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[39999] 2005年 4月 18日(月)19:11:39トライランダー さん
村の無い県について
[39998] 清い26号 さん
いつかは日本から村が全滅するなんていうこともありますね
滝沢村は何故市にならないのでしょうかね?5万人を超えているのですが。何か理由があるのでしょうか?
読谷村や東海村も町にならないのが不思議です。
北中城村、中城村が合併して一気に「中城市」になる話も頓挫してしまいましたね・・・
[39998] 2005年 4月 18日(月)18:59:48清い26号 さん
村の無い県
[39993]
補足です。
これで全国で7県目です。
浜松市は2007年4月1日の政令指定都市移行を目指しているので、もし指定されると僅か2年足らずで村→政令指定都市ということになります。(新潟市の合併は3月21日なので2年を少し上回ります)
まだ正式決定では無いようですが、8番目が今年10月1日の長崎、9番目が来年1月10日の三重、10番目が福井で3月3日、11番目が3月20日で佐賀、栃木、山口です。
平成の大合併が始まったとき兵庫、香川の2県でしたが、2006年3月で13県になります。

[39995]
ほとんど村がなくなりますね。

他にも2006年3月現在で1村だけの県もたくさんになりますが、宮城の大衡村などは合併特例法期限内での合併を断念しているため、今後合併する可能性がまだありますね。
そうすると47都道府県の半数以上が村の無い県になる可能性がまだありますね。これをずっと合併をやると、いつかは日本から村が全滅するなんていうこともありますね。(合併を反対する村も有るからなかなか実現しないと思いますが)
[39997] 2005年 4月 18日(月)18:55:31優ちゃん さん
問8わかった!でもちがうかなぁ
飯田市かな!
[39996] 2005年 4月 18日(月)18:43:42がんす横丁まま さん
おもしろ広島弁を紹介します
はじめまして。サイトの固さに比べて、語らっておられるみなさんの地域・郷土愛の情熱に感激しました。はたまた、書き込みなさる紳士・淑女諸君の、他府県からのなぐりこみ的発言に、地元として発言しないのは、いかにも不甲斐なく、超多忙をも顧みず、つい、しばし一筆はしらせた次第。調べ魔では、人後に落ちなつわもの?です。愛する広島についてなら、なんでもござれ!広島生まれの広島育ちという、生き字引も、傍らに一人ほど控えておりまする。当年X歳。
[39995] 2005年 4月 18日(月)18:37:58優ちゃん さん
みなさん、こんばんは
グリグリさん、改めてガイドラインを読みました。あと、そろそろ会員登録したいと思います。

[39993]清い26号さん、
今日、浜松市への編入合併が官報に告示されました。これで静岡県内から村が正式に無くなります。(現在は龍山村のみ)
ほとんど村がなくなりますね。
[39994] 2005年 4月 18日(月)18:33:13ゆう さん
竹島問題の発端
[39990]花笠カセ鳥さん
六の竹島が省略されたのは
五、七、八が国勢調査の対象にならなかったのと同様の理由に拠るものと思います。
つまり、竹島を、GHQが占領下日本の行政権の及ばない範囲と定めたからでしょう。
[39993] 2005年 4月 18日(月)18:29:46清い26号 さん
村の無い県
今日、浜松市への編入合併が官報に告示されました。これで静岡県内から村が正式に無くなります。(現在は龍山村のみ)
[39992] 2005年 4月 18日(月)18:21:28牛山牛太郎 さん
桜が満開。
みなさま、おばんです。

そういえば。
しばらく前の「探偵ナイトスクープ」で、「福岡県小倉市」ってテロップが入ったのを見ました。
実在しない都市名が流れるときも、たまにありますね。
[39990] 2005年 4月 18日(月)17:53:14林檎侍[花笠カセ鳥] さん
昭和22年「臨時」国勢調査
沖縄、奄美大島の人口の話題で盛り上がっているので、
昭和22年の国勢調査について、官報ではどうなっているのか調べてみました。
この表の地域は、昭和二十二年臨時國勢調査規則第二條第一項の規定に依つて下記の地域を含まない。
一 朝鮮全域
二 台湾全域
三 樺太全域
四 北海道國後郡泊村、留夜別村
色丹郡色丹村
紗那郡紗那村
択捉郡留別村
蘂取郡蘂取村
得撫郡
新知郡
占守郡
花咲郡齒舞村の内水晶島、勇留島、秋勇留島、志発島、多樂島
五 東京都小笠原支廳管内全域
六 島根縣穏地郡五箇村の内竹島
七 鹿兒島縣大島郡(十島村の内硫黄島、竹島及び黒島を除く。)
八 沖繩縣全域
とありました。六の竹島が省略されたのは無人島だったからでしょうか。

とりあえず、この国勢調査の結果が掲載された日付を書き込みます。
22年12月24日掲載 秋田、山形、茨城、群馬、富山、石川、静岡、香川
22年12月26日掲載 福島、福井、岐阜、大阪、奈良、愛媛、宮崎
23年1月15日掲載 青森、岩手、神奈川、新潟、山梨、和歌山、徳島、高知、佐賀、熊本
23年1月29日掲載 長野、愛知、三重、滋賀、京都、兵庫、鳥取、島根、鹿児島
23年2月19日掲載 北海道、千葉、岡山、広島、山口、福岡、長崎、大分
23年3月24日掲載 宮城、栃木、埼玉、東京
でした。終戦後の混乱期であることを考えると12月中に結果が出ることは驚異的なことでしょう。
当時はコンピュータなどなく、すべて手作業で集計したのでしょうから。
一方、調査直前に台風被害のあった地域は、発表が大幅に遅れております。

…とまあこんな調子で、昭和25年以降の国勢調査についても、結果が官報に載った日付を書き込もうと思うのですが、いかがでしょうか?
[39989] 2005年 4月 18日(月)16:24:37白桃 さん
県まるごと忘れられる香川県
[39988]紫雲山さん
逆に言えば、香川県や大阪府などの山脈で県境になる府県、北海道や沖縄県の陸続きでない道県は間違えられにくい。はずです。が。
香川県なんかは、県まるごと、よく忘れられております。「こんぴらさん」、「さぬきうどん」、「三本松高校」とか全国的に有名なモノはたくさんあるのに…。
[39988] 2005年 4月 18日(月)15:40:10紫雲山 さん
県境
[39849] 白桃さん
ありがとうございます。う~ん・・・ここのページの管理してらっしゃる方々、お疲れ様です、って感じかな(ぉぃ)。

[39987] ひげねこさん
逆に言えば、香川県や大阪府などの山脈で県境になる府県、北海道や沖縄県の陸続きでない道県は間違えられにくい。はずです。が。
[39987] 2005年 4月 18日(月)14:20:23ひげねこ さん
○○って何県?
[39985] 稚拙さん
 正しくは茨城県取手市です
所在都道府県を間違えられやすい場所ってありますよね。
ちょっと集めてみました。

気仙沼(宮城県)→岩手県……三陸=岩手県のイメージが強いのか。
古河(茨城県)→栃木県?埼玉県?……東北本線沿線に茨城県があると思ってない人が多い。
熱海(静岡県)→神奈川県……観光協会にも神奈川県熱海市で手紙が来ます。
清里(山梨県)→長野県……ガイドブックも信州で扱うことが多い。
丹後半島(京都府)→兵庫県……京都には海がないと思っている人が多いらしい。
津和野(島根県)→山口県……萩や山口といっしょに紹介される。キャンペーンも合同。
大歩危・小歩危(徳島県)→高知県……土讃線沿線は高知県のイメージ。
吉野ヶ里(佐賀県)→福岡県……佐賀県東京観光事務所長がこぼしてました。
有田・伊万里(佐賀県)→長崎県……佐賀県東京観光事務所長がこぼしてました。

観光中心にまどめてみました。他にもたくさんありそうですね。
[39986] 2005年 4月 18日(月)13:35:29白桃 さん
返して私の青春、春爛漫
[39581]グリグリさん
問一 中野市
チカレター
[39985] 2005年 4月 18日(月)13:17:50稚拙 さん
正しくは茨城県取手市です
きょう午前11時25分のフジテレビの猫の番組で、(猫が)生まれたのは「千葉県取手市」などと言っていました。

フジテレビでもこんなことがあるんだ、と思いましたが、よくよく考えると県境の市町村がはたしてどこの県にあるのか、おぼつかないことが多いので、しかたがないのかなとも思います。

取手は文化放送のアイドル番組の公開録音に行ったことがあるくらいで遠い場所ですからね。
一番有名なのが関東鉄道のブレーキ故障の衝突死亡事故ですし。

テレビでこういうことがあったらここに書き込んでもいいですよね?
[39984] 2005年 4月 18日(月)13:17:35かすみ さん
週末はピンク色、そしてわが尼崎のこと、などなど
こんにちは。
この週末は天気に恵まれ、御坂の桃の花を堪能してきました。
ちょうど見頃になり、花鳥山周辺にはのんびりと花見をしたり
散策したり、写真に夢中な家族連れなどがいてました。
しかし驚いたのはこんな季節に積乱雲のような雲の姿が見え、
雷鳴が轟いたことです。びっくりしました。

諏訪湖で初めて「はくちょう号」に乗りました。
今はユスリカの羽化期で大繁殖でしたが人には危害を加えないから許せます。
(生態系にも必要な昆虫のようですし)

旧御坂町、旧石和町のカントリーサインは、R137で
残っていました。
そう言えば名神では東近江市になったそれぞれの市町の
サインもまだそのままの表示で健在でした。
湖南市は対応が早かったような気がしたのですが
そのうちいきなり代わってしまうのかな?

西宮市が尼崎市の人口を上回ったのですね。
西宮に住む知人は、教育機関が子供の増加に追いついていないのでは
ないかと心配しています。
実際はどうなのかはよくわからないのですが・・・。

工場地帯が減ってゆったりとしてきた尼崎市内の今の状態も気に入っています。
ただJR駅前の再開発はダイヤモンドシティを超える規模なだけに
市内商業地区の衰退が心配ですね。
尼崎第3発電所があった港湾地域は松下プラズマディスプレイ社の
新工場の稼動を始め、物作りの先進地域となることを狙っているようですが
どうなっていくのか、とても気になります。
[39983] 2005年 4月 18日(月)12:59:41ペーロケ[愛比売命] さん
来広
 そういえば,昨年「来広」してからよく聞く言葉に,「県北」というものがあります。きっと,芸北+備北のことでしょう。

[39913]みやこ♂さん
はい。忙しいんデス
 お疲れ様です。私も4月から全く新しい会社に入って右往左往しております。お互いがんばりましょう!!

