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[16700]〜[16799]



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[16799] 2003年 6月 14日(土)23:29:49ありがたき さん
原則に忠実も然り、状況に合った裁量も然り
[16749][16794]ゆう さん

同名回避の件で

同名市があっても良いと思っています。

同名の町村はたくさんありますが市町村が同格というのであれば、市だけ区別するのはナンセンスではないでしょうか。しかも昨今の特例合併によって市の数はどんどん増えています。

市町村が同格ならば名称の扱いも同格に。おっしゃる事はわかります。わたしも、広島・東京の両府中市を今更改名することはないと思います。たまたま今回はそういう話題だったので、タラレバで案を出してみたところです。色々考えてみて結構楽しかったですよ。
とはいえ、地方自治法によって規定されている限り、同名の市がある状態が「違法」である事は事実であり、今後できる市に関しても同じですね(府中市の場合はこれ限りの特例だとしてしょうがないことになっていますが)。同名回避の必要がないのであれば、所定の手続きをふんで地方自治法の同条項を改正すべきでしょう。法の改正無くしての実行は、法治国家としてはありえないです。

ちょっと話がずれるかも知れませんが、例えば大麻合法論者がいます。彼らは、「タバコが合法なのであれば大麻も当然だ」と言い張るわけです。医学的な観点からどんな作用を体に及ぼすか、とかあるわけで、大麻取締法によって規制されているわけですよね。その昔アメリカで禁酒法がありました。結局は無くなったわけですが、法律が廃止されるまではとうぜん違法だったわけです。
幻覚性サボテンの摂取は、アメリカでは「宗教上の理由によってネイティブアメリカンにのみ使用を認める」という例外があります。彼らの歴史や文化を勘案しての事ですが、これも人種問題とかが絡んだ難しい問題の中での規定で、ちょっと例外でしょうか。日本では「向精神薬」として麻薬取締法その他の法律で全面的に禁止です。幻覚性キノコなどを指す言葉で、よくメディアで見聞きする「合法ドラッグ」なる言葉は、法律が追いついていないだけの事であり、事実としては「脱法ドラッグ」ですね。
ハンセン病患者の隔離に関する法律(らい病予防法でしたっけ?)は、必要をこえたやり方であったことと、その違法性と人権侵害等に関してを厚生労働省が認め、法改正と共に謝罪がありましたね。

…脱線しました。話を元に戻しましょう。法律論を論議していたわけではないので。
市の名称の重複回避について、必要ないような時代になってきた気は確かにしますね。しかし、市の個性をアピールする意味で、既存の名称をあえて避ける選択もまたアリかと思います。場所や背景に即した命名がもう少し自由に出来るようになれば良いですね。
[16798] 2003年 6月 14日(土)23:21:57白桃 さん
明日は何の日?東讃の日
[16792]uttさん
「東讃」という言い方はあるのですか?白桃さん?)
40年ぐらい前に、引田、白鳥、大内3町が合併して「東讃市」を作ろう、という動きがあったことは前にも書きました。旧大川郡、木田郡あたりは今でも東讃と呼ばれております。小豆島はあまり東讃とはいわないかも。中讃といえば丸亀市あたり、西讃は三豊郡一帯でしょう。「三本松は東讃の行政・文化の中心地である」というのは香川県民の常識です(笑)。
♪子どもたちが、明日白桃にプレゼント・・・ちょっと思えない違法人
[16797] 2003年 6月 14日(土)23:07:24【1】YSK[両毛人] さん
まとめてレス
本日はほんとうに梅雨らしい日和で、午後からはけっこう本格的に雨が降ってまいりまして、現在でも雨が降ったり止んだりしています。そのうえ、関東各地は最高気温が30度を超えたとのこと。蒸し暑かったのも頷けますね。

[16792]uttさん
「鶴頭区」とは、上毛かるたの鶴の頭を指すのでしょうか?なかなかいいネーミングだなと思ったのですが、両毛市となった場合は、群馬県の形はどうなるのでしょうか??
栃木県側が群馬県になった場合は、首あたりが太った鶴になりますし、群馬県側が栃木県になった場合は、首を折り曲げていてたまたま頭を見せていない鶴?になりますね。

[16778]Issieさん
レスありがとうございます。私も、足利市西郊から市街地に入るときに尾根越えとなる地勢からそのような名前なのかな、とは思っておりましたが、やはり類推の域を出ないものでしたので、あえて書きませんでした。

また、「坂西」が自治体名として使い回しされていたことは知りませんでした・・・。今では足利市立の中学校の名前として残っていますね。

[16766]TACOさん
政令指定都市の中では北九州市と京都市は人口が減少しています。これは何故なのでしょうか?
北九州市については、アーカイブズ「北九州市の人口が減少傾向にある理由」をご参照くださいね。

アーカイブズ
北九州市の人口が減少傾向にある理由
http://uub.jp/arc/arc33.html

気温と降水量、州の概要を追加したのですがどうですか?もうひとひねりできていると思いますか?
ううん、正直申し上げてあまり考えていませんでしたね。申し訳ございません・・・。
ただ、当初のものよりはそれぞれの州の特質がよく整理できていると思いますね。後は、州によっては都市の数が極端に多くなってしまうケースもあると思いますので、そういう場合は書き込み上に列挙するのではなく、都市のリストは主要なものにとどめ、残りの都市のリストが分かるようなサイトのリンクを掲載するとか、何らかの措置が必要ではないでしょうか?

今旧制中学校シリーズも雑魚さんによって進められていますが、これからは個人が寄稿した長編物のアーカイブズ化はなるべくしないようにしようかな、とも考えています。これは、「落書き帳」の容量不足問題に絡み、長編書き込みを「必要以上に」煽るような結果になってしまうことを憂慮しているためです。
#長文書き込みを否定しているわけではありません。長いものは段落をこまめに区切るとか、複数のメッセージに分割するとか、そういった工夫次第では見やすくなりますよね。

みなさんは、このことについてどうお考えでしょうか?

現在、過去ログの中からおもしろい記事を探して、アーカイブズにする作業を進めています。今夜中には何本か発表できると思います。

[16741]わたらせGさん
足利郡毛野村(けのですが)あったんです!今思うに随分大きな(広域)名称だったのですね。現在でも、毛野小学校、毛野南小学校、毛野中学校、毛野公民館など「毛野」の名前は生きております。
毛野郵便局もありますし、住所表記にも「毛野新町」がありますね。毛野団地の区域の住所が「毛野新町」ですね。
[16796] 2003年 6月 14日(土)23:02:43NS さん
川和地区の将来は?
[16790]Issieさん
基本的な発想は「緑区と港北区の区域全体を再編して4つの区に分割しなおす」
(中略)「原初港北区」に立ち返って,もう1度4区に区分しなおした
(中略)従来の「港北区」「緑区」から“分離”したわけではない
なるほど、よく解りました。
だとするならば、せめて市の公式サイトにおいては、4区内の各町域について再編前の区名もわかるようにして頂きたいところですね(特に都筑区)。
都筑区の西端に位置することとなり,ニュータウン中心部から東横線方面へ直結する地下鉄新線ができたとき,川和地区の地位はどのように変化するのでしょうね。
実現すれば、川和地区はニュータウン地区と緩やかに結び付きを強めつつ、川和町新駅周辺はニュータウン地区から佐江戸町・池辺町・東方町などの非ニュータウン各地域へ移動する際の拠点としてセンター南・センター北両駅周辺に次ぐ商業機能の集積も考えられ得るのかな?と私は感じますが、一体どうなるでしょうね・・・。
[16795] 2003年 6月 14日(土)22:32:15YSK[両毛人] さん
都道府県の部分地域レス
[16792]uttさん
「東予」「中予」「南予」は愛媛ならではの言い方ですね。北海道の「道東」「道南」「道北」「道央」や、京都の「洛北」「洛南」、広島の「芸北」「備北」、徳島県の「阿南」などと同じようなものと考えていただけたら。
他に、群馬県の東毛、北毛、西毛、中毛、新潟県の上越・中越・下越、福井県の嶺南、富山県の呉東、呉西、岐阜県の東濃、西濃なども一般的ではないでしょうか。

ひょっとしたら、福岡県の「筑後」「筑豊」などと同じような「地方名」としての位置付けなのかもしれません??
そう思います。詳しくは、アーカイブズ「都道府県内の特色ある「部分地域名」」をご参照くださいね。

アーカイブズ
都道府県内の特色ある「部分地域名」
http://uub.jp/arc/arc270.html
[16794] 2003年 6月 14日(土)22:28:09ゆう さん
府中市と同名回避
[16629]mikiさん
[16656]あんどれさん
[16662]kenさん
[16674]ごろごろさん
[16687]ありがたきさん

皆さんのご意見を興味深く拝見いたしました。私は皮肉をこめて別の案を発表いたします。

備後府中: 府中市のまま
 理由: 全国にある府中のなかでここを特別扱いするのは、たった1日でもいちばん最初に府中市を設置した所であり「市名は『早いもの勝ち』である」という原則を知らしめるため。

武蔵府中: 武蔵府中市
 理由: 武蔵国府にちなむ地名であるから。

それともこのような「抽象地名」は両方とも全く違う名前に変えるべきでしょうか。


ところで、私は[16749]にも書きましたように、同名市があっても良いと思っています。この問題はここでも以前から議論されていまして、私も[2707]などで意見を表明しています。

同名の町村はたくさんありますが市町村が同格というのであれば、市だけ区別するのはナンセンスではないでしょうか。しかも昨今の特例合併によって市の数はどんどん増えています。
これまでの市名は「出来る限り同名市を回避する」という方針のもとで命名されてきました。そのため「同名市はほとんど存在しない」というのが合意事項として広まっているように思います。今後「同名市は有り得る」という合意が得られるならば、混同することもなくなることも有るかもしれません。


[16768]faithさん
因果関係があれば(結果としての)地名については権利がなく、偶発的なものであれば権利があるというロジックには無理があると思います。
私は決してそのような論理展開をする意図はなかったのですが、そのように取れる書き方になった点はお詫びします。
「北広島市は単純な同名回避ではないので例としては不適切であり、『東松山市』や『東久留米市』のほうがより適切ではないか」というのが私の意図です。
[16793] 2003年 6月 14日(土)22:26:22SANUKI-Impact[TACO] さん
三丁目さんへ
[16776]
現在、高校生でいらっしゃるTACOさんに、このようなお話をするのは厳しかったですかねぇ
その点は別に気にしなくて結構です。大丈夫ですから。

仕事の話として申し上げると、「どうしたらいいですか?私にはわからないのです。」は新入社員+αまでが許される範囲です。その年代を過ぎてしまうと、同様な質問をしたときには、逆に「君はどうしたらいいと思う?」と聞かれます。だから、「私は、何々したいと考えているのですが、如何でしょうか?」という相談の仕方が、好まれます。

「自分は、人口が減少している原因を、こう考えているんだけど、どうですか?」という感じで質問して頂けると、嬉しかったです。。。
ありがとうございます。よい参考になりました。これからは少しそういう疑問点を訊きっぱなしにしないである程度自分でも調べてみようと思います。

【8】
こんな僕のために8回も推敲していただいてありがとうございます。
[16792] 2003年 6月 14日(土)22:12:14ペーロケ[utt] さん
れすれす
[16771]mikiさん
別にいいと思いますが、その歌手とは誰ですか?
過去に「錦野さんではないか」というレスがありましたが...。
 [16777]両毛人さんが言及されていますが、その歌手については、[3736][9501][9569][14686]あたりをご参照ください。ちなみに、「にしきの」さんの曲は1曲しか知りません(苦笑)。ライブに行った人は全くの別人です。地理に関係ない話題なのであまり詳しくは申し上げませんが、もし気になるなら、「5月29日 広島CLUB QUATTRO」 で検索したら分かると思います。

「つつじ区」「鶴頭区」「茂林寺区」といった所でしょう。
「鶴頭区」とは、上毛かるたの鶴の頭を指すのでしょうか?なかなかいいネーミングだなと思ったのですが、両毛市となった場合は、群馬県の形はどうなるのでしょうか??と素朴な疑問が残ります(まあフィクションなので、そこまで考えなくとも、と言われそうですが)

[16768]faithさん
大阪狭山という地名のできかたとは自然さが違います。
 確かに「大阪狭山」のネーミングは不自然だと思いますね。隣の兵庫県には二つの一宮町が共存できているので、同名の市が複数存在しても、きちんと「使い分け」の問題を克服すれば、さほど問題はないかもしれません。
 聞いた話で恐縮ですが、確か株式会社か有限会社の設立手続きは、同じ都道府県(市町村かもしれませんが)内に同名の法人がないかどうかをチェックするそうです。逆に言えば、違う都道府県には、同名の法人の存在を認めているのですね。それがもとで混乱が一部起っているかもしれませんが、それでも社会は普通に機能しています。「山本鉄工所」のような名前が全国にいっぱいありそうですが、「○○市の山本鉄工所」と区別されているのかなって思うのです。このような住み分け、使い分けが出来れば、二つの「狭山市」が存在しても、さほど混乱は生じないのかなって思いますね。

[16766]TACOさん
何故愛媛県は「愛媛県東予」などといい「東部」とは言わないのでしょうか?
 そう、「東予」「中予」「南予」は愛媛ならではの言い方ですね。北海道の「道東」「道南」「道北」「道央」や、京都の「洛北」「洛南」、広島の「芸北」「備北」、徳島県の「阿南」などと同じようなものと考えていただけたら。そういえば香川県西部も「西讃」という言い方があるのでは??(逆に「東かがわ市」はあるものの、「東讃」という言い方はあるのですか?白桃さん?)
 そういえば、今まではあまり気にしていなかったのですが、天気予報で「愛媛県東予」などと使うため、逆に「愛媛県東部」という言い方には違和感がありますね。ひょっとしたら、福岡県の「筑後」「筑豊」などと同じような「地方名」としての位置付けなのかもしれません??
[16791] 2003年 6月 14日(土)21:47:27faith さん
大阪狭山市・北広島市などの件
[16787] 三丁目 さん
[16786] NS さん

私のイメージでお話しておりますから、恐縮ではありますが、当地に因んだ歴史上、有名な人物の名前から、どこか「字」をもらうかなにかすればよかったのかな、と、思いました。もし、アイデンティティいう部分でこだわられるなら、という意味です。逆に、歴史上の有名な人物の一「字」があれば、ご納得されたのでしょうか?

私としては、最終的にどういう地名になろうと、それが住民、あるいは住民に権限を与えられた
人々の自由な選択の結果であれば外からとやかく言うことではないと思っております。
最初から「北海道広島市」や「大阪府狭山市」が選択肢から除外された状況での選択に
疑問を唱えているわけです。
狭山町に関していえば、他の地域から流入した住民が多い状況で、大半の住民になじみのない
人物を出してきて、それにちなんだ地名を考えても支持は得にくかったろうと思います。
北広島はともかく、大阪狭山市や鹿嶋市は本当は「狭山市」や「鹿島市」にしたいところだが、
それが許されない故の次善の策であったことが明らかだと私には思えます。

広島町時代から存在する「北広島」を冠した公共施設名については、
「市制施行時のことを考慮した名称だったのでは?」
というのは誤り、ということで納得しました。
[16790] 2003年 6月 14日(土)21:25:01【1】Issie さん
Re:都筑区の現状は?
[16785] NS さん

結果として「青葉区」には旧港北区からの区域が含まれていないのですが,このときの基本的な発想は「緑区と港北区の区域全体を再編して4つの区に分割しなおす」というものでした。だから,
「緑区+港北区→緑区+港北区+青葉区+都筑区」
という表現になるのです。あるいは,緑区設置以前の「原初港北区」に立ち返って,もう1度4区に区分しなおした,なんて見方もできるかもしれません。
そのときに再編・新設された4区のうち,2つの区については従来の「港北区」「緑区」という呼称がそのまま採用され,残りの2つの区について「青葉区」「都筑区」という新しい区名が採用されたのです。ですから,従来の「港北区」「緑区」から“分離”したわけではないのです。

「港北ニュータウン」として造成されている区域の多くは旧中川村の区域に属します。
旧中川村の従来からの集落は中原街道沿い,それと早淵川とその支谷のヤト(谷戸;房総では谷津)の崖下に分布するのですが,全般に小中学校の校区をはじめとしてニュータウン地区との一体化が進んでいるようにも感じます。特に山田地区のヤトの旧集落は,大規模な宅地造成・区画整理が行われたので,完全にニュータウンに取り込まれていますね。

一方,旧川和町(←都田村)の従来からの集落は,谷本川(鶴見川)とこれに並行する街道(県道横浜上麻生線,県道川崎町田線)に沿って,川和町→佐江戸町→池辺(いこのべ)町→大熊町と連続しています。これは,「港北ニュータウン」として造成された丘陵崖下の湧水線に沿ったものでもあります。
ここでは道路のつながり方のせいでもあるのですが,丘陵上のニュータウン地区と街道沿いの旧集落とは「別の世界」を作っているようにも見えます(ただし,川和中学校の校区は旧集落・ニュータウンの双方にまたがります)。
ニュータウン地区は,バス路線のつながりから見て,おおむね田園都市線の市が尾駅との結びつきが強いように見えます。一方,街道沿いの旧集落は“道なり”に中山や小机方面との流れが強いように思えます。
昔からの発想であれば区役所は川和に置かれたのでしょうが,事実上の「港北ニュータウン区」として区役所は地下鉄のセンター南駅の近くに設置されました。
その地下鉄には,センター北・センター南の両駅で現在線と「X字状」に交差して,東横線と横浜線の中山駅とを結ぶ新線の建設が具体化しています(ニュータウンでは当初からこの路線が折込済みで,そのための線路と駅の用地が確保されています)。

かつて都筑郡の中心としてさまざまな出先機関が集中していた川和地区ですが,旧緑区役所から始まって,それらが次々と中山や市ヶ尾方面に移転してしまい,さびれてしまった感じが否めません。商業機能も同様に市ヶ尾と中山に吸収されてしまったようです。
都筑区の西端に位置することとなり,ニュータウン中心部から東横線方面へ直結する地下鉄新線ができたとき,川和地区の地位はどのように変化するのでしょうね。
[16789] 2003年 6月 14日(土)21:16:46NS さん
Re: 東南西北中上下前後
[16788]紅葉橋瑤知朗さん
「白石・豊平」がその地区を代表する地名かどうか
 旧白石区は伊達政宗の有力家臣だった片倉小十郎を先祖とする片倉家一族により開拓された白石村(かつて片倉家が代々居城としてきた白石城に由来)の区域にほぼ等しく、また旧豊平区は旧豊平町(豊平川に由来?)の北部地域としての認知が広くあった等の状況から、「地区を代表する地名」という認知は他の5区に該当する地域よりも当時から高くあったと考え得ると思われますが・・・
あとから分区してできた3区も、当然ながら“代表”地名
 これらの地名については、いずれも旧区内において概ね現在の区域に等しい地域を管轄する「出張所」としての名称に使用されていました。すなわち、旧区内においても区役所本庁以外の有力拠点としての認知がその当時から少なくとも行政側においてはなされており、その認知の延長線上で出張所の名称が新区全体を表す広域的な地名として各区民の間でも認知されて現在に至っているという理解が自然では?と個人的には思いますが・・・。

どうせなら、全部抽象地名にするなり、新たな名称を付けるなりして欲しい
(中略)
「住所を堂々と名乗ることができる」「聞くと<オオッ!>となる」、そんな名称を考えられ、それを選び出すことができる街は本当に素晴らしい
 気持ちはよく解りますが、それこそ各地域における歴史的経緯や力関係等々、様々な要素が絡み合うだけに、そのような理想がきちんと当てはまる地域というのは極めて稀というのが現実でしょうし、そういう中で歴史的な地名であれ各種抽象地名であれ当地の住民の感覚に合った上で広く認知される地名ならば、地域により異なる多様な地名の在り様として現実的にはそれで是とすべきかと思いますが・・・。
[16788] 2003年 6月 14日(土)20:19:02紅葉橋律乃介[紅葉橋瑤知朗] さん
東南西北中上下前後
 前半の順番が、某漢字や絵を並べる遊戯に似てますね(笑)。
 東西南北・中央を使うと、5つの区域まで制定できます。

[16705] 2003年6月13日(金)12:32:12 NSさん

>・行政側→区全体を適切に表し得る地名が存在しない以上は方角名の使用は対外的な認知においてメリットがあり止む無し
・住民側→『区民』としてよりも指定都市『市民』としての意識が強く区名は「役所名」であろうが気にしない
というのが主流の意識でしょう。

 さて、6つ以上に区分けする場合はどうでしょうか。札幌市の場合、当初は7行政区ありました。残りの2つは「白石・豊平」と、地名を使っています。
 この2つがその地区を代表する地名かどうか、は分かりません。あとから分区してできた3区も、当然ながら“代表”地名です。
 「白石・豊平」は、いわば“ネタ切れ”で付けられたのでしょうか。

>分割に際して地域性を最大限考慮するにしろ概して他の市町村よりも便宜性が強くなりやすい

 どうせなら、全部抽象地名にするなり、新たな名称を付けるなりして欲しいです。
 「白石・豊平・手稲・厚別・清田」と区名(代表地名)があります。さて、新札幌はどこなのだろう、地下鉄東豊線の終点・福住はどこ?

