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[3199] 2002年 9月 20日(金)01:02:19【1】ニジェガロージェッツ さん
樺太の鉄道  豊真線
[3180]で紹介した樺太の鉄道について各線ごとに詳しく見ていきたく存じます。

でるでるさん、雑魚さんから「ループ線」に関する書き込みがありましたので、まず「豊真線」について落書きしてみます。

豊真線はその名の通り、樺太の島都豊原と西海岸最大の要港真岡を結ぶ東西横断線として建設されました。大正10年9月17日に工事を起こし、昭和3年9月3日に樺太東線(当時は樺太庁鉄道東海岸線)豊原駅と樺太西線(同じく樺太庁鉄道西海岸線)手井駅間83.8キロの全線が開通しました。
当初は豊原を起点としていましたが、終戦間際の昭和20年7月15日、樺太東線小沼駅(豊原駅から北へ4つ目の駅、10.9キロ先に位置)起点に変更されました。その後、ソ連は廃線になっていた豊原―奥鈴谷間を復活させ、ユジノサハリンスク(豊原)起点に戻しています。

豊真線の停車場は次の通りです。

駅名(日本)累計キロ程(日本)  開業年月日     駅名(ソ連)   累計キロ程(ソ連)
豊 原    0.0   ----  明治40年8月1日    ユジノサハリンスク          0.000
西久保   5.2   ----  大正14年10月1日   ダーリネー               5.089
鈴 谷    9.9   ----  大正14年10月1日
小 沼   ----   0.0   明治44年7月20日   ノヴォアレクサンドロフカ       ----
奥鈴谷   16.2    8.6   昭和3年9月3日    ノヴォデレヴェンスカヤ       16.035
瀧ノ沢   29.6   22.0  昭和3年9月3日    ペレヴァル-サハリンスキー     29.400
中 野   42.5   34.9  昭和3年9月3日    オジダーエヴォ            42.245
清 水   47.8   40.2  昭和3年9月3日    チストヴォドノエ            47.500
逢 坂   52.6   45.0  大正15年11月15日  ピャチレーチエ             52.231
二 股   60.0   52.4  大正15年11月15日  チャプラノヴォ             59.552
宝 台   69.1   61.5  昭和8年1月15日    カムイシェヴォ-サハリンスコエ  68.554
池ノ端   78.3   70.7  昭和3年1月18日    ニコライチュク             77.675
手 井   83.8   76.2  大正9年10月11日   ポリャーコヴォ             83.181

さらに豊真線を走る列車は樺太西線を北真岡駅まで乗り入れていました。
真 岡   86.9   79.3  大正9年10月11日   ホルムスク
北真岡   89.8   82.2  大正10年11月11日   ホルムスク-セヴェルヌイ

累計キロ数が日本時代のものとソ連時代のものとで若干違いがあるようですが、基本的に同じ路線です。
それと、現在の豊真線こと南部横断線は残念なことに両端部を残し廃線の方向で撤去中と聞きます。
サハリンのHPでユジノサハリンスク駅の時刻表(2001年のもの)をみましたが、南部横断線関連ではノヴォデレヴェンスカヤ(奥鈴谷)行きの近郊列車が1日3便あるだけです。ホルムスク行きも1便ありますが、これは北部横断線経由のものです。ホルムスク市のHPも見てみましたが、全体でユジノサハリンスク行きが1便、チェーホフ(野田)行きが2便あるだけで、ニコライチュク(池ノ端)方面への列車は見当たりませんでした。「宝台ループ線」あたりまで観光用に残してあるだけかもしれません。

さて、その「宝台ループ線」についてですが、
[3181]
>豊真線池ノ端駅と宝台駅の間のループ線は、どれ程の規模だったのでしょうか、興味があります。
「鉄道ジャーナル」誌1990年12月号特集「サハリン鉄道紀行」には、ループ線の延長1643m・高低差約36m、とあります。
真岡側から行けば、池ノ端駅を過ぎて緩い上り勾配を進むと、やがて前方に50メートル以上ありそうな鉄橋が見えてきます。その鉄橋の下をくぐるとすぐに右にカーブを描くトンネルに入り、一旦トンネルを出、すぐにまた短いトンネルを抜けると、先ほど下から見上げた鉄橋に差し掛かります。鉄橋の上からは今通ったばかりの線路を眼下左手にみながらまたトンネルに入って行き、宝台駅へと向かいます。これが樺太の鉄道のハイライト「宝台ループ線」です。
ここは軍事上の要衝で、事実1945年8月21日、22日と日ソ両軍が激しい攻防戦を繰り広げた激戦地でした。前出の「鉄道ジャーナル」特集にはループ線入り口の谷あいに軍の建物があり、兵隊の姿が見える、と紹介しています。

[3183]
>現地を訪れた友人によると、撮影の為の停車などの演出があったそうですね。
私も1994年7月に現地に行ってきました。
「北緯50度線突破、サハリン鉄道周遊の旅」と銘うったJR北海道、宗谷北線運輸営業所(名寄)が企画したツアーでした。残念ながらその時は既に旧豊真線こと南部横断線は運行しておらず、ユジノサハリンスク―ホルムスク間はバス移動でしたが、サハリンのSL・D51を観光用に改装した「レトロ列車」をホルムスクからループ線鉄橋下まで走らせ撮影の為にしばらく停車しホルムスクに戻る、といった演出がありました。鉄橋の上に立てなかったのが残念です。物凄い絶景だそうです。

P.S. でるでるさん、稚内市のHP見ました。サハリンの情報が解りやすく纏められており面白かったです。
[3198] 2002年 9月 20日(金)00:59:38YSK さん
佐沼
[3194]
ヤフーのトピックスにもありましたね(今は消えてしまいましたが)。

確かに、登米郡域で連担した中心地といえば、佐沼(迫町)のほかに目立つところはないというイメージですね。

佐沼を含むもう少し少ない町でいったん市制を敷いた後に(連担地域比率60%以上かつ人口4万以上になる町の組み合わせを探して)、残りの町が合併するという方式は考えられないのでしょうか。
[3197] 2002年 9月 20日(金)00:56:29深海魚[雑魚] さん
レス諸々
[3190]
冠着トンネルを抜ければ遠望できる長野市に回帰、という単純な構図ではないのですね。

[3195]
「更科」 というと、私などは上野駅で時々利用したそば屋を連想します。御指摘の地域で
「科野/しなの」 の名による広域合併構想を仄聞した事がありますが、「豊科」 「明科」
「蓼科」 などの 「科/しな」 と 「信濃/しなの」 の語呂には関連があるでしょうか。

[3196]
「福岡」 「博多」 の関係は、県都と県名で痛み分けとした 「宇都宮」 「栃木」 のそれに
類似していますね。「博多っ子純情」 「博多山笠」 などの様に、一般のイメージとしては
博多の方が優勢かも知れません。ところで博多と福岡の境界は、単純に区境の那珂川と見て
良いのでしょうかね。

ところで関東圏で時々見る 「はかたの塩」 のCMは 「伯方」 を 「博多」 と取り違える
向きが多い様です。
[3196] 2002年 9月 20日(金)00:34:38YSK さん
福岡
[3191]
福岡を忘れていました。

 DID面積 149.17 k㎡
   総面積 336.73 k㎡
DID面積比  44.3  %  です。

出典は〔3191〕と同。

となると、北九州と神戸の間になりますね。
福岡は、DID面積から見ると、地方都市の中ではずば抜けて都市化しているといえそうですね。

[3192]
博多市か、福岡市でもめたという話は聞いたことがあります。
市名を「福岡」にする代わりに、駅名を「博多」とすることで決着したとか。
まあ、政令市制度のおかげで、「博多」は準広域的な行政地名として復活できましたけれど。

職場でいろいろな人に、「博多は何市にあるか」を質問してみたところ、意外と知らない人が多かったです(3人に1人は答えられなかった)。

それほどに、「博多」という地名は、福岡市という行政地名から独立したオリジナリティと濃厚な地域イメージとを備えた地名だということなのでしょう。

〔3193]
大岡村は、市町村域程度の地域スケールからすると(私が [3190] で書いたスケールも、国勢調査をベースにしているので同じです)、長野市の都市圏内になりますね。その中でも、麻績村がローカルな部分で善光寺平との結合を持っているというのは初耳でした。

ご指摘いただいた、上記のような地域間における局地的な流動は、その地域のすがたを知る上で貴重なご指摘だと思います。大変参考になりました。

ところで、ご発言にあるバス路線の形成・撤退の過程のお話も、実に興味深いですね。
バスによる地域の結合が、モータリゼーションにより徐々に力を失ってしまった今でも、長野指向の地域と松本指向の地域の基本的な構成は変わらないのですね。

<一昔前の筑北盆地(本城村・坂北村・麻績[おみ]村・坂井村)は松本電鉄バス
<のエリアでした。現在では松電バスは撤退してしまいましたけど。

となると、現在の運営主体はどこになるのですか。
やはり自治体による運行が行われているのでしょうか。
[3195] 2002年 9月 20日(金)00:25:50Issie さん
さらしなの月
ところで前にも書いたのですが,
現在,筑北盆地の4村は「東筑摩郡」に所属していて,だから県立高校の学区もバスのエリアも松本のそれに属しているのですが,その「筑摩郡」に属するようになったのは近世以降のことです。
古代には「更級郡」に属していたようです。
「さらしな(更級/更科)の月」とは,平安時代以来,和歌の世界で有名なフレーズなのですが,これは筑北盆地,もう少し特定すると麻績のあたりから冠着山(姨捨山)越しに眺めた月を指すといわれています。
この時代には冠着山の峠よりも,現在の本城村と四賀村の間の峠の方が「境界」として意識されていたのでしょうね。

筑北盆地が筑摩郡となった近世以降の更級郡は,善光寺平の中で犀川と千曲川とにはさまれた区域と,その西側の犀川丘陵の犀川以南の区域に縮小しました。
で,松尾芭蕉の時代には姨捨駅のあたりからの月の眺め,「姨捨の田毎の月」が有名になるのです。

ついでに,善光寺平の千曲川以南の区域が「埴科郡」。千曲川右岸の松代より上流,と言い換えた方がいいかもしれない。
更級郡の行政上の中心地は当初の稲荷山(現更埴市)から篠ノ井に,埴科郡の行政中心地は松代から屋代(現更埴市)に置かれ,篠ノ井はやがて犀川丘陵の村々を編入しながら「市」にまでなりました。この更級郡と埴科郡の地域をまとめて「更埴地域」と呼ぶのですが,これは本来は善光寺平の南半分,犀川以南の区域を指していたのです。
ところが1966年の大合併で,このうちの篠ノ井市・川中島町・松代町・更北村がすべて「長野市」の一部になってしまいました。
結果的に,現在「更埴地域」というと,更埴市に更級郡の上山田町と埴科郡の戸倉・坂城両町の区域,つまり善光寺平と上田盆地を結ぶ“回廊地域”をさすようになり,むしろ上田と同じブロックに組み込まれるようになっています。
そして,犀川丘陵の中に取り残された更級郡大岡村は,そのまま長野ブロックに残留という状態になっています。
[3194] 2002年 9月 20日(金)00:20:19黒髪 さん
宮城・登米郡8町
19日の河北新報によりますと、宮城県登米郡8町が2005年3月の直前に合併しても、現行法では市に昇格できないそうです。

〔おさらい・市となる要件〕
地方自治法 第八条
1 人口五万以上を有すること。
2 当該普通地方公共団体の中心の市街地を形成している区域内に在る戸数が、全戸数の六割以上であること。
3 商工業その他の都市的業態に従事する者及びその者と同一世帯に属する者の数が、全人口の六割以上であること。
4 前各号に定めるものの外、当該都道府県の条例で定める都市的施設その他の都市としての要件を具えていること。

合併特例法では、
2004年3月31日までに合併すれば、1の要件が三万となり、2~4の要件は不要です。
2005年3月31日までに合併すれば、1の要件が四万となりますが、2~4の要件は必要です。

登米郡8町は2の条件が満たせない模様です。
人口9万人近い「町」ができる可能性も・・・。
[3193] 2002年 9月 19日(木)23:59:01Issie さん
Re:松本の経済圏
>東筑摩郡の町村(篠ノ井線で言えば冠着トンネル以南)は松本の都市圏に入るとされていますね。

一昔前の筑北盆地(本城村・坂北村・麻績[おみ]村・坂井村)は松本電鉄バスのエリアでした。現在では松電バスは撤退してしまいましたけど。
ただし麻績村は,更級郡の大岡村への入口という位置にあるので,ここには川中島バスが乗り入れていました。川中島バスは,長野市の都心部西半部以西の上水内地域と更埴地域,大町以北の北安曇地域と新潟県の妙高高原地区をエリアとしていました。
(ただし,大岡村へのアプローチは,同じ更級郡の中心であった篠ノ井から,または長野市内から信州新町を経て,というのがメインであるようです。これも元は“川バス”(川中島バス)が運行していました。現在は村営。)