[39942]むじながいりさん
 というわけで、経緯は町村制施行以前に遡ってしまうかと(汗)。
 立科町のくびれ,かなり前から細長い道路で南北につながっていたんですね。

[39960]森君さん
今治では、「愛媛県立今治東中学校」がありますが、新居浜にはありません。
 中学はあまり詳しくありませんが,高校では拙稿[10456]でも書きましたが,今治市は東南西北が揃っています。一方,新居浜は「北高」がありませんが,そのかわり新居浜商がありますね。
[39982] 2005年 4月 18日(月)12:43:26中島悟 さん
石高と人口の関係
[39973]kenさん
私の個人的興味は、江戸時代の藩の石高と、人口の相関なのですが。
(中略)
1万石=1000人、というあたり、証明できると面白いのですが。
米1石は茶碗1000杯にして1人分の1年間の消費量。
1万石なら1万人が養えて、そのうち2割が武士と町人。
さらにその半数が城下暮らし。
大雑把に言ってだいたいこんな感じなんでしょうか。(勿論、各藩で事情は違うでしょうが)
薩摩藩は農村暮らしの武士がかなり多かったという話を聞きます。
たぶん元々少なかったのではないでしょうか。そして佐賀藩も同様。
35万石、35万人の佐賀藩にしては佐賀市はやや小振りですね。
そしてこの2藩、一揆が大変少なかった藩でもあります。
[39981] 2005年 4月 18日(月)10:13:46U-4 さん
十番勝負(その4)
勤務中に突然わかってしまいました。

問一 安城市

この脱力感がたまらない、くせになりそう・・・
[39980] 2005年 4月 18日(月)08:44:04N-H さん
来○
皆さんから続々情報が集まりましたね。
それにしても予想以上に活字メディアでは「来○」という表現が使われているようです。
[39974] ken さん
要は全部あるってことかですかね?
ところがです。わが横浜では来横、とか「来浜」という表現は活字でも目にしたことはないような気がします。
ネットで検索してみると、「来横」でひっかかる文章もあるにはあるのですが、メディアの情報ではないようです。むしろ横手のことを指している文章のほうが目立ちました。
同様に「来浜」は浜松。
略語としては「東横線」や「京浜工業地帯」などのように様々に「横」も「浜」も使われるのですがね。
むしろ、カタカナの「ハマ」のほうが認知されていますね。
「ハマの○○」「ハマっ子」「ハマトラ」などの言い方はしますのでね。
ただこれも首都圏ではかなり通じるとは思いますが、全国的表現といえるかどうか。
[39979] 2005年 4月 18日(月)07:18:10【1】白桃 さん
奄美群島
[39958]229 さん
[39962]紅葉橋瑤知朗 さん
お二人がご指摘されたとおりのようです。鹿児島県の国勢調査人口推移のところで、
昭和22年と昭和25年は奄美群島を除く
とありますね。この2回については、奄美群島を含めた沖縄=未返還地域 が「沖縄」としてカウントされていたのですね。栃錦や若乃花が活躍していた頃、朝汐(潮)太郎の出身地の紹介は「鹿児島県名瀬市?出身」ではなく、単に「奄美大島出身」とされていました。それにしても、白桃の「在留米軍人口」とか「終戦後の沖縄に生まれた市」の話はまったく関係なかったですね。
ハズカシィー
[39978] 2005年 4月 18日(月)02:23:16【2】太白 さん
もうすぐ大台
久しぶり、というほどでもないですが「居住地」から帰国しました。(「来日」「訪日」とは言うのに、「帰日」とは言いませんね)

[39296] グリグリさん ほか
今朝の日経新聞朝刊付録「NIKKEIプラス1」に「地理族」なる記事が掲載されました。
1日遅れで読みました。
日経新聞にまで紹介されるとは、凄いですね…と思って、メディア掲載記録のページを見てみたら、過去に切手の関係で2回も掲載されているんですね。全体的に「都道府県市区町村」(ないし「都道府県のデータ」)の掲載が少ないのがやや意外ですが。

[39523] EMM さん
ご提案いただいた飛び地コレクションを地名コレクションのページに登録いたしました。
返信遅れましたが、ありがとうございました。ぼちぼち編集作業をはじめたいと思います。名称は「自治体の飛び地」で良いと思います。

#1:ふぁいんさん、トライランダーさん、KKさんの紹介文をリリースしました。
#2:多忙のため、キリ番企画は考えておりません! ひょっとしたら、どなたか企画されるかも知れないことを勝手に期待。
[39977] 2005年 4月 18日(月)02:18:50作々 さん
納得…。
[39957] 小松原ラガー さん
実は敷地内に住んでいました・・・
あ、そういうことでしたか…。
[39976] 2005年 4月 18日(月)02:16:43【2】作々 さん
鹿児島の人口について
お疲れ様です。

[39973] ken さん
ここにない、鹿児島は、4万人台の後半~5万人なんでしょうかね。
私が持っている本によると、明治12年時点の鹿児島の人口は20,171人となっております。
ここで言う鹿児島というのは、明治22年に鹿児島市となった部分(参考)にあたるかと思われます。
このときの鹿児島郡の人口が92,752人だそうです。これには後の西武田村、中郡宇村、伊敷村、吉野村、吉田村の部分が含まれるのでしょうか。
西南戦争が起こったのが明治10年。復興まで10年はかかったということなので、それにかかわる人口減もあるかもしれません。
因みに、明治22年時点の鹿児島市の人口が58,722人だそうです。

…いろいろ書いたり調べたりしてているうちに、「鹿児島」の範囲が何処に当たるのかちょっと混乱していたりして…。
[39975] 2005年 4月 18日(月)02:08:30まかいの さん
きぐうですね。
[39937]みやこ♂ さん
宇都宮へ来ることを「来宇」と書いて,「らいう」と読みます。さすが雷都!
私の地元、富士宮では「来宮」「帰宮」です。
なので、「来宇」とは思いもよらず、てっきり宇都宮も「来宮」「帰宮」だと思っていました。
でも「○宮」だとなんだか違う意味を連想してしまいますね。遷宮みたいで。
と思ったら、宮崎では利用されている様子。

[39944]半鳥人 さん
静岡県では、三年前、高校受験の入試制度が改革された際に、「全県一区」という言葉がよく使われました。(以前は学区の縛りが強くて、遠くの普通科高校は受験できませんでした)でも、それ以外では、「全県」という言葉はあまり聞いた事がない気がします。
そうですね。静岡ではあまり全県でのまとまりがないからかも・・・
それより、東部、中部、西部のくくりのほうが強いですよね。
その上、東伊豆の人々は静岡県民の意識がないですからねぇ。

県下というとどうも「県下○○店舗」といった販売店のCMを連想します。
[39974] 2005年 4月 18日(月)01:25:49ken さん
来○
[39973] 2005年 4月 18日(月)00:46:41ken さん
大変失礼いたしました
[39897] 両毛人 さん
[39896]kenさん
既に、ふぁいんさん[39685][39686]にてご投稿いただいています。
大変、失礼いたしました。

ふぁいんさん、両毛人さん、お騒がせしました。

[39936] ふぁいん さん
明治12(1879)年の主要都市の人口のデータなら持っていますので記載します。
(私が現在所有する最古の人口データとなります)

どうもありがとうございます。m(_ _)m

私の個人的興味は、江戸時代の藩の石高と、人口の相関なのですが。
12年でも、ずいぶん開港地の勢いが凄いですね。
19年よりも、和歌山が上位に来ているあたり、ちょっと、石高相関の絡みでは、興味深いです。
ここにない、鹿児島は、4万人台の後半~5万人なんでしょうかね。
私の持論としては、鹿児島は、福岡、熊本より、上位にいて欲しいのですが。
1万石=1000人、というあたり、証明できると面白いのですが。
結構、金沢を筆頭に、岡山、松江、福井、熊本、福岡、福山、津山、川越、大垣、長岡あたり、良い感じのところも多いのですが、
徳島は石高で考えると、四国最大の藩であったとはいえ、常にちょっと多い印象ですね。何か、維新後の要素で、徳島にプラスで出る事象はありましたかね?

赤間関を考慮に入れても、明治19年の萩のBest50入りは、現在の萩市を考えると、やはり凄いですね。

水戸藩は、常府でしたので、殿様は参勤交代がなく、ずっと江戸在住ですので、家臣団もそれに連関して、国許が少ない影響が出ているかもしれません。

どうもありがとうございました。

P.S.
名古屋から、転勤して来る時には、挨拶状に「在名中は一方ならぬお世話になり」と書きましたね。「在命中」じゃないですよ。「在名」

「来葉」も文章語としては使うと思います。
海外観光客の来葉促進になど
「来津」は大津と津と両方で使いますね。
「来岡」も洛陽市政府友好訪日団の来岡などに見えますね。

これも、リストアップしたいですね。
[39972] 2005年 4月 18日(月)00:27:30でるでる さん
一目千本桜と権現堂桜堤と蔵の街とラーメン
[39917]軒下提灯 さん
是非一度、一目千本桜を御覧においで下さいませ。これって、観光キャンペーンのつもりなんですが強引すぎて逆効果かな?(笑)。あさってあたり満開になりそうです。晴れるといいな。

手もとにある本に、船岡城址公園から白石川堤の桜並木を眺めた写真が載っているのですが、白石川の両岸に咲くこの桜並木が大河原まで続いているんですよね!いやーもう是非是非、一目千本桜を観に行きたいですぅ!

幸手権現堂桜堤は、およそ1kmに渡って続く桜並木(約1000本)と、桜並木がある堤の下に咲いている菜の花。この桜色と菜の花の黄色、そして川沿いの草木の緑色のコントラストが権現堂のアピールポイントかな。とても綺麗で素晴らしいのですよ!
[39928]なきら さん
権現堂の桜、ちゃんと見たことがありません(大汗)
あらら。。。(^^;;
軒下提灯さん、なきらさんも(もちろん皆さんも)、是非一度、幸手権現堂堤の桜も観に来てくださいね(^^)

ところで15日に、栃木市の街並みを散策してきました。蔵の街と呼ばれる栃木の街並みを、一度ゆっくりと観て歩きたいと思っておりまして、あらかじめ両毛人さんのHPJapan Regional Explorerにある地域文蔵の街栃木 ~かつての県都、いまに輝くを参考に計画を立てて、巴波川沿いや蔵の街大通りを、途中で見つけた和菓子店で買った桜餅をほおばりながら散策してきました。じゃがいも入り焼そばも食べたかったなぁ(笑)。その代わりと言っちゃあなんですが、ドクターペッパーを久々に飲みました(^^;それにしても、栃木駅の変貌振りには、正直驚きました。

その後、両毛線に乗って、佐野市の佐野駅北側に隣接する城山公園に桜のお花見に行ってきました。栃木駅と同様、佐野駅舎も新しくなったことは、両毛人さんのHPりょうもうWalker佐野の市街地を歩くに掲載されている写真で知ってはいたのですが、実際に見てみてビックリ!城山公園のある北側にも通路が出来たのは便利になったけど、栃木駅舎共々、あの旧駅舎には何とも言えない味わいがあったなぁと、ちょっとしみじみ。
城山公園の桜は、少し散り始めてはいましたけど、風が吹きぬけるたびに舞う桜の花びらが、とても綺麗でした。ただ、お花見中にあちらこちらから、マイクを使っての絶叫が・・・
[39952]みやこ♂ さん
今日は佐野市長選挙と市議会議員選挙の投票日です(でした)。
なるほど、そういうことだったのですね。
でも、佐野ラーメンも久々に味わえたことだし(まさに、花より団子)、楽しい一日でした。

#両毛人さん、HPに掲載されている地域文、今回の散策にとても参考になりました。どうもありがとうございました。
[39971] 2005年 4月 18日(月)00:09:01千本桜[軒下提灯] さん
Re:「2005年 春爛漫企画・全国の市十番勝負(第六回)」13
石川市と書こうとしたら、ガリレオガリレイが清水市と書けと言うのです。でも清水市は無くなりましたから島田市でイキマス!。余計なことを書いて済みません。

問一:島田市
[39970] 2005年 4月 18日(月)00:01:11EMM さん
EMMの地名コレクション編集メモ・第11号
[39814] 地名好きさん

どうやらほかに手を挙げられる方はいらっしゃらないようなので、愛比売命さん担当の地名コレクションの編集者を地名好きさんに変更いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。



>愛比売命さん

今回の作業により、愛比売命さんが担当されていた地名コレクションの引き継ぎがすべて終了しました。
編集者の欄から愛比売命さんのお名前がなくなってしまうのはちょっと寂しいものがありますが、いつの日か環境が整い地名コレクションの編集者にご復帰されることををお待ちしております。
今後とも多方面からのご支援ご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
[39969] 2005年 4月 17日(日)23:36:32【1】地名好き さん
「全*」
[39922]紅葉橋瑤知朗さん
他の都府県では「全*」という言葉を使っているのでしょうか。「全県」「全府」「全都」。都府県民ではないので、これらの言葉を余り聞いたことがないんですが…。
皆さんから色々な情報が集まっていて、私としても興味深いのですが、私からの情報を…

「満州分省地図 地名総覧」国土地学協会編によりますと、
「編纂項目」に「驛名索引は、全滿及び関東州の…」ですとか「全國市街地名一覧は全滿の市・街名を統一し…」など「全滿」という表記が出現します。
文字通り「満州全土」の事なのでしょうね。
[39968] 2005年 4月 17日(日)23:35:36wasi さん
らいこうらいこう!
「来○」の表現、やっぱり「らい」が音読みだけにあとに来る地名も音読みになるようで。
岡山では「来岡」で「らいこう」、高知では「来高」で「らいこう」でしたね。
たしか香川も「来香」「来高」どっちも「らいこう」ですな~
たぶん「来広」も「らいひろ」でなく「らいこう」じゃないかなと思ったりします。

近県で「らいこう」が連発されて大丈夫か?思ったりするが、問題なし。
wasiは岡山と高知を行ったり来たりしていた時期の記憶では、
各々の「らいこう」は各々のローカルニュースでしか聞かれませんから、はい。
[39967] 2005年 4月 17日(日)23:35:07【2】地名好き さん
「平野」コレクション、両筑平野の件
本日、飲みに出る前に、地元、浜松市立図書館に行って簡単ではありますが、調べてまいりました。
ただ今、酔っ払い中という事ですが(笑)

[39868]トライランダーさん
筑紫平野の件ですが、筑後地方は確かに筑後平野という呼び名が一般的ですね。
しかし、両筑平野や南筑平野という呼び方は現地ではあまり一般的ではありません。
そもそも、この地域ではあまり平野があるという意識が無いのではないでしょうか?