>>名称の公募
>当事者同士の議論だけではなかなか得られにくい幅広い叡智を求めるという意味では有用……地元の多数派住民の意識と著しく乖離した名称が出現しやすく
>地域間の軋轢を避けるという名目で往々にして既存自治体名の非使用が定められやすい

 こちらもまた然りですね。おふざけや組織票は論外としても、「住所を堂々と名乗ることができる」「聞くと<オオッ!>となる」、そんな名称を考えられ、それを選び出すことができる街は本当に素晴らしいと思うのですが。

[16710] 2003年6月13日(金)14:00:48 U+3002さん

>区内の1地名を区名に採用するのは、混乱の元でしょう。

 本当に広域名称は難しいものですね(思った文章に変換するのも難しい)。方角以外は、結局代表地名しかないのかどうか(論点がだんだんずれていって申し訳ありません)。

[16768] 2003年6月14日(土)16:34:04 faithさん

>「広島町」時代に、「『北広島町』に改名してほしい」という動きがありましたか

 逆に言えば、通称を正式名称にする必要がありますか? 「町を市にする処分」を待っていたのかも知れません(「市制」という法律がない以上こういう表現になりますが、「処分」っていうのもどうか)。

>「大阪狭山」という表現は狭山町の市制施行まで聞いたことがありません。

 そう言えば、ありますねえ。人目で「大阪府」ということが分かって、素晴らしい(冗談でっせ)。
 ただ、「大阪(大坂)」は「群馬」と一概に同列に扱えませんね。だからと言って、こんな名称でお茶を濁すのもどうでしょうか。「大狭山」だったら……?
[16787] 2003年 6月 14日(土)20:14:10【1】三丁目 さん
残された手段は、人名ですかね。
[16784]faithさん
私のイメージでお話しておりますから、恐縮ではありますが、当地に因んだ歴史上、有名な人物の名前から、どこか「字」をもらうかなにかすればよかったのかな、と、思いました。もし、アイデンティティいう部分でこだわられるなら、という意味です。逆に、歴史上の有名な人物の一「字」があれば、ご納得されたのでしょうか?
申し訳ありません。私、関西は程々にはわかるものの、体感的には、兵庫県以外は、わからないものですから。

あまり、この件については、割ってはいるつもりではなかったものですから、お酒も飲んでいることですし(逃げるつもりではありません)、次のお返事はできないかもしれません。その点については、ご容赦くださいね。

ただ、北広島の公共施設が、市制施行する、15年以上先を見越して、名づけられたというのは、考えにくいと思いませんか?「北広島」が、広島町内にあっても、自然な命名だったからだと、私は思いますよ。あえて、北海道大百科事典の発行年を書いたのは、そのつもりからです。
[16786] 2003年 6月 14日(土)20:10:05NS さん
レス諸々
[16784]faithさん
広島町時代から「北広島」を付けていた公共施設については、市制施行時の名称を考慮に入れていた、ということはないのでしょうか?
 札幌に隣接し将来的な発展の可能性が元々低くはなかったとは言え、最初からそのような考えの下で付けられたとは考えにくいですね(北広島市近郊出身者としての実感でもあります)。この手の「北(or新)」+「発祥地名」という組み合わせは、北海道には北広島以外にも「北吉原」(白老町)などいくつか見られますし。
 ちなみに、市制施行時の候補としては「北広島」の他に「南札幌」というものもありましたが(主に札幌市に隣接する大曲・西の里両地区を中心に推されていました)、市街地のある東部地区や北広島団地地区などからの支持が得られず、広く定着していた「北広島」が採用されたという経緯があります(妥当なところでしょうが)。

[16773]三丁目さん
同名回避については、あってしかるべきかな、と私は、思います。
(中略)旧国名から「摂」の字を使うとか、もうひとひねりあってもよかったのではないか
 これらは私も同感(特に市名に関しては)です(理由としては[16336]でも述べた通り、都道府県名抜きの市名表記のみによる全国的な一意性が求められる場合が色々あるのではないかと類推し得るからですが)。

 道路標示版については、両毛人さんの[16755][16765][16783]の通りでしょう。
 ただ、最近は都市部やその近郊地域では距離表示を含んだ案内板が以前よりも少なくなったように感じられ、その代わりに多数のドライバーからの様々な需要に応えるべく各方向への地名が可能な限り複数(各2~3箇所のところが多い)記述されているものが増え、それらに伴い案内板も大型化してきた(少なくとも主要な国道や都道府県道においては特に)ように思われますが・・・
[16785] 2003年 6月 14日(土)20:09:48NS さん
都筑区の現状は?
[16726]ありがたきさん
[16729]Issieさん
詳細なレスありがとうございました。

 旧港北区・旧緑区の再編については、横浜市の公式サイトを含め「緑区+港北区→緑区+港北区+青葉区+都筑区」という形でしか書かれていないところが殆どなので、「青葉区において旧港北区地域だったところは存在しない」のであれば、公式サイトだけでも「緑区と港北区の再編の際、旧緑区北部を青葉区、旧緑区東部と旧港北区西部を都筑区として分離新設」という形で明示してくれれば親切かな?と感じたものでした。
 このような再編であったとすれば、発足当時の都筑区は旧緑区地域(=旧川和町及び旧山内村荏田地区の一部)と旧港北区地域(旧中川町≒港北ニュータウン)の人口がほぼ拮抗していたことになりますね。で、改めて地図を見てみると、旧港北区側は港北ニュータウンの開発に伴い地下鉄線を中心とした一体的な発展がなされているように感じられるのに対し、旧緑区側は概ね鶴見川から離れた地域ほど現時点では開発が進んでおらず日常生活圏も現緑区側の諸地域の方が強いままなのかな?とも思われますが、実際のところ、この両地域間の交流度合いは如何なもんでしょうか?
[16784] 2003年 6月 14日(土)19:42:28faith さん
大阪狭山市と河内狭山市
[16773] 三丁目 さん

北広島は、例にふさわしくないと思いますよ。
については理解しました。
(ただ、広島町時代から「北広島」を付けていた公共施設については、市制施行時の
 名称を考慮に入れていた、ということはないのでしょうか?知りませんが・・・)

例としてあげられていた「大阪狭山市」は、その命名感覚のヒドサをこき下ろすべき問題かと、私には思われました。
旧国名を冠するとすれば「河内狭山市」だったのでしょうが、
これで問題が解決できるとは思いません。
狭山町を「河内狭山」とは誰も呼んでいなかったという意味では「大阪狭山」と
何も変わりません。
狭山町民にとって、自分たちの町が大阪府にあるということはアイデンティティ
として重要でも、旧河内国に属していたということはそうでないのなら、
外から「河内狭山市とすべきなのになぜそうしなかった?」ということはできません。

ややコントロバーシャルではありますが、正直にいえば、
「河内」のイメージを避けたかった狭山町民の気持ちも分からないでもありません。
聞いた話ですが、狭山町は区域内にパチンコ屋を作らせなかったので、
堺市との境界の堺側の大きなパチンコ屋は狭山からくる客でにぎわっていたとか。
善し悪しは別として、それだけイメージを保とうとしていたということです。
[16783] 2003年 6月 14日(土)19:20:37YSK[両毛人] さん
南陽市
[16770]般若堂そんぴんさん
この場合も,南陽市を市役所で代表させていると考えて良いのではないでしょうか? もちろん,「市域」という意味ではありませんが.
そのとおりと思いますよ。[16755]もそういった趣旨で書いてます。

南陽市の場合は中心集落と呼ぶべきものが赤湯と宮内に分かれています.
中心集落が2つある、ということですね・・・。 市役所は赤湯と宮内と中間的な地点に作られているのですね。

南陽市の中心地構造につきましては、拙稿[6829]にてご紹介させていただいたところですが、地域の感覚として「赤湯」と「宮内」が独立した中心地として認知されているわけでしょうから、南陽市内において「赤湯」とか「宮内」といった表示がされるのは自然なことと思います。

同様な地域としては、直江津と高田を抱える上越市や、勝田と那珂湊をかかえるひたちなか市、中込、野沢、岩村田をかかえる佐久市などがありますね。上越市の場合は高田と直江津の中間地点に市役所を作っており、南陽市の場合に似ていますね。
[16782] 2003年 6月 14日(土)19:14:21BANDALGOM[月の輪熊] さん
合併情報更新
でるでるさん

「1990年以降の変更履歴一覧」で、リンクされているURLに変更があります。

1.
つくば市・茎崎町合併の項でリンクされている旧茎崎町の「くきさき情報局 合併情報」は削除されました。

2.
旧「穂積町・巣南町合併協議会」のHPが、瑞穂市HP内に移転しています。
http://www.mizuho-city.jp/gappei/

3.
新居浜市HP内に整理されている旧「新居浜市・別子山村合併協議会」のHPのURLが変わっています。
http://www.city.niihama.ehime.jp/seisaku/seisaku/gappeikyougikai/index.html

4.
旧「宗像市・玄海町合併協議会」のHPが、宗像市HP内に移転しています。
http://www.city.munakata.fukuoka.jp/gappei/index.html


また、「法定協議会一覧」などでも、以下の変更があります。

1.
岸本町・溝口町合併協議会は既に公式HPが開設され、そのURLもリンクされていますが、リンクのところがまだ「岸本町・溝口町合併協議会(岸本町ホームページ)(法定)」になっています。
「公式HP」が岸本町HP内に設置されてはいますが、このようなところは他にもありますし、「(岸本町ホームページ)」の字句を削除されるのが望ましいと思います。

2.
岸本町・溝口町合併協議会の新町名公募(全国公募)が、6月17日~7月31日となっています。

3.
佐世保市の合併の項目で、「佐世保市・吉井町合併協議会(3市町任意協議会ホームページ)(法定)」とありますが、この「佐世保・吉井・世知原任意合併協議会」のHPが、「佐世保市・世知原町合併協議会」HP内に移転しています。
http://www.gappei-ss.com/ninni/index.html

以上、更新よろしくお願いします。
[16781] 2003年 6月 14日(土)19:08:09【1】faith さん
渡良瀬橋
[16771] 両毛人さん
森高千里さんです。曲名は「渡良瀬橋」ですね。この曲のモデルとなった、同じ名前の橋が足利市内の渡良瀬川にかかっています。

今手元にないので確認できないのですが、彼女のベスト盤(のようなもの)の解説で
彼女自身が「この曲で足利の市長さんに呼ばれて表彰された」みたいなことを
書いていた記憶があります。

実際、良い曲ですよね。
渡良瀬川を見に行ってみたいなと思わせます。
[16780] 2003年 6月 14日(土)18:51:19YSK[両毛人] さん
Re:アーカイブ日記
[16779]special-weekさん
新アーカイブ「大河ドラマ、朝の連続テレビドラマ小説の舞台」ですが、重複したアーカイブです
あ、それは失礼しました(汗)

で、どうせなら、このままにしてもいいのではないでしょうか?

アーカイブ間の記事の重複は構わないと思います。
[16779] 2003年 6月 14日(土)18:45:30special-week さん
アーカイブ日記
あ、このタイトルで書き込むの久しぶりだな

両毛人様

 新アーカイブ「大河ドラマ、朝の連続テレビドラマ小説の舞台」ですが、重複したアーカイブです。以前に「映像で見る日本」というテーマでアーカイブ化されています。
[16778] 2003年 6月 14日(土)18:44:17Issie さん
Re:足利郡坂西町
[16758] 両毛人 さん
なぜ「坂西」なのかご存知ありませんか?

私自身は行ったことがない(川向こうの旧梁田郡側を東武電車で通過したことはあるけど)所なので,全く土地勘のないところですが,“例のページ”をまとめていて「おやっ?」と思ったことがありました。
「坂西」という地名は“使い回し”がされているのですね。

[16745] わたらせG さん
1955年03月31日以降 栃木県足利郡坂西町大字松田字○○(小俣、葉鹿、三和、三村の合併)

で発足した「坂西町」(葉鹿は,1923年に「葉鹿町」となっていたようですね)は1962年に足利市に編入されて,7年半の存続で消滅したわけですが,これに先立って「坂西村」が存在したことがあります。

1889年4月1日の町村制施行に際した「明治の大合併」で,山下村・大前村・五十部(よべ)村・大岩村・今福村の5村が合体して「坂西村」となりました。後の「坂西町」とは違って,より足利中心市街に近い渡良瀬川左岸の集落を統合したものですね。
1893年3月1日に分割されて, 上流側の大前・山下が「山前(やままえ)村」,下流側の五十部・大岩・今福が「三重村」となって,この“第1次”坂西村は消滅しています。

使い回しがされているあたり,「坂西」というのは足利地域で以前から使われてきた地域呼称なんでしょうかね。
第1次坂西村東端の今福町と,足利中心市街の西宮町・緑町の間は尾根筋となっていて,この尾根の突端が渡良瀬川に迫り,足利から桐生方面へ向かうためには必然的にこの尾根筋を越えることになります。
他所からの勝手な推測ですが,この「坂」の西,という意味ではないのかな,と思ったりしています。

本当のところは,どんなものだか。
[16777] 2003年 6月 14日(土)18:38:14YSK[両毛人] さん
mikiさんへ
[16771]
その歌手とは誰ですか?
森高千里さんです。曲名は「渡良瀬橋」ですね。この曲のモデルとなった、同じ名前の橋が足利市内の渡良瀬川にかかっています。
[16776] 2003年 6月 14日(土)18:00:33【8】三丁目 さん
書込んじゃったからなぁ、TACOさんへ
[16766]TACOさん
気になるのですが政令指定都市の中では北九州市と京都市は人口が減少しています。これな何故なのでしょうか?
この件、どなたかから横レスを入れて頂けることを期待して、見なかったことにしてしまえぇ、と思っていたのですが、拙稿[16773]を書込んでしまいましたから、読んでいたことがバレバレですので、三丁目的レスでお返しいたします。

政令指定都市なのに、人口が減少している原因ですかぁ。。。ではまず、北九州市。鉄冷え(この言葉自体古いですかね?)+αにつきるのかな?と私は思っていました。というか、北九州市の人口が減少しているのは、世間一般の常識ではないか、くらいに(申し訳ありません)、私は思っていました。逆に、人口が増える要因が、北九州市には見当たらない、とも言えるでしょうね。

次に京都市。そもそも私は、京都市の人口が減っていることを、知りませんでした。それに加えて、京都市の現状を知ることもできませんから(関西在住、ではないものですから)、TACOさんのご指摘から推測すると、ドーナツ化現象が、大きな意味で起きていることからなのかな、と思いました。
参考文献「身近な地域」金沢市中学校教育研究会社会科部会編(私が中1のときに習った教材で、このときに初めて「ドーナツ化現象」という言葉を、教わりました)。
問題7:このような人口の現象をなんと呼ぶか。
問題8:なぜ、このような都市化現象が起こったのだろうか。

逆に、これからの時代は、なぜ人口が増えているのだろうか?、そのような吸引力が(他のところから人が引き寄せられるという意味で)、なぜその都市にはあるのだろうか?、という疑問から、考えてみるのもよいのではないか、と思いました。

現在、高校生でいらっしゃるTACOさんに、このようなお話をするのは厳しかったですかねぇ。高校卒業以上のレベルかもしれないかも?と思いつつも、ご参考までに、お話しようかな、と思ってしまいました。

仕事の話として申し上げると、「どうしたらいいですか?私にはわからないのです。」は新入社員+αまでが許される範囲です。その年代を過ぎてしまうと、同様な質問をしたときには、逆に「君はどうしたらいいと思う?」と聞かれます。だから、「私は、何々したいと考えているのですが、如何でしょうか?」という相談の仕方が、好まれます。
ワタクシ的には、TACOさん(高校生)としては、「自分は、人口が減少している原因を、こう考えているんだけど、どうですか?」という感じで質問して頂けると、嬉しかったです。。。(高校生レベルでは)ちょっと厳しかったかな?ご指名頂いてしまったので、なんだか教育的になってしまいましたね(滝汗)。申し訳ありません。
[16775] 2003年 6月 14日(土)17:53:23白桃 さん
♪一週間に十日こぉい
別に仕事が好きなわけではないのですが、今日で20日連続勤務先にきております。これでも雑魚さんに比べれば可愛いほうかもしれませんね(笑)。
三大三高
1.三本松高校
2.旧制三高(現京都大学)
3.日大三高
と、馬鹿なことを書きこんで家路につく白桃でした。明日は一日中、人口更新作業をやるぞ!
[16774] 2003年 6月 14日(土)17:15:38faith さん
断定的価値表現について
[16769] 般若堂そんぴん さん

情報の伝達に於いては送り手と受け手があり,それぞれ判断基準が異なる場合もあるのではありませんか?
それはそうですが、やはり送り手側は自分の判断基準で判断するしかないのではないですか?
割と常識的なことを言っているだけです。」
で私は「なんで理解してくれないんですか!」と言っているのではなくて、
「そんなに突飛な提案をしているのではなくて、現に起こっているような事態を想定しているのです」
と書きたかったつもりですが・・・ これは私の書き方が悪かったようです。

やはり,
規制と昔からの地名の消失(実際には新自治体の中の小区分として残るのでは?)との間に直接の因果関係
を認めるのは困難です.
自治体名はいわば看板です。
新自治体の小区分としての地名とは意味が違うと考えます。

いい加減に、このような無意味な
というような断定的価値判断を含んだ表現をして欲しくはありません.

一般論としては、例えば「無意味な」という断定的価値判断も、それなりに根拠を示せば良いのではないでしょうか。
もちろん、他の方がそれに納得しない場合、議論になるのは当然のことです。

いずれにしろ、顔の見えない掲示板なので、他の参加者への配慮が必要なのは理解しております。
今後はもう少し慎重な表現を心がけます。

ご指摘ありがとうございました。
[16773] 2003年 6月 14日(土)16:59:14【3】三丁目 さん
北広島は、例にふさわしくないと思いますよ。
[16768]faithさん
北海道大百科事典(北海道新聞社、1981年発行)を読んでいたら、「北広島」と冠する、たくさんの記述を目にしました。北広島高等学校、北広島公営団地等です。広島町の時代から、町内にできた公的な施設の中には、すでに「北」広島と冠せられていたものがいくつかあるのです。
この話は、本当は恥ずかしいから、以前はふれなかったのですが、実は私、「北広島町」だと思い込んでいました。何度となく道路地図を目にし、自分の部屋には北海道地図を貼っていたのですが。それほど「きたひろ」は地元で浸透していた呼称なのです。我が地理アドバイザーにその旨を伝えたら、そう誤認してた人も多かったみたいだね、と申しておりましたが。ちなみに、私の道内での居住経験は、苫小牧市、登別市、札幌市ですから、比較的広島町に近いところにおりました。

ですから、広島町に関しては、市制施行に当たり、同名回避という部分が、いくばくかの割合があったとは思われますが、北広島市になったのは、ごく自然なことだったと私は思っていました。

なお、拙稿[16722]で、小学生の頃の思い出を語りましたが、同名回避は、あってしかるべきかな、と私は、思います。例としてあげられていた「大阪狭山市」は、その命名感覚のヒドサをこき下ろすべき問題かと、私には思われました。例えば旧国名から「摂」の字を使うとか、もうひとひねりあってもよかったのではないかと、思っていましたが。
[16772] 2003年 6月 14日(土)16:52:50faith さん
中央駅の所在
[16710] U+3002 さん
とくに「名古屋市中区」は、「中央駅のない中区」という点で、非常に個性ある区名だと思います。
これは話がやや逆だと思われます。
鉄道網形成期にすでに確立していた都市では、市街地に鉄道を通して、中心街に中心駅を置くことができなかったのが普通です。
したがって、大都市では代表駅が「中区」に類する地域にない都市が多いのは当然でしょう。
東京がむしろ例外なのだと思われます。
都市の中心街に代表駅があるということは、都市の規模があまり大きくないか、歴史が新しいことを示していると考えます。
[16771] 2003年 6月 14日(土)16:50:01miki さん
uttさん案・両毛市新区名案を考える
[16761]uttさん
 実際の区割名は、A区...「足利区」B区...「佐野区」C区...「桐生区」D区...「太田区」E区...「館林区」がベストだと思うのですが、それでは面白くないので既存の市町村名を排除して考えてみました。
A区・・・渡良瀬区(過去にも言及されましたが、某歌手が歌を出しましたっけ、そのモデルの橋がある区だから、渡良瀬を名乗ってもいいのでは??)
別にいいと思いますが、その歌手とは誰ですか?
過去に「錦野さんではないか」というレスがありましたが...。

B区・・・秋山川区(単に「佐野」としたら、田沼、葛生としても寂しいだろうから、共通する流域の河川名より付けました)
語呂が悪いので「秋山区」の方がいいですね。

C区・・・赤城区(やはり赤城山は外せないでしょう)
これでいいと思いますね。

D区・・・自動車区([8720]ニジェガロージェッツさんのハバロフスク市工業区に通じる命名)
絶対ダメです。
「富士区」「すばる区」「利根区」といった所でしょう。

E区・・・先端区(群馬県の東の先端で、栃木、茨城、埼玉、もうちょっとで千葉と、多くの県が集合する日本のクロスポイント。ここで、「両毛代表」として自己主張するためには、インパクトのある名前でアピールしましょう。)
そんなド派手な事は似合いませんね。
「つつじ区」「鶴頭区」「茂林寺区」といった所でしょう。
[16770] 2003年 6月 14日(土)16:45:38般若堂そんぴん さん
Re:道路の行先表示板
[16755]両毛人さん
↑南陽」に書かれる距離も、南陽市役所までの距離が基準になっています。その道を通っていて南陽市域に入る地点までの距離が示されたものではないわけですね。
この場合も,南陽市を市役所で代表させていると考えて良いのではないでしょうか? もちろん,「市域」という意味ではありませんが.

