.2430.181,181.42
九州5692,311.86308.912,620.77
壱岐178.550.268.81
対馬8143.950.3844.33
琉球五十五島-156.91-156.91
北海道本地165,056.7850.925,107.70
千島三十島-986.23-986.23
小笠原十七島-4.65-4.65
総計1,84724,329.42467.2124,796.63

府県別の面積は明治15年版には記載されておらず、明治16年版以降はコンスタントに記載されているようです。
[66995] 2008年 10月 12日(日)14:26:24伊豆之国 さん
日光ではなかったところですが‥
つい最近まで日光市にはなかった「日光江戸村」。そのすぐ近くの別荘地が大雨で「水浸し」になる、「温泉が出る」といっていたのに出ない、という話を、今日のTV番組でやっていました。その中で「ロータリー」が映像に出ていたので地図を見ると、確かにあった!コレクションに追加をお願いしたいのですが、編集者がこのところ顔を出していないのが‥

[66985] hiroroじゃけぇさん
児島から倉敷に至る路線として、水島本線を利用するというものです。勿論、今の水島駅に接続すると、路線が歪な形になりますので、途中駅からの分岐という形(つまり、新水島駅経由)になります。その路線を、複線電化し、都市型鉄道に変身させようという計画です
‥ということは、かつて「備南電鉄」が果たせなかった「夢」の路線(→拙稿[60960])の一部が、形を変えて蘇るということになるのでしょうか?!

[66983]揖斐の山さん
[66969]はやいち@大内裏さん
増穂町・鰍沢町
新町には現両町の名称を使用せず
ひょっとして静岡県から消える富士川町が「引越し」なんていうことに?
[66994] 2008年 10月 12日(日)13:51:2988 さん
市区町村変遷情報 小レス
[66971] むっくん さん

■吉野郡上龍門村・中龍門村 分立 or 分割、施行日 M23(1890).9.23 or M23(1890).9.29 について
各種文献では、
「総覧」「便覧」・・・M23(1890).9.23、分割
「便覧」・・・M23(1890).9.23、分割
「幕末以降総覧」・・・M23(1890).9.23、不明
「辞典」・・・M23(1890).9.23(29)、分立
でした。奈良県告示優先でM23(1890).9.29分立(龍門村の一部はそのまま龍門村として法人格も継続して存置)として修正しました(上龍門村中龍門村)。

■十市郡桜井町 町制施行年月日 M23(1890).11.18 or M23(1890).11.12 について
各種文献では、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M23(1890).11.18
「辞典」・・・M23(1890).11.18(12)
でした。奈良県告示優先で、M23(1890).11.18町制施行とそのままとしました

■宇智郡大阿太村・南阿太村 分割年月日 M24(1891).10.22 or M24(1891).9.24 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M24(1891).10.22 でした。奈良県告示優先でM24(1891).9.24分割と修正しました(大阿太村南阿太村)。

■式上郡初瀬村の町制施行年月日 M25(1892).3.10 or M24(1891).3.10 について
各種文献では、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M25(1892).3.10
「辞典」・・・M25(24).3.10
でした。奈良県告示優先で、M24(1891).3.10町制施行と修正しました

■高市郡高取村の町制施行年月日 M25(1892).3.10 or M24(1891).6.3 について
各種文献では、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M25(1892).6.3
「辞典」・・・M25(24).6.3
でした。奈良県告示優先でM24(1891).6.3町制施行と修正しました

■広瀬郡河合村の一部の箸尾村への境界変更年月日 M25(1892).7.1 or M25(1892).2.12 について
各種文献では、
「総覧」「便覧」・・・M25(1892)._._
「幕末以降総覧」「辞典」・・・M25(1892).2.12
でした。奈良県告示優先でM25(1892).2.12施行と修正しました。何故、M25(1892).7.1施行と入力したのか、記憶がありません・・・。

■山辺郡波多野村の一部の添上郡月瀬村への境界変更年月日 M25(1892).7.1 or M30(1897).9.28 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M30(1897).9.28 でした。手持ちのExcelデータでもM30(1897).9.28施行でした。単なる入力ミスと思われます。奈良県告示優先でM30(1897).9.28施行と修正しました

■山辺郡山辺村の丹波市町への町制/改称年月日 M26(1893).9.26 or M26(1893).9.20 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M26(1893).9.26 でした。奈良県告示優先でそのままとしました

■宇陀郡榛原村の町制施行年月日 M26(1893).9.27 or M26(1893).9.29 について
各種文献では、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M26(1893).9.27
「辞典」・・・M26(1893).9.27(29)
でした。奈良県告示優先でM26(1893).9.29町制施行と修正しました

■吉野郡中荘村の分立年月日 分立 or 分割、施行年月日 M27(1894)6.8 or M27(1894).6.14 について
各種文献では、
「総覧」「便覧」・・・M27(1894).6.8、分割
「幕末以降総覧」・・・M27(1894).6.8、不明
「辞典」・・・M27.6.8(14)、分立
でした。奈良県告示優先でM27(1894).6.14分立(国樔村の一部はそのまま国樔村として法人格も継続して存置)として修正しました)。

■添上郡櫟本村の町制施行年月日 M27(1894).9.7 or M27(1894).9.3 について
各種文献では、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・M27(1894).9.7
「辞典」・・・M27(1894).9.7(3)
でした。奈良県告示優先で、M27(1894).9.7町制施行とそのままとしました

■高市郡白橿村の畝傍町への町制/改称年月日 S3(1928).2.1 or S3(1928).2.11 について
各種文献では、
「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」・・・S3(1928).2.1
「辞典」・・・S3(1928).2.11(1)
でした。奈良県告示優先で、S3(1928).2.11施行と修正しました

■愛知県海部郡の設置年月日 T2(1913).4.1 or T2(1913).7.1 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・T2(1913).4.4 でした。勅令優先で、T2(1913).7.1設置と修正しました

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[66971] むっくん さん
北海道一級・二級町村制施行の根拠(大正・昭和)を見つけました。これらの根拠は別稿で全文紹介する予定です。
ありがとうございます。私も[63862]で、何故これらを発見できなかったのか、不思議でした。何か勘違いをして探していたのかもしれません。またお手すきのときにお願いします。期待しています。
[66993] 2008年 10月 12日(日)12:52:25hmt さん
国土面積統計の変遷(1) 内務省地理局の時代には伊能忠敬の測量結果に依存
[66937] オーナー グリグリさん
都道府県市区町村の面積データを更新いたしました。

この機会に、国土面積統計の変遷を探ってみました。
最初の手がかりは、国土地理院プレスリリース です。
国土面積の公表は、明治15年(1882)に内閣統計局によって初めて実施され、人口統計と並ぶ古い歴史を持っています。昭和35年(1960)からは国土地理院が、『全国都道府県市区町村別面積調』として毎年公表しています。


「有史以前」の人口統計 において、明治23年(市制・町村制が実施された翌年)10月に、39市・15859町村 の前年末現住人口データが、内務省告示34号 で発表されたことを記しました。
手始めに 2匹目の泥鰌狙いで法令全書を調査しましたが、成果なし。そもそもイロハ順索引に「面積」がない!
日本法令索引とその明治前期編で「面積」や「統計」を検索した結果も、めぼしい成果なし。

今度は、統計局HPを見ます。トップ>日本統計年鑑>第1章 国土・気象>解説 に進むと
面積
国土交通省国土地理院が昭和30年以来毎年10月1日現在で取りまとめている「全国都道府県市区町村別面積調」による。
との記載。これは“昭和35年以来”の誤記でしょうが、それ以前のことはわかりません。

そこで 「明治 面積」で統計局HP内検索をかけると、前記のページと同じ表題だが内容は別のページ がヒットし、その中に資料解説がありました。
「日本帝国統計年鑑」
この年鑑は,明治15年(1882)に第1回「統計年鑑」として刊行され,59回まで継続したが,戦争のため一時中断しその後,昭和24年(1949)から「日本統計年鑑」として毎年刊行されており,今日に至っている。【引用者注:平成20年第57回】

この“明治15年”第1回「統計年鑑」が、国土面積を公表した最初の資料と思われます。
そこで近代デジタルライブラリーを探すと、明治時代のものはないが、大正元年~15年の15冊が収録されていました。

この大正時代の資料と統計局HPの記載をベースに、国土面積統計の変遷史を組み立ててみました。

最初は、内務省地理局による国土面積統計

明治15年の統計年鑑に掲載された最初の国土面積を直接確認することはまだできていませんが、30年後の 日本帝国第三十一統計年鑑(大正元年) に掲載された「周囲及面積」のうち、内地の部分 38万2415km2 とほぼ同じであろうと推測します。
【法定停電のため近代デジタルライブラリーは13日18時まで使えません】

土地属島数本地面積+属島面積=合計(方里)(km2)
本州165.514492.21+78.91=14571.12224737.258.77
四国74.51151.24+29.43=1180.6718210.04.76
九州1502311.86+305.68=2617.5440371.610.56
北海道本地135056.78+27.09=5083.8778410.920.50
千島31島1011.49=1011.4915600.74.08
佐渡56.33=56.33868.80.23
隠岐121.88+0.01=21.89337.60.09
淡路136.55+0.14=36.69565.90.15
壱岐18.55+0.08=8.63133.10.03
対馬543.95+0.77=44.72689.70.18
琉球55島156.91=156.912420.10.63
小笠原20島4.5=4.569.40.02
合計41224352.25+442.11=24794.36382415.1100.00
説明
表中載する所の数は…文政年間伊能忠敬著す所の実測録及大図(3万6千分1)を本とし算出し、未測のものは他の諸図に拠り其大概を補ふ。但し伊豆相模武蔵安房上総の五箇国は内務省元地理局の実測に拠り…

官制が慌しく変動した明治初期から地理司や測量司はありましたが、明治7年(1874)に 内務省地理寮 が発足(1877地理局)。
この役所で全国大三角測量が開始されましたが、成果が利用できたのは南関東のみ。ほぼ全国をカバーする測量結果は、伊能忠敬の実測録頼りの状態であったことが、上記の説明文からわかります。

余談ですが、上記の面積表において、本州と四国の属島数に端数があったことにお気づきでしょうか?
説明文より
属島の数に端数あるは一島にして両地に属するものあるに由る 即ち本州と四国の間にある石島是なり
2県にまたがる島 の中で唯一の有人島・石島 でした。
[66992] 2008年 10月 12日(日)10:06:05EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・号外 Yahoo!地図とMapionの関係
[66991]で「なぜ質問しないのか?」と言ったことを言いつつ、(聞かれたタイミングが悪かったとはいえ)質問に答えないままなのも何ですから、これには答えておきましょう。
まずは前振りから。

地名コレクションを実際に作り上げるには、2つの「道具」の使い方を把握しておく必要があります。
一つは、地名コレクションの編集管理ページ。
もう一つは、地名コレクションに収める地名を探すための資料。
このほかに自分なりの「その地名コレクションの採用基準」(これが設計図と言えましょう)も必要ですが、とにもかくにも「調べるための道具」と「表示するための道具」の使い方は知っておかないと先には進めません。
むろん、一番最初に地名コレクションを立ち上げる時にこれらの「道具」を完璧に使いこなせるようになっていなければいけない、と言う訳ではありませんが、やはりある程度の使い方は分かっていないと「作れない」か「効率が悪い」というところに繋がってしまいます。
と言うことで、やっぱりそれなりには知った上で取りかかる必要はあるでしょう。

そのうち、地名コレクションの編集管理ページについては[66953]かぱぷうさんも触れていらっしゃる様に見学者モードがありますので、いろいろとさわってみて挙動を見てみるのが一番手っ取り早いと思います。
正直、EMMにしても幅の設定やら色味の設定は結構適当だったりしますので(汗)。
幅は適当に数値を変えてみて良さげな見た目になったらそれに決定…ですし、色味にしてもhtmlタグの解説本に出てくる「主要な色のRGBコード」の中の自分が思っている色に近いものからスタートして、やっぱり適当に値を変えながらそれらしい感じになったらそれで決定してたりしてます。
(EMMでさえこんな感じですから、RGBコードが使いこなせるかどうかはそんなに気にするこたぁないです>かぱぷうさん)

一方、資料の方ですが、これはどのような地名コレクションを作るかによって何を使うのがよいかが変わってきます。
…が、現在上梓されている地名コレクションの多くが「特定の文字、言葉」を含んでいる地名を集めたものであり、そう言ったものの多くは「地図サイトを検索して出てきた地名」を拾う事によって作られたものです。
で、いくつもある地図サイトの中で、地名コレクションで資料として使われている割合の高いのがYahoo!地図とMapion。
それぞれ単独で使っている場合もあれば、EMM担当のコレクションの一部のように両方併用している場合もありますが、いずれにしても地名コレクションを作るにあたってはこれら2つの地図サイトの特徴を知って置いた方がよい…と言うことになります。と言うことで本題。

この2つのサイトの特徴について触れた記事は落書き帳中のあちこちに見られます。一部はアーカイブズ地図サイト徹底比較にも収録されていますが、ここ2年半分は反映されていません。
その後の記事をまとめても良いのでしょうが、ポイントだけ書いちゃった方が早いので挙げてみましょう。
まず、Yahoo!地図とMapionでそれぞれ、同じ地点を同縮尺で表示してみましょう。

例:東京ビッグサイト付近のYahoo!地図Mapionの表示結果

見比べてみるとどうでしょう?地図の内容は同じですよね?
それもそのはず、これら2社の地図、元々は同じものですから。
かつてはアルプス社がデータを作っていました。そして、アルプス社が直接管理しているサイトがMapion、データを提供されているのがYahoo!…と言う関係でした。
ところが、アルプス社は2004年に民事再生法適用となり([35724]スナフキんさんの記事参照)、今年春(昨年だったかも)Yahoo!Japanに吸収合併されてしまいました(参考:AlpsMAP )。
それ以降、アルプス社直系の地図はYahoo!地図で、Mapionはデータ提供を受ける方…と関係が逆転しています。
スクロール地図ができたのはMapionが先、現在詳細な縮尺の地図が見られる面積が広いのはYahoo!地図…と言うのもこのあたりに関係しているのでしょう。
現在でもシンプル地図は同縮尺の地図同士は全く同じ内容(Mapionのシンプル地図にはYahoo!のマルCが付いています)、スクロール地図はデザイン的に違いが作られているためマルCは個々の会社のものしか無いもののデータの内容はやはり同じです。
よって、「誤植・記載漏れ」の補完の目的でYahoo!地図とMapionを見比べる、と言うのはとんだ的はずれの行動でしか無かったりします。
ついでに言うと、自然地形に関してはYahoo!地図・Mapionともに国土地理院の地形図に準拠しています。
ならば国土地理院のウオッちずを使えばいいのでは?と言う話になってきますが、地図をリンクする事を考えた場合、ウオッちずは特定の地点を指し示す目的で使うことには向いていない(中心点が図示されない)ため、リンクに使う目的ではYahoo!地図かMapionの方が使いやすいと言うことになります。
現状では、詳細なところまで表示したいのであればYahoo!地図、サイトの仕様変更による影響を最小限にしたいのであれば必ずリンク専用URLを吐き出すMapionがそれぞれ有利、と言うことになるかと思いますが、この点ではどちらか自分の都合の良い方を選んでおけばよほどでない限り併用する必要はないのでは、と思います。
(Yahoo!は過去の仕様変更により表示位置ずれ問題[52015]やら六本木ヒルズ現象やら色々騒動を起こしてくれてます。現在はYahoo!地図でもスクロール地図ではリンク用URLを吐き出すようになっていますが、シンプル地図は以前のままでアドレスバーに表示されるURLをコピペするしかありませんから今後また何が起きるか分からないのが心配っちゃ心配)
ところが、EMMはYahoo!地図とMapionを(さらにはウオッちずも)併用して使っています。それはなぜかと言うと、検索の仕様の違いのため。
Yahoo!の方は検索についても時期によって仕様が変わっていますが、どう変わろうとも「町名字名の検索結果がろくでもない」といういやな特徴がつきまとっています。
(以前は出てこない字名があった、現在は番地まで含んだデータが検索元となっているためとてつもない数が出てくる)
一方、Mapionの町名字名検索のデータは小字までで構成されているためYahoo!よりも的確な結果が出ます。
なので自然地形名はYahoo、町名字名はMapionで探す…と言いたいところですが、Yahoo!地図の検索システムには現在もう一つの欠点(地名コレクションで使う場合の)があります。
どうもYahoo!ではしばらく前から「その地名に丸々当てはまるか、決められた区切りに当てはまるかした時」のみ検索結果に引っかかってくるようになっているようなのです。
駅名で、特定の一文字で検索すると非常にわかりやすいです。
Mapionなど他のサイトの検索結果と比べると異常に少ない。
2年ぐらい前からこういう事になっています。以前は入力した文字列が含まれているものはすべて攫うことができたのに…よけいなデータを拾わないようにと言うことでこのような仕様にしたのかもしれませんが、必要なものが出てこない危険性の方が高まったんじゃないかと思ってます。
こういう不都合があるため、EMMは自然地形名はウオッちずで検索して、出てきた地名をYahoo!地図で探してリンク用データとして使う、と言うことをしています。
じゃあ検索面でYahoo!に利点は無いのか、と言うと、特定の都道府県にある特定のカテゴリーの地名は何があるか、と言うのを調べようと思うとYahoo!が良かったりします。
具体的には、Yahoo!のシンプル地図の方で、たとえばキーワード「石川県」種別「山、川などの自然地名」とやれば石川県内の自然地形名が全部だーっと出てくる。
この結果から拾い出しているのが希少地名系3コレクションのデータです。
しかし、この「自治体名での検索」も一時期できない事がありました。
とかくYahoo!地図は仕様変更がちょこちょこある上、細かい仕様変更については何のアナウンスもなくいつの間にかなっている事が多いと思っています。
まぁそれはともかく、それぞれの地図サイトの検索システムの「癖」をつかんでおくと、地名コレクションに限らずいろんな場面で(たとえば、十番勝負とか…)役に立つ事があるでしょう。

ほかにも色々ありますが、書いていくと収拾がつかなくなるので、本稿はここまでに…と思いましたが、もう1点だけ。
Yahoo!地図は原則リンクフリー、Mapionも個人運営サイトであればリンクフリーです。
(Mapionは以前は全件リンク設置後要報告でしたが、グリグリさんに問い合わせてもらったところ都道府県市区町村で広く活用してほしい旨連絡を頂いております[44551]。)
[66991] 2008年 10月 12日(日)10:05:57EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第158号-9
この1週間はまたまた小忙しい(大忙しでもないのがまた…)1週間でした。ほぼ日帰り東京出張もあったし。
とどめが、金曜夜は夜7時頃晩飯を食べたら強烈な睡魔に襲われてそのまま寝てしまい、土曜は朝10時頃まで沈没。
(○TT(の代理店)の勧誘電話でたたき起こされなければ昼まで寝てたに違いない)
来週も小忙しい状態は続きそうなので、せめてこの連休には体を休めたいところですが。
さて、ところで…

[66952] 鳴子こけしさん
それは、『理解が出来ていなかった人々がいままでに手を挙げなかっただけ』とも考えられます。
うーん、これがまた、過去ログを読んでいないと言うことを表してしまう発言なんですよね。
なぜなら、「作り方はまだ把握していないが、とにかくやってみたいので手を挙げた」方も実際にいらっしゃるんです。
しかも、現在地名コレクションの担当者をされている方で。
引き合いに出してしまってご本人には大変申し訳ないのですが、日本人さんがそうでした。
ただ、日本人さんは鳴子こけしさんとは取り組む姿勢がかなり違っています。
最初に手を挙げた[60078]では
コレクションの作り方を教えてくだされば立候補できるのですが。自分も立候補したいと思っています。作り方を教えてください、お願いします。
とおっしゃってました。これなんですよね。分からない(と言う自覚がある)のであれば、最初から聞けば良いんです。
と書くと[66857]で1つ質問してるでしょう、と言われるかもしれませんが、逆に言えばその1点のみしか聞かれていない訳で、それ以外の部分は「とらえている内容がどこかずれて」いたり「分かりませんと言いつつ、その後解決を図ろうとしていない」ところばかりと判断しています。
なぜ私が質問を繰り返したか、分かりますか?
鳴子こけしさんの過去の書き込みを見ていると「何を分かっていないか、が分かっていないまま事を進める」と言う点があると考えられたからです。
それでちょっと気になる点を質問してみたら、やっぱりちょっと十分ではない…と判定できてしまった。
その時点ですぐに指摘すれば良いのかもしれませんが、そうせずに質問を繰り返した。それについても理由があります。
それは、「欠点を指摘されても、それをなかなか認めない」ところがあるからです。
本当なら自分で理解して自分で動き出すか、あるいは教えてもらおうという姿勢を見せるまでとことんまで質問攻めにしようか、と考えていましたが、どうもそう言う方向に行かないので、ストレートに思うところを投げかけたのです。
正直、ここまでの鳴子こけしさんの姿勢は、たとえご本人がどう考えていようとも他の人間からは
「内容をよく理解していないので、これから教わっていこうと思っている」
姿勢とはとらえてもらえないものでした。じゃごたろさんや熊虎さんからの指摘もそう言う点から(それ以外の部分もあるが)出てきているものでしょう。

それから、「過去ログを全部読め」と言ったのも理由がちゃんとあります。
鳴子こけしさんが「目的の記事を探そうとしているが、見つからない」というのを繰り返しているのを見て「検索に関する技能・能力が十分でない」と判定できるからです。
たとえば、私が地名コレクションの編集業務で行っている書き込みのタイトルに目がとまっていれば、記事検索で「EMMの地名コレクション編集メモ」と言うキーワードで検索すればこのようにアーカイブズに出てない記事まで拾うことは可能な訳です。
でも、それもできていない。(地図サイトの性質がらみの記事を探そうと思うと、キーワードの組み合わせの工夫、複数回の検索等が必要です)ならば、1からベタ読みのほうが、読むのは大変だけれども「探しても出てこない」でバタバタしているよりはむしろ手っ取り早かろう…そのうちに関連する記事に行き当たるはずだし、それ以外の件での過去の経緯とかも分かるだろう、そう思って言い出したことです。
(パズルがらみのはなしにしても、過去ログを読んでいけば鳴子こけしさんの遥か上を行く「化け物」がメンバーの中にごろごろしているのが分かるはず)
ちなみに、この検索に関する技能というのは、地名コレクションを作る上で結構重要な