[39857]佐賀県さん
筑紫平野の階層構造については、[39855]中島悟さんの書き込みに同意します。
 この階層構造のもっと簡単なバージョンを[30288]で私が示しています。(両築平野の話はありませんが。)

[39855]中島悟さん
いや、実は微妙に違っています。両筑は筑紫平野全体の別名ではありません。
福岡県側のうち、久留米市街より北方だけを指します。

筑紫平野
 →福岡県側:筑後平野
    →北半:両筑平野
    →南半:南筑平野
 →佐賀県側:佐賀平野
    →東半:狭義の佐賀平野
    →西半:白石平野など
「両筑平野」に限らず、この地方を全般的にみると、

「筑紫平野」は「筑後平野」+「佐賀平野」でした。
「筑後平野」は筑後川中下流の福岡県内部分の総称
「佐賀平野」は(広義の意味で)筑後川下流右岸の佐賀県側との事です。

「佐賀平野(広義)」とは…、(狭義の意味での)牛津川以東(これも佐賀平野と呼ばれる)+南西部の「白石平野」です。

「筑後平野」は耳納(水縄)山地西方で二分されるようで、北側「両筑平野」+南側「南筑平野」のようです。
「両筑平野」は更に「北野平野」と「筑後川中流平野」に分けられるそうで…
このあたりは「平野コレクション」に後日反映させていただきますのでご確認くださいませ。
[39966] 2005年 4月 17日(日)23:31:35今川焼 さん
「最後の国道?」国道483号線が本日開通
本日、丹波市内の舞鶴若狭道春日I.Cから分岐して、氷上I.Cまでの6.9kmの区間で北近畿豊岡道が開通しました。現在ある国道1号~507号(欠番あり)までのうちこれは、483号(豊岡市ー丹波市春日町)にあたり、部分開通ですが、おそらく「最後の新規開通国道」になるのではないでしょうか。
この483号線、国道とはいうものの高規格幹線道路という、圏央道(468号)や能越道(470号)などと同じ実質的には高速道路と同じものです。この手の道路は、従来ですと道路公団などが一部工事を分担し、有料道路として供用されるところですが、一連の道路公団改革の流れのなかで採算性の悪い道路を巨額の赤字を抱える道路公団に運営させるのは問題があるということになったようで、無料供用ということになりました。
このように、一般国道のバイパスではなく独自の国道番号を持った、いわゆる地域高規格幹線道路の自動車専用道路部分が無料で供用されるというのは、珍しいのではないでしょうか。(ちょっと調べてみると北海道の国道450号線は、そうみたいです。部分的に無料というのは他にもあるかもしれませんが。)
これまでは、多額の税金を投入して造った有料の高規格幹線道路がガラガラなのに、一般国道の方が相変わらず渋滞しているというケースも散見されていただけに、利用者にとっても、また税金の有効利用という面からもこれはよいことだと思います。(もちろん野放図に高速道路をどんどんつくればよいということではありません)

ところで、今日さっそく、その春日I.C-氷上I.C間を走ってみました。まず周辺道路にある案内表示ですが、高速道路用の緑色のもので「北近畿豊岡道」とあり、「無料」の文字はありません。知らないドライバーは有料道路だと勘違いしそうです。道路に入るとほとんどが暫定の対面2車線で、制限速度は70km。このあたりは地方によくある高速道路と同じですが、違うのは道路脇に建っている「483」と書いた青色の「おにぎり」があること。
そうそう、それから春日I.C入口と氷上I.C出口にある行き先標識に「朝来」とありました。3月までなら和田山と表示されていたところですが、朝来というと朝来町のイメージがあり、まだ違和感を感じるところです。
[39965] 2005年 4月 17日(日)23:08:03【1】Issie さん
琉球政府の国勢調査
[39962] 紅葉橋瑤知朗 さん
昭和25(1950)~45(1970)年までは琉球独自で“国勢調査”を行なっていたようです。

参考までに,
琉球政府の行った国勢調査の集計値を掲載した琉球政府公報が,沖縄県公文書館のHP で閲覧することができます。

トップページ目次の「電子閲覧室」の項目から「琉球政府公報」のページに入って
「国勢調査」で検索をかけると,いくつかの記事がヒットします。
そのうち,

1952年告示 から
 1952年琉球政府告示第37号 「1950年国勢調査確定人口」1952年10月13日掲載)
1956年統計部告示 から
 1956年統計部告示第3号 「臨時国勢調査結果(確定人口)の市町村別人口及び世帯数(1955年12月1日現在)」(1956年7月20日掲載)
 1961年琉球政府告示第135号 「1960年国勢調査確定人口について」(1961年7月7日掲載)
1965年告示 から
 1965年琉球政府告示第369号 「1965年臨時国勢調査概人口について」(1965年11月30日掲載)
1971年告示から
 1971年琉球政府告示第143号 「昭和45年国勢調査の確定人口について」(1971年4月26日掲載)

が,それぞれ国勢調査の数値に関わる告示です。
pdfファイルなので閲覧するにはそのためのビューワーが必要です。ファイルサイズが大きいので,ナローバンドでは少し辛いかもしれません(うちが,そうなのだが)。

米軍統治下の沖縄では元号(昭和)は公文書から排除され,西暦で表記されました。
最後の1970年実施のものが「昭和45年」を冠しているのは,すでに「本土復帰」が決まり,国政参加選挙 = (日本の)国会議員選挙が行われるなど,本土“編入”作業が進んでいる中で行われたことを表わしていそうです。
実際,この国勢調査では「本土」と同じシステムによる「地方公共団体コード」が使用されています。上2桁は,もちろん 47 。

また,米軍統治下では「郡」という区画は使用されていなかったようで,「北部地区」(国頭)・「中部地区」(中頭)・「南部地区」(島尻) などと区分されています。
また1952年の告示では「市部」「郡部」に替えて「都市地区」「農村地区」という表現が用いられています。

「日本側資料」には 島尻郡 のまま,所属郡の変更が行われなかったはずの 伊平屋・伊是名両村は,1950年には「南部地区」に属しているものの,1955年以降は「北部地区」に含まれています。
これが復帰当初,両村が 国頭郡 の所属としてコード番号が与えられ,後に 島尻郡 の番号に変更されている背景であるように思います。

ただし,当然ながら「沖縄県」ではありません。1970年10月1日当時,「沖縄県」は存在しませんでしたから。
1972年5月15日の「本土復帰」によって初めて「沖縄県」が“復活”することになります。

ともかく,1965年実施分までは沖縄が日本に「返還」される確証はなく,むしろ一時期アメリカ合衆国は日本から切り離すことを目論んでいた節があるわけで,その点,末尾5の年の国勢調査の扱いが「本土」と微妙に違う辺りにも見えてきそうです。
[39964] 2005年 4月 17日(日)22:32:37いっちゃん さん
諸葛孔明???
[39948]右左府さん
ところで、逆に「これは秋田県だけ?」と思った言葉が一つ。「郡市」という言葉ですが、見ての通り「市と郡」。秋田県では平成の大合併以前の市町村図と見ると分かるように「市+郡」を一まとまりにするといった感覚がありました。(上に挙げた「県北」等の区分紹介にある「秋田河辺」等もこの類です。この「市+郡名」も秋田独特?)この秋田県の市と郡の事情に基づいた表現なら、他では使われていないのでは……と思ったのですが、どうでしょうか。
引用が長くなってしまいましたが、栃木県でも「郡市」は普通に使いますよ。
「芳賀郡市」「下都賀郡市」「那須郡市」などなど、宇都宮市と河内郡をまとめた「宇河地区」なんていうのもあります。
私なんか小山市に住んでいるにもかかわらず、ここは「下都賀郡小山市」だと感じる時がありますしね。
「安蘇郡市」は「佐野市」になっちゃって死語となってしまいました。

まぁ、過去ログを見てみると栃木県に限らず「郡市」は結構使われているみたいですね。
パソコンでも「ぐんし」と打ち込むと変換候補に「郡市」が出てきますし・・・。

・・・地理ネタ書き込むの久しぶりのような気がする・・・
[39963] 2005年 4月 17日(日)21:51:44【1】中島悟 さん
「青波」でなく「ブルーウェーブ」と書く見出しはあったか?
佐賀でも一応「来佐」という表現は時々見かけます。
でも
考えまするに「来○」というのは字数を削るための
新聞特有の表現なのではないでしょうか。

[39956]地球人さん
佐世保市は「来佐」と使います。
これでは区別できない・・・
[39962] 2005年 4月 17日(日)21:27:02紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
びみょう
[39936] 2005年 4月17日(日)14:36:41【2】 ふぁいんさん
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁ
[39946]16:56:14 白桃さん
沖縄県発表のものには在留米軍人口が加算されていなかったのでは?自治体数については、本落書き帳アーカイブスにある「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に関係あるのでは?
[39953] 20:01:59 229さん
奄美諸島が関係してくるのではないでしょうか?
[39958] 20:35:04 229さん
これら20市町村の人口も20万人


 うちの人口表、昭和25年の注釈には
昭和25年:沖縄県は12月1日現在人口。奄美諸島人口(216,110人)を含む。
 とあります。20人ほど違うようですが。
 また、昭和25(1950)~45(1970)年までは琉球独自で“国勢調査”を行なっていたようです。1950年のみ12月1日現在、それ以外は本土と同じく10月1日現在でした。

 北海道の国勢調査人口の参考資料 全国計
[39961] 2005年 4月 17日(日)21:03:54トライランダー さん
来〇
話題の来〇ですが、高知県では普通に来高と言いますね。福岡はあまり来福とは言わないように思います。
ちなみに久留米日日新聞(知っている人はいますかね?)では、来久という表記がたまに見られます。
[39960] 2005年 4月 17日(日)21:00:49森君 さん
今治対新居浜、どちらか上か(その2)
県立中学校について

今治では、「愛媛県立今治東中学校」がありますが、新居浜にはありません。
設置されたのは2003年4月1日で、新居浜市が別子山村を編入合併した日です。
[39959] 2005年 4月 17日(日)20:53:04Issie さん
おいしいシウマイ
[39956] 地球人 さん
「来長」ではなく「来崎」なのは、長野県(市)と区別したものか、都道府県の中でほかに「崎」を使うことが無いからなのかはわかりません。