ただ、具体例が思いつかないのですが、庁舎の移転によって、本来のそのまちの中心集落と、庁舎の位置とに大きな乖離がある場合もあるように思うのですが、その場合どのようにしているかはちょっと分かりません・・・。
移転による例ではありませんが,南陽市の場合は中心集落と呼ぶべきものが赤湯と宮内に分かれています.県道3号線で市域に入ってからは「赤湯」「宮内」などと表示されていると記憶します(数ヶ月行っていないので現状については確信を持って述べることが出来ません).「南陽」という表示はあったかどうか?
国道では市役所方面を「南陽」とする表示があるのでしょうね.
[16769] 2003年 6月 14日(土)16:42:40般若堂そんぴん さん
Re:同名逃れの地名について
[16744]faithさん
誤解があるようですが、
同じ都道府県内で重複がない限り、同名の市を許した上で、
必要に応じて、各人・各機関が区別の必要があるときには都道府県名を上に付けるという
割と常識的なことを言っているだけです。
情報の伝達に於いては送り手と受け手があり,それぞれ判断基準が異なる場合もあるのではありませんか?

あります。いままで「北広島」と誰も呼んでこなかった土地が、広島県に同名の市があるために
北広島と名乗ることを余儀なくされ、
これについては[16749]ゆうさんが説明していらっしゃいますね.
地名の表記の変遷は上古から希ではありません.それを「地名の消失」と呼ぶのは不適切でしょう.やはり,
規制と昔からの地名の消失(実際には新自治体の中の小区分として残るのでは?)との間に直接の因果関係
を認めるのは困難です.

同名の市を認めたいという主張には賛成できませんが,そうした主張がなされることには反対しません.私にとって納得できるものではなくともそれなりの根拠があることも理解できます.異なる意見の存在は当然のことだと思います.
しかしながら,その流れの中で
いい加減に、このような無意味な
というような断定的価値判断を含んだ表現をして欲しくはありません.引用された書込者をも間接的にではありますが貶める言葉です.このような表現が無かったならば[16707]およびこの書込はなされなかったでしょう.
[16768] 2003年 6月 14日(土)16:34:04faith さん
Re:Re: 同名逃れの地名について
[16749] 2003 年 6 月 14 日 (土) 10:03:44【3】 ゆう さん
 Re: 同名逃れの地名について

「北広島」に限っていえば、これは大正時代までさかのぼれる表現です。
これは例が悪かったようですね。ご指摘の過去ログを見る限り、私が間違っていたようです。
ご教示ありがとうございました。
ただし「北広島市」が、北海道広島市が許される状況で本当に選好されたかは疑問です。
((「広島町」時代に、「『北広島町』に改名してほしい」という動きがありましたか?)
別の例を挙げると
私は大阪に住んでおり、現在の大阪狭山市に親戚もいましたが、「大阪狭山」という表現は狭山町の市制施行まで聞いたことがありません。
これであれば私の言いたいことがすんなり伝わると思います。

明治時代までは「広島」と誰も呼んでこなかった土地に、開拓団がやってきて「広島」と名乗ったことについてはいかがお考えですか?
どんな地名にも起源があり、その前には誰もその地名を使っていません。ただそのプロセスが、歴史上に記録されているかどうかの違いです。
広島から来た人々が住む土地が広島と名付けられるのは自然なことです。
大阪狭山という地名のできかたとは自然さが違います。(北広島についてはややこしくなるので)

地名の由来が広島県であるので、直接に因果関係のない地名が偶々同じ表記だった「松山」や「久留米」とは事情が違うのではないでしょうか。
異なる地域の市町村名の由来が「直接に因果関係があるかどうか」は私たちのような地理歴史愛好家には意味があっても、現在の住民には意味のないことです。
因果関係があれば(結果としての)地名については権利がなく、偶発的なものであれば権利があるというロジックには無理があると思います。
大体、因果関係がないということで他府県に既にあるのと同じ市名を許されたとして、後に因果関係があると分かれば改名するのでしょうか?

茨城県のも佐賀県のも、「鹿島」と書く前は「鹿嶋」と書いていたようですね。戦前の地形図を見ると軒並みこの字は「嶋」と表記されているように見えます。福嶋、廣嶋、徳嶋…。
そのように主張されているのではないようですが、まず、半世紀前にそう書かれていたからといって、他府県に同じ市名があれば半世紀前の表記に戻せば良いということにはなりません。
私はこれには別の感想を持っています。
「これで区別したことになるのかね。」
「鹿島」ではだめで、「鹿嶋」だったらOK というところにこの規制の無意味さが良く現れています。
要するにさして問題はないのですよ。「茨城県鹿*島*市」があっても。
[16767] 2003年 6月 14日(土)15:53:42faith さん
旧制中学校の範囲
[16751] 雑魚 さん

7年制高等学校の尋常科に起源を持つ都立大附属などは範囲外でしょうか?
(他にも東京大学附属や、武蔵・成蹊・成城・甲南のうちいくつかは
 そうだと思うのですが、確認が取れていません。)
[16766] 2003年 6月 14日(土)15:26:39【1】SANUKI-Impact[TACO] さん
梅雨は嫌だ
 お久し振りです。1週間ぶりです。

[16289]uttさん
高松は四国で一番都会
高松に住む僕としては高松よりは松山の方が都会というイメージがあります。

[16535]三丁目さん
気になるのですが政令指定都市の中では北九州市と京都市は人口が減少しています。これは何故なのでしょうか?

[16502]uttさん
愛媛県についての質問ですが普通天気予報などでは「香川県西部」などといいますが何故愛媛県は「愛媛県東予」などといい「東部」とは言わないのでしょうか?

[16591]あっちゃんさん
中間テストは、学年4位、クラス3位とすごいいい結果で超超超うれしいです!
社会(地理)は、学年1位でした!
おめでとうございます。ところで学年全体は何人ぐらいなんですか?

[16700]ありがたきさん
愛媛県「四国中央市」の命名についての話題が出ておりました。番組調べの地元住民への100人アンケートでは、「四国中央市」に賛成が35人、反対が40人、どちらともいえないが25人だそうです。
反対意見には、「愛媛県の次に四国と来るのは順番が逆」「名前が大げさ」などなど。
また、四国のへそを掲げる徳島県池田町の方でも困惑しているという旨の内容でした。
あのあたりは四国の中央部ではないと思いますね。なのになぜ「四国中央市」なのでしょうね。確かにこれはちょっと大袈裟かなと僕も思います

[16526]両毛人さん
日本や世界の「珍名」などは僕もいろいろと調べてた事がありました。なのでまた次回どどーんと紹介します。

遅ればせながら800000文字達成おめでとうございます。そして1200回書き込みおめでとうございます。

そろそろ感想をいただきたいのですが[16435]の書き込みは前の[15583]などの書き込みから気温と降水量、州の概要を追加したのですがどうですか?もうひとひねりできていると思いますか?
[16765] 2003年 6月 14日(土)15:17:28YSK[両毛人] さん
道路標示版・栃木市について
道路標示版における「栃木市」の扱いについて、いろいろと議論があるようですが・・・

私は、ゆうさんほかの、栃木市と栃木県の違いを全く知らない人が「栃木」と書かれて戸惑う可能性があるので、「栃木市」と書くことに対しても一定の必然性があるとするご意見はそのとおりと思います。

あくまで、道路標示版は、公共のものである以上、道路を使用する人が分け隔てなく、誰でも共通の理解ができるようでなければならないでしょう。「栃木市」と明確にすれば、誰も「栃木県」のことだとは思いませんし、栃木市のことをまったく知らない人が見ても、「ああ、栃木市って場所があるのか」と誤解する可能性もほぼなくなりますよね。

やはり、県庁所在都市とそうでない都市の認知度の違いは決定的なのかな、と思いますね・・・。そして、都道府県名によってまず地域を理解する習慣がいかに強固なことか。

「栃木県」を「宇都宮県」などに改称でもしない限り、「栃木県にあるから栃木市」という理解は解消されないのではないかとさえ思います。

「↑青森」を見て「青森県」のことと誤認する人間の割合と、「↑栃木」を見て「栃木県」のことと誤認する人間の割合とを天秤にかけると、やはり後者のほうが圧倒的に大きいと思いますね・・・。

行き先案内標示は簡明なほうがよいので、「地名部分のみの表示」を基本としながら、誤解が生じやすい地名について適宜「市」や「町」をつける、という対応は、現在の日本における地域理解の一般的な程度からして、最も合理的な判断なのではないかな、と思いますね。

でも、栃木市に近い場所に住んでいる私とすれば、
[16703]軒下提灯さん
「栃木」を「栃木市」と現わしたのでは、都市としての栃木の存在が消されたような思いがします。
というお気持ちも理解できます。他の町が「佐野」とか「小山」とか書かれているのに、自分のところだけ、県名と同じだからとう理由で「栃木市」と書かれているのですから、地元の人のなかには、軒下提灯さんのような思いで表示板を見ている人も少なくないかもしれませんね。

とはいえ、表示板は公共の案内表示として、あらゆる道路利用者が見てもなるべく誤解を生じさせないように作ることが基本でしょうから、私としては「栃木」と書いて欲しい気持ちなのですが、「栃木市」表記もやむを得ないのかな、という感想ですね。

話は変わりますが、「栃木」いいところですよ。これからは、太平山公園の紫陽花が見頃を迎えますし、しっとりとした空の下、巴波(うずま)川沿いの美しい町並みはいっそう映える季節と思います。出流山のそばもおいしいですしね。
[16764] 2003年 6月 14日(土)14:50:56【1】YSK[両毛人] さん
宇都宮県と栃木県、少しフォロー
[16762]ゆうさん
ゆうさんはこれからお話する内容についてご承知の上で書かれているかと思いますが、ご存知ない方もおられるかと思いますので、若干のフォローをさせていただければと思います。

旧宇都宮県と旧栃木県が統合されたときに県庁がはじめから宇都宮に設置されていれば
ご指摘のとおり、宇都宮県と栃木県(当時)が統合されても、しばらくは栃木に県庁が置かれていましたが、この栃木県は現在の栃木県とは範域が違います。それは、統合前の栃木県そのものが、都賀郡(現在は上・下の2郡)、寒川郡(現在は消滅)、安蘇郡、足利郡、梁田郡(足利郡と梁田郡も消滅していますね)に加え、上州の山田郡、新田郡、邑楽郡の3郡を含む形であったためで、宇都宮県と栃木県が統合されても、これら上州3郡は栃木県のままでした。

そして、上州の3郡が分離して、当時「熊谷県」の一部となっていた上野国の範囲と合わせて「群馬県」となり(1876. 8.21)現在の栃木県の範域がほぼ確定し(その後群馬県との間で越境編入や分村があったなど、若干の区画の変更は行われていますが)、県庁は栃木から宇都宮へ移転しています(1884. 9.15)。

一方、同時期の群馬県の動きを見てみますと、現在の栃木県域に宇都宮県と栃木県が発足したと同時に、上記3郡を除いた上野国の範囲で「群馬県」が発足しています。

その後、この群馬県は武蔵国北半を範域とした「入間県」と統合して「熊谷県」になります(統合の年月日は、上記宇都宮県と栃木県の統合と同じ)。そして、熊谷県の武蔵国分の地域が旧・埼玉県と統合して現在の埼玉県に近い範囲として画定した時、熊谷県の上野国分に栃木県の一部となっていた3郡が分離されて、上州国を範囲とした「群馬県」が発足することとなるわけですね。

詳しい日付は、Issieさんのホームページを参照させていただきました。ありがとうございます。
[16763] 2003年 6月 14日(土)14:47:43三丁目 さん
雑魚さんのためならエ~ンヤコラ
まずは学習院から。さっき書込んだ後に、外出途上で気づいたのですか、JEOには「昭和22年に宮内省の管轄を離れ、私学として再スタート。」とありましたから、以前、大学の管轄官庁のことで話題になっていたように、旧文部省管轄下ではなかったために、旧制中学には該当しないのでしょうね。同様の記述が、下記受験案内にもありました。

それで残りは、旺文社版2002年入試用高校受験案内から引用します。
日本大学第二高等学校:1927年、日本大学の付属中学校として開校。
桐朋高等学校:1941年、山水育英会を母体に第一山水中学校創立。とあります。
他にも、創立年が古い学校が散見されますが、旧制の中学校ではなかったのでしょうね。よくわかりませんけど。

よくよく見たら、私立高校の沿革は出ていますが、都立は載っていませんでした、あしからず。私にできる情報提供は、ココマデ、ということで。めんどくさかったから、年不詳学校一覧はメモしないで出かけたのです。自宅にプリンターは、ないものですから。今日か明日のどちらかで、北海道大百科事典を返しに行こうと思っていたから、ついで、です。

いや、しかし、本日は夜遅くから雨が降る、という天気予報なのに、日中から雨が少しパラつくし、昨日は昨日で、一日中曇マークだったから、傘を持たないで外へ出たら、いきなり雨が降っているし。梅雨なんですねぇ。
[16762] 2003年 6月 14日(土)13:50:29【1】ゆう さん
道路標識のこと
拙稿[16453][16648]について少し補足します。
道路標識の「栃木市」を支持します。
と書いていますが、「積極的に『栃木市』に付けかえるべき」などとは考えていません。
「栃木」を「栃木市」に付けかえたという判断の根拠は決して不当なものではなく、ひとつの考え方として理解できる、という意味での支持です。
ですから、今後「栃木」に戻すことになるとすれば、その判断の根拠も不当なものではなく、ひとつの考え方として理解できますから、同様に支持します。
こう書くと「どっちでもいい」ことになりますが、当局の判断が正当な根拠に基づく限り、それを支持するということです。


[16703]軒下提灯さん
「栃木」を「栃木市」と現わしたのでは、都市としての栃木の存在が消されたような思いがします。
「『栃木市』では存在が消される」という思いが私にはよくわからないのです。
軒下提灯さんはなぜ、「『市』をつけると尊重していないことになる」とお考えになるのでしょうか?

佐野も小山も「←佐野市」「→小山市」と標記すれば良いのです。
そのような標識が出来ても構いません。

「↑青森」は「↑青森市」、「↑長野」は「↑長野市」になさいますか?
そのような標識が出来ても構いません。


栃木とは栃木県のことか栃木市のことか判断がつきにくい
「栃木県」と「栃木市」の違いを理解している人は、「栃木」がどちらの意味で使われているかはある程度判断できると考えます。私が[16453]の「広島」を「広島県」のこと判断できたように。なので、そういうにとっては問題になることはほとんどないと思います。

一方、どちらかしか知らない場合は判断不能です。そして、「栃木市」を知らない人の目的地が栃木市である可能性は極めて低いのです。例えば「栃木県の足利」に行きたいと思っている人が「『←佐野』『↑栃木』」という標識を見たとき、「栃木」に惑わされずに判断できるでしょうか。

ドライバーが「↑栃木」に戸惑うなら、「↑青森」にも戸惑うのではないでしょうか。
「青森県」を知っていて「青森市」を知らないというドライバが全くいないとは断言できませんが、限りなくゼロに近いと信じています。


歴史にもしもは禁物ですが、もしも県庁移転で県名も「宇都宮県」になっていたとしたら、或いは旧宇都宮県と旧栃木県が統合されたときに県庁がはじめから宇都宮に設置されていれば、「↑栃木市」という標識はできなかったでしょうね。
[16761] 2003年 6月 14日(土)12:59:29【2】ペーロケ[utt] さん
両毛市区割り案
[16727]両毛人さん
 実際の区割名は、「足利区」「佐野区」「桐生区」「太田区」「館林区」がベストだと思うのですが、それでは面白くない。ちょっと遊び心が許されるならば、と思い、既存の市町村名を排除して考えてみました。

A区・・・渡良瀬区(過去にも言及されましたが、某歌手が歌を出しましたっけ、そのモデルの橋がある区なのだから、渡良瀬を名乗ってもいいのでは??)

B区・・・秋山川区(単に「佐野」としたら、田沼、葛生としても寂しいだろうから、共通する流域の河川名より付けました)

C区・・・赤城区(やはり赤城山は外せないでしょう)

D区・・・自動車区([8720]ニジェガロージェッツさんのハバロフスク市工業区に通じる命名)

E区・・・先端区(群馬県の東の先端であり、栃木、茨城、埼玉、もうちょっとで千葉と、多くの県が集合する日本のクロスポイント。ここで、「両毛代表」として自己主張するためには、インパクトのある名前でアピールしましょう。)

しかし、こうしたら尖端恐怖症の人は館林に住めなくなりますね(苦笑)
[16760] 2003年 6月 14日(土)12:32:56深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/15 山梨県編
肝心の甲府一高を創立年不詳としたのは、公式頁で淵源とされる甲府学問所の創立年が、寛政年間としか判らない為です。ちなみに、師範学校の予備学科設立は 1877年、中学教則に基く山梨県中学の創立は 1880年です。

判り難いのは 1901年、甲府市内と思しき分教場に設けられた山梨県第二中学を巡る状況です。この二中は、翌年に現在の山梨市内に移転し、日川高の前身となりますが、これに伴い、当初は山梨県中学 (一中) の分校扱いだった谷村の校舎が大月に移転後、より近い中学との連携の方が得策と判断したのか、二中の分校として再編されています。

甲府一高は 1968年から総合選抜に組み込まれました。その際、高女系の二高が西高と改称した様に、改称の予定があったらしいのですが、従前の ステイタスを重んじたOBの強い意向もあって、一高の名を残したそうです。

県立1900)都留県中学都留分校、県第一中学都留分校、県第二中学都留分校、県立都留中学 / 都留一高
1901日川県第二中学、県立日川中学
1922)身延県立身延中学
1923)韮崎県立韮崎中学
不詳)甲府第一甲府学問所、官学徽典館、山梨師範学校中学予備学科、県中学、山梨学校、徽典館、
県尋常中学、県中学、県第一中学、県立山梨県第一中学、県立甲府中学

次号予告) 長野県編
[16759] 2003年 6月 14日(土)12:16:15ペーロケ[utt] さん
看板は正確な道先案内人であって欲しいですね!!
[16755]両毛人さん
この表現は、上記の基準からして「岩国市役所」のある麻理布までの距離を指していると思います。
 私も始めはそうかと思い、家に帰って地図上に定規を当てて測ったところ、どうしても岩国駅なのです。25キロが実際は26キロだった、というのは誤差の範疇と言えそうですが、3キロと4キロはさすがに誤差とは言えませんよね。ちなみに、岩国市役所は岩国駅より南西に1キロ離れた今津町にあります。
 しかし、市域に入ったら「市街」と付ける自治体が多いですよね?これは市に限らず、町村でもたまに見かけます。まあ、「市街」とは街(もしくは町)の中心といった暗黙の了解があるのでしょうね。しかし、松山市の場合は、一貫して「県庁・道後」もしくは「県庁・市駅」でした。県庁が付くあたりは、やはり以前言及した大統領制に近い中央集権的「愛媛」体制の名残りかもしれませんね。

P.S.[16727]で触れられていた「ベホマラー」が気になって探してしまいました。あんなところに居たとは(笑)

[16748]軒下提灯さん
地名が間違っている訳ではないけれど、あれまぁ~、なんと”こじんまり”した地名を選択したものだこと。
 似たような例が、欽明路道路(県道)にあります。欽明路道路は、錦川沿いにぐるっと迂回する国道2号線のバイパスのような路線状況にあり、欽明路峠を超えて玖珂町で再び合流するような形になっています。まあ、「岩徳線」と「山陽本線」の関係にも似ているのですが、欽明路道路の方が短いのですが、県が必死こいて作った道路なのか(昔は有料だったらしいですが)、あくまで「県道」なのですね。しかし、車の場合はどうしても距離が短いほうを選択しますので、当然、欽明路道路の方が圧倒的に交通量が多いのです。その欽明路道路の分岐、錦見交差点では、欽明路道路方面を「←玖珂」、国道2号線方面を「R2、徳山→」と書いているのです。どっちを通っても、玖珂で合流して徳山(周南市の中心街)に行くことができるのですが。。。道路管理者としては、あくまで国道を通って欲しいのでしょうか(笑)
[16758] 2003年 6月 14日(土)11:41:15YSK[両毛人] さん
足利郡坂西町
[16745]わたらせGさん
桐生市になった菱村、佐野市になった吾妻村を除けば、かつての足利郡がそのまま足利市を構成しているわけですよね。足利市を構成している郡としては、「梁田郡」、そして上州の「山田郡」の一部もありますが・・・。

周囲を自治体に囲まれて、自らの都市圏に含ませるような自治体が内容に見える足利市ですが、以上の経緯を考えますと、自らの都市圏に入る自治体がすべて現在「足利市」になってしまったため、その影響が自治体単位の見かけ上からは見えない、ということなのでしょうね。

もちろん、足利市の商業集積は大きいものがありますので、両毛地域では広く購買客を集めているものと思います。

さて、ご提示いただきました「足利郡坂西町」ですが、なぜ「坂西」なのかご存知ありませんか?既存の地名でもないようですし、「坂」の「西」ということであれば、「坂」が何を示すのか、ちょっと類推ができません。地元の方でしたらもしかしたらご存知なのではないでしょうか?