そもそも、地名コレクションの編集者に手を挙げたのはあなたです。
私からお願いしたのではありません。
「飯田氏ルール」([65842]Issieさん)の考え方から言えば、言い出した鳴子こけしさんが「責任を持って」それを実行するためのことを実践せねばならんのと違いますか?
「それを実行するにはあなたの技術レベルが足らん」と言われたのであれば、自分自身で自分を十分なレベルまで引き上げなきゃならんでしょう。
その手段としては、独学でも人から教えてもらうのでもかまわない。
ただ、人から教わろうと思うのであれば、それなりの姿勢が必要です。
今回の件で、地名コレクションのことについて教わるのに一番手っ取り早い相手は編集長…私だったはず。
(質問を繰り返している間、「この人は何で聞き返してこないんだろう?」とも思ってました)
しかし、[66952]のような書き込みに対して、私が「はい、それなら」と教えてくれると思いますか?
その上、[66952]を見る限り「自分で自分を改善する能力がない、またはそう言う気がない」とも読み取れてしまいます。
おまけに、「過去ログを読んでみなさい」と言われたのに読んでないですよね。
 自分で学ぶ気もない。
 人に聞くでもない、聞く姿勢も十分でない。
 言われたことすらしようとしない。
どうしたいのでしょう?と思わざるをえません。自分に甘いのだろう…ともとれますが、結局自分で自分を追い込んでいるようなものです。
再度言います。ご自身が言い出したことです。それを成すために最大限の努力を払うのか(自己学習するにせよ、誰かに教えを請うにせよ)、それとも言い出したことを引っ込めるのか、これはあなた自身が決めることです。
その決定を他人に押しつけてしまう、それこそ無責任の極みでしょう。
ここでさらに一つ質問を投げかけます。
「結局、あなた自身はどうしたいんですか?」


#編集長的には、地名コレクション作成の立候補があった際、コレクションの中身についてダメ出しをすることはありますが、通常手を挙げた人そのものにダメ出しをすることは普通はありません。
だって、気になるところはあってもその人自身が努力してくれれば改善できるだろうと言うことであることが多いから。
とは言え、人自身にダメ出し…編集長として問い合わせに対応しない旨宣言したことも数名に対してありましたが、それらの方は後に別のトラブルを起こし、現在出入り禁止となっています。要は「よっぽどのこと」を多発する方たちだったと言うことができます。
私に「担当できないと自分に対してダメ出ししても良い」と言うことは、「トラブルメーカー」の方々と同列に扱っても良い、と言っているのと変わらないと思うのです。
[66990] 2008年 10月 12日(日)07:59:32おがちゃん[日本人] さん
祝岡山市政令指定都市移行
20日ほど前回の書込みよりあいてしまいましたが、日本人です。
この季節は小学生にとってはかなり大変な季節です。
運動会、マラソン大会、四谷大塚の全国学力テスト勉強・・・。などがあるため、書き込むことはおろか、ROMすることも大変でした。しかし、今日は久しぶりに時間が空きましたため落書き帳に書き込みたいと思います。


[66976] hiroroじゃけぇ岡山大使 さん
数日遅れましたが、岡山市政令指定都市移行おめでとうございます。しかし、「最も人口が少なくて政令指定都市になった市」になるのかどうかは微妙なところですね。ただ、最もありふれた区名を持っている政令指定都市にはなりそうです。

それから、前橋市もついに中核市になるときが来ましたね。ただ、群馬県民からしてみれば、なにも高崎市の中核市を遅らせることも無いと思います。前橋市と高崎市は人口が大して変わらない(高崎のほうが人口が多い)ため、両方とも同日に政令指定都市になってもよいと考えるのですが、県庁所在地が先になるという決まりがあるのでしょうか。少し疑問です。

[66972] とし さん
はじめてこのHPを見て、たまたま政令指定都市等の項を見ていたのですが、八王子市などは人口50万人強なのに、中核市・特例市いづれにも該当しないのは、どういうことでしょうか?東京都の他の市も同様と思いますが・・・
その件は、落書き帳では前からよく取り上げられるテーマです。
[2770] ケン さんが、
八王子市が中核市に移行できない理由は長引く財政難と東京都に所属しているからそうです。
と書かれています。ただ、いつかは、八王子市が中核市になる日も来てほしいですよね。
[66989] 2008年 10月 11日(土)20:43:20YASU さん
こういった問題は好きです。
[66987] 小松原ラガー さん
どちらの方向に進んでも「いわゆるボトルネックの区間」があるので、何ともいえないのですが・・。
【問一】C市、D市、F市でしょうか?
【問二】A市からB市に向かう間に2箇所でしょうか?1箇所はB市と同じ県ですね。
D市からF市に乗り換えなしに行く列車もあるようです。

今回は大丈夫だと思いますが。

そこそこの規模の都市ほど概して中心街と中心駅が離れている
鉄道開業時には既に都市化しており、中心街に駅を造れなかった(土地の買収が容易ではなかった)のでしょうね。
最近大正時代の名古屋市の地図を見る機会がありましたが、市街地外縁部を中央線がみごとにトレースしていました。
[66988] 2008年 10月 11日(土)18:30:27山野[揖斐の山] さん
請求/署名活動
(長崎県)
佐々町にて佐世保市との合併を考える議員らが合併協議会設置の本請求をしました。
近々、市長宛に合併協設置を議会に付議するかどうかの意見を照会した後、
同市から付議するとの回答があれば、2市町の議会で同案を審議する予定。
(熊本県)
議長採決により1票差で法定協を設置した城南町に於いて熊本市との合併反対の住民が
町長と賛成議員のリコール求め署名を提出したとの事。(初っ端からゴタゴタしていますが、大丈夫かこの地区。)
[66987] 2008年 10月 11日(土)18:05:48小松原ラガー さん
プチトリップ・・・
小松原ラガーです。

ぜんぜん予定していなかったのですが、会社の用事で日帰りであるところまで行くこととなりました。ということで、問題文風にしてみました。そんなにひねりもないので、例によって一つわかれば、あとは芋づる式に解けてしまうかも。

【問題文】
午前9時過ぎに自宅を出発し、最寄駅で先ずは乗車券を購入。早速移動を開始し、とある都市A市の、あるターミナル駅へ。尚、A市にはいくつかのターミナルが存在するが、このターミナルは現在駅ビルの工事が進行中。

ここから1時間半程度電車に乗り、B市のある駅へ到着。この駅は新幹線の駅でもあるので、当初はここで新幹線に乗り換えることを考えていたが、時間があるので、ここで乗り換えはしたものの、在来線を選択、更に歩みを進める。そもそも、A市の別のターミナルからB市のこの駅まで、あるいはその先の行程までも新幹線を使うことも出来たのだが・・・。因みにA市とB市、面積ではB市が僅かに大きいが、人口ではA市の方が圧倒的に多い。

さて、実は今回の行程の中ではこのB市のこの駅から、隣の県のC市の代表駅までが一番のボトルネック。その前後に比べれば、列車の本数も少なくなるのですが、ラッキーにも列車の接続がよく(というか、それだから在来線を選択したということですが)、C市まで約30分、狭い山間に新幹線や高速道路と並行しながらの(といってもピタッと並んで走っているわけではないが)乗車を楽しむ。あれ?このC市には飛び地があるね。

C市からは再び便の本数も増え、県庁所在地D市を経て、この地方最大(人口も経済的にも)の都市E市の代表駅に到着。数分の乗換えで目的地まで行く列車はあったのですが、敢えて一本見送ってこの駅でこの地方の有名な麺類を食す。まぁうまい。^^;

E市からは快速電車に乗り、40分足らずで目的地のF市の代表駅に到着。F市到着は13時半過ぎ。この市はE市から鉄道でやってくると、都道府県境を越えた最初の市です。あれ?ここまでずっと鉄道で、かつ、駅のホームからはずっと同じ進行方向に進んできたにもかかわらず(※)、今回の行程で既に到達した都道府県に戻ってきたぞ?

(※)駅のホームから見たら、必ず進入してきた方向とは反対の方向に出発した、すなわち、ホームへ進入してくる方向に逆戻りしたことはない、という意味です。

F市内で用事を済ませ、帰りは少し荷物が増えたこともあり、E市に戻って、そこからは新幹線でシュ~ッと自宅のある市まで帰ってきました。F市の駅から自宅のある市の新幹線の駅まで、1時間45分程度。行きにかかった時間を考えれば、やはり新幹線の威力は絶大なり。

【問題】
問一:A市からF市までのうち、同じ県にあるのはどの市?該当するものをすべてあげよ。
問二:今回の行程で小松原ラガーが認市した(=通過以上)都道府県庁所在地のうち問題文中で言及されなかった市(=A~F市、および自宅のある市、ではない市)を全て列挙せよ。
※勿論のこと、A~F市が全て都道府県庁所在地とは限りません。

以上ですが、少しレスを。

[66862] ニジェガロージェッツ さん
フォロー有難うございました。

三ノ宮駅の東に近接する,葺合の旭通4丁目に54階建ての再開発ビルが計画されています。神戸市のサイトにも旭通4丁目地区第一種市街地再開発事業のページが公開されています。
(中略)
さて,再開発計画がどのように進むかが楽しみです。

先日の某新聞の地元欄に記事が載っていました。高さは約195メートルで市内で一番高いビルになる模様です。

[66984] 伊那谷 さん
どうもこれらを見ていると残念でならないのですが、そもそもは鉄道駅が町外れにつくられたことにより生じたことで仕方がないのかなあ、とも思います。

そもそも全国的に見れば、そこそこの規模の都市ほど概して中心街と中心駅が離れているのではないでしょうか?西から見ていけば、鹿児島、熊本、福岡(天神駅はありますが、博多で判断しました。)、松山、大阪、京都、和歌山、・・・(以下略)。
[66986] 2008年 10月 11日(土)17:59:21アルバトロス さん
いけぶくろ
池袋が話題になっていますが、昭和の「ぶくろ」を知っている者として首を突っ込ませてください。ちょっと出遅れですが。
東口の池袋西武は、昔、武蔵野デパートといっていました、それが西武百貨店と名を変えて見る見る大きなって、目白寄りに延びてうなぎの寝床のような巨大化になりましたね。端から端まで歩くのは大変な労力と体力がいることでしょう、自分が利用してた頃でも、うんざりしたものです。
西口の池袋東武は、先にあった「東横(現東急)池袋店」を譲り受けてのち、隣合っていたので一つの建物として大改築をして今のような巨大化デパートに変化していったのです。

この2つのデパートと合わせて、西に東武東上線、東に西武池袋線があり、真ん中にJRとあり、それをつなぐ地下通路は南に有楽町線、中に丸ノ内線と副都心線があり、慣れないかたは、地上に出るのも迷うことでしょう、特に中央通路は人が多く流れにのまれてしまうかも、サンシャインビルに行くのも大変、人によってはパニックになるかもしれません。

ところで、地下鉄副都心線が渋谷まで延びて、乗客が池袋を通過してしまうのではないかと、危機感を感じて池袋西武と池袋東武が連携(昔ならあり得ないこと)してイベントをしていましたが、2つの巨大デパートに埋もれて、思うように売り場面積を広げられなかった、「池袋三越」が、来年5月52年の幕を下ろし閉店することになりました。これも地下鉄副都心線開通のあおりでしょうか、開店当時から知っている者としてさびしいかぎりです。あとには「Y」が入るのではないかとの噂があるようです。
[66985] 2008年 10月 11日(土)17:08:36hiroroじゃけぇ さん
都市の核の分散はマイナスか
[66980]N-H さん
新倉敷駅は元々玉島駅と言われていました。つまり、玉島地区の代表駅であったのです。ところが、倉敷市との合併+新幹線開業で「新倉敷駅」と改称しました。これが、この駅が新幹線駅として歩みだした始まりです。しかし、倉敷市になる以前は玉島市の中心駅としての機能しか備えておらず、玉島市の中心部からも離れていた為、田園地帯にある駅でした。これは、hiroroじゃけぇが小学生の頃も同様だったと記憶しています。それが、ここ最近の郊外化によって、都市としての基盤が整備され、新たな核として成長してきました。今では、県内で3番目の乗降数を誇る駅に成長しています。それでも、郊外駅としての機能が強く、長距離駅ではありません。駅弁なども必要ないのが現状なのです。

で、倉敷駅に新幹線を通さなかった最大の原因は、岡山駅との距離にあります。快速列車でも15分もかからない区間に、新幹線駅を建設するのは不経済であるといった理由からでした。しかし、倉敷にも駅が欲しい。その折衷案が新倉敷駅だったのです。今でこそ、新鳥栖駅と久留米駅間の距離など、新幹線にも近接駅が増えましたが、山陽新幹線全通時には考えられなかったことだったようです。また、伯備線との連絡駅として倉敷に新幹線を通していても、「やくも」は岡山駅での連絡になっていたはずです。ですから拠点駅としての地位は岡山駅に依存し、倉敷駅は準拠点駅としての使命を担う、現在のスタイルの方が自然であると思っています。

一方、「みずりん」の高速化の話ですが、実はある地域が盛んに提唱しています。それが、我が児島でして、児島から倉敷に至る路線として、水島本線を利用するというものです。勿論、今の水島駅に接続すると、路線が歪な形になりますので、途中駅からの分岐という形(つまり、新水島駅経由)になります。その路線を、複線電化し、都市型鉄道に変身させようという計画です。まだまだ構想の段階ですが、これが完成すれば、岡山県の鉄道ネットワークに厚みが増し、利便性は格段にアップしますね。

[66984]伊那谷 さん
岡山市の核ですが、岡山以外から来た人にとっては、離れていると感じるかもしれません。しかし、我々岡山人にとっては苦にならない距離です。通常、岡山人は岡山駅から県庁通りを通り、表町に向かいます。しかも徒歩で。そして、帰りはバスか路面電車。1㎞なんてそのぐらいの距離なのです。

さてさて、都市の核の分散ですが、多くの大都市で見られる問題であり、岡山市や広島市だけの問題ではないはずです。その顕著な例が京都市で、駅から最大の繁華街四条河原町までの距離は、かなりのものです。でも、発展しているのは確か。では、なぜそうなるのか?確かに、1段階目の発展としては駅周辺の方が集客力も強く、楽に発展できます。しかし、それでは、大きな都市核は造れません。駅からの徒歩圏のみが商圏となり、発展もそこで止まってしまいます。しかし、ある程度駅からはなれた核であれば、駅と核の連絡交通を利用することで、核の広大化を促進することができます。青森市などで取り組まれている「コンパクトシティ」であれば別ですが、ある程度の距離を持つことで、複数の核を育てることも可能となり、それらが繋がった時に、初めて大都市としての風格を備えるものと思われます。岡山市はまだその途中。現在は、表町と駅をつなぐ地域の再開発が盛んに行なわれています。今後の発展の為にも、あたたかく見守ってください。
[66984] 2008年 10月 11日(土)15:34:32播磨坂[伊那谷] さん
岡山市の核
お久しぶりです。

[66980]N-H さん
ところで、これほどまでに駅として差ができてしまうのは、もちろん倉敷と新倉敷に駅が分離していることにも原因の一端があるわけです。これは都市に複数の核を持ち平均的な発展を狙うには悪いことではないのかもしれないですが、倉敷程度の規模の街としてはもっと集中して盛り上がる核をつくったほうがよいですよね。
一方の岡山駅は、見事なまでに交通機関が集中しています。これでは勝負になりません。
ただ、その岡山市も核が分散しているような気がします。
同市の商業の中心で、天満屋や紀伊国屋などの店舗が集中している表町は岡山駅から東へ1km弱に位置します。この程度の距離なのですが、どうも駅から遠いという感は否めません。ここにはバスターミナルもあり、多くのバスが乗り入れています。
勿論、駅前にもドレミの街(昔ダイエーが入ってました。今はどうなっているか知りません。)や高島屋などがあり、そこそこの規模ではあるのですが、どうも寂しいです。
もし駅前が単一の核となっていれば、もう少し規模の大きい賑わいのある街になっていただろうと思います。
また、同じ中国地方の指定市の先達である広島市も商業の中心・紙屋町が広島駅からかなり離れていたという印象があります。
どうもこれらを見ていると残念でならないのですが、そもそもは鉄道駅が町外れにつくられたことにより生じたことで仕方がないのかなあ、とも思います。
[66983] 2008年 10月 11日(土)14:38:52山野[揖斐の山] さん
合併予定日の決定
現在協議中の増穂町・鰍沢町の合併予定日ですが10年3月8日となりました。
で、名称の方ですが
新町には現両町の名称を使用せず
って事はどんな名称になることやら。(出来れば今回流行の平仮名は避けて欲しいよなぁ)
[66982] 2008年 10月 11日(土)13:24:23はやいち@大内裏 さん
前橋
10/10 群馬県議会が閉会し新・前橋市にかかる廃置分合議案が可決されました。
[66981] 2008年 10月 11日(土)13:18:38かすみ さん
気がつけば・・・
こんにちは。ここ最近は関西一円行脚的な仕事が続き、その後片付けで連日残業、しばしば帰宅後はうっかりソファ寝(爆)、また仕事・・・な感じでして、ロムするのもやっとという状態。そして年末まで恐ろしいほど行事が入り、金銭的はもちろんですが肉体的な心配の方が大きいです。
オフ会の方は参加出来るかまだ結論が出ていません。お客さん次第の話なので、ただよい方向になってくれることを願うのみです。

おかげで世間の動きに少し疎くなっています。[66973]k-aceさんの記事にあるニュースはわが尼崎市も関わる話なので目は通していたのですが、「仮称JR桂」駅が「桂川」駅として10月18日に開業だということは昨日になって気付いた次第です・・・。(大汗)
安易な命名にならなかったですね。てっきり仮称がそのまま付くのかと懸念していたので。

[66974]ペーロケさん
そのキャラ、前から存在していましたよね。3年前にホテル奥道後に泊まったとき、普通に売店でTシャツなどが売られていましたが今になってブレイク寸前なんですか?^^;
[66980] 2008年 10月 11日(土)12:22:36【1】N-H さん
新幹線駅と市代表駅の分離
[66976]hiroroじゃけぇ さん
倉敷市は暗闇に突入してきています。
なるほどねえ。
そういえば、帰りは新倉敷駅から乗車しました。こちらは駅前に郊外型の店舗が立ち、いかにも後から開発されたという印象。
その一方で、駅そのものに付帯する売店などが無いに等しいこと。駅弁を買おうと思ったのですが、あまりにしょぼくて岡山駅まで行ってから選ぶことに。
対する岡山駅の活気はいうまでもありません。新幹線改札の中だけ見て物を言うのもどうかと思いますが、駅としての格が違いすぎます。
ところで、これほどまでに駅として差ができてしまうのは、もちろん倉敷と新倉敷に駅が分離していることにも原因の一端があるわけです。これは都市に複数の核を持ち平均的な発展を狙うには悪いことではないのかもしれないですが、倉敷程度の規模の街としてはもっと集中して盛り上がる核をつくったほうがよいですよね。
一方の岡山駅は、見事なまでに交通機関が集中しています。これでは勝負になりません。

私の地元である横浜にしても、今でこそ新横浜駅は横浜という都市にふさわしい駅に立派に成長しましたが、ここまでくるのにどれほど長い時間がかかったことでしょう。

線路規格が低く、高速化には向かないのが現状です。
そうだろうとは思ったのですが、私の見た時間には貨物列車と行き違うこともなく、しかも線路はまっすぐ。
トロッコ列車のような風情ときしむようなカーブや勾配の連続というならあの速度でも気にならないのですが、家並みの中を立派な高架でまっすぐな線路の上をああもごろごろ走られてしまうと、最終的には「速度を引き上げるつもりがない」ことが速度が遅い最大要因だと思わざるを得ません。つまり、時間帯や区間によりこまめに最高速度や減速などの設定をすればよほど速く走れるはずです。これはまさに京急がお得意のやり方。
ただ、それほどがんばって速くしたところでそれに見合うメリットが少ないのでしょう。幸い昼間から私と同様の出張とおぼしきスーツ姿のサラリーマンを中心にかなりの乗車率がありましたし。
あと、鉄道貨物が元気なのはよいことですね。

鉄道の速度についてもう1つ。
今いるアムステルダムは、街中に低床式のトラムの路線がはりめぐらされており、電車好きにはたまらないのですが、これが結構速いんですよ。
広電も活気があって好きですが、あのとろとろ感はいまいち。これにくらべてアムステルダムのLRVはすばらしいことこの上なし。
古い町並みの中を、きれいなトラムがぴゅーぴゅーと駆け抜けていく様は見事な絵になっています。
どうして日本の路面電車はあんなに遅いのでしょう。制限速度の規定が厳しいんでしょうか。
[66979] 2008年 10月 11日(土)12:19:3888 さん
市区町村変遷情報 小レス
[66845] [66846] むっくん さん
ご紹介の岐阜県市町村合併等経過一覧表(pdfファイル)を確認しました。ありがとうございました。

■旧加茂郡川小牧村部分の加治田村から大平賀村への境界変更・大平賀村から加治田村への境界変更について
ご紹介の岐阜県市町村合併等経過一覧表(pdfファイル)により、境界変更部分は旧川小牧村であると判断しました。よって、M28(1895).1.1付け大平賀村への境界変更T2(1913).7.1付け加治田村への境界変更と追加しました。

■「関ケ原」 or 「関原」の資料について
ご紹介の岐阜県市町村合併等経過一覧表(pdfファイル)を確認しました。内容は既に[66843]で修正済みです。

■旧上牧野村の区域の美濃加茂市から加茂郡八百津町への境界変更について
S30.3.25付け総理府告示第419号では、加茂郡八百津町への境界変更の範囲は、
美濃加茂市大字牧野字東宮前、東中国及び道下の区域
でした。ご紹介の岐阜県市町村合併等経過一覧表(pdfファイル)により、境界変更部分は旧上牧野村であると確認できましたので、S30(1955).3.25付けの美濃加茂市から加茂郡八百津町への境界変更を追加しました。

■旧田島村の区域の加茂郡白川町から益田郡金山町への境界変更について
→武儀郡金山町はS30(1955).3.1付けで益田郡金山町となっております。
S30.3.28総理府告示第501号では、益田郡金山町への境界変更の範囲は、
岐阜県加茂郡白川町大字白山字上川牧、馬瀬尻、木馬尻、中神田、田戸洞、宮ノ前、中田島、筒井、堤口、上田島、長塚、水洞口、野畠、洞田及び黒谷の区域
でした。これが、ご紹介の岐阜県市町村合併等経過一覧表(pdfファイル)により、境界変更部分は旧田島村であると確認できましたので、S30(1955).4.1付けの加茂郡白川町から益田郡金山町への境界変更を追加しました。

■市制町村制施行時 恵那郡中津川村 or 恵那郡中津川町 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・中津川町でした。
[62863] むっくん さん でご紹介をいただいた、M22.6.27付け岐阜県令第39号(市制町村制施行にあわせた廃置分合の県令、施行日はM22(1889).7.1)の885ページ(73コマ目)で「中津川『町』」とあることですし、県令優先でこのまま恵那郡中津川町とします。

■市制町村制施行時 (美濃国)大野郡横蔵村 or 大野郡木曽屋村,神原村,有鳥村 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・横蔵村でした。
[62863] むっくん さん でご紹介をいただいた、M22.6.27付け岐阜県令第39号(市制町村制施行にあわせた廃置分合の県令、施行日はM22(1889).7.1)の876ページ(69コマ目)で「横蔵村」とあることですし、県令優先でこのまま大野郡横蔵村とします。