長野では「来長」という表現があったように思います。

「崎陽軒」は横浜駅の駅弁で全国的に有名になりましたが,「崎陽」は長崎の別称として使われることがよくありますね。
長崎では「崎」の方が“代表字”として認識されているのではないでしょうか。

川崎は「川」が代表しそうですね。市章は「川」をデザインしたものだし。

[39955] 今川焼 さん
京都市に来ることを「入洛する」

「上洛」という表現もありますね。
「上京」「上洛」というのは,他地域との間に上下関係が意識されていて,対等な「来○」とは若干ニュアンスが違いそうです。
[39958] 2005年 4月 17日(日)20:35:04うるう[229] さん
沖縄続き
補足です。1953年12月25日に奄美群島の1市5町14村が本土復帰しています。
以下が復帰した市町村(カッコ内は米軍統治下での市町村の変化)です。

名瀬市(昭和21年7月1日名瀬町が市制)
古仁屋町
三方村
大和村
住用村
龍郷村
笠利村
西方村
宇検村
実久村
鎮西村
喜界町
早町村
亀津町
伊仙村
天城村
東天城村
和泊町
知名町(昭和21年9月1日知名村が町制)
与論村
(以上すべて鹿児島県大島郡)

自治体の数は問題になった20というのと同じですし、これら20市町村の人口も20万人あまりで
216,080人
と僅差であります。

また、1970年の国勢調査には、他の県は「長野県」「滋賀県」などと書いてあるのに対し、沖縄県に該当する地域は「沖縄」と『県』がついていませんでした。米軍統治下では「沖縄県」というのが置かれていたのではなく、あくまで「沖縄」という『日本の統治外であった南西諸島一帯』の地域の名称だったに過ぎなかったのではないでしょうか。そして上に述べた20の自治体が1950年に「沖縄」としてカウントされ、1953年に「沖縄」から「鹿児島県」へと復帰した…。

私は以上のように考えましたが、ふぁいんさん、白桃さんいかがでしょうか?
あくまで自分の推測ですので確たる証拠は持ち合わせておりませぬ。
うむぅ、気になる・・・。
[39957] 2005年 4月 17日(日)20:21:25小松原ラガー さん
実は敷地内に住んでいました・・・
[39949] 作々 さん
まさにラ・サールのすぐそばってところでしょうか。

というか、そこの寮に住んでいました。中1から高2まで学校の敷地内の寮で生活し、
高3は寮がなかったので、電停裏(現東谷山2丁目あたりか)で下宿生活を送っていました。

そうか。谷山塩屋町から小松原へは昭和56年に変わったのか。
ということは、正確に言うと私は谷山塩屋町には住んでいましたが、小松原2丁目には住んでいなかったことになります。
丁度、寮生活から下宿生活に移ったのがその年ですから。

なんせ20年以上前のことなので、自分でも記憶が曖昧だったのですが、これですっきりしました。
作々さん、有難う御座いました。
[39956] 2005年 4月 17日(日)20:20:22地球人 さん
来崎
こんばんは。地球人です。
お久しぶりです。
皆さん、お元気のようでうれしい限りです。

初めまして>お初の方々
長崎県出身&在住の地球人と申します。よろしくお願いします。

年度末・はじめ&合併&諸々でとても忙しい日々をすごしております。
ROMだけは続けておりました。

最近、話題の「全県、来○」ですが
長崎県では、全県、県下はよく聞きます。県下一円というのはあまり聞きません。
長崎県や長崎市に来られることは、「来崎」という表現がマスコミで多く使われます。
佐世保市は「来佐」と使います。

「来長」ではなく「来崎」なのは、長野県(市)と区別したものか、都道府県の中でほかに「崎」を使うことが無いからなのかはわかりません。

これからも、時間を見つけて参加していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

PS
4月のオフ会は難しいみたいですね。もし開催されれば、是非参加したいとは思っておりますが、果たして時間が取れるのかどうか・・・。
[39955] 2005年 4月 17日(日)20:12:06今川焼 さん
「来福」、「入洛」
福井([39941] EMM さん )や福岡、福島あたりと比べるとかなりマイナーですが、京都府の福知山市に来ることも「来福する」と言います。(参考:両丹用語辞典いちばん下の方)福知山市で発行されている両丹日日新聞あたりではよく使われているようです。

ところで、「来○する」という言い方と同じ意味で、「来」を使わない言い方をする都市というのは全国で2つだけなんでしょうか。
1つは、
東京に来るのなら「上京」。([39927] Issie さん)
もう1つが、京都市に来ることを「入洛する」と。まぁこれは、主に新聞で使われる書き方だと思いますが。
[39954] 2005年 4月 17日(日)20:04:57右左府 さん
十番勝負
問三:土浦市

第二ヒント(ケツメイシ)が効きました。共通解は分かっても、該当する市を探すのがちょいと面倒。「あの市」がすぐに思い浮かびましたが、「まだ」のようです。
……一切調べず自分の知識だけで十番勝負を解こうとしている時点で、私は無謀ですね(笑)。


[39950] miki さん
http://www.bgf.or.jp/andly/content/vol12_club.html
このページ、「地域密着情報満載」という言葉にひかれました。私は地理好きというより「地域好き(何だそれは)」なのかとたまに考えます。
そうそう、「来日」は「日本に来る」ですが、韓国語(朝鮮語)だと「來日」は「明日」という意味ですね。(関係ないか……。)

今日の秋田県は知事選挙と市町長選挙。開票速報の為に大河ドラマが7:30から既に始まっています。市長選挙は合併によるもの。町長選挙は羽後町と増田町で。
羽後町は県内でも早い時期から単独立町を宣言していましたが、その町長が県知事選出馬という事に。県知事として期待する声もあれば、町の自立を宣言しておいて辞職は無責任ではとの声も。増田町は本当に大変でしたね。前町長が辞職した頃には精神面の負担も大きかったんでしょう、入院するという事態に。町長という職の重さを感じました。
市長選挙は合併で誕生した6市の内5市で実施。男鹿市は無投票でした。個人的に気になるのは北秋田市。病院問題、広く捉えると福祉関連が票の分け目になるかなと。病院統合問題で合併協議が一時期炸裂しましたし。
県知事選挙、私は現職(寺田知事)が落選すれば……などと考えています。県内の合併に必要以上に介入してきた知事を正直良くは思っていませんでしたし。ただ、見ている限りだと現職が再選する模様です。
……以上、政治を何も知らない子供からの選挙情報でした(笑)。全く以ってトンチンカンな内容。
[39953] 2005年 4月 17日(日)20:01:59うるう[229] さん
沖縄
[39936]ふぁいんさん
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
[39946]白桃さん
人口について考えられるのは、沖縄県発表のものには在留米軍人口が加算されていなかったのでは?自治体数については、本落書き帳アーカイブスにある「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に関係あるのでは?、と、根拠の無い理由を探しております。

奄美諸島が関係してくるのではないでしょうか?1950年の国勢調査の鹿児島県のところを見ると大島郡には十島村しかありません。1953年の本土復帰までは鹿児島県下の市町村としてカウントされていないのではないかと思います。
ただ、これらの地域が沖縄県であったかというとそれは違うような気がしますが・・・。
[39952] 2005年 4月 17日(日)19:10:36みやこ♂ さん
今日は佐野市長選挙と市議会議員選挙の投票日です(でした)。またまた文とは関係なし・・・
[39942] 2005 年 4 月 17 日 (日) 15:42:19【2】 むじながいり さん
道路一本でつながっているといえば栃木市のここなんて一体どんな由来なんだろうか。
「出流山満願寺」でしょうか,カギは。あの奥のあたりの山は満願寺さんの山林だと聞いたことがあります。
かつて「出流地区」は,明治22年に寺尾村の大字となるまで「出流村」だったわけですが,住んでいる人といえばお寺関係と門前のお店関係だけだったようです。で,この出流地区と新・佐野市仙波地区(旧・葛生町)とは交流が盛んで,親戚関係にある家も多く,雰囲気としては旧出流地区は旧葛生町(明治22年当時)で出発してもよかったくらいなんですが,きっと満願寺が「寺尾村につく」とでも言ったのでしょうねぇ。それであんなふうな飛び地ができて,結果的に道だけの領域になった,と(みやこ♂の妄想ですけど)。出流川沿いの道は「お寺の参道」ということでネ。地図リンク
中世のころ出流は佐野庄で,寺尾も佐野庄だったようですが,郡の割り振りでは両方とも都賀郡です(そうそう,葛生も都賀郡でしたね)。

[39947] 2005 年 4 月 17 日 (日) 17:03:48【1】 あんどれ さん
「全国」のほうはその範囲内である日本国内では「確定した範囲」を指すことが明白ですが、
ええと実は「水戸黄門の諸“国”漫遊」みたいに,わたくしは「全国」の“国”は「旧国」のことだと思ってました・・・。つまり(1)か,と・・・。
[39951] 2005年 4月 17日(日)18:51:58般若堂そんぴん さん
訪米
懐かしい話題でつい……
[11564]を御参照下さい.他にも掲示板で「米沢を訪れること」の意味で「訪米」という言葉を用いている例がありました.

(ぼやき)
「愛国無罪」という言葉と「それを叫ぶ彼等の主張の少なくとも一部」は矛盾すると思えます……
[39950] 2005年 4月 17日(日)17:36:22【1】miki さん
「来能」&「来広」
[39948]右左府さん
http://www.shirakami.or.jp/~minoru/no1/no1-4-02.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~s41/03122800.html
http://www10.plala.or.jp/j-therapy/sub04.htm
http://www.bgf.or.jp/andly/content/vol12_club.html
...かなりヒットしますね。
能代ローカルのようですが。
[39939]笠津前浜さん
「来広」
読み方ですか?多分「らいひろ」だと思います。
※タイトルを訂正、「来広」に関するレスを追加
[39949] 2005年 4月 17日(日)17:33:17作々 さん
小松原
[39577] 小松原ラガー さん
既に埋め立てられたあとで木材団地とかもしっかりできていました。
で、学校の先生から昔はこの辺りはこうだったんだ、と、埋め立て前の海岸線の写真を見せてもらったことがありますが、
自然がいっぱいでちょっと羨ましかったです。
あらららら。それは残念!
で、住居表示ですが、私がいたころはまだ小松原ではなく、谷山塩屋町でした。
上福元町の一部が小松原一丁目になったのが昭和54年、谷山塩屋町の一部が二丁目になったのが2年後の昭和56年のことだそうです。
当時の住所は谷山塩屋町990番地、今で言うと小松原2丁目10番1号です。
まさにラ・サールのすぐそばってところでしょうか。
[39948] 2005年 4月 17日(日)17:19:59右左府 さん
全県・県下&来能
秋田県の「全県」事情も提供を。相変わらず長くなりますが――。

「全県」はよく使いますね。友人との会話でよくある用例としては、部活動などでの「全県優勝」「全県二位」などがまず思い浮かびます。「全県大会」「県大会」はどちらか……と言われるとはっきり言えません。どちらも使うような、どちらか一方だったような。ではここで私の周りの中高生の会話の一例を――

A「バスケ部の全県総体、結果どうだったっけ。」
B「優勝だってさ。すごいよな~、全県でだし。」
A「オレはテニス部県北二位止まりだったしなあ…。やっぱバスケ部強すぎだよ。」
   :