つまり,麻績村と大岡村との間には局地的な流動はあるようです。過疎地域のことで,きわめてわずかですが。
けれども,筑北盆地と善光寺平との間の流動はかなり少ないと思われます。
松本-長野という都市間の輸送需要はあっても,聖高原-篠ノ井間のローカル輸送の需要はほとんどないと言っていいように思います。だから,篠ノ井線の普通列車は非常に少ない。松本から明科あるいは聖高原(麻績)までの区間列車が運転される(た)ことがあっても,冠着トンネルを抜ける普通列車は意外に少ないのですね。
[3192] 2002年 9月 19日(木)23:41:17だいてん さん
博多市
>[3182]
>そういえば、1889年の福岡市市制施行の際の新市名を決める決選投票で「博多市」が1票差で>破れて福岡市になったという話を聞いた事がありますが...。

1票差だったかどうかは知らないのですが、博多市とするか福岡市とするかでもめたのは確かなはずです。
協議の結果、都市名や県名には福岡を使う代わりに、中心となる駅名には博多を使うことにしたわけです。
ですから福岡に「福岡駅」がないんですね。
[3191] 2002年 9月 19日(木)22:58:31YSK さん
都市の発展度(DID面積から)
[3185]
>神戸と岡山と広島と北九州と福岡はどの順番に都会であるか?
>人口ではなく市街地の発展度による都会度ランキングとする。

実質的な都市の範囲を示す指標として、「DID(Densely Inhabited District;人口集中地区)」というものがあります。国勢調査で定期的に発表されています。

DIDは、

(1)市区町村の境界内において人口密度の高い(約4,000人/K㎡以上の)国勢調査区が集合している地域
(2)人口5,000人以上を数える地域

の(1)と(2)の両方を満たす地域といいます。市町村合併により行政上の「市」の範囲と実際の市街地との乖離が進んだことから、実質的な市街地の範囲を示す指標として考案されました。

さて、示された4市のDID面積と、その総面積に占める割合を求めると、

      DID面積(k㎡)(a)  総面積(k㎡)(b) DID面積比 a/b*100

神戸市    144.47     547.2      26.4
岡山市     77.16     514.4      15.0
広島市    134.05     740.6      18・1
北九州市   156.36     482.6      32.4

出典 2000(平成12)年国勢調査

となり、市街地化した面積順で言えば、北九州、神戸、広島、岡山の順ということになります。

以上は、たくさんある都市の指標の1つで見たものに過ぎないので、その他小売業販売額や事業所数、昼夜間人口比率などを比べてみるのもいいかもしれません。
もう少し、研究してみますね。

なお、他の都市も含めたDIDランキングは、以下のページに詳細が載っています。
http://133.35.65.80/~neo-luna/cityinfo/did/did.html
[3190] 2002年 9月 19日(木)22:18:03YSK さん
松本の経済圏
[3177]
>ところで犀川支流の谷に広がる聖高原一帯は、経済的には
>長野と松本、何れを志向するでしょうか。
>高校の通学事情でいうと、松本圏らしいのですが。

手元にある1985年現在での(ちょっと古くて申し訳ありませんが)国勢調査の通勤流動を分析した資料によると、東筑摩郡の町村(篠ノ井線で言えば冠着トンネル以南)は松本の都市圏に入るとされていますね。
また、朝日新聞社の民力97年版でも、やはり同じように松本の都市圏とされています。
[3189] 2002年 9月 19日(木)22:06:50深海魚[雑魚] さん
鯖街道
[3186]
うーん、この様な歴史があったのですか。となると、以前どこかで聞いた、遠敷郡内の
神社における延喜式の古代より伝承される酒造り云々の話も、こうした背景に依拠する
訳なのかな。北前船の鯖関連で言うと、鯖江市あたりはどうなんでしょうね。隣接する
武生市が、荘園の時代における越前の中心地と思しき事を勘案すると、なにやら諸々の
由緒ありげにも思えますね。

>管理人様
別回線からの接続ですが、コードを失念しました。明日の正規アクセスで裏を取ります。
[3188] 2002年 9月 19日(木)21:30:22miki さん
庄原、比婆、総領合併
庄原、比婆、総領の合併による新市名は公募するそうです。
また、市役所は当面の間、現在の庄原市役所を利用するそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020919-00000007-mai-l34
[3187] 2002年 9月 19日(木)21:26:14ケン さん
3168の続き
岐阜県白川村や長野県軽井沢町も合併しない宣言した方がよさそうです。
兵庫県佐用町にある学校はどう読むのですか。
[3186] 2002年 9月 19日(木)18:47:17YSK さん
鯖街道
[3183]
>偏見かも知れませんが、若狭地方については、畿内との直接的な要路が
>存在せず、隣接各域とも地形的に隔てられていたが故に、独自の文化が
>構築されたのではないかとの印象を受けます。

古くは、若狭小浜と京とを結ぶ「若狭街道」は、北前船からの物産を京に運ぶ道筋として往来が盛んだったと聞きます。小浜で陸揚げした鯖に塩をして、一晩寝ずに京都まで運ぶとちょうど良い味になったことから、「鯖街道」と呼ばれています。

面白いHPを見つけました。鯖街道について、いろいろ勉強できます。
http://www.ne.jp/asahi/saba/kaido/

ただ、近代を迎えて北前船による流通が次第に鉄道による流通にとって変わるようになると、次第に鯖街道の隆盛も衰えていったのではないでしょうか。
また、太平洋側優先の鉄道敷設も日本海側と太平洋側との交通事情に影響を与えたのではないでしょうか。

遅れに遅れた日本海側への鉄道敷設の中でも、比較的早く開通した北陸線(富山から直江津まではかなり時間がかかったようですが)と、貿易港として急速に発展した敦賀港とによる流通の成長が、鯖街道の重要性を奪ったといえるのではないでしょうか。
[3185] 2002年 9月 19日(木)15:33:44ひろすけ さん
神戸と岡山と広島と北九州と福岡の都会度ランキングについて
神戸と岡山と広島と北九州と福岡はどの順番に都会であるか?
人口ではなく市街地の発展度による都会度ランキングとする。

HP http://hiroshima.cool.ne.jp/hiro305/
[3184] 2002年 9月 19日(木)13:47:46miki さん
江能合併協再開
今日の中国新聞の記事ですが、9/26に江能合併協が再開するそうです。
なお、問題の合併日については2004.3をめどに協議するそうです。
[3183] 2002年 9月 19日(木)11:11:03深海魚[雑魚] さん
ループ線
[3181]
>ループ線と言えば、肥薩線の大畑駅近辺、北陸本線新疋田~敦賀間、上越線の土合~湯桧曽間
>あたりを私は思い浮かべてしまうのですが、

御意。ループ線といえば、何れも山越えの人口閑散区間となりますね。普通列車を集約する格好で、
急行が人吉-吉松の各駅に停車していた肥薩線の場合、並行する高速道のバスに押されて数年前
終に急行が廃止され、今や普通区間便が一日五往復のみ。峠の各駅と並行道路との位置関係から、
代替バスを直ちに設定できる状況ではありませんが、存在意義の相対的な低下で、今後の趨勢は
予断を許さないかも。ちなみに、指定席を連結した訳でもないのに、鈍行一往復に 「いさぶろう」
「しんぺい」 の愛称が付いていますね。これは一体何だろう。

上越線も意外に閑散区間で、日中の旅客は普通列車五往復のみ。夜行便や貨物便の要路なので、
存続自体は安泰ですが、十数年前の時点で既に、ループ線を含む上り線を廃し、トンネル主体の
下り線に集約する構想が報道されました。数年前の台風に伴う土合地上駅の土砂災害の時には、
下り線を用いて、単線扱いの間引き運行とした様に記憶します。こちらも予断を許さないかのな。
ただ、土合地下駅へのアプローチの煩わしさは半端ではないですね。並行する国道291号線は
清水峠前後が未開通ですが、番号が同じという事は、国道140号線の雁坂峠よろしく連結意図が
一応は存在するという事かな。

残る北陸線は、20分間隔で雁行する特急に加えて、普通列車も一日20往復程度と比較的多く、
「今昔物語/芋粥」 ではないけれど、敦賀と畿内の結び付きが感じられるところ。上越線と同様、
ループ線は上下線分離区間の途中にありますが、どうやら上り線の登坂緩和目的の様ですね。

敦賀で分岐する小浜線では直流電化工事が行われているそうで、それに関連して北陸線長浜-
敦賀も直流仕様に変更されるとの事。そうなると、現在は長浜折返しの新快速が木之本辺りまで
延長されて、東浅井郡や伊香郡の地勢にも微妙に影響して来るのではないかと感じます。一方で、
湖西線に発展解消した 「江若鉄道」 の当初の構想よろしく、近江今津-上中に特急用短絡線を
新設して、若狭地方への速達性を高める計画もある様で、敦賀口電化との整合性がどうなのか、
少々気になります。あるいは、一大観光地である三方五湖を意識しての事でしょうか。

偏見かも知れませんが、若狭地方については、畿内との直接的な要路が存在せず、隣接各域とも
地形的に隔てられていたが故に、独自の文化が構築されたのではないかとの印象を受けます。
まあ敦賀にしても、北陸トンネル界隈を境界とした 「嶺南」 「嶺北」 の地域区分によれば、
県都界隈とは経済的にも文化的にも一線を画している様ですね。

サハリンのループ線は、専門雑誌で度々話題になりますが、実際に趣味の団体旅行で現地を訪れた
友人によると、撮影の為の停車などの演出があったそうですね。
[3182] 2002年 9月 19日(木)08:48:42miki さん
博多市(>3178)
そういえば、1889年の福岡市市制施行の際の新市名を決める決選投票で「博多市」が1票差で破れて福岡市になったという話を聞いた事がありますが...。
[3181] 2002年 9月 19日(木)01:48:06でるでる さん
サハリン情報
[3180]
おっ!お久しぶりの樺太(サハリン)ネタですね。
とても詳細な内容で、毎度興味深く拝見させて頂いております。

既にご存知かも知れませんが、稚内市のHPに「サハリン情報」なるコーナーを見つけました。
http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/main/sakhalin.info/

今回の「樺太(サハリン)の鉄道」のお話も、私にとって新鮮で、新たな発見でした。

ループ線と言えば、肥薩線の大畑駅近辺、北陸本線新疋田~敦賀間、上越線の土合~湯桧曽間あたりを私は思い浮かべてしまうのですが、豊真線池ノ端駅と宝台駅の間のループ線は、どれ程の規模だったのでしょうか、興味があります。
[3180] 2002年 9月 19日(木)01:18:56ニジェガロージェッツ さん
樺太の鉄道
樺太について市町村と行政区画に関して、戦前の樺太と現在のサハリンを対比して見てみましたが、今度は鉄道について調べてみたく存じます。
現在の「サハリンの鉄道」については詳しいガイドブックや旅行記も出版され、また「鉄道ジャーナル」誌でもしばしば取り上げられています。
ここでは戦前の「樺太の鉄道」について落書きしてみます。

終戦当時、樺太には以下の鉄道がありました(軌間1067ミリのもの)。

【樺太鉄道局線】
1)樺太東線     大泊港―古屯   414.4キロ
    同、支線   落合―栄浜      10.3キロ
    同、貨物線  栄浜―栄浜海岸   1.8キロ
2)豊真線       小沼―手井      76.2キロ
    (昭和20年7月15日、豊原・奥鈴谷間16.2キロを廃止し、小沼・奥鈴谷間8.6キロに変更。
     このため、豊真線は当初の83.8キロより短縮された)
3)川上線       小沼―川上炭山  21.9キロ
4)樺太西線     本斗―久春内   170.1キロ
    同、貨物線  本斗―浜本斗    1.3キロ
    同、貨物線  真岡―浜真岡    1.8キロ

【地方鉄道線】
5)南樺鉄道株式会社線      新場―留多加    18.6キロ
6)南樺太炭鉱鉄道株式会社線 本斗―内幌炭山  16.4キロ
7)内淵人造石油株式会社線   大谷―内淵     12.5キロ

他に、軌間762ミリの産業軽便鉄道も各地に点在していましたが、ここでは略しています。
上記の1)から7)のキロ数を合計すると、総延長745.3キロとなります。

一方、ソ連崩壊時のサハリンの1067ミリ軌間の鉄道は

[Ⅰ]1)の樺太東線を北樺太ノグリキまで延長した「東部縦貫線」 ポルト(大泊港)―ノグリキ            653.1キロ
  スタロドゥープスコエ(栄浜)線   ドリンスク(落合)―スタロドゥープスコエ                      10.9キロ
  7)内淵人造石油線を延伸したブイコフ(西美保)線 ソコル(大谷)―ブイコフ                    23.2キロ
  3)川上線を継承したシネゴルスク(川上)線  ノヴォアレクサンドロフカ(小沼)―シネゴルスク          21.9キロ
  5)南樺鉄道を継承したアニワ(留多加)線  ダチノエ(新場)―アニワ                         19.0キロ
  ヴァフルーシェフ(泊岸)からヴァフルーシェフ炭鉱まで新設した                             12.0キロ
[Ⅱ]4)樺太西線と6)南樺太炭鉱線を統合した「西部縦貫線」 シャフタ(内幌炭山)―イリインスキー(久春内) 185.3キロ
[Ⅲ]2)豊真線を継承し、
     起点をユジノサハリンスク(豊原)に復した「南部横断線」 ユジノサハリンスク―ポリャーコヴォ(手井)  83.2キロ
[Ⅳ]西部縦貫線イリインスキー終点と東部縦貫線アルセンチエフカ(真縫)間に新設した「北部横断線」      29.1キロ