■武儀郡菅田村の町制施行年月日 M30(1897).4.1 or M29(1896).11.20 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M29.11.20でした。
なぜ、私がM30.4.1付けで入力したか記憶が曖昧なのですが、
M29.4.18法律第86号岐阜県下郡廃置及郡界変更法律の施行日(各種文献ではM29.4.18の裁可日と誤っているものが多いが附則のとおりM30.4.1施行)を反映させるときに、誤ってM30.4.1施行と誤ってしまったのかもしれません。失礼しました。よって、修正しました

■山県郡高富村の町制施行年月日 M30(1897).4.1 or M30(1897).3.19 について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・M30.3.19でした。
これも上記菅田村の町制と同様です。修正しました

■T11(1922).4.1揖斐郡藤橋村の成立について(揖斐郡久瀬村の一部が分立 or 揖斐郡久瀬村を分割して久瀬村及び藤橋村を設置)
各種文献では、
「総覧」・・・分割
「幕末以降総覧」「便覧」・・・不明
「辞典」・・・分立
です。「幕末以降総覧」では、分割・分立の表現に相違は無いので判断不可能です。「便覧」では、そもそも記載がありません。
「辞典」は、分立・分割の区別についてはかなり信憑性が高いと経験上判断しています([55654][56515]拙稿)。よって、非常に悩ましいのですが、とりあえず、そのままとしました。岐阜県告示が発見できれば、それに倣いたいと思います。

■羽島郡桑原村の新設合併年月日について
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・S2(1927).4.1でした。
手元のExcelデータでも、S2.4.1でした。単なる入力ミスのようですので、修正しました

■S29(1954)4.1付け揖斐郡大野町の新設合併に際して、従前の西郡村の一部(旧牛洞村の区域)が鶯村へ異動したか否かについて
S29.3.30付け総理府告示第356号では、
揖斐郡大野町、豊木村、富秋村及び西郡村を廃し、その区域をもつて 大野町をおく
でした。西郡村の一部がS29.4.1付けで鶯村へ境界変更する総理府告示は官報情報検索サービスでは発見できませんでした。
各種文献では、「総覧」「幕末以降総覧」「便覧」「辞典」・・・揖斐郡西郡村の一部(旧牛洞村)を大野郡鶯村へ境界変更する記載はありませんでした。
S31(1956).4.1付けで揖斐郡大野町は鶯村を編入し、現在はいずれにせよ同じ大野町ですから、ちょっとこれ以上の確認は困難です。よって、S29.4.1付けの新設合併はそのままとしました

■S29(1954).9.1付けの不破郡関ケ原町の新設合併時の岩手村の一部の取扱いについて
S29(1954).8.31付け総理府告示第724号では、「不破郡関ケ原町、今須村及び玉村を廃し、その区域並びに岩手村大字伊吹字大高の区域をもつて 関ケ原町を置く」です。「岩手村の一部」とは「大字伊吹字大高」で、大字単位ではありませんが、新設合併時に同一告示(同一処分)の中で一部を境界変更する例は多いのですが、「告示」の一体性を鑑み、例外的に対象としています。よって、このままとしました

■S30(1955).7.10付けで美濃市の一部を関市へ境界変更する件について
S30.7.9付け総理府告示第1320号では、関市と美濃市が相互に境界変更する告示です。
関市から美濃市への境界変更は、
関市大字小野字カシガ洞、西曾船、花之木、奥之田、神明洞、長洞、東曾船、長洞前、荒神洞、田之洞、西ケ洞の一部
ですので、大字単位未満とみなして市区町村変遷情報では記載を省いております。
一方、美濃市から関市への境界変更は、
美濃市大字東志摩
で、むっくんさんご推察のとおりです。大字東志摩は藩政村未満かもしれませんが、大字単位として、市区町村変遷情報の対象としました。よって、このままとしました

―――――――――――――――――――――――――
毎度のことながら、ご指摘・詳細な裏づけ調査をありがとうございます。本当に助かります。今後ともよろしくお願いいたします。
本投稿準備中に[66971] の書き込みを頂きましたが、これについてのレスは次回とします。
[66978] 2008年 10月 11日(土)11:15:10Issie さん
現代かなづかい・オリジナル
[66977] 笠津前浜 さん
準則であった「現代かなづかい」

1946年の「現代かなづかい」の「前書」は,以下のようなものでした。

--------------------------------------------------------------------------------------
一,このかなづかいは大体,現代語音にもとづいて,現代語をかなで書きあらわす場合の準則を示したものである。
一,このかなづかいは,主として現代文のうち口語体のものに適用する。
一,原文のかなづかいによる必要のあるもの,またはこれを変更しがたいものは除く。
一,(省略:以降の「細則」部分の凡例に当たるため)
--------------------------------------------------------------------------------------

これで,おしまい。
1986年の「現代仮名遣い」の「前書き」(←送り仮名の違いに注意)よりもずっと“簡潔”ですね。
1986年版「前書き」の“膨張”ぶりは,その基本的な立場が40年前の「現代かなづかい」と微妙に違っていることを物語っているのかもしれません。

さて,そのように定められて実施に移された「現代表記」なのですが,現実にはなかなか一筋縄にはいかない。
これは以前にも触れたことなのですが,
全く同じ漢字で,全く同じ位置にあって,全く同じく「オー」と読むのに,
 ・群馬県の 邑楽郡 は「おうら郡」
 ・島根県の 邑智郡 は「おおち郡」

…なぜ?
「現代かなづかい/現代仮名遣い」のルールでは説明しきれない表記は,実際には少なくないのですよね。
[66977] 2008年 10月 11日(土)08:47:51笠津前浜 さん
現代仮名遣いの及ぶ範囲
[66908] 2008 年 10 月 3 日 (金) 21:01:09【1】 Issie さん
[66822] 葵区 さん
地名くらいには残っていても良いように思うのですけどね

あるとすれば,漢字表記に対する“読み仮名”ではなくて,「むつ」や「マキノ」のように,仮名(ひらがな でも,カタカナでも)による表記を「正式」としている場合(たとえば,漢字で書かない「づし」が正式な地名表記となっている場合)ですが,この場合も読み仮名をふる場合には(仮名で書いてあるから,読み仮名は不要でしょうが),「ず」と書かなければならないのではないかと思います。

なるほどなあ、すっと腑に落ちました。現代仮名遣いでは「を」は助詞以外に使わないとしながらも「ヲ」が使われている地名は結構あるんですね。そうか、こういうことなんだ。以前mikiさんに教えていただいた「ヲヲカゲ」も現代仮名遣いに従って読みがなをつけるとすれば「おおかげ」なのですね。発音は「おーかげ」、と。

ついでに現代仮名遣いについて再度読んできました。文化庁のサイトにある現代仮名遣いの訓令,告示制定文から抜粋。
今後,各行政機関においては,これを現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころとするものとする(昭和61年7月1日内閣訓令第1号)
一般の社会生活において現代の国語を書き表すための仮名遣いのよりどころを、次のように定める。(昭和六十一年七月一日内閣告示第一号)

これ以降、前書きから付表までのっています。よりどころ、という表現は準則であった「現代かなづかい」とくらべると制限色を弱めたものだそうですね。

前書きから、興味をひかれたところを抜粋。
3. この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
4. この仮名遣いは,主として現代文のうち口語体のものに適用する。原文の仮名遣いによる必要のあるもの,固有名詞などでこれによりがたいものは除く。

改めて勉強になりました。
[66976] 2008年 10月 11日(土)08:24:04hiroroじゃけぇ さん
第1回岡山市政令指定都市移行記念(G1)
第1回といっても、2回目があるわけでもないんですけど・・・(笑)

[66973]k-ace さん
ちくわ笛の演奏者さんが県知事選に出馬するのを聞いたとき、岡山県民は皆驚きました。「ほぇぇっ、ちくわ笛の人って、岡山人だったの?」と。勿論、自分は知っていましたが、県知事選出馬は予想外。さてさて、どうなることやら。

で、岡山市の政令指定都市移行。地元では号外まで飛び出しました。岡山市にとっては悲願ですが、岡山都市圏外で隣接する都市圏の中心市、福山・高松・津山の各市にとっては脅威だと思います。これらの市を中心とする都市圏をどこまで取り込めるか、岡山市にとってはそこが最も重要なところでしょう。

[66975]N-H さん
お祝いありがとうございます。この落書き帳を通じて、いつの間にか「岡山大使」化してしまっています。代わりにお礼を言ったりして!!今後も、岡山代表として精一杯PR?していきます。

岡山空港に降り立ち、バスで倉敷駅へ。そこで郵便局を2つほどまわりました。なんだか駅前商店街に活気がないですね。
倉敷駅前は商店街から駅ビルに天満屋が移転した為、商店街の空洞化が急速に進みました。旧天満屋の跡地は、既に駐車場と化しています。今後、自分もフィールドワークに出かける予定なので、その時に現状把握をしっかりとしておきます。で、倉敷はもうイオン倉敷を格に商業が行なわれているといっても過言ではありません。旧来からの中心地「笹沖」も現在は停滞気味。「チボリ閉園」も相まって、倉敷市は暗闇に突入してきています。逆に、岡山市は活気に満ち溢れています。特に、「さんすて」や「ビックカメラ」の開店など、商業のテコ入れが本格化。来春の三番街復活など、今後も商業の開拓が進む模様です。ここでも、岡山市一極集中という、都市圏のスタイルが出来上がろうとしています。

そこから水島臨海鉄道に乗車し、目的地へ向かいます。
いや、まあ、なんというか、どうしてああもとろとろと走るんでしょうか、立派な高架でカーブも少ない専用軌道の上を。普段京浜急行を通勤に使っている身としては信じがたい光景です。
まず、最も重要なのは、「水島臨海鉄道」は元々旅客輸送用の鉄道ではないということが挙げられます。つまり、貨物鉄道線なのです。全国にある「臨海鉄道」はご他聞にもれず、貨物輸送を目的にした路線です(但し、大都市圏では例外あり)ですから、線路規格が低く、高速化には向かないのが現状です。また、「みずりん」(地元ではこう呼びます)は単線非電化の路線。1時間に2・3本の旅客列車と、1・2本の貨物列車を捌かなくてはなりません。また、交換可能駅も限られており(西富井・弥生・水島)の3駅しかありません。これで、スピードアップすることは、かなり不可能に近いことです。スピードアップの為には、走行中に行き違える区間の部分複線化や、電化することも必要でしょう。これらも、倉敷駅の立体交差化時に考えられるかもしれません。
[66975] 2008年 10月 11日(土)02:24:11N-H さん
アムステルダムにて
まずはhiroroじゃけぇさん、岡山市の政令指定都市決定、おめでとうございます。
予定通り今週月曜日、倉敷市に出張してまいりました。
岡山空港に降り立ち、バスで倉敷駅へ。そこで郵便局を2つほどまわりました。なんだか駅前商店街に活気がないですね。
そこから水島臨海鉄道に乗車し、目的地へ向かいます。
いや、まあ、なんというか、どうしてああもとろとろと走るんでしょうか、立派な高架でカーブも少ない専用軌道の上を。普段京浜急行を通勤に使っている身としては信じがたい光景です。
ディーゼルカーだからかな、と同行者が申しておりましたが、今私の視界をよぎって走るオランダの国鉄もディーゼルですが、ものすごく速いです。
いわゆる「水島工業地帯」を堪能した後、新倉敷から新幹線で帰途。岡山駅で乗り換えのため25分ほど滞在。これが今までのところ私の岡山市内での最長滞在記録でして、現政令指定都市はすべて街を歩いた経験ありですから、やはり今後も岡山市は私が足を記した程度の市の中では最大の市にかわりありません。

さて、岡山駅から新幹線で新横浜へ。自宅へ戻り、翌朝成田空港へ行き、アムステルダムへとやってきました。

ホテルは最悪で食事もお世辞にもおいしいとは言えないのですが、窓から見える景色はまさにヨーロッパの古都。

これで私の海外からの落書き帳書き込みはどれだけになるのだろう。
少なくとも海外出張のたびに落書き帳閲覧はしているのは確実なのだけど、書き込みとなると調べてみたら意外に少なく、香港、杭州(中国)、ロサンゼルスの3地点のみでした。
[66974] 2008年 10月 11日(土)01:05:49ペーロケ さん
高層マンション問題
[66959]じゃごたろさん
確か、広島の原爆ドームの近くに高層マンションを建設する計画があり、景観が著しく破壊されることによって「破壊遺産」となる恐れがあるという話がありましたが、その後どうなるのでしょうか。
 そうそう、建築中に市民団体を中心に建設反対の運動がありましたね。とはいえ、市の方も一度建築申請を通した手前上、階数の縮小などを指導することはできず、建設会社側としても住戸が既に完売していたこともあり、当初計画の階数のままマンションは完成しています。建設中はあれだけ騒がれたのに、完成後はこの話題のことを聞かなくなりました。「慣れ」というか、「諦め」というか。。。
 原爆ドームが世界遺産に指定されるにあたって、バッファーゾーンが一応設けられ、外観等の基準が設けられましたが、高さ制限は設けられていなかったようで、建築申請でもそれに沿って行われ、高さに対する注文は特になかったようです。が、今回の騒動によって、バッファーゾーンにようやく高さ制限が設けられました。
 もちろん、不動産バブルという背景もありましたね。大手町1丁目界隈は広島の中でも最も変化の激しい地域です。この2~3年でデオデオネバーランドをはじめ、商業施設、マンション、オフィスビルなどが次々と建設されました。最近では、デオデオの城下町ということもあり、秋葉原系の雰囲気が強くなってきました。一方で、失った物もたくさんあります。例のマンション建設現場の向かいにあった、こじんまりしたイタリア料理店、元安川を見ながら食べられるということで、私は個人的に好きだったのですが、いつの間にか取り壊されていました。周囲の空き地と合わせて、何か作る計画でもあったのでしょうか。残念です。

 危機遺産問題については、今のところ聞きません。ケルン大聖堂の例と極似しているため、可能性が全くないとは言い切れませんが、原爆ドームは優れた文化とか景観を楽しむ、というより、過去の戒めという要素が強いため、マンション建設により直ちに危機遺産登録とはならないのではないか、と広島人は楽観視しています。


さて、世間では3連休(ですが、わが社は2連休なので1泊2日)、秋祭り後の松山に渡ります。子供にとっては新幹線~アンパンマン列車~坊ちゃん列車のフルコース、ですが、私にとってはこれを探す旅だったりします。5月の同窓会で訪予した際には、Tシャツが売り切れ続出というレアもの。このキモカワイさ、お茶目な伊予弁、キャラの強さではお好み戦隊ヒロシマン[47028]を圧倒。全国に流行らせるぞ~!
[66973] 2008年 10月 10日(金)18:39:04【1】k-ace さん
岡山県岡山市
こんばんは、k-aceです。

[66961] hiroroじゃけぇ さん
岡山市 政令市に決定…全国18番目(Yahoo!ニュース)
政府は本日10日午前の閣議で、2009年4月1日から岡山市を全国18番目の政令市に、前橋市、大津市、尼崎市の3市を中核市に指定する政令改正を決定しました。公布は今月16日の予定だそうです。
岡山市HP

[66942] hiroroじゃけぇ さん
また、県知事は現職のままかもしれませんし、ひょっとしたら「ちくわ笛」を演奏しているかもしれません。
なんだと思ったら昨日、岡山県知事選が告示されていたんですね。しかも、「ちくわ笛」を演奏されている方が立候補されたとは、驚きです。

#「公布は~」の一文を追加。
[66972] 2008年 10月 10日(金)18:17:19とし さん
中核市、特例市に東京都の市が入っていない理由
はじめてこのHPを見て、たまたま政令指定都市等の項を見ていたのですが、八王子市などは人口50万人強なのに、中核市・特例市いづれにも該当しないのは、どういうことでしょうか?東京都の他の市も同様と思いますが・・・

わかる方がいたら教えてください。
[66971] 2008年 10月 10日(金)13:11:01【3】むっくん さん
市区町村変遷情報(奈良県)など
>88さん

平成18年度奈良県統計年鑑の第1章総説3市町村の廃置分合・境界変更(PDF)市区町村変遷情報(奈良県)とでは食い違っている箇所があります。
先日、奈良県報記載の当該奈良県告示を奈良県立情報館にて確認してきました。

3 1890.09.23 分立 吉野郡 上龍門村 吉野郡 龍門村の一部
4 1890.09.23 分立 吉野郡 中龍門村 吉野郡 龍門村の一部
奈良県統計年鑑(PDF)では分立ではなくて3村への分割となっています。
→奈良県告示第85号では分立でした。しかし1890.9.23ではなくて1890.9.29でした。

5 1890.11.18 町制 十市郡 桜井町 十市郡 桜井村
奈良県統計年鑑(PDF)ではM23(1890).11.12。
→奈良県告示第105号では1890.11.18で、市区町村変遷情報が正しかったです。

8 1891.10.22 分割 宇智郡 大阿太村 宇智郡 阿太村の一部
9 1891.10.22 分割 宇智郡 南阿太村 宇智郡 阿太村の一部
奈良県統計年鑑(PDF)ではM24(1891).9.24。
→奈良県告示第61号では1891.9.24でした。

10 1892.03.10 町制 式上郡 初瀬町 式上郡 初瀬村
奈良県統計年鑑(PDF)ではM24(1891).3.10。
→奈良県告示第25号では1891.3.10でした。

11 1892.06.03 町制 高市郡 高取町 高市郡 高取村
奈良県統計年鑑(PDF)ではM24(1891).6.3。
→奈良県告示第46号では1891.6.3でした。

12 1892.07.01 境界変更 広瀬郡 箸尾村 広瀬郡 箸尾村, 河合村の一部
奈良県統計年鑑(PDF)ではM25(1892).2.12。
→奈良県告示第17号では1892.2.12でした。

13 1892.07.01 境界変更 添上郡 月瀬村 添上郡 月瀬村, 山辺郡 波多野村の一部
奈良県統計年鑑(PDF)ではM30(1897).9.28。
→奈良県告示第489号では1897.9.28でした。

14 1893.09.26 町制/改称 山辺郡 丹波市町 山辺郡 山辺村
奈良県統計年鑑(PDF)ではM26(1893).9.20。
→奈良県告示第89号では1893.9.26で、市区町村変遷情報が正しかったです。

15 1893.09.27 町制 宇陀郡 榛原町 宇陀郡 榛原村
奈良県統計年鑑(PDF)ではM26(1893).9.29。
→奈良県告示第93号では1893.9.29でした。

16 1894.06.08 分立 吉野郡 中荘村 吉野郡 国樔村の一部
奈良県統計年鑑(PDF)では分割。
→奈良県告示第78号では分立でした。しかし1894.6.8ではなくて1894.6.14でした。

17 1894.09.07 町制 添上郡 櫟本町 添上郡 櫟本村
奈良県統計年鑑(PDF)ではM27(1894).9.3。
→奈良県告示第117号では1894.9.7で、市区町村変遷情報が正しかったです。

37 1928.02.01 町制/改称 高市郡 畝傍町 高市郡 白橿村
奈良県統計年鑑(PDF)ではS3(1928).2.11。
→奈良県告示第68号では1928.2.11でした。


ふと同図書館で何気に法令全書を閲覧していたら

[63862]88さんで
北海道の大正時代の一級・二級町村制施行の内務省令([63738]hmt さんにご紹介いただいたものの続き)を求めて県立図書館へ行って書庫の法令全書(もちろん紙ベース)を閲覧したのですが、この時代はひょっとすると制度が変更になっていたのか、内務省令には求めるものが見つかりませんでした。
と書かれていた北海道一級・二級町村制施行の根拠(大正・昭和)を見つけました。これらの根拠は別稿で全文紹介する予定です。


そして愛知県の海部郡の設置根拠法令と市区町村変遷情報で食い違いがあることも分かりました。
285 1913.04.01 郡設置 海部郡 海部郡 海東郡, 海西郡の区域をもって海部郡を設置
海部郡となった根拠となったのは法律第5号(T2.4.5)で
愛知県尾張国海東郡及海西郡を廃し其の区域を以て海部郡を置く
附則
本法施行の期日は勅令を以て之を定む
とあります。そして大正2年法律第5号に記載されている勅令とは勅令第81号(T2.5.7)のことで
大正二年法律第五号は大正二年七月一日より之を施行す
とあります。
→ということで海部郡設置は1913.7.1でした。
[66970] 2008年 10月 10日(金)09:12:48【1】アルバトロス さん
神奈川県西2市8町の合併
お久しぶりですアルバトロスです。

神奈川県西2市8町の合併に向けて少し動きがあったようです。
7日の朝日新聞の報道によれば、南足柄市議会は6日、任意合併協議会を設立するよう求める決議し、住民の請願も採択され、市長も合併に積極的なので南足柄市は合併に一丸となったようです。小田原市議会も請願を9月17日に採択されたとのこと。一方、箱根町は財政豊かで合併に反対、中井町は他の地域との合併を模索しているようで、県西2市8町合併検討会は半歩前進というところでしょうか。

追記:その後のニュースがYAHOOニュースに載っています。
[66969] 2008年 10月 10日(金)04:54:14はやいち@大内裏 さん
八女
10/9 福岡県議会が閉会し、新・八女市にかかる廃置分合議案が可決されました。

山梨県増穂町と鰍沢町は2010年3月8日に合併、本庁舎を増穂町役場とし、新町名を公募予定です
[66968] 2008年 10月 10日(金)01:14:16Issie さん
書いてはいけない
[66966] 葵区 さん
ただ,町名として残っているのではなく,地名として残っている場合は「ず」と表記しているようです

私自身は「旧かな」愛好者で(←でも,「“歴史的”仮名遣ひ」といふ呼称は意識して避けてゐますが),たとへば「あづま」「あづさ」といふ表記の方が「あずま」「あずさ」よりも好もしく感じてゐるのですが,

あくまでも「現代かなづかい/現代仮名遣い」の立場からすると…,

奈良市が公式に「町名(の読み仮名)」として定めているから「づ」という表記が“許される”(大目に見られる)のであって,「公式の行政地名」を離れた“一般の地名”としてであるなら(この2つをあえて分ける必要はもちろんないのですが),“どんな場合でも”「ず」と書かなければならない,ということなのではないかと思います。
「現代かなづかい」では ゐ・ゑ という文字そのものが“廃止”され,“どんな場合でも” い・え と書かなくてはならなくなりました。「を」の使用も厳しく制限されています。
基本的な立場としては,「ぢ」「づ」についてもこれと同じだけれども,それらよりも“例外”がずっと多い,…そんな感じかなぁ。
本当は,固有名詞でも「いまずし」と書いてほしいのだと思いますよ。
[66967] 2008年 10月 10日(金)00:19:34futsunoおじ さん
金融崩壊ではなくて・・
新潟県の最高峰、北アルプス白馬岳近くにある「小蓮華山」の山頂崩壊が以前より伝えられていましたが今月になって三角点を安定した場所に埋め戻し、再測量が行われたようです。(新三角点位置は現最高点より約2.5m低い位置。) 2769mあった標高が実質3メートル余り低くなっているようですが正式な標高は今月中に出るとのことです。 〔A新聞、夕刊記事から〕