何とも不自然な会話。「全県」を「全県大会」という意味で使う場合もあるかな?まあおおよそ中高生ではこんな使用状況です。やはりこの世代では大会関連での用例が多くなりますが、それ以外でも色々使いますよ。あと、上にある様に秋田県では「県北(けんぽく)」「県央」「県南」の三つに地域区分される事が多いですが、この3地域区分に対して「全県」と言う、といった感じもします。
(県北:能代山本・大館北秋・鹿角 県央:男鹿南秋・秋田河辺・本荘由利 県南:大曲仙北・横手平鹿・湯沢雄勝 といった区分や、小選挙区に当てはめる場合もたまにある…かも。でも「秋田河辺」なんてもう言わない状況ですね。)

あと、今回の高校入試から秋田県は学区が完全に撤廃されたのですが、その際「全県一学区」といった表現もありました。
やはり、中高生に限らず秋田県では「全県」は一般的な表現として日常的に多用されます。

[39941] EMM さん
皆さんのところでは「県下」「県下一円」というのは使われてますか?
「県下」は使われることがあります。「県下一円」は聞いた事がないですね。ただ、「県下」の用法も、能代市にある二つの店がそれぞれオープンした頃の宣伝文句に、「県下最大規模」「県下最大級の品揃え」とあった位ですかね。
こちらの気象情報では、「全県」の他には「県内全域」という表現が使われています。

「来○」シリーズでは、能代に来る事を「来能」と言います。ただ、やはりこれは新聞等で使われている程度。会話では使った事がありません。「秋田県に来る」に相当する表現は無いですね。「来秋」……「来年の秋」「来週」「来襲」と勘違いの可能性大。

ところで、逆に「これは秋田県だけ?」と思った言葉が一つ。「郡市」という言葉ですが、見ての通り「市と郡」。秋田県では平成の大合併以前の市町村図と見ると分かるように「市+郡」を一まとまりにするといった感覚がありました。(上に挙げた「県北」等の区分紹介にある「秋田河辺」等もこの類です。この「市+郡名」も秋田独特?)この秋田県の市と郡の事情に基づいた表現なら、他では使われていないのでは……と思ったのですが、どうでしょうか。
[39947] 2005年 4月 17日(日)17:03:48【1】実那川蒼[あんどれ] さん
全○、来○する、帰○する
私の住んでいる滋賀県草津市では「来草(らいそう)」という用法が市発行の広報誌に載っていたと思います。隣の栗東市にあるJRA栗東トレーニングセンターに帰ることを「帰栗(きりつ)する」と表現していたのを、競馬雑誌で見た記憶があります。

[39924](両毛人さん)
「全府」は掲載がありませんでした。
京都府のマスコミである京都新聞、KBS京都でも「全府」という表現は見たことがないので、おそらく使われていないと思われます。京都府と大阪府は隣接しており、相互の行き来も多いですから、「全府」という言葉を使うと京都府のことを指すのか大阪府のことを指すのか分からなくなるのが最大の問題だからでしょう。最も、京都府庁や大阪府庁では「自分の府」のことを指すのが明白ですから、「全府」が使われている可能性は否定できません。

[39925](N-Hさん)
確かに「来日」という言葉があるので、これの日本をあらわす「日」のごとく、都市名に置き換えた言い方もあるのでしょうね。
「日本に帰る」ことは「帰日」と言うこともありますが、単に「帰国」(あるいは「日本に帰国」)と言うのが一番多いでしょう。「帰朝」という言い方もあります。この「朝」は「朝廷」のことを表していると思われますが、現在では朝廷関係に限らず、日本人が日本に帰る表現として広く使われます。(goo辞書の検索結果)さて、アメリカ人がアメリカに帰ることは「帰米」と言いますが、北朝鮮の人が北朝鮮に帰ることを「帰朝」と言ったら、先ほどの「帰朝」と衝突してしまいますね。

[39928](なきらさん)
全県には、[39924]両毛人さん
>>(1)すべての県 (2)その県全体
の2つの意味がありますが、全国は(2)の方しかないのですね。
(あんどれ注・両毛人さんの発言に引用符>>を付加しています)
「すべての国」のことを指す場合は「世界各国」と言うのが一般的ですね。もっとも、「全国」のほうはその範囲内である日本国内では「確定した範囲」を指すことが明白ですが、「世界各国」のほうは政治的な問題で「不確定な範囲」しか指すことができません。(台湾とか、北キプロスとか、サハラ・アラブとか…)そもそも、国でないところを含めて「世界各国」ということはできませんから、この場合は「全世界」とか「全地球」ということになります。人間にとって「世界」も「地球」も唯一ですから、「全」は必然的に(2)のほうしか指さないことになります。

[39941](EMMさん)
さらについでとして富山、福井で同様の用語が使われているかも調べてみたものの、やはり関係ない言葉(福来たるの「来福」、富来たるの「来富」があまりに多すぎて…)に邪魔されよく分からない。
「する」をつけた形の「来福する」「来富する」では、かなり高い割合で「(地名)に来る」の意味の言葉を見つけることが可能です。もっとも、「来福する」は「福岡に来る」「福島に来る」「福井に来る」のどの意味でも使いますので、「福井に来る」の意味で検索する場合は「来福する 福井」のようにand検索を用いる必要があります。
[39946] 2005年 4月 17日(日)16:56:14白桃 さん
大深衝撃ハ成田無頼安以来ノ三冠馬カ?
[39936]ふぁいんさん
残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
とても不思議に感じております。
白桃さんは、このことにお気づきだったでしょうか?
恥ずかしながら、まったく気が付いてなかったデス。「齟齬が生じないよう慎重に入力」とはとても言い難いです。(笑)
人口について考えられるのは、沖縄県発表のものには在留米軍人口が加算されていなかったのでは?自治体数については、本落書き帳アーカイブスにある「終戦後の沖縄に生まれた市とは?」に関係あるのでは?、と、根拠の無い理由を探しております。しかし、まったく不思議です。

#タイトルと内容はまったく関係ありません。
[39945] 2005年 4月 17日(日)16:41:00作々 さん
来々県
お疲れ様です。

鹿児島では結構一般的に「来鹿(らいか)」「帰鹿(きか)」使いますねぇ。

[39926] 両毛人 さん
来仙
川内に行くことを「来川」と書いてあるのを見たことがありますが、余り一般的ではないかも(ただ目にすることが少ないだけ?)。多分川崎とかのほうが規模とかの面でも目にする機械は多いかもしれません。

[39922] 紅葉橋瑤知朗 さん
全県
私がまず思い出したのは、鹿児島の進学塾れている(今も?)「全県統一模試」ってやつでした。どうもこのイメージが強すぎるのか、他には余り思いあたりませんねぇ。

[39941] EMM さん
県下
鹿児島では「鹿児島県下一周駅伝」ってのがあります。今年は残念ながら事故があり、途中中止になってしまったようですが…。

こう考えてみると、普段はどう表現していたんだかなぁ、という感じです。
「県全土」とかなのかなぁ…。
[39944] 2005年 4月 17日(日)16:09:10半鳥人 さん
いろいろと・・・
[39852] 稲生さん
沼津市と推測しました。
その通りです。ここまで推測していただけると、本当にうれしいです。普通のチャットなんかだと
「沼津ってどこ?九州?」
なんて普通に聞かれちゃいますから。

静岡県では、三年前、高校受験の入試制度が改革された際に、「全県一区」という言葉がよく使われました。(以前は学区の縛りが強くて、遠くの普通科高校は受験できませんでした)でも、それ以外では、「全県」という言葉はあまり聞いた事がない気がします。

あと、明治初期の都市人口、実は非常に知りたかったので、助かっています。ありがとうございます。
[39943] 2005年 4月 17日(日)15:42:19南行 さん
道州制について(私案)
はじめまして。
「南行」と申します。
お邪魔させていただきますのでよろしくお願いします。

道州制について、私が考えていたことを述べさせていただきます。
(あくまで私見ですのでご了承下さい)
市町村合併が進む中、現在の県の規模では上部組織として中途半端ということで、道州制の導入が
自然な流れとなります。

北海道、九州、また東北州(六県)、四国州、といったところは現在の地方区分の通りで
比較的異議なく決まると思いますが、本州中部、特に関東周辺については色々議論が分かれるところではないかと思います。
というのも東京の影響が余りに大きく、その商圏生活圏は広くは関東地方はもとより山梨県、静岡県伊豆地方、長野県佐久地方などまで及ぶと考えられます。
それらを東京を中心としたひとつの関東州とくくると確かにまとまりとしてはいいのですが、全人口の3分の1以上を占め、他州にくらべ圧倒的に突出した巨大州となってしまいます。

そこでそれを解消する一案として、私が考えるのが次の3州+首都特別地域に分ける案です。

1、南関東州
  現在の神奈川県、山梨県全域、東京都多摩地区(23区以外)、静岡県伊豆地方(富士川以東)。
  州都は全域からの交通の利便上、町田市とする。人口約1,300万人。

2、東関東州
  現在の千葉県全域、茨城県ほぼ全域(一部古河市周辺を除く)。州都はやはり交通の利便性から
  柏市とする。(補足、こうした場合現在の千葉市とアクセス向上のため、現在の東武野田線、新京成線、京成千葉線とが直通運転できるようにする)人口約900万人

3、北関東州
  現在の埼玉県、群馬県、栃木県各全域+茨城県古河市地方。州都はさいたま市(旧大宮)とする。  人口約1,100万人。

4、首都特別地域
  現在の東京23区。行政機能は現在の都庁が継承する。人口約800万人。

以上です。いかがでしょう。
  
[39942] 2005年 4月 17日(日)15:42:19【2】むじながいり さん
立科町
[39936] ふぁいん さん
旧3村はどんな形をしていたのでしょうかね・・・
昭和初期の地図をみて、フリーハンドで大雑把ですがこんなかんじです。一応境界変更とかほとんどされていないならば、旧横鳥村=大字牛鹿・宇山・山部、旧三都和村=大字桐原・藤沢・塩沢、旧芦田村=大字芦田・芦田八ヶ野、望月町からの編入=大字茂田井です。昭和初期地図との比較ではほぼ一致するとみてよさそうです。というわけで、経緯は町村制施行以前に遡ってしまうかと(汗)。

道路一本でつながっているといえば栃木市のここなんて一体どんな由来なんだろうか。
[39941] 2005年 4月 17日(日)15:41:29EMM さん
♪来々来々猫飯店
またわかる人にしかわからないタイトル…

新聞などでは金沢に来ることを「来沢」と書かれることがあります。
読みは「らいたく」。
でもやっぱり話し言葉としてはほとんど聞くことがありません。
また、金沢から帰ることを表した言葉は見ないような…
「帰沢」では「帰宅」みたいだし。

新潟では何かあっただろうか、と思い新潟日報HPに行ってみたものの、試しに「来潟」「来新」で検索したものの出てこない。
次にYahoo!で検索してみると、新潟に来ることの表現として「来潟」「来新」が使われることが多少はあるようでした。
ただし「来新」は全然関係ない言葉の方が多く引っかかってくるため、新潟に関するものがどれくらいなのかがよく分かりません。
(来新では新見市関係も引っかかっていたような。)
さらについでとして富山、福井で同様の用語が使われているかも調べてみたものの、やはり関係ない言葉(福来たるの「来福」、富来たるの「来富」があまりに多すぎて…)に邪魔されよく分からない。

この「来○」という表現、多用される町って意外と限られるのかもしれません。



#石川でも「全県」という表現はされますが、テレビの天気予報ではそのほかに「県下一円」という表現も良く聞きます。
[39922]紅葉橋瑤知朗さんの疑問に対する皆さんのレスを見ていて、これって「校下」と同じ方言だったりしないよなぁ、とふと考えてしまいました。
ATOKには登録されてたので方言ではない、と思うのですが…
皆さんのところでは「県下」「県下一円」というのは使われてますか?