上記の[Ⅰ]から[Ⅳ]のキロ数を合計すると、総延長1037.7キロになります。
更に大戦末期、樺太東線の北の終点古屯より、東40キロにあった雁門まで建設中だった石灰石輸送用の軽便鉄道を戦後ソ連が1067ミリに改軌し、ポベージノ(古屯)―レスナヤ(雁門)間約40キロに加え、レスナヤで二手に分岐しペルヴォマイスコエ(雁門岩)まで10キロ、およびイズヴェストコヴイ(西山)まで12キロを延長しているのがサハリン州20万分の1地形図に記載されています。別に同地形図には西部縦貫線ゴルノザヴォーツク(内幌)付近で分岐し、海岸沿いに南下しシェブニノ(南名好)まで鉄道線がかかれています。ただ、このシェブニノにある駅名が西部縦貫線の起点と同じ駅名「シャフタ」と書かれているのが不思議です。路線図にはシャフタ―ゴルノザヴォーツク間は極めて近く1.79キロでシャフタは旧内幌炭山に間違いないのですが。因みにゴルノザヴォーツク―シェブニノ間は約16キロあります。
また軌間750ミリ軽便鉄道では、北樺太ノグリキ近郊のカタングリからサハリン最北の都市オハまで243キロがあり、軌間1520ミリのソ連標準の広軌鉄道がオハ―モスカリヴォ間30キロに敷設されています。

ざっとですが、「樺太の鉄道」と「サハリンの鉄道」についてまとめてみました。
また稿を改め、各線ごとに駅名などを落書きしていきたく存じます。

樺太の鉄道を知る日本人にとって、最大の見所は豊真線池ノ端駅と宝台駅の間にある「ループ線」で、戦後は「鉄のカーテン」の奥に隠された幻のループ線と言われた程でした。が、残念なことに旧豊真線である南部横断線が1993年ごろよりトンネルなどの修復のため営業を休止し、その後の財政難により廃線化してしまい現在ではレールも撤去されつつあると聞きます。無念です。
[3178] 2002年 9月 19日(木)00:02:17YSK さん
福岡県博多市?!
佐用郡の話や、4通りの読み方がありそのまま消えてしまった郡の話など、興味深いお話が続きます。

その他、最近TVなどで見聞した地名の読み違い・勘違いの例を。

(1)茨城県を「いばらぎけん」と読んでしまうアナウンサーは相変わらず多い。「茨木県」などと書かれていたことも。
(2)昨日見た某テレビ番組で、博多駅をバックに「福岡県博多市」などというとんでもないテロップを出しているのを見かけました(私はこんな間違いっていまだにする人がいるのかと一瞬目を疑いました)。
[3177] 2002年 9月 18日(水)23:49:23深海魚[雑魚] さん
峠越え
[3172]
磐越西線の中山宿駅や奥羽線の板谷峠各駅は、普通列車が起動性に富む電車に置換された事で
設備が不要になり、廃止されたと聞きますが、篠ノ井線の場合は、一時間置きに特急が雁行する
幹線ながら単線仕様という容量上の問題からスイッチバックが残っているのでしょうね。地形的に
余裕があれば、平凡な対向式交換所となるのだろうけれど。スイッチバックといえば、今冬、信越線の
関山と二本木を訪ねました。廃止扱いなのか、完全に雪に埋もれた前者は、晴天の下、轟然と聳える
冠雪の妙高山との対比が実に鮮やかで、前夜の温泉宿での馬鹿騒ぎ&大失態という苦い思い出が
昇華されるほどでした。

ところで犀川支流の谷に広がる聖高原一帯は、経済的には長野と松本、何れを志向するでしょうか。
高校の通学事情でいうと、松本圏らしいのですが。

[3173]
「俊寛僧都の島流し」 で 「かの松浦佐用姫が夫の乗りたる唐土船を慕いて袖を振りしも」 という
一節がありましたが、要するに悲恋のヒロインの象徴的存在なのかな。一方では、手毬歌の歌詞で
「アンチン (漢字失念) 清姫蛇に化けて」 と、悲恋には違いないけれどオドロオドロしい伝承も
ありますね。これは熊野地方の歌だったかな。

[3174]
おお、見えますか。来週、仙台出張があるかも知れないので、良く確認して置こう。東北線だと、
阿武隈ラインの渓谷を忌避した為と思われる越河峠越えに伴う、藤田-貝田の勾配区間からの
展望ですね。東北道が密着並行する格好の撮影地で、車で通過する度に路側帯に車を寄せたい
衝動に駆られるほどです。(勿論、実際に寄せるのは厳禁です。)
[3176] 2002年 9月 18日(水)23:36:33Issie さん
周准 さらに
そうそう,「周准郡」にはさらに“2文字目の「す」”を濁らせることで,「すず」という読み方も生みましたから,そうすると都合6通りの組み合わせになるのです。
さらにもまして凄まじい。
[3175] 2002年 9月 18日(水)23:27:34Issie さん
Re^2:佐用
「佐用郡」は,延喜式の編纂された平安時代半ば(10世紀)には「さよ」と読まれたようです。
だから「さよう」という読み方は,かなり後になってから漢字表記に引きづられて生まれてきたもののように思います。
陸奥(→陸前:宮城県)の「登米郡」が「とよま」から「とめ」に変わっていった例と同じようなものかもしれません。
ま,「さよ」と「さよう」では耳で聞いても差異はそれほど大きくないから,あまり気にしなければしないで済んでしまうのかもしれませんね。

明治半ばの郡制施行による郡の統合でなくなってしまったのですが,上総(千葉県)に「周准郡」という郡がありました。現在の君津市,小糸川流域を領域とした郡です。小櫃川流域の「望陀(もうだ)郡」,東京湾岸の「天羽(あまは)郡」と統合されて「君津郡」になりました。
実は,この郡は古代には「周淮郡」と表記していたようです。

よく見てください。「淮」という字の偏は“サンズイ”です。この字の基本的な音は「ワイ」ですから,これの変種ということで「周淮郡」は延喜式では「すえ」と読まれていました。
ところが,この「淮」という字は「准」という字と間違えやすいのですね。

違いがわかりますか? 今度は“ニスイ”で「准」という字なのです。この字の基本的な音は「ジュン」です。そこで,この音のバリエーションとして,「周准郡」には「すす」という読み方が生まれました。そして,「すえ」「すす」両方の読み方が行われます。

一方,「淮」と「准」とは何しろ紛らわしいので,お互いに混同されてしまいました。明治初めの印刷物でさえ,「周淮郡」「周准郡」両方の表記が行われています。

「すえ」「すす」という2通りの読み方に,「周淮」「周准」という2通りの漢字表記,それぞれを組み合わせると,「周淮」と書いて「すえ」と読んだり「すす」と読んだり,「周准」と書いて「すえ」と読んだり「すす」と読んだり…。
都合,4つの組み合わせがあってそれが入り乱れて行われる,という無茶苦茶な状態で明治の郡整理を迎えてしまったわけです。
結局,どれが「正しい」のか決着がつかないまま,君津郡に統合されてしまったのでした。

こんな凄まじい例もあるのです。
[3174] 2002年 9月 18日(水)23:07:38YSK さん
国見SA
[3167]
<県都の夜景といえば、東北道上り車線側の国見SAから、辛うじて福島の街が
<望めた様に記憶します。ここはどちらかと言うと、南福島駅東側の国道4号線の
<勾配区間からの方が綺麗に見えたかも知れないけれど。

ばっちり望めますよ。
福島市街地や、福島盆地の眺望が見事です。
私は、まだ青春18切符がばらで使えた時代は、よく仙台と地元との往復に東北本線を利用していましたが、東北本線から眺める福島盆地の眺めはとても好きでした。
[3173] 2002年 9月 18日(水)21:02:28Firo さん
Re:佐用
佐用と聞いて真っ先に思い当たったのが、肥前松浦の佐用姫(さよひめ)伝説でした。
ただ、場所的に佐用町とは離れていると思ったのですが、佐用町内に竜山神社という
この伝説にまつわると思われる神社があり、地名、駅名もここから発したと考えていいの
ではないでしょうか。
ちなみに、佐用姫にまつわる話は東北をはじめ各地にあるようです。
もっとも、佐用町は今は、星の美しい町として有名なようですね。
[3172] 2002年 9月 18日(水)20:22:56Issie さん
かるいさわ
濁点有無の話の続きですが,

話題の「長野県軽井沢町」の場合,町の公式名称は「かるいざわまち」と濁ります。国鉄(JR)の駅も「かるいざわ」ですね。
しかし,地元では「かるいさわ」と濁らずに読むのが「正しい」とされています。で,長野県内では,標準語がどうであれ,行政上の公式名称がどうであれ,「かるいさわ」と読む人の方が多数派のようです。

地名ではないのですが,
幕末の松代藩士で勝海舟や吉田松陰とも関係の深い 佐久間象山 も,普通「しょうざん」と読むことになっていますが,長野県では「ぞうざん」と読むのが正しいとされています。一応ね,松代郊外にある「象山(ぞうざん)」という山に根拠を求めることが多いのですが。
だから,この人は“県歌”である「信濃の国」に登場するのですが,そこで出てくる「象山佐久間先生」は「しょうざん」ではなく,「ぞうざん・さくませんせい」と歌わ“なくてはなりません”。
ちなみに彼の前に出てくる「仁科の五郎信盛」は「仁科盛信」(武田信玄の五男で,信濃の名族の仁科氏に送り込まれた。武田・織田の最終戦争で高遠城に敗死)で,これは歌詞自体が間違っています。間違いでも,そのまま歌っちゃってるんですね。

[3167]
>「姨捨」 の由来は、冠着山における悲しい伝説に基づくそうですね。

…という,オドロオドロしい由来を持つ地名が「月の名所」として風流の対象になる,というのも面白いものがあります。
ついでに,篠ノ井線の姨捨駅は今や数少なくなったスイッチバックの駅としても有名ですが,冠着トンネルをぬけてから善光寺平まで“あの”高低差を駆け下りるため,姨捨駅の前後にも「羽尾」「桑ノ原」というスイッチバックの信号場があります。つまり,スイッチバック形態の停車場が3つ連続しているのですね。
以前は明科-西条(にしじょう)間にも「潮沢」というスイッチバック信号場があたのですが,こちらは長大トンネルの開通による線路の付け替えでなくなってしまいました。
[3171] 2002年 9月 18日(水)19:44:06国枝和基 さん
訂正
15日の中日サンデー版でした。
[3170] 2002年 9月 18日(水)19:31:28国枝和基 さん
市町村合併
16日の中日新聞に市町村合併のことが書いてあるよ。
[3169] 2002年 9月 18日(水)18:58:50日和[松戸] さん
祝!600万人!!!
ええええ~~っとですね、9月17日、我が千葉県の人口が、600万41人になり、都道府県全国6番目に600万人を越えました!!!