私の長年の疑問を解きほぐしていただきませんでしょうか??

ところで、松田はいいところですよね。新緑の頃とか、よくドライブに行きます。そばも食べに行きます。松田川ダムあたりの風景はすてきです。
[16757] 2003年 6月 14日(土)11:40:58【2】三丁目 さん
雑魚さんへ
手持ちの総合経済誌「JEO/総力特集日本を動かす人物を生んだ名門高校」より
オヂサマ達と話を合わせるのに、こういう知識を持っていてもいいかな、と思って10年くらい前に買ったものです。これを見て、初めて、進学実績での都立の凋落ぶりと、私立の躍進の差を知り、驚いたものでした。自分が大学に入ってしまえば、母校の進学実績がどうなっていようが、興味なかったですからね。さて、

九段:大正13年、第一東京市立中学校として設立。
学習院:前身は弘化4年、孝明天皇が京都に設置した公家学習所。明治10年華族の学校として神田に開校、明治天皇が学習院と命名。
桐朋:昭和15年、山下亀三郎の献金を基に財団法人山水育英会により、第一山水中学校として創立。

記事で取り上げられた全ての高校の創立年が出ているわけではないから、全部を網羅できなくてスイマセン。
図書館へ行けば、首都圏の高校受験案内があるから、それで調べれば創立年はわかるんですけどね。
桐朋が1年ずれているのが、気になるところです。また、雑魚さんも書かれていますが、学習院は、旧制中学ではないのですか?私にはよくわからないのですが。
[16756] 2003年 6月 14日(土)11:39:48深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/14 神奈川県編
ここも、首都圏の主要地域を構成する割に、特に私立で該当例が少ないですね。アタリをかけようにも、公式ページで沿革に言及していない所も少なくない訳で、Google で校名、続いて 「旧制」 などの語句で絞込み検索をかけると、一瞬おっと思う頁が見付かるのですが、良く見れば我が過去ログではありませんか。ううむ、恐るべし Googleの検索機能。疲れて集中力を欠いた挙句、「フェリス女学院」 でも検索してしまった雑魚でした。(笑)

県立一中の創立時期が遅れたのは、あるいは埼玉県同様、東京への近接性ゆえと勘ぐるのですが、千葉県は然にあらず。微妙な距離の差が影響しているのでしょうか。一方、藩校の継承先とされ、城址の立地がイカニモという雰囲気の小田原高が最古参というあたり、武蔵対相模の地勢を反映した結果の様にも思えます。横浜において、「一中/一高」 「二中/二高」 「三中/三高」 というのは判り易い改称ですが、恐らく 「横浜緑ヶ丘」 に改称後の事とは思いますが、四半世紀ほど以前、「横浜三高」 の名が人気漫画で登場した記憶があります。(音楽コンクールに出場した生徒の所属校、という設定。) 実在の校名を避けるべき漫画において、実在か否かの調査の御苦労が偲ばれますね。

ちなみに、逗子開成高の前身 「第二開成中学」 とは、東京の御三家 「開成」 の分校です。

県立1822)小田原藩校諸稽古所、集成館、文武館、小田原学校文武館、小田原講習所、
六郡共立小田原中学、県立第二中学、県立小田原中学
1886)秦野三郡共立学校、中郡共立学校、組合立奈珂中学、県立秦野中学
1897)希望ヶ丘県尋常中学、県中学、県第一中学、県立第一中学、県立第一横浜中学、
県立横浜第一中学 / 横浜一高
1902)厚木県第三中学、県立厚木中学
1908)横須賀県立第四中学、県立横須賀中学、※横須賀明徳中学
1914)横浜翠嵐県立第二横浜中学、県立横浜第二中学、横浜二高
1921)湘南県立湘南中学
1923)横浜緑ヶ丘県立横浜第三中学 / 横浜三高
1927)川崎県立川崎中学
私立1903)逗子開成私立第二開成中学、私立逗子開成中学
1920)浅野浅野中学

次号予告) 山梨県編
[16755] 2003年 6月 14日(土)11:30:18YSK[両毛人] さん
道路の行先表示板
先ほどから、道路の行き先表示が指すところによっていろいろと議論があるようですが、

あれに書いてある距離数は、自治体名が書かれる場合、その自治体の役所・役場までの距離を書くという基準になっています。

ですので、
[16743]uttさん
「↑岩国3km」
ここは岩国市内なのに、何でこんな書き方するのだろう??と、何とも言えない違和感が。。。しかもその地点から「3km」とは、どう考えても、岩国市麻理布町の「岩国駅」を指しており
この表現は、上記の基準からして「岩国市役所」のある麻理布までの距離を指していると思います。ですので、その自治体の市域に入っているのに、例えば岩国市に入っているのに、「↑岩国」という表現をすることもあるのだと思います。

まあ、うちの近所では、混乱が起きないように、その自治体の範域に入ったら、「↑太田市街」などのように「市街」をつけて、市の中心部に向かうことを付記していますね。

また、
[16737]般若堂そんぴんさん
「↑南陽」は南陽「市」を意味します.南陽という都市集落はありませんから
「↑南陽」に書かれる距離も、南陽市役所までの距離が基準になっています。その道を通っていて南陽市域に入る地点までの距離が示されたものではないわけですね。

ただ、具体例が思いつかないのですが、庁舎の移転によって、本来のそのまちの中心集落と、庁舎の位置とに大きな乖離がある場合もあるように思うのですが、その場合どのようにしているかはちょっと分かりません・・・。
[16754] 2003年 6月 14日(土)11:22:58ゆう さん
さいたま市の代表駅は結局どこでしょう
[16710]U+3002さん
とくに「名古屋市中区」は、「中央駅のない中区」という点で、非常に個性ある区名だと思います。
何を以って中央駅とするかは難しいところですね。私がはじめに思い浮かべたのは京浜急行「横須賀中央駅」。地元での通称も「中央駅」です。
JRの特定都区市内駅制度の中心駅や、JTB時刻表の代表駅など、似た概念もありますが。
というのはさておき、こんな例もあります。

横浜駅: 西区
大阪駅: 北区
広島駅: 南区と東区の境界
[16753] 2003年 6月 14日(土)10:48:45【1】ゆう さん
大毛島の形って青森県に似ていると思っているのは私だけでしょうか
重箱の隅で恐縮ですが。

[16709]U+3002さん
(小鳴門橋は本四連絡橋の一部です)
小鳴門橋は、神戸淡路鳴門道「撫養橋」のすぐ隣を通っている県道の橋ではないですか?
小鳴門海峡には最近(といっても5年くらい前)「小鳴門大橋」という橋も架かりましたね(こちらも県道)。
[16752] 2003年 6月 14日(土)10:33:16Issie さん
横浜市中区
横浜市が区制を実施したのは,1927年4月1日の第3次市域拡張で上大岡地区や日下地区,保土ヶ谷地区,城郷(しろさと=小机)地区,綱島地区などが編入されたその半年後の同年10月1日のことです。
このときに,「鶴見区」「神奈川区」「中区」「保土ヶ谷区」「磯子区」の5区が設置されました。

「中区」の範囲は現在よりも広く,市制・編入前の
 旧横浜区・本牧村・根岸村
 中村・大岡川村・日下(ひのした)村
 神奈川町(南部=芝生[しぼう])・保土ヶ谷町(岡野新田・)・戸太(とだ)町
の区域にわたっていました。
大岡川デルタ(河口の砂洲上に建設されたのが「関内」地区)から山手・本牧,野毛山から戸部,そして現在の横浜駅周辺(ちょうどこの頃,それまでの高島町から現在位置に横浜駅が移転してきますが,当時,このあたりは何もない場末でした)と,つまり「横浜都心」のすべてを領域としていました。「中区」たる所以です。

この大「中区」が,戦時中に相次いで分区されました。
まず1943年12月1日に,大岡川デルタ西半分から上流側が分区して「南区」となりました。
それ以前,1936年11月1日に鎌倉郡の永野村が「中区」に編入されています。この新規編入区域も含めて,旧中区の南西部が「南区」として分立したわけです。
(1936年11月1日には,同時に久良岐郡から金沢町と六浦荘村が磯子区に編入されています。これで久良岐郡は消滅しました。)

さらに1944年4月1日には野毛山・掃部(かもん)山以北の区域が「西区」として分区されました。おおよそ,旧戸太町の大部分と,神奈川町から旧中区に入った横浜駅周辺の地区がこれにあたります。この際,運河(現在は道路になっている)と鉄道高架線にはさまれた細長い「桜木町」が中区と西区とに分割されました。

つまるところ,「西区」「南区」というのは,もとの大「中区」の中での“西”“南”という感覚の命名であるように思います。

なお「南区」は前述のとおり,1969年10月1日に南部の上大岡地区(旧大岡川村南部)と旧日下村・永野村の区域が分割され,戸塚区の一部も加えて「港南区」として独立しました。
同時に,保土ヶ谷区からは「旭区」が,港北区からは「緑区」が,戸塚区からは「瀬谷区」が分立しています。

そういえば,1939年に現れた「港北区」という区名は,神戸市が1931年の区制実施に際して設置した「湊西(そうさい)区」「湊東(そうとう)区」というのと名前の感覚が似ていますね。横浜市が参考にでもしたのでしょうか。神戸のこの区名は,その後消滅してしまいますが。
[16751] 2003年 6月 14日(土)10:27:45【2】深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/13 東京都編
さすがは帝都、該当例が群を抜いて多いですが、その規模ゆえ、旧府立ナンバー・スクールの殆どが新制移行直後 「第○新制高校」 を名乗っているあたりは、然もありなんという感じですね。旧中同士での併設、統合例もある為、新旧両制校が一対一対応という事にはなりません。「都立復権」 の象徴的存在として紹介される事の多い日比谷高の場合、新制後初めて、過去の校地である日比谷の名称を冠するあたり、同地区に対する思い入れの強さを感じますが、それにしても、旧制史での 「第一」 呼称例がやたら多く、関係者が 「一中の栄光再び」 と喝破したのも何となく判る様な気がします。

単なる語呂合わせですが、19中系の国立高校が府立、都立両時代を擁し、これに県立、道立が加われば完璧かな?(笑) 青山高の旧制時代に併設された多摩中学というのは、渋谷界隈に位置したそうです。なぜ 「多摩」 を名乗ったものやら。

私立については、該当例はもっと多いと思うのですが (学習院高等科、芝、攻玉社あたりはどうだろう?) 現在のところ、確証が持てるのはこの程度。有名大学の系列校でも、創立時は全くの別物という例も散見されるのが興味深いですね。立教大や中央大の附属の様に、旧中継承校が他所に移転した際、跡地に別枠の系列校が新設される、などの例もあり、公立とは別の意味でのややこしさも感じます。それにしても、芝浦工大附属の前身 「東京鉄道中学」 とは何だろう。岩倉高校の様な陣容だったのかな。鉄としては気になるところです。(笑)

国立1888)筑波大附属師範学校尋常中学科、附属尋常中学 / 東京教育大附属高
都立1878)日比谷府第一中学、府中学、府尋常中学、府中学、府第一中学、
府立第一中学、都立第一中学 / 第一新制高校
1888)戸山私立補充中学、私立共立中学、府城北尋常中学、府立城北中学、
府立第四中学、都立第四中学 / 第四新制高校
1901)立川府立第二中学、都立第二中学 / 第二新制高校
両国府第三中学、府立第三中学、都立第三中学 / 第三新制高校
1918)小石川府立第五中学、都立第五中学 / 第五新制高校
1922)新宿府立第六中学、都立第六中学 / 第六新制高校
墨田川府立第七中学、都立第七中学 / 第七新制高校
1923)小山台府立第八中学、都立第八中学 / 第八新制高校
1924)上野東京市立第二中学
1928)北園府立第九中学、都立第九中学 / 第九新制高校
1937)西府立第十中学、※府立第18中学、※府立玉泉中学 / 第十新制高校
1940)青山府立第15中学、※東京市立多摩中学、都立第15中学 (※統合)、都立青山中学
江戸川府立第16中学、府立江戸川中学、都立江戸川中学 / 江戸川新制高校
葛飾野府立七中併設第17中学、葛飾中学
国立府立第19中学、府立国立中学、都立国立中学
豊多摩府立第13中学
1941)大泉府立第20中学
1942)城南府立第22中学、都立城南中学 / 城南新制高校
不詳)大森府立第23中学
九段東京市立第一中学
江北府立第11中学
石神井府立第14中学
千歳府立第12中学
文京東京市立第三中学
武蔵丘府立第21中学
私立1871)開成共立学校、東京開成中学
1885)成城文武講習館、成城学校、私立成城中学
1888)暁星暁星学校、暁星中学
1891)海城海軍予備校、(日比谷中学併置)、海城学校、海城中学
1895)麻布麻布尋常中学、麻布中学
1896)早稲田早稲田中学
1901)早稲田実業早稲田実業中学、早稲田実業学校
1909)中央大附属目白中学、杉並中学 / 中央大学杉並高校
1910)巣鴨巣鴨学舎、巣鴨中学
1912)明治大附属明治明治中学
1913)日本大第一日本大中学、日本大第一中学
1919)明治大附属中野中野中学
1922)芝浦工大附属東京鉄道中学
成城学園成城第二中学
1929)日本大第三日本大附属赤坂中学、日本大第三中学
1941)桐朋山水中学
不詳)日本大第二(詳細不明)

次号予告) 神奈川県編
[16750] 2003年 6月 14日(土)10:19:52地球人 さん
初めまして♪
こんにちは、初めての書き込みでドキドキしています(笑)
長崎県人の地球人と申します。(同じHNの方がいらっしゃったら、変更しますので、お教えくださいm(__)m)
このサイトは、楽しくて、ためになるので、少し前からROMしておりました。落書き帳の過去ログを読んでから・・と思っておりましたが(未だ、途中です(泣))、ニュースがありましたので、デビューさせてくださいm(__)m

今日の新聞に、
長崎県北高来郡小長井町議会が、小長井町が県央地区法定合併協議会(1市5町、諫早市、北高来郡小長井町、高来町、森山町、飯盛町、西彼杵郡多良見町)から離脱することを、賛成多数(12対3)で可決した。原因は、協議会(昨年4月発足)で、「地域自治組織」のあり方が議論されないこと、新市議の身分の特例を認めない方針が示されたこと。今後は、残った1市4町で再出発する・・とのことです。(朝日新聞地域面)

県央地区の合併は、従来から関係の深かった、諫早市と北高来郡4町で検討が始まり、その後住民アンケート(県央地区か長崎地区か)で県央地区を選んだ西彼杵郡多良見町が加わり、法定合併協議会が発足しました。協議会は、当初から諫早市主導で運営され、諌早市長が第1回の会合で、対等合併・新市の名称は「諫早市」・新市役所は現諫早市市役所を提案し、各町の反発を買ったりしていました。
その後、北高来郡4町のみで新市建設を検討したとの情報もあり、不協和音が聞こえていました。(北高来郡4町のみでの新市建設は、3ヶ所の飛び地となるため実現は極めて困難と思われます。)

ここからは、私が感じたことですが。
対等合併とはいうものの、実質的には、諫早市への吸収合併となり、また、合併協議そのものが、諫早市主導で進むことに、各町には漠然とした不満があったようです。このような場合(一つのやや大きい市と周辺の町村との合併協議)、市長が協議会会長となることが多いと思われますが、今回は、会長たる諌早市長への不満も多かったのではないかと思います。
これから、どのようになるか・・。
1 小長井町は単独町制、他の1市4町で、新「諫早市」建設
2 小長井町も復帰して、1市5町で、新「諫早市」建設
3 高来町と小長井町で新町建設、残りの1市3町で、新「諫早市」建設
のいずれかだとは思いますが。

では、また情報が入り次第、書き込みします。

長文、失礼しましたm(__)m
[16749] 2003年 6月 14日(土)10:03:44【3】ゆう さん
Re: 同名逃れの地名について
[16744]faithさん
いままで「北広島」と誰も呼んでこなかった土地が、広島県に同名の市があるために北広島と名乗ることを余儀なくされ、
「北広島」に限っていえば、これは大正時代までさかのぼれる表現です。
明治時代までは「広島」と誰も呼んでこなかった土地に、開拓団がやってきて「広島」と名乗ったことについてはいかがお考えですか? 地名の由来が広島県であるので、直接に因果関係のない地名が偶々同じ表記だった「松山」や「久留米」とは事情が違うのではないでしょうか。

これまで「鹿島」と書かれてきた土地が、佐賀県に同名の市があるために「鹿嶋」と表記させられる。
私はこれには別の感想を持っています。
「これで区別したことになるのかね。」
茨城県のも佐賀県のも、「鹿島」と書く前は「鹿嶋」と書いていたようですね。戦前の地形図を見ると軒並みこの字は「嶋」と表記されているように見えます。福嶋、廣嶋、徳嶋…。


とはいえ、私も一律に同名市を許さないというのはいかがなものかと思っています。
これについては稿を改めます。

参考記事:三丁目さん[12111], 紅葉橋瑤知朗さん[12122]
[16748] 2003年 6月 14日(土)07:36:41千本桜[軒下提灯] さん
行先案内板の愚行/机上空論とシミュレーション不足
何年前のことか、もう忘れてしまいましたが、国道4号を仙台から福島方面に向かって走っていたときのことです。岩沼市内の国道4号と6号の分岐点手前で、新しく設置されたばかりの行先案内板が目に入りました。「←相馬・亘理」「↑白石・大河原」と表示してあります。地名が間違っている訳ではないけれど、あれまぁ~、なんと”こじんまり”した地名を選択したものだこと。ここはまがりなりにも国道4号と6号の分岐点です。「←水戸」「↑福島」クラスの地名をド~ンと表示すれば良いものを!と私は感じておりました。それからたった数ヶ月後、その行先案内板は「↑原町・相馬」「→福島・白石」に書き換えられていました。亘理が原町に、大河原が福島に変わりました。あ~、すっきりです!この場にふさわしい行先案内板になりました。それにしても、新品の案内板をたった数カ月の内に書き換えるなんて、なんでやねん!事前に行先地名をもっと吟味選択していれば、こんな無駄をせずに済んだものを。愚行です。

国道6号は宮城県亘理町で主要地方道「亘理・大河原・川崎線」を分岐させます。この分岐点には「←角田」「↑仙台」の案内板が立っていましたが、いつのまにか「←白石・角田」「↑仙台・岩沼」に書き換えられました。案内板を大型化して「←白石・角田」と併記する。たしかにそれはありがたいのですが、行先地の選択が的外れだったり、効果の弱い地名をわざわざ併記したりするのは考えものです。「←白石・角田」の白石。これ、若干的外れですね。この地点には「←大河原・角田」が効果的と思いましたので、資料を添付して関係機関にその旨を伝えましたところ、予想外に簡単に受け入れてもらえました。要望が受け入れられて嬉しいのですが、案内板設置にあたっては事前にもっと走行シミュレーションを行なってから行先地名を決定して欲しいと感じた次第です。