##「校下」は「通学区域」のことを指す石川・富山の方言。
ただし、地元ではこれが方言だと言うことをしらない人の方がおおい。
落書き帳を記事検索してみると、通学区域としての「校下」というのを使用しているのは私、グリグリさん、だんなさん、ありがたきさん、三丁目さんと見事に金沢関係者ばっかり。
[39940] 2005年 4月 17日(日)15:40:30ひげねこ さん
組合村
[39916] Issieさん
「つくし」と「ちくし」の詳しい解説、ありがとうございます。

ところで話は変わりますが、私が卒論(地方鉄道史)で白棚鉄道を調べていた時、明治大正期に「組合村」というのが出てきました。これは独立した各村が、ひとつの役場(事務部門とでもいうのでしょうか)を共有するという形なのでしょうか。そうだとすれば、現代でも合併して新しい市町村を作るというやり方以外に、事務部門だけを統合した「組合町村」という形もあっていいのでは、と思ったりします。
というのも、私は某ライオンズクラブに所属しているのですが、各地区で複数のライオンズクラブの事務局を統合して経費の合理化を図ろうという動きが出ております。それと同じように、首長および議会は各村にあり、事務部門は行政センター的なもの一箇所にまとめる(もちろん住民票などのため、出先機関は合併でも残りますよね)のです。こうすれば、市町村名で対立したり、水道料金の格差などで合併が破談になったりすることなく(合併でないから市町村名はそのまま残り、格差があっても統一せず、事務部門だけ統合する)広域行政が一体化できる可能性があるのでは、と思ってます。
ただ、私のいるライオンズクラブはもともと事務局を持たず、幹事が兼任するという体制なので、事務局統合には参加せず、矢祭町や栄村、白川村のように独立独歩を貫くようですが。

地方行政には疎いのですが、明治の市町村制発足当時、戸長役場のエリア>村のエリア だったのでしょうか。一見すると、ひとつの戸長役場のエリアの村をまとめて組合村を作ったみたいにも見えます。組合村自体も、その後合併してひとつの村になったケースと、分裂してそれぞれが単独の村になったケースがありますね。

アーカイブズを探してみたのですが、組合村について書かれたものが見つけられなかったので、書き込みいたしました。

なお、鉄道史が大好きで私の卒論が読みたいという奇特な方がいらっしゃいましたら、ほぼそのまま福島県棚倉町史第一巻の「白棚鉄道の敷設」に使われています。
[39939] 2005年 4月 17日(日)15:33:06笠津前浜 さん
RE:「来広」とバリエーション
あら、ちょうど書き込みが

[39938] 2005 年 4 月 17 日 (日) 15:20:17 miki さん
そういえば「広島に来る」という事を「来広」と表現していますよ。
[39930]Issieさんのレスどおり「新聞ならではの表現」ですが。
「らいひろ」なのか「らいこう」なのか、どっちなんでしょね(^^;mikiさんはどのように読まれますか?
[39938] 2005年 4月 17日(日)15:20:17miki さん
「来広」とバリエーション
[39925]N-Hさん
[39926]両毛人さん
「帰阪」「来仙」
そういえば「広島に来る」という事を「来広」と表現していますよ。
[39930]Issieさんのレスどおり「新聞ならではの表現」ですが。

[39937]みやこ♂ さん
栃木に帰るなら「帰栃(きれい)」ですが、さくら市に来るなら「来桜(らいおう)」!?
[39937] 2005年 4月 17日(日)15:02:11みやこ♂ さん
色々来る話。
宇都宮へ来ることを「来宇」と書いて,「らいう」と読みます。さすが雷都!
また,日+光=晃 で,「来晃」といえば日光へ来ることをいいます。読みは「らいこう」。文字を知らないとピンと来ませんネ。
[39936] 2005年 4月 17日(日)14:36:41【2】ふぁいん さん
昭和25(1950)年沖縄県人口の謎&明治12(1879)年主要都市人口について
[39935] 白桃 さん

沖縄県がHPで発表している市町村別の国勢調査人口を齟齬が生じないように慎重に入力しております。
ただし、1947年はありません。
ただ、占領時下に沖縄でも国勢調査は行われていたのですかね?
記録があるから、間違いではないと思いますが・・・

やはりそうですか。私も沖縄県のHPを参考にしてデータを作成しています。
しかし、沖縄県発表の昭和25(1950)年のデータがどうもしっくりいかないのです。
各年代・国勢調査報告第1巻の付表2 都道府県の市区町村の推移によれば、

昭和25年の沖縄県
市区町村数:86
市数:6
町数:12
村数:68
県人口:914,907人
となっています。

沖縄県発表の場合は、66市町村・698,827人です。

残りの20市町村・216,080人はどこに行ってしまったのかなぁと・・・・
そのため全国の合計人口も合わないし。
戦後の一時期のみ、他にも沖縄県を名乗っていた地域があったのだろうか。
とても不思議に感じております。

白桃さんは、このことにお気づきだったでしょうか?


[39897] 両毛人 さん
これは私からもリクエストいたします!
[39896] ken さん
またそれは、金沢が4位だった時のデータについても、可能でしょうか?

残念ながらありません。おおよその人口位しかわかりません。
金沢の人口を「約」12万人としたのもそのためです。
少なくとも明治4(1871)年の調査までは、金沢には約12万人いたそうです。
その他、富山が当時全国9位。

注:[39658] では、明治維新以後、国内の都市で人口ベスト10入りしたことのある都市として、
22都市あげておりますが、富山が抜けておりました・・・

この年代についても、可能な限り調査したのですが、詳細なデータらしきデータが全くなかったのです。
私が明治中期・明治初期・江戸後期の詳しい都市人口を知りたいのは、このためなんです。。。

明治12(1879)年の主要都市の人口のデータなら持っていますので記載します。
(私が現在所有する最古の人口データとなります)

東京 761,335
大阪 291,565
京都 232,683
名古屋111,783
金沢 107,876
広島 76,589
和歌山62,080
仙台 55,035
横浜 46,187
福岡 45,480
熊本 45,032
神戸 44,368
新潟 36,591
岡山 33,028
長崎 32,815
赤間関26,502
函館 22,088
伏見 22,011
札幌 8,782

その他、
富山 約55,000~60,000
堺 約40,000
福井 約40,000
松江 約35,000
鳥取 約32,000
位となります。
上記5都市は様々な資料を参考・調査した結果の推測人口です


[39882] 愛比売命 さん
一番くびれている立科町なんて,ほとんど道路一本でつながっているような状況。

へぇ~~~~これはすごい。ホントに見事なまでに道路一本でかろうじてつながっていますね
最も細いところで、東西約100mといったところでしょうか・・・・
どのようにして、このような町域になったのか経緯が気になりますね・・・
ということで、少し調べてみました。

長野県北佐久郡立科町(全国市町村名変遷総覧・日本加除出版より)
S30.4.1 北佐久郡芦田村・横島村・三都和村の3村が合併し、北佐久郡立科村となる
S33.10.1 町制施行
S35.4.15 北佐久郡望月町(大字茂田井の一部)を編入


芦田という地名が立科町北側にある(町役場も立科町芦田ですし・・・)ので、そこらへんが旧芦田村かな?と思ったら、
なんと南側の白樺湖付近も「芦田」八ヶ野という地名が・・・・
横島、三都和という地名も既に現存しておらず、ここでギブアップ。

旧3村はどんな形をしていたのでしょうかね・・・
おそらく、北側が旧芦田村域で間違いないと思うが。
[39935] 2005年 4月 17日(日)12:50:04白桃 さん
祝:ふぁいんさんの自分色登録
[39933]ふぁいんさん
白桃さんって、戦後・沖縄返還までの沖縄県各市町村人口統計ってどうされていますか??
沖縄県がHPで発表している市町村別の国勢調査人口を齟齬が生じないように慎重に入力しております。ただし、1947年はありません。ただ、占領時下に沖縄でも国勢調査は行われていたのですかね?記録があるから、間違いではないと思いますが・・・

#遅ればせながら、ご自分色登録おめでとうございます。
[39933] 2005年 4月 17日(日)12:21:09ふぁいん さん
白桃さんに質問!
[39931] 白桃 さん

ひとつ気になったこと。
白桃さんって、戦後・沖縄返還までの沖縄県各市町村人口統計ってどうされていますか??
[39931] 2005年 4月 17日(日)11:11:08白桃 さん
岐阜県大野郡白川村
昨日、一日中、岐阜県の人口整理をしておりましたら、ちょっとした発見がありました。
国勢調査年総計
1950年3,824人2,076人1,748人
1960年9,436人6,095人3,341人
10年間でこんなに人口が増え、男女比が極端にいびつになった自治体はハタシテどこでしょうか?答えは、もうおわかりでしょう(笑)。白川郷で有名なこの村は、1961年に完成した御母衣ダム工事にからみ、このような急激な人口増と当然ながら完成後の急激な人口減を示したのですね。それにしても、この当時、村の様子はどうだったのでしょうか?女性はモテモテだったのでしょうかね?(おっと、下衆のカングリでした)
[39930] 2005年 4月 17日(日)10:32:29Issie さん
訪王する
八王子だったら,こう言うんでしょうかねえ。

全県も、全都も、メディアで使われるのは見聞きしますが、会話ではほとんど聞いたことがないですね。

そうですね。
本来的には,活字でもって意味を伝えるメディア,なかんずく新聞ならではの表現でしょう。
会話で「らいせん」とか「きはん」と言っても,何を言っているのかすぐには理解できなかろうと思います。
「来日する」よりは「日本へ来る」,「全県」よりは「県全体」の方が“口語的”表現であって,多くの場合より望ましいものだと思います。
[39929] 2005年 4月 17日(日)10:06:55らるふ さん
尼崎市の人口
[39914] 小松原ラガー さん
もし仮に尼崎の人口が増える要素を、と考えたら、JR尼崎駅北の再開発に期待というところでしょうか。
最近10年の尼崎市の人口減少数を見ると、1990年代は年間4000~5000人の減少だったのが、2000年以降は年間1000人程度の減少となり、「下げ止まり」という感じはします。これからの「人口増加」のポイントは、工場跡地の再開発、特にマンション建築でしょうね。JR尼崎駅周辺や福知山線の沿線は、工場の撤退・縮小で「跡地利用」の再開発は今後さらに進むような気がします。尼崎市の分譲住宅の着工数は年間2000戸前後(西宮市よりは少ないのですが、全国的に見て多い方)ですが、2007年完成予定のキリンビール工場跡地の阪神百貨店を核とした大規模商業施設のオープンを前後に、分譲住宅(主にマンション)の供給が増えるのでは、と考えられます。
かつてJR尼崎駅は「寂れた駅」という感じでしたが、今では新快速が停車する乗り換え拠点駅、しかも大阪駅までわずか6分。ここを中心に商業施設や住宅の開発が進むのは当然だと思います。

上記、大まかな考えですみません。
ウォーターフロントの開発はどうなんだろう?
ここ3年の分譲住宅の着工数が松戸市と似ているのはなぜ?
JR塚口駅東の森永製菓も何だか気になる。
これからの尼崎について、もっと調べてみたいところではあります・・。
[39928] 2005年 4月 17日(日)09:59:47なきら さん
全国
全県も、全都も、メディアで使われるのは見聞きしますが、会話ではほとんど聞いたことがないですね。新聞の地方版にあるかなと思って、昨日・今日の手近なものを探しましたが、見つけられませんでした。

私は小学生の頃、全国という言葉を「全ての国々」と思っていたことがあります。ニュースで、「全国で一番」「全国から集まって」などと聞くたび、「日本ってすげぇ」と思っていました。日本の国全体のことと知った時、騙された気がして、言葉が間違っていると怒っておりました。
全県には、[39924]両毛人さん
(1)すべての県 (2)その県全体
の2つの意味がありますが、全国は(2)の方しかないのですね。
衆議院の○○全県区ももうありませんが、参議院の全国区もなくなってしまいました。