・・・と、それだけなんですが、イキナリ減ってしまわない事を願います・・・。
[3168] 2002年 9月 18日(水)18:32:00ケン さん
合併離脱市町村の出直し
合併を離脱した市町村のうち群馬県富士見村、福井県三国町、岐阜県北方町、広島県能美町、下松市、徳島県山川町は住民投票で合併の賛否を問うべきです。
山梨県小淵沢町、滋賀県土山町、朽木村、和歌山県白浜町、熊本県苓北町は合併しない宣言をした方がよさそうです。
[3167] 2002年 9月 18日(水)18:00:59深海魚[雑魚] さん
姨捨
[3166]
姨捨駅はもとより、長野道のSAも格好の展望地ですよね。百万弗は無理としても、
夜間には善光寺平の夜景も楽しめますし。高速道路からの展望と言えば、東関道の
上り車線側にある佐原PAから俯瞰する利根川や外浪逆浦もお気に入りです。

「姨捨」 の由来は、冠着山における悲しい伝説に基づくそうですね。そう言えば、
今村昌平監督の映画も、信州の山奥という設定でしたっけ。

県都の夜景といえば、東北道上り車線側の国見SAから、辛うじて福島の街が
望めた様に記憶します。ここはどちらかと言うと、南福島駅東側の国道4号線の
勾配区間からの方が綺麗に見えたかも知れないけれど。
[3166] 2002年 9月 18日(水)16:30:59YSK さん
篠ノ井線のことですね。
[3164]
<眼下に平野が俯瞰され、「うそぉ、今からあそこまで下るの?」 という、ある種
<「姨捨状態」 だった

篠ノ井線の姥捨駅あたりからみる眺望のことですよね。
私は、篠ノ井線の初乗車は松本方面からだったので、まさに標記のような感動に襲われました。
[3165] 2002年 9月 18日(水)16:16:32あっちゃん[実は小学生] さん
ありがとうございました。
[3142]
とても良い名前だと思います。採用させていただきます。
ご協力ありがとうございました。
[3164] 2002年 9月 18日(水)15:17:00深海魚[雑魚] さん
近江鉄道の事
米原町の話題に関連して、近江鉄道に関する雑感など。

米原界隈の中心都市となる彦根を起点に、同鉄道が愛知川まで開業したのが1898年。これに対し、
米原-彦根の開業は、貴生川までの電化が完成した後の1931年と、いかにも付け足しの様な感じ。
これはやはり、北陸線を別つ鉄道の要衝として、本来なら彦根に停車すべき優等列車が米原停車に
集約された為、そうした列車への接続を考慮した結果かと思われますがどうでしょうか。当該延伸が
新幹線開業後なら、話は単純なのですが。もっとも、電化当初から電圧規格が国鉄と同じとの点から、
乗り入れの選択肢があったかも知れず、国鉄とは別個に、佐和山をトンネルで抜けて鳥居本地区への
便宜を図った点から、必ずしも米原での優等列車接続至上主義だけではない様にも感じます。

新幹線開業に際しては、密着並行区間となる高宮-五箇荘で、鈴鹿山脈を望む車窓景観が損なわれた
事情を理由に補償金を得た話は有名ですが、それ程に眺めが良かったのかな。何しろ新幹線といえば、
三人掛を忌避し、いつもD・E席を利用するので、反対側の車窓風景はあまり印象が無いのです。案外、
冬季は冠雪の山容が綺麗かも。雪といえば、地形的障害が無いにも関わらず、大津界隈と湖東地区の
降雪量の差は歴然としていますね。伊吹山などの存在に負う現象でしょうが、どの辺りが 「気候帯」 の
境界になるのだろうか。

近江鉄道といえば、水口町中心部から外れた位置で、草津線、信楽高原鉄道が接続する貴生川駅の
立地も独特ですね。貴生川では草津線が近江鉄道より十年ほど先行して開業していますが、水口町の
中心部を経由する国道1号線と一線を画した経路なのは、鉄道での鈴鹿峠越えが困難視された為と
推察します。とはいえ、加太越えも相応に難所ですが。

ところで、関西線に合流する柘植駅は、地図を見る限り、伊賀町の中心という印象ではないのですが、
実際はどんな感じでしょうか。電化されて以降、栗東の市制施行に象徴される、京都方面を志向した
沿線でのベッドタウン化進捗がこの地にも及んでいるか否か、気になります。どうせなら、電化区間を
亀山まで延長して、草津線経由で名古屋-京都の電車快速というのも面白いかな。私が学生の頃は、
名古屋-奈良の急行 「かすが」 と、京都-鳥羽の急行 「志摩」 が、亀山-柘植で併結運転扱いでした。
これは、加太越え前後でのダイヤ確保難ばかりではなく、三重県内-京都の利用者を考慮した措置と
聞いています。

やはり貴生川から分岐する信楽高原鉄道は、例の不幸な事故に伴う運転休止期間の後に乗りました。
実際に利用して初めて、貴生川-紫香楽宮跡の駅間距離の長さと 「高原鉄道」 を名乗る意味を実感。
この時は、伊賀上野からタクシー移動 ([1531]参照) という荒業を介し信楽側から乗ったのですが、
貴生川が近づくにつれて眼下に平野が俯瞰され、「うそぉ、今からあそこまで下るの?」 という、ある種
「姨捨状態」 だった事を思い出します。(笑) なお、信楽町から流れる大戸川は、野洲川や琵琶湖とは
無関係に、瀬田川に直接流入していますね。
[3163] 2002年 9月 18日(水)10:00:56miki さん
上五島5町合併・新町名は?
合併協議会に問い合わせたところ、次の5点が候補だそうです。
海輝町(かいきちょう)、かみごとう町、北五島町(きたごとうちょう)、新上五島町(しんかみごとうちょう)、つばき町
[3162] 2002年 9月 18日(水)08:37:40H2 さん
Re: 軽井沢も
[3152]
> H2さんのご指摘の通り「北佐久郡町村会市町村合併問題研究会」は存在致しております。
(snip)
> それらの新たな組織設置に至り、実質活動休止の状態
> にあることから、紹介を見送りました。
(snip)
> ご指摘の軽井沢町も隣接する御代田町が佐久市
> 周辺との任意協議会の参加を決めたことから、合併には消極的な態度を示しております。

なるほど。そういう状況なんですね。
わざわざ説明していただき、ありがとうございました。

それにしても、個々にきちんと把握・理解して更新されているとは、
まことにもって恐れ入ります。
もしかして、総務省の合併担当部局の方々よりお詳しかったりして。


で、あこがれの軽井沢なんですが(笑)、
合併しなくても自立してやっていけるってことなんでしょうかね。
財政状況とかはみてないですけど。
[3160] 2002年 9月 18日(水)03:31:33黒髪 さん
Z会の学校情報データベースより
米原町立米原小学校 これは「まいはら」
米原町立米原中学校 これは「まいはら」
滋賀県立米原高等学校 これは「まいばら」
ただし、米原高等学校はお隣の近江町にあります。

ついでに
船橋市立前原小学校 これは「まえはら」 船橋市前原西
船橋市立前原中学校 これは「まいはら」 船橋市中野木

ほんとかなぁ~?!
[3159] 2002年 9月 18日(水)01:53:21ゆう さん
転訛ネタ
兵庫県佐用郡佐用町は「さよう」ぐん「さよう」ちょうですが、姫新線の佐用駅は「さよ」えきですね。
尻切れというのは少ないように思います。

山口県防府市は「ほうふ」しですが、地元でも相当数の人が「ぼうふ」と読んでいるようなのです。
特に年配の人に多いような気がしてます。

以上2点について事情をご存知の方いらっしゃいますか?
[3158] 2002年 9月 18日(水)00:06:09深海魚[雑魚] さん
転訛
[3155]
>町の見解は、「今も昔も“まいはらちょう”が正式」とのこと。
大学時代に愛用した東芝製ワープロの地名データベースでは 「まいはら」 が変換可、
「まいばら」 が変換不可で、前者が正式な発音かと合点した事を思い出しました。

似た様な例として 「みんまや/みうまや」 もあった様な。私の記憶違いでなければ、
JR駅は 「みうまや」 とした時期が存在した様に思います。今や鈍行一日五往復が
運転されるだけの津軽線末端部、津軽今別駅の整備や青函トンネル直前の新駅設置で、
海峡線への集約性が高まるかと思うのですが、運営元の違いもあるし、趨勢やいかに。

>なぜか「まいばら」駅とされてしまったのだそうです。
「あさひかわ/あさひがわ」 「かかみがはら/かがみがはら」 など、このテの転訛は
枚挙に暇が無いですね。

ある掲示板で、現地の方が古老から聞いた話として紹介した事ですが、宮崎県高鍋町は
元々「たからべ」 と称していましたが、明治の頃、中央から派遣された官吏が誤って
「たかなべ」 と登録したのが由来とか。本当かな。

私が地元の古老から聞いた話ですが、戸籍登録の際、ヨネ (仮名) なる女性が知人に
代理申請を頼んだところ、その知人はいつもの癖で 「おヨネ」 と申請し受理された。
いつ頃の話か判りませんが、戸籍管理すらかくも大らかだった時代では、こんな珍事も
起こり得たという典型かな。そう考えると、地名で清音と濁音を混同する事があっても
不思議ではないですね。

[3156]
>「峠の釜飯」も、軽井沢駅や上信越道のサービスエリアなどで買うものになりました。
新幹線移行直前の時点で既に、最大の売り先は佐久平SAだった模様です。信越線や
国道18号線が主要路から外れつつある現在、横川のドライブインや駅構内での販売員は
いつまで残る事だろうか、とも思います。

>碓氷峠を越えることができない。
設備は丸ごと残っていますね。何れは朽廃の危険もあるだろうに、どうするのだろう。
[3157] 2002年 9月 17日(火)23:34:41Issie さん
まいはら
>特急あさまがリバイバルされても、碓氷峠を越えることができない。何かもどかしさと、峠を列車が越えていた頃のなつかしさとを感じてしまいますね。

同感。
「あさま」は学生時代,ずいぶんお世話になったので(学生時代後半は昼間の急行「信州」はなくなっていたのです),感慨も一入です。
もっとも,翌日の行動を考えると,2時過ぎに長野を出て7時前に上野に着き,夜の9時ごろ上野を出て1時過ぎに長野に着く「能登」が何かと便利だったんですけどね。学生には夜の1時ははまだ“活動時間”でしたから。

まぁね,松井田町-軽井沢町間のローカルな輸送需要と,極めて特殊な線路状況ゆえにかかる莫大な維持・管理費,機関車の付け替えの手間と時間のロスを考えれば,廃止されたのは至極当然と言わざるを得ません。

それはさておき…
市町村名ではなく,もう1ランク下の地名ですが,
千葉県のJR総武線津田沼駅北口の船橋市側のあたりは「前原西/前原東」という町名なのですが,船橋市の公式の読み方は「まいはらにし/ひがし」なのですね。
しかし,隣町ながら私は地元の人が「まいはら」と読むのを聞いたことがありません。
当然のように「まえはら」もしくは「まえばら」。確か,新京成の「前原駅」も「まえばら」だったのではないかな。
さて,「まいはら」とは,どこから出てきた読み方なのか。
それとも,「まえはら/まえばら」と読むのはよそ者なのか。
ちょっと不思議な読み方ではあります。
[3156] 2002年 9月 17日(火)23:05:09YSK さん
特急あさま
[3151]
<東北方面ではないけれど、碓氷峠の不通箇所ゆえに直通運転できない
<「あさま」 が、上野-横川、軽井沢-長野以遠と分離運転している事
<には健気さすら感じます。

長野新幹線開業5周年記念で運行されているとのことです。

JR東日本ホームページ
http://www.jreast.co.jp/press/20020809/index.html

私は、地元ということもあり、横川~軽井沢間廃止の際は、何度か乗車し、機関車を連結したり、離したりする光景を目に焼き付けたものです。
機関車の連結作業等の間に横川駅で急いで買っていた「峠の釜飯」も、軽井沢駅や、上信越道のサービスエリアなどで買うものになりました。

特急あさまがリバイバルされても、碓氷峠を越えることができない。何かもどかしさと、峠を列車が越えていた頃のなつかしさとを感じてしまいますね。
[3155] 2002年 9月 17日(火)22:44:23YSK さん
「まいはらちょう」が正しい。
滋賀県米原町。町名は「まいはら」なのに、JR駅名は「まいばら」。

このことについて、思い切って米原町役場にメールで質問してみました。
金曜夜にメールしたところ、連休明けの今日、早速回答をいただきました。

町の見解は、「今も昔も“まいはらちょう”が正式」とのこと。

明治22年に国鉄により米原駅が設置されたとき、なぜか「まいばら」駅とされてしまったのだそうです。
米原駅は北陸線の分岐点で、かつ新幹線の停車駅であることから、この「まいばら」だけが全国的に知れ渡ってしまいました。

国鉄(JR)の駅名と実際の地名の不一致は珍しくないようで、過去ログ[1733]で市原市の「姉ヶ崎駅/姉崎」についてのIssieさんのご説明にあるように、地名と駅名がどちらが正しいかはケースバイケースのようですね。

ただ、米原町の場合は、あくまで地名としては「まいはらちょう」が正しいとのことでした。
[3154] 2002年 9月 17日(火)22:19:32YSK さん
正解です。
[3143]
(1)地嵐別→ちゃらしべつ
(2)浦雲泊→ぽんどまり
(3)初無敵→そむてき
(4)入境学→にこまない
(5)分遣瀬→わかちゃらせ
(6)老者舞→おしゃまっぷ
(7)知方学→ちっぽまない

だそうです。
出典 山田秀三(1986)『アイヌ語地名を歩く』北海道新聞社
です。訂正してお詫びいたします。


[3153]
山田秀三さんの『北海道の地名』は名著だと思います。
一度、大学の図書館で読み、アイヌ語の地名のセンスや、現在の地名の由来などを楽しみながら読んだものです。
[3153] 2002年 9月 17日(火)20:49:13でるでる さん
レス諸々
[3144]まがみさんへ
中部上北合併協議会のHP移転情報、更新致しました。ありがとうございました。

[3143]YSKさんへ
フフフ、わかりましたよ。
実は私も、山田秀三著「北海道の地名」北海道新聞社刊を持っておりますので。

でも、初めて見た時は全くわかりませんでした。答えを知った時はあまりの「当て字」に笑いと、妙な感心をしたものです。


藩のお話は、大変興味深く読ませて頂きました。
いつもIssieさんの博識ぶりには脱帽しております。私がこのHPのファンになってしまったきっかけでもあります。
何しろ、この落書き帳を始めて見た頃は、Issieさんが管理人だと勘違いしてた位ですので・・・(グリグリさん、Issieさんごめんなさい)
[3152] 2002年 9月 17日(火)20:31:49でるでる さん
Re: 軽井沢も
[3138][3139] H2さんへ
>長野県の軽井沢町も「北佐久郡町村会市町村合併問題研究会」というのに含まれている一方、
>こちらのサイトの「都道府県別 合併計画一覧」にはまだ含まれていないようです。