案内板は大型化と行先地併記の傾向にあるようですが、せっかく併記したのに、それほど必要性の無い地名を併記したがゆえに、ドライバーに無用な勘違いを与えるものを時折見かけます。地名選択は難しいのでしょうが、その部門に携わる方々のセンスとやる気に期待している軒下提灯です。
[16747] 2003年 6月 14日(土)05:13:44【1】三丁目 さん
「北海道」という呼称
[16672]uttさん
「北海道」が「自治体名」であると同時に、「北海道という島」の名前だからなのでしょう。
自治体名(都道府県名)=都道府県という行政機関の名称=都道府県庁。それに加えて、「関東、東北、中部等と同列の、地方ブロック名」としての3つめの意味もありますね。ですから、なおさら、混乱しやすいのではないか、と思います。

なお、「道(どう)」を、日常的に「道の機関」「道の職員」「道の指導により」「それは道の権限で」等、「道庁」の意味で使っています。あえてこの言葉を使う理由は、「道庁」と言うと、札幌の本庁に限定した意味に取られかねないので、支庁も含めた北海道の機関、組織を指し示すためではないか、と思っていました。

ちなみに北海道独自の言い回しだなぁ、と思っていたのは「全道」です。「全県」とは、あまり使わないと思いませんか?「全都」「全府」は聞いたことがありません、少なくとも私は。。。それで、「全道では」「全道的に晴れです」等よく耳にしましたが、県で該当する使い方は、「本県」又は「県内」かと思っていました。「全道大会」に該当するのは「(全を付けない)県大会」でしょうか(なお、本都、全都、本府、全府も、使わないですよね。)。「北海道」を表す地域ブロック名として使っているから、「全」を付けるのかな、と思っていました。語呂の問題もあるのかもしれませんが。

この話は、書込むのを止めようと思っていたのですが、あまりの蒸し暑さに寝苦しく、目が覚めてしまったために、発泡酒を飲みながら、ツラツラと書いてしまいました。梅雨を実感するこの頃です。
6月の北海道は、梅雨のない季節だからサイコーダと聞きました。暖かい季節へ向かうときは、ちょうど本州よりも1ヶ月遅れ、と理解して頂ければ、と私は思っていました。(この場合は島の名称であるとともに、ブロック名としてのダブルミーニングで、使ってますかね?)
[16746] 2003年 6月 14日(土)04:28:59faith さん
再び両毛新幹線について
[16697] special-week さん

私が夢想した両毛新幹線構想は高崎~宇都宮間に駅を1つしか新設しない構想です。つまり、両毛駅のみ。そうすれば、東武線とも競合しないのではないかと思います。
東京と両毛地域を結ぶ新幹線がなぜ東武線と競合しないのか理由が分かりません。
逆に、東武から客があまり移転しないのであれば、そんな「両毛新幹線」の採算が合うはずも
ありません。

確かに東武鉄道のりょうもう号は立派な特急ですが、現状のまま両毛市が誕生すると群馬よりの埼玉県方面からのアクセスが悪くなりますよね。それなので、新幹線は必要ではないかと思いますよ。

アクセスが悪いと言われますが、埼玉県北部と両毛地域の交通需要は
そんなに大きいのでしょうか?
たとえば、熊谷駅と太田駅の間は東武系のバス会社が45分・500円で結んでいますが、
データイムは1時間に2本の運転間隔で対応できている状況です。
どうみても新幹線が必要な規模ではありません。
一方、もし
「現状の熊谷-太田バスの客以外にも多くの客が新幹線で見込める」
というのであれば、
「東武に影響ない」
に矛盾します。

新幹線の建設費の問題はもちろんですが、バスと違い、鉄道は走らなくても
オペレーティング・コストが相応にかかることをお忘れなく。
もちろん上越新幹線へのアクセスとしては両毛線もあります。

 それと東武線ですが、浅草から乗車して一路足利市を目指したときに思ったのですが、特急りょうもう号を除くと運行本数が極端に少ない。特に東武動物公園以北がめっきり減っていて不便。足利市から浅草へと戻る本数が確かにりょうもう号を除くと一時間に3本(夕方)と少かったです。

両毛の諸都市を結ぶ鉄道としては1時間に3本でもまあまあの水準だと思います。

結論として、新幹線は無謀としか思えません。
[16745] 2003年 6月 14日(土)04:07:01G[わたらせG] さん
うちの住所は・・・
私のとある(実)家の住所表示の変遷

1889年04月01日前  栃木県足利郡松田村大字○○
1889年04月01日以降 栃木県足利郡三和村大字松田字○○(松田、粟谷、板倉、三村の合併)
1955年03月31日以降 栃木県足利郡坂西町大字松田字○○(小俣、葉鹿、三和、三村の合併)
1962年10月01日以降 栃木県足利市松田町(足利市へ合併)現在に至る。

先日、実家に行った際、表札がふたつ並んで掛けられていたので、よく見てみると、古い方の表札は約50年前の住所が記してあったのに驚き、祖父母にそれ以前の住所表示を聞いたところ、上記のような按配であったらしいです。明治初期の地租改正時?に発行された「地券」なるものも見せてもらいました。時の流れを感じました。
[16744] 2003年 6月 14日(土)03:26:48faith さん
同名逃れの地名について
[16707] 般若堂そんぴん さん
 レス二題

区別する必要がある場合を誰がどういった基準で判断するのでしょう?

誤解があるようですが、
同じ都道府県内で重複がない限り、同名の市を許した上で、
必要に応じて、各人・各機関が区別の必要があるときには都道府県名を上に付けるという
割と常識的なことを言っているだけです。

宅配便の会社であれば、届け先の住所を都道府県名から記入させることになるでしょう。
県の施設で県民が住所を名乗る際には都道府県名は不要でしょう。

また,規制と昔からの地名の消失(実際には新自治体の中の小区分として残るのでは?)との間に直接の因果関係はあるでしょうか?

あります。いままで「北広島」と誰も呼んでこなかった土地が、広島県に同名の市があるために
北広島と名乗ることを余儀なくされ、
これまで「鹿島」と書かれてきた土地が、佐賀県に同名の市があるために「鹿嶋」と表記させられる。
率直に言って、このような同名逃れのために作られた地名は醜悪だと思います。
(字面が悪いとかそういう意味ではなく、その作られ方が姑息だということです。)

自治体名称に限って言えば,複数の自治体が合併すれば少なくとも合併した自治体の数よりひとつ少ない分の名称が自治体名称としては失われます.これは規制とは無関係です.同名回避の場合でも,「陸前高田」「武蔵村山」などのように旧名称を新名称に包含する形で残すことが出来ます.

合併で古い自治体名が失われるのは事実でしょうが、もともとそのようなことを論じているつもりはありません。
同名の市を許さないという規制をなくせば、自治体が希望する限り、元の土地の名前を用いた地名を
冠することができるということです。
もちろん、当該自治体が希望するのであれば、「陸前」とか「大和」を頭に付けるのも良いでしょう。
でも多くの場合それは方便であって、自治体が希望した結果ではありません。
これを
「古い地名が文字列としては含まれているのだから良いじゃないか」
と私が思っていないのは上に書いた通りです。
[16743] 2003年 6月 14日(土)03:12:38ペーロケ[utt] さん
岩国3km
[16737]般若堂そんぴんさん
しかし,自治体名と同一の都市集落名をもつ場合,その両者を区別できれば有り難いと思います.
 岩国市に、衝撃の看板を見つけましたよ。それは、広島方面から岩国市域に入ったところで、
「↑岩国3km」
あれ?ここは岩国市内なのに、何でこんな書き方するのだろう??と、何とも言えない違和感が。。。しかもその地点から「3km」とは、どう考えても、岩国市麻理布町の「岩国駅」を指しており、そこから「岩国市岩国」までは7~8kmほど離れています。もっとも、岩国市岩国は「錦帯橋」と書かれていることが多いのですが。(単に「駅」を入れるのを忘れていただけなのか??)
[16742] 2003年 6月 14日(土)02:57:46【1】ペーロケ[utt] さん
大三島は四国の一部??
[16709]U+3002さん
私の出身地の徳島県には、本島から遠く離れた大きい属島はありません。
 お、徳島の方でしたか。なるほど、地形からして「四国は単一の島を指すのではなく、属島も含んでいる」との発想もなんとなく分かります。私は小鳴門橋、大毛島、ともに行った事がありますので、もちろん存じていますが、あまりに四国と接近しているため、「大鳴門橋は淡路島と四国を結ぶ橋」としばしば誤解を受けますよね??確かに「四国地方に所属する区域」とは繋がっていますが、「四国本土」とは繋がっていませんね。
 まず、「四国」といっても、「四国という島」という意味、そして「四国地方」という意味の二つの意味を包含していると思います。これは拙稿[16672]で言及した「北海道」や、「九州」・「沖縄」にも通じる見方です。一方、「本州」は単独で一つの地方となり得ない(本州地方、という言い方が一般的ではない)故に、単に「島」を指す一つの意味でしか存在しません。このことを踏まえると、
この感覚を四国全体に一般化すれば、与島や大三島も四国と言うのは自然でしょう。
と一般化するとき、四国地方を指すならばそれでいいのですが、四国という島を指す場合は、いささか無理を感じてしまいます。やはり、来島大橋は結構な距離がありますよ。世界初の三連釣り橋も伊達ではありません。その対岸の大島や伯方島などは愛媛に所属していますので、愛媛県が四国に属しているので「四国の属島」の扱いなのですが、それを島という意味での「四国」に含むとすれば、島根県は本州に所属しているため、その島根県に所属している「隠岐」は本州の一部である、ということになってしまいますね。(もちろん、「隠岐が中国地方の一部である」ということに異論はないのですが)
 それに、瀬戸内の場合は海上に県境が引かれているものの、権力者の力関係如何では島の所属そのものが流動的であったのではと予想できます。弓削・生名などは完全に因島の文化圏ですし。そのような「島盗り合戦」の結果として引かれた県境によって人為的に所属が決められたに過ぎませんので、「一つの島としての四国」とは区別されるべき、というのが私の持論です。
 ところで、U+3002さんの論理では、「井島」は本州、四国、どちらになるのでしょうか(笑)
[16741] 2003年 6月 14日(土)02:23:28G[わたらせG] さん
復活!?「毛野」
[16658]Kenさん
「毛野(けぬ)市」が相応しいというようなご意見は、今協議会の性質を考えるともしかしたら提議される可能性はあるかとおもわれます。
[16727]両毛人さん
毛野市、すてきな名前ですね。みなさんは、どう思われますか?
1951年3月30日足利市に合併されるまで、足利郡毛野村(けのですが)あったんです!今思うに随分大きな(広域)名称だったのですね。現在でも、毛野小学校、毛野南小学校、毛野中学校、毛野公民館など「毛野」の名前は生きております。
[16740] 2003年 6月 14日(土)02:02:38【1】ペーロケ[utt] さん
区名について
[16731]ニジェガロージェッツさん
面白い話題なので、札幌、千葉、横浜、名古屋、広島と反応がありましたね。
はい、拙稿[16691]は「お遊び」のつもりと明記したにもかかわらず、すごいレスの数で、家に帰ってきてびっくりです。いったい、どこからレスすればいいのやら。。。

まず神戸市

「東灘区→御影区」
 私の意識では、灘の中心は東灘区なんですよね。灘区には「西灘」という阪神の駅があり、阪急も「王子公園」駅がかつて「西灘」だった記憶があるのですが、「東灘」駅はどこにも存在しません。実は始め「住吉区」にしていたのですが、ちょっと経ってから、大阪の住吉区とかぶってしまうなあって思い「御影区」に変えました(「魚崎区」も捨てがたいのですが。。。)

「北区→有馬区」
 鈴蘭台のあたりに中心を置いたのは、やはり神戸電鉄の分岐だからかと思ったのですが、ニジェガロージェッツさんの[3283]によれば、北区は兵庫区、西区は垂水区からの分区なのですね。となれば、神鉄つながりで、同じ兵庫区として六甲山を南北に連絡する唯一の鉄路であるための立地と推測されますね。しかし、古い温泉街である有馬に区役所を置かず、新興住宅地である鈴蘭台とするあたり、後に「株式会社」と呼ばれる神戸市の都市経営手法の一つかもしれません。

「中央区→葺合区」
 私も中央区は生田区と葺合区が合体して出来たものとの知識はありましたが、「生田」の名前は生田川など、至る所で見かけますが、「葺合」の名称はあまり残っていないのですね。警察署と高校くらいでしょうか?それで、「葺合」の名前を復活させたいなと思って選んだのですが、生田川や生田町は葺合区の範囲内だったのですね?それは意外でした。

「西区→玉津区」
 ここの名称は実は大いに悩んだところです。なぜなら、「西神中央」が中心だろうか、それとも、「伊川谷」やら「押部谷」も捨てがたい。しかし、やはりこの区は明石との繋がりも大きいだろうと予想し、明石への入り口である「玉津」を採用させていただきました。しかし、北区と異なり、区役所が鉄道交通の要所でない立地には、何か理由があるのかなと思ってしまいます。

続いて横浜市や千葉市
[16730]ありがたきさん
[16704]N-Hさん
[16729]Issieさん
 私は関東地方にそれほど詳しいわけでなく、全くのよそ者がイメージや地図を見ながらの選定でしたので、実際に横浜・千葉に詳しい方であれば、もっと的確な区名を考えられると思いますよ。まあ、「緑」「青葉」系の新興住宅地を連想させる地名も、個人的には住宅地よりも緑豊かな山林が広がる田舎の方がふさわしい、との偏見を持って変更案に入れましたが、「青葉区」などは意外と定着しているのですね。それぞれ、ありがたきさん、N-Hさんの案の方が優れていると思われますゆえ、よそ者がとやかく言う余地はありません(苦笑)。ただ一つだけコメントさせてください。

「港北区→菊名区(日吉区、大倉区)」
 日吉区は、個人的なライバルが日吉にある某大学出身なのでねぇ。。。(笑)というのは冗談として、菊名は乗り換え需要があるかなと思い付けたものですが、やはり、「日吉」のブランドでしょうか(笑)

そして、名古屋市
[16710]U+3002さん
 「名古屋市中区」も、実はいろいろ案を考えました。「名城区」「那古野区」「金シャチ区(笑)」などなど。しかし、「栄」は名古屋の中心、との印象が強いので、栄にしてみました。まあ、名古屋の発祥といった意味では、「川崎市川崎区」といった発想で、「名古屋市名古屋区」という手もありでしょうか?

そして広島市
[16717]mikiさん
う~ん。どうして広島だけこうなるのでしょうか?
 私の独断で改名したいな~と思った名前が、たまたま全部になってしまいました(汗)

「中区→鯉城区(平和区)」
 始めは「平和区」にしていたのですが、「平和」もその土地の地名ではなく、抽象地名につながるのかなと思って「鯉城」にしました。他に「八丁堀区」やら「国泰寺区」なんてのも考えたのですが。。。

[16725]三丁目さん
今は、老舗己斐は没落、新興井口はますます勢力拡大中、てな感じなのですか?
 「己斐」は西の玄関であるので、やはり外せませんね。しかし、残念なことに今では「己斐」という駅は存在せず、市電区間でも「広電西広島」と統一されました。市内に住む友人に「己斐まで迎えに来て」と言っても、「え?どこ?」と聞き返される始末。市民では、「西駅」で定着しているようです。その一方で井口、大型ショッピングモール「アルパーク」が出来たことで設置された「新井口駅」は、おそらく山陽線敷設当時はそこに駅ができるなんて想定していなかったのでしょうか、丁度カーブになっていて、バンクが付けられているのです。だから、立っている人にとって、新井口駅停車中は足腰との戦いなのです(笑)とまあ、区名の話とはちょっとずれてしまいましたが。。。
[16739] 2003年 6月 14日(土)01:43:08深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/12 千葉県編
千葉県立で特徴的なのは、千葉、佐倉、佐原、木更津の各校の様に、「一高」 時代を挟んで、現行校名が断続するという点、そして東葛飾、匝瑳、長生、安房の様に、広域を代表する意味合いで所在市に隣接する郡名を名乗っている点でしょうね。(現行郡名ではないけれど、長狭はどうでしょうか。) 未確認ですが、大多喜高も該当例でしたっけ。(藩校系との指摘もあった様に記憶しますが。)

銚子には県立、市立それぞれ 「銚子高校」 がありますが、県立が高女系、市立が旧中系という陣容。通常は中学の方が、設立者は上位区分となる事が多く、その意味では特異的と言えます。甲子園でも御馴染みの成田高は、1948年の新制移行時に成田高女を統合していますが、私立でこうした例も珍しいですね。他には鹿児島高くらいではないかな。

なお、佐倉、長生、長狭各校の県立移管時期は、それぞれ 1899、1923、1928年です。

県立1792)佐倉佐倉藩学問所、温故堂、成徳書院、県立佐倉中学 / 佐倉高校、佐倉一高
1878)千葉千葉中学、県尋常中学、県千葉中学、県立千葉中学、千葉高校、千葉一高
1888)長生私立上埴生学館、県立長生中学
1900)木更津県千葉中学木更津分校、県木更津中学、県立木更津中学 / 木更津高校、木更津一高
佐原県佐原中学、県立佐原中学 / 佐原高校、佐原一高
成東県立佐原中学成東分校、県立成東中学
1902)安房県安房中学
1918)船橋東華学院、船橋中学院、船橋市立船橋中学院、県立船橋中学
1922)長狭十箇町村組合立長狭中学、県立長狭中学
1924)匝瑳県立匝瑳中学
東葛飾県立東葛飾中学
市立1937)銚子銚子市立銚子中学 / 銚子市立一高
私立1887)成田成田英漢義塾、成田中学
1925)千葉敬愛関東中学 / 千葉関東高校
1937)市川市川中学

次号予告) 東京都編
[16738] 2003年 6月 14日(土)00:59:47SXE-10 さん
わかる人、おせーてください
M大学1年のものですが、昭和25年から10年ごとの埼玉県上尾市、蓮田市、北本市、伊奈町の人口と世帯数を知りたいのですが、ホームページ等で載ってるサイトを知っていたら教えてください。
できる限り、御礼はするつもりです。
[16737] 2003年 6月 14日(土)00:56:27【1】般若堂そんぴん さん
Re:時の流れに身をまかせ/変わり行く案内板
[16734]軒下提灯さん
そもそも行先案内板が指し示す対象とは何でしょう。行政上の市区町村でしょうか。それとも社会的視点でとらえた都市集落でしょうか。
実際にはその双方がありますね.
例えば,「↑南陽」は南陽「市」を意味します.南陽という都市集落はありませんから,この場合は「市」を加える必要がないように一見したところ思えます.しかし,自治体名と同一の都市集落名をもつ場合,その両者を区別できれば有り難いと思います.そうなりますと,自治体名を指し示す際に「市区町村」を加える例とそうでない例が混在するのは望ましくないのではと思うのです.
「市」「区」「町」「村」を付け加えることによって「市区町村」名を都市集落名と区別することは無意味であるとも愚行であるとも思いません.
考えを押しつけるつもりは毛頭ありません.異なる意見をお持ちの方からの御批判は有益であり,有り難いものです.
しかし,[16707][16694]ではありません)において述べたように「愚行」と決めつけることには賛同できません.
[16736] 2003年 6月 14日(土)00:31:35YSK[両毛人] さん
広域地名、広域名称
[16732]雑魚さん
両者の意味がどの様に異なるか、詳細な理解は覚束ないのですが
こちらこそ、お気遣いを賜り、ありがとうございました。

「群馬」は地名です。土地の名前です。 現在の前橋市と高崎市周辺に展開する「群馬郡」あたりを示す地名です。
#その意味では、「群馬(郡)」も立派な「広域地名」なのですが、県よりは小さい地域スケールですので、あえてピンポイントな地名と見なします。

そのピンポイントな地名が広域的な範域を持つ「自治体の名前」に採用されたのですね。ですので、「群馬県」が示す内容は、県の組織を指す場合を除けば、群馬県の範域全体を示す、広域的な名称であるという理解もできます。

しかし、地名としての「群馬」は先に示したより狭い範域を対象としたものですので、「群馬」は広域「地名」ではないと理解しているわけです。

ただ、一般的に自治体名=地名という理解はなされているので、そのことは否定しません。私としての理解は、こういうことである、という意味で上記の内容をご覧いただければと思います。
[16734] 2003年 6月 13日(金)21:52:08千本桜[軒下提灯] さん
時の流れに身をまかせ/変わり行く案内板
[16694]般若堂そんぴん さん
「栃木市」「佐野市」「小山市」という表記を取り入れることは「ただ文字数が増えるだけの愚行」ではありませんね。地名が階層的に認識されていることを踏まえた上で、その指し示す対象を的確に表現しようとするわけですから。
時速50キロ、60キロで車を運転しながら、瞬時に道路案内板を読み取らなければなりません。ですから基本的に行先地名は少ない字数で大きくが良いと私は思います。案内板は地図や地理の教科書とは別ですから。
それから、「その指し示す対象を的確に表現しようとするわけですから」とのお考えについてですが、佐野に市を付して佐野市と表記することが、指し示す対象を的確に表現することに繋がるかどうかは疑問です。そもそも行先案内板が指し示す対象とは何でしょう。行政上の市区町村でしょうか。それとも社会的視点でとらえた都市集落でしょうか。このあたりに般若堂そんぴさんと私のズレが潜んでいるようです。
[16733] 2003年 6月 13日(金)21:48:19地理好きのケン さん
横浜市港北区、港南区の合併以前の町村
横浜市港北4区と港南区の合併以前の町村を調べました。
港北区・・・橘樹郡大綱村、城郷村の一部、日吉村の一部、都筑郡新田村
緑区・・・都筑郡新治村、中里村の一部、田奈村の一部(長津田)
都筑区・・・都筑郡川和町、中川村、山内村荏田の一部
青葉区・・・都筑郡山内村(荏田の一部を除く)、中里村の一部、田奈村の一部(恩田、奈良)
港南区・・・久良岐郡大岡川村の一部、日下村の一部、鎌倉郡永野村です。
[16732] 2003年 6月 13日(金)21:43:00深海魚[雑魚] さん
失礼しました
[16721] 両毛人さん
「群馬」が広域名称ではない、と思っているわけではないですよ。広域地名ではない、とは思っていますが・・・。
両者の意味がどの様に異なるか、詳細な理解は覚束ないのですが、単に 「名称」 と 「地名」 を混同した引用ミスですね。[16719] は訂正しました旨、御了承下さい。
[16731] 2003年 6月 13日(金)21:36:11ニジェガロージェッツ さん
神戸市の抽象区名
[16691]utt さん 「抽象区名を強引に改名」
★神戸市
北区  →有馬区(有馬温泉や、有馬郡より)
西区  →玉津区(区役所周辺の地名より。お金が貯まりそうな気がする名前)
東灘区 →御影区(御影石で有名なため)
中央区 →葺合区(復活?)