[66962] 中島悟 さん
新宿駅の西にある東武新宿と、東にある西武新宿
ただでさえ迷路のようなのに初めて行った時えらく混乱しました。

池袋駅周辺は「東」・「西」さえ分かれば初めてでもわかりやすいと思います。私は未体験ですが、相互乗り入れの地下鉄との関係が途惑うところなのかもしれません。
[66966] 2008年 10月 10日(金)00:03:24葵区 さん
ず?づ?
[66949] Issie さん
だから,「現代仮名遣い」的には「いまづしちょう」という表記は“規則違反”になるのではないかと思うのですが,“固有名詞”ですからこのように公式に定められているなら,そのように書くのでしょうかね。
そうなんですよ.他の地域では「ず」になっている場合が殆ど(全てを調べてないので)なのに,奈良では「づ」と表記が許されていたりします
ただ,町名として残っているのではなく,地名として残っている場合は「ず」と表記しているようです
だからこそ「地名くらいは」と思ってしまうわけです
不審ヶ辻子は由来からして固有名詞化されてても判りますが…
小出しに書いているし,説明不足な状態ですが,Issieさんが色々と情報提供をしてくださったのでありがたいです
まず,現代仮名遣いありきで,固有名詞化している場合の単語内であれば「づ」を許すって感じなのでしょうかね?
[66965] 2008年 10月 9日(木)22:33:09【1】Issie さん
0474
つい,“西武 vs 東武”で余分なことを語ってしまいました。

[66939] 伊豆之国 さん
電話の市外局番で、市川は船橋・習志野とは別なのに、鉄道で直接中心同士がつながっていない松戸とは一緒なのが不思議に思っていました。

市外局番4桁時代の船橋地区の局番は「0474」でしたね(今はどうなっているのか…)。もちろん,習志野市の我が家の市外局番も「0474」でした。
さらに当時は“八千代市の一部”や船橋市の一部(二宮・三山地区),確か千葉市の幕張地区(←これは記憶が曖昧)も「0474」で,“習志野市の電話帳”に掲載されていました。…船橋市の電話帳は別なんですけどね。つまりは,「習志野電話局」の電話帳。
その頃,習志野市の郵便番号は「275」でした。そして,千葉市の幕張地区の郵便番号もまた「275」でした。「習志野郵便局」の担当区域の郵便番号が「275」,要するに昔々の 千葉郡津田沼町と幕張町の区域がそれにあたるのですね。現在の習志野市の東半分(実籾・東習志野地区と花咲・屋敷地区)は,元の幕張町の北半分でした。
そして,習志野警察署。
この,電話局と郵便局と警察署に共通するのは,いずれも当時,「習志野」の旧陸軍施設の“門前町”(習志野市大久保~藤崎)に立地して,元は昔の千葉郡北部,つまり,習志野・八千代両市(ただし,八千代市の新川(花見川)以東の大部分は旧印旛郡阿蘇村)と千葉市の幕張地区(旧幕張町南部)および船橋市東部(旧二宮町・豊富村)を管轄としていたこと。
つまり,もともとこれらの区域で“一塊”だったのでしょうね。その近傍の中心地は,元の所属郡は隣の 東葛飾郡 ですが,船橋。
市川は,この塊りとはちょっと離れていた感じがします。

市川と松戸の市外局番は「0473」。
市川と松戸の間には少し“隙間”があるけれど,陸軍施設の関係では市川の国府台と松戸のそれがセットになっていたのかもしれませんね。
ちょうど,町田 …ではなく「原町田」と相模原の市外局番が同じ「0427」だったのと同様に。
[66964] 2008年 10月 9日(木)22:24:47【1】山野[揖斐の山] さん
議会/大胆
でるでるさんへ
(岩手県)
陸前高田市は大船渡市との合併協設置議案を20日の臨時議会に於いて審議される予定です。大船渡市側は今月中との事。
(神奈川県)
小田原市にて県西地域合併推進民間団体の会が合併の早期推進へ合併推進を求める要望書を提出したという。
(追加)
こちらは合併というより…
古川・佐賀県知事:「長崎と合併を」 長崎大で講義と言う記事がありました。
佐賀県は確かに地味ですが、どう何でしょうねコレ。(過去に佐賀県は実際に消えていた時期があったような…)
[66963] 2008年 10月 9日(木)21:55:09【1】Issie さん
ぶくろ
[66962] 中島悟 さん
新宿駅の西にある東武新宿と、東にある西武新宿

あっ,これは池袋ですね。
「しんじく」は,西口で京王と小田急が隣り合って,これはこれでわかりづらいです。東口は「民衆駅」なのかな?…,「新宿ステーションビル」だったのが,いつの間にかJR東日本系列の「ルミネ」になっていて…。
一時期,新宿南口ではルミネの「ルミ姉」と,(小田急系列の)ミロードの「ドロミ」という“目つきの悪いお姉さんキャラ”の2人が張り合っていたけど,ドロミちゃんはいなくなってしまいましたね。

西 vs 東 という構図ではないけれど,船橋は「南口の“西武百貨店”」と「北口の“東武百貨店”」という構図になっています。
元々は今の 野田線 の前身の 総武鉄道 が戦時中の交通統合で1944年に東武鉄道に合併されて,つまり,「東武」の方が先に船橋に乗り入れたのだけれど,この時代,あるいは戦後しばらくは百貨店事業には関係なく,1960年代後半に南口に「西武百貨店」が進出しました。
私が子供の頃には我が家の買い物行動は,地元の商店街(袖ヶ浦ショッピングセンター) < 津田沼駅北口前の商業ビル(サンポーショッピングセンター。…当時はほかに大規模店舗は存在しなかった。いわゆる「津田沼戦争」が勃発するのは1970年代後半のこと) < 西武百貨店船橋店 < 千葉そごう < 東京の専門店(横山町の洋品店街とか,秋葉原の電気街とか…) という階層構造にありました。
船橋駅北口に「東武百貨店」が進出したのは,野田線の船橋駅の高架化とセットになった1970年代末。東武百貨店は宣伝に思いきり力を入れていて,隣の津田沼駅周辺(「東船橋」などという駅は当時存在しない)の我が家にも「東武船橋謹製」の船橋周辺の詳細な地図帳が無料で配布されました。
それに対抗して,南口の西武も大改装を行って,最上階には随分と力の入った書籍売り場(リブロ,…東武店内に出店した 旭屋書店 に対抗したのでしょうね)と美術館を設けたほどですが…。
あれから30年。今は,どうなっているんでしょうね。

船橋も,京成の高架化とともに,ずいぶん変わってしまったみたいですね。
[66962] 2008年 10月 9日(木)20:56:57【2】中島悟 さん
亀レスですが
[66884]じゃごたろさん
牟婁郡と同様のケースとして、佐賀県の東松浦郡と西松浦郡、長崎県の北松浦郡と南松浦郡があります。
ただ、こちらは「東西」と「南北」のペアは逆のほうが地勢に合ってしっくりきたように思えます。
現在佐賀県に残っている東松浦郡と西松浦郡はまっすぐ南北に並んでいます。

[66923]伊豆之国さん
佐賀県では昭和29年まで、有田町の西に東有田町がありました。
東有田町は戦後に出来た新しい町ですが、「本家」の西にあって「東」を名乗るにあたって
どんな経緯があったのやら。

あ、それと
新宿駅の西にある東武新宿と、東にある西武新宿
ただでさえ迷路のようなのに初めて行った時えらく混乱しました。
(↑Issieさん、素早い訂正すみません。恥をさらしてこのままにしておきます。)
[66961] 2008年 10月 9日(木)18:28:16hiroroじゃけぇ さん
10日、閣議決定へ
岡山市の政令指定都市移行についての閣議決定が、10日に行なわれることになりました。これは、今日の事務次官会議で決定したことで、明日の閣議を待つことになります。移行が決定すれば、全国で18番目の政令指定都市となり、唯一法定人口が70万人に届いていない政令市となります。岡山市の政令指定都市移行で、中四国の政令市は2市、中核市は3市に特例市は2市になります。
[66960] 2008年 10月 9日(木)12:46:10KEN さん
あで終わる地名は外来語のみ?
「あ」で終わる地名を検索してみたところ
石川県 河北郡内灘町 アカシア
山口県 宇部市 あすとぴあ
山形県 米沢市 アルカディア
愛知県 常滑市 セントレア
岐阜県 岐阜市 三輪ぷりんとぴあ
の5件であり、由来は外来語を新町名にしたところだけであった
今後都心部の空洞化が進む中、旧地名が消え、お洒落な地名が多くなるのではないかと思います。
[66959] 2008年 10月 9日(木)12:39:25じゃごたろ さん
松本城
こんにちは、じゃごたろです。
世界遺産登録を目論んでいて松本城は、結局国内の暫定リスト入りにももれてしまったと、しばらく前に報道されていました。県内では他にも善光寺とか妻籠・馬籠の中仙道なども世界遺産を目指しているとか。。。

[66958] ペーロケ さん
松山市にも同様に、松山城の威厳(!)を守るため、高さ制限が設けられています。
さてその松本城、今では松本駅前など近くにいてもどこに天守があるかよくわからず、敷地内に入らないとち天守をちゃんと見ることはほとんどできないというありさま。地元の人の話では、昔は(何十年前のことかは知りませんが)塩尻市からでも見えたというから、景観は大きく様変わりしたのでしょうね。

山じゃないけど、シンボルがビルの陰に隠れ威厳を失った例は、札幌時計台や、国会議事堂などがありますね。広島では現在・・・(以下、省略させていただきます。)
確か、広島の原爆ドームの近くに高層マンションを建設する計画があり、景観が著しく破壊されることによって「破壊遺産」となる恐れがあるという話がありましたが、その後どうなるのでしょうか。
[66958] 2008年 10月 9日(木)02:13:28ペーロケ さん
おいビル!山を隠すなよ
[66955]ryoさん
 いえいえ、実は私も過去に同様の苦い経験がありまして。。。

[66805]小松原ラガーさん
[66862]ニジェガロージェッツさん
ホテルニューオークラなど、既に飛び出しているのも結構見受けられますが、どこぞのマンションの判例のように、「頭を削る」のかと思いきや、既存の建物は対象外のようですね。

なんと、「海から見た六甲山の景観を守る」ためだそうで
 松山市にも同様に、松山城の威厳(!)を守るため、高さ制限が設けられています。松山城の高さが標高約130mであるのに対し、松山市駅、いよてつ高島屋の観覧車「くるりん」の高さは85m。およそ2/3程度の高さですが、これが松山市で「圧倒的に最も高い建造物」なんですよ。(もちろん、設置されるときに議論を呼びましたが。。。)。他の建造物で最も高いビルはおそらく、14階建てのマンションが結構多いので、そのあたりに規制ラインがあるのかな?あ、そういや隣の今治市には県下随一、100m超のバブルの塔が建ってますが、ビルが高けりゃいいってもんじゃない!

 小松原ラガーさんは他に京都の例を挙げられてますが、確か奈良市でも平城宮跡から春日山の送り火を隠しちゃいけないとか聞いたことがあります。いずれの場所も、シンボルとなる「山」がある都市ですね。そのシンボルが、ビルの陰に隠れちゃ寂しいものです。

 山じゃないけど、シンボルがビルの陰に隠れ威厳を失った例は、札幌時計台や、国会議事堂などがありますね。広島では現在、広島駅ビルから比治山がかろうじて見えますが、この不景気の中、54階建てのバブルの塔を建てて隠そうとする計画が進行中。駅裏でも二葉山を隠すビルが建設中。いろんな意味で、大丈夫なんかな?
[66957] 2008年 10月 9日(木)01:47:37YT さん
追記
すみません。

一部書き込みを文字化けさせてしまいました。

こちらのサイトで引用されている主な藩の人口と城下町人口について、元文献として紹介されている玉井哲雄著「近世都市空間の特質」(日本の近世第9巻・「都市の時代」所収)を読んだところ、真の元文献が西村さんの論文で、さらにその計算のための元文献が明治12年度版の共武政表や関山直太郎氏の本からの引用だったということです。

なお関山直太郎氏の集計はかなりミスが多く、結局本来の元文献まで遡った方(この場合は呉氏の文書)が安全です。江戸時代の文書はさすがにチェックできませんが。
[66956] 2008年 10月 9日(木)01:41:03YT さん
明治2年の府藩県石高人口表
[66954]で書いたように関山直太郎氏の『近世日本の人口構造』(1958年)、『近世日本人口の研究』(1948年)によると、呉文聴の手記が廃藩置県前の府藩県別人口を記す唯一の文書だと解説されていたので、それを信用したのですが・・・いやはや、これはネットの発達のお陰なのでしょうか。早稲田大学図書館が所蔵する「大隈重信関係資料」の中に明治2年調の府藩県別人口をまとめた『府藩県石高人口表』が存在することが判りました(リンク先にpdfファイルがあります)。どうも関山氏はこの史料や明治8年版の「共武政表」、『日本地誌提要』などの存在に気付かなかったようです。

呉文聴の手記が明治4年調、大隈重信文書が明治2年調として、『藩制一覧』の数字はどちらとも違うように見えるのですが、もしかして明治3年調なのでしょうか?

ちなみにこちらのサイトに引用されている石高と領内人口のデータですが、元文献を辿ると西村睦男「藩領人口と城下町人口」歴史地理学第111号(1980年12月),1~15頁という論文です。領内人口は西村氏が明治12年版の共武政表の人口を元に 『旧高旧領取調帳』にしたがって飛び地を別個に独自集計したもので、また城下町人口も原則明治12年版の共武政表のデータを用いています。ただ鹿児島など一部の都市については、<ただし,なかには,たとえば鹿児島の人口が,20,171と記されているように,城下町時代の人口の比べて少ないと思われるものがあり,反対に多すぎると思われるものもある。これらについては『統計集誌,306号』による明治19年の人口を用いた。>そうです。そもそも明治8年の共武政表のデータを使っていれば鹿児島の人口は89,374人なわけで、もしかしたら明治8年度版のデータが広く知られるようになったのは最近のことなのかも知れません。

2ヶ月ほど前に、日本の総人口の経年変化として、元となるセンサス人口ぐらいを簡単にまとめようとして文献を当たり・・・を繰り返していくうちに、ほぼ毎週新しい史料にぶつかり、未だ終りが見えない状況です。
[66955] 2008年 10月 8日(水)11:22:10ryo さん
御礼
こんにちは。
遅まきながら、過去のレスを読み返していて以下のことに気づきました。

先日の十番勝負で、私が愚かな重複解答をしていた部分について、

[66210]ペーロケさん に以下のように指摘して頂いていました。
この場合は
※ただし、すでに他の人が解答済みの市や問題となっている市を誤ってあるいはタッチの差で解答してしまった場合は、採点を待たずに再回答しても構いません。その場合は再回答の理由(既解答、問題の市)を付記してください。
というルールがあります。十番勝負の回答の場合、いたずらに【】をつけるよりは、新規投稿でコメントを追加した方が美しいと思います。

今更で申し訳ありませんが、ご指摘ありがとうございました。
[66954] 2008年 10月 8日(水)02:23:46YT さん
日本地誌提要
府藩県別身分人員表の方に石高や領地の情報を追加し、府藩県使別に並べ替えました。多少は見やすくなったと思います。

なお前から気になっていたのですが、『日本地誌提要』の方に都市(名邑)の明治6年1月1日調の人口が記載されていることが判りました。広島大学のウェブサイトの方に、原書のpdfコピーがあります。

第1冊第2冊第3冊第4冊
第5冊第6冊第7冊第8冊

いずれこれも表にまとめるつもりです。

ただ、相変わらず共武政表などとの間に整合性がないですね。『日本地誌提要』によると明治6年1月1日の段階で金沢109,685(明治8年の共武政表の金沢の人口と同じ)に対し、名古屋125,193人で、共武政表以上に金沢と名古屋の人口の差が広がります。また明治8年の共武政表による鹿児島の人口は89,374人ですが、『日本地誌提要』による鹿児島の人口は27,240人です。個人的には鹿児島の人口が激減したのは西南戦争の影響と思っていたのですが、どうやら行政区域の合計、区分けの違いが一番大きな原因のようでした。多分DID的な意味での鹿児島の人口としては、明治8年の共武政表の方が実態に近いのでしょうが。

人口が多い都市の中では他に横浜の人口に変動(というか行政上の横浜の範囲の違い?)があるのも気になります。

明治8年の共武政表の数字が、実は明治5年から8年までのデータのごちゃ混ぜであることは、こちらに示した通りです。
[66953] 2008年 10月 8日(水)00:14:08かぱぷう さん
地名コレクション
私事で恐縮ですが、地名コレクションの編集子に名乗りあげようかと思ったことは、実は数度のことではありません。そのたびに踏みとどまっています。理由は簡単。
[66895]EMMさんのおっしゃる
「初めて手を挙げて頂いた方でも、技術的なところは他のコレクションや落書き帳の中の関連書き込みを見て、ある程度理解して頂いている」という前提
が私にはないからです。

[66952]鳴子こけしさん
老婆心ながらアドバイス。
鳴子こけしさんは、実際に地名コレクションの『編集管理ページ』で『見学者機能』を見た(試した)ことがありますか?(使い方についてはEMMさんの[60098]を参照)
私は自身のパソコン使いの技術からかんがみて、コレクション対象の地名の収集やリンク記事の生成はなんとかなると思っていますが、RGBコードの使い方がままならないのが致命傷です。いつもここで「これは無理だわ」と、さじを投げます。
もし試したことがおありで「これならできる」とした上で手を挙げたのでしたら編集に必要な技術面の問題はクリアしているということですので、このアドバイスは釈迦に説法ということになり、お恥ずかしい限りですが。

ただ、編集管理を試したことがあるのであれば
地名コレ初心者の僕が最初から「どこまで掘り下げるか」について的確に答えられると思いますか?
の発言はないのではないかと感じたもので…
編集管理を試せば、コレクションに対して「掘り下げる」といおうか、ある程度頭の中でイメージが固まっていないと地名コレクションの編集はできないということをおのずと実感できるのではないでしょうか。
『理解が出来ていなかった人々がいままでに手を挙げなかっただけ』
これは(私も含めて)そのとおりだと思いますよ。理解できてないと手を挙げることは無理ですからね。しかし
そのような人たちが自分から「内容をちゃんと理解しよう」と思っても、アーカイブズなどになっていれば読みやすいものを(『地名コレクション編集メモ』はアーカイブズになっていますが)、地名コレ関連の記事を探すのに一苦労して、結局読む機会を逸してしまう。
これは無理な注文ですよ。だって地名コレクションはあくまで「完成品」を閲覧して楽しむものであって、完成に至るまでの過程は「舞台裏」ですよね。TV番組の企画でもあるまいし、わざわざ舞台裏をアーカイブスにしてまで公開することはないでしょう。
それでは編集の行ない方が分からないではないか…ちょっと待ってください。「地名コレクション」や「落書き帳」は『パソコン教室』ではありません。内容を理解するには、自らで教本を手に入れて紐解くかそれらしきサイトを探し出して勉強するしかないでしょう。

最後に、気になったことを一つ。鳴子こけしさんは自らを
経県値が低いことからも分かるように、僕は外に出る機会が余りありませんので、『一般常識』というものに極端に疎くなっているように感じます。
と語っておいでですが、経県値の大小・外に出る機会の多少と一般常識とは全く関係ありません。それだけはハッキリ申し上げておきます。一般常識は経県値云々ではなく日頃の生活で積み上げ磨いていくものです。
[66952] 2008年 10月 7日(火)16:29:39鳴子こけし さん
こんな書き方は決して誉められたことではないと思いますが、敢えて書いてしまいます。
[66895]EMMさん

いろいろと言いたいことがあり、なかなか書きだせませんでしたが、書かせていただきます。
EMMさんとのやりとりをしているうちに、どうやら僕の考え方はEMMさんの考え方からずれていることが少しずつ分かってきました。
僕が[66857]で書いた
一度ある程度まとめてみてから検討してみようと気楽に考えていた
というのは、「効率は悪くても、そちらの方がより確実にに地名を集められるだろう」と考えた上での発言です。
そもそも、地名コレ初心者の僕が最初から「どこまで掘り下げるか」について的確に答えられると思いますか?どう考えてもほぼ無理に近いのに、それを当たり前のように「どうするか考えているだろう、と思って」いる。
その上、僕のように、「内容をよく理解していないので、これから教わっていこうと思っている」人に、
「初めて手を挙げて頂いた方でも、
(中略)
ある程度理解して頂いている」という前提がある
と半ば頭ごなしにしている。
実際、これまでおおむね問題なく新コレクションをたちあげていただいています。
とのことですが、それは、『理解が出来ていなかった人々がいままでに手を挙げなかっただけ』とも考えられます。
さらには、そのような人たちが自分から「内容をちゃんと理解しよう」と思っても、アーカイブズなどになっていれば読みやすいものを(『地名コレクション編集メモ』はアーカイブズになっていますが)、地名コレ関連の記事を探すのに一苦労して、結局読む機会を逸してしまう。
それなのに
「あなた地名コレクション見てないでしょ?」
とは如何なものかと。
「地名コレクションの過去の流れ」に目を向けてくれないか?
と言われても正直困ってしまいます。

と、ここまで書いておいてから言うのも何ですが、EMMさんに
「問われたことに対して回答をはぐらかしている」
言ってみれば「さらに悪くなった」
「他の方から指摘されたことを認めないような書き込み」
「こちらからの提案や、どうしてもお願いしたいことに対してまともに対応してくれないのでは?」
「言われたことをしてくれない」
「今回の提案は却下すべきでは?」
等と思われてしまう理由も分からないでもありません。
その理由は、『僕の文章の書き方が特異である』こと。
前にも書いたと思いますが、僕は「文章を書くのが苦手」です。いや、単にこれまで文章を書く機会が少なかったからなのかもしれませんが、自分では「苦手」と思っています。
僕が小学生の頃には、作文の宿題が出されても、なかなか書き始めることができずに未提出のままということが多々ありました。(もっとも、書いた作文も、先生に「誰か有名人のエッセイみたい」と言わしめた文なのですが。)

そして、恥を晒すようですが、
「TPOを考えたレスを心がける」
は自分なりにちゃんとしているつもりです。しかし、経県値が低いことからも分かるように、僕は外に出る機会が余りありませんので、『一般常識』というものに極端に疎くなっているように感じます。俗に言う『KYな人』ですね。それでもなんとか付いていけるであろう地理の話題にやっとのことでしがみついています。(最近は振り落とされています。)これでも頑張ってるんですよ。