H2さんのご指摘の通り「北佐久郡町村会市町村合併問題研究会」は存在致しております。
関係自治体は軽井沢町、御代田町、望月町、立科町、浅科村、北御牧村の6町村で構成され、2001(平成13年)5月1日に設置された、職員レベルの研究会です。
この研究会は、そもそも合併問題とは何ぞやということを調査研究するために、北佐久郡6町村で合同で研究しましょうということで設置されました。

変更情報では「法定」「任意」「研究会・勉強会」など、職員レベルでの研究組織についても出来る限り網羅・紹介する様にしておりますが、ご指摘の研究会については、枠組みや協議が更に発展した同等の枠組みの組織が存在することから(下記参照)重複を避ける意味合いと、それらの新たな組織設置に至り、実質活動休止の状態にあることから、紹介を見送りました。

この様な理由から、変更情報に掲載していない組織が他にもいくらかありますが、単に私が把握しきれていない為に掲載されていない箇所もあるかと思いますので、何か情報がありましたら、ご教示頂けると、大変嬉しく思います。

その後ですが、この6町村の他、佐久市や南佐久郡の町村の複数の枠組みにおける研究・勉強会の設置・再編をへまして下記の様な形に至っております。

1、「佐久市・御代田町・浅科村・臼田町任意合併協議会」H14.8.26設置
構成・・・佐久市、北佐久郡御代田町、浅科村、南佐久郡臼田町
2、「東部町・北御牧村合併協議会(法定)」H14.10.1設置予定
構成・・・小県郡東部町、北佐久郡北御牧村
3、「川西三ヶ町村合併問題研究会」H14.2.9設置
構成・・・北佐久郡望月町、立科町、北御牧村
※北御牧村が東部町と法定協議会を設置したため、望月町と立科町の2町で職員レベルの研究会設置H14.8.29
※佐久市と望月町は職員レベルの勉強会を設置H14.8.13
※佐久市と立科町は職員レベルの勉強会設置で合意H14.8.9

なお小諸市は当面合併はしない旨を表明(H14.9.9)し、ご指摘の軽井沢町も隣接する御代田町が佐久市周辺との任意協議会の参加を決めたことから、合併には消極的な態度を示しております。

なお、長野県の合併情報でしたら
長野県HP合併情報
http://www.pref.nagano.jp/soumu/shichoson/gappei/
信濃毎日新聞社市町村合併
http://www.shinmai.co.jp/gappei/
が、わかり易いと思いますよ。
[3151] 2002年 9月 17日(火)16:02:29深海魚[雑魚] さん
碓氷峠
[3146]
要するに、幕府の意を呈した大名の私的な自治という感じでしょうか。明治新政府の
主要な命題の一つが中央集権の確立にあったのも、そうした事情を反映しての事かな。

[リバイバル特急]
今冬の新幹線八戸延伸で、いよいよ一体的機能を失う東北線への惜別の意もあるのか、
往年の在来線特急の復活運転が目立つ今年の秋。東北方面ではないけれど、碓氷峠の
不通箇所ゆえに直通運転できない 「あさま」 が、上野-横川、軽井沢-長野以遠と
分離運転している事には健気さすら感じます。車窓風景本位で言うなら、特急自体の
希少性もあいまって、軽井沢-直江津のみの運転でも十分に価値がある様に思います。

ところで、新幹線開通に伴う信越線碓氷峠の廃止が決定した時、若しかして松井田が
終点になるのかとも思いました。というのは、横川駅は補助機関車の扱いに関連した
全く業務上の理由から旅客列車が停車する、碓氷峠越えを前提とした立地と思えた為。
鉄道文化村が整備された現在、同地や連絡バスの利用実態はどういう状況でしょうね。

国道18号線の旧道をひたすら登坂し、県境を越えて急に眼前に高原風景が広まる様は
感動的ですらあります。
[3150] 2002年 9月 17日(火)13:31:24f さん
[3146]
引越しや何やらで、ここに書き込むのは久しぶりです。
手始めに、藩について補足しておきます。
> これが1万石以上であれば「大名」,未満であれば「旗本・御家人」です。
例外は蝦夷松前の松前家。無高でも大名とされています。それから下野喜連川の喜連川家も5千石でも大名ですね。御三家の付家老5家は大名ではないが藩とされる(こともある)。周防岩国の吉川家は徳川家から見ると大名だが、毛利宗家の家臣でもあるのでちょっと複雑。一橋、田安、清水家は10万石だが大名とはされないのが普通。
[3149] 2002年 9月 17日(火)11:53:07黒髪 さん
大阪万博&ポートピア
[3129]
> わが国で最初に開かれた国際博覧会は1970年の大阪万国博覧会ですが、[3070]は地方博覧会に限った話なので、80年代後半に限らずこれも仲間に入れてください。
>1981年 ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)

両方とも行きました。(うっ、年が・・・)
あの頃はテレホンカードがなかったので、敢えて書きませんでした。
切手とかコインとかピンバッチとかはあったでしょうが、テレカマニアなもので…。
最近では、「山口きらら博」というのがありましたが、テレカが発行されたかどうか不明です。
携帯電話の普及により、テレカの価値が急落したため、発行しなかったかもしれません。
[3148] 2002年 9月 16日(月)21:58:02オーナー グリグリ
Re:新しい中学校地理学習の参考にできるページですね
[3141] > 国中学校地理教育研究会 青柳さんへ
> はじめまして、全国中学校地理教育研究会(全中地研)でHPづくりを担当している青柳と申します。
> (途中略)
> リンクさせていただきましたのでよろしくお願いいたします。
どうもはじめまして。リンクの件、OKです。こちらこそよろしくお願いいたします。また、お褒めの言葉ありがとうございます。よろしかったら、教育の現場の方のご意見も遠慮なくいただければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。

学生さんはじめ教育関係者の方からも時々メールをもらいますが、来年の夏休みまでには、もう少し基礎的な地理データも揃えたいなと思っています。最近話題になった、湖沼、島、山、温泉、滝、川、国立公園、国定公園、国宝、世界遺産、ラムサール条約、半島、火山、空港、天然記念物、などなど、一度揃えれば比較的更新作業の必要ない情報なので。ふっふっふっ... また協力者を捜そうかなぁ...
[3147] 2002年 9月 16日(月)21:47:24オーナー グリグリ
9月の三連休その一
はぁ、三連休も早かったですね。雨だったので庭仕事が出来なかった分、HPメンテナンスに時間がとれましたけど。。。実は小学生さんの自分色設定しました。実は小学生@静岡県民 のニックネームも統合したので、ランキングでジャンプしましたね。色使いが先の ニジェガロージェッツさんといい、だんだん派手な傾向になってきています。私の好みから少し路線が外れて行きそうなんですが、まぁよしとしています。そのうち気に入らなくなったら強権発動するかもしれません。(笑

そうそう、ご希望の色をちょっと変更し派手さを少しだけ押さえました。ご了解ください。>実は小学生さん
ニックネーム、色使い、変更ご希望が有れば受け付けます。昔のニックネームの統合も。>皆さん
それから、まだ、自分色を申請されていない方、とくにランキング上位の方、成りすまし防止のためにも、ご協力を何とぞよろしくお願いします。ランキング下位でもご遠慮なくどうぞ。

>でるでるさん
変更情報管理ページの強化改善作業を行っていますが、遅々として進まず。部分的な評価をお願いしたいのであとでメールします。東京新聞大図解は手に入りましたか。東京新聞HPからも申し込めますよ。
[3146] 2002年 9月 16日(月)21:11:40Issie さん
Re:藩
いや,「藩」と呼ばれることになる組織ないし機構はあるのです。それを「藩」と呼ばなかっただけ。

江戸時代の統治機構の基本的な関係は,将軍に臣従した武将に対して一定の領域の知行(支配)を認める,というものですね。これが1万石以上であれば「大名」,未満であれば「旗本・御家人」です。
でもこの支配権は形式的には将軍から大名“個人”に与えられるものです。
知行を与えられた大名たちは家臣のそれぞれに“家老”以下の役割を分担させて,その領域を統治します。これは起源としては鎌倉時代,武士たちが自分ないしは自分の“家”の領地を経営するための機構から発展したものであり,本質的に“私的”(プライベート)な性格のものです。
江戸時代,大名の支配は幕府という全国政権の下での地方行政という“公的”な性格を持つようになるのですが,それでもかつての“私的”な性格を引きずりつづけます。
(幕府の統治機構も,もともとは松平氏が三河の山奥の小大名であった時代の家政機構から発展したものです。)

で,つまりそれぞれの領域は「大名」ないし「大名家」の領地ということになる。その領地の行政を行うのは“大名家の家政機構”である「(御)家中」(かちゅう)です。
たとえば,萩を拠点に防長二州の支配権を与えられたのは 秀就 以下の「毛利本家」の歴代当主であり,その領域は「毛利領」であり,実際に行政にあたったのは「毛利家中」ということになります。
もし何か事故があって,将軍が大名の領地をすべて取り上げてしまう事態(改易)になれば,「お家」が断絶するのですね。

大名の領域は「○○領」などと呼ばれることがあるのですが,これは律令以来の国郡や明治以降の行政区分とは違って,その範囲が絶えず変動しています。将軍が大名に対して折に触れて与えたり奪ったりするものであって,大名の側から見れば,鎌倉時代以来の発想では大名個人あるいは大名家の「財産」。本質的には「行政区画」ではないのです。
(ただし,江戸の周辺のような地域では,いくつかの村ごとに「領」という区域を編成し,これを旗本に知行地を与える単位にしています。)

「藩」という用語は,江戸時代の半ばに新井白石のような学者たちが中国の文献から取り出して使い始めたと言われています。
これが事実上“地方行政機関化”していた各大名の家政機構,つまり「家中」に対して用いられるようになり,明治の版籍奉還を経て“公的な地方行政機関”として位置付けられました。同時に各「藩」が支配する領域も,政府直轄の「府」や「県」がそうであるように,「藩」と呼ばれるようになります。
そして明治以降の日本史研究者たちが「藩」という用語を江戸時代初めまで遡って使用したことによって,関ヶ原直後から「長州藩」「薩摩藩」という呼称があったという“錯覚”ができあがったのです。
[3145] 2002年 9月 16日(月)19:53:56深海魚[雑魚] さん
[3133]
大政奉還以前の日本史には疎い私ですが、これは意外でした。幕府の下位区分として
地域の行政や経済を統括していたのは、藩ではないとなると、一体何なのでしょうか。
藩が実勢を伴わないとなると、参勤交代制などの意義はどう解釈すれば良いのかな?
[3144] 2002年 9月 16日(月)15:56:25まがみ さん
中部上北合併協議会のHP移転
青森県上北郡七戸町・上北町・東北町・天間林村でつくる「中部上北合併協議会」のHPが移転しました。

http://www9.plala.or.jp/gappei/
[3143] 2002年 9月 16日(月)15:13:57YSK さん
北海道の難読地名
[3137]
<北海道の地名は,ほとんどが日本語ではないのですからカタカナ表記な
<のは当たり前です。江戸時代にはほとんどすべてがカタカナ表記でした。
<よくぞ,あそこまで漢字の当て字をしまくったものです。

「倶知安」などは、かなり強引な当て字ですよね。

そこで、次に、強引な当て字地名が多い釧路町沿岸の地名を並べてみます。
みなさん読めますか?

(1)地嵐別
(2)浦雲泊
(3)初無敵
(4)入境学
(5)分遣瀬
(6)老者舞
(7)知方学

ちなみに、出典は山田秀三『アイヌ語地名を行く』です。
正解は後ほど。

[3142]アーアイブズ→アーカイブズ 相変わらず、まぬけな私です。
[3142] 2002年 9月 16日(月)15:01:46YSK さん
re:ちょっと相談が・・・
[3140]
>アーアイブズテーマの名前で
>「人口が一番少ない市より人口が多い町村は?(仮称) 」のいい名前が思いつきません。
>みなさんはこれでいいと思いますか?