面白い話題なので、札幌、千葉、横浜、名古屋、広島と反応がありましたね。
小生の地元神戸からも、ご報告かたがた。

uttさんが「抽象区名」としてとり上げた上記4区のうち、「西区」以外の3区は区名選考の際に結構ひと悶着ありました。
一番古いのは昭和25年4月に神戸市に編入し成立した東灘区ですが、当該区域は酒造の本場「灘」の中心にあたることから、地元では「灘区」を希望したいところでしたが、既に西隣の旧市域に「灘区」が存在しているために、新区を「本灘区」としてはどうか? とか、一層のこと既存の灘区を「西灘区」に改称してはどうか? とか議論されましたが、結論が出ず、結局のところ市長に一任され、新区の名称を「東灘区」とした経緯があります。
しかし、この区名では「灘の東部地方の印象を受ける」として、地元には不評だったとか。

東灘区の誕生で、神戸市は8区制となったのですが、この8区の中には他都市との同一名称の区はなく、また以前に廃止された区にも他都市にない区名ばかりでした。唯一「湊区(みなとく、昭和20年に兵庫区に統合、廃止)」は大阪、名古屋に「港区」がありましたが、字が違います。

その「神戸独自の区名で構成」が崩れたのは昭和48年8月の「北区」の誕生からです。そして昭和55年12月の「中央区」、昭和57年8月の「西区」と続きました。

ここに北区(兵庫区から北神新市域を分区)と、中央区(生田区と葺合区を合区)の区名選考の際に行われた当時の公募結果をご紹介します。

【兵庫区北神地区の分区】【生田区と葺合区の合区】
(応募総数)5,088(応募総数)10,227
有馬区1,015中央区2,456
北神区502港区1,600
北区490生田区1,520
北兵庫区356中区422
緑区314三宮区363
まず「北区」ですが、ご覧のように公募1位ではありませんでした。
ダントツ1位となった「有馬区」ですが、区域で最も全国に知られた名称でもあり、また区域の過半の面積を旧有馬郡が占めていましたが、新区の中心部となる鈴蘭台地区が旧武庫郡山田村の範囲でもあり、更に将来的には有馬を含む新区の北部の再分区の構想もあったために採用されませんでした。

そして「中央区」は、確かに公募1位を尊重した形ですが、「生田区」が1,520通を数え、「葺合区」は僅か10数票でした。傍目に見てもこの差は異常で、地理に詳しい方は「生田町」は葺合区の町名で、「(新)生田川」は葺合区内を流れていることから、結果は当然と受けとめられるかとも思います。
しかし、実際大差がついたのは、生田区選出の市会議員は「新区名は『生田区』として応募しましょう」と生田区民を煽ったことによるもので、問題にもなっていました。
なお、中央区の区名公募結果はこちらに更に詳しく出ています。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/83/base/mati/1zu07.htm

「西区」に関しては、昭和55年ごろには区名が内定していたようで、公募1位の区名だそうです。
uttさんは「玉津区」としておられますが、西区を管轄とするかつての兵庫県警玉津署(現在は西神ニュータウンに移転して神戸西署と改称)を連想します。
[16730] 2003年 6月 13日(金)21:27:41【2】ありがたき さん
横浜市の区の謎
どちらかといえば東端に位置する「西区」、海に突出していて真ん中にない「中区」、港から遠くて海に面していない「港北区」「港南区」、耳で聞くと音が似ていて聞き分けにくい「神奈川区」「金沢区」…
今の市域を単純に見ればそんな風に見えますね。などなど話題に事欠かない350万都市ヨコハマですが、ちょうど方角等の抽象名称区の話題にも上っていたので、区名変更空想にわたしも参加させて下さい。

あと、恒例のおことわり。今回は原文をそのまま引用せずにまとめましたが、見易さを考慮して引用色を使います。

[16691]utt さん
[16704]N-H さん

中区…本牧区(uttさん案)、関内区(N-Hさん案)

中区においてメジャーな観光地のひとつに山下公園があります。「山下区」というのは如何でしょうか?あと、横浜港の現役埠頭の多くが集中する区ですし、あえて「みなと区」を名乗るというのも(ただし、この場合は港北・港南両区の改名は必至と思います)。

西区…平沼橋区(uttさん案)、平沼区(N-Hさん案)

西区において交通の要に高島地区があります。駅としての「高島町」は決してメジャーな方ではありませんが、道路の目標にも「高島○km」が使われていますし、横浜市民には馴染みのある地名ではあると思います。よって「高島区」は如何でしょうか?ちょうど、来年2月に開業するみなとみらい21線の新駅にも「新高島駅」ができますね。

港南区…上大岡区(uttさん案)、港南区(N-Hさん案)

お二方の意見にもあるように上大岡は港南区の中心であり、横浜市の副都心であるのは間違えなさそうですね。個人的にはN-Hと同意見で「港南区」で良いと思いますが、前述の「みなと区」とするならば、またそうでなくても改名するならば「上大岡区」はアリかも知れませんね。ただし、お隣の南区内には「大岡」という住所がありますし、地元民的にはもしかしたらしっくりいかないかも知れません。港南区内の比較的広域でメジャーな地名からとって「永谷区」なんていうのは?

港北区…菊名区(uttさん案)、日吉区(N-Hさん案)

もし港南区の名称を残すのなら、対でメジャーな「港北区」存続がバランスがよいと思います。菊名も日吉も確かにメジャー地名ですが、閑静な住宅地?の大倉山もそれなりに。あと日吉は川崎に近いイメージがあって、港北地区の代表地名まで大きく見れるかが若干心配です。ここは、区役所も近い事ですし、改名するとしたら「大倉区」というのは如何でしょうか?

緑区…十日市場区(uttさん案)、長津田区・中山区(N-Hさん案)

十日市場は何もないですね(笑)。個人的には「緑区」でも充分良いと思いますが、区役所の立地から「中山区」もアリでしょうか。ただし、中区改名が前提でしょうね。道路の目標地名に出てくる地名を借りて「佐江戸区」を使うのもこれはこれで良いかも。

青葉区…荏田区(uttさん案)、青葉区(N-Hさん案)

N-Hさんの意見と同様に、青葉区と都筑区にまたがる地名ということから「荏田」は微妙ですね。確かに駅としてはそこそこメジャーですが、こちらの漢字は「江田」を採用してますね。東名高速の横浜青葉インターが出来てからは「青葉」にもそれなりにアイデンティティが生まれたのではと思うのは横浜市民のわたし。「青葉区」でも抽象的ではないと思います。改名するとして、江田駅のお隣市が尾駅は区役所、警察署、消防署がありますし、「市ヶ尾区」でもそれなりでしょうか。

むしろ、ここに挙げられていなかった栄区なんてのは区名を変更してもよさそうです。

確かに、横浜18区の中でもしかしたら最もマイナーな区名かもしれませんね。本郷台駅から「本郷区」も良いかも知れません。鎌倉市編入案は奇抜ですが、意外に区民には好評かも(笑)。中田市長は何と言うか解りませんが。

さいごに。横浜18区の名称はどれもそれなりに立ってると思います。今のままでも大好きです
[16729] 2003年 6月 13日(金)21:20:59Issie さん
港北・緑・青葉・都筑
まず初めに,
横浜市の「港北区」は,1939年4月1日の第6次市域拡張に際して従来の都筑郡から編入された7町村(川和町,新田村,中川村,山内村,中里村,田奈村,新治村)に“神奈川区の一部”(1927年区制実施)を加えて発足しました(この市域拡張で「都筑郡」は消滅しますが,同時に編入された都岡村・二俣川村は保土ヶ谷区に編入されています。現在は旭区)。
このとき単なる「北区」とはせずに,当時としては斬新な「港北区」という呼称を新設したのは,このときの横浜市の“見識”であったのではないか,と思います。これを参考に「港南区」が南区と戸塚区の一部から誕生するのは30年も後の1969年のことです。その意味で,単なる「抽象地名」ではない…。

その「港南区」が新設された1969年の区再編の際に,港北区も分区されて編入以前の旧川和町・山内村・中里村・田奈村・新治村の範囲を以って「緑区」が発足しました。区役所は当初,旧都筑郡役所も設置されて郡内の中心集落であった川和(都田[つだ]村→川和町)に置かれました(それ以前に,港北区役所の出張所が置かれています)。中山に区役所が移転するのは1970年代後半のことです。

ちょうど旧緑区が港北区から分立する少し前,「多摩田園都市構想」と呼ばれる東急資本による大規模な宅地造成が進められました。この際に,緑区域で拠点として開発されたのが「たまプラーザ」(旧山内村元石川)と「青葉台」(旧田奈村恩田)でした。逆に言えば,ここは東急が開発してしまって横浜市の入る隙はなかったのです。
「田園都市」の開発とともに人口が激増した結果,(旧)緑区は横浜線沿いの南部と田園都市線沿いの北部とに分割して管理されるようになります。警察署の管轄が分割され,区役所の機能も分割され,水道局も分割され…,それらの施設が置かれたのは市ヶ尾の谷本(やもと)川(鶴見川の青葉区区間を地元ではこう呼びます)沿いの低地でした。
ここがちょうど,緑区北部の中心市街である たまプラーザ(元石川)と青葉台の中間に位置することと,東急資本による開発区域外であったことで,ここにこそ市の出先機関が割り込める余地が残っていたせいではないのかと思います。

いつしか(旧)緑区単独で45万を超えたこと,市営地下鉄沿線の港北ニュータウンの造成が進行したことによって,1994年に港北区・緑区の再編が行われて,新しい港北区・緑区・青葉区・都筑区の4区となったわけです。

[16724] NS さん
・青葉区において旧港北区地域だったところは存在するのか?

ありません。青葉区は旧緑区北部,編入前の田奈村北部(恩田・奈良)・中里村(南部:西八朔・北八朔・小山・青砥を除く)・山内村(荏田の一部を除く)から成っています。

・都筑区内における、旧緑区と旧港北区の境界は?

旧山内村荏田地区については

[16704] N-H さん
現在荏田町、荏田北、荏田西は青葉区にあり、荏田南、荏田東が都筑区にあります。

のとおりです。
さらに旧緑区のうち,鶴見川(谷本川)の北側,川和町・佐江戸町・池辺(いこのべ)町・東方町・折本町・大熊町・川向町(およびこれらの町から分立した新しい町),すなわち編入前の旧川和町の区域が都筑区に属することになりました。
旧港北区からは,中川町・北山田町・東山田町・南山田町・牛久保町・大棚町・茅ヶ崎町・勝田町(およびこれらの町から分立した新しい町),すわわち編入前の旧中川村が都筑区に属することになっています。

青葉台が青葉区の中心なので、

「青葉区」の命名のに際しては,すでに中心市街地としての「青葉台」の存在が十分に根拠になっていたのではないかと思うのですが。

[16691] uttさん
中区  →本牧区(横浜を代表する埠頭名)

「開港場としての横浜」から見れば,本牧は“山向こう”ですからねぇ。1901年の第1次市域拡張で横浜市に編入されたところですから。
おまけに,戦後は割と最近までかなりの面積が米軍に接収されていましたから,「円」が今とは比べ物にならないくらい安かった頃(車のハンドルの値段がが180円,などという“なぞなぞ”が流布していた頃)に米軍関係者を相手に独特の雰囲気を醸していたことはあったとしても,「横浜都心」の呼称としては,少しズレているかもしれませんねぇ。
それから,横浜を代表する埠頭の名前は,どこを措いても「大桟橋(おおさんばし)」=メリケン波止場に勝るものはないと思います。

ぢゃあ,「関内」か,っていうと…
これも「広がりのある地名」ですから,本町・馬車道・山下・中華街などが含まれるわけですけれども,その外側は排除されてしまう気がします。
元町も,伊勢佐木町も,野毛も,ましてや山手も,「関内」には含まれません。「関内」の西部(県庁と市役所よりも西側)もまた,戦後しばらくの間米軍に接収されていたことがあって,1960年代前半まではスカスカだったせいもあるので,戦後の「ハマ」を知っている世代には伊勢佐木町も野毛も元町も,あるいは寿町のドヤ街も含まれない「関内」がこの区を代表するというのには抵抗を感じる人も多いのではないかと思います。

あ、むしろ栄区を鎌倉市に編入するのがよいかもしれません。

衆議院の小選挙区の区割りも,同じ「神奈川4区」ですね。

#実はね,あたしの最初の職場は当時の緑区の谷本川のそばだったのですよ。
[16728] 2003年 6月 13日(金)20:49:27YSK[両毛人] さん
両毛市区名案 by YSK
私の案を示してみます。

A区・・・足利区(やはり、この名前を捨てられるはずはありませんね)

B区・・・佐野区(1市2町の合併協議会でも、新市名に「佐野市」を使用することが合意されていますので・・・)

C区・・・わたらせ区(渡良瀬川流域を広く含むため。わたらせ渓谷鉄道に因んで)

D区・・・新田野区(にいたのく;荘園・新田庄が広がっていたという歴史性から)

E区・・・館林区(館林は城下町としての落ち着きを持つ町です)
[16727] 2003年 6月 13日(金)20:32:37YSK[両毛人] さん
「両毛市(仮称)」の区割り案、ありがとうございます。
たくさんの「両毛市」への区割り案のご提示、ありがとうございました。
また、80万字突破へのメッセージ感謝です。

#両毛人は、80万字突破前に、ベホマラー村(250字程度?)を編入していましたので、政令市への移行の資格はあったのですが・・・(笑)

しかし、さすがは「落書き帳」ですね・・・。私はとりあえず「区割り案」だけを募集していたつもりだったのですが・・・、しっかり「区名案」まで添付いただき、光栄です。
#「区割り案」をもとに区割りを決定後、区名案募集をしようかとおもっておりました・・・。

足利市を単独で1区(仮称A区)、佐野市と安蘇郡で1区(仮称B区)、というのは皆さんでご見解が一致しておりますので、これは採用ということにしましょうか。ただ、太田市高瀬町は足利区(仮称)へ編入しましょうか・・・。

桐生市は、桐生広域圏でほぼ一致していますが、新田郡の部分で見解が分かれますね・・。まあ、人口のバランスもありますので、ここは薮塚本町、笠懸町も含めて、C区(仮称)ということにしたいと思います。

太田市・館林市周辺は、

(1)大泉町を太田市周辺に含めるか。
(2)館林市・邑楽郡を2つの区域に分けるかどうか。

で幾パターンかありますね。

私は、日常生活圏を考慮して、

D区(仮称)・・・太田市、尾島町、新田町、大泉町
E区(仮称)・・・館林市、邑楽郡全域(大泉町を除く)

としてみました・・・。

以上の5つの「区」につきまして、区名案を再度募集いたします。既存自治体名使用、ひらがな・カタカナ使用については、制限を設けません。よろしくお願いできればと思います・・・。

ところで・・・
[16658]kenさん
「両毛市」の名称そのものについては、既定のものかのように議事されていますが、各委員、ご異論ありませんでしょうか。「りょうもう市」が良いなどという意見は、よもや今協議会では出ないと信じておりますが、「毛野(けぬ)市」が相応しいというようなご意見は、今協議会の性質を考えるともしかしたら提議される可能性はあるかと思われます。
毛野市、すてきな名前ですね。みなさんは、どう思われますか?
[16726] 2003年 6月 13日(金)20:20:40ありがたき さん
この道の「つづき」
[16724]NS さん

・都筑区内における、旧緑区と旧港北区の境界は?
・青葉区において旧港北区地域だったところは存在するのか?(もし存在するなら該当地域も)
の2つの疑問について誰かお答え頂けると幸いですが・・・

ちょうどウチには分区前(平成5年7月発行)の横浜市の地図があります。
表現しにくいんですが、境界線に沿った旧港北区の町名(平成5年7月現在)を南から列挙します。
→(神奈川区菅田町)小机町~新羽町~新栄町~勝田南~茅ヶ崎南~東方町~茅ヶ崎南~荏田町~茅ヶ崎町~中川~中川町~牛久保町~中川町~牛久保町(川崎市宮前区有馬)
このうち、都筑区内に該当する場所は、南端は小机町の鶴見川に接する部分、北端は牛久保町(ただし、現在川崎市境近辺は都筑区あゆみが丘)です。
青葉区は、旧緑区からの分区で、旧港北区地域は無いですね。

ちなみに、この地図が現存するのは、元々は環状2号線(道路)の開通を待って新しい地図を買おうと思っていたのですが、その後、首都高湾岸線、みなとみらい地区の開発など開業を待つ要素がたくさんあってずるすると…といった具合です。正直10年前の地図は道がかなち変わっているので使いにくいですね。ですが、今日こんな形で役立つとは(笑)
[16725] 2003年 6月 13日(金)19:55:42【1】三丁目 さん
Re:広島市の区を考える、ただし西区だけ
[16717]mikiさん
>西区→己斐区(「西広島駅」の旧駅名「己斐」より)
これも同じ意見で(字が難しいので)「井口区」ですね。
広島市が政令指定都市になったときに、当時、区名にいろいろな案が出ました。ちょうど、私は西区に該当する地域に住んでいたから覚えているのですが、「己斐区」という案もありました。あるいは「こい」の音にかけて「鯉区」とか。他に「カープ区」というわけの分からない案も出てましたっけ。私としては己斐区が良いのになぁ、と思っていました。西区に決まって、ガッカリしたものです。やはり抽象地名には、寂しいものを感じてしまいます。

井口と聞くと、私には、6校の中で最も新しい高校である、や、庚午中学校から井口中学校が分かれて新設された、ことが連想され、新興地域というイメージがあります。井口なんか(失礼!)に広島市の西域を、代表されたくないなぁ、と思ってしまいます。だから、老舗己斐にはガンバッてほしいですね。広島市の西の玄関口なのですから。

広電己斐が、広電西広島・己斐と変わっていたのを知ったときには、驚きました。まさか、西広島みたいな、なんの変哲もない名前(特に、JRの駅名として)に、己斐が負けるなんて、て感じです。広島以外の人に、分かりやすくしたのだろうとは思いますが。今は、老舗己斐は没落、新興井口はますます勢力拡大中、てな感じなのですか?
[16724] 2003年 6月 13日(金)19:40:46NS さん
旧港北4区
[16716]N-Hさん
レスありがとうございます。
私は現在のところこの2区の分区構想は耳にしたことがありません。
(中略)
・平成6年
旧港北区:329936人
旧緑区 :453110人
・平成7年
港北区:279314人
緑区 :149184人
青葉区:248326人
都筑区:117801人
なるほど、そうですか・・・。
30万人はおろか、40万人を大幅に超えて区を運営していた時期もあったとするならば、現状で分区構想が顕在化しなくとも不思議は無いかも知れませんね。
(2010年の国勢調査結果が確定する辺りまではこの両区における分区の可能性は無い?)