もしもEMMさんが「そんな一般常識も分からない奴に地名コレの編集者を任せられるか!」等とお考えなら、却下なり何なりしてください。決して恨みなど持ちませんから。
[66951] 2008年 10月 7日(火)09:09:42はやいち@大内裏 さん
阿智村
[66826] 熊虎さん
長野県議会は10/6に可決しました。
[66950] 2008年 10月 7日(火)00:02:2988 さん
海上の地方公共団体の境界について 続編
[66853] [66856] [66863] hmt さん
これまでの対話から、海上に地方自治体の区域はあるか?という問題について、私は「地先の海」と「海洋」とを区別してみたらと考えるようになりました。
私のイメージでは、「地先」とは、[59343] 拙稿で述べたように、地番が付いていない土地等を示す場合に、「○○番地先」と表現するのが本来の使用方法だと感じています。特定の地番でおさまらない広範囲であれば、大字名や小字名を使用して「字△△地先」もあるでしょう。いま「感じています」と書いたのは、「地先」の使用方法を述べた規定を確認できておらず、縁あって不動産関連の表現に種々ふれているうちに得た「経験」に過ぎないからです。
私の感覚では、「地先」は、陸上部の農道・水路の無番地を示す表現から鑑みて、海上に当てはめるとしても感覚的にはそれほど陸地から遠くへは離れないのではないか、と感じてます。
hmtさんは今回、「地先の海」と「(地先の海を除く)海洋」という区分を示されました。また、次のようにも述べられました。
「地先の海」が含まれる水深約200m以下の海(大陸棚)は、固体地球の表面という観点からすれば、本質的には陸地の延長部です。
・・・
「内水及び領海」の範囲は、このような海底地形とは無関係に設定されているので、内水の範囲内でさえ、駿河湾や富山湾のような深い海があります。
地学・地理学・地質学的(強引ですが後に述べる言葉と対比するために「自然科学的」としておきます)に言えば、これらの視点が自明なのかもしれません。
一方、海上における境界は、自治体の境であれ、領海と公海の境であれ、極めて人為的な「社会科学的」な視点です。人間が都合の言いように、便宜上引いた線に過ぎません。

hmtさんの言われるところの「地先の海」が、「内水+領海」と一致すれば、私のイメージと一致しそうです。いずれにせよ、意見の相違はかなり小さいと思われます。

―――――――――――――――――――――――――
私が[66803] でご紹介した、瀬戸大橋のうちの下津井瀬戸大橋の一般海域における占用について。 [66863] hmt さんは、
国道30号に指定されている岡山市と高松市とを結ぶ道路のための橋梁ですから、申請海域は、前記政令「チ」の“一般国道の用に供する国有財産”に該当します。・・・要するに、先ず具体的な占有目的(橋梁架設)と場所とが示され、それに応じて海域の管理者がきまるという構図が見えます。
香川県が「坂出市櫃石地先海域」に、岡山県が「倉敷市下津井田之浦一丁目地先海域」について それぞれ占有許可を出した結果として、両県が隣接することになった。
という見解を述べられました。
もし瀬戸大橋が建設省(当時)の直轄国道であったとしても、海域は一般海域としての国有財産ですから、一般海域の管理者である都道府県知事に対して、国道の所有者である建設省が占用許可申請をすることになります。あくまで、一般海域は所有者(大家)は国(運輸省)、管理人は都道府県知事(賃貸契約もできる権限がある)、借家人が国(建設省)という構図です。
実際には下津井瀬戸大橋を含む本四架橋の所有者は当時「本州四国連絡橋公団」であり、現在は「日本高速道路保有・債務返済機構」ですが。
これらから、私は次のような見解を持っています。
 (1)本州(児島)が岡山県(倉敷市)であり、櫃石島が香川県(坂出市)であることから、この間に「内水」でもあることから県境(市境)があることは潜在的に当事者は認識していた。
 (2)しかし、両県・両市が積極的に境界を定める差し迫った必要も無く、いわば海上部は「境界未定」の状況であった。
 (3)本四架橋に伴い、海域の管理区域を明確にして必要な許可手続きをとる必要があった。
 (4)このため、岡山県・倉敷市と香川県・坂出市が協議し、境界を決定した。
 (5)この境界に基づき、本州四国連絡公団が必要な申請手続きをした。香川県側の一般海域については、国有財産法及びこれを受けた香川県一般海域管理条例に基づき、一般海域の占用許可手続きを行った。
(1)~(4)は推測です。(5)は資料確認済みです。(4)については、これが推測どおりであれば瀬戸大橋の架橋記念誌か何かを探せば出てきそうですが、未確認です。
もっとも、本来は国が行なう事務を県が委託されただけなのに、「県の区域」になったと言えるのかという疑問は残ります。
・・・
香川県と岡山県とが隣接した理由が、隣接海域にある国有財産占有許可を両県が出したからということになると、法定受託事務に無関係だった坂出市と倉敷市とは、どのような理由で隣接しているのか?
これらの疑問は、私の見解であれば違和感は無いでしょう。やはり、一般海域に関しては「境界」があってこそ、管理権の境が明らかになると考える方が自然なのではないでしょうか。

(余談ですが、単なる誤記でしょうが「占用」と「占有」は意味が異なりますので念のため。)
[66949] 2008年 10月 6日(月)21:44:48【3】Issie さん
ゑづ:絵図
[66946] 葵区 さん
奈良の「辻子」は前に文字がありますので読みが「ヅシ」です

たとえば,「いまづしちょう:今辻子町」というのがあるのですね。

「現代かなづかい」(1946年)および「現代仮名遣い」(1986年)の立場からすれば,「づ」という表記が“許される”のは,たとえば,「いまづ:今津」(< いま + つ)の「つ」のように本来は“清音”であったもの(つ)が合成語の第2要素となったために“濁音”(づ)となった場合,あるいは「つづき:綴喜」のように同音の反復で第2要素が濁った場合に限られます(横浜市の「つづき:都筑」は「つ(都)+つき(筑)」とも“同音の反復”ともとれそうですね)。
初めから /zusi/ と“濁って”発音される「辻子」の場合は,このどちらの場合にもあてはまりませんから,前に要素があってもなくても「ずし」と書かなければ“なりません”。「今辻子」も,すべからく「いまずし」。
「地震:じしん」を(現代仮名遣いでは)「ぢしん」と書いてはならず,「大地震」も「おおぢしん/だいぢしん」ではなく「おおじしん/だいじしん」と書かなくてはならないのと同じです。
…普通名詞,ならね。

だから,「現代仮名遣い」的には「いまづしちょう」という表記は“規則違反”になるのではないかと思うのですが,“固有名詞”ですからこのように公式に定められているなら,そのように書くのでしょうかね。
[66948] 2008年 10月 6日(月)21:43:25hmt さん
地方自治体面積データの説明文
[66937] オーナー グリグリ さん
2007年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」による最新データです。

グリグリさん はご承知の上で書かれたことでしょうが、あえて合併による修正と境界未定地との2点につき補足します。

市区町村一覧・静岡県 に掲載された島田市の面積は 315.88(km2)となっており、これはもちろん2008年4月1日の川根町編入が反映されています。

一方、国土地理院の 「平成19年全国都道府県市区町村別面積調」 では、当然のことながら 島田市 195.40と川根町 120.48 とは別々に記載されています。
このデータは、国土地理院HPにおける“最新データ”ではなく、平成20年4月1日現在の速報値も公表されています。こちらには最新の面積と共に、平成19年との対比(廃置分合による増加) +120.48 も示されています。

当サイトの面積データは、最新の「面積調」以後に合併があった自治体(福島市、熊本市[66932])についても、足し算による修正面積となっています。

なお、国勢調査報告における人口密度算出や地方交付税算定の基礎データとして利用される面積は、毎年10月1日現在の値です。これは 翌年2月1日頃に発表 されると共に冊子としても刊行されています。
しかし、HPで公表される4月1日現在の速報値もまた、「公式の面積」だろうと思います。

「公式の面積」について更にややこしい問題として、境界未定地の面積の取扱いがあります。
境界線が決まっていないものについては【面積の】計測ができるはずがありません。
これは、[66902] 振子さん がリンクした J-CASTニュースの取材に対する国土地理院のコメントです。

しかし、「建前」通りに「面積未定」のままでは人口密度も計算できません。
そして地方自治体にとっては、何よりも地方交付税を失うのは困るというのが「本音」でしょう。

そこで「建前」と「本音」とを使い分ける知恵が生まれます。
境界線が決着するまでは、仮の按分面積を用いて地方交付税を受けることができるようです。
「面積調」にも「便宜上の概算数値」と断り書きを入れた「参考値」として掲載されています。

当サイトの 都道府県の基本データと都道府県別市区町村一覧とに掲載される面積も、境界未定地のある場合は「参考値」が用いられています。
例えば富山県の面積は、「面積調」 では 2045.73(km2)ですが、当サイトでは 「参考値」の 4247.55(km2)を用いています。

結局のところ、これら地方自治体データの説明文
面積は、2007年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」によります(単位:平方km)。
は、合併による足し算や境界未定地の扱いを考慮して、例えば次のように記したらいかがでしょうか。

面積は、2007年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」にもとづく値(単位:平方km)です。境界未定地のある場合は「参考値」を用います。

説明文の表記をとらえた重箱隅レスで失礼しました。
[66947] 2008年 10月 6日(月)21:27:51千本桜 さん
逢河原
[66930]オーナー グリグリさん
大河原町はWikiによると「逢河原」からの変化とありますがどうなんでしょうね。

私も「逢河原」が転じて「大河原」になったと教えられています。大河原町史から大河原の地名由来を引用します。
往古白石川は、刈田郡境の狭隘部から大河原盆地に入り、東南方大谷の丘陵地と北西方新寺、橋本丘陵間にはさまる低地を、自由奔放に流下していた。この地方にも人煙の上りそめしころには、金ヶ瀬から二筋に分流し、一は北方の新開小山田橋本を経て小島の南方より荒川の流れを併せ船迫方面に流下、他の支流は丑越から上大谷上谷を経て西原保料北方で再び前記分流と合流して一筋となって流れていたという。このゆえをもって「合河原」「逢河原」転じて「大河原」となったと伝えられる。
と、書いてあります。
大河原町域の白石川は大正時代に大掛かりな川幅拡幅、流路変更、堤防築堤が行われています。六年半の歳月を要した河川改修は大正12年に完成し、延々と続く堤防を見上げた町民たちは、まるで万里の長城のようだと感嘆の声を発したそうです。その堤防完成を祝して植栽された桜並木は、後に一目千本桜と称せられるようになり、隣接する船岡城址公園の桜と併せて県下随一の桜名所になりました。ちなみに、町内にある藩政村(後に大字)の大谷は、谷が多いことから生まれた地名だそうです。
[66946] 2008年 10月 6日(月)18:57:39葵区 さん
「辻子」
[66908] Issie さん
奈良の「辻子」は前に文字がありますので読みが「ヅシ」です
他の地域でも「ズシ」とつく地名はありますが,別の由来をうたっているところがほとんどでした.ですから拙稿にて「宮処」という書き方をしました
“ものの本”には,まず平安京における「づし」の用法があって,ここから“十字路”ないし“交差点”という意味の「つじ」に転化した,というようなことが書いてあったような。
なるほど,鎌倉時代あたりまでは「づし」が通用していたのかも知れません
[66945] 2008年 10月 6日(月)10:40:44【1】山野[揖斐の山] さん
盛り下がり/HP開設
前々からあるように藤岡町にて合併推進派が佐野市との合併を実現する会を発足させました。
…ここん所、この県南地区か熊本地区・埼玉県ぐらいしか盛り上がりが無いような。
(追加:15時30分)
宮古市・川井村合併協議会のHPが開設されました。
[66944] 2008年 10月 6日(月)01:40:57YT さん
廃藩置県前の府藩県別・身分人員表
改めで身分人員表を読み直し、問題のある項目を減らしました。解放令が出たのは廃藩置県の後だったんですね。

それにしても凄いのは鹿児島藩の武力です。武士階級は華族・士族・卒族あわせ193万人(壬申戸籍では194万人)ぐらいいたわけですが、鹿児島藩一藩で34万人の武士がいたことになり、全武士人口の1/5から1/6を占めていたことになります。他の藩と比べても、2位の熊本藩の11万人の3倍以上、3位の静岡藩の7万人(幕臣が相当移ってるはずです)、4位の金沢藩の6万人、5位の名古屋藩、6位の高知藩の5万人なども圧倒しています。山口藩は武士人口2万人程度であり、薩摩がついた側が明治維新で勝利をおさめたというのも納得できます。
[66943] 2008年 10月 6日(月)00:12:19YT さん
廃藩置県前の府藩県別・身分人員表
廃藩置県前の詳しい人口表を近代以前の日本の人口統計に掲載しました。

多分ネット上にはまだない情報だと思いますし、興味を持つ方がいると思います。それにしても藩の数が多すぎますね。
[66942] 2008年 10月 5日(日)22:27:28hiroroじゃけぇ さん
対広島市という枠組みでは・・・。
[66936]熊虎 さん
え~、呼ばれましたので出て参りました。久しぶりの登場です。では、本題。
新潟市、静岡市、浜松市、そして岡山市は、官民(経)挙げての政令市待望論がありました。
少なくとも新潟・静岡・浜松は、私が市町村合併に関心を持ち始めた90年代前半、行政や地元経済界が合併政令市構想をぶち上げていました。
岡山はその時点では話は聞きませんでしたが(hiroroじゃけぇさん、その辺はどうなんでしょう・・・)、60年代に倉敷との大合併構想もあったことですし、待望論はあったのでしょう。
対広島市対策という観点ではありましたよ。広島に勝るように「政令市」となることで同等、いやそれ以上に強化することを望んでいました。でも、それも失敗。100万人以上(80万人以上で人口増加傾向)の枠組みで合併することは、約160万人の都市圏人口から考えると、倉敷市と合併しなくても可能であったはずです。でも、そうしなかった。その理由は学区や県の地域区分などが2地域以上に跨っていたからに他なりません。例えば、高校入試においては、「岡山5%」(岡山5校:朝日・操山・一宮・大安寺・芳泉)と「倉敷5%」(倉敷4校:青陵・倉敷南・古城池・天城)という特別処置がありました。hiroroじゃけぇがもしも、上記の校を受験したとします。すると、倉敷学区の児島からは倉敷4校なら、入学者数の95%の人数が倉敷地域に配分されるので、400人の定員では380人の枠に入ればいいということになります。でも、岡山5校を受験した場合、学区外なので、400人の定員の内20人にはいらなくてはならないことになります。こういった例は一例かもしれませんが、合併という枠組みでは大きな障壁になっていました。(現在はこのような処置はありません。)現に、早島町では岡山市との合併賛成派が、倉敷市との合併賛成派よりも多かった(単独町制を貫くことになりましたが)のに、地域区分や地域の連携などでは倉敷市とのかかわりが強かったため、早島町としては倉敷との合併に向かったのです。つまり、官:倉敷派、民:岡山派であったわけです。このように、官民一体ではなく、官民分裂の状況下において、「岡山市の政令指定都市移行待望論」はかき消されてきたといってもいいでしょう。結局のところ、岡山と倉敷の各雇用圏が統合された時期からこの垣根が低くなってきたことで、今回の政令市移行に至ったわけです。

ということで、質問?の答えになったでしょうか。

(ちなみに、操山:「そうざん」、天城:「あまき」と読みます。「あまき」の発音については、以前も紹介しましたね)

[66940] N-H さん
あら、私の地元?にようこそ。って、児島ではなさそう・・・。まぁ、そんなことはいいとして、岡山に今後も何度か訪れることがあるようですね。来年の春まで続けば、懸念事項であった一つ、岡山駅地下の「三番街」が復活開業しております。逆に、倉敷駅北は「チボリ公園」が廃公園と化し、廃墟テーマパークの仲間入りをしていると思います。また、県知事は現職のままかもしれませんし、ひょっとしたら「ちくわ笛」を演奏しているかもしれません。と、岡山も何度か訪れる内に変化すると思いますので、楽しみにしていてくださいね。また、津山の扇形機関庫なども訪問されてみればいかがでしょうか?
[66941] 2008年 10月 5日(日)22:27:26まがみ さん
メンバー紹介文編集者交代
ご無沙汰しています。

さて、既に[66636]グリグリさんにてアナウンスのあったとおりですが、このたび、メンバー紹介文の編集者がかぱぷうさんと日本人さんに交代することになりました。かぱぷうさん、日本人さんには、メンバー紹介文編集を引き継いでいただけるとのことで、たいへん嬉しく思います。

また、[66639]で日本人さんから、[66656]でかぱぷうさんから、それぞれメンバー紹介文執筆者就任の挨拶もいただきました。力強いメッセージを頂き、ありがとうございます。

最近は「落書き帳」の方もだいぶご無沙汰しており、書込数ランキング(全期間)も16位まで下がってしまったなあとしみじみ思う今日この頃ですが、時間を見つけてこちらに寄せてもらおうと思っておりますので、よろしくお願いします。

オフ会の件について、第3回、第4回と不参加が続いているのでぜひとも参加したいと思っているのですが、都合があり参加できるかどうか微妙な状況です。現時点ではまだ確定しておらず、申し訳ありません。
[66940] 2008年 10月 5日(日)20:49:54【2】N-H さん
千葉県
すっかりご無沙汰しております。
茂原市出身の者として、ちょっとクリアにしておきたい書込みがありましたもので。

[66936]熊虎 さん
わが千葉県北西部も、90年代から合併政令市待望論は大なり小なり存在しています。
新潟・静岡・浜松(&岡山・熊本)などの地方都市と違い、千葉県の北東・南部偏重が背景にあるわけですが

すみません。この文脈における「千葉県の北東・南部偏重」という意味がよくわかりません。
自治体としての千葉県庁(あるいは国の下部機関等)の行政が、県北西部に比べて北東や南部を偏重しているということでしょうか?
あるいは、もっと一般的に千葉県という地域が県内の北東部や南部が、実態以上に重く見られているというような意味なのでしょうか?

前者と仮定して話を進めさせていただきますが、具体的にどのような偏重があるとお考えでしょうか?
たとえば、人口の比率に比べて選挙区の区割りが歪んでいるとか、税金の投入の仕方が必要以上に不公平である、などということでしょうか?

千葉県の場合、古くはほぼ全県域にまんべんなく人口が散らばっていたように思えます。それが東京に近い区域が、戦後俄然ベッドタウンとして発展してきたということがあるのでしょう。
行政がそれに追いついていかなかったということでしょうか。それにしても、行政の稠密度を人口を単位として配置するのが正しいのかどうか。国土としての面積を単位として配置するという考え方もあるのでしょう。

私が茂原市にいたころ、東京に近い県の北西部は、交通路が発達し首都にきわめて近く、とても便利でうらやましく感じたものです。
現在、県の北西部に住む方々が、「千葉県は北東・南部を偏重している」と実態として感じられていらっしゃるのだとすれば、ちょっと悲しい気分にさせられます。

さてさて、オフ会ですが、現状多忙をきわめ、参加は非常に困難な情勢になっております。
明日は生まれてはじめて岡山県は倉敷市に出張で足を記すことになっておりますが、それも日帰りでとんぼ返りし、あさってからはオランダに出張です。
丁度昨年の同時期には香港に行っておりましたし、その後今年1月までに中国4回、アメリカ3回も行く始末。
例年秋から冬にかけては怒涛の出張シーズンとなっており、今年もまたそれを繰り返すことになりそうです。

岡山県はなぜかこれまで縁遠く、せっかくの機会ですのに残念です。もっともあと数回倉敷には行くことになりそうですが。
[66939] 2008年 10月 5日(日)20:10:14伊豆之国 さん
Re:夜汽車は夢の彼方へ‥
[66936]熊虎さん
市川・船橋地域の大合併構想の件ですが、
習志野市が乗り気でないというのが背景にあるようです
確かに津田沼駅周辺の状況を思えば、以前「なぜ船橋と習志野が合併しないのか」と疑問に思ったことがあるのですが。それと、電話の市外局番で、市川は船橋・習志野とは別なのに、鉄道で直接中心同士がつながっていない松戸とは一緒なのが不思議に思っていました。その松戸市の、かの「名市長&ドラッグストアゆかりの地名」([66798])の近くで、都市計画道路建設による個人宅の森(航空写真)の保全問題の話が、今日のTV「噂の東京マガジン」で放映されていました‥。

ところで、先日の新聞記事に、東京-九州方面で最後に残っていたブルートレイン「はやぶさ・富士」が来年限りで廃止になるということが書かれていました。拙稿[62928]でも触れた通り、もはや関係JR各社には「空気輸送同然」になっている「九州夜行」を維持してゆくための情熱は完全に失っていたのではないでしょうか‥。
旅の話といえば、昨日のTVでやっていた「北海道路線バス縦断・函館~宗谷岬」。当初に想定していたルートに路線バスがなかったり、あっても「NG」の高速経由しかなかったりといった具合で、かなりなジグザグコース。最後はオホーツク海岸を大回りして、やっと宗谷岬にたどり着いた、という内容ですが、これを見て思ったのは、鉄道廃止後の代替バスのルートが結構健在であったこと。一行が二日目の夜に江別で足止めを食らい、そこで「野幌まで戻れば、栗山経由で岩見沢へ行ける」という場面があったのですが、野幌-栗山というルートは、どうやらかつての「夕張鉄道」の経路。最終日のコース、名寄-興部-雄武‥枝幸-浜頓別-稚内と、まさに廃線ルートそのもの‥。

[66925]EMMさん
前回[66923]のそのくだり、そういえば確かに余計なお節介だったかも‥。
[66938] 2008年 10月 5日(日)17:49:32Issie さん
東葛
[66935] じゃごたろ さん
やっちまったな

私の方でも,ウッカリしていた部分と,あやふやな部分を むっくんさん([66922]) と hmtさん([66927]) とに補足・修正していただきました。
お互いに,こういうやりとりができるところ,大変にありがたいことだと思います。

[66936] 熊虎 さん
もともと「東葛飾」は船橋・浦安から野田までですが、「東葛」といったら一般的には松戸・鎌ケ谷以北を指しますから。

そうですね。総武線沿線から見ていた私も「東葛」は「常磐線の方」の地名,という意識を持っていました。とは言え,「葛南」という呼称がどれだけ一般的かと言うと,これも限定的ではないかという気がします。
たとえば 市川・船橋・鎌ヶ谷 で合併するとして,この地域を総称するのにふさわしい呼称にはどんなものがあるだろう,と考えてみたら…,「京葉(市)」というのも何となく座りが悪いし,そうすると「葛南(市)」の方がまだマシかなぁ。

ちなみに習志野市は,気象庁の気象予報区分の二次細分区域で当初属していた「千葉中央」(千葉市,市原市,習志野市,八千代市=元の千葉郡および市原郡)から,2004年3月に八千代市と一緒に「東葛飾」(元の東葛飾郡所属の各市)に編成替えされています。
とは言っても,この二次細分区域は気象注意報や警報が発表される単位なのだけど,余りに区分が細分されてしまったせいか,この頃から関東ローカルのNHK気象情報では原則として注意報を放送しなくなったので,習志野市や八千代市が「東葛飾」に属していることは案外知られていないかもしれませんねぇ。
でも,旧千葉郡という歴史的な経緯よりは,習志野市も八千代市も普通の住民の目が向いているのは千葉市ではなく船橋市の方(…というより,もっと“西”)であることは確かなように思います。