「同じ都道府県内で市よりも人口の多い町村」でどうでしょう。

このテーマにまとめらた書き込みは、町や村で市より人口が多いという現象が起きている都道府県の話題へと発展していくようなので。この場合、自然と町や村で最大の人口規模のところと、人口が最小の市とを比べることになりますからね。
[3141] 2002年 9月 16日(月)13:17:40全国中学校地理教育研究会 さん
新しい中学校地理学習の参考にできるページですね
はじめまして、全国中学校地理教育研究会(全中地研)でHPづくりを担当している青柳と申します。この夏から、地理教育に関するHPを立ち上げ、地理教育関係のネットを通したネットワークづくりを目指しています。そんなわけで、地理関係のリンク集づくりも手がけていて、このページにたどりつきました。情報量、センスの良さが目を引きました。リンクさせていただきましたのでよろしくお願いいたします。

HP 全国中学校地理教育研究会(全中地研)
[3140] 2002年 9月 16日(月)11:26:27あっちゃん[実は小学生] さん
ちょっと相談が・・・
アーカイブズ、更新しましたが、
テーマの名前で
「人口が一番少ない市より人口が多い町村は?(仮称) 」のいい名前が思いつきません。
みなさんはこれでいいと思いますか?意見をください。
(細かいことにこだわるタイプなのですみません・・・)

「最下位人口市より多い町村は?」も考えてみましたが、
ちょっと最下位人口っていうときついかなと思います。
ケンさんすみません。
[3139] 2002年 9月 16日(月)11:24:18H2 さん
Re: 軽井沢も
自己レスです。

「北佐久郡町村会」「市町村合併問題研究会」に区切って検索したら
いくつかページが出てきたのですが、
軽井沢町が含まれている会はみつかりませんでした。

中日新聞の調査が古かったりしたんでしょうか。

もし地元の方など詳細をご存じの人がいらっしゃれば
状況をお教えいただければ幸いです。
[3138] 2002年 9月 16日(月)11:16:44H2 さん
軽井沢も
昨日の中日新聞の別刷りをみていて気がついたのですが、
長野県の軽井沢町も
「北佐久郡町村会市町村合併問題研究会」
というのに含まれている一方、
こちらのサイトの「都道府県別 合併計画一覧」にはまだ含まれていないようです。

上記名称をgoogleで検索してもPDF書類が2つほど引っ掛かっただけで、
詳細はわかりませんでした。
[3137] 2002年 9月 16日(月)10:56:56Issie さん
カタカナ地名
>千葉県の一部の市町村ではイ、ロ、ハの地名があります。

パターンが2つあります。

八日市場市や旭市などの場合,これはいずれも合体市制以前の旧八日市場町,旧旭町の範囲にあるのですが,それぞれ“明治の大合併”以前の旧村を引き継いだものです。
八日市場の場合,町村制施行のために 八日市場村,富谷村,籠部田村,下富谷村,米倉村 の5村合併で「福岡町」が編成されました(1915年に「八日市場町」と改称)。このとき,旧村のそれぞれを“大字”としたのですが,ほとんどの市町村では旧村名をそのまま大字の名前にしたのに対して,福岡町では“抽象的”な イ・ロ・ハ で呼ぶことにしました。
 八日市場村 → イ, 富谷村 → ロ, 籠部田村 → ハ, 下富谷村 → ニ, 米倉村 → ホ
という対応関係になります。旭町の場合も同様。

八街市の場合は,“明治の大合併”以前の旧八街村の範囲に い・ろ・は という区分があります。
こちらは本来,「八街」で1つの大きな大字を編成するところを,開拓地であるせいか,その領域が広すぎるために,いくつかの区域に分割したもの,と思われます。
市街地で1つの大字(町)を 1丁目・2丁目… と分割していくのと同じ発想では。

北海道の地名は,ほとんどが日本語ではないのですからカタカナ表記なのは当たり前です。
江戸時代にはほとんどすべてがカタカナ表記でした。よくぞ,あそこまで漢字の当て字をしまくったものです。
そして,本州以南の日本語の地名の場合も,字(あざ)レベルではカタカナ表記のものは全然珍しくありません。もちろん“ひらがな”表記も。いくらでも,ありますよ。
[3136] 2002年 9月 16日(月)09:27:02miki さん
具体的に言うと...。(>3126)
>千葉県の一部の市町村ではイ、ロ、ハの地名があります。
具体的に言いますと、佐原市、旭市、八日市場市、八街市、東庄町、蓮沼村ですね。
八街市、東庄町の場合はひらがなですが...。
[3135] 2002年 9月 16日(月)06:18:48YSK さん
両毛地域合併構想?(足利市HPより)
足利市が、9月15日の市広報で、合併の特集を行い、足利市の合併への枠組みの基本的な姿勢を示しています。

中期的には、法定協のある隣の佐野市・田沼町・葛生町との合併を目指す一方、長期的には両毛20市町村との合併を模索するとのことです。

足利市広報:
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/ashikaga/p_ashikagami/915_23.pdf

まあ、以前に書きました通り、実現性はともかくとして、両毛地域の範囲の分かる地図も出ていますので、参考まで。
[3134] 2002年 9月 16日(月)01:43:15Issie さん
遅いぞ,武蔵!
そうそう,言い忘れた。

「作州浪人・宮本武蔵」ってのもありますね。
[3133] 2002年 9月 16日(月)01:34:02Issie さん
長州
>薩長土肥の 「長」 は、「長門」 ではなく 「長州」 と紹介される事が多かった様な。

この場合の「長」は,いわゆる「長州藩」で,これは長門だけでなく周防も含めた「防長二州」を支配したからですね(岩国藩,長府藩その他の支藩も含めて)。
なぜ「長州藩」かといえば,お城のある“萩”が長門・阿武郡に属するから。
ところが,この「毛利家中」は幕末に行政機関を“山口”に移してしまいました。本来は将軍,つまり幕府の許可が必要だけど,何しろその幕府と交戦状態にありましたからね。
で,その山口は長門ではなく,周防・吉敷郡の所属。だから,本当は「長州藩」ではなく「防州藩」であらねばならない。でも,ここは従来からの習慣で「長州藩」と呼ばれつづけるのですね。

ところで,江戸時代を通じて「○○藩」というのは“通称”に過ぎません。それどころか,江戸時代初めにはこのような呼称などなかったらしい。江戸時代半ば以降に現れ,幕末になって広まったと考えられています。
そして「藩」が公式の行政区分の1つになるのは明治維新後,明治2(1869)年の版籍奉還後にそれぞれの諸侯(旧大名)たちが「知藩事」(「○○藩知事」と称する)に任命されてから。
このときには“藩庁所在地”によって「○○藩」と呼ぶことになりました。
だから「長州藩」でも「防州藩」でもなく「山口藩」。同じく「薩摩藩」ではなく「鹿児島藩」,「土佐藩」ではなく「高知藩」。
同時に全国各地にあった「府中藩」や「勝山藩」など“同名”の藩は,それぞれに改称しています。「駿河府中(駿府)藩」が「静岡藩」となり,「常陸府中藩」が「石岡藩」となる,などなど。

…というわけで,実は“公式名称”としての「長州藩」が存在したことはないのです。
[3132] 2002年 9月 15日(日)23:43:59深海魚[雑魚] さん
レス諸々
[3127]
「エコバ」 の名称は、先の 「アルプス」 の様に、一定範囲の地域を連想させる様な名称として定着
しているのでしょうかね。W杯での知名度のみを根拠とするなら、少々違和感が否めませんが。

[3130]
私の場合、身近だった博覧会は、1985年開催の筑波科学博という事になりますが、人気パビリオンが
2、3時間待ちは当たり前、という理由だけで行く気が失せ、周囲から奇特視されたものでした。

[3131]
例示された 「○州」 の内、駅名に冠されるのは、遠州、武州、信州、上州、野州、播州あたりですかね。
他では、泉州 (関空がある空港島の地名)、甲州 (甲州法度・甲州ぶどう)、江州 (江州商人)、長州
(薩長土肥の 「長」 は、「長門」 ではなく 「長州」 と紹介される事が多かった様な。) くらいしか
馴染みはないですね。「加州」 は、米国 「カリフォルニア州」 の意味もあった様に思います。
[3131] 2002年 9月 15日(日)22:46:11Issie さん
…州
旧国名は奈良時代に“おめでたい漢字2文字”に統一されたのですが,後にこの2文字のうちの1文字でもってその国を表わし,「…州」と呼ぶ習慣ができあがりました。恐らくは朝鮮半島がそうであるように,中国の地名呼称の模倣だと思われます。
たぶん,これと並行して「氏」でも同じようなことが行われています。
藤原氏 → 藤氏,菅原氏 → 菅氏,大江氏 → 江(ごう)氏,大伴氏 → 伴氏 など
*大伴氏の場合は直接には偶然「大伴」という名前の人物が天皇(淳和天皇)になってしまったので“氏”そのものを変えてしまったのですが,漢字1字というのはこの流れに乗るものでしょう。この時期に創設された「橘」「平」「源」の各氏もそうです。同時に男子の名前も“抽象的な漢字2文字”とする習慣が定着しますから,そうすると「氏・名名」と“中国風”の名乗りをすることができるようになります。

話を戻して…
それぞれの国名を代表する1字は以下の通り。これに「州」をつければ「信州」や「甲州」のような呼称ができあがります。

<畿内>
大和:和, 摂津:摂, 河内:河, 和泉:泉, 山城:城
*「山城」は奈良時代には「山背」でした。「背州」という言い方がないのは,「山城」になった平安・鎌倉時代以降にこの習慣が成立したことを表わします。

<東海道>
伊賀:賀, 伊勢:勢, 志摩:志, 尾張:尾, 三河:三, 遠江:遠, 駿河:駿, 甲斐:甲, 伊豆:豆, 相模:相, 武蔵:武, 安房:房, 上総・下総:総, 常陸:常
*「三河」には「参河」という表記もあります。「相模」の「模」は正しくは“手へん”。武蔵は当初は東山道。

<東山道>
近江:江(こう,ごう), 美濃:濃, 飛騨:飛, 信濃:信, 上野:上, 下野:野,
陸奥:奥 → 岩代:岩,磐城:磐,陸前・陸中:陸  出羽→羽前・羽後:羽
*陸奥,出羽は明治初年に分割。新国名については「…州」という呼称は定着せず。

<北陸(ほくろく→ほくりく)道>
若狭:若, 越前・越中・越後:越, 加:加, 能:能, 佐渡:佐

<山陰道>
丹波・丹後:丹, 但馬:但, 因幡:因, 伯耆:伯, 出雲:雲, 石見:石, 隠岐:隠

<山陽道>
播磨:播, 美作:作, 備前・備中・備後:備, 安芸:芸, 周防:防, 長門:長

<南海道>
紀伊:紀, 淡路:淡, 阿波:阿, 讃岐:讃, 伊予:予, 土佐:土

<西海道>
筑前・筑後:筑, 豊前・豊後:豊, 肥前・肥後:肥, 日向:日, 大隅:隅, 薩摩:薩, 壱岐:壱, 対馬:対

この応用が「房総半島」であったり,「上越線」や「上越市」であったり(この2つは形が同じですが意味が違います),「阿南市」であったりするわけです。
さらに「三陸海岸←陸前・陸中・陸奥」や「両備バス←備前・備中」などという応用例もあります。
ここでも繰り返し紹介されていますが「上野」「下野」をさらに「毛野」までさかのぼった上での「両毛」という用法もあるのですね。

旧国名がごく普通に通用していた時代はもちろん,現在でも地名を創作する上で大変重宝しているようです。
[3129] 2002年 9月 15日(日)22:34:26てへへ さん
re:博覧会ネタ
>[3070]

>1980年代後半、バブル景気だった頃、多くの博覧会が開催されました。

 わが国で最初に開かれた国際博覧会は1970年の大阪万国博覧会ですが、[3070]は地方博覧会に限った話なので、80年代後半に限らずこれも仲間に入れてください。

1981年 ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)

 理由はこの博覧会が地方博覧会のハシリだからです。
 当時の神戸市長・宮崎辰夫氏の都市経営手法は、
・大規模事業の財源には国の補助に縛られない起債を活用。
・独立採算制の外郭団体経営にも注力。
・収益は造成地売却益などと共に、福祉・医療・教育などに還元。
など、当時としては斬新なもので、“株式会社神戸市”と呼ばれ、以後の都市経営に大きな影響を与えました。後に続く地方博覧会もこの博覧会が成功したことが影響しています。

 ともあれ、私にとっては初めて行った博覧会だったので、とにかくすごい人の波だったこと、未来を感じさせる博覧会だったこと、新交通システム(神戸新交通ポートアイランド線)、が印象に残っています。
[3128] 2002年 9月 15日(日)21:35:41あっちゃん[実は小学生] さん
ちなみに
エコパ市構想一体の地域は新聞などでは「中東遠」といわれています。
(普段の話ではこの言い方はあまり使われません。一般的に地名で呼び合うことが多いです。)
[3127] 2002年 9月 15日(日)20:52:42あっちゃん[実は小学生] さん
エコパ市(仮称)
[3111]
>ところで、静岡県掛川市など牧之原台地周辺市町の「エコパ市」構想はどうなんだろう。
合併事体、大反対なのですが、エコパ市という名前もおかしいと思います。
「エコパ」はただスタジアムの愛称というだけで生活には何の関係もありません。
郷土新聞に書いてありましたが、袋井・森・浅羽グループは、
「このままの1市2町が望ましい」という考えを出しているそうです。

詳細:http://www.chunichi.co.jp/00/siz/20020903/lcl_____siz_____002.shtml


あと・・・アーカイブズで、mikiさん、これからよろしくお願いします。
[3126] 2002年 9月 15日(日)20:25:20ケン さん
地名のこと
カタカナ地名のことですが北海道に多いようです。
千葉県の一部の市町村ではイ、ロ、ハの地名があります。
[3125] 2002年 9月 15日(日)19:54:13あっちゃん[実は小学生] さん
Re:9月15日中日新聞朝刊日曜版に市町村合併特集
僕も静岡なので、静岡新聞と中日新聞をとっています。
サンデー版もいつも見ているのですが、
確か前高速道路がテーマになってたような気がします。
しかし、この地図で、市町村で組織が重複しているところは
少し見づらさを感じました。でも、全国の市町村の境界が
はっきり書いてあるところはすごいですね。