ところで、
・都筑区内における、旧緑区と旧港北区の境界は?
・青葉区において旧港北区地域だったところは存在するのか?(もし存在するなら該当地域も)
の2つの疑問について誰かお答え頂けると幸いですが・・・
[16723] 2003年 6月 13日(金)19:17:12【1】YSK[両毛人] さん
両毛に新幹線は不要です。
[16697]special-weekさん
両毛地域に新幹線は要らないと考えます。理由は、当地は高度に進んだ「車社会」だからです。

特に東武動物公園以北がめっきり減っていて不便。足利市から浅草へと戻る本数が確かにりょうもう号を除くと一時間に3本(夕方)と少かったです。(中略)もっと地元民に利用されるような地元に根ざした鉄道とは言いにくいような気がしました。
いえ、「地域に根ざした」鉄道なんです。年齢層の上下を問わず車を利用する人が多いため、地域内の移動に関しては、電車の需要は相対的に多くない土地柄なのです。そのため、電車を利用する主役は、足利市駅構内でご覧になったとおり、学生です。そういった学生の利用が多い朝晩の列車本数は、日中よりかなり多く設定されており、その需要に応えています。

本数が少ないから利用しないのではなく、利用が少ないから本数が少ないのですね。

一般旅客部門について言えば、東京から両毛へのアクセスには、「りょうもう号」か、あるいは熊谷駅からの新幹線利用で十分ですね。

「両毛自動車道」なら、必要とはいわないまでも、検討に値するかもしれません。さいたま市あたりから高崎線沿線の諸都市、行田市を結んで両毛に入り、北関東道に接続し、桐生市へ向かうルートです。製造業に付随した貨物輸送の需要が多い両毛にとって、東京へのアクセスを向上させるのに効果があるのは、新幹線ではなく自動車道であると考えます。
[16722] 2003年 6月 13日(金)19:14:39【1】三丁目 さん
府中と聞くと
しばらく府中の話題が続いたので、昔話を1つ。子供の頃、私が府中と聞いて連想していたのは、広島県府中市でした。ちょうど、3億円事件の時効が迫っていると世間で騒がれていた頃、現場の名前として「府中」がよく出てきました。転勤族でしたが、当時は高崎市に住む小学生で、ニュースを聞くと、どうも広島じゃないみたい、なんでだろう、と思っていました。逆に、自分がなぜ、身近な関東地方の府中ではなく、遠い中国地方の府中を連想していたのか、不思議ですね。東芝府中工場と聞いてたからかな?
蛇足ですが、府中と調布を、勘違いしたことがありました。「ふ」と「ちゅう」「ちょう」の音の組合せからだと思います。京王線沿線に疎い、というのも大きな理由かもしれませんが。
[16721] 2003年 6月 13日(金)19:02:25YSK[両毛人] さん
地名群馬に関する思い・補足
[16719]雑魚さん
「群馬は広域名称に非ず。」 という両毛人さんの主張が想起されます。

私は、「群馬」が広域名称ではない、と思っているわけではないですよ。広域地名ではない、とは思っていますが・・・。

群馬県、あるいは「群馬県」を示す意味で用いられた「群馬」という場合、それは群馬県全域を示す広域的な名称だと思います。それは、地名「群馬」を広域の自治体名として借用したものであるからです。

ですので、私は「群馬(県)から来ました」と言います。ただ、都道府県は県庁所在地を中心に考えられやすいので、日常生活圏においては隣県の地域とも結びつきが深い旨補足して地域性を理解してもらうわけですね。

[16310]にて、
「群馬」を使うのは最後の最後、どうしてもいい案がなかったときにして欲しいですね・・・。
と申し上げたことは、太田市周辺の合併による新市名に「群馬」を使うべきでないという意味ではありません。私は、自治体名に「群馬」を使うのは構わないと思っています。

ただ、群馬県内ならどこでも使える「群馬」をわざわざ持ち出さなくても、それ以上に地域をよく表現する地名を自治体名に使ったほうがいいのではないか、という趣旨ですね。

だって、住所表記では群馬県○○市、と「群馬」は使うわけですよ。そこに群馬県群馬○○市といった風に、「群馬」を重ねて使わなくても・・・、と思うわけです。

しかしながら、[16698]NSさんがおっしゃっているように、地域間でどうしても新自治体名について折り合いがつかず適切な名前を選ぶことができない場合には、「群馬」を使うことも打開策の一つかと思いますね。

私は自治体名は地名ではないと考えているので、あまり自治体名に関してはこだわりはなくなりつつありますね。その自治体に関係する人が、地域をしっかりと見据えた上で、自らの責任から決定する性質のものと思います。

※これは、あくまで私の立場です。考え方はいろいろあって良い思います。
[16720] 2003年 6月 13日(金)18:48:10【2】深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/11 埼玉県編
さて困った。首都圏の一翼を担う埼玉県の旧制中学がこんなに少ない筈はないのだけれど、中々情報が集まらない。川口、本庄、秩父も旧中系と聞きますが確証無し。立教新座高は立教高を名乗っていた 1960年に都内から移転した経緯があり、埼玉県の事例に該当するか否かは微妙ですね。何れにしても、西武線沿線が余りに手薄なので、情報を広く募集します。

ナンバー・スクールの開校時期を見ると、一中と二中、三中と四中が同時開校という独特の パターンですね。一中開学が 1895年というのは、隣接都県と比べて遅い方ですが、これは、東京への近接性ゆえ、独自の中等学校を設置する必要性にあまり迫られなかった事情の産物でしょうか。ちなみに最古参格である不動岡高の前身が県立に移管したのは 1921年です。

県立1886)不動岡私立埼玉英和学校、私立埼玉尋常中学、私立埼玉中学、県立不動岡中学
1895)浦和県第一尋常中学、県第一中学、県立浦和中学
熊谷県第二尋常中学、県第二中学、県立熊谷中学
1899)川越県第三中学、川越中学
春日部県第四中学、県粕壁中学
1922)松山県立松山中学
私立1874)立教新座立教学校、立教尋常中学、立教中学 / 立教高校

次号予告) 千葉県編
[16719] 2003年 6月 13日(金)17:57:21【1】深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/10 群馬県編
群馬県立嚆矢である前橋高創立時の 「第 17番中学」 なる名称の意味が良く判らないのですが、どうも、関東地方あるいは全国規模で シリアル・ナンバーを付す感覚に基いた命名と見られ、「第四大学区 15番変則中学」 を名乗った創立時の鳥取西高と同様か、とも思います。県尋常中学時代の 1897年、沼田、高崎、藤岡、富岡、太田と五分校が一気に開校しており、この年は群馬県の中等教育史にとっては意義深い年ですね。この時の高崎高の前身名は 「群馬分校」。「群馬は広域地名に非ず。」 という両毛人さんの主張が想起されます。それにしても、渋川、前橋、高崎、藤岡、富岡と分布頻度が密だなぁ。

ちなみに桐生中学の県立移管は 1921年です。甲子園で活躍した桐生一高は私立ですが、茨城の感覚だと、こちらが古参の県立か、などと一瞬勘違いしてしまいます。(笑)

県立1877)前橋第17番中学利根川学校、県中学、県尋常中学、県前橋中学、県立前橋中学
1897)太田県尋常中学新田分校、県太田中学、県立太田中学
高崎県尋常中学群馬分校、県高崎中学
富岡県尋常中学甘楽分校、県富岡中学、県立富岡中学
沼田県尋常中学利根分校
藤岡県尋常中学多野分校
1917)桐生町立桐生中学、県立桐生中学
1920)渋川県立渋川中学
1921)館林県立館林中学

次号予告) 埼玉県編
[16718] 2003年 6月 13日(金)17:19:19【1】深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/09 栃木県編
埼玉、栃木、群馬の三県立高校は、宮城県立と同様、旧中系および高女系の別学制度が残っていますが、栃木県の場合、石橋、今市の二校は既に共学化されている模様ですね。一方、烏山の様に自然豊かにして比較的静かな街でも、烏山高、烏山女子高の並立制が見られる辺りに固有の印象を覚えます。

栃木県といえば、1873年の栃木、宇都宮両県の統合に際し、県都を宇都宮とする代わり、県名に 「栃木」 の名を残すという バーター措置が採られた様ですが、栃木高が宇都宮高の前身から派生したのは 1896年ですから、旧栃木県の筆頭校には成り得なかった訳です。同校が栃木中学を名乗るのは 1901-48年ですが、実は宇都宮高の前身でも、1879年の一時期に、栃木県全域を代表する意味合いか、「栃木中学」 を名乗っており、この辺りの命名感覚、落書き帳では広域性の意味合いの是非を巡り、物議を醸すかも知れませんね。

両毛地区で少し意外に感じたのは、足利高の創立年が佐野高より 20年遅いという事。もっとも、県境を隔てた群馬県尋常中学新田分校あらため太田中学が 1897年に開学している事から、あるいはこちらに集約されたのか、とも思われます。

ところで、でるでるさんの母校も結構な老舗だけれど、旧中系ではないのでしたっけ?

県立1879)宇都宮県師範学校附属予備学校、栃木中学、県第一中学、県中学、県立第一中学、県立宇都宮中学
1896)栃木県尋常中学栃木分校、県第二中学、県立栃木中学
1900)真岡県第三中学、県立真岡中学
1901)佐野県第四中学、県立佐野中学
1902)大田原県立大田原中学
1907)烏山私立烏山学館、私立烏山中学、県立烏山中学
1921)足利県立足利中学
1924)石橋(詳細不明)
不詳)今市(詳細イマイチ不明)

次号予告) 群馬県編
[16717] 2003年 6月 13日(金)16:27:18【1】miki さん
広島市の区を考える
[16691]uttさん
★広島市(全部です)
う~ん。どうして広島だけこうなるのでしょうか?

中区  →鯉城区(広島城より)
字が難しいので、「平和区」の方がいいと思います。

西区  →己斐区(「西広島駅」の旧駅名「己斐」より)
これも同じ意見で「井口区」ですね。

南区  →比治山区(比治山公園より)
別にいいと思いますが、「宇品区」も手放せません。

東区  →温品区(ぬくしなバイパスより)
「牛田区」「戸坂(へさか)区」も候補です。

佐伯区 →五日市区(もはや説明不要では?)
別にいいと思います。「八幡区」もいいのではないでしょうか?

安佐北区→可部区(中心市街地から)
別にいいと思います。

安佐南区→安佐区(安佐北区改称より、南を称する必要がなくなるから)
西風新都から「西新区」とか、「祇園区」「沼田区」...。

安芸区 →瀬野区(瀬野川より。ただし海田町合併の際は、「海田区」も可)
別にいいと思いますが、「瀬野川区」「中野区」などはどうでしょうか?
[16716] 2003年 6月 13日(金)16:13:34N-H さん
分区
[16713]NSさん
政令指定都市における区の上限人口と一般的には見なされている30万人を既に超えている港北区や、その大台に迫ろうとしている青葉区において、分区構想は現在のところどの程度顕在化しているのでしょうか?
私は現在のところこの2区の分区構想は耳にしたことがありません。
そもそも両区ともに「緑区+港北区=緑区+港北区+青葉区+都筑区」の分区を行ったのが平成7年ですから、まだそれから8年しか経っていません。
横浜市の統計によると、これらの区の分区前後の人口の推移は以下のようになっています。
・平成6年
旧港北区:329936人
旧緑区 :453110人
・平成7年
港北区:279314人
緑区 :149184人
青葉区:248326人
都筑区:117801人

ということで、分区前の緑区の人口はなんと45万人以上。また分区後の4区の人口を見るとかなり偏っていることがわかります。都筑区の人口が11万人台と少ないですが、これはその後に港北ニュータウンが発展し人口が急増することを見越したのでしょう。事実今年6月1日の人口は16万9千人近くに達し、緑区を追い抜いています。
それにしても分区後も港北区、青葉区の人口はかなり多いですね。この時に更に2区ぐらい作っておくべきだったのかもしれませんが、今となってはまだ前の分区からの期間が短すぎるという認識ではないでしょうか。
[16715] 2003年 6月 13日(金)16:02:28深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/08 茨城県編
さて、いよいよ我が地元編。学制改革の際は、当時の公立校は単独継承で移行した為、当時全国的に多用された男子系の 「一高」、女子系の 「二高」 という暫定的名称 (仙台二高 → 仙台二中 の様な例外もありますが。) が今日に至るも健在である点は、これまで申し上げた通り。しかし、太田、鉾田、水海道、竜ヶ崎の各一高では、戦後一時期、単純に街の名前を名乗った時期があり、二高系は当時 「○○女子高」 を名乗っていました。それを敢えて 「第一」 「第二」 に改めたという事は、共学化を意識していたという事ですかね。(ちなみに、バンカラの巣窟とされた私の古巣では、1950年に初の女生徒二名を受け入れています。)

茨城二、三中 (共に 1883年創立) と土浦、下妻の両一高との継承関係については、決め手となる資料が見付からない為、水戸の茨城県尋常中学から分校として派生した時点を以て創立と解釈しました。その系譜からすると、県立中学十校のうち、半数以上の六校が水戸を中心とした 「親戚筋」 となる訳で、これは済々黌を中心に派生した熊本県立中学の陣容に通じるものがあります。日立学区の最難関校である日立学区は 1927年の単独創立。神奈川県立川崎中と同年で、この辺りに何やら工都としての時期的な必然性を感じます。元々は独自学区を代表する存在でありながら、農村部の少子化から、日立学区の外縁部という位置付けに落着いた太田一高の方がよほど先輩格で、こうした一種の逆転現象に、工都を擁する地域ならではの特有の趨勢を感じた雑魚でした。

県内最古参である茨城高が中等教育機関と認定されたのは昭和に入った 1927年。それ以前の自彊舎、弘道学舎、水戸塾、水戸学院が、どの様な内容の学校だったのか気になるところ。ちなみに、男女共学、中高一貫制強化に移行して初の卒業生を輩出した今春の進学実績たるや、案の定、という感じでしたね。水戸界隈では益々人気が高まるだろうな。

県立1878)水戸第一茨城師範学校予備学科、茨城中学、茨城第一中学、県尋常中学、
県中学、県水戸中学、県立水戸中学
1897)下妻第一県尋常中学下妻分校、県立下妻中学
土浦第一県尋常中学土浦分校、県立土浦中学
1900)太田第一県立水戸中学太田分校 / 太田高校
水海道第一県下妻中学水海道分校、県立下妻中学水海道分校、県立水海道中学 / 水海道高校
竜ヶ崎第一県土浦中学竜ヶ崎分校、県立竜ヶ崎中学 / 竜ヶ崎高校
1922)鉾田第一県立鉾田中学 / 鉾田高校
1927)日立第一県立日立中学
1928)県立境中学
1929)麻生県立麻生中学
私立1814)茨城水戸藩弘道館、自彊舎、弘道学舎、水戸塾、水戸学院、茨城中学

次号予告) 栃木県編
[16714] 2003年 6月 13日(金)15:52:03G[わたらせG] さん
両毛市○○区(仮想)
[16671]uttさん
「中央」を付けたのは東京都の「大田区」から横槍が入ると想定してのことでしょうか?
はい、そうなんです。が、よく考えてみると「太田中央区」では「大田区」のみならず「中央区」からも横やりが入りそうなので(区の場合は大丈夫そうですが)uttさんの「太田昴区」を参考に少しいじってみました。
「太田呑竜区」「新田生品区」「桐生天満区」「館林雷電区」「邑楽(こぶ)観音区」「佐野(厄除)大師区」「足利大日区」
各市町の神社・仏閣(通称含む)にちなんで(ご加護にあずかれますように)のつもりなんですが・・・調子に乗りすぎました。両毛人さんごめんなさい。(反省)
[16713] 2003年 6月 13日(金)15:30:38NS さん
青葉区および港北区の分区可能性および新区名は?
[16704]N-Hさん等において、横浜市の区名案が色々と語られていますが、政令指定都市における区の上限人口と一般的には見なされている30万人を既に超えている港北区や、その大台に迫ろうとしている青葉区において、分区構想は現在のところどの程度顕在化しているのでしょうか?
(私が確認した限りでは既存の各アーカイブにおいてこの件に関する言及は見つけられませんでしたが・・・)

もし分区をするのなら、地勢的にみて
・青葉区は鶴見川を挟んで東西に
・港北区は概ね早渕川~鶴見川を軸に南北に
分けるのが自然かな?と私には感じられますが、青葉区に関しては
青葉台が青葉区の中心なので
に従うと、鶴見川より西部にある青葉台周辺と鶴見川東岸に位置し区役所のある市ヶ尾地区は別々の区になるだけに、どちらが「青葉区」を継承するのか、あるいはこれ以外の区名・区割り方法を隣接区の巻き込みも含めて検討するのかが注目されるところかな?と感じます。
 一方、港北区に関しては上記の分け方だと繁華街とされる日吉・綱島両地区がいずれも現在の港北区役所所在地域周辺とは別の区域に属することになるので、
・北部の新区名は「日吉区」もしくは「綱島区」辺りが有力?
・分区後に残った地域に関しては歴史的経緯を尊重して「港北区」のまま?
かと感じますが・・・(ここも隣接の都筑区などを巻き込んだ形での再編が有り得るのでしょうか?)

 以上、横浜市に縁もゆかりもない立場で書いた、説得力にいささか自信の無い個人的意見ですが、市民や出身者などからはどのように感じられているのでしょうか?(中田宏市長の判断次第で大きく変わるのでしょうが)
[16712] 2003年 6月 13日(金)14:56:07深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/07 福島県編
「文武両道」 が好感されたか、一昨年、第73回選抜高校野球大会から適用された 「21世紀枠」 の栄えある第一号に県立一中系の安積高が選ばれましたが、折しもその春は、同校を含む福島県立の旧中および高女系高校で共学化移行が開始された時期でした。つまり、学制改革直後早々に現校名が確定した事情は宮城県立と同様ですが、一方で、共学化の結果 「安積女子 → 安積黎明」 「白河女子 → 白河旭」 「会津女子 → 葵」 「磐城女子 → 磐城桜丘」 など名称変更されました。(私自身は、地域風土や学校の教育理念次第で、設立区分にかかわらず、共学、別学どちらでも構わないと考えます。)

安積高の御先祖校は元々、現福島市の師範学校に併設された格好でしたが、福島県尋常中学時代の 1889年、当時は安積郡桑野村に属した郡山市内の現校地に移転しました。郡山は元々、二本松藩の寒村に過ぎず、戊辰戦争の戦禍で荒廃した状況にあった様です。(福島市からの県都移転が取り沙汰される様になるのは、鉄道の開通に伴う要衝化が進んだ後の事ですね。) 尋常中学の移転当時、一帯では、県典事と郡山の有力商人が 1873年に結成した開成社による、安積疎水を主要眼目とした開拓事業の真っ最中で、本来、県を代表する中等教育期間が置かれる様な場所ではなかった様ですが、以前にも述べた様に、学園都市形成の呼び水として、東京教育大改め筑波大の誘致や広島大の総合移転に通じる感覚を先取りした側面があったのではないかと考えます。

その戊辰戦争に敗れた会津では、中学設立が 1890年と県内二番手の古参格ながら、県立移管が県立三、四中の設置後だった為、ナンバー・スクールを名乗れませんでした。同校OBによると、これが戊辰戦争に基く確執の産物である可能性は否定できないとの事。ちなみに、県立と区別する意味で 「学法」 を冠する事が多い私立石川高も、結構な古株ですね。当時の石川は相応に栄えた街だったのかな。

県立1884)安積福島中学、福島尋常中学、県第一尋常中学、県立安積中学
1890)会津私立会津中学、県立会津中学
1896)磐城県尋常中学磐城分校、県第二中学、県立磐城中学
1898)相馬県第四尋常中学、県第四中学、県立相馬中学
福島県第三尋常中学、県第三中学、県立福島中学
1918)喜多方県立喜多方中学
1922)白河県立白河中学
1923)安達県立安達中学
双葉県立双葉中学
私立石川1892石川義塾、石川中学

次号予告) 茨城県編
[16711] 2003年 6月 13日(金)14:47:51スナフキん さん
私も新市名を…
今週始め、住所のある2市2町合併に伴う新市名を応募しました。応募用紙も配布されていたのですが、市立図書館までに結構、自転車で登るのにしんどくなる急勾配がありましてくじけてしまい(大汗)、結局ネットの法定合併協議会ホームページから応募を済ませた次第です。

自分の住まう地域の話ですから他人事では済まされず、以前に書き込んだ通り、選択肢に困って結局「東入間市」にしておきました。コメント欄には以下の文章を併記しての応募としました。

『2市2町が対等な関係をもって合併するにあたり、これら地域がいずれも元「入間郡」であったこと、「入間郡」全体から見ればその東部地域にあたることから、2市2町のエリア全体を指し示す言葉として最も無難かつふさわしい名称と考え、応募する。』

個人的にはこの名称でも、2市2町住民の「郡でのまとまり」意識が極端に低くはばかりはあったのですが、ホントこれ以外に適当と思われる名称、私の凝り固まったノウミソでは思いつきませんでした。こんな調子だと、まったく新しい、それこそとんでもない名称がふってわいてくる事態も考えておかねばならないかもしれません。以前も書いたのですが「彩野市」とかになってしまいそうで、ちょっと怖いです。新市をイメージするにはいいかもしれませんが、そういう名称は裏を返せば地域的に周りから理解されやすいとは言えず、新市名が認知されるまでには相当の時間を要することが多そうです。「ひらなみ市」で議論がわき起こったり、「瑞穂市」の位置がイマイチつかみきれないなどからも、それは言えますね。

すでに応募から半月、応募期間も約半分を経過しました。途中経過などは発表されないようですが、最終的に決定する新市名称を複雑な思いで待つことにします。
[16710] 2003年 6月 13日(金)14:00:48U+3002 さん
Re:抽象区名を強引に改名
「お遊び」に熱く応ずるのも興ざめですが……

区内の1地名を区名に採用するのは、混乱の元でしょう。
○○県と○○市の問題のようなことが、起こってしまいます。
「『渋谷』って、渋谷じゃなくて渋谷区かよ」
「新宿って言うから新宿駅で降りちゃったよ」
みたいなね。

具体的には、
★名古屋市
中区  →栄区
は、地元の意識では
「鶴舞や金山は栄じゃーにゃー」と感じます。
旅行者にとっても、栄と思って来てぜんぜん別の場所だったら困るでしょう。

「中」や「中央」というのは、いっけん、歴史のない地名に見えますが、
「ここが都市のルーツである」という歴史を表していると思います。
改称すれば、その歴史は忘れられます。
とくに「名古屋市中区」は、「中央駅のない中区」という点で、非常に個性ある区名だと思います。
[16709] 2003年 6月 13日(金)13:55:14U+3002 さん
Re:属島??
[16685]utt さん
 U+3002さんはおそらく、「本州」に住んでおられるのでしょうか?