[39917]軒下提灯さん
こんなことを言ったら呆れられるかもしれませんが、権現堂の桜、ちゃんと見たことがありません(大汗)。どっちみち白石川堤一目千本桜には到底及ばないでしょうから、おば様方のお相手は軒下提灯さんにおまかせー。
[39927] 2005年 4月 17日(日)08:10:24Issie さん
全県1区
全県、来日、来仙、帰阪

使うところ,使わないところ,それぞれでしょうねえ。
「全県」「来県」などというのは,比較的によく耳にする表現です。
「1つしかない“都”」の特権として使えそうな東京都で「全都」という表現もしばしば耳にします。「来都」はあまり聞いたことがないけれど,「帰都」はしばしば使われますね。東京に来るのなら「上京」。

以前の中選挙区制時代には「山梨全県区」「福井全県区」…といった呼称が用いられていました。
結局のところ実施されなかったけれども,「戦争に負けなかった日本」で1945年4月以降に衆議院議員総選挙が行われていたら,「平安北道全道区」「台南全州区」などという表現が行われていたかもしれません。
では,全域1区で定員3人と定められていた「樺太」は,どのように呼ばれることになったでしょうかねえ。
[39926] 2005年 4月 17日(日)05:55:25YSK[両毛人] さん
来仙
[39925]N-Hさん
これから仕事に出かけますので、取り急ぎレスです。
「来仙」はよく使いますよ。「仙台にある」という意味で「在仙」という言い方も普通に行われます。

名古屋に来れば「来名」とか、普通に使うんじゃないでしょうか。我が市の広報紙でも太田市にくることをしばしば「来太」と表現しています。
[39925] 2005年 4月 17日(日)05:47:57N-H さん
全県、来日、来仙、帰阪
全県、という言い方はしますね。
台風がやってきたりして、「県南部を中心としてほぼ全県にわたり被害が拡大しています」などという具合。
そういえば、仙台に在住の方とメールでやりとりしていて、私が仙台に出張する折に、「それではN-H様の来仙を楽しみにしております」みたいな書かれ方をしていて新鮮でした。
確かに「来日」という言葉があるので、これの日本をあらわす「日」のごとく、都市名に置き換えた言い方もあるのでしょうね。
他の都市についても同様な言いかたをすることはあるのでしょうか。また宮城県に土地鑑のある方、「来仙」という言い方は一般的なのでしょうか?
同様な言い方で、大阪に帰ることを「帰阪する」というのも聴いたことがあります。
[39924] 2005年 4月 17日(日)05:22:17YSK[両毛人] さん
全県、使われているようですよ
[39922]紅葉橋瑤知朗さん
全県という言葉は、その県内全体、という意味で普通に使用されている言葉だと思いますよ。私も時々耳にする言葉です。ヤフーを検索してみましたが、以下のような事例が見つかりました。

信濃毎日新聞「全県ダイジェスト
※長野県内全体のニュースのダイジェストということでしょう。

石川県Yours全県模試
※石川県内の高校受験生のための模試を行っている組織のようです。

島根県全県IP網の完成
※島根県全域で超高速・大容量の光通信を県内全域で実現する基幹通信網が完成したという県の発表です。

「広辞苑」にも、「全県」(1)すべての県 (2)その県全体 という意味で掲載されています。ちなみに、「全都」も「東京都全体」の意味を含む言葉として載っていましたが、「全府」は掲載がありませんでした。
[39923] 2005年 4月 17日(日)03:49:53足利人@伊勢原市民 さん
全道と全都府県
[39922] 紅葉橋瑤知朗 さん

たしかに、全道は聞きますけど(道民ではないですが、「どうでしょうリターンズ」で聞きます)、全都・全府・全県は聞いた事ありません。
大会などは、都大会・府大会・県大会で、「全」はつけませんね。
全都民、全府民、全県民っていうのは、「全都+民」ではなくて、「全+都民」でしょうし。
強いて言うなら、都全体・府全体・県全体でしょうか(これもほとんど言わないか)。
やはり北海道は広大な面積がありますから、こういう言い方があるのかもしれませんね。
[39922] 2005年 4月 17日(日)01:48:00紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
全権前夫前途多難
 どうでも良いと言えばどうでも良いし、気になるといえば気になっていることがあります。

 北海道全体を指す言葉に「全道」があります。地区予選を勝ち上がって「全道大会」があったり、「全道各地で雪害…」というように使います。

 他の都府県では「全*」という言葉を使っているのでしょうか。「全県」「全府」「全都」。都府県民ではないので、これらの言葉を余り聞いたことがないんですが…。
[39921] 2005年 4月 16日(土)23:49:28ひげねこ さん
NIKKEIプラス1
拝見しました。自分は何系かと考えたのですが1→3→2→3かな?
小学校時代から地理や地図は好きでした。東京の区分地図に、都電の廃止などの経年変化を自分で書き込んでました。中学・高校・大学はずっと鉄道研究会で、撮影行の前に地形図を買ってカーブした上り勾配などの当たりをつけてました。最初の就職は法律系の出版社だったのですが、すぐ地図出版社に移ったので、地図が仕事になりました。現在は、趣味系にもどったかなと思ってます。仕事で使って一部を切り取った地形図の残りが、まだストックしてあります。ブックカバーに使うとけっこう気が利いてます。

NIKKEIプラス1は私も取材を受けて、1ヵ月ほど前の「達人に聞く」の記事になったことがあります。日経の記者の方は、他の新聞社の方のように「ブン屋」という感じがしませんね。
[39920] 2005年 4月 16日(土)22:32:10トライランダー さん
本の紹介
先日書店に行ったところ、人文社から出た「天保国郡全図でみる ものしり江戸諸国」という本がありました。天保年間の諸国地図が収蔵されており、早速購入しました。今では姿を消した郡、例えば私が住む筑後の場合、御井郡や御原郡、山本郡、摂津でしたら八部郡、東生郡、豊島郡など、各国の郡、地名が紹介されています。私の本籍地土佐國香美郡岸本も記載されており感動しました。
非常に興味深い古地図なので、一見の価値はあると思います。興味のある方はどうぞ。
東日本、西日本編それぞれ1900円+税です。
[39919] 2005年 4月 16日(土)22:26:52SANUKI-Impact[讃岐の民] さん
No460.十番勝負
皆さんこんばんわ。讃岐の民です。

問九:広島市

滑り込みセーフでしょうか?
[39918] 2005年 4月 16日(土)22:18:06トライランダー さん
つくし と ちくし
[39916] Issie さん

・近現代の福岡県の地名としての「筑紫」は「ちくし」と読むのが普通であるし,“公式”の読み方として多く採用されている。
・古代,この地域を指していた“歴史的”な地名としての「筑紫」は「つくし」と読む習慣である。
少なくとも,どちらか一方が「全くの間違い」で全否定されるべき存在である,というわけでは決してないものと思います。
私もこの意見には大いには共感です。
[39915] ひげねこ さん
東京に転校して、みんなが筑紫を「つくし」と発音するのにびっくりしました
私は逆でした。福岡に来てから知りました。
[39910] 優ちゃん さん
一連の過去ログを読んでいただければ分かると思いますが、福岡では「つくし」と呼ぶ人は殆どいません。
[39885] 般若堂そんぴん さん
Issie さん が仰る通り、歴史的には「つくし」のようですね。私も万葉集の一節で「つくし」と呼ぶ歌を聞いたことがありました。
[39881] 愛比売命 さん
地元での呼ばれ方と,中央のおカミから一方的に決められた文科省的な呼ばれ方との乖離
性格は異なりますが、「茨城県」をいばら「き」と呼ばず、一般的にいばら「ぎ」と呼ぶのも通じるような気がします。
[39917] 2005年 4月 16日(土)21:10:15千本桜[軒下提灯] さん
晴れるといいな
今日も朝から昼過ぎまで桜祭り会場にいて花見団子を1パック貰って帰りました。まだ5分咲きでしたが結構な人出がありました。桜祭りでの楽しみの一つは、遠方からおいでになられた団体様への突撃インタビュー。インタビューといっても、「どちらから来られたのですか?」のワンパターン質問なんですが、返ってくる地名が遠くであればあるほど嬉しくなるのは地理好きゆえの変な性癖でしょうね。

観光バスから団体客が降りてきました。一目千本桜の土手に着くなり、「わぁ~凄い桜じゃない!」と、驚きの声。そこで早速、「どちらから来られたのですか?」とインタビュー。「埼玉から!」と楽しそうにおばさま方が答えてくれました。本来なら「埼玉のどこ?、ナニ市ナニ町?」と根掘り葉掘り聞き出したいのですがグッと堪えて、「埼玉だと幸手の桜も綺麗でしょう」と私。「権現堂の桜ね」と、おばさま。そこですかさず、「でも、こっちの方が凄いでしょう!」と我田引水の誘導質問。「本当にここは見事です!素晴らしいです!」とおばさま方の目は輝いていました。ほらね、一目千本桜はそういう所なんです。そこで早速、はなはだ一方的かつ独断的ではありますが、白石川堤一目千本桜>幸手権現堂桜堤とさせて戴きます。って、私は権現堂桜堤を見たことが無いのですが・・・。(汗)

久喜&幸手に縁のある、でるでるさん、なきらさんには大いに異論反論あるところでしょうが、ここはグッと堪えて是非一度、一目千本桜を御覧においで下さいませ。これって、観光キャンペーンのつもりなんですが強引すぎて逆効果かな?(笑)。あさってあたり満開になりそうです。晴れるといいな。
[39916] 2005年 4月 16日(土)20:54:51Issie さん
筑子節
[39915] ひげねこ さん
筑前・筑後は「ちくぜん」「ちくご」なのに、どうして筑紫だけ「つくし」なんだろう。

はじめに「つくし(筑紫)」という地名があって,それを後から「筑前・筑後」に分けたからです。

「筑」という漢字は中国の古代楽器を表わす文字であったようです。
講談社が刊行中の「中国の歴史」シリーズの第3巻『ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国』(鶴間和幸著,2004年)に詳しい説明があるのですが,5本の弦を張った楽器で竹のバチで弦をたたいて演奏したものとか。ピアノと同じ原理の楽器です。
で,この文字を輸入したとき,母音も子音も貧弱な日本語では「チク」という音で受け入れました。
異体字に「竺」という字もあります。

この文字にあてはまる日本語の概念はなかったらしく,固定化した“訓”はないようです。
ただ,「筑子」と書いて「こきりこ」と読ませることはあるようですね。「こきりこ」も“楽器”の名前です。「筑(ちく)」とは,だいぶ違うものですが。

一番初めにあったのは「つくし」という地名です。
現代日本語の発音とは若干違っていたはずですが,おそらくは列島固有の言語による地名でしょう(列島共通の「日本語」の形成過程のことでしょうから,あえて言えば「つくし語」でしょうかね)。
漢字が輸入されてから,これに「筑紫」という字が当てはめられました。[39884] で触れたとおり,地名に関しては「つく/つか」という音にはめる習慣でした。

奈良時代に入って律令国郡制が整備されていく過程で「筑紫」は南北に分割されて「筑前/筑後」となりました。
そして,この分割された新国名は中国語(漢語)の理屈に従って創作された“和製中国語地名”です。
「つくし」の場合には,「つくし」という地名が先にあってこれに「筑紫」という漢字があてはめられたものですが,「筑前/筑後」の場合は漢字表記が先にあって,さて,これをどう読むか,というものでした。
そこで恐らく,より“標準的な音”に近い「ちくぜん/ちくご」という読み方が定着したのではないか,と思います。

これは,列島固有語で「こし(越)」と呼ばれた地域を分割した3国が,それを表記する漢字の“標準音”に近い読み方で「越前(ゑちぜん)」「越中(ゑッちゆう)」「越後(ゑちご)」と呼ばれたことを考えると見えやすいと思います。
もっとも,「とよ(豊)」を分割した「豊(ぶ)前」「豊(ぶン)後」は,“標準音”の「ホウ」からはまだ遠いものですが。