これを見ると、やっぱり西日本の方が市町村合併の論議が活発ですね。
[3124] 2002年 9月 15日(日)18:02:05でるでる さん
Re:9月15日中日新聞朝刊日曜版に市町村合併特集
えっ?そんな素晴らしい特集があったのですか?
今、初めて知りました・・・遅かった・・・(泣

この様に地図入り(しかもカラー版)での紹介は、とてもわかり易くて便利ですよね。
アー欲しかった・・・。(f^^;

>> こちらのサイトの方が詳しくてびっくりでした。
>だそうで、よかったです。でるでるさんにあらためて感謝です。

いえいえ、過分なお言葉を頂きありがとうございます。
私も楽しみながら調査・更新しておりますので、それが僅かながらでも皆さんお役に立っているのであれば、嬉しい限りです。

これからも最新情報を網羅・紹介出来る様に頑張りますので、宜しくお願い致します。
[3123] 2002年 9月 15日(日)15:55:32深海魚[雑魚] さん
おー風呂でキュッキュッキュー
「東京新聞サンデー版」 地元の取扱店に在庫が無かったので、隣町まで車を出して
一部だけ残っていたのを漸く入手。それにしても、この大版地図の判り易さと来たら、
恒久保存モノですね。編集担当者に敬意を表します。わざわざ遠征した甲斐ありです。
[3122] 2002年 9月 15日(日)14:51:01YSK さん
東京新聞を手に入れました。
コンビニを数件回るも、サンデー版は無し。

そこで、近所の東京新聞を扱う新聞店に行き、分けていただきました。
確かに、見やすく、細かいデータがまとめられていて圧巻ですね。

[3118]
タイトル 多きな→大きな

です。本当にどうかしていますね・・・。
[3121] 2002年 9月 15日(日)13:37:08長野っ子 さん
自治体の正式名称
こんにちは。お久しぶりです。

先日[2992]などで神奈川県真鶴町(まなつるまち)なのか(まなづるまち)なのか
って質問がありましたが、僕も「まなづるまち」だと思っていました。だから本当
驚いています。また、もうひとつ最近びっくりした自治体の正式名称がありました。
それは三重県の松阪市です。僕は今までずっと「まつざかし」だと思っていましたが
正式には「まつさかし」だそうです。しかもたまたま三重県出身の人と話した時、
その地元の人は「まっさか」と言っていました。多分「まつさか」を縮めた言い方
だろうと思います。それから、たまに「松坂市」って「坂」の字を間違って書く人
もいます。もしかして西武ライオンズの松坂投手と混乱しているのでは・・・?(^^)
[3120] 2002年 9月 15日(日)13:21:22ゆう さん
Re: 9月15日中日新聞朝刊日曜版に市町村合併特集
[3114]グリグリさん

私も東京新聞のファンです。
あの地図は圧巻でした。

中日新聞社が発行する日刊紙は次の通りです。
中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、日刊県民福井、中日スポーツ、トーチュウ
「サンデー版」は前から3紙に入っているようです。

「全国新聞ニュース網」に参加しているのは次の通りです。
北海道新聞、河北新報、新潟日報、東京新聞、中日新聞、神戸新聞、中国新聞、西日本新聞
こちらには中日新聞と同じ「サンデー版」は入ってなさそうです。
[3119] 2002年 9月 15日(日)12:08:09名古屋市大好き さん
必見☆中日新聞
みなさ~ん!!すっごい情報が!!
今日の中日新聞の朝刊(東海地方の新聞なのかな?)の別紙に『市町村合併』のことが出てますよ。日本地図が一面に載ってて、さらに県別にかなり詳しく『いつ合併するか』『合併の進行状況』とか載っちゃってるんで、見る価値100%だと思います。
詳しくはhttp://www.tokyo-np.co.jp/daizukai/で見てね。
(中日新聞じゃない人はごめんなさい)
[3118] 2002年 9月 15日(日)11:52:57YSK さん
多きな間違い
[3117]
すみません、馬鹿な間違いです。

野州=下野≒栃木県

です。

2つのことを言おうとして、いつのまにか混同していました。
[3117] 2002年 9月 15日(日)11:51:13YSK さん
野州≒栃木県
[3105]
<栃木市内の東武宇都宮線の二駅に冠せられる 「野州」 は 「下野」
<と同意かな。

そうです。野州は、下野と「ほぼ」同意です。
なぜかというと、旧栃木県菱村が群馬県桐生市に合併され、旧群馬県矢場川村が群馬県太田市と栃木県足利市に分村しているので、ここにおいて栃木県と野州の整合性がないことになるからです。

私の町(太田市)のすぐ隣の足利市にも「野州山辺」という駅があります(東武伊勢崎線)。上州に住む私にとって、野州は本当に身近な存在です。
[3116] 2002年 9月 15日(日)10:20:36Issie さん
Re:信州
一応,念のため。

本来,「信州」というのは旧国名の「信濃」の別称です。
信濃国はほぼ現在の長野県と同じ。木曽最南端の旧・神坂(みさか)村の大部分が岐阜県中津川市に編入されていますが,ここだけが「信濃国」と「長野県」の違いです(旧神坂村のうちの馬篭地区ほかは西筑摩郡(現・木曽郡)山口村に編入されました。現在,山口村は中津川市への編入をめざしていますから,これが実現すれば両者のズレは少しだけ大きくなります)。
「信州」は,この「信濃国」の言い換えです。
だから,「信州」と「長野県」は基本的に“ほぼ同じ”。もちろん,木曽も「信州」です(ただし,現在の木曽郡(旧西筑摩郡)のうち,西半の木曽川流域は戦国末期くらいまでは美濃・恵那郡の一部だったと考えられています。ということは,「信濃」ではなかった)。

[3095]
>ガイドブックに「信州」というのが書かれてあれば、長野県だけではなく新潟や山梨の方も掲載されています。
>...これが「長野」と「信州」の違いだそうです。

少なくとも,地元の「信州」にはこういう解釈はありません。

もともと「谷」ごとの地域割拠性が強く,“県都”の長野が大きく北東部に偏っている上に,「長野県」の形成過程で元は「筑摩県」の県庁所在地であった松本の地位を奪ったことによる対立感情から,「長野県」内では「長野」よりも「信濃」「信州」という呼称の方が好まれる傾向にあります。
だから「長野新聞」ではなく「信濃毎日新聞」。「国立長野大学」でも「国立松本大学」でもなく「国立信州大学」。“県歌”として,ほかのどの都道府県よりも広く県民に定着している愛唱歌は「信濃の国」。
ただし,明治・大正期には「信濃」の方が普通で,「信州」がわりと広く用いられるようになったは比較的最近との地元研究者の指摘もあります。

一般に旧国のいずれについても「…州」という別称が定着しています。

[3105]
>「信州=信濃」 「上州=上野」 「長州=長門」 という単純なものではないのかな。

基本的にこういう解釈で結構。
他に「甲州=甲斐=山梨県」「紀州=紀伊=和歌山県+三重県南部」というあたりが現在でも盛んに使われていますね。

[3112]
“ブロック紙”(いくつかの地域をエリアとする)に位置付けられる「中日新聞」は時々キラリとした特集をするのに定評がありますね。東京でもドラゴンズには関係なく「東京新聞」のファンは多いようです。
もっとも,ウチは購読していませんが。
[3115] 2002年 9月 15日(日)08:53:59国枝和基 さん
市町村合体
今日の中日新聞に市町村合体のことが書いてあったよ
[3114] 2002年 9月 15日(日)07:34:47【1】オーナー グリグリ
Re:9月15日中日新聞朝刊日曜版に市町村合併特集
続報です。東京新聞のHPに今回の大図解のイメージが有りました。
http://www.tokyo-np.co.jp/daizukai/
です。過去のタイトル一覧、バックナンバー申込(1部100円)、FLASH版(まだ2テーマのみ)などの紹介があります。全体イメージはあるのですが、詳細が分かりにくいので、一部拡大を紹介します。いずれ削除しますのでよろしく。
http://uub.jp/frm/member/sample0.jpg
http://uub.jp/frm/member/sample1.jpg

> 中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、河北新報、あと何処だったかな...
北海道新聞、新潟日報、神戸新聞、西日本新聞、中国新聞、...
[3113] 2002年 9月 15日(日)07:03:46オーナー グリグリ
Re:9月15日中日新聞朝刊日曜版に市町村合併特集
おはようございます。私も今起きてきて東京新聞の日曜版(サンデー版)を見てびっくりしました。
> ただ、この地図は結構いけてました。
ほんと、全国の市町村境界まで全部書かれており素晴らしいです。
> こちらのサイトの方が詳しくてびっくりでした。
だそうで、よかったです。でるでるさんにあらためて感謝です。

東京新聞(中日新聞の東京本社発行)は、広告ページが少なく内容も読みやすく親しみやすいということで、過去25年以上購読し続けていますが、このサンデー版の特集はいつも楽しみにしています。今回の「加速する 市町村合併」はNo.546ともう10年以上続いている企画で、過去にも面白いテーマがいっぱいあります。世界と日本の大図解シリーズ、学校の教材に役立つ大図解、と言った副題があります。日曜版の別刷りで新聞見開き全紙を使ったカラー図解の企画ものです。過去にも都道府県をテーマにしたものも沢山あり、何を隠そう(笑)、「1都1道2府43県なんでもクイズ!(HyperCard Stack)」のネタにも利用しています。#ちょっと興奮気味かな(それくらい楽しくなるんです)

ここの常連さんだったら絶対に手に入れるべきです。中日新聞系列の新聞を扱っている販売店に急ぎましょう。中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、河北新報、あと何処だったかな...

それから、この大図解シリーズの縮刷版を時々まとめて新聞と一緒に入れてくれるんです。なかなかのサービスだと思います。さて、これからじっくり見てみよう。
[3112] 2002年 9月 15日(日)06:49:39H2 さん
9月15日中日新聞朝刊日曜版に市町村合併特集
名古屋在住ですが、
表題のとおり、本日9月15日の中日新聞朝刊日曜版で、
市町村合併特集が2面にわたって地図ベースで紹介されていました。
各種協議会の設置状況が、
7月1日現在(法定協は9月1日)での総務省調べで掲載されていますが、
こちらのサイトの方が詳しくてびっくりでした。

ただ、この地図は結構いけてました。
こちらのサイトのリンクから辿っていくと
各都道府県レベルでの地図は見つかるのですが、
全国一覧の地図ははじめてみましたので、
なかなか見ごたえがありました。

以上、ご紹介まで。
といっても、駅売りとかにも日曜版って付いてくるんですかね?
関東だと東京新聞だったでしょうか。
[3111] 2002年 9月 15日(日)01:58:11でるでる さん
新市名
私は「南アルプス市」は容認派ですが(○○派というのも変ですけど)、やはり「天草シオマネキ市」は好きになれないですね。理由としては、[3074]issieさんや[3077]YSKさんがご説明頂いたのと同様の思いからです。
とは言え、それは私の個人的な感想。皆さんそれぞれに価値観やご意見があって興味深いです。
やはり、この落書き帳は勉強になる上に、楽しいですね。

で、この「天草シオマネキ市」(まだ決定ではありません、念のため)の場合、1つポイントになるのが一般公募にて1位であったことです。まだ詳しい公募結果(順位や得票数、名称案など)が公表されていないので、何とも言えないのですが、もし地元住民の多くが望んでいる結果なのであれば、その名称が平仮名・片仮名表記や奇抜であろうが、話題集めが目的であっても、私はその意志は尊重されるべきだと考えております。

ただ、「天草4町合併協議会」の新市名は全国からの一般公募であったので、もしかしたら地元住民以外からの応募であった可能性もありますね。また地元住民からの応募であったとして、どれだけの得票であったのかにもよると思います。
無難に考えれば「天草市」や「上天草市」辺りが選ばれるのではと思いますが、さて。

一見奇抜な名称も、天草シオマネキ(天草地方に生息するカニの名前)と見れば、北海道の鶴居村(タンチョウツルが生息することから)や、蟹江町(カニが多くいることから)と同じ様な感覚なのかも。
「天草潮招き市」と漢字表記に直したら・・・どっちみち長々しいですね。

ところで、静岡県掛川市など牧之原台地周辺市町の「エコパ市」構想はどうなんだろう。

昭和の大合併の時に多く見られた旧市町村名からの「合成地名」も、あまり好きにはなれないですね。
それぞれに事情があったのでしょうけど。(さいたま市の場合、大和野市の案もありましたね・・・)
[3110] 2002年 9月 15日(日)01:27:04ゆう さん
ローマ字表記
サントル千波交差点の標識のローマ字表記は“Santoru Senba”“Centre Semba”どちらなんでしょう。