船橋市は目と鼻の先

私が習志野市に住んでいた最後の3年間は津田沼駅のごく近くで,我が家のすぐ前を船橋市との境が通っていました。多摩市に住んでいた後半の4年間は,我が家から30秒ほど歩いたところで八王子市との境を越えて最寄りの京王線の駅から通勤していました。
境と言っても何の目印もなく街並みが続いているから,意識しなければ何も気づかないのですが,意識するとそれを越える度に何となく「妙な気持ち」(←上手く表現できないのですが)になるものです。
[66937] 2008年 10月 5日(日)13:52:05【1】オーナー グリグリ
面積データ更新
TNさんから頂いていました面積データに基づき都道府県市区町村の面積データを更新いたしました。2007年10月1日の国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」による最新データです。全データの検証までは行っておりませんので、確認していただける方がいらっしゃいましたら嬉しいです。

今回の大きな更新としては、境界未定だった琵琶湖の内水面が確定したことにより、以下の注釈が取れました。

■琵琶湖の水面(670.25平方km)は境界未定のため、大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、野洲市、高島市、東近江市、米原市、東浅井郡湖北町、伊香郡高月町・木之本町・西浅井町の面積には含まれていない。ただし、滋賀県の合計面積には含まれている。

一方、千葉県に以下の注釈が追加になりました。

■市川市東浜一丁目および船橋市潮見町両地先の土地(0.14平方km)は境界未定のため、市川市、船橋市の面積には含まれていない。ただし、千葉県の合計面積には含まれている。

以上、何かありましたらご指摘ください。
[66936] 2008年 10月 5日(日)12:59:15BANDALGOM[熊虎] さん
政令市2題
[66929]揖斐の山さん
[66931]Issieさん

相模原市は自ら希望したわけではない津久井郡4町との合併による「タナボタ政令市」ということで、特に旧市域の人たちにとっては盛り上がりに欠けるのでしょうね。

堺市は80年代、仙台市・千葉市との「政令市昇格レース」と言われながら人口が伸び悩み、合併特例で美原町を編入して念願が叶いました。
新潟市、静岡市、浜松市、そして岡山市は、官民(経)挙げての政令市待望論がありました。
少なくとも新潟・静岡・浜松は、私が市町村合併に関心を持ち始めた90年代前半、行政や地元経済界が合併政令市構想をぶち上げていました。

岡山はその時点では話は聞きませんでしたが(hiroroじゃけぇさん、その辺はどうなんでしょう・・・)、60年代に倉敷との大合併構想もあったことですし、待望論はあったのでしょう。
城南・益城両町との法定協設置で、富士登山でいえば5合目に来たかな、という感のある熊本市(両町との合併が実現すれば、最悪植木町との合併ができなくても移行可能)も、それなりの待望論があったように思えます。

わが千葉県北西部も、90年代から合併政令市待望論は大なり小なり存在しています。
新潟・静岡・浜松(&岡山・熊本)などの地方都市と違い、千葉県の北東・南部偏重が背景にあるわけですが、実現の目途が立たないだけに、相模原市のようなところはうらやましくも思えます。

しかし相模原市の場合、経済界などの待望論がないところに降って沸いた話だけに、どうでもいいと思っている住民も少なくなく、少しでもデメリットが出てきたことで、反対論・懐疑論も出てきたというところでしょうか。

政令指定都市になってどんなに「いいこと」があるのか,市は宣伝に努めてきたようですが,どう考えてもそれが住民に伝わっているとは思えない。そんな中,ここに来て,経済負担増のような「マイナスの話」がクローズアップされてきたことが,(みんな無関心だったので,やはり目立たない存在であった)「反対派」ないしは「懐疑派」が“浮き上がってくる”ことにつながったのかもしれません。
柏市の中核市移行でも、これと似たような問題が浮き彫りになっていました。
私がお世話になっている県会議員も、革新系ながら合併や道州制には割と肯定的なのですが、中核市移行には最後は反対しました。
私は政令市への一里塚として、中核市移行を支持していましたが。


[66923]伊豆之国さん
こちらが「葛飾」の本家ということで、葛飾区に対抗して「葛飾市」。あるいはひょっとしてかの幻の「東葛市」(現・柏市)の再登場?!
この地域の場合、「東葛市」は100%あり得ないでしょう。
もともと「東葛飾」は船橋・浦安から野田までですが、「東葛」といったら一般的には松戸・鎌ケ谷以北を指しますから。
船橋方面で、いわゆる「東葛地区」は「東葛北部」と名乗るべきだ、という声も、某ポータルサイト系掲示板で以前目にしましたが、この地区で人口に膾炙しているのは「葛南」ですし、新市名としてはこれが筆頭に上がるのではないでしょうか。
もちろん、「葛飾市」も否定するものではなく、可能性としてはあると思いますが。

松戸を含めることになれば「葛南」ではないですし、むしろ「葛飾市」の可能性も大きくなると思いますが、松戸市長が政令市の市長になりたいがために(柏グループと市川・船橋グループに)二股かけていたという側面がありますし、実現性は低いと言えるでしょう。

津田沼駅界隈での船橋・習志野両市側の商業地の一体化を考慮すると、習志野を加えた4市という枠組みもあり得るのではないかと思いますが
97年の正月明け、千葉日報の1面トップで「船橋・習志野・八千代・鎌ケ谷4市」の合併政令市構想が報じられ、旧自治省の合併情報サイトにも長く掲載されていましたが、これはすぐにポシャっています。
習志野市が乗り気でないというのが背景にあるようです。

それより前には衆院選だか県議選だかのある候補者が、「浦安・市川・船橋・習志野4市」の合併政令市を公約していたこともありましたが、これは今ではほとんど話題にもなりません。

私が生まれてから8歳まで過ごした所は、鎌ケ谷市の最南端、船橋にも市川にも近い所で(船橋市は目と鼻の先でしたが)、電車で東京方面に向かう場合は東武野田線で船橋経由でしたが、車の場合はまっすぐ市川へ出たものです。
その視点から見れば、船橋・市川・鎌ケ谷3市というのが自然な枠組みかなと思います。
[66935] 2008年 10月 5日(日)12:15:47じゃごたろ さん
やっちまったな
[66916] Issie さん
[66927] hmt さん
東西南北諸県郡[66884]のうち「南」だけ宮崎県でないことには気がついたものの

ああ、現在は南諸県郡が消滅していたので、思い込みで書き込んでしまっちゃいました。それにしても、詳細な解説ありがとうございました。

というか、こうしていただけるであろうという期待もあったのは確かでしたが。



[66917] EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・号外

特に編集長としての方針に異議があるわけでもありませんし、今回の件は他の編集者に対しても共通で意識してほしいという、広報的な意味合いもあるのでしょうから。
[66934] 2008年 10月 5日(日)10:50:56【1】miki さん
都道府県&市区町村プロフィールのページが...。
[66932]グリグリさん
http://prf.uub.jp/prefbase.html
http://cpf.uub.jp/kumamoto.html
すみませんが、これらのページがまだ更新されていませんのでお知らせします。
[66933] 2008年 10月 5日(日)10:48:20オーナー グリグリ
第五回落書き帳公式オフ会のお知らせ(再アナウンス)
来月23日(日)に秋田県鹿角市の湯瀬温泉で落書き帳の公式オフ会を開催いたします。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。参加できるかどうか分からないけど情報が欲しいと言う方は、オフ会情報交換用のメーリングリストがありますのでまずはメーリングリストにご参加ください。ご希望の方は私宛にメールをお願いします。メールアドレスは都道府県市区町村のトップページ最下部から参照可能です。なお、詳細は[66615]をご覧ください。

現在、参加予定者が14名、参加検討中の方が8名となっております。
[66932] 2008年 10月 5日(日)10:40:39オーナー グリグリ
熊本市の編入合併情報を更新しました
フライングですが明日の熊本市の編入合併情報を更新しました。下益城郡富合町が熊本市に編入されます。次回は11月1日ですね。静岡県の編入が3件と鹿児島県伊佐市の誕生です。土曜日なので当日更新する予定です。忘れないようにしないと。
[66931] 2008年 10月 5日(日)10:05:37【1】Issie さん
政令指定都市なんかになったってしょうがないじゃん
[66929] 揖斐の山 さん
政令指定都市化を目指す相模原市に於いて住民投票で是非を問えと市民グループが署名活動を検討しているとの事。

どうなんでしょうねぇ。
盛り上がっているのは行政だけで,まわりを見渡しても住民レベルで政令指定都市化に期待している雰囲気は全然感じられないなぁ。もともと旧市域は津久井との合併にも無関心だったし。

以前から旧津久井地区から、線引きに対して反対勢力が強いからと言うのもあるのでしょうが。

津久井の方では,「線引き」について合併前の相模原市の説明が曖昧であったという不満があるようですね。実際に合併されてみたら,「政令指定都市になるために」線引きが必要,と言われてビックリしているようです。
そこに新たなできごととして,政令指定都市になるにあたって県から権限が移譲されるのと一緒に「ある程度」の経済的負担も“移譲”されるわけですが,先日来の県と市の交渉で市が当初予想していたよりも遥かに大きな負担を受け入れざるを得ないことになりました。要するに,県に押し切られた。市の側の交渉能力が及ばなかったのかもしれませんね。
で,その「負担増」は恐らく住民に跳ね返ってくるわけで…。これは,津久井だけでなく“旧市域”にも降りかかってくる。
「そんな話は聞いてないぞ!」というのは,結局,津久井と同じ。

そもそも,政令指定都市になってどんなに「いいこと」があるのか,市は宣伝に努めてきたようですが,どう考えてもそれが住民に伝わっているとは思えない。そんな中,ここに来て,経済負担増のような「マイナスの話」がクローズアップされてきたことが,(みんな無関心だったので,やはり目立たない存在であった)「反対派」ないしは「懐疑派」が“浮き上がってくる”ことにつながったのかもしれません。
これに関する記事で「“箔付け”か,経済負担か」という意味の表現が,どこかの新聞にあったような気がします。

住民投票があったら…
「反対」に,投票しようかな。
…というわけで,以上の書き込みには少なからずバイアスがかかっています。
[66930] 2008年 10月 5日(日)09:35:42オーナー グリグリ
ご無沙汰しています
先月中旬に腰を痛めてしまい、しばらく養生していました。
いろいろふぉろ~しなければいけないことがあるのですが少しずつ。

[66928] 2008 年 10 月 5 日 (日) 08:09:06 Hiro_as_Filler さん
お手数ですが、もしメンバー紹介と公式ホームページ編集長用のアドレスからの転送が連動していないようでしたら、お手数ですが転送先の変更をよろしくお願いいたします。
了解しました。転送先を変更しておきました。
なお、皆さんがメンバー登録時に記入されるメールアドレスは個人情報保護の観点からサーバには一切保存しておりません。登録時に私宛に一度だけメールで送信されます(@を置き換えています)。10月1日以降から現在までの公式ホームページ編集長宛のメールは私からHiro_as_Fillerさんに転送しておきます。よろしくお願いいたします。

[66915] 2008 年 10 月 4 日 (土) 11:14:57 k-ace さん
市区町村雑学「江差町・枝幸町」ってどこにある?の「郡名との同音異字の自治体で同一都道府県内の例」の中に、鹿児島県の「指宿市・揖宿郡」が残っています(昨年12月の南九州市誕生で揖宿郡は消滅しているのですが)。「指宿市・揖宿郡」の削除、お願いします。
ご指摘ありがとうございます。さっそく修正いたしました。
雑学の修正漏れはまだあるかもしれません。お気づきの方はご指摘いただければ幸いです。


[66746]でネタ出しした「大の付く地名」の件、遅くなりましたが何人かの方にフォローしていただきました。[66752]で白桃さんが挙げられた三沢市の前身である大三沢町は典型的な「発展型」でしたね。大河原町はWikiによると「逢河原」からの変化とありますがどうなんでしょうね。

hmtさん、境界線シリーズを楽しく読ませていただいています。アーカイブズをリニューアルしてこれらの記事がもっと多くの方に読みやすく楽しめるようにしたいと思っています。いつまでとはお約束できないのが残念ですが、これは必ず実現します。今後ともよろしくお願いいたします。

その他、面積データの更新やアクセスランキングの復活などいろいろありますが、毎度の言い訳で申し訳ありませんが、気長にお待ちいただければ幸いです。すぐに対応できる件、対応しなければいけない件など、書き込み記事の見落としがありましたらご連絡ください。よろしくお願いいたします。

11月のオフ会を楽しみにしております。その際にもざっくばらんなご意見やご希望がいただけるものと期待しております。参加を迷っていらっしゃる方の積極的な決断をお待ちしております。
[66929] 2008年 10月 5日(日)08:41:10【1】山野[揖斐の山] さん
延期/署名
(佐賀県)
上峰町は一昨日、みやき町へ任意協設置を申し入れたのですが時期尚早だとしてきっぱりと断られました
(熊本県)
又、同日、植木町は、熊本市と法定合併協設置する為の署名、2000人分を町選管に提出しました。
日間の縦覧期間を経て会は設置の本請求をする。今後は必要な手続きを経て10月中にも議会へ提案される予定。
(追加・神奈川県)
政令指定都市化を目指す相模原市に於いて住民投票で是非を問えと市民グループが署名活動を検討しているとの事。
以前から旧津久井地区から、線引きに対して反対勢力が強いからと言うのもあるのでしょうが。
…それなら何でこんな市と合併したんでしょうか旧津久井郡の4町。
[66928] 2008年 10月 5日(日)08:09:06Hiro_as_Filler さん
公式ホームページ編集長通信(お詫び)
おはようございます。Hiro_as_Fillerです。

当方のメール環境変更により10/1からメールアドレスを変更しましたが、メンバー紹介の変更が10/4となったため、公式ホームページ編集長用のアドレスに送っていただいたメールが10/1~4の間不達となっておりました。

つきましては、当該期間中にメールを送っていただいたかたにつきましては、大変お手数ですが、もう一度送信いただきますようお願いいたします。

なお、メンバー紹介変更後、当方のアドレスに直接送っていただいた分につきましては、内容を確認しております。

ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありません。


10/1など区切りの日からlgドメインに移行する自治体は多数存在すると考えますので、引き続きみなさまの情報提供をよろしくお願いいたします。


>グリグリさんへ(業務連絡)
お手数ですが、もしメンバー紹介と公式ホームページ編集長用のアドレスからの転送が連動していないようでしたら、お手数ですが転送先の変更をよろしくお願いいたします。
[66927] 2008年 10月 4日(土)23:03:30hmt さん
「国界変更」により 日向国南諸県郡から大隅国噌唹郡へ
[66916] Issie さん
方角地名逆転・混線の発端[66878]「ふじみ野西口」の住民です。
東西南北諸県郡[66884]のうち「南」だけ宮崎県でないことには気がついたものの、コメントを躊躇している間に詳細な解説をいただき、ありがとうございます。

日向国諸県郡志布志周辺が大隅国になった時期。これが「南諸県郡」の消滅と同時の明治30年(1897/4/1)であることも確認したのですが、この件も既に[66922]むっくんさんのレスがありました。

実は、この南諸県郡がらみの変更は、3年前 [47002]てへへさんの問いかけの2番に関係していました。
“不明点は以下の3点です。
1、旧美作国吉野郡石井村・江川村が兵庫県佐用郡に移管された県界変更と同時に、本当に播磨美作の国界が変わったのか?(法令的には痕跡がない?検索単語があまいせいか?)
2、明治29年の鹿児島県での変更はどこか?(旧日向国諸県郡のうち鹿児島県に移管された南諸県郡と関係があるか?それとも旧大隅国菱刈郡が薩摩国伊佐郡に併合したことと関係があるか)
3、明治35年の京都府での変更はどこか?(見当もつきません)”

そして、[46981]にからめて書いた次の記載は、[47002]てへへさんの不明3点に対する回答になっていました。
[59173]hmt
“(1)明治29年法律第56号 第1条 岡山県及兵庫県の境界を変更すること左の如し
岡山県美作国吉野郡石井村を兵庫県播磨国佐用郡に編入し岡山県美作国吉野郡讃甘村大字中山を兵庫県播磨国佐用郡江川村に編入す
(2)「鹿児島県下国界並郡界変更及郡廃置法律」 明治29年法律第55号
日向国南諸県郡が大隅国噌唹郡へ、大隅国北大隅郡(桜島)と菱刈郡とが薩摩国鹿児島郡と伊佐郡へと、いずれも郡の廃置分合と共に国界も変更されています。
【薩摩国川辺郡だったトカラ列島が大島郡への所属変えで大隅国になった変更もあるので補足しておきます。】
(3)明治35年法律第14号 京都府丹後国与謝郡雲原村を同府丹波国天田郡に編入す”

「国界変更」を最初に持ち出したのは [36159]で、埼玉県下総国中葛飾郡が北葛飾郡に統合され武蔵国になった事例。

鹿児島県の場合に戻ると、郡の再編(1897/4/1)>郡制(1898/4/1)>府県制(1898/9/1)と少しずつ時期をずらせて旧制度を実施した後で、明治32年(1899/7/1)の(新)郡制と(新)府県制施行を迎えたことが、[62662]88さんのリストからわかります。

ついでに誤記?の指摘
なお,「南諸県郡」は当初, 垂水郷 の大隅郡役所の管轄とされ,1880(明治13)年の鹿児島県による大隅地域の郡再編後は東噌唹郡とともに 岩川郷(現曾於市)の郡役所の管轄となりました。
南諸県郡になったのが明治16年だから、その後の郡役所の管轄変更が明治13年ということはないですね。

鉄道と町名に関連して
東急東横線に乗っていて「白楽駅」の1つ横浜寄りに「東白楽駅」があるというのが,何となく飲み込めません。

現在は「東白楽」という町名がありませんが、昭和4年測図・昭和18年仮修正の 横浜市復興局三千分一地形図 を見ると、東白楽という地名があります。白楽駅付近には「西白楽」も。現在の横浜市神奈川区白楽は、両者を統合したものと思われます。
[66926] 2008年 10月 4日(土)22:49:37千本桜 さん
消されそうになった大字
[66921]88 さん
丸亀市土器町西五丁目△△番
一見、住居表示実施と見間違うような住所ですね。土器は藩政村の土器村が単独で町村制下の土器村に移行し、後に丸亀市土器町になったものと推察しますが、藩政村(または大字)の全域が一気に地番整理(または住居表示)されるとは凄いですね。宮城県ではそのような例はないと思います。藩政村(または大字)の面積の違いが原因でしょうか。土器町の区域は地番整理されても全域に「土器」の名称が付いて回るから、住所による不公平感は発生しませんね。ところが大河原町では、大字区域の一部分だけをポツリポツリと地番整理し、その区域を「大字なし」の字にしてしまいます。ですから、大字の区域内に「大字なし」の字が虫食い状態に散らばっています。当町の住民は、従来からある「自治体+大字+小字」より、地番整理して簡略化された「自治体+字」の住所形式を好むようです。そこで、「自治体+字」に隣接した「自治体+大字+小字」の住民は、大字名を外してくれと要求するようになります。住民は住所の表わし方に差別感を感じているのです。もっとも、こんな大々的に虫食い状態の「大字なし」を創設しているのは宮城県でも大河原町だけで、一般的には地番整理しても「大字なし」にはしません。例えば、角田市角田字町尻などを区画整理して生まれた字豊町は、町名地番整理後も大字の角田を付して角田市角田字豊町です。ですから、地域の枠組みが崩れることはありません。また、面白いというか、「なるほど」とうなるのは、迫町(現・登米市)の中江一丁目~中江五丁目です。水田地帯を区画整理して誕生したこの一画は、ちょっと見ると住居表示されたように見えますが、町名地番整理のようです。住所は登米市迫町佐沼字中江○丁目×番地です。大字に当たる佐沼を外さずに継承しているところが、歴史に無頓着な大河原町とは大違いです。小字名ではなく、大字名(あるいは大字に相当する町名)を外してくれという要求は、香川県では考えられますか?。
ここで止めれば良いのでしょうが、書き続けたくなりました。88さん、ぐちっぽい話だけれど聞いてくださいますか。大河原町に散らばる「大字なし」を丸亀市土器町に置き換えます。イメージしてください。丸亀市は土器町字高津などの区域を土地区画整理して町名地番整理し、字幸町なる字を創設しました。同じように土器町字入領などの区域も地番整理されて字緑町になりました。その他にも字旭町や字錦町などの新しい字が土器のあちこちに飛地状に出現しましたが、それらは字の前に土器町を付さない「大字(町)なし」の字になりました。土器の区域には、「土器町」を付す字と付さない字が入り乱れてしまったのです。「土器町」を付さなくなった字の住民は「ここは、もう土器ではない」と言うようになりました。「土器」でないなら「何なの?」と質問すると、答えに詰まって「丸亀じゃないかな?」などと仰るのですよ(笑)。その根拠は?と問えば、誰も答えられないのであります。土器でなくなると丸亀になる?。なんじゃこれ!。こんな丸亀市も平成の合併ブームで周辺市町と合併し、新市に移行することになりました。周辺市町と協議の結果、新市には「自治体+大字(町名)+小字」の住所形式で引継ぐことになりました。困ったのは、土器に散らばる「大字(町名)なし」の字の取扱いです。土器町を付さなくなった丸亀市字幸町や字緑町の字の前に何という大字名(町名)を付すかです。88さんならどうなさいますか。私は迷わず「土器町」を付します。ところが、丸亀市は現行市名が「丸亀」であることを理由に、「大字(町名)なし」の字の前には「丸亀町」を付すことにしたのです。その結果、旧土器村の区域は「土器町字○○」と「丸亀町字○○」がガチャガチャに入組んでしまいました。この字の入組みを解消する方法として、字名の取扱い担当者はある名案を思いつきました。「そうだ!、土器町を丸亀町に統合して消滅させれば字の入組みも消滅する!!!」。何と無謀な発想でしょう。そこには、先人から受け継いだ地域の歴史を後世に正しく伝えようとする姿が見えません。地域は「今を生きる自分たちだけの物」という思い上がりの意識がちらついています。こんなことで変えられようとしている地名や地域が不憫でなりません。♪一つ聞かそか ねんころり。
以上のたとえ話は、3年前に柴田町・村田町・大河原町合併協議会が破談解散したことにより実施に至らず終わりました。しかし、また再び同じ3町で合併協議が開始されました。今度こそ、まじめに字名の取扱いに取り組んで欲しいと思っております。余計な一言かもしれませんが、他の市町村でも「いい加減な字の取扱い」をしている所がありそうですね。
[66925] 2008年 10月 4日(土)20:50:18【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第159号-3
このあとでかけなければならないのにまだ準備ができていないのでちょっとあわてているところですが…

[66923] 伊豆之国さん

ご提案の内容は実際に手を挙げて頂く方の裁量にお任せしたいレベルのところまでつっこんでいるなぁ、と言うのが編集長的意見です。
そこまでご提案頂くのでしたら、いっそのことご自身が作成を手がけてみる、と言うのも有りですが。

案はあくまで案なので、案の時点であんまり内容を詰めすぎてもだちゃかんと思うのです。
[66924] 2008年 10月 4日(土)20:19:07YT さん
廃藩置県直前の人口統計
[66913]白桃さん