「筑紫郡」は,明治になって郡制施行(福岡県では1896年)のために 御笠・席田(むしろだ)・那珂 の3郡が統合された新設された郡ですね。
このとき新設された郡名は,奈良時代以降の朝廷で「最も正式」とされた“漢音”(でも,例外は枚挙に暇がなく…。最大の例外は「京(きょう)」)で,「ちくし」と読むのを“正式”としたものと思われます。

たとえば,こんな整理が可能かもしれません。
・近現代の福岡県の地名としての「筑紫」は「ちくし」と読むのが普通であるし,“公式”の読み方として多く採用されている。
・古代,この地域を指していた“歴史的”な地名としての「筑紫」は「つくし」と読む習慣である。

少なくとも,どちらか一方が「全くの間違い」で全否定されるべき存在である,というわけでは決してないものと思います。
[39915] 2005年 4月 16日(土)18:33:45ひげねこ さん
ちくし・つくし
[39909] 優ちゃんさん
私は生まれてから小学校3年まで福岡市内で過ごしました。トライランダーさんが[39868]でお書きになっていた中にある、筑紫丘高校(タモリの母校)のすぐそばです。生活している中で、筑紫の読みは「ちくし」で、誰も「つくし」とは言いませんでした。
小学校の校歌に「筑紫路はるか万葉の・・・」という歌詞がありましたが、発音はやはり「ちくし」でした。
東京に転校して、みんなが筑紫を「つくし」と発音するのにびっくりしました。心の中で、違うよ「ちくし」だよ、と思っておりました。
今でも「つくし」には抵抗があります。筑前・筑後は「ちくぜん」「ちくご」なのに、どうして筑紫だけ「つくし」なんだろう。
[39914] 2005年 4月 16日(土)18:12:09小松原ラガー さん
尼崎<西宮
[39718]らるふ さん
神戸新聞ニュースによりますと、ついに4月1日の推計人口で西宮市が尼崎市を上まわったようです。

出生地が尼崎の私としてはちょっぴりさびしいような、でもあの面積だったら仕方ないかもとか、
ちょっと複雑な気持ちです。

もし仮に尼崎の人口が増える要素を、と考えたら、JR尼崎駅北の再開発に期待というところでしょうか。
駅北側の東半分は開発が終わっている模様はありますが、西側のキ○ンビール工場の跡地や
更に西側(旧尼崎港線<-通称)の西側がずっと更地のままになっています。

このうち駅に近いほうの工場跡地のほうは阪神百貨店などの商業施設がメインとのこと。
旧尼崎港線の西側はどうなるのかわかっていませんが、毎日通勤時に眺めているのですが、
区画整理というか道路の整備がなされており、戸建の住宅地になるのかな、という感じです。

さて、ちょっと強引ですが、「尼崎の人口を増やそう。」って考えたら、このあたりに高層マンションを何本か建てれば、
それなりに人口が「稼げる」のではないかと思います。
(もちろん、今からでは実現性は乏しい話、あくまで架空の話ですが。)

阪神間で同じようなケースで六甲道駅前とかがあります。
震災後減っていた人口が、30階超2棟を含むマンション群で再開発され、一気に人口が増えたような気がします。
(事実、校区の小学校では教室が足りず、仮設の教室でしのいでいますが・・・)

ただ、尼崎の場合は、仮にJR尼崎駅北側の再開発とかで今後更に人口が増えたとしても、
市内南部からの人口流出にストップをかけない限り、かつてのような50万都市なんてのはありえないでしょうけど・・・
(JR尼崎駅の再開発も、市内からの移転というのも結構多いのではないでしょうか。)
[39913] 2005年 4月 16日(土)17:42:52みやこ♂ さん
車の窓を開けたまま走っていたら,桜の花びらが何枚も入ってきました・・・(文と関係なし)
[39745] 2005 年 4 月 13 日 (水) 08:28:53 愛比売命 さん
#山の名前に関しては,みやこ♂さんが詳しいかな~なんて思っていましたが,最近はお忙しいのかな?
はい。忙しいんデス。年末の頃から論文執筆や頼まれ仕事のレポートが入り込み,心のゆとりがなくなってしまいました。しかもこの4月に転勤になり,全く新しい業務に携わっております。相変わらず佐野市に住んではおりますけど。
元々わたくしの仕事は地理系ではないので(強いて言えば自然科学系か技術系か),こうも時間を制約されると,書き込む余裕もありません。トホホ。今日も休日出勤です。

ともあれ,愛比売命さんの復活,うれしい限りです。Gさんはどうしてるかな?

[39346] 2005 年 4 月 3 日 (日) 21:52:05 両毛人 さん
佐野でも春雷は聞こえましたか。
実は毎日“落書き帳”をのぞいてはおりました。ですからこの日も,両毛人さんの書き込みは拝見させていただいております。でも実は,わたくしの家では雷様は聞こえなかったんですよ。なるほど,雷について両毛人さんとの見解の違い([25894])の理由がわかったような気がします。
安蘇庁舎及び安足事務所の情報ありがとうございました。
今度の知事さんは「小さな本庁・大きな出先」と唱えていますので,もう少したってから,全県一斉に見直す積もりのようですね。なんとか,「安蘇」「安足」に残ってほしいものです。困難なことでしょうが。ちなみに旧市町境の「佐野市」「田沼町」「葛生町」の看板は,まだ至る所に残っております(と,いいますか撤去・改変された形跡がまったくない!)。予算措置がされていなかったンでしょうか。


以下,一月以上も前のお声かけにお返事です。ずいぶん経ってしまいました。遅まきながら・・・

[38309] 2005 年 3 月 5 日 (土) 01:40:23 でるでる さん
みやこ♂さん、おめでとうございます(なのかな?)
ありがとうございます(なのかな?)
わたくし岩手の宮古市には行ったことがあるんですが,他の「みやこ」には行ったことがございません。ウワサでは,どうもカミさんが近々「宮古島」に行きそうなんです。ちょっとクヤしく,うらやましい。

[38202] 2005 年 3 月 1 日 (火) 19:11:46 らるふ さん
ひょっとして、みやこ♂さんのお父さんがダム湖に名前を付けちゃったとか・・・。(疑惑発覚?)
とりあえず、わたくしの名前は祖父が,わたくしの子供たちはわたくしたち夫婦が名付け親なので,ウチの父はまだ名前を付けたことがありません。あ,そういう話ではナイ。失礼しました。でも今更ながら,ちょっとびっくり。

[38190] 2005 年 3 月 1 日 (火) 01:11:17 ken さん
近世史マメ知識「佐野と田沼」
たいへんためになりました。ありがとうございます。そぅかぁ,そんなことがあったのですか。田沼意次が失脚しないで職務を全うしたならば,もしかしたら「田沼市」になっていたかもしれないなぁ,などと想像してしまいました。
[39911] 2005年 4月 16日(土)17:36:25百折不撓 さん
有り難うございました。
[39890] でるでる さん
素早く、丁寧な回答を有り難うございました。

(合併は決まっているのに)協議会の解散にあわせて「法定協議会一覧」のコーナーから事務的に外してしまうよりは、その方が、見やすいかなぁと思ったのですが、どうでしょう?
合併協議が終了すると解散してしまう合併協議会、合併まで存続する合併協議会、とあって悩ましいところではありますね。
解散に併せて外してしまうと、一見するとその地域では合併協議がまったく行なわれていないかの様に感じられますので、でるでるさんの方針が分かり易いと思います。

ところで、合併協議が終了しても存続している合併協議会は、実質「合併準備協議会」的な事務をしているのでしょうか?

私もおそらく解散されたものと推測しているのですが、構成自治体全10市町村で協議会廃止の議決がされたかが(でるでるが)未確認であるため(一部議会での議決は確認済)、そのまま法定協議会一覧のページに掲載しております。
「西濃圏域合併協議会」については、当事者としてはあまり触れて欲しくないのかもしれませんね。
私も何か発見しましたらお知らせします。

おそらく全10市町で議決して解散したのだろうと思っていますが、仮に解散しないまま大垣市・墨俣町・上石津町が合併してしまったらどうなるのでしょうか?構成団体である墨俣町・上石津町が消滅したことにより、当該合併協議会は10市町で存続し得ないことになり、自然消滅と言う形になるのでしょうか?

どんな些細なことでも、重箱つつきまくりでも、大歓迎ですよぉ!(^o^)/
有り難うございます。
それでは安心して、重箱の隅をつつかせていただきます(笑)。

膨大なデータの管理でご苦労も多いと思いますが、また何かありましたら教えてください。
[39909] 2005年 4月 16日(土)16:30:07【1】優ちゃん さん
筑紫の読み方
正式には「つくし」みたいです。筑紫哲也は「ちくしてつや」みたいです。でも現地は「ちくし」なのかなぁ。どうなんでしょう。誰か筑紫の人、教えてください。筑紫野市は「ちくしのし」というみたいです。地図もホームページも見たらそうでした。
[39906] 2005年 4月 16日(土)13:40:06オーナー グリグリ
公式ホームページのない市区町村
公式ホームページのない市区町村一覧によれば、現在のところ公式HPが見つかっていないのは10町村と急減しています。これは、合併の進捗により、公式HPのない町村が消滅して行ったことも大きな要因ではないかと思います。その10町村について今後の見込みを探ってみました。

1. 公式HPとして登録可能な町
(1) 外ヶ浜町
http://www.kanitamachi.jp/
旧蟹田町のURLでオープンしている。
(2) 奥出雲町
http://www.town.yokota.shimane.jp/
旧横田町のURLでオープンしている。。

この2町は公式HPとして登録してよいと思います。>たけもとさん

2. 合併により今後消滅する町村
(1) 本川根町
2005年9月20日に中川根町と合併し川根本町に。
(2) 吉川村
2006年3月1日に香美郡4町と合併し香南市に。
(3) 頴田町
2006年3月26日に飯塚市および嘉穂郡3町と合併し飯塚市に。

川根本町は中川根町の公式HPを衣替えすることになると予想します。

3. 合併予定が現在のところない町村
(1) 大間町
(2) 芸西村
(3) 糸田町
(4) 赤村
(5) 佐々町

ということでした。さすがに残りわずかです。

>たけもとさん
情報提供のあった、宮崎県と佐賀県東松浦郡七山村の公式HPの更新をよろしくお願いします。
#まぁ、私が更新すればよいのですが、一応拘っています。(f^^;
宮崎県: http://www.pref.miyazaki.lg.jp/
佐賀県東松浦郡七山村: http://www.vill.nanayama.saga.jp/
[39904] 2005年 4月 16日(土)12:43:00JOUTOU さん
いきなりイージーミス
[39870] [39895]は違うパソコンから入力したためHNが全角と半角になってしましましたが、両方ともわたしが書き込んだものです。以降は全角に統一させていただきます。いきなりドジですみませんm(_ _)m
[39903] 2005年 4月 16日(土)11:45:36pipsonly さん
空から見た日本各地
『空から見た日本各地』 http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/photo1.html
というホームページをオープンしています。150枚の航空写真集です。
[39902] 2005年 4月 16日(土)10:21:12まかいの さん
遅ればせながら
この春はノーチェックでした・・・

問七 甲府市
[39901] 2005年 4月 16日(土)10:03:02まかいの さん
はぁ~
やっと分かりました。

問一 幸手市
[39900] 2005年 4月 16日(土)09:42:50なきら さん
地理族
今、拝見しました。私はどの系にも属さない(もともとはデータ派と思うのですが、とてもマニアとはいえないし)ので、地理族の域には達していないですね。各系の内訳を見て、あの方、この方と、常連の皆さんを当てはめています。EMMさんのヒント(秀逸でした)に通ずるものがあります。
落書き帳には、クイズ派というのもあるかしらん。


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