こういうローマ字表記は誰の為にあるのか考えると内閣告示の表に拘る必要はないと思うのです。
路上には「○○通り ○○-do_ri Ave.」といった標識がよく設置されてますが、「サンロード San Ro_do Ave.」などを見かけると、誰が為のローマ字表記だろうと思ってしまいます。
(※『_』は前字にマクロンがつくことを表現してます)

地理には関係なくなりますが、公式ローマ字表記といえば内閣告示の表とはまた違う「旅券式」がありますね。
ある意味影響力は遥かに大きいと考えます。
呂比須氏・三都主氏らのパスポートになんと表記されているのかちょっと気になります。
[3109] 2002年 9月 15日(日)01:10:07YSK さん
アルプスについて
[3104]
<日本語の学習書であれば,たとえば「アルプス」という単語を日本語でどの
<ように発音するかを示すためにも Arupusu と表記する必要はあるでしょう

私も、このイメージで Arupusu 案を提唱しました。確かに英語表記は日本語を英語に置き換えるためにするものなのですから、日本語の発音に無理に合わせる必要もないですよね。それに、方言等日本語の多様な発音法をまったく無視していたことについては、自分自身本当に恥ずかしいです。

しかし、気になることは、言葉としての起源は同じでも、日本語の「南アルプス」中の「アルプス」と、英語の「Alps」とは、違う山脈を指しているということ。
発音の問題に加え、これが私が Arupusu 案を提唱した第二の理由です。

とはいえ、やはり Alps という表記が国際標準ですし、私自身内心は Alps の方がいいと思っています。
[3108] 2002年 9月 15日(日)00:37:58YSK さん
住所
[3101]
地名は、住民票の住所(以下、「住所」と言います)以外に、たくさんあるものです。

国土交通省国土地理院が発行する2万5千分の1地形図を見ると、住所以外の多くの地名が書かれていることがあります。「小字」などと呼ばれ、住所よりも範囲の小さい区域を呼ぶローカルな地名です。都市化の進んだ大都市圏周辺では、住所以外あまり表記がないかもしれませんが。

大字や町丁名(~町や~○丁目など)をさらに細かく分けた地区名を設定し、地区の活動の基礎単位としている自治体は多いと思います。
私の町でも、住所は「群馬県太田市○○町」ですが、地域のイベントや、市や地区からの広報文書の回覧などは、「行政区」とよばれる、住所よりも細かい地域単位で行われます。市が住民に文書を配布したり、さまざまな広報活動をお願いするときなど、行政と住民のパイプ役をする地区の代表である区長さんも、この「行政区」単位にいらっしゃいます。

かつさんの町でも、地域活動を行う場合、住所である「甲」「乙」よりも細かい地域単位を行政が用いていて、その地域単位が日常的な地域名として使われているのではないでしょうか。

次に、「地籍」と「住所」の関係です。
かつてはあまた存在した地名ですが、近世以降地域を組織として管理する必要が生じてくるにつれて、いくつかの小地名を統合した大きい地名が作られ、これまでの地名はこの新しい単位のしたの構成単位を示す地名になるという、「地名の整理統合」が行われるようになりました。

それが、人口の増加、地方自治制度の確立に伴い、急速に推し進められ、「地籍」や「住所」の体系が整理されてきました。

「地籍」は土地の番号、「住所」は建物の番号、と区別すると分かりやすいですね。

「地籍」は、土地の地番、所有者、地目、面積などを記述し整理するためのものです。土地の所有者や地目の区別に応じて土地は複雑に区分されています。そして、必要に応じ大字よりも小さい地域単位(「小字」など)で整理されていることもあります。市区町村役場や法務局で、それらを整理した図(公図)を見ることができます。

一方、「住所」は「建物」につけられた番号です。通常は、建物のある土地の地番と同一です。ただ、複数の地番の土地の上に1つの建物があったり、マンションやアパートのように複数の世帯が1つの建物・土地上に居住することもあるので、「住所」と「地籍」は必ずしも一致しません。

さらに、近年は「住居表示」制度も行われています。
これは、市街地などにおいて、住所を従来の地名・地番による方法から、「○○~丁目△番□号(丁目はないこともあります)」という形式に整理する制度です。

この住居表示もまた、「建物」の番号を簡単な表記に整理したものなので、「土地」の番号(地番)の変更を伴いません。したがって、住居表示が行われた地域では、住所(住居表示)と地籍上の地番(土地の地番)とは通常一致しません。
[3107] 2002年 9月 15日(日)00:25:50miki さん
カナ地名の数々(.>3103)
1.さいたま市プラザ
2.広島市西区商工センター
3.下関市ゆめタウン
...探してみれば、ほかにもたくさんありますよ。
[3106] 2002年 9月 15日(日)00:20:45深海魚[雑魚] さん
近頃の若い者は……?
>最近の子どもの名前にまま見られる,これまでの慣習を全く無視したかのような奇妙な当て字
これは確かに気になった。という訳で、私も子供の命名に際しては、奇を衒わず
当用音訓の範囲で第三者が判読可能な名前を心掛けた次第。で、周囲から無難な
命名と評され、してやったりの感。 (一応、画数くらいは調べましたが。)

当て字問題に限らず、芸能人の如きスマートさ等を意識したと思しき今風の命名感覚、
若い時分は良いとして、壮年、老年と歳を重ねるに従い、名前の語感との乖離が大きく
なるのではないか、と思うのは余計な御世話かな。Issieさんは職業柄、特に気になる
かも知れませんね。

自営業の継承にあたり 「第○代目○兵衛」 なんて手合いが知人に数例ありますが、
時世柄、かえって斬新さを感じてしまうこの頃。
[3105] 2002年 9月 14日(土)23:59:23深海魚[雑魚] さん
レス諸々
[3093]
「信州=信濃」 「上州=上野」 「長州=長門」 という単純なものではないのかな。「信濃」 とすれば、
信濃町および南信濃村や、信濃境・信濃川上・信濃白鳥・信濃四谷 (現白馬) 等の駅名から考えて、
木曽地方を除く長野県全域かと思うのですが。

栃木市内の東武宇都宮線の二駅に冠せられる 「野州」 は 「下野」 と同意かな。烏山町の那珂川に
架かる 「下野大橋」 は、両岸が下境地区と野上地区なので 「しものおおはし」 と読むべきかな。

[3098]
どうです、素敵な地名でしょう? (笑) 多分、新県庁舎入口の主要交差点なので、こういう命名感覚が
通ったのだと思います。

[3100]
おお、私の如きも編集スタッフと認めて頂けるのですか。有難くも恐縮です。

[3101]
似た様な事例は茨城県下館市であった様な気がしますね。頂いた名刺に記載された住所を頼りに
出掛けようと道路地図を広げたら、地名の乖離が酷く、行先が全く特定できなかった経験があります。

[3102]
>純粋に「日本語」として発音する以上、Arupusuとしたほうがいいのかな、
外来語を固有名詞に充てる場合の宿命的なジレンマですね。理屈はそうだと思うのですが、何か
釈然としないものを感じますね。

[3103]
>横須賀市には、「ハイランド」という住所がありますよね。
高台の新興住宅地という趣でしょうか。 「光」 「望」 「陽」 「洋」 「台」 などを駆使した今風の
命名では飽き足らなくなったかな。「ハイランド」 というと、私は富士山麓の遊園地を連想します。
遊園地といえば、長崎県佐世保市には確か 「ハウステンボス町」 なる住所がありますね。
[3104] 2002年 9月 14日(土)23:48:18Issie さん
Alps
>落書き帳顧問  :Issieさん

あらら,「顧問」とは面映い。
ま,たいしたものでもないことを書き込んでいるだけですけどね。
そんな程度で許してくださいね。

で,「アルプス」の表記なんですけどね,

占領軍やローマ字普及団体の中には本気で日本語をローマ字に置き換えようとした人たちがいたようです。その場合には外来語も含めて個々の単語をどのようにローマ字に置き換えて文章を綴るかを精密に決めていく必要がありますが(ローマ字普及団体では既に半世紀[当時]にわたる経験の積み重ねでそれなりの“正書法”らしきものができていたようですが),政府・文部省はもちろん本気でそのようなことを考えるわけはなく,だから“五十音表”をローマ字に置き換える原則しか示していないのですね。
結局は日本語の単語を英語(その他のローマ字使用言語)で表記するための対照表程度の役割しか果たしていません。別にローマ字で日本語文を綴るわけではないから,それで十分なのです。

日本語の学習書であれば,たとえば「アルプス」という単語を日本語でどのように発音するかを示すためにも Arupusu と表記する必要はあるでしょう(ただし,ローマ字は“表音文字”ではあっても決して“発音記号”ではありません。だから,東京方言とそれを基礎にしたいわゆる「標準語」(共通語)で,ある条件下で母音の i や u を落とすからと言ってそれをローマ字に反映させる必要はありません。関西方言のようにこの現象が起こらない方言はいくらでもあるし(起こらない方が多数派),東京方言の話者であっても「す」はどのような条件下でも「サ行ウ段の音」と理解しています。ならば「す」はいつの場合も su と表記するほうが“合理的”なのです)。
けれども,「アルプス」という外来語起源の地名を英語で表記するためにローマ字化するのであれば,わざわざ日本語式の発音にあわせて Arupusu と表記するよりは,本来の表記である Alps とした方がお互いに理解しやすいと考えます。「日本語」で表記するのではなく,「英語」で表記するためなのですから。

いずれにせよ,これはやがて「南アルプス市」が自分で決めることです。

何より今最も胸をなでおろしているのは,「カタカナ表記では変」だからと言って奇妙な当て字をしないでいてくれたことです。最近の子どもの名前にまま見られる,これまでの慣習を全く無視したかのような奇妙な当て字は“かな書き地名”より遥かに始末が悪いと思います。
[3103] 2002年 9月 14日(土)23:21:25YSK さん
ハイランド
[3090]
>自治体名ではないけれど謎の片仮名地名。水戸市の国道50号線と旧6号線
>の交差点名「サントル千波」 とは何だろう。

横須賀市には、「ハイランド」という住所がありますよね。
[3102] 2002年 9月 14日(土)23:14:16YSK さん
まとめてレス。
[3080]
> (4)石川県七尾市, 鹿島郡 田鶴浜町,中島町,能登島町  →能登市(のとし)
>「能登市」のイメージに合うのは、輪島や珠洲あたりの奥能登方面かなと思います。
>個人的には「七尾市」の名前を残して欲しいです。城山に連なる七つの尾根に由来
>し、廃藩置県直後には一時的とは言え「七尾県」も存在した地名でもあるので。
>#それに「七」の数字が付く唯一の貴重な市名でもあるし(笑

私も、「七尾」は歴史のある素敵な名前だと思います。正直、捨て難い気持ちもあります。ただ、最近既存自治体名を新自治体名にしようとしたところ、協議会が休止状態になっているところが多く、また佐渡や宇摩郡等の協議会など、既存名をそもそも使用禁止にしているところもあるようなので、既存名をはずして考えました。

ここ(七尾鹿北)の場合、そのようなしばりがなく、何点でも応募できるようなので、「七尾」でも応募することにします。

[3092]
>「アルプス」を Arupusu と表記するのには抵抗がありそうですね。「南アルプス市」
>の英字表記は Minani-Alps City というのが落ち着くのではないかと思います。

私は、純粋に「日本語」として発音する以上、Arupusuとしたほうがいいのかな、と思いました。法的に問題がなければ、わざわざ「Alps」以外の表記をする必要もないかもしれませんね。
[3101] 2002年 9月 14日(土)22:39:28かつ さん
正式な住所
ちょっと気になることがあったので質問!
ここの常連さんだったら何か知ってるのでは…と期待しています。

私の実家の正式な住所は,○○郡○○町乙****番地41なんです。
うちの町は大字はなく,○○町乙か,○○町甲のどちらかで,一般的に呼んでいる
地区名は正式なものには用いません。ずっと何で乙と甲なのかなぁと思ってました。
あと実家を地籍調査をしたときに書かれていた住所にはこれまたきいたことのない別
の地名が書かれていたのでびっくりした記憶があります。
住民票とかの住所と地籍上の住所って違うのでしょうか??
[3100] 2002年 9月 14日(土)22:23:56オーナー グリグリ
編集スタッフの皆さん
[3071] でYahoo!のクールサイトを外されてがっかりと書きましたが、よくみると以前はYahoo!トップから3クリックでGLinGLinトップだったのが、現在はたったの2クリックです。Yahoo!トップの地域情報をクリックするとGLinGLinのリンクが数少ないサイトリストに現れます。これはすごいかななんて自画自賛。やはり、皆さんのおかげです。とくに、編集スタッフ(いつの間にか勝手にスタッフにしてます)の皆さんのおかげです。あらためてご紹介しましょう。

公式HP担当  :たけもとさん
変更情報担当  :でるでるさん
アーカイブズ担当:実は小学生さん、mikiさん
パズル問題担当 :雑魚さん
落書き帳顧問  :Issieさん
そして、
書き込み担当  :常連の皆さん

これからもよろしくお願いいたします。ご要望・ご意見をご遠慮なく。ではでは。

# おっと、あっという間の100書き込み、これまでの最短ですね。


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