その答えはYesですが、18歳まで四国に住んでいました。

むしろ、「本州だけは属島を含まない」というのは四国島民らしい意識だと思ってました。
私にとって「本州」とは、「大阪に行くために上陸する土地」です。
(ほかの大都市でもいいですが)

だから、本州は島を含まないのに四国は周囲の島もワンセットとの意識があるのでしょうが、元四国人の私からみれば、一つの島の名前としての「四国」は一般的なのですね。

出身県の違いも大きいかもしれません。
私の出身地の徳島県には、本島から遠く離れた大きい属島はありません。
馴染み深い島といえば、大毛島(鳴門市内)とか沖州(徳島市内)とかで、これらが四国でないと言われると困ります。

ちなみに、本四公団の公式サイトでは、いくつかのページで、四国本島と大毛島を結ぶ小鳴門橋が忘れられています。
(小鳴門橋は本四連絡橋の一部です)
大毛島は四国と一体という意識があるのでしょう。
http://www.hsba.go.jp/hasi-inf/a-route.htm

この感覚を四国全体に一般化すれば、与島や大三島も四国と言うのは自然でしょう。

極端な話をすれば、
「瀬戸大橋やしまなみ街道でも、「四国」のあいだは海は狭く橋は短い」
という錯覚さえあるかもしれません。


字面の影響もあるでしょう。
「州」のほんらいの意味は「行政区(日本ではとくに旧国)」ですが、よく混用される「洲」には「島」の意味があります。
だったら「九州」も条件は似ていますが、「九州に9つある「州」とは何だ?」と考えれば、この「州」は「島」ではないと気づけます。
[16708] 2003年 6月 13日(金)13:49:16【1】深海魚[雑魚] さん
旧制中学 データ・ベース 第二弾/06 宮城県編
福島県立高の共学化推進に伴い、東北では唯一、旧中系と高女系の別学制が残った宮城県立ですが、そうした事情から、1970年に県立移管した塩釜高を除き、学制改革の時点で現校名が確定しているのは、隣の岩手県立や山形県立と比較して対照的ですね。また、三中系の古川高や四中系の角田高の場合、仙台の県立校の分校という位置付けでありながら、設立当時は郡立というのも特徴的です。

概ね同時期に開校された築館高と佐沼高ですが、前者が古川に置かれた三中の分校として設立されたのは地勢的に判るとして、佐沼が仙台の二中の分校扱いとされた必然性が良く判らないですね。(ちなみに 二中は、当初宮城県全体としての第二、後年仙台市内の第二、という位置付けですね。) 瀬峰を挟んで何やら宿敵めいたものすら感じてしまうのですが。(笑) それにしても、築館高嚆矢の 「宮城県立宮城県第三中学栗原分校」 という名称、長ったらしいなぁ。

仙台一高と藩校養賢堂については、拡大解釈を覚悟で継承関係ありと位置付けました。これは、仙台という要衝の地にありながら、尋常中学が設置されたのが 1892年と比較的遅く (丁度、文部省の一県一中学令が緩和された頃で、廃校を余儀なくされた長野県中学の長野、上田、飯田各校が復活したのもこの頃です。これは、幕末の混乱期における新政府との関係を反映したものでしょうか。) それまでは、養賢堂の洋学部門を継承する英語専門学校・辛未館が事実上の公立中等教育機関として機能していた点を重視したもので、辛未館から尋常中学に スライドした教師も少なくなかった様です。

県立1736)仙台第一伊達藩校養賢堂、辛未館、県尋常中学、県中学、県第一中学、
県立仙台第一中学、県仙台第一中学
1896)仙台第二県尋常中学分校、県第二中学、県立仙台第二中学
1897)角田県尋常中学伊具郡立分校、県第四中学
古川県尋常中学志田郡立分校、県中学志田郡立分校、県第三中学、県立古川中学、県古川中学
1899)白石刈田中学講習会、郡立刈田中学、県白石中学
1901)築館県立宮城県第三中学栗原分校、県立宮城県第五中学、県築館中学
1902)佐沼県立第二中学登米分校、県第六中学、県立佐沼中学、県佐沼中学
1922)石巻県石巻中学
1927)気仙沼県気仙沼中学
1943)塩釜塩釜市立宮城県塩釜中学 / 塩釜市立塩釜高校
市立1940)仙台仙台市立仙台中学
私立1886)東北学院仙台神学校、東北学院、東北学院普通科、東北学院中等部、東北学院中学
1894)東北仙台数学院、東北中学、宮城県私立東北中学、南光学園

次号予告) 福島県編
[16707] 2003年 6月 13日(金)13:31:25般若堂そんぴん さん
レス二題
[16694]faithさん
区別する必要があるときのみ、都道府県名から始めれば良いだけのことだと思います。
また,
いい加減に、このような無意味な規制は撤廃すれば、市制施行にあたって、
昔からの地名をより数多く残すことができるでしょう。
同名の市はかつての若松市の例もありますが(こちらは先行した福島県の若松市が周辺町村の編入を機に改称しました),規制が無意味とも言い切れないと思います.
区別する必要がある場合を誰がどういった基準で判断するのでしょう?
市町村の総てについて同名を回避するのは困難でしょうが,概ね認知度の高い市については出来ることならば同音異字も避けて欲しいと思います.あくまでも私の個人的見解ですので,断定的な表現は慎みますが.
また,規制と昔からの地名の消失(実際には新自治体の中の小区分として残るのでは?)との間に直接の因果関係はあるでしょうか?
自治体名称に限って言えば,複数の自治体が合併すれば少なくとも合併した自治体の数よりひとつ少ない分の名称が自治体名称としては失われます.これは規制とは無関係です.同名回避の場合でも,「陸前高田」「武蔵村山」などのように旧名称を新名称に包含する形で残すことが出来ます.

[16703]軒下提灯さん
勿論私は、ただ文字数が増えるだけの愚行に賛成するつもりはありません。
「栃木市」「佐野市」「小山市」という表記を取り入れることは「ただ文字数が増えるだけの愚行」ではありませんね.地名が階層的に認識されていることを踏まえた上で,その指し示す対象を的確に表現しようとするわけですから.

「いい加減に、このような無意味な」や「愚行」という表現はこれらの例に於いて必ずしも適切ではないと思います.
[16706] 2003年 6月 13日(金)12:32:18NS さん
行先案内板における地名
[16703]軒下提灯さん
都市としての栃木の存在が消されたような思いがします
気持ちは解らなくもありませんが、案内板における名称としては拙稿[15457]でも触れたように、
・「県庁所在地名=県名」であれば県庁所在地名としての認知度が優先
・「県庁所在地名≠県名」であれば「県名」>「県庁所在地名」>「県名と同一名称の非県庁所在地」の順の認知度
というのが一般的な認識と考えるべきところでしょうし、そこが「栃木」等と「青森・長野」等との決定的な違いでしょう(納得できないかも知れませんが)。
[16705] 2003年 6月 13日(金)12:32:12NS さん
方角区名等
[16699]紅葉橋瑤知朗さん
単に東西南北中央だけ、というのが解せないだけです。指定都市の区名にはそういう面白みのない名前は使って欲しくない、というのが本音ではあります。
(中略)それは「地名」ではなくて、「役所名」のような気がします。
持論はよく解りましたが、やはり現実問題としてこれら方角名のついた区名に関しては
・行政側→区全体を適切に表し得る地名が存在しない以上は方角名の使用は対外的な認知においてメリットがあり止む無し
・住民側→『区民』としてよりも指定都市『市民』としての意識が強く区名は「役所名」であろうが気にしない
というのが主流の意識でしょう。

 そもそも、指定都市においての「区」の有り方自体、市域を「如何に人口面で一定水準以下にまで引き下げた地域に分割するか?」という観点を最大要因として決定しているものである以上、分割に際して地域性を最大限考慮するにしろ概して他の市町村よりも便宜性が強くなりやすいだけに、「区民」としての意識は方角名の有無に拘らず定着に時間がかかるでしょう(そういう状況でも公的に長く使用され続ければ役所名であれ地名的な性格をも認知されていくのは歴史的必然でありますが)。

国名・都道府県名などに方角を付けただけの市町村名の場合、どこでもそういう名前を名乗れる可能性が出てきます。早い者勝ちなんですね(既に県名都市で話題になりましたが)。
(中略)栄えている地域の名称を捨て去るのもどうか
(中略)実際には、「(旧市町村)どこの匂いもしない名称」というのはすごく難しい
これらはまさに然りで地域内各地の力関係により決まらざるを得ず止むを得ないものですが、結局のところそのような形を採らないと合併が成立しないような地域においてはそもそも合併の意義自体が問われて然るべきものでありましょう。
その為に「公募」というのがある
当事者同士の議論だけではなかなか得られにくい幅広い叡智を求めるという意味では有用ではありますが、往々にして地元の多数派住民の意識と著しく乖離した名称が出現しやすく、それらを適切に排除する方法を如何に担保するかが大きな問題ですね。また、[16619]等でも指摘されている組織票の問題も、対象者の範囲に依らず残りますし。
 さらに、この制度の運用にあたっては、紅葉橋瑤知朗さん言う所の「中心的自治体が卓越し合併方式に依らず中心自治体名の採用が望ましいとされる地域」であっても地域間の軋轢を避けるという名目で往々にして既存自治体名の非使用が定められやすいという問題もあり(これまた合併の意義自体が問われかねないものでありますが)、導入には慎重を期する必要のある非常に難しい制度と感じます。
[16704] 2003年 6月 13日(金)12:04:12【3】N-H さん
横浜市区名案
[16691]uttさん
★千葉市
緑区  →鎌取区(駅名より、さいたま市緑区を改称するならここも改称)
緑区全体を鎌取で代表させちゃうのはちょっと無理があるかと思います。
これはまだ政令指定都市になる前のお話。私の友人で鎌取に住んでいるやつが、外房線の終電に乗り遅れてとりあえず隣駅の蘇我までやってきて、タクシーに乗車しました。

友人:鎌取まで
運転手:は、カマトリ?? どこですか、それ? どういったらいいんでしょうか?

またこの友人は高校の同級生だったのですが、千葉市のやや南に位置するその高校でも彼の居住地「カマトリ」の名を知る者はあまりなかったですね。
以前は、鎌取という地名の知名度はこの程度のものだったのです。
それに鎌取は緑区の一番はしっこですね。
私の印象では、緑区の区域となった鎌取、誉田、土気地区をまとめる名称は以前から存在しておらず、外房線が房総半島の尾根を越える地域、まさに緑の区域であって、緑区というのは悪くないと思います。

さて、横浜です。

中区  →本牧区(横浜を代表する埠頭名)
本牧地区は中区にありますが、中区は横浜発祥の地であり、その中心は関内、伊勢佐木町、山下町、元町、山手などだと思います。本牧はそれよりかなり郊外でして、米軍に一帯を接収されたことからハイカラなイメージが出来たものです。
私としてはせいぜい「関内区」ぐらいかなあ。

西区  →平沼橋区(駅名より、橋が付く区名もたまにはいいかも)
橋をことさらつけないほうがよいかと。平沼地区にある橋なので平沼橋とついたわけですから。平沼区というのがよいと思います。
余談ですが、平沼橋駅というのはあまりにマイナーですな。相鉄の中でも乗降客の少なさではかなりなもの。横浜駅に近すぎて、みな歩いちゃうわけです。
丁度ただいま駅前にあった東芝の体育館跡地に大規模マンションを建設売り出し中(米倉涼子が大々的に宣伝してます)ですが、「横浜駅まで徒歩10分」です。平沼橋駅前なのに……

港南区 →上大岡区(京浜急行と地下鉄の乗換駅なので、意外とターミナル駅なのかも?)
上大岡は港南区の中心的存在で、横浜市もここを副都心と位置づけています。近年は京急がデパートを駅の真上に建設してにぎわっております。区名としても遜色ないかと思います。
ところが、ここで問題になるのが地下鉄の「港南中央」という駅の存在です。
港南台も広く認識されています。もはや港南というのは区名だけでなく地名として浸透しているという印象を持ちます。よって変更の必要なしというのが私の結論。

港北区 →菊名区(東横線と横浜線の乗換駅、「新横浜」の名前は芸が無いので)
ここも港南と同じで港北という名前も浸透しています。ただそれは、「港北ニュータウン」や「港北インター」としてなのですが、まずいことに都筑区を作ったときにこれらの場所は港北区から外れてしまったのです。
ですからここは積極的に区名を変更する意義があるでしょうね。
さて、菊名ですが、街の規模としては菊名はかなり貧弱です。区内だとまず繁華街は綱島、ついで日吉といったところ。区内では端のほうになりますが、「日吉区」にすると区民はイメージアップと捉えられ(日吉の地価は沿線ではピカイチです)、反対は少ないでしょう。

緑区  →十日市場区(なんとなく、よさげな名前なので)
十日市場はそれこそ何もありません。長津田区か中山区をおします。

青葉区 →荏田区(駅名より、主要な街と思われるので)
青葉区と都筑区をつくったときに、荏田地区の真ん中に両区の境界線が引かれてしまいました。現在荏田町、荏田北、荏田西は青葉区にあり、荏田南、荏田東が都筑区にあります。
このような状態なので、青葉区を荏田区とすると混乱が生じますしふさわしくありません。青葉台が青葉区の中心なので、青葉の名は充分に地名として定着したと考え、現状のままがよいと思います。

むしろ、ここに挙げられていなかった栄区なんてのは区名を変更してもよさそうです。
で、栄区に変わる名称ですが、ちょっと隣をぱくっちゃったようでずるいかもしれませんが、「鎌倉区」というのはいかがでしょうかね。栄区にいますと充分鎌倉の風を感じますし、大船地区では市街地も一体化しています。
あ、むしろ栄区を鎌倉市に編入するのがよいかもしれません。栄区と横浜市の他区との境界はかなりな丘陵地が多く、むしろ鎌倉市のほうを向いているような気がしないでもないです。郵便集配業務も鎌倉市の大船郵便局の管轄ですし。
普通政令指定都市の区域だったものをそこからはずして別の市に編入なんてなったら住民はこぞって反対しそうですが、相手が鎌倉市となれば話は別。横浜市はいやがるでしょうが、住民には歓迎されそうです。
[16703] 2003年 6月 13日(金)10:31:41千本桜[軒下提灯] さん
行先案内板の青森とは、「青森県」「青森市」のどちらでしょう
[16648]ゆうさん
「栃木」の存在すらしらない人が県外から運転してきて「↑栃木」を見たときに「もう『栃木県』を走っていると思っていたけど、まだだったの?」と勘違いするようならば「栃木市」も一定の効果があるのではないでしょうか。
確かに、そのことだけを取り上げると一定の効果はありますね。でも、それとは裏腹に、別の不都合や不釣り合いが生じてきます。なかなか難しい問題で、結論が出せないまま堂々回りしそうな話題ですね、ゆうさん。このことについては、時間に余裕が生じれば書きたいと思いますが、本日は違う観点から意見を言わせて下さい。

私の気持の中には、沼宮内に置き換えができる岩手町や、大聖寺と言い換えのきく加賀市とは異なり、栃木そのものであるが故に栃木以外の名で名乗ることの出来ない栃木という名の都市を尊重してやりたい気持が有ります。認知度も低く、県名と混同される恐れがあるとして、「栃木」を「栃木市」と現わしたのでは、都市としての栃木の存在が消されたような思いがします。それならいっそ、佐野も小山も「←佐野市」「→小山市」と標記すれば良いのです。栃木を栃木市と表わして支障がないのなら、佐野を佐野市と書いて支障がある筈もございません。勿論私は、ただ文字数が増えるだけの愚行に賛成するつもりはありません。ただ、都市としての栃木の立場も少しは考えてみたいなと思うのです。

本題に移ります。「↑栃木」を「↑栃木市」とするなら、やはり、「↑青森」は「↑青森市」、「↑長野」は「↑長野市」になさいますか? 栃木とは栃木県のことか栃木市のことか判断がつきにくいように、青森もまた青森県なのか青森市なのか判断がつきにくいですね。ドライバーが「↑栃木」に戸惑うなら、「↑青森」にも戸惑うのではないでしょうか。
[16702] 2003年 6月 13日(金)10:06:06miki さん
無駄レス2題
[16688]再び雑魚さん
フマ○ラー 「ム○デ・カ○ン」 も配備してあります。
http://www.fumakilla.co.jp/products/insect/insc_i08.html
これの事ですか?
ちなみにムカデ・キンチョールはこちらにあります。
http://www.kincho.co.jp/seihin/01/line_ar.html

[16619]沖縄のてつさん
「潮谷義湖」
熊本の知事さんですよ。
[16701] 2003年 6月 13日(金)09:58:52BANDALGOM[月の輪熊] さん
新市名応募
昨日から今日にかけ、3地域の新市名を応募してきました。

夷隅郡市1市5町は「磯海(いそみ)市」にしました。
1人1点限りなので、以前は「外房市」を考えていたところですが、[16384]で書きましたとおり、「夷隅」と発音が似ていて、それでいて地域の特徴をよく表わしている名称ということで考えたものです。

宇土市・富合町は「雁回市」「緑川市」「有明市」「山海市」の4点です。
「雁回市」は宇土市・富合町の境界にある山からとったものです。
「緑川」は中央町・砥用町の新町名に、「有明市」は玉名地域の新市名に、「山海市」は須崎市・中土佐町の新市名に使ったものですが、落選の可能性も考えて宇土市・富合町にも使ったものです。

日置郡6町は「吹上浜市」にしました。
ここも1人1点限りですが、地図から見ても「吹上浜」しかないと思いました。
これで串木野市が入ってくれば、事情も違ってきますが。
[16700] 2003年 6月 13日(金)07:29:16ありがたき さん
やっぱし波紋なんだ
つい先ほど、日本テレビ系番組「ズームインSuper」で、愛媛県「四国中央市」の命名についての話題が出ておりました。番組調べの地元住民への100人アンケートでは、「四国中央市」に賛成が35人、反対が40人、どちらともいえないが25人だそうです。
反対意見には、「愛媛県の次に四国と来るのは順番が逆」「名前が大げさ」などなど。
また、四国のへそを掲げる徳島県池田町の方でも困惑しているという旨の内容でした。

こちらの落書き帳でも何度か話題になっていますが、やっぱりなにか違和感があるんですね


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