>国勢調査以前の人口統計をみておりますと、いろいろな齟齬や悩ましいことがありますが、それがまた楽しいのかもしれません。

それは本当に思い知らされます。デジタルライブラリーで読める府県統計書で、都市人口の空欄を埋めようとしたら、速報値?と確定値?が混ざっていたり、県によって時期がばらばらだったりで、府県統計書の利用はちょっと保留にしようと思います。また江戸時代の都市人口を集めてますが、結局「~市史」みたいな各地毎の史料に分散してるため、こちらも幾つかの参考書に記載のもの以上に広げることは難しいです。

現在追加しようとしている最後の大きな統計は、廃藩置県直前の府藩県別・身分別人口です。これは関山直太郎氏の「近世日本人口の研究」の巻末、および呉文聴氏の明治15年の統計集誌8号に発表した論文に記載されています。元史料が明記されていないようですが、明治政府が各藩に人口データを提出させて作成した藩制一覧が元史料だろうと関山氏が記述しています。調査年度が不明ですが、喜連川藩や長岡藩の記載がなく、竜岡藩や大溝藩の記載があることから、明治4年年始頃と推定されます。残念ながら佐賀藩、函館府(開拓使)等7つの府藩県の統計が存在しません。
[66923] 2008年 10月 4日(土)20:00:02伊豆之国 さん
成瀬駅の北口は南成瀬です。
今日はまとめてレスを‥。

[66878]hmtさん
[66882]YSKさん
[66884]じゃごたろさん
[66886]ぺとぺとさん
[66916]Issieさん
方角地名の逆転・混線といえば、少し事情は違うのですが、我が地元・町田市の成瀬地区もややこしい状況です。横浜線「成瀬」駅を降りると、北側の町名が「南成瀬」になっています。
それまで駅がなかった長津田-町田間に、当時の町田市成瀬(地番地域)の南寄りに新たに駅ができたのは昭和54年。駅名は地名を取って「成瀬」になったのは必然でしょう。その後、駅周辺の区画整備が進み、数年後に駅の北側一帯が「南成瀬(1-8丁目)」になりました。この町名は「成瀬」地域の中心から見て南側にあることからだと思いますが、南に大きく寄っているといっても駅は「成瀬」の地域内にあり、駅から見れば北側になるので、知らない人は混乱するでしょう。その後、駅の南側も町名が変更され、「成瀬が丘」になっています。「成瀬」地区ではこのほか中央部の一部が「成瀬(1-2丁目)」、北部が「成瀬台」に変わり、残りの部分が地番地域で残っています。この「成瀬」地域は南北に細長いため、北部の「成瀬台」の住民は成瀬駅に出るより「こどもの国」や「玉川学園」に出るほうが遥かに近いようです。

「白楽駅」の1つ横浜寄りに「東白楽駅」があるというのが,何となく飲み込めません
このことは、私がたびたび引き合いに出している「時刻表名探偵」にも載っていました。この前に、土讃線の「佐川と西佐川」の位置関係が取り上げられており、この後には例の「品川と北品川」のことが書かれています。

射水市新湊
といえば、知る人ぞ知る珍苗字の王国。「落書き帳」でも過去に取り上げられましたね‥

[66908]Issieさん
またも町田市絡みですが、
ずし
といえば、町田市に「図師町」というところがあります。「図師」とは「絵師」のことで、「絵師が住んでいた土地」という由来らしいのですが、詳しいことは不明だとか。
なお、「図師」は苗字にもあります。宮崎県に多く、宮崎市から西都市にかけての地域に集まっているようです。
蛇足ですが、町屋建築などで、道路側から見て二階部分の軒の背丈が低くなっていて、二階の部屋の天井が屋根勾配に沿って低くなっている造りを「つし二階」と呼び、「厨子」の字を当てているものもあるようです。

[66910]熊虎さん
交通体系や経済圏を考えれば、現実的なのは市川・船橋・鎌ケ谷3市ではないかと思います
気が早いですが、新市名はどうするのか‥こちらが「葛飾」の本家ということで、葛飾区に対抗して「葛飾市」。あるいはひょっとしてかの幻の「東葛市」(現・柏市)の再登場?!‥それと、津田沼駅界隈での船橋・習志野両市側の商業地の一体化を考慮すると、習志野を加えた4市という枠組みもあり得るのではないかと思いますが(この場合、習志野市(船橋市の一部もですが)は千葉郡だったので「葛飾」絡みは使いにくいでしょうが)。

[66909]まつもとしろくまさん
[66918]EMMさん
「公園町名」のコレクションですが、
A.「直接公園を指す町名」(東京都台東区上野公園、港区芝公園など)
B.「公園に間接的に由来する町名」(「公園通り」などの類)
というように分類してみたらと思うのですが、どうでしょうか。こうすれば、例えば私が以前[65086]で触れた大阪市東住吉区「公園南矢田」(長居公園の南)などといったものも「B」に該当するものとして載せられることになるでしょう。

[66864]みかちゅうさん
「弁天島」コレクションに追加です。
北海道泊村盃温泉(地図)‥今日のTV番組に出ていました。
[66922] 2008年 10月 4日(土)16:15:08むっくん さん
Re:鹿児島県日向国諸県郡
[66916]Issie さん
郡制の施行によって両郡が統合されて「噌唹郡」となり,「南諸県郡」の名が消滅するとともに,元は 日向国 に属していた志布志周辺は完全に 大隅国 に属することになりました(それ以前に,南諸県郡が鹿児島県に残った段階で 大隅国 に編入されていたかもしれません)。
南諸県郡の所属国については法律第55号(M29.3.30)が根拠となります。同法では、
鹿児島県日向国南諸県郡及同県大隅国東噌唹郡を廃し其の区域を以て噌唹郡を置き大隅国に属す
(中略)
此の法律は明治三十年四月一日より施行す
とあるため、この点に関してはIssieさんのご推察の通りのようです。
しかしながら[62662](88さん)によりますと、鹿児島県に郡制が施行されたのはM31.4.1であるとのことですので、所属国変更が行われたのは郡制施行の時期より1年遡ることになるようです。

重箱の隅レスで、失礼しました。
[66921] 2008年 10月 4日(土)14:57:39【1】88 さん
第二十回 十番勝負 問五・問六・問九に関連して その4 消えゆく小字
一連の投稿で、町や字などの地方自治法不動産登記法の取扱いなどについて述べました。
「(2)『住所』とは何か」の議論への誘導として、各市での実例をご紹介するのが本投稿です。

■香川県丸亀市の例(町名変更・小字の廃止)
変更前変更後
丸亀市土器町字高津○○番丸亀市土器町西五丁目△△番
丸亀市土器町字入領☆☆番丸亀市土器町西七丁目□□番
従前の小字と×丁目は1対1の関係ではありません。
ここでは町名地番整理を同時に行っているのですが、「字高津」「字入領」といった小字が廃止され、法務局の登記簿の「字」の欄は「×丁目」になっています。つまり、不動産登記簿では「町」が「土器町西」、「字」が「×丁目」と記載されています。(ちなみに法務局には、町名地番整理の資料として、新旧の町名・地番対照表が設置されています(他地域でも一般的に同様)。)
地方自治法上は「土器町西×丁目」が地方自治法第260条にいう「町」です(参考:丸亀市例規集丸亀市の行政区域、類似の参考例として高松市例規集の中の公称町名一覧表も)。小字は現在は存在しません。
なお、この地域では「土器町(字□□)」が土器町北一丁目~土器町北二丁目、土器町東一丁目~土器町東九丁目、土器町西一丁目~八丁目に変更されました。

■愛媛県松山市の例(小字の廃止)
松山市・北条市・中島町合併協議会第6回会議録(pdfファイル)の7/39ページ(議事録のページはp.5)では、
 編入合併を繰り返してきた松山市では、町名に大字がつくものがたくさんございましたが、このことが類似町名の混在という状況を招いておりましたので、地区住民からの要望もあり、昭和44年5月1日に大字をすべて廃止いたしております。
 また、小字も数多く混在いたしておりましたが、小字を廃止しても住所は特定できますことから、「住所の表示には、小字を省略しても差し支えない」という法務省の回答に基づいた表示方法に統一を図り、昭和45年7月10日に小字をすべて廃止いたしております。
とあります。
「大字」については類似町名の調整ということで変更する折に「町」にすることはよくあることでしょう。
「小字」の廃止に関しては、[48881][65276]拙稿で述べた地番区域に関連しますが、地番区域が大字単位で設定されていると小字を表記せずとも地番を特定でき、表記せずとも日常生活上はまったく支障がありません。日常生活では通常は小字の記載を省略しますが、一方では不動産登記簿には存在すためる不動産取引には記載する、という使い分けをすることが実態の大勢ではないでしょうか。これを一歩進め、「日常生活上無くても困らないのであれば廃止してしまおう」と、松山市は実施してきたようです。

■京都府京都市の例(北桑田郡京北町の編入に伴う町の設定・小字の廃止)
[66562] むっくん さん でご紹介があった件です。
京都市・京北町合併協議会第4回協議会会議資料(pdfファイル)の5/141ページ、第4回合併協議会会議録(pdfファイル)の5/30ページです。
従来、京北町の区域には大字数41、小字数1,252あったのですが、
「大字・小字の区域については従前のとおりとする。名称については、大字の前に『京北』を付し、『大字』及び『小字』の字句を削除した町名に変更する」
と決定されました。「大字・小字の区域については従前のとおり」という表現が誤解を招きそうなのですが、このように解釈すべきでしょう。
○合併前:京北町大字周山小字上寺田
京北町:自治体名、「大字周山」:大字名、「小字上寺田」:小字名、地番区域・・・小字単位
○合併後:右京区京北周山町上寺田
右京区:行政区名、「京北周山町上寺田」:町名、地番区域・・・町単位
→(大字)周山と呼ばれた区域の範囲は従前のとおり、(小字)上寺田と呼ばれた区域も同様。従前の小字をそのまま町名の一部とし、地番区域は実質的には変わらない。
→字(大字、小字とも)を廃止し、「町」を置いた。

■善通寺市の例(町名変更・住居表示実施)
ウォッちずで香川県の「地名等注記」で「石川」を検索すると、善通寺市のここがヒットします。法務局の資料で確認すると、ここは「善通寺市稲木町字石川」です。リンク先のすぐそばにある小学校は善通寺市立東部小学校ですが、ここは、
不動産登記簿善通寺市稲木町字石川450番1
学校の住所善通寺稲木町450番地1
稲木町の字(小字)がいくつあるのかまでは確認できていませんが、少なくとも、石川を含めて次の9つはあることは法務局の資料で確認済みです。
  毘沙門堂、永井、榎ノ間、池ノ前、西角、下川原、川原、荒神、石川
また、善通寺市HP内のS61.7.11付け香川県告示第751号「町の区域及び名称の変更」によると、このときの住居表示の実施により、稲木町(字石川)の一部は上吉田町七丁目の一部となり、この範囲に関しては字石川は廃止されました。稲木町(字石川)の範囲は狭くなりましたが、現存しています。

―――――――――――――――――――――――――
他の地域の例でも同様だと思いますが、以前は地元にも密着していたであろう「小字」が、地番区域が大字単位の場合は時の推移に伴い有名無実化し、不動産登記法との関連で整理するためにも、小字を廃止した例が増えています。町名変更、町名地番整理、区画整理、住居表示実施、市町村合併などを機会とすることが多いのでしょう。
京都市の例では、実質的には町名の一部として小字の名称は残っていますが、丸亀市や松山市の例では消滅しました。住民の自治会名称等では残っているとは思いますが。
小字がなくなった現状だけを見ると、結果としては高松市鬼無町山口[49211]や東かがわ市馬篠(元大川郡丹生村)[49209]と似たようになりましたが、経緯はまったく異なります。

次回投稿に続きます。
[66920] 2008年 10月 4日(土)14:00:33K さん
はじめまして。主に首都圏付近の交通関係についてお世話になります。
さっそくなのですが、京王線に関する噂がいくつかあるのです。
京王相模原線橋本駅がありますよね。問題はそこなのです。駅の利用者はご存知かと思いますが、北口のバスターミナルから、「橋01 三ヶ木行き」のバスが出ています。昼間でさえ5本/時もあるのです。朝の時間帯はほぼエスカレーターのようにバスターミナルに押し寄せます。そう、この三ヶ木方面に、京王線の延伸計画があったのです。しかし、これも京王線ユーザーはご存知でしょう。そう、なんと終点の先にマンションが建ってしまいました。(※決してこのマンションの住民に対するクレームではありません。)元から実行に移すのは難しいとされていましたが、このマンション(とその他)を理由に断念する他なくなったのでした。
…という噂です。真実を知っていらっしゃる方、レスお待ちしてます。
[66919] 2008年 10月 4日(土)13:54:31山野[揖斐の山] さん
協議開始の申請
(埼玉県)
宮代町は昨日、春日部市・杉戸町との合併を町議会に於いて決議し、
近く、春日部市と杉戸町に合併協議を申し入れる事を表明した。
(静岡県)
で、こちらは書いたかどうか定かではありませんが、芝川町は昨日富士宮市に合併の申し入れを行いました。
因みに議会は9月30日に合併推進の決議を全会一致で可決しています。
[66918] 2008年 10月 4日(土)12:49:02【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第159号-2
[66909] まつもとしろくまさん
1.他の「町名の○○~」コレクションと違い、単に公園や公園町、公園通等の町名が多く、これらを不採用とするのはちょっともったいない、と感じた点。
2.「愛知県尾張旭市柏井町公園通」や「北海道河東郡音更町木野公園下町」など公園名としては存在せず、実質的に1と同様ではあるのに○○公園の形に当てはまっているものもたくさんあります。1を不採用とした場合、これらを採用とすると1との不公平感が生まれる、という点。
ここら辺はタイトルですべて規定される訳ではありませんで、編集者の裁量で如何様にも対応可能です。
たとえば、私の担当の「寺町」コレ(中途でストップしている点は多謝)では「寺町」という町名だけ集めているのではなく、寺の字が入るものを広く集めることにしています。
おそらく油天神山さんの一連の「町名の○○~」シリーズをご覧になってのご意見だと思いますが、こちらの方でも「○○=null」をどうするか…と言う話題が出ていて、油天神山さんはこれは不採用とした、と言うことになります。
(参照:[61877]小松原ラガーさん、[61887]油天神山 さん)
逆に、実際に手を挙げて頂く方が「○○=null」も採用という方針をとって頂ければそれはそれで有りな訳でして、まつもとしろくまさんのご懸念に関しては特に問題ない形での対応は可能です。
ただ、その後色々考えていて、「新興住宅地に付けられる町名ではないので、「町名の○○~」シリーズとは一線を画す名付けの方が適当なのかも」という考えもわき起こってきました。
町名共通系の上半分に並んでいるコレクションと親和性の高い命名の方が良さそうなので「公園町」と言うのも有りかもしれません。
(カテゴリ分けをされることを前提に「公園」としてしまう手もありますが、これだといろんな意味で紛らわしいのでこれはやめておきましょう)

と言うことで前回と少々方針転換して、コレクション名は「公園町」とし、備考に「公園のはいる町名字名を集める」「コレクション名は町名の公園・町名の○○公園でも可」と付記する…と言う形ではいかがでしょうか?
[66917] 2008年 10月 4日(土)12:25:14【1】EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・号外
ここ2~3日またまた忙しく、レスが遅れてしまいました。

[66896] ニジェガロージェッツさん
[66898] 熊虎さん
[66899] じゃごたろさん

ニジェガロージェッツさん、フォローありがとうございます。
実情を書いてしまいますと、落書き帳上でのやりとりと比べれば数は少ないですが、地名コレクションに関連したやりとりをメールで行った場合はあります。
でも私から発信することはほとんどありませんでした。
たいていは頂いたメールに返信する形です。
「事務手続き的な話で、事前に打ち合わせしたい場合」「ファイルのやりとりを伴う場合」「落書き帳に書き込みをされたことがない方が情報提供されたい場合」が主力です。
実情を考えるとじゃごたろさんのおっしゃる通りですべてのメールでのやりとりを否定するものではありませんが、今回は議論的な中身」のもので結構込み入った状況になっているため、編集長的意見としては「とことんまで第3者の目にとまる形で進める」のが良いのではないかと思っています。
(議論の内容によってはメールの方が適当な場合もあるかもしれません。どこまでがどうかという線引きはできるものではなく、その場合に応じて、と言うことになりますが)
ご覧になっている皆様にはご理解ご協力をよろしくお願いします。
[66916] 2008年 10月 4日(土)11:59:39Issie さん
鹿児島県日向国諸県郡
[66884] じゃごたろ さん
これは県を別にしていますが、同じ宮崎県内でも北諸県郡・南諸県郡の北側に東諸県郡・西諸県郡があるという地勢になっています。

この辺りは,現在の宮崎県が一時期(1876~83年)鹿児島県に合併されていたこと,さらにさかのぼると藩政時代に“日向国”に属する 諸県郡 が薩摩藩(鹿児島藩)の支配を受けていたことがあって,いささか複雑なのですね。

紀伊国牟婁郡 の場合は,1878(明治11)年の郡区町村編制法よりも前に「和歌山県牟婁郡」と「三重県牟婁郡」とに分割されていて,郡区町村編制法でさらに郡を分割するに際して,和歌山県の中では東西に,三重県の中では南北にと,それぞれ独立して別個に分割したのでしょうね。それぞれの県の分だけを見れば,東・西,南・北という分け方は妥当であるように見えます。

日向国諸県郡 の場合,明治4(1871)年7月の廃藩置県後,同年11月の府県統合で大淀川以南の区域が 都城県 に,以北の区域が 美々津県 に属し,1873(明治6)年に都城・美々津両県が合併して 宮崎県(第1次) に,そして1876(明治9)年に宮崎県全域が 鹿児島県 に編入されました。
したがって,1878年の郡区町村編制法は,「鹿児島県日向国諸県郡」として迎えました。で,この時には全域が 鹿児島県 に属していたので,諸県郡は分割されず,都城 に郡役所が置かれました。
ところが,1883(明治16)年に日向国の領域を以て「宮崎県」が再び設置されることとなり,諸県郡もその大部分が再置される 宮崎県 に属することとなったのですが,その際に 志布志 を中心とする郡の南部だけが 鹿児島県 に残ることとなりました。
そこで,宮崎県に移管されることとなった区域を「北諸県郡」,鹿児島県に残る区域を「南諸県郡」とすることにしました。これは,「武蔵国葛飾郡」のうち埼玉県分が「北葛飾郡」,東京府分が「南葛飾郡」,「下総国葛飾郡」のうち千葉県分が「東葛飾郡」,埼玉県分が「中葛飾郡」,茨城県分が「西葛飾郡」となったのと同じような措置です。
(※おっ,今はない郡名ですが,「北葛飾郡」よりも北に「西葛飾郡」という例が出てきましたね。)
「北諸県郡」の郡役所は従来に引き続き 都城町 に置かれました。その後,宮崎県は翌1884(明治17)年に「北諸県郡」を3分割することにしました。既存の「北諸県郡」は 都城 に郡役所があります。それに対して新しく設置する2つの郡は 都城 から見ると“北”の方にあるのですが,2つの郡同士の位置関係から,小林 に郡役所を置く「西諸県郡」と,高岡(現宮崎市) に郡役所を置く「東諸県郡」という呼称となりました。

なお,「南諸県郡」は当初, 垂水郷 の大隅郡役所の管轄とされ,1880(明治13)年の鹿児島県による大隅地域の郡再編後は東噌唹郡とともに 岩川郷(現曾於市)の郡役所の管轄となりました。そして,郡制の施行によって両郡が統合されて「噌唹郡」となり,「南諸県郡」の名が消滅するとともに,元は 日向国 に属していた志布志周辺は完全に 大隅国 に属することになりました(それ以前に,南諸県郡が鹿児島県に残った段階で 大隅国 に編入されていたかもしれません)。

ま,そんな経緯があったのですね。

ところで,自治体名でも郡名でもないのですが,私は東急東横線に乗っていて「白楽駅」の1つ横浜寄りに「東白楽駅」があるというのが,何となく飲み込めません。東横線は基本的に渋谷から横浜へ向かって 南・西 の方向へ伸びている,という感覚があるからです。
でも,この区間に限ってはわずかに東に振れているのですね。確かに「白楽駅」よりも「東白楽駅」の方がわずかに東にあります。それよりもずっと南にあるのですが。
まあ,間違いではないわけだ。
[66915] 2008年 10月 4日(土)11:14:57k-ace さん
業務連絡
おはようございます。k-aceです。

グリグリ さん
市区町村雑学「江差町・枝幸町」ってどこにある?の「郡名との同音異字の自治体で同一都道府県内の例」の中に、鹿児島県の「指宿市・揖宿郡」が残っています(昨年12月の南九州市誕生で揖宿郡は消滅しているのですが)。「指宿市・揖宿郡」の削除、お願いします。
[66914] 2008年 10月 4日(土)10:06:09Hiro_as_Filler さん
羽生市
メンバー紹介の変更をしようとしたら、コードが認識されず。。。
過去の人になってしまったからなのでしょうか。。。(笑)

というわけでかなりのお久しぶりでございます。
公式HPコーナーの編集長を仰せつかっておりますHiro_as_Fillerです。

さて、羽生市の合併がらみの話が話題になっていますが、当初から1市3町の枠組みに入れてしまうと、どうしても羽生市の意向も同等に反映させる必要が出てきます。
しかし、羽生市側は、1市3町の意向に沿った合併をという形で、最大限の譲歩をしている以上、もし羽生市を加入させるのであれば、1市3町の協議がある程度固まった時点で合流させ、協議事項を追認させる方がスムーズと判断しているのではないでしょうか。
放置というより、状況を注視しつつ、是非も含め慎重にタイミングを計っているようにも思えます。
http://www.saitama-np.co.jp/news10/03/12p.html


また、[66912] 揖斐の山 さん
この羽生と幸手どちらが危機的財政状況何でしょうかね。
ですが、地方公共団体の財政の健全化に関する法律により今年から義務付けられました、健全化判断比率等の公表ページをリンクしておきます。
羽生市
http://www.city.hanyu.lg.jp/kurashi/madoguchi/zaisei/kenzenka/index.htm
幸手市(PDF)
http://www.city.satte.lg.jp/ka/soumu-bu/zaisei/oshirase/hiritu.pdf

実質公債費比率(一般会計等が負担する元利償還金などの標準財政規模に対する比率)は、幸手市が16.6%とイエローゾーンに近く(18%以上は起債許可制となる)なっていますが、将来負担比率(一般会計等が将来負担すべき実質的な負債の標準財政規模に対する比率)は羽生市の方が若干高率となっており、将来的な負債の残高は若干羽生市の方が多いのではないかと推察されます。
しかしながらどちらも早期健全化基準までは達しているわけではなく、近々に危機が起こるといった状況ではないと考えます。
[66913] 2008年 10月 4日(土)09:53:55白桃 さん
ようこそ YT さん
国勢調査以前の人口統計をみておりますと、いろいろな齟齬や悩ましいことがありますが、それがまた楽しいのかもしれません。
さっそく、「国勢調査以前の日本の人口統計」をお気に入りしました。今後ともよろしくお願いいたします。
[66912] 2008年 10月 4日(土)02:21:48山野[揖斐の山] さん
切り離し
[66910]熊虎 さん
羽生市を当初は切り離して
羽生を当初切り離して協議するとはいっても今回の合併(最初)では一見放置しているように見えるからと言う意味で
[66907]にて
羽生市は放置して
と書いた訳ですが、この羽生と幸手どちらが危機的財政状況何でしょうかね。
[66911] 2008年 10月 4日(土)02:05:44YT さん
始めまして
始めまして。こちらの掲示板に初めて書き込みむ者です。

私はwikipediaの方で、Orichalcumという名前で色々歴史上の人口に関する統計を蒐集しており、「歴史上の推定都市人口」「歴史上の推定地域人口」といった項目を作りました。最近になって速水融監修の『国勢調査以前日本人口統計集成』と一橋大学経済研究所がまとめた『明治徴発物件表集成』、江戸時代以前に関しては高橋梵仙の『日本人口史之研究』と関山直太郎の『近世日本の人口構造』を主たる出典として「近代以前の日本の人口統計」「国勢調査以前の日本の人口統計」という二つの項目を作りました。さらに明治・大正期の統計を集めるにあたり、こちらの過去ログを色々参考にしました。

ただ共武政表の数字をまとめるにあたり幾つか問題点があります。
(1) 明治11年、明治12年、明治13年の共武政表は、それぞれ翌年の1月1日付けでまとめたとされるが、一部の府県統計書(近代デジタルライブラリー所蔵のもの)ではその年の12月31日調として紹介しているものもある。
(2) 明治8年の共武政表は地域によって統計が異なり、明治5年、6年、7年、8年の本籍人口が明らかに混在している。
(3) 年度によって輻輳地の登録が異なるし、連接人口が表示されているケース、地区内人口しか示されていないケースなどが混在している。(wikipediaの方では鹿児島、徳島、富山、静岡、萩、高知、赤間関、小浜、水戸、島原などに関して恣意的に合計した数字を示しましたが、異論があるかも知れません。)

また明治17年(『国勢調査以前日本人口統計集成』所蔵)、明治19年(近代デジタルライブラリー所蔵)、明治31年以降5年毎(近代デジタルライブラリーと『国勢調査以前日本人口統計集成』所蔵)に関しては詳しい戸口表・人口表が残っているものの、
(1) 明治20,21年は(本籍人口が)1万人以上の都市人口しかまとまっていない。
(2) 明治22年から明治30年までは内務省告示による現住人口の速報値が「法令全書」収録の翌年の「各地方町村別現住人口表」に掲載されているものの、『国勢調査以前日本人口統計集成』所蔵の「日本帝国民籍戸口表」や「日本帝国人口統計」収録の現住人口と異なる。
などの問題があります。

皆さんの意見を伺いたいと思う次第です。

なお共武政表に関してはウェブ上でも情報に混乱があるようですが、クレス出版の『明治徴発物件表集成』に原本コピーの形で収録されているものは明治8年度版が第1回、明治11年度版、12年度版、13年度版が、それぞれ2回、3回、4回目となっており、明治16年に始まる徴発物件一覧表以降はしばらく都市人口の情報が載っていません。筑波大学村山先生のサイトのデータは、一部のワークシートにクレス出版のものとは異なるデータが集計されています(共武政表自体に異本がある可能性は否定できませんが)。
[66910] 2008年 10月 4日(土)00:19:04【1】BANDALGOM[熊虎] さん
合併3題
[66905]はやいち@大内裏さん
宮崎県小林市、高原町、野尻町はここへ来て公営病院の運営をめぐって協議が難航している模様です。
ありゃりゃりゃりゃ・・・。
全国ニュースでも流れた銚子市立病院の問題に代表されるように、地方の公立病院の経営環境が厳しくなっていますから、小林市としてもこの問題では譲れないのでしょうか。

何とか破談を回避してほしいと思いますが、鶴岡市と三川町、茂原市と長生郡6町は期日まで決めながら、江別市と新篠津村も大詰めの段階まで行きながら、一つ二つの問題で破談になっていますし、小林地区もそうなってしまうのでしょうか・・・。


[66907]揖斐の山さん
船橋市は合併についてアンケートを行っていた様で
リンクの記事には枠組みは出ていませんが、読売新聞では同じ調査の結果で枠組みについても出ていました。

希望の枠組みは
最多は「市川・船橋」(87件)がトップ。次いで「市川・浦安・船橋」(58件)、「市川・浦安」(21件)、「市川・浦安・松戸・船橋・鎌ヶ谷」(20件)と、枠外の浦安に人気が集中。研究4市(市川・松戸・船橋・鎌ケ谷)は19件にとどまった。
となっています。

まぁ、政令市になるには市川・浦安両市だけでは無理ですし、浦安市は財政力もあるので応じないでしょう。
それに、交通体系や経済圏を考えれば、現実的なのは市川・船橋・鎌ケ谷3市ではないかと思います。


編入合併でもと参加を求めている羽生市は放置して法定合併協を設置する見通し。
リンクの記事では「羽生市を当初は切り離して」となっていますね。
羽生市は後から参加を希望してきたので、1市3町の足並みを乱すことを考慮して、まずは1市3町で先行して協議し、羽生市は後で参加の是非を検討というところでしょう。

久喜市と菖蒲・栗橋・鷲宮3町が幸手市の申入れを拒否したり、南九州市(旧頴娃・知覧・川辺3町)が枕崎市の申入れを拒否したケースもあるので、ここも同様に羽生市の参加を永久に拒否する可能性もなくもないですが、後から受け入れる方向に進むことを期待したいものです。
羽生市はかつて行田市方面と法定協を設置し、市外局番も熊谷方面ですが、交通体系(東武伊勢崎線、国道122号・125号)は加須市・騎西町と一体なわけですから。

※誤字訂正
[66909] 2008年 10月 3日(金)22:43:20まつもとしろくま さん
地名コレクション 続き
多忙と体調不良等によりお返事が遅れましたことをお詫び致します。

[66659]EMM様
さて、まつもとしろくまさんのご提案は「町名の公園」ですが、他の「町名の○○~」シリーズのコレクションと見比べた時のことを考えると「町名の○○公園」の方が良いかな…と思われます。
なので、「町名の○○公園」でコレクション案に登録させて頂きたいと思いますが、よろしいでしょうか?
すいません、わざわざ「町名の公園」として提案させていただいたのは、以下の2点が気になったからです。
1.他の「町名の○○~」コレクションと違い、単に公園や公園町、公園通等の町名が多く、これらを不採用とするのはちょっともったいない、と感じた点。
2.「愛知県尾張旭市柏井町公園通」や「北海道河東郡音更町木野公園下町」など公園名としては存在せず、実質的に1と同様ではあるのに○○公園の形に当てはまっているものもたくさんあります。1を不採用とした場合、これらを採用とすると1との不公平感が生まれる、という点。

統一性を重視するとなると、「公園と付く町名をすべて採用」か「実際に○○公園として存在している町名を採用」が一番良いのではないのかと考えました。しかし、後者だと検証が難しく、(前述2のような例の)線引の問題等出てくるものと思われましたので「町名の公園」として提案させていただきました。(ですが、せっかく地名コレクションとしてまとめるので、機械的に公園と付く町名を集めるだけの前者の方法もちょっと…、という気もいたします。線引の問題に関しても、どのコレクションにも起こりうることですから、このコレクションだけが特別というわけでもないので、しっかりと調査をすればクリアできると思われます)

名称を「町名の○○公園」としたうえで、ただの公園や公園町等の町名を収録することは可能でしょうか? 私としてはこの形が一番理想的ですが、矛盾が生じているため容認できないということでしたら「○○公園」の形に当てはまる町名のみを収録という形で、コレクション案に入れていただければと思います。
[66908] 2008年 10月 3日(金)21:01:09【1】Issie さん
Re:「づ」で始まる地名
いやぁ,お久しぶり。
ここのところ,ひと月ばか,身辺が立て込んでいたりしたもので…。
そんなわけで,ひと月分さかのぼるのは面倒なので,最近の少し古い話題。

[66820] KEN さん
これらの「づ」で始まる地名は存在しないことが判明!!

この場合は主に“読み仮名”としての表記になるかと思いますが,[66822] 葵区さん のお答え通り,現代仮名遣いの下では「づ」で始まる読み仮名はあり得ません。
1946年に定められた「現代仮名づかい」(昭和21年内閣訓令第8号,同内閣告示第33号)によって 旧かなづかい(歴史的仮名遣い) において「ぢ」「づ」と表記していたものは“一部の例外”を除いて「じ」「ず」と表記することとされました(細則第三)。“一部の例外”とは,「二語の連合によつて生じた ぢ,づ」(ちかぢか:近々,はなぢ:鼻血 など),および「同音の連呼によつて生じた ぢ,づ」(ちぢむ:縮む,つづみ:鼓 など)の場合です。
したがって,「現代仮名づかい」においては,「ぢ」や「づ」で始まる単語の存在自体が許されません。1986年に改められた現行の「現代仮名遣い」(昭和61年内閣告示第1号)においても,この原則は踏襲されていますから,やはり「づ」で始まる単語はないのですね。
「を」で始まる単語が,(現代仮名遣いの下では)「助詞の“を”」を除いてあり得ないのと同様です。

[66822] 葵区 さん
地名くらいには残っていても良いように思うのですけどね

あるとすれば,漢字表記に対する“読み仮名”ではなくて,「むつ」や「マキノ」のように,仮名(ひらがな でも,カタカナ でも)による表記を「正式」としている場合(たとえば,漢字で書かない「づし」が正式な地名表記となっている場合)ですが,この場合も読み仮名をふる場合には(仮名で書いてあるから,読み仮名は不要でしょうが),「ず」と書かなければならないのではないかと思います。

高槻市の辻子は辻「つじ」が由来なので

[66841] むっくん さん
「図子(辻子)」

/ズシ/ と読む場合の旧かな表記は「づし」です。「図」は「ヅ:du」(呉音)であるからこそ漢音で「ト:to」と読めるのですね(本当は,このあたりの因果関係は逆ですが)。
ちなみ「つじ(辻)」の旧かな表記は,「みち(道,路)」に関係するから「‐ぢ」を使って「つぢ」とするのかと思いきや,現代仮名遣いと同じ「つじ」なのですね。
確か,「づし」と「つじ」は同根であったと思います。というより,「づし」の濁点が移動して「つじ」となったと言うべきか(このような単語の変化は,日本語に限らずまま見られることではあります)。“ものの本”には,まず平安京における「づし」の用法があって,ここから“十字路”ないし“交差点”という意味の「つじ」に転化した,というようなことが書いてあったような。

ところで,「逗子」の旧かな表記も,もちろん「づし」です。「逗」の音符である「豆」という字も,「図」と同じく呉音で「ヅ」と読むから漢音で「トウ」と読めるのですね。
そもそも,旧仮名づかい(歴史的仮名遣い)においては,漢字の音と固有の日本語(和語)とにかかわらず,/zu/ という音に対して「ず」と表記するよりも「づ」と表記する場合の方が圧倒的に多いものでした。語頭・語中・語末を問わず,「ず」と書く例の方が少なかったのです。
でも,現代仮名遣いにおいては「ずし」と書かなければなりません。「づし」と書いたら“間違い”です。
[66907] 2008年 10月 3日(金)18:06:13山野[揖斐の山] さん
アンケ/署名活動・他
(千葉県)
東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会を構成している自治体の内
船橋市は合併についてアンケートを行っていた様で結果はこちら
研究会の存在を知っている:52.1%
合併政令市に賛成:68%
合併政令市に反対:29.5%
(埼玉県)
加須市は合併協は1市3町の枠組みで推進決議案を可決した。
又、編入合併でもと参加を求めている羽生市は放置して法定合併協を設置する見通し。
一方、
鳩ヶ谷市は8日まで川口市との市町村合併の実現を目指し署名活動を強化中。
(長野県)
長野地区3市町村は昨日法定協を設置しました。
(福岡県)
11月に住民投票を予定している二丈町はどうも、町議会が微妙だ。
賛否両論、意見が割れていると言う事なので。(以前の時もこの町が原因か?)
でるでるさん、お願いします。
[66906] 2008年 10月 3日(金)17:58:13hmt さん
海を越える道-橋梁・堤防道路・海底トンネル(2) 外国
[66904]海を越える道(1)で、沖縄の「海中道路」を取り上げました。
「海中道路」の本場・アメリカ[29533]には長大路線があります。主として桁橋で、最長のものはフロリダ・シティからキーウエストまで島伝いに延々200km以上も続く海中道路。ニューオーリンズのポンチャートレイン湖横断道路(38km)は連続する桁橋として世界最長。ヴァージニア州のチェサピーク湾口横断道路(28km)も有名。ライト兄弟初飛行の地・キティーホーク[47496]も、海中道路の経路でした。

境界線に関連する固定連絡設備としてぜひ取り上げたいのが、シンガポール・マレーシア国境の連絡堤防です。
コーズウェイ と呼ばれるこの設備は、戦前のイギリス統治時代からのもので、鉄道も堤防を通って両国を直通します。
国境の海はジョホール水道又はジョホール海峡という名ですが、コーズウェイのために船は通れません。
ジョホール水道には送水管もあり、シンガポールはマレーシアから水道の原水を輸入しています。1942年に日本軍シンガポール攻撃の際にも、この水の手を断たれたことが、早期降伏に結びついたとか。

国境の固定連絡設備として最も有名な英仏海峡トンネル(鉄道)は、1994年の開通です。川崎重工業のトンネル掘削機 も使われました。

2000年にはデンマーク・スウェーデン国境エーレスン海峡の南端付近を結ぶ道路・鉄道併用設備が開通しています。
コペンハーゲン空港から中間の人工島へは海底トンネル。マルメ側は2階建橋梁で、今年5月に瀬戸大橋との姉妹橋提携。

この海峡は、バルト海から北海への出口で、昔はデンマーク王が海峡北端の最狭部に関所を設けて通行税を徴収していました。それがハムレットの舞台・クロンボー城です。
参考までに、デンマーク国内では、エーレスン海峡の2年前の1998年にシェラン島とフュン島とを結ぶグレートベルトリンクも開通しています。
フュン島とユトランド半島との間は、以前から海上架橋があり、スウェーデンとドイツがデンマークの島伝いに結ばれました。
北極圏では地続きなので「半島」ということになっているが、事実上は「島国」だったスカンディナヴィアへの道が開通。

近年の土木技術の発達により実現したものが多い長大な「海を越える道」の中で、長い歴史に驚かされるのがオランダの 締切大堤防(Afsluitdijk) です。
これは、北海沿岸の低地を荒波から防ぎ、干拓するため、ゾイデル海の一部を全長30kmの海中堤防で締切った大工事で、内側は淡水のアイセル湖となり、干拓地が広がっています。

締切大堤防の構造は、土台部分に生物の繁殖に配慮した天然岩を積み上げ、その上は、自転車・歩行者用道路もある高速道路になっています。
昨年5月に 建設75周年 を迎えたというのですから、1932年にこれを実現させたオランダ人の努力と技術力とには脱帽です。

1930年代といえば、1937年のゴールデンゲート橋も当時としては驚異の長大橋でした。
更に19世紀に遡った1883年に、マンハッタンとロングアイランドとの間の海を越える道-ブルックリン橋が完成しています。
鋼鉄のワイヤーを用いた吊橋という、現在に続く長大橋技術の原点で、しかも21世紀の現在でも現役の橋です。
ドイツ系移民のJohn Augustus Roeblingとその息子Washington、嫁Emilyの3人の努力が、この驚異の建造物を完成させました。
ブルックリンは、オランダ人植民地Breuckelenに由来するとのこと。「橋」と縁のある地名です。

「境界の海」の大物として、ヨーロッパとアジアを結ぶボスポラス海峡があります。
古代ペルシャのダリウス大王がB.C.511年に船橋で結んだという話も伝わっていますが、ここにスパン1074mの吊橋が完成したのが1973年。日本の融資により石川島播磨重工を中心として建設された第2ボスポラス橋は1988年完成。

ヨーロッパとアフリカを結ぶジブラルタル海峡のトンネルは調査段階。

おまけ
国内外の長大橋ランキング(形式別) すべてが海ではなく、川の架橋もあります。
土木学会のページから 日本と世界の長大橋構想
[66905] 2008年 10月 3日(金)05:58:58はやいち@大内裏 さん
調印
群馬県高崎市と吉井町は10/16に調印し、11月に臨時議会で関連議案を採決する予定です。

一方、11月28日に調印式を予定している宮崎県小林市、高原町、野尻町はここへ来て公営病院の運営をめぐって協議が難航している模様です。
[66904] 2008年 10月 2日(木)22:51:59【2】hmt さん
海を越える道-橋梁・堤防道路・海底トンネル(1) 日本
「海を越える道」について書いてみます。

海を越える道というと、オーナーグリグリさんの「海上架橋」[57062]があります。
最初に例示されているのは、海上をかすめたという感じの 房州大橋。道路の一部が海上を通過する場所を発見する面白さという観点でしょうか。

海上を通過する様子もさまざまです。陸が通りにくかった点は房州大橋と同じでも、はみ出した先が湾ではなく日本海そのものである親不知の北陸自動車道[57134]。まともに湾口を横切る真鶴道路の岩大橋[57156]。人工島に渡るための関西国際空港連絡橋(スカイゲートブリッジ)など。
[57062]は隅田川河口の埋立地を連絡する橋にも言及しており、境界線について のシリーズで海と陸との境界を考える契機になりました。

「海上架橋」は、最初は経県のオプション[57022]として取り上げられ、 書き込み が続いた後、[57151]で地名コレクションの方に誘導され、太白さん[60626]により準備中です。

今回は、海上をかすめたり、湾口・埋立地を連絡する短い橋とは少し異質の、普通には船が使われるような「海を隔てた地域」を結ぶ固定連絡設備の代表的なものを、取り上げてみます。

わが国において この種の固定連絡設備が建設された代表的なルートは、本州と四国とを連絡する3つの橋梁ルートですが、この他に、津軽海峡(鉄道トンネル)、関門海峡(単線並列の在来線・国道・新幹線の各トンネルと関門橋)、それに東京湾横断道路がよく知られています。
この6つのルートは県境でもあり、都道府県隣接数のまとめ[40541]にも記されています。

ここに6ルート以外で唯一の県境架橋として挙げられているのが岡村大橋。この7号橋を含む 安芸灘諸島連絡架橋 [47126] は、11月18日開通予定の 豊島大橋(3号橋、愛称は県の鳥にちなむアビ大橋)により、呉から愛媛県岡村島までの島伝い海上ルートが開通することになります。
その一部である大崎下島広域農道は安芸灘オレンジライン[46678]と呼ばれています。
島伝いに更に東に延長して西瀬戸自動車道(しまなみ海道)につなぐルートは構想段階。

【追記】
県境へのこだわりや、近年出現している長大橋の影で、つい書き落としてしまいましたが、架橋技術の上で一時代を画した「海を越える橋」として、西海橋と若戸大橋とを追加しておきます。

1955年 針尾瀬戸[18561]に架けられた 西海橋 は、当時世界第三位のアーチ橋でした。50年を経た現在、隣に新西海橋が作られています。

若戸大橋が完成したのは1962年9月。洞海湾の両側は(当時)若松市と戸畑市。北九州市発足 の少し前です。
1989年に2車線から4車線への拡幅工事(歩道廃止)をしましたが、更に沈埋トンネル工法による 新若戸道路 を工事中です。完成予定は2006年春から2年遅れる見通し。もうそれも過ぎていますね。

西海橋や若戸大橋によって培われた長大橋技術は、関門橋(1973)、南備讃瀬戸大橋(1988)、明石海峡大橋(1998)と記録を更新してゆきました。【追記終】

津軽海峡の公海の下を通る青函トンネルの場合は、海底の国有地[66873]として処理できない部分があり、自治体の海上境界問題の中では、やや特異な立場にあるものと思われます。閣議決定により特別な編入手続きが行なわれた[46750]のも、そのためでしょう。

一方、橋梁よりももっと陸続きに近い固定連絡設備として、連絡堤防があります。こちらは埋立地扱いかもしれません。

国内で代表的な連絡堤防は、沖縄県うるま市の平安座(へんざ)島と勝連半島との間 約5kmを結ぶ「海中道路」です。
これは、米軍が水陸両用車を使って、文字通り海中の干潟を通行した頃に由来する名とか。
島民悲願の道路建設は 1961年から具体化し、村人総出の石運びによる基礎作りも、台風被害により断念。
そこにガルフ石油の石油備蓄基地(現在は出光系の沖縄石油)建設計画が登場し、1971年「海中道路」開通。
【追記】全部土手の上かと思っていましたが、斜張橋 の部分があるのですね。地図

中海の大根島に通じる 大海崎堤防と森山堤防 は、2005年の合併前は、松江市・八束町・美保関町の境界にありました。
[66903] 2008年 10月 2日(木)21:23:58【1】般若堂そんぴん さん
……
[66902] 振子さん
いつまでも決まらずにグダグダ言う所には交付税の分配はおろか罰金を科せばいいのに。
「合併スレバ総テヨクナル」かのような思いこみの時期が終わった,というのもあるでしょう.様々な意見を持つ住民の住むそれぞれの市町村(の多く)がより良い方向を見いだそうとしても,相互の利害が相反する場合もあるでしょう.
十把一絡げに(最近,「いっぱひとからげ」という表現を見ました)「交付税の分配はおろか罰金を科せばいいのに」とは,まるで(以下自粛)

【タイトル訂正】
[66902] 2008年 10月 2日(木)21:09:03振子 さん
空白地?
いつまでも決まらずにグダグダ言う所には交付税の分配はおろか罰金を科せばいいのに。

>富山県の面積は、実は県が公表している半分ほどの広さで、県庁所在地の富山市は含まれない。また、山形県も実際は公表している3分の2の広さで、山形市は面積に含まれない。なぜこんなことになっているのだろうか。

●富山県の面積は公表の半分 全国各地で起きているおかしな事態
http://www.j-cast.com/2008/10/02027906.html
[66901] 2008年 10月 2日(木)02:07:15【1】山野[揖斐の山] さん
リエゾン?
[66900]はやいち@大内裏 さん
合併協HP名の「リエゾン」って一体何ですかね。
さて、波佐見(可決済み)・川棚は可決するとして、東彼杵はどうなるのだろうかねぇ。
(否決したので孤立するのか、住民が動くのか、それとも大村に行くのか?どっちだろう。)
[66900] 2008年 10月 1日(水)23:42:37【1】はやいち@大内裏 さん
リエゾン
留寿都村・喜茂別町合併協議会のホームページができました。

[66736] [66897]揖斐の山 さん
東彼杵、波佐見、川棚3町の合併協議会設置を求める住民発議にて東彼杵町議会は合併協設置を否決しました。

川棚町は昨日、東彼杵3町との合併を賛成多数で可決(合併対策調査特別委員会)し、
3日に臨時会を招集し、本会議でも可決する見通しだという
波佐見町は9/16に可決しています。

でるでるさん、お時間がありましたらメールのほうもご確認ください